アティテューディナル・ヒーリング・センターの誕生(6)

 アティテューディナル・ヒーリング・センターの誕生について、パッツィ・ロビンソンの翻訳の続きです。

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ブライアンは、グループの中で、心の焦点を変えるやり方を学びました。状況に対して別の見方をし、一週間の間に膨らませてきた恐怖を手放すにはどうしたらよいかを学びました。その結果は、本当に驚くべきものでした。皆が、深い変化に気づきました。

 私たちは自分の気持ちを知るためにサイコドラマの形式を使い、4人の人が参加しました。一人は医師を演じ、もう一人は患者を演じ、残りの二人はそれぞれのうしろに立って意識の役を演じました。医師や患者が嘘をつくたびに(たとえば、「いや、これは痛くないよ」というふうに)意識はそれを思い出させる役を果たすのです。これは、私たちが自分の本当の気持ちを早く知れるようになるための、おもしろく、効果的な方法でした。

 子どもたちとやったことで他にとても重要だったのは、自分の気持ちを表現する絵を描くよう励ましたことでした。これらの絵は、その素朴さにおいて、私たちが期待した以上のものを与えてくれました――言葉では伝えられない、子どもたちの気持ちや体験へのドアを開けてくれたのです。そして、そのプロセスを通して、私たちは皆、より親しくなりました。

 この作業を進めるにつれてわかり始めたことがあります。それは、これらの絵が他の子どもたちの、そして医師や家族の役に立つだろうということです。ある日、私たちは本を書くことに決めました。何ごとも不可能なことはないという仮説のもとで、とにかくこれをやろうと取りかかったのです。私たちは絵を編集し、最終的なテーマに焦点を当てた新しい絵を描くように励ましました。この結果、私たちはさらに親しくなり、グループには新しい要素が加わりました。

 約1年後、私たちの本がまさに完成しようとしていたときに、グレッグ・ハリソンが亡くなりました。グレッグは差し迫った死に直面したグループ最初の子どもとなりました。グレッグは11歳でした。白血病で、薬がもはや効かず、重度の痛みを抱えていました。グレッグは、自分で、もう逝く準備ができたということを決めたのです。彼はグループでそう言い、彼が死について話す間、皆が彼の周りに集まりました。

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(☆☆☆ではさまれた部分は、パトリシア・ロビンソン著「アティテューディナル・ヒーリングの原則の一つの定義」の邦訳)