★ 社会正義とアティテューディナル・ヒーリング(その3) ★
社会正義とアティテューディナル・ヒーリング(その2)で、「攻撃は不安に基づく行動」と書いたところ、「自分と違う考えの人は不安に基づいて行動していると独善的に考えるのか」という趣旨のメールをいただきましたが、もちろんそんなことを言いたいわけではありません。ここで問題にしているのは、あくまでも「攻撃」という、コミュニケーションの形であって、内容ではありません。アティテューディナル・ヒーリングでは、すべてのコミュニケーションは人と人を結びつけるためにすべきものであると考えますので、バッシングのように、相手の言い分を理解しようともせず、相手を悪と決めつけて叩くというようなコミュニケーションは、当然、アティテューディナル・ヒーリング的ではないということになります。そして、こういうコミュニケーションパターンを支配しているのが、「怖れ」であり「不安」であるということを言いたいのです。
そうは言っても、内容も全く無関係とは言えません。例えば、選択的夫婦別姓などを考えた場合、本当に相手を理解して結びつこうとすれば、「別姓は家族の絆を壊す」などという空論を言い続けるわけにはいかないからです。また、非嫡出子の差別にしても、本当に相手の話に心から耳を傾ければ、親の事情がどうであれ、子どもは一人の人間として生まれ、成長し、周りの人たちと関わっているのであり、差別は差別なのだということが理解できるはずです。そして、その差別を解消するために、自分には何ができるだろうかということを考えるようになるはずです。ですから、ある人たち(特に、自分とは関係のない人たち)に、何らかの我慢や価値観を強いるような理念は、やはりアティテューディナル・ヒーリング的ではないと言え、そこには「不安」が強く根づいていると言えます。
このあたりのことは、拙著「国会議員を精神分析する」を書いたときに、ある程度まとめました。対立軸は今や「保守か革新か」にあるのではなく、「共感か共感の欠如か」にある、ということ、そして、共感の欠如の裏側には不安があるのだということ、これが拙著の主張ですが、当時はまだ知らなかったアティテューディナル・ヒーリングと全く同じ考え方です。
さて、社会正義になぜアティテューディナル・ヒーリングなのかと言うと、不正義の背景に不安がある以上、こちらも不安に基づく行動をしている限り、事態は悪くなる一方だからです。不安に基づく行動というのは、「逃避」「防御」「反撃」ということになりますが、どれも、事態の改善に結びつかないということは、皆さまも経験的にご存知のことだと思います。強烈な反撃をして、一見うまくいったように見えても、その火種は必ずくすぶっているものです。相手が攻撃してくるときに、怖れを抱かないのはなかなか訓練のいることですが、「攻撃」という相手の「不安」に反応するのではなく、不安によって覆い隠されている本当の相手に働きかけることが重要なのだと思います。
★LEFT TO TELL(伝えるために一人生き残った)★
社会正義に関連して、最近読んだ本の中でとても感動した一冊に、LEFT TO TELL(伝えるために一人生き残った)という本があります。これは、ルワンダの最悪の虐殺を生き残ったイマキュレという女性が書いた本なのですが、ツチ族の彼女は、海外留学していた兄を除き最愛の家族をすべて残虐な形で殺され、自らは身動きのとれない小さなトイレに7人の女性と共に3ヶ月間隠れて生き延びました。最初の頃は、自分たちを虐殺したフツ族を全て殺して仕返しをしてやりたいと思う彼女ですが、もともと敬虔なカトリックとして育ったこともあり、身動きのとれないトイレで祈りを続けるうちに、最終的には、許しの境地に達します。そして、解放後には刑務所を訪れ、自分の母と兄を虐殺した犯人に「あなたを許します」と言うのです。これだけの残虐を経験し、絆の強かった家族を失い、自らも、何度も殺される恐怖をくぐってきた人ですから、その道のりは簡単なものではありませんでした。でも、許しあうことによってしかルワンダは正常化しないし、許すことによってしか心の傷は癒されないという彼女の信念は揺るがないものになっています。
隠れていたトイレから脱出してフランス軍のキャンプに保護された彼女は、その指揮官から、「フツ族は邪悪だ。復讐したい奴がいたら殺してやるから、家族を殺した人間の名前を言え」と言われますが、殺し屋と指揮官に同じにおいを嗅ぎ取った彼女は、もちろん同調しませんでした。自分が求めるのは新たな殺人ではなく平和である、と指揮官の提案を退けたのです。
真の「許し」を学ぶためにも、また、もちろんルワンダの虐殺について知るためにも、さらには、内戦国にとって外国からの援助がどう映ったのかを知るためにも、とても勉強になる一冊です。アメリカでもこの2月に出版されたばかりの本ですが、日本語訳を早く実現するように、こちらの出版社の方とやりとりしています。