アティテューディナル・ヒーリング・センターの誕生(1)

 パッツィ・ロビンソンの翻訳ですが、前回までで「アティテューディナル・ヒーリングの原則」のご紹介は終わりました。この冊子は2部構成になっており、後半は、センター誕生の経緯が書かれています。これもなかなか興味深いものですので、引き続き、ご紹介します。

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アティテューディナル・ヒーリング・センターの誕生 カリフォルニア州、ティブロン

アティテューディナル・ヒーリング・センターは1975年にジェラルド・ジャンポルスキー博士によって創設されました。ジャンポルスキー博士は、ジェリーと呼ばれるのを好みますが、当時、サンフランシスコ湾を見渡すカリフォルニア州ティブロンの魅力的な場所で開業をしている精神科医でした。彼は、いろいろな手法のよいところを取り入れるタイプの精神科医だと考えられていました。バイオフィードバック、催眠療法、リラクゼーションの技術をはじめ、彼が必要だと直感したものは何でも利用していました。彼の専門は、学習障害を持つ子どもたちでした。

私の息子マイケルが失読症で苦しんでいたとき、私は必死で助けを求めていました。マイケルは9歳で、私の家庭の状況は悲惨でした。1971年、自分たちが深刻な状況に陥っており、抜け出せる見通しがないと思ったときに、私はジェリーを紹介されました。ですから、私たちは怖れおののきながら、ティブロンの小さな診療所に毎週通い始めたのです。息子は良くなり、治療をやめましたが、私は通い続けました。自分自身について学べるという期待にとてもワクワクしていたのです。私は1950年代にバークレーで心理学を学んでいましたが、それが今新たな魅力を感じさせたのです。過去には私の心理学の焦点は他人を理解することにありましたが、今度は自分についての気づきを深めるためのものとして見るようになりました。

治療は私をすばらしく目覚めさせました。私が自分自身について探り学び始めると、人間の成長には限界がないということに気づいてきました。本当のことを言うと、それはとても苦しいプロセスでしたが、それだけ得るものも大きいものでした。

アティテューディナル・ヒーリング・センターはスピリチュアルな方法で作られました。数ヶ月前に、ジェリーは「奇跡のコース」という読み物を紹介されました。彼はこれに深く感動しました。それを読んだ瞬間から、彼のスピリチュアルな変化が始まりました。彼が学んだことについて話してくれるのを聞いて、私も惹きつけられ、もっと詳しく話してくれるようにと常に質問をしました。この時点では、私は「奇跡のコース」のコピーを持っていませんでした。手に入らなかったからです。でも、ジェリーは自分が学んでいることの全てを喜んで教えてくれました。そしてその過程で、彼も自分自身の経験を強化したのです。

実は、現在知られているアティテューディナル・ヒーリング・センターが作られる前に、ジェリーは私に、ある実験の計画に参加する気があるかどうか尋ねてきました。それは、地元の私立学校の低学年の健康で活発な子どもたちを対象に行われるものでした。ジェリーは、この子どもたちが、外で何が起こっていようと自分の内面をコントロールできるようになるかどうかを知りたかったのです。毎日の生活を送りやすくなるように、ものの受け止め方を実際に変えられるのかということを知りたかったのです。
 
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(☆☆☆ではさまれた部分は、パトリシア・ロビンソン著「アティテューディナル・ヒーリングの原則の一つの定義」の邦訳)