退院支援施設

この4月から施行予定の精神障害者「退院支援施設」構想をめぐって、当事者によるシンポジウム「精神障害退院支援施設を考えるシンポジウムの集い 『人間として誇りと希望を持って生きていきたい - 精神障害者退院支援施設は嫌です - 』が本日参議院会館で開かれました。私もシンポジストとしてお招きをいただいたので、出席いたしました。

よくご存じない方もいらっしゃると思いますので、簡単に説明いたします。

ことの発端は、「7万2千人の社会的入院患者」でした。

日本の精神科病床の異常な多さは、国際的にも群を抜いています。
諸外国が障害者を地域に返す取り組みに力を入れ精神病床数を激減させていた頃、日本は反対に精神病床を増やしていきました。そして、病床の多さに比べて人手は少ないので、「精神科特例」という仕組みまで作りました。精神科病床だけは他科に比べて人員配置が少なくても良い、という決まりです。

病床あたりの人員配置が少なければ、それだけ「医療密度」が下がります。結果として、良質の医療を提供して早く退院できるように努力することが難しくなります。そして、精神障害者は長期入院をするのが当たり前になってしまい、地域で普通に暮らす障害者が増えず、偏見も解消しない、という構造が放置されてきました。

医学的理由によって入院しているわけではない「社会的入院」患者が、7万2千人はいると言われ(この算定方法にもいろいろと問題があるようですが)、厚生労働省は、心神喪失者医療観察法案など乱暴な法案を通す引き換え条件として「社会的入院を10年間で解消する」と約束したのです。精神障害者をめぐる様々な「問題」の多くが、実は低いレベルの精神医療を放置していることによるものだという私たちの指摘に基づいてのことでした。

10年の期限が刻々と近づいているのに、その後も遅々として状況が進まないので、一体どうするつもりだろうと思っていたところ、今回の退院支援施設構想が出てきたわけです。

さすがに反対が強かったため昨年10月の施行は見送られましたが、この4月からは何とか施行しようとしているようです。

この「退院支援施設」では、病棟を改装して看板を架け替え、医師や看護師が生活支援員に変わり、患者は「退院」扱いになります。が、定員は20~60名で4人1部屋で良く、人員配置も高くなく、利用期限は「原則」2~3年とは言うものの結局は病棟が形を変えただけの「終の棲家」になるのではないか、ということが危惧されています。なぜかと言うと、精神障害者が地域に戻れない要因はもっと別のところにあるわけですし、そもそも本当に退院を支援して施設を利用する人がいなくなってしまったら経営が立ち行かなくなるからです。少し考えてみれば、この構想が大変おかしなものであることがわかります。

今日のシンポジストの中には、大阪のさわ病院の澤温院長もおられました。さわ病院のような質の良い精神科病院は、現在の制度の中でも、実に活発にノーマライゼーションに取り組んでおられます。他方、人権感覚に乏しく患者を囲い込むことで収益を上げている精神病院も残念ながらまだ多数存在しています。

今一番のテーマは、こうした病院間の格差をなくすためにも、精神障害者を地域に返すことが経営上もプラスになるような仕組みを作ることです。経営のことを考える経営者を責めることはできません。患者を囲い込んでいる限り安泰に暮らせて、努力すればするほど赤字になるような現在の制度がおかしいのです。

また、地域の受け皿ということで言えば、退院支援施設に余計なお金を投資するのではなく、小規模グループホームを作ったり、公営住宅の一定割合を精神障害者に割り当てる、というような対応が必要です。退院支援のためのハコモノは、努力するほど存在が危うくなる自己矛盾的な存在になってしまいますが、地域に根ざしたハコモノは投資する価値があるでしょう。

心のバリアフリーはなかなか進みませんが、偏見解消のためには、とにかく共に生きることが重要です。障害があろうとなかろうと人間は人間なのですから、共に生きる中で共有できることが多くなります。そのためには、少々思い切ったポジティブ・アクションが必要です。

すでにこうした取り組みが成功している先進例がいくつかあるわけですから、それを厚生労働省も学んで、有効な投資をすべきです。

また、「7万2千人を10年で」という数値目標だけが一人歩きしてしまった結果、こんなにおかしな構想に追い詰められてしまうのですから、なぜ社会的入院が問題とされたのかという原点に返るべきです。

シンポジウムで発言したのですが、行政を責め、「とんでもない」と怒っても、結局はおかしな制度が実現してしまうということが繰り返されています。
このあたりで、先進例から学びながら、行政も民間も力を合わせて前進できるような新しい気運を作る必要があると思います。
「怖れ」をテーマにしている私からみると、いろいろと考えさせられることの多い一件です。

なお、精神障害者のノーマライゼーションは、決して「一部の特別な人たちのかわいそうな話」ではありません。心のバリアフリーは、たとえば、現在社会的に大きな問題になっているいじめや格差とも深い関連があります。精神障害者が地域で生き生きと暮らせる社会が実現すれば、その地域で育つ子どもたちも他人とのつながりを大切にしながら生き生きと育つことでしょう。