2017年8月のツイートより(抜粋)

2017年8月のツイートのうち、反響の大きかったものを抜粋してまとめました。

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2017年08月01日(火)

私はスイスで、「あなたは大陸出身なの?」と聞かれました。つまり、中国本土か、台湾かを聞かれたのだと思います。また、あるときは、大騒ぎしている日本人団体観光客を前に、「どうして同じ国から来たのにあなたはこんなに違うの?」と聞かれたこともあります。どちらも一人旅のときです。

ちなみに、外国語だけでなく、政治活動のために6年間住んだ栃木弁も案外得意なんです。最後のヒューっと落とすところだけは、どうもうまくいかず、当時栃木弁ネイティブの娘にかないませんでしたが。

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2017年08月02日(水)

私の友人のASDの人は、言葉で人とつながることができないので、自然を慈しむことで心の平和とつながっています。どんなAHも結局は「一人AH」かな、と思うと、どんな形もありかなと思います。

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2017年08月03日(木)

「ネガティブは悪いことじゃない。ポジティブ強制社会で不安になっちゃう人へ」◆WEBマガジン「wezzy」(運営会社:株式会社サイゾー)さんで『それでいい。』が紹介されました。
wezz-y.com/archives/49625/2

文字通り「息をつく間もない」感じの一日だったけれど、こういう日って、結構その時々に集中しているものなんだな、と振り返ると思う。もっとゆっくりできる日もほしいけれど、こういう日もいいな。あっという間に過ぎたけど、考えてみるとすごくたくさんのことをしている。

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2017年08月06日(日)

先日留学経験はないと書きましたが、決定していたコロンビア大学留学が実現しなかった理由は、選挙との関連で色々なところで話してきましたし、先日出版した「運」の本にも書きました。もちろん奨学金は返金しました。

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2017年08月07日(月)

中曽根康弘元首相、アジアとの戦争は「侵略だった」 www.huffingtonpost.jp/2015/08/06/yas @HuffPostJapanさんから

人生の同志的なつながりを(少なくとも私は一方的に)感じている人って、接点は少なくても、「ここぞ」というときに本当に助けてくれるのだな、と痛感した日。少なくとも、自分が尊敬し信頼している人から「信頼している」と言ってもらえることの幸せは、一言で言えば「最高」。
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2017年08月08日(火)

いろいろバタバタしていたけれども、ようやく本を書ける態勢になってきた。そういうときにちょうど、最も信頼している編集者さんから連絡が。いろいろうまく回っている。

実際問題、姓が変わるということは、パスポートも免許証も銀行口座も実印も保険証も、こんなにたくさん書き換え事業があると知り、あたふたするばかりで、まだその作業も終わっていない状況です。苗字を変えるのは、面倒なものなのですね。この歳になるまで知らなかったです。(阿川佐和子さん)

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2017年08月09日(水)

自分が適切なことをしていると知る手段はいろいろある。私の場合は、身近な人たちの肯定も大きいが、なんと言っても患者さんの状態。患者さんがより安心して自らの回復力を発揮している様子を見ると、「今の状態は適切なんだな」と思える。

医師である私には守秘義務があるので、現在の患者さんだろうと過去の患者さんだろうと、患者さんであったことを認めるコミュニケーションはできないので、寂しくてもご了承ください。現・元患者さん側が何かを言うのはもちろん限りなく自由です。そこから学べることもたくさんあります。

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2017年08月10日(木)

今、職場が健全なのがとても嬉しいです。患者さんの利益を中心に、それぞれが支え合う。患者さんの改善をみんなで喜び合う。こういうのが私が好きな職場です。そんな幸せを与えてくれている、スタッフに心から感謝です。________________________________________
2017年08月11日(金)

中国語版「自己肯定感、持っていますか?」 pic.twitter.com/gY8RLVkKeY

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2017年08月12日(土)

宇都宮事務所の大家さんだった方(今年ご逝去)のお連れ合い様と電話でおしゃべりできた。とても喜んでくださったし、私もとても嬉しかった。やっぱり栃木での人間関係は特別。弔文にも書いたけれど、保守的な土地柄で、若い野党議員に事務所を貸すことはどれほどの勇気を要したでしょう。

慶應医学部の日中医学生交流協会への少額寄付。私は医学部6年のときに中国の医学部を転々として中医を学ばせてもらったが、そのかなりの部分を支えてくれたのが、この寄付金(私は天安門事件の翌年の派遣だったので、前年分の寄付金も使えた)。よって、私も毎年少額ではあるが寄付を続けている。

うまく撮れていなくて申し訳ございませんが、これも繁体字でしょうか? (かなり興味) pic.twitter.com/Zk2PvCPQlE

なるほど。主に台湾での出版と聞いていますので、繁体字なのですね。了解しました。他に著書が訳されているのはハングル語、タイ語なので、もっとシンプルですね。ちなみに中国語は、自称語学オタクの私がラジオ講座で勉強してもなぜか通じない複雑言語です(タイ語は通じるのに)。
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2017年08月13日(日)

私が通常持っているスタンダード。親しくなる人は、長く知っている人か、もしも相手に異常行動が起こった場合にそれを留めるもの(社会的立場、共通の知人など)があるかどうか。その例外として扱った人は、やはり危険なことになった。

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2017年08月14日(月)

確かに、大陸から成田に帰ってきたときは「日本の漢字は画数が多い!」と感じた記憶と、台湾から帰ってきたときはそうでもなかった記憶があります(なんか幼児の感想みたいで申し訳ないですが…)。

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2017年08月15日(火)

議員時代、この時期は、スーツのズボンの膝に穴があきそうな勢いで、初盆のお宅を毎日、確か1日に100軒以上は訪問したな。やけに空いている電車を見ていたら思い出した。

共謀罪肯定した三浦瑠麗氏に疑問 #BLOGOS blogos.com/outline/240399/________________________________________
2017年08月16日(水)

今日はクリニックに気のよい助っ人が来てくれて、ITから家具の設置直しまで、懸案のあらゆることを片付けてくれて、すごく助かった。さらに本人が「とても楽しく平和な時間をありがとう」と言ってくれたのも癒された。

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2017年08月19日(土)

今日はAHの実践ワークショップだった。対人援助する人を対象としたもの。「自分の心の平和を唯一の目標とするAH」と「人を助ける」は、一見方向性が違うが、同じ方向性でないと、「助ける相手」を傷つけたり、本来その人が持っている力の発揮を妨げたりすることになる。

ワークショップが終わる頃から豪雨と雷が始まって、皆さまお帰りは大変だったと思いますが、今日も温かく楽しい一日をありがとうございました。遠くは九州や四国からもいらしていただきました。

まだまだ大変な毎日ですが、いろいろな方がそれぞれの形で助けてくださるのがありがたいです。「それぞれ、いろいろ」がすごく好きなんだな、と改めて感じています。________________________________________
2017年08月20日(日)

本当に、もうすぐ1年ですね! その1年の間に、「それでいい。」が作られて、すでに多くの方がご覧になっているのですね。なんだか感無量です。 twitter.com/hosokawatenten

そうそう、先日某会議で隣り合わせた臨床心理士の先生が、前世代から譲り受けた着物をアロハシャツに直してジーンズと合わせるとかっこいいのよ、と言っていた。紺のジャケットと合わせてフォーマル感を出すことも、と。これは真似できる人多そう。________________________________________
2017年08月21日(月)

本当に大変な時期だけれど、まさに「復興」という感じで、少しずつ、壊されていたものが建て直されてきています。それも、以前よりもずっと明るく温かいエネルギーで。よりよくなります。今日も協力をお願いした方から、とても温かいメッセージをいただきました。

前進のためには今回のダメージは必要だったのだという境地に達した。ポスト・トラウマティック・グロースという概念も思い浮かぶ。私と、一緒に乗り越えてくれている人には、トラウマ的な身体症状も出ているが、同時に、精神的にはデトックスされてより力が発揮できる感じもある。

例えば、「元麻布三田」みたいな変な住所を私の関係者が送ったなど、不審に思うことがおありでしたら、ご遠慮なく info@hirokom.org までご連絡ください。ツイッターが適切な手段かどうかはわかりませんでしたが、他にミスを見つけ修正する機会を思いつかないので。

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2017年08月24日(木)

私は他人を主語にして語る人が嫌いだ。「人から~と思われるんじゃないかと心配で」と忠告してくる人、「○○さんが困っていると思いますよ」と忖度してくる人。「私は~と思っている」「私は困っている」と言えばいいのに。

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2017年08月26日(土)

中国語版『「自分の居場所がない」と感じた時に読む本』です。よく見たら表紙に日本語表記のタイトルもありました。 pic.twitter.com/TmIs9kMppZ

読みにくいのは私の雑な撮影によります。面白いのが、AHのガイドラインを「心態療癒団体指導原則」と訳しているところ。うーん。 pic.twitter.com/G9SybI86Dh

I’m so sorry. を「ゆるして」と訳すのにはいつも違和感。ゆるしはその人のプロセスであって、相手から強要されるものではない。「本当にごめんね」と「ゆるして」は全く違う話だ。

著書「自己肯定感、持っていますか?」 amzn.to/2vcIsZT と、「『他人の目』が気になる人へ」 amzn.to/2xie91v がそろって増刷になるそうです。そちらもとても好きな本なので嬉しいです。

堅実どころの「正しく知る不安障害」も、コツコツと増刷を重ねていて、つい最近も連絡がありました。不安という感情と、怖れというエネルギーの違いはこの本にもそれなりに書いたのですが、それを膨らませた本も作れるかな、と考え中です。 amzn.to/2ivRRGb

私は「ゆるして」も、「あなたにゆるしてもらえなければ幸せになれない」も、軽いおしゃべり・おふざけ状況ならともかく、もっと深いレベルになると、かなり暴力的になりかねないと思います。相手のプロセスをコントロールするという意味では支配的にすら思います。
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2017年08月26日(土)

民進党代表選。投票権のない私ももちろん枝野さん支持だが、旧民主党を悪く思っている人は、その時期に未曾有の震災が起こったことを冷静に考えてほしい。被害者意識が民主党への嫌悪感になっているのでは。自民党政権だったらもっとうまくいったのか?蓮舫率いる仕分けは暴力的で嫌いだったが。

東京ー宇都宮の新幹線は、1999年~2005年の私の日常だった。一日2往復したことも。下の子が8ヶ月になるまでは車内で授乳。朝8時からの勉強会のため6時頃の新幹線に乗っていたが、顔馴染みの通勤者も多数。1時間の乗車だが、東京の満員電車に1時間立って乗るのと違う疲れがあった。

今、実に非生産的な状況に陥れられている私を支えてくれている人は、本当に様々。それぞれが「べき」でなく、できることをしてくれている。人々の優しさや多様性をこんなに感じられる機会は滅多にない、という意味ではありがたい時期かも。早く執筆など人の役に立つ仕事をしたいけれども。

私がAHでいつも課題としているのは、「人を助けたい欲求」への取り組み。これは相手を変えようとすることであって、むしろ暴力的になりうる。今私を助けてくれている人たちは、「人を助けたい欲求」ではなく、「自分にできること」をそれぞれがしてくれている、という意味でとてもAH的。

自分の患者さんについては障がい者雇用の推進をきちんとやっているが、その前提となるのは「障がい者であることそのものに問題はない」ということと「障がいによってこれが苦手」を明確にすること。そうしないと、障がい者雇用は進まないし、本人もまた挫折を抱えることになる。

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2017年08月27日(日)

今日は、日頃疎遠な従姉と私の娘と、3人の女子会。とても優秀な従姉なので「娘の勉強相談」が建前だったが、楽しかった。私は「かわいくない、鋭すぎる子」という定評があり親戚全般から人気がなかった(それでも少数の理解者はいた)が、大人になって親戚関係も自分なりのものにできると気づいた。

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2017年08月28日(月)

私が女子会をした従姉の父(水島昭二)は早逝したが、「子どもらしくない。鋭すぎる。かわいげがない」と親戚から酷評されていた私に、「おもしろいことを言うね。子どもは苦手だけど、君は違う」と唯一価値を認めてくれた人。一生の恩人。だからこそ、叔父の子ども達にはよけい親しみがわく。

私にとって患者さんは年齢に限らず常に我が子のような存在。自分の子どもを出産するにあたって唯一心配したのが「患者さんへの愛が減ったらどうしよう」だったが、それは杞憂に終わった。私が患者さんに対して過保護な医者であることは業界では知られた事実。一番大切なのは患者さんの利益。

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2017年08月29日(火)

先日、10月放映予定のNHKテレビの打ち合わせがあった。その方のお名前が性別不詳で、勝手に男性と思い込んでいた私は、実際お会いしたら女性だったので何だか全部納得。蓮舫そっくりのお顔だったが、グチグチした悩みにもしっかり寄り添われる、とても感じのよい女性でした。詳細は後日。

興味のある人がいらっしゃったら、「なぜ私はぐれたか」「ぐれていたときの世の中の見え方」「そこからどうやって性善説になったのか」などできたら、あるいは本を書けたら(たぶん両方やりそう)おもしろいかも。

 

 

2017年7月のツイートより(抜粋)

2017年7月のツイートのうち、反響の大きかったものを抜粋してまとめました。

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2017年07月02日(日)

豊田議員のことでTVの取材依頼が来た。議員活動と子育ての両立の忙しさ、そのストレスの解消法を、議員時代を振り返って教えてほしいと。びっくり。議員活動と子育ての両立の忙しさ、秘書への不満、その表明法は、全部別の話。まあ、時間的に本当に無理で取材は断るのだけれど。

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2017年07月04日(火)

保育園への公用車使用についても新聞から取材依頼が来た。これまた時間的に無理なので断ったが、例えば公設秘書を子守にすることの是非など、実は複雑な問題だと思う。私は「公僕」として見られていたので、早く帰宅して子どもと夕食をとることにすら罪悪感を覚えさせられた。

(1)     私は二人の子どもの出産予定日から6週間、父の急逝時、デング熱での強制入院以外に仕事を休んだことがなく、仕事と子育ての両立を迷ったことも皆無。しかし世襲ではない議員活動と子育ての両立には、それとは違うレベルの困難がある。例えば http://bit.ly/2tMaZEE

(2)では落下傘候補ではなく立候補すればよい、ということになるが、公募候補には「勝てそうもない選挙区」しか回ってこなかった。私にとって唯一の選択肢は、「勝てそうもない選挙区」で勝つことだった。
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2017年07月05日(水)

『それでいい。』が「ヤフーニュース」に取り上げられました!
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170705-00374426-davinci-life

ソースとなっている「ダヴィンチニュース」にも同時掲載されております。
https://ddnavi.com/news/374426/a/

今日は関西テレビの収録で、これから大阪から東京に帰るところです。本来一回ぶんの出演だったのですが、企画が盛り上がった(?)らしく、2回ぶんの収録になりました。詳細がわかりましたらお知らせします。
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2017年07月07日(金)

映画やドラマの字幕で、psychiatristとかshrinkを「精神科医」ではなく「精神分析医」と訳す慣例は、もう終わりにしてほしい。私はpsychiatristでshrinkだが、精神分析医などではない。

「治らないのはあなたのせいですよ」と患者さんに責任をおしつける治療(?)もあれば、対人関係療法のように患者さんの力を引き出すものもあります。私は摂食障害に対するCBTには懐疑的で、治療時点ですでに軽症でモチベーションが高い人にしか有効でないのではないかとすら思っています。

(1)     気にかけてくれる人によるサポートがあれば恐怖体験をしてもPTSDにはなりにくいことがデータから示されている。

(2)     実は私自身が最近恐怖体験をしており、とにかく社会的な義務を果たすこと、患者さんを守ることだけに集中してきたが、今日、サポートしてくれる友人達と意思疎通がはかれて、だいぶ落ち着いた。恐怖体験はこれからも反復する見込みだが、心持ちがだいぶ変わった。やっぱりデータは正しい。
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2017年07月10日(月)

今日はこれから静岡に行って講演です。新幹線はのぞみに乗ることが圧倒的に多いけれど、今日はこだまです! 帰りも遅い時間にこだまでテクテク帰って来ます。
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2017年07月11日(火)

先日トロントに出張したとき、小銭を十分に用意できず(ほとんど現金を使わない)、ベッドメイキングのチップに少し高めのお金を置いた。すると「本当にありがとう!」とかわいい手描きイラスト入りのカードが毎日置かれていた。きっとその人は他の人にも親切にするだろうな。

実は高めのチップを置くことに、ケチな私は少々逡巡していたのだが、「いいや!」と手放したらかわいいカードをもらえて、結局私が幸せになったのだなと思った。

「現代用語の基礎知識」の原稿を書いていて思うのだが、「パワハラ」は難しい。もちろん、職場の全員が「パワハラ」と認める例などは簡単だ。でも、本人が妄想上「パワハラ」と感じることもあれば、「これくらいは仕事で普通」の場合もある。セクハラなどに比べて議論の蓄積が十分でないと感じる。

何度も繰り返すが、AHでの「与えることは受け取ること」はギブアンドテイクの話ではない。相手に与える心の姿勢を自分も受け取っているということ。チップの場合であれば、温かい心でチップを置ければそれで充分。自分はその時点で十分な温かさを受け取っている。お礼のカードは予期せぬ付属品。
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2017年07月12日(水)

精神科医が「妄想」と言う場合は、本当の症状としての妄想です。強迫観念との鑑別は、精神科医としての診断能力に関わってきます。もちろん、一般に言う「思いこみ」ともレベルの違うものです。ご安心くださいませ。

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2017年07月13日(木)

細川貂々さんとの共著「それでいい。」、2刷が仕上がったところですが、3刷が決定したという連絡を先ほどいただきました。役に立っている、という個人的なご報告もいただいており、嬉しい限りです。さらにお役に立ちますように。 http://amzn.to/2tLls23

80代の母(相性は悪い)が大腿骨頭置換術+リハビリのために入院中で、犬を預かったりして大変だが、今夜ものを取りに行くために今電話したら、私の中学時代に亡くなった母方祖母と同じ声になっていた。入院前には気づかなかった現象。

今日は久しぶりに、臨床の原点に立った気持ちの日だった。あの子が来週まで生きていてくれれば、私もまだ頑張れる。そんな気持ち。どんな患者さんにも生きていてほしいが、「ここ」という瞬間があって、そこにどれほど医師として、患者さんを思う人間としての誠意を込められるかだ。

「死にたい」は症状。関わりのある人間に生きていてほしいと思うのは人情。その二つが、臨床現場では普通に両立していると思います。「死にたい」と思いながらも、生きていることが大切なんです。そして「死にたい」という気持ちを聴くことも。

「死にたい」という気持ちを話すことを禁じているすべてのトレーニングを、
即やめてもらいたいと思います。死にたいのは自殺念慮というれっきとした症状だからです。「死ぬ」行為そのものは防ぐ必要がありますが、「死にたい」という気持ちの表現を止めることは、似て非なるものです。

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2017年07月14日(金)

「死にたいということは言わないと約束してくださいね」と言わせるようにトレーニングしているというある大きな団体は、「それほど重い人は診られません」と言いたいのだろうけど、それなら「私たちは軽い人しか診られません」と認めて、もっと実力のある人を紹介するのが王道だと思う。

渋谷ロフトでのイベントが終わりました。「それでいい。」の共著者の細川貂々さん、「うつぬけ」の田中圭一さん、司会は岡映里さん。参加した方たちの感想が「楽しかった」だったのがすごくよかったです。私も楽しかったです。後日動画を見ていただける予定です。
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2017年07月15日(土)

昨夜のイベントでも言ったのだが、私は「自分が好きか?」と聞かれると「どっちでもない」。高級レストランで声が大きいと注意されることも含めて、「こんな自分だから仕方ない」と受け入れてはいるけれども。年々「自分」という存在が薄くなってきている感じがする(自虐とは全く違う)。

今、ちょっと大変な問題に巻き込まれているのですが(家族内の不和とかではないのでご心配なく)、ツイッターで温かく受け入れていただいたり、「本に救われました」メールをいただいたりすると、本当にじわーっと染み入ります。ありがとうございます。
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2017年07月16日(日)

今日は対人関係療法研究会の実践入門編でした。朝の準備段階でもいろいろピンチがあったのですが、もう6年以上ずっと当日運営を手伝ってくださっている
臨床心理士のIさんにまたたくさん助けていただきました。本当に感謝です。本日を機に、また新しい治療者がたくさん生まれますように。

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2017年07月17日(月)

理不尽な攻撃に傷つきつつ(人間として当然の反応)、同時に、相手を「困っている人」と見る、ということは案外両立すると実感する最近。私は愚痴を言って親しい友人たちに癒してもらっており、相手を「困っている人」と見ることで
過剰警戒しないでいられる。しかし疲れるからやめてほしいけど。

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2017年07月19日(水)

想定外の攻撃を受けて自分がボロボロになっているときほど、人の優しさが身にしみますね。人の優しさを感じる能力はかなり高い方だと思いますが、こんなときには本当に役立ちます。(私が診ている患者さんたちは、どうぞ気を遣わないでくださいね。大丈夫ですから)

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2017年07月21日(金)

10月くらいに刊行予定の本は、「女性の価値」「女子力」「女性と加齢」「女性と働き方」などについて書いた本だが、今までの本と同じく、女性だけではなく男性も役に立つこと間違いなし、と信じている。

最近の災難については、昨日、うつ病学会の理事会の後にも先輩たちに話して
同情してもらい「日本一のソーシャルサポート」と感謝した。「次に会うときはもっと落ち着いていますからね」と言ったら、「いつもと同じだよ」と古くからの大先輩に言われて、複雑な気分。でも温かかったな。

私が言う「古くからの先輩」というのは、多くの人がこぞって著書を買いに走るレベルの、本当にありがたい先輩たち。そう先輩たちが笑いながら私の苦労話を聞いてくれて「大変だね」と言ってくれるのは、ものすごく幸せなこと。この感覚を、後輩たちにも与えたい、と素直に思う。

原稿を書き上げた本について。最初は「本当の品格とは?」から始まった企画でした(いわゆる「品格」ものが、内容が「え?」なのにやたら売れていましたので)。でもだんだんと「女性って、加齢によって価値が下がる恐怖を抱えている」とか、いろいろな問題が出てきました。よーく考えて書いた本です。

これから書く約束の本は、モラハラについて。今自分が連日振り回されている(振り回されるのは昨日でやめましたが)問題ももちろんモラハラの一つ(下の立場から上の立場に対しての)。本を書く上での姿勢が、さらに広がったな、と逆に言えば感謝。現実はいろいろ大変だけれど。

モラハラは本当に難しい。連日言われているうちに「もしかして私ってそうだったのかも」という気持ちになる。本によく書く予定だが、私の今回の場合、同じ立場で全部を一緒に体験し支えてくれた友人の存在が大きかった。「もしかして」のところに「そんなこと絶対ないよ」と言ってくれる存在。
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2017年07月23日(日)

今私が直面している困難はかなりのものだが、こういうときは本当に人の優しさを感じるチャンス、としみじみ。遠方の後輩には愚痴聞き役をお願いしたが、今の私が確実に必要としている質問紙集計用のエクセルを作って送ってくれた。大感激。患者さんたちも優しく協力してくれる。ありがたい。

子どもとか患者さんとか、「この人たちのことは絶対に守らなければ(守りたい)」ということが明確になっていると、いろいろなことの優先順位をつけやすくなる。

ツイッター上でも温かいコメントをありがとうございます。今、明らかに本来の私の仕事ではない仕事をしなければならずとにかく余裕がございませんが、拝見してはとても支えられています。

考えてみたら、確かに私は人に恵まれているのだけれど、同時に「困っています」アピールをしゃあしゃあとするところも大きいのかも。この前、うつ病学会の理事会(今回の事情のために2時間遅刻)に行ったときも、日本一の精神科医の先輩たちを相手に「実は…」と話して同情してもらったり。

そんなに高度なヨガをやっているわけではないのです。時間もものすごく短いです。やらない日もあります。でも、朝は筋トレ系、夜はストレッチ系と区別して、とにかく身体に働きかけるのがよいみたい。

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2017年07月24日(月)

ここのところ滅茶苦茶な毎日だけれど、とりあえず来年度分の「現代用語の基礎知識」のメンタルヘルスの原稿を送ることができた。もともと6月末と言われていたものを、粘って7月末にのばしてもらったので、落とすことはできず、とにかく頑張った。やれやれ。

患者さんに迷惑がかからないよう、目の前の課題だけに取り組んでいけばよい、という時期がようやく来たと思っていたら、まだまだ攻撃が続く。相手こそ困っているのだと認識してはいても、毎日車に轢かれるのと同じ感じで、痛いのは痛い。課題が減るわけでもないし。

「奇跡のコース」好きな人だけのためのツイート(他の人は詮索しないでください。なんて言われると詮索するかな)。All things work together for good. なんだろうな、と思っています。心身はほぼ限界ですが。それも含めて。

モラハラ渦中には、こうやって皆さんと温かくやりとりさせていただいてもなお、「事情を知らない人たち相手に都合のよいことばかり言って」と言われるのでは、という疑念が頭をよぎる。でもそれは怖れの声。今こんなに温かい気持ちでつながりを感じられている今を大切にしよう。

それにしても今年後半の大仕事が、「モラハラの本を書くこと」だったが、それを目前に、今までに経験したことのないモラハラが始まった。これからも本の題材を不用意に選んでしまうと何かが起こるのだろうか? 今みたいなのは本当、何年か勘弁してほしい。(心から)
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2017年07月25日(火)

今まで、「逆境」と思うときは「前進」するようにしてきた。今回もそう。「元通りに」と思うと頭がおかしくなりそうだが、人生のシンプル化という意味では
かなり前進できそうだ。「精神科医なのだからこのくらい耐えるべき」もやめる。もちろん患者さんに対しては変わらずベストを尽くすが。

実は、「精神科医なのだからこのくらい耐えるべき」は、今まで私をかなり縛ってきた「べき」なのだということに今回気づいた。本来、精神科医としての力と情熱は、治療対象としての患者さんにこそ費やすものだ。確かに人々や出来事を理解するプラスにはなるが、「べき」にするものではない。

ただ、最近のモラハラに「精神科医のくせに」が結構多く出てきて、自分が案外縛られていた「べき」に気づくことができた。それはよかった。

本当に本当に念のため、追加です。これは全部臨床外の話です。患者さんとの間に起こる話のことではありません。患者さんからは、もちろん怒鳴られたことも「精神科医のくせに」と言われたこともありますが、それは私が症状として扱っていくべきもので、「モラハラ」などでは断じてありません。

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2017年07月26日(水)

今週と来週の土曜日、関西テレビ「よ~いドン! サタデー」に出演します。テーマは、帰省時の義理の家族との関係です。詳しくは http://bit.ly/2eNsspU

永田町時代にお世話になった弁護士さんにお願いしたら、私の患者さんのためにとてもよい弁護士さんを紹介してくださった。「議員をやめると人が去っていく」とはよく聞くが、私は議員時代の人間関係に未だにとても助けていただいていて、ありがたい。

メルマガの発送とブログの更新が、(テクニカルに、という意味で)私の仕事に戻りました。お気づきの点がございましたらお知らせください。

あ、あとウェブサイトの更新も、私の仕事に戻りました。動画の管理とかはまだよくわからないのですが、もともとソフトを使わずHTMLでウェブサイトを管理していたので、何とかなると思います。これもお気づきの点はよろしくお願いいたします(改善可能かわかりませんが)。

精神的には、本当に「もう大丈夫」どころか「次のビジョンも見えている」状態になりました(進行が早くてすみません!)。車に轢かれたときの痛みも減りました。まだまだ仕事量が多いですが、「外で何が起こっていようと、心の平和を選ぶことができる」というAHの原則をかみしめる毎日です。

ありがとうございます! 私は「今何をすべきか」を決めると、余計な雑念なく、それに没頭するタイプなので、救われます。「決める」というのが案外キーワードです。「決める」と、他のことができていない、という雑念が消えるのですね。もちろん連載原稿は落としませんが。

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2017年07月27日(木)

私のツイッターを見ている患者さんから心配していただいて、常に「患者さんがこれを見たらどうだろう」と気にしながらツイートしてきた私は、「ああ、大失敗」と思っているところですが、本当に大丈夫なんです。強がりではなく。こういうときの切り替え力は、本当に自慢なんです。
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2017年07月28日(金)

「心配だから電話して」と言っていたジェリー・ジャンポルスキー(AHの創始者)とようやく電話できた。ここのところ忙しすぎて、時差のある電話がなかなかできず。ジェリーはよく話を聴いてくれて、「電話してくれてありがとう」と。92歳の親友との会話は本当にいいな。

先日、「戸籍を開示するなんて、民進党らしくない」という意見が出ていた時、「民進党らしさなんて、ないんじゃない?」と思った。民主党なら別だったけれども。小さい民主党(党議拘束もなかった時代)みたいな実験政党はもう作れないのだろうか。小さい民主党にいた人たち、頑張ってほしい。

「ベーシックインカム」については、当然必要な概念として、議員時代に議論を重ねたな。一緒に勉強していた人たちのほとんどが、もう国会にいない。あの頃考えていた豊かな社会像から、現実はどんどん離れるばかり。

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2017年07月29日(土)

今日と明日はAHファシリテーター・トレーニング。10名限定、2日間みっちりトレーニングです。今日の午前中は創始者ジェリー・ジャンポルスキーもスカイプで参加してくれました。ジェリーは「今92歳だよね?」と聞いたら「来年の2月には93歳になるんだ!」と自慢していました。

AHのファシリテーターになるということは「人を助けるため」ではありません。あくまでも、自分のAH体験を深めるため、つまり自分の心の平和の選択の実践のためです。ファシリテーターになると、意外な怖れに気づいて、ますます取り組むのが楽しくなりますし、AHの理解が深まります。

ちなみに、11年前、日本でAHを始めた頃はファシリテーター・トレーニングに参加される男性は10名中せいぜい1・2名でした。今回は半数の5名が男性です。

AH大好きな人たちと過ごす時間は、無防備な笑いがたくさんあって、とても楽しいです。安全な場への信頼と、共有する「心の平和」という価値観の力の大きさを感じます。

いただくメールから察するに、「相手にも事情がある」ということを「だから相手を許すべきだ」と読んでしまう人がいるよう。違う。すべては自分の心の平和のため。「自分が悪いからやられた」のではなく「相手の事情のために不適切な行為があった」だけ、と思えば、自分の価値を下げずにすむ。

先日の「ゆるし」のワークショップでも強調したが、「ゆるす」ことは「相手がしたことを大目に見ること」では絶対にない。相手がしたことは不適切。それはずっと変わらないだろう。でもそれを想起することによって自分を繰り返し傷つけるのか。それとも単に相手が困っていただけなんだ、と思うか。

私の本を、「相手の事情を考えて、我慢しなさい」と読んでいる人がいるとしたら、とてもショックだし悲しいし、自分の筆力のなさを嘆くしかない。

今日も、いつも、ジェリーが言うこと。「私たちは愛のDNAをもって生まれてきている。生まれ持ったものは、愛。最も自然な状態は、心の平和。怖れなければ(自己防御しなければ、他人をジャッジしなければ、争わなければ)生きていけない、というのは幻の信念体系による幻想。

今日は罪悪感についても話が出た。私は罪悪感ほど自己中心的な感情はないと思っている。自分が害を与えた相手に背を向けて「私はなんて罪深い存在…」とか独り言を言っていても、害された相手には何のプラスもなく、むしろ分断しか感じない。謝罪なり何らかのつながりのメッセージが必要。
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2017年07月30日(日)

2日間にわたったAHファシリテーター・トレーニングが終了。実際にはこの後、本当のグループでの共同ファシリテーター体験を3回以上していただいて「AHファシリテーター」となる、という5日間のコース。いつもそうだけれど、2日間一緒にAH環境で過ごすと、特別なつながりができる。

今日も笑いがたくさんあった。AHの場での笑いって、本当に心を開いた笑いなので、すごく気持ちよいし、笑うほどつながりあう感じが何とも言えない。

AHファシリテーター・トレーニングでは、いろいろと起こりうる状況についてロールプレイし話し合うが、結論はやはり「目標は、自分の心の平和」になる。「効果的なファシリテーターとは、自分の心の平和に専心する人」との言葉通り。

「心の平和」というのは、ポカポカして穏やかで葛藤も防衛もなく幸せで自由な感じ。単に感情が平らなのと違って、そこには幸せ感がある。退屈そう?と思う人がいるかもしれないけれども、全く違う。自分や他人の存在そのものを愛おしく思えるので、退屈さは全くない。

若いころはどうしても「〇〇できたら幸せ」とかいう考え方をしていたけれど、「幸せ」というのは心の状態であって、自分が心の姿勢を選ぶことによって案外簡単に手に入るものなんだな、と気づいた。

「若いころは…」とか書けるようになっただけでも、年をとってよかったな。

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2017年07月31日(月)

細川貂々さんとの共著「それでいい。」、3刷がまだ仕上がっていないのに、4刷が決定したそうです。この本が多くの人に読まれるのは嬉しいです。
http://amzn.to/2f031BH

7月14日にロフトナイン渋谷で行ったトークイベント、質疑応答などプライバシーに関わる部分を除いて、創元社さんがYouTubeにアップしてくださいました。
出演者:田中圭一×細川貂々×水島広子 司会: 岡映里
https://youtu.be/IitNR7yJ1o4

フランス語は、実は大学時代に第二外国語として二年間勉強したはずなのですが、テーブルが女、机は男、というあたりで「覚えたくない!」という拒絶反応が起こり学習が深まりませんでした。「私はフランス語が話せません」というフランス語だけは「完璧な発音、完璧な仏語」と言われます。

でも、フランス語を試験だけレベルでも勉強しておくと、それをローマ字読みすることで、スペイン語、イタリア語、ルーマニア語等が話せる(もちろん完ぺきではないですが通じる程度に)ことを知り、結構お得だったと思っています。
スペイン語とルーマニア語はまあまあです。

英語の次に得意なのはネパール語。現地で全部覚えた。日本語と語順が同じで、
単語も雰囲気が似ていて、とても覚えやすい。インドで、ヒンディー語でみかんを値切っていた(つもりの)ときもネパール人扱いされた(チベット系の人は日本人に外見が似ているので、そう思われたのだろう)。

この頃の旅行量は少ないが、旅行するときは、簡単な会話程度は必ず現地語を
勉強するようにしている。逆に言えば、日本に長く住んでいるのに英語で話しかけてくる外国人にはちょっと冷たくするようにしている(もちろん旅行者は別)。

私は留学経験もないし英会話教室に通ったこともありません。無料で聞けるラジオと、しっかりした文章の暗唱と、執拗な辞書引きが勉強の基本でした。つまり、自己流を決して自分に許さず、「本物」を覚えることに集中したのです。ネパール語の体験などからは、必要があれば覚えるのかなとも思います。

関西テレビに出演します

お盆の帰省を前に、義理の家族との関係をどうするか、というテーマです。
2週間連続で出演します。
ご覧になれる地域の方、ぜひご覧ください。

番組名 よ〜いドン!サタデー
(やすよともこの「すっきり♪お悩みウーマン」のコーナーです)

放映日時 7月29日(日) 10:55〜11:50
8月5日(土)  10:55〜11:50

チャンネル 関西テレビ

番組ホームページ:https://www.ktv.jp/yo-idon/saturday/

新年あけましておめでとうございます。

 

皆さま、新年あけましておめでとうございます。

今年はきな臭い年になるかなと思いつつ、皆さまの心の健康、そしてお身体の健康、社会の健康を目指して、今年も微力ながら、自分にできることをやっていきたいと思っております。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

水島広子

民主党の代表選に思う

民主党の代表選を見ながら、「政党とは何か」ということを考えている。

本来、一人一人が選挙によって選ばれる国会議員は、全員が「無所属議員」であってよいはずである。
しかし、よほど国会議員数が少ない小国でない限り、全員が無所属議員として一つ一つの政治課題を議論していたら、手間も時間もかかって税金の無駄になってしまうだろう。
また、同僚と協力し合うことで得られるメリットも大きい。政党の存在は、これらのニーズに応えるものだと考えられる。

北欧などの多数政党制の国々を見ると、この、「政党 = 政策立案と実現のための集団」ということがわかりやすい。国民は、どの党に力を持たせるかによって、どの政策の方向性を選ぶかを自分で考えることができる。

一方、今の日本のように、「選挙に出たいけれども、自民党は候補者が決まっているので」とか「今は民主党から立候補した方が当選しやすいので」「自分の所属する組織は民主党からしか立候補できないので」などという理由で所属政党を決めている人が多い状況では、政党のあり方も歪んでくるのは当然だと思う。
「次の選挙に勝つための代表は誰か」という視点から代表選が語られるのも理解できる。
この場合の政党とは、単に選挙に勝つための装置に過ぎず、それ自体が民主主義の成熟につながるものではないだろう。
「選挙に勝つための装置」としての政党の存在を否定するつもりはないが、それなら「政策立案と実現のための集団」のような顔をしない方がよいと思う。
「政策立案と実現のための集団」という顔をしておいて、実際の行動が「選挙に勝つための装置」である、というズレが、政治不信を強めていると言えるだろう。
(なお、政権交代までの民主党について言えば、「政権交代至上主義」が駆動力であったことは間違いなく、そういう意味では「選挙に勝つための装置」としての役割が大きかったように思う。もちろん、与党になった今では不適切な考え方だと思うが)

このように考えてくると、報道の中にさかんに出てくる「挙党態勢」という言葉についても考えさせられる。

何を目的とした「挙党態勢」なのか。
参院選前に不用意に消費税増税に言及した菅首相を批判するにしても、「選挙に勝つための集団」のトップとして批判するのか、「政策立案と実現のための集団」のトップとして批判するのか、ではスタンスが変わってくる。

そもそも、政党が「政策立案と実現のための集団」であれば、厳密に言えば、二大政党制はあり得ないと思う。
二大政党下で、それぞれの政党に所属する議員がほとんどの領域で一致しているということは、人間の多様性を考えればまずあり得ない話である。したがって、最低限の基本政策の一致だけを期待する方がよほど理にかなっている。つまり、「党議拘束」を極力排除すべきだということである。
私は現職議員のときに何度か「造反」をし、処分すら受けたことがあるが、二大政党制を目指すのであればおかしなことであった。
もちろん、「選挙に勝つための装置」としての政党であれば、バラバラ感は好ましくないだろうし、党議拘束は重要なのだろうが、「選挙に勝つための装置」としての政党を多くの有権者は望んでいるのだろうか。

代表選の結果がどうなるかはわからないが、負けた側は、自らの政策的主張を引っ込めるのだろうか。
あたかも「政策立案と実現のための集団」のようなことを言っているのに、政局に合わせてその主張を変えるのであれば、本質は「選挙に勝つための装置」としての政党にしか関心がない、と考えた方がよいのだろう。(今回の代表選ではそれよりもさらに一段レベルの低い、個人的感情論が先に立っているような気もするが)

「党が決めたことだから」という言い訳も、こうして考えてみると、何とも説明のつかないことだ。
最低限の基本政策に関わることであれば、自分と方向性の一致する政党に所属すべきだろうし、それ以外のことであれば、やはり自分の信念を貫くのが政治家だと思う。
「党が決めたこと」を重視するという姿勢そのものが、「選挙に勝つための装置」としての政党を認めているのではないだろうか。

これらのわかりにくさを排除するためには、個人の裁量が最大限に認められた二大政党制か、北欧のような、政策本位の多数政党制(それぞれの政党がそれぞれの主張を持ち、政治状況に応じて複数の政党が連立政権を組み、それが最終的な政策決定に反映される)かのどちらかを選ぶ必要があると思う。

追伸 ツイッターについて

前回、「ツイッターを始めました」と簡単にお知らせをしましたが、「そもそもツイッターとは何?」というご質問も受け、実に不親切な説明であったことに気づきました。
私のホームページ http://www.hirokom.org/ のトップページに、最近10個の「つぶやき」(140字以内の短文メッセージ)が載っており、そこからそれ以前のものも読めるようになっていますので、ツイッターそのものにおなじみでない方も、時々ご覧いただければ幸いです。
今のところだいたい毎日書いています。

水島広子ホームページアドレス変更のお知らせ

このたび、ホームページを移転しましたので、アドレスが変わりました。

従来のhttp://www.mizu.cx/

から、

http://www.hirokom.org/

へとリンクのご変更をお願いいたします。

なお、これに伴い、メールアドレスも

info@hirokom.org

に変更になります。

お手数をおかけしますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

菅直人新政権誕生に思う

菅直人さんが首相となり新政権が発足しました。

菅さんは私がかねてから現在の日本の政治家の中で最も高く評価している人ですので、これからの政権運営を楽しみにしています。

それにしても気になるのは、ここのところ乱高下を繰り返している政権支持率です。

政権発足直後は超高値がつくけれども、短期間のうちに超安値になる、という傾向をほぼ各政権が繰り返しています。

これは今の日本では政治が怒りを振り子にして進んでいる証拠だと私は思っています。

この傾向を続けていくと、「期待したのに裏切られた」という無力感が強まり、有権者と政治の距離が広がり、民主主義は形骸化していきます。

民主主義を根づかせるためには、「期待した」「裏切られた」という受け身の形ではなく、自分自身も社会の現状に何らかの責任を担っているという感覚が必要だと思っています。

菅新政権には、ぜひ、政治の新しい可能性を感じさせるような政権運営をしていただきたいと思っています。

どういう形でか、というと、「市民が主役の民主党」の結党時の理念をできるだけ具現化すること、また、個々の問題に、その理念を持って取り組む姿勢を例外なく見せることです。

従来型で「国民の皆さま」とおもねるのではなく、「官ではない公」を育てようとしている民主党らしさがわかる形にしてほしいです。

目の前に現れる政権に期待し、絶望し、怒り、というサイクルを繰り返すのではなく、自分もその社会作りに一緒に参加してみたいと思わせるような「夢」を示すのも政治家の仕事だと私は思っています。

最近若手の民主党議員が、優秀な官僚のような感じに変質してきていて、「夢」を感じさせる人が減っていることも気になります。

「夢」と言えば、かねてから気になっていたことを一つ・・・。

今朝の新聞にも、小沢前幹事長が「一兵卒として」新政権に協力する、という記事が載っていました。

選挙「戦」などもそうですが、政治絡みのことに戦争用語を使う文化は、そろそろ何とかできないものでしょうか。

多様な価値観や事情を持つ人たちが共に「最小不幸社会」を目指して暮らしていくための仕組みが、政治であるはずです。

そんな政治を戦争に見立てるという思想そのものが、社会の不幸を増やしていると思うのですが。

菅政権の活躍を期待すると共に、私自身もアティテューディナル・ヒーリングの活動を通して、新たな政治文化の構築に少しでも貢献したいと思っています。

総選挙を経て、小選挙区制を考える

本日はCS放送に出演したということもあり、夕方までのワークショップを終えた後は珍しくもTVの選挙報道を見ておりました。
(そして、普段だったら起床時間が近づいてくる今の時間に、まだこんなものを書いています)

★ 小選挙区制の「取り扱い注意」

愛川欽也さんは「日本に民主主義の芽生え」と総括されていましたし、もちろん有権者の付託は確かに存在すると私も思います。

でも、今の場合の「付託」は、具体性を持ったものではなく、「今がひどすぎるから何とかしてくれ」というのに一番近いように思います。

それと同時に、小選挙区制の「取り扱い注意」も改めて痛感しています。

今回の議席数を見ると、ちょうど郵政選挙の自民党と民主党のバランスがひっくり返ったような感じです。
これを「政権交代可能な小選挙区制」として見ることは簡単です。
政官業の癒着構造など、政権交代によってしか解消できないものもありますので、この時点での政権交代にはもちろん反対するものではありません。

でも、同時に、小選挙区制を使いこなしていくためには、かなり高い民意が必要だということも痛感しています。

最悪のシナリオは、
「自民党に4年間やらせてみた。社会が悪くなった。自民党が悪い」
「今度は民主党に4年間やらせてみた。社会が悪くなった。民主党が悪い」という繰り返しが続く、ということです。
市民の被害者意識はつのり、政治への絶望感が深まって終わるだけでしょう。

そこには当事者として参加する有権者の姿が見えません。

私が小選挙区制反対なのは、常に責めるべき相手が見えてしまうということと、多様な民意が拾えないということが最大の理由です。
また、政権交代が頻繁に起こるようなら各政党は緊張感を持って切磋琢磨するだろうという予想もあるようですが、少なくとも私が落選させた候補者は「なりふりかまわず」品性も捨てて、本来踏み込んではいけないようなことまで必死でやって議席を取り戻したという印象が強いです。人を追い込むと、「何でもあり」になってしまうのだな、と苦々しい思いで見ていました。

ネガティブキャンペーンで議席を獲得するよりも、ヴィジョンと当面やっていくことを明らかにして議席を獲得する方が、世の中の空気が遙かによくなると思います。

そういう意味では、北欧型の比例中心・多数政党連立政権が私の理想です。
政策一つ一つの吟味において、個々人の主体性(=責任)が明確になるからです。

もう一つの懸念事項は、小選挙区ではかなりの票をとらなければならないので、当然「より多くの人におもねる」必要が出てきます。
結果としては政策的に拮抗する二大政党ができるというよりも、似たような二つの政党ができるように思います。(民主党が第二自民党になる怖れは確かにあり)

似たような二つの政党ができればまだましなのですが、自民党がこのまま崩壊してしまうと、単に民主党が長期に政権を担当することによって根っこが生えて第二の自民党になる可能性も否定できません。

私は、市民がより政策に関心を持つためには、「民主党にお任せしてみよう」という発想よりも、どういう政策に自分は希望を感じるのか、どういう社会を思い描けるのか、と言う検証の方が大切なように思います。それが民主主義の成熟というものではないでしょうか。

★ 当面の民主党に望むこと

民主党がマニフェストの内容を完璧に4年で仕上げることを私は期待していません。それよりも、「政治が変わった」という感覚を国民に与えることが不可欠だと思っています。菅直人さんが厚生大臣のときに行った薬害エイズへの対応は、政治への信頼を取り戻してあまりあるものでした。

今度は、政府をあげて、それをやっていくことになります。

私は最初の選挙の時に、「新人議員に何ができる?」と聞かれ、「少なくとも、自分が何をやろうとしていて、どんな抵抗にあってできないのか、ということを情報公開することはできる」と答えました。(実際には、思ったよりも遙かに政策を実現できましたが)

政権の座についた民主党も、霞ヶ関や業界との癒着の中で、脅し・すかし・かわしの洗礼は受けていくことになりますから、そういう中で、すべてを達成しようと思うよりも、「何をやっていて、どんな抵抗にあってできないのか」ということを情報公開していくことが何よりも「市民が主役の民主党」なのだと思います。
世論の後押しがあれば、抵抗は弱まります。

今の民主党にバラ色の希望を持っているわけではありませんが、せっかく政権交代するのですから、くれぐれも細川政権の二の舞にならないように、何かしらの行動が未来のプラスにつながるのだという前例を作ってもらいたいと思います。

また、私の最大の希望としては、「自分が変われば政治も変わる」という意識を多くの方に持っていただきたいと思います。

★ 小選挙区制の中の国会議員

これはまだ私もよくわからないところです。2005年の郵政選挙、そして今回の政権交代選挙、と見てくると、個々の議員を個人的に知る立場にある私は、「選挙は個人の資質ではない」としみじみ感じます。小選挙区制のもとでは、党に逆風が吹くと、議員の個人的な資質はほとんど関係なく、吹き飛ばされる人は吹き飛ばされてしまいます。よほど利権の強い人は生き残ります。

小選挙区制は政党中心になるわけですが、では、国会議員の役割は何? ということになります。
強いて言えば、党の政策立案過程に加わる人間。これは、民主党が透明性を保った政策立案過程を続けていけば、現実になるでしょう。

私自身も5年間議員をやってみて思ったのが、本人がその気になればできる仕事はたくさんあるということです。小選挙区制でこんなにも多くの議員が吹き飛ばされている現状を見ると、本人の業績はどうなるのだろう、そもそも議員本人の個性はどうなるのだろう、といろいろと考えさせられます。

何はともあれ、少なくとも形式的には新しい政治の夜明けです。

活動拠点が移転しました

2006年9月に東京都港区元麻布のマンションの一室にクリニックを開き、そこでアティテューディナル・ヒーリングの活動もしてまいりましたが、階下への迷惑などを考えずに子どものグループなどを発展させられるよう、このたび拠点を100メートルほど移しました。

2006年に物件を探したときには、精神科への偏見を痛感しました。
「患者さんがエレベーターに立てこもったらどうするのだ」「屋上から飛び降りたりしたらどうするのだ」などと言われたこともありました。(もちろん、そういうこともあるかもしれませんが、それは頻繁に起こることでもありませんし、通院患者さんに限られたことでもないと思います)
今までお世話になってきたマンションでは、地元の町会長さんでもある大家さんが大変理解のある方で、「どうぞ何でも好きにやってください」と、この3年近く、温かく見守ってくださいました。おかげさまで、多くの患者さんが回復し、また、アティテューディナル・ヒーリングと出会った方たちは多くを受け取ってこられました。大家さんには心から感謝しております。

新たな拠点は

〒106-0046 東京都港区元麻布3-12-38

です。電話番号とファクス番号は従来通りです。

クリニックもアティテューディナル・ヒーリング・ジャパンもそちらに移転いたしました。

ここのところは金策や移転で大変消耗する毎日でしたが、間もなく落ち着きましたらいろいろと新たな活動を考えていきたいと思っております。

大変な財政難につき、郵便での移転ご挨拶は失礼させていただきます(涙)。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

心のバリアフリーとメディア

最近、昨年来の疑問が一つ解けたことを機に、バリアフリーについていろいろと考えましたので少し報告させていただきます。

昨年、ある地方都市の大学に招かれて講演をしました。その後、夕食をとりながら遅くまで医局の方たちと懇談しました。その席で、私の子どもはどんなタイプか、という質問があったので、子どもたちの特徴を話し、「病気になるとしたら上の子は○○で、下の子は××(子どもたちのプライバシーを尊重して病名は伏せますが、いずれも私の得意分野の病気です)だと思うので、できるだけストレスをためさせないように気をつけて育てています」と言いました。

すると、その席にいた一人の精神科医が、「それはお子さんにとってとても失礼なことではないかしら」と言いました。私は大変びっくりしました。患者さんに失礼だという話なら状況によってわからなくもないのですが、子どもにとって、という発想は全くなかったからです。
実はそれ以前にも一度、私は仕事の合間に雑談していたカウンセラーから同様の状況で「それはお子さんにとってはきついですね」と言われたことがありました。そのときもとても驚いたものです。
いずれの場合も、違和感は覚えつつ、その正体がよくわからずに放置していました。

先日、その正体が明らかになる出来事がありました。地方出張の際に、福祉職の方と雑談をしていると、その方のお子さんの話になりました。「いかにも摂食障害になりそうなタイプなんですよね・・・」とおっしゃっていたので、「そうやって思っていらっしゃることが、リスクの認識になって、予防につながるでしょうね」と言いました。するとその方はとてもびっくりされていました。その反応に私がかえって驚き、「だって、糖尿病になりやすい体質だとわかっていれば栄養に注意するのと同じですよね」と伝えておきました。

後ほど、その方からメールがきて、「我が子が摂食障害になりそうだ、などと考えているのは子どもに悪いと思っていたけれども、リスクの認識と思ったら気が楽になった」とのことでした。
そのときに、私は、昨年の不可解な出来事がようやく理解できたような気がしました。

私はいろいろと忙しいので、子どもと一緒にいられる時間はあまり長くありませんが、せめて自分が毎日どんな仕事をしているかは詳しく説明するようにしています。その日にどこで何をしているかを子どもは知っていますし、いろいろと後で報告もします。ですから、当然、自分が患者さんから学んだことも子どもには日常的に話しています。「自分の気持ちを人に言わないでため込むと病気になるみたいだから、何でも話してね」などという具合に、です。そんな環境で育った子どもたちは、心の病気というのは、自分たちも何かの拍子になるものだと思っています。そして、「もしも心の病気になったら治してね」と言ってきたりします。
今回出会った方の「子どもに悪い」という言葉を聞いて、ようやく違和感の正体がわかりました。自分の子どもが心の病を煩う可能性がある、ということは、私にとってはむしろ当然のことであり、否定すべきことではないからなのだと思います。もちろん病気になると本人も周りもつらいですから、病気にならないように努力して育てておりますが、「絶対にならない」などと言い切れる人はいないのではないでしょうか。

自分や家族がいつでもなり得るもの、と自然に考えていることはバリアフリーの一歩だと思いますが、同時に、やたらと病名を日常会話に乱用することには違和感があります。例えば、肥満ぎみの中年男性が「過食症なんだよねー」と言っていると、そういうことを言わないでほしいと思います。過食症の患者さんが持つ、病気ならではのつらさが共有されていないからです。過食症についての知識がほとんどないのでしょう。

この話で思い出しましたが、私は国際摂食障害学会のメディア対策委員会に日本代表として参加しています。その委員会では、摂食障害とメディアの強い関連に注目して、「どういうニュースをどういうふうに取り上げてもらいたいか」ということを話し合っています。例えば、「アノレクシック・マック(拒食症マック)」という名前のコンピュータが出たときには、メンバーは懸念を話し合いました。単にスリムなコンピュータを「拒食症」という病名で呼ぶことが、病気のつらさを隠してしまうのではないかと思われたからです。

このメディア対策委員会、おもしろいのですが、私は現在長期のお休みをいただいています。何かと多忙で、月1度の国際電話会議の時間をやりくりするのが難しいというのも理由の一つですが、より大きな理由として、「日本と諸外国とはレベルが違いすぎるので当面意味がない」というものがあります。この委員会に参加して私が一番驚いたのは、他国では学術的なニュースが普通に記事になっているということでした。日本では考えられない、と言ったら、試しに1~2か月間、「グーグル・アラート」(自分の関心のある領域のニュースが配信される仕組み)を利用して調べてみるようにという助言を受けました。それで実際にやってみたのですが、摂食障害関連のキーワードで探しても、芸能人の誰が拒食症の疑い、などというニュースしか引っかかってこないのです。私自身、政治家になる前に自分の研究結果が夕刊の一面トップになるという光栄な体験をしていますが、そういう記事は滅多に見ません。何かの賞をとるような研究は報道されますが、それ以外の情報は、一般に共有されていないと思います。
シアトルで開かれた今年の国際摂食障害学会では、この委員会が主催して、メディア・トレーニングの講座も開かれました。これは、メディアに自分の言いたいことをどのようにわかってもらうか、ということを学ぶためのトレーニングです。社会的な色彩の強い病気の場合には、こういう努力も重要だと思います。

メディアの役割は重要です。昨今の医療崩壊を加速している一因は、政治やメディアなどに医療の現場を知っている人があまりにも少ないことにあると言われていますし、私もそう思います。防ぎようのない医療過誤と悪質な医療怠慢を混同する風潮にも危機感を抱きます。まあ、「医者には社会的常識がない」などと公言してしまう首相のいる国の医療が健全に保たれるとも思いませんが。(もちろん、医師にも非常識な人はいますが、これは他の職種も同じことだと思います)