アティテューディナル・ヒーリング・センターの誕生(2)

 アティテューディナル・ヒーリング・センターの誕生について、パッツィ・ロビンソンの翻訳の続きです。

☆☆☆ 

 私はこの考えに夢中になり、実験に喜んで参加したいと言いました。私たちはバイオフィードバックの道具を使い、結果が私たちにも子どもたちにもよくわかるようにしました。これは6週間の計画でした。ジェリーは6名のボランティアの大人たちと6名の子どもたちの協力を得ることができました。私たちは6週間続けて、火曜日の放課後に、ティブロンのジェリーの診療所の隣の「埠頭レストラン」のすぐ下にジェリーが借りた部屋で会いました。それぞれの大人が一対一で子どもに対応しました。

 最初のプロセスは、子どもたちの指に装置をつけて、想像を働かせることによって手の温度を上げたり下げたりできるようにさせることでした。たとえば、私が、担当している7歳のブラッドに、手が温かい水にひたっていると思い描いたり、あるいは反対に、冷たい水に入っているとイメージしたりしてごらんと言います。全く何の問題もありませんでした。彼は最初のセッションでこれができるようになり、他のほとんどの子どもたちもそうでした。

 私たちのどちらも、これが目の前で難なく実際にできるのを見てワクワクしました。それは自然なプロセスだったのです。次のステップは、「ブラッドの人生に起こっていることで変えたいことは何?」ということです。最初に取り組んだのは、野球をするときの恥ずかしさでした。打席に立ってみんなの注目が集まると、とても緊張してしまうのです。彼は固まってしまい、ボールを打つなどほとんど不可能な状態になってしまいます。私たちは野球場における彼の状況に、バイオフィードバックの技術を使うことができました。ブラッドが打席に向かって歩き、バットを振り、ボールをしっかりと高く打っている姿をイメージするようにしました。私たちは、共通の目標に向かって、遊びながら、楽しんでやりました。この練習が終わる頃には、よい結果が出るだろうという自信を二人とも持っていました。次の週、ホームランを打ったというニュースをもって現れたのは、喜んで、やすらいでいるブラッドでした。

 6週間のセッションの間、私たちはたくさんのことに取り組みました――読み方、うまくいっていない友達との関係、父親に関する問題など、ブラッドが取り組んできた主だった問題は全てです。追跡調査をしてみると、その結果は長く続いていました。子どもたちは技術を自分のものにし、生活で必要になったときに自分で応用できるようになっていたのです。私は、良い友情が築けただけでなく、多くのことを学ばせてもらったこの実験プロジェクトが終わってしまうのが残念でした。
 
☆☆☆

(☆☆☆ではさまれた部分は、パトリシア・ロビンソン著「アティテューディナル・ヒーリングの原則の一つの定義」の邦訳)