2012年7月のツイッターより(抜粋)

2012年7月のツイッターより、反響が大きかったものの抜粋です。


2012年07月03日(火)

何かしらの苦しい体験をしたとき、自分の事情を心から受け入れた人は、他人にも事情があることに気づいていく。頑張っていない人などいない、という理解だ。そういう人を見ると、本当の強さを感じる。


2012年07月08日(日)

自分を無力化するような人の「指導」を受けに行きたがる人がいる。この現象は、衝撃という概念を用いると理解しやすい。「指導」という名の衝撃を受けると、人は自分を疑い自信をなくす。そして「こうすべき」という「指導」にしがみつきたくなる。

衝撃に基づく反応は、その基本的なエネルギーが「恐怖」なので、合理的な説得はまず難しい。自分の安全を脅かすものとして、激しい怒りを誘発することにもなる。「衝撃への反応パターン」について知識が共有されれば、自己認識や相互理解が進み、社会平和がずいぶん実現するはず。

現在社会で展開されている様々な(特に感情的な)議論が、「衝撃の土俵」に乗ってしまっているような気がして、まあしばらく待つしかないという気持ちと、その間に着々と衝撃についての知識を普及させようという気持ちと、両方。


2012年07月09日(月)

拙著「10代の子をもつ親が知っておきたいこと」が増刷になるとの連絡をいただく。あまり目立たないけれども広く読んでいただいているのだな、としみじみ感動。 http://t.co/1ECJ7lO7


2012年07月10日(火)

拙著「思春期の意味に向き合う」は、治療者のみならず教育・司法・警察関係の人たちにも読んでもらいたいと思って書いたもの。いじめについてもページを割いたが、正しい理解がないと、司法や治療の場でいじめが再現されることになってしまうから。 http://t.co/jYXOmFth

いじめを抱えるコミュニティの癒しには修復的司法が有効だと信じあちこちで発言しているのに、きちんと文章にしたものが見つからない。拙著「10代の子をもつ親が知っておきたいこと」のp198「いじめにどう向き合うか」は見つけたが。 http://t.co/1ECJ7lO7


2012年07月18日(水)

今朝(というか昨朝)、久しぶりにAH創始者のジェリー・ジャンポルスキーとスカイプで長話をしたが、現在87歳のジェリーは、この春スポーツジムで転倒して足首骨折をし、さらに手術で声帯損傷をして声を一時的に失ったにもかかわらず、今日見た顔は以前よりも元気で若々しかった。

声を失っていた頃、日本のトレーニング参加者から「どうすれば今に集中できますか」という質問を受けて、ジェリーは、「私はオーディオブックを聴きながら運動していた。一回に一つのことだけに集中できるくらい自分を愛していたら、こんな怪我はしなかっただろう」と答えていた。

瞬間瞬間に何かに心から専心することが、自分を愛すること。AHの原則が言う「存在する時間は『今』だけ。それぞれの瞬間は与えるためにある」というのは、まさにそういうことなのだろう。結果に執着せずに何かに専心することは、まさに「与えること」そのもの。

AHのガイドライン「ランプのかさではなく光だけを見るようにする」というのも、AH体験なしにはわかりにくいものだが、ボランティアの方が先日、拙著「見た目が気になる症候群!」は「ランプのかさ」についてよく書けている本だと言ってくれた。 


2012年07月19日(木)

世の中から「攻撃のエネルギー」をなくしていこうと思ったら、「例外」を作らないように意識する必要がある。「この攻撃だけは正当な例外」という集積が、多くの不幸の裏にある。自分の心の中でどれだけ「正当な攻撃」を手放せるかが、社会の平和の鍵だと思う。

「攻撃のエネルギー」を手放すことと、変化を諦めることとは全く違う。逆に、何らかの実質的な変化を起こしたければ「攻撃のエネルギー」を手放すことが必要だと思う。

「分離」をどういうときに感じるかと言うと、自分と同じ立場の人についてはアンフェアな姿勢でも容認するとき。「つながり」をどういうときに感じるかと言うと、自分と異なる立場の人にでも、そのフェアな姿勢に敬意を払えるとき。「つながり」は変化の鍵。

以前「子ども有害情報」の棲み分け法案を作っていたとき、「表現の自由を侵す奴」としてあちこちで吊し上げにあった(今も時々そういう汚名をネット上で見かける)。吊し上げの場でも、対立せずにこちらの事情を切々と訴えると、終了時には聴衆の多くが仲間になっていた。


2012年07月23日(月)

衝撃を受けたときの原則は、現在自分に起こっていることが衝撃への反応だと認めた上で、もともとやっていたことをただコツコツと続けること。衝撃への反応として生まれた怒りのエネルギーに翻弄され、本来やるべきことを見失ってはだめだということは社会的にも適用できる。


2012年07月25日(水)

自分の中のネガティブな気持ちを「欲望」と呼んで克服対象とするのは、「怖れ」に評価を下し「べき思考」で縛り、とさらに「怖れ」を加えていくこと。克服できるどころか膨張するのは当然。必要なのは評価や克服ではなく、癒し。欲があるのではなく単に怖れているだけ。


2012年07月27日(金)

何年か前、地方新聞から招聘されていじめと修復的司法についての話をした。参加者の方は深く感銘を受け「どうしてこういう有効な手だてが日本で知られていないのか」と。そこで某全国紙にその要点を投稿した。すると、「時期にあったテーマでない」という理由で却下された。

いじめは常に起こっていること。ニュース性ということで言えば当時は「時期に合ったテーマではない」ということだったのだろうが、これだけ多くの人たちの育ち、そしてその後の人生に大きな影響を与える日常的な出来事を、ニュース性という軸で切るのが不思議だ。

事件になって取り上げるから、学校側も防衛的になる。日頃からの取り組みであれば、学校側も教育的な視点を持ってもっとオープンに話し合いに参加できるように思う。つまり、日常的な意識と取り組みが必要であり、そこを貫く姿勢は「断罪」ではなく「修復的司法」であるべき。


2012年07月29日(日)

社会のネガティブな側面について語るときには、それが子どもたちにとってどういうメッセージになるかを考えたい。物理的に右肩上がりの幻想を抱かせようという意味ではなく、社会がどうなろうと心の平和を自分で選んでいきたい、というメッセージを体現できる人間になりたい。


2012年07月30日(月)

いじめなどによるトラウマ症状(自己不全感を中心としたもの)を長い年月にわたり抱えながら、それがトラウマ症状として典型的な感じ方だということも知らない人にしばしば出会う。自分が「不全」なのではなく単なる症状としての感じ方だということを知るのは福音になる。

「いじめられている君たちへ」というタイプのポジティブな語りかけに私が違和感を抱くのは、本当にトラウマを受けている人にとってはかなりレベルの違う話だから。ある程度の自己肯定感がなければ、ポジティブな提案に前向きになれない自分を責めるだけだろう。

先日公表されたうつ病治療ガイドライン http://t.co/keeCFwF2 でも、いじめや虐待の後遺症について触れてもらったが、いわゆる「難治性うつ病」にはトラウマ関連者も多い。そう考えると、うつ病叩きの世相にも涙が出る思い。

2012年4月~6月のツイッターより(抜粋)

2012年4月~6月のツイッターより、反響が大きかったものの抜粋です。


2012年04月16日(月)

ある問題についてのパロディを見た。笑えなかった。立場の違う人を馬鹿にして笑う姿勢は分離を生むということを痛切に感じた。パロディを作った人と比較的近い立場の私ですら、分離を感じた。パロディにも分離のパロディとつながりのパロディがあるのだろう。

そのパロディを「おもしろい」と言った友人は「ストレスだけではやっていけないから」。怖れの重荷から解放されたければ、別の種類の怖れの形を選ぶのではなく、心の姿勢としての怖れを手放すことが必要。あらゆる立場の人がつい笑ってしまうような「つながりのパロディ」を見たい。


2012年04月17日(火)

何であれ形に依存する心の姿勢は「怖れ」だと言えるが、形への依存は、結果に執着する場合や、形を言い訳にする場合だけでない。人間に備わった自然な反応としての感情(不安など)まで克服しようとすることも、形への依存だと思う。

週末のAHファシリテーター・トレーニングは、直前に不測の事態に見舞われたためかなりの睡眠不足につながったが、怖れを手放し、必要とされそうなことを淡々とした結果、とてもうまくいっただけでなく、今後に向けて新しい視点さえ得られた。助けてくれる人の温かさも痛感。


2012年04月22日(日)

他者に評価をくだすのが当たり前になっている人は、同じことを日常的に自分自身に対してもやっているわけで、自分自身への虐待を続けてボロボロな心を抱えているのだな、と痛ましく思うことがある。


2012年05月11日(金)

拙著「10代の子をもつ親が知っておきたいこと」が韓国語に翻訳されることになったそうです。韓国でもお役に立ちますように。 http://t.co/gP43aNXg


2012年05月16日(水)

「身近な人の『攻撃』がスーッとなくなる本」アマゾンで販売開始しました。拙著ではありますが結構お勧めです。お役に立ちますように。内容等詳細は → http://t.co/YcbfUdrH

拙著「『怒り』がスーッと消える本」、また重版になったそうです。新たに刊行した「攻撃」の本と共に、平和を広げるお手伝いができますように。 http://t.co/KHloXeic


2012年05月18日(金)

訳書「探すのをやめたとき愛は見つかる」がまた重版になるとの連絡をいただいた。米国の男子刑務所で一緒にこの「ワーク」に取り組み、目を輝かせていた受刑者の皆さんは、今頃どうしているだろう。 http://t.co/CqXhFJXB


2012年05月27日(日)

すべての「形」を、「愛(あたたかいこころ)の○○」と「怖れの○○」と考えてみるととてもわかりやすい。罪悪感の(怖れの)「ごめんなさい」と、つながりの(愛の)「ごめんなさい」は全く違う。

実は最近はやりの「ワクワク」も、「ワクワクしなければ!」と焦るときは怖れになっているし、実際にワクワクしていろいろなつながりを感じているときは愛の姿勢。「ワクワク」すら一つの「形」と考えることができる。


2012年06月03日(日)

拙著「対人関係療法でなおす 双極性障害」がまた増刷になるとの連絡をいただく。この本を通してIPSRT(対人関係・社会リズム療法)の存在が知られるのは嬉しいことです。 http://t.co/UzP265tY


2012年06月04日(月)

移動中の書店で、ヴォーグ誌7月号を確認。ヴォーグでは、「やせすぎモデル」が女性の不健康な美を奨励する懸念から、やせすぎモデルを採用しないことを決定。日本版にも7月号から反映されている。かねてから「やせたがり」とメディアの関係を指摘してきた立場からは嬉しい。

このところ人の文章をチェックする機会が続いており、文章にこめられたエネルギーについていろいろと考えた。人目を引こうとする文章からは、怖れのエネルギーを感じることが多い。文章を書くことも、癒し(怖れの手放し)の一つの機会にすることができる、と強く再確認。


2012年06月08日(金)

拙著「身近な人の『攻撃』がスーッと消える本」が新刊JPに掲載されました。 http://t.co/KSOIoJ4a


2012年06月11日(月)

私は研修医の頃から「なるほど」と思えるまで患者さんの話を聴くことにしていた。その後の臨床経験によって「なるほど」と思うまでの時間はかなり短縮されたが、今でも「なるほど」と思えない限り効果的な治療ができないのは変わらない。

この姿勢は他の人間関係にもそのまま適用され、他人と関わりを持つ際には「なるほど」と思えるまで相手を知るようにしている。この「なるほど」が、AH流に言うところの「つながり」の一つの形だということには後になって気づいた。

衆議院議員だった頃も、自分とは違う主張をする人の話を聴いて「なるほど」と思うと、何らかの形での協調が可能になった。今でも、自分が忌み嫌いたくなる人に「なるほど」を見つけることが、社会を前向きに進めるための必要要件だと思っている。

「怒らない技術」の著者嶋津良智さんとの対談「あなたの『怒り』が日本を弱くしている 日本人に必要な『アンガーマネジメント』とは」JB Pressで読めます。 http://t.co/XO9OKq6m


2012年06月21日(木)

先月刊行した拙著「身近な人の『攻撃』がスーッとなくなる本」が早速重版になるとの連絡をいただく。気に入っている本なので嬉しい。一人ひとりの心の平和、そして社会の平和につながりますように。 http://t.co/oM3H5LNM


2012年06月26日(火)

今朝の朝日・天声人語に私の著書が引用されていると同級生が教えてくれた。今の政局について「水島広子さんが著書で見抜いた通り、政治家とは自己愛にあふれた人たちなのだ」と。念のため補足すると、自己愛そのものはパワーにもなり、大切なのは「他者への共感」があるかどうか。

なおこの拙著「国会議員を分析する 『ヘンな人たち』が生き残る理由」(朝日新聞社)は残念ながら絶版になっている。最後の提言の部分は今の私が見るとやや物足りないが、それ以外は案外おもしろい本だった。現職時代に書いたもの。

拙著の副題「『ヘンな人たち』が生き残る理由」を見て改めて思ったが、05年、09年の「怒りをエネルギーにした選挙」を経て、民主・自民両党から、尊敬できる議員がごっそりいなくなったと感じている。今の政治の質を嘆く前提としてそのことを認識する必要があると思う。

拙著「『怒り』がスーッと消える本」がまたまた増刷になるという連絡をいただく。個人的に役立ったという報告をいただくのも嬉しいし、「怒りのエネルギー」によって社会が変な方向に進まないよう、拙著が貢献することも祈っています。 http://t.co/jAI35Snn


2012年06月28日(木)

「『見た目』が気になる! 症候群 ――他人にどう思われるか、とても気になる心から自由になれる本――」を刊行しました。詳細は→ http://t.co/9ZUGmOAO


2012年06月29日(金)

拙著「自分でできる対人関係療法」がまた重版になるとの連絡をいただく。2004年に刊行した本なのでもう8年間も広く読んでいただいていることになる。幸せな本。  http://t.co/uqQifiHG

2012年3月のツイッターより(抜粋)

2012年3月のツイッターより、反響が大きかったものの抜粋です。


2012年03月06日(火)

拙著「トラウマの現実に向き合う ― ジャッジメントを手放すということ」が増刷になるという連絡をいただく。最も思い入れのある本(しかし地味本なのであまり売れない)なので、涙が出るほど嬉しい。 http://t.co/bdYK9H4a


2012年03月14日(水)

「攻撃」についての本を書き終えました。5月頃刊行予定とのことですが、この本を通してまた心の平和が広がりますように、という貴重な言葉を友人からもらい、ありがたいです。書名や刊行時期など最終的に決まりましたらまたお知らせします。

「待つ」ということは、相手のプロセスを尊重するということであり、ありのままの相手と共にいる、ということ。つまりは評価の手放し。


2012年03月18日(日)

「怖れ」をエネルギーにして何かの活動をすることは、分断を生み協力者を減らすので非効率だと思ってきたが、さらに、「燃え尽き」が起こるということにも気づいた。

「怖れ」ばかりを煽られると、人はいつか燃え尽きてしまい、反応しなくなるだけでなく、自分の「怖れ」を煽る人に敵意すら感じるようになる。協力者を減らすところか、敵対者を増やしてしまうのだ。

私は、「形」よりも「心の姿勢」の方がはるかに大切だと思っている。訴えることの内容も、一つの「形」。「平和な内容にしなければ」と思うと「怖れ」を生む。まずは心の姿勢を平和に定めること。そうすると、自ずと、そこで表現される内容は限られてくる。

平和な心で、暴力的な、分断を生むメッセージは出せないものだ。平和な心から発せられる社会的メッセージが増えますように。


2012年03月22日(木)

対人関係療法創始者のワイスマンから、新たに刊行された症例集が届いた。昨年秋にお会いしたときに「今度症例集を送るけれど、翻訳の義務を感じないでね。あなたは日本の症例集を出した方がいいわよ」と言っていただいている。翻訳は確かに莫大な時間を要するので悩むところ。

ちなみに原書を読みたい方は、Casebook of Interpersonal Psychotherapy、版元はOxford University Press、著者はJohn C. Markowitz, Myrna M. Weissman。どちらも私の親しい友人。

心の姿勢について語っていたはずの人があるとき「形」について語り始めると、歪みが生じてくる。「形」を守ろうとすると、心の姿勢について、必ず「これだけは例外」というものが出てくるからだ。「全般的に心の平和は重要。でも今だけは、そんなことを言っていられない」という具合に。

有望な方向に進んでいたはずのことが途中で「変質」したと思われる例を歴史上いくつも見つけることができるが、いずれも「心の姿勢」から「形」に転向してしまった結果のように思う。一般的な言葉で言えば、「結果への執着」というところか。


2012年03月25日(日)

木更津で里山再生に取り組んでいる旧知の知人のところを訪ねた。単に自然が好きだが、言葉を使わない「AH的安全な共存」について考えていて(非定型発達の方とは言葉を使った共有はかなり難しいので)、その一つのヒントが、自然の中で時間を共有するというもの。

また、食の安全や環境保護というテーマも、どういう心の姿勢で取り組むかによって全く性質が変わってくる。愛、敬意、つながり、という「愛」 の姿勢か、罪悪感、恐怖、怒り、自己正当化、敵対、分断、という「怖れ」の姿勢か。


2012年03月28日(水)

オレンジページムック「プレ更年期からのイライラ・うつうつをすっきり!」が届く。「精神科医がアドバイス 更年期ストレス」を監修した。オレンジページの方たちとは二十代の頃からのおつきあいだが、一緒に仕事をするたびに元気になります。 http://t.co/vkUUDxzS

2012年2月のツイッターより(抜粋)

2012年2月のツイッターより、反響が大きかったものの抜粋です。


2012年02月02日(木)

拙著『自分でできる対人関係療法』『臨床家のための対人関係療法入門ガイド』 『対人関係療法でなおす 社交不安障害』『対人関係療法でなおす 双極性障害』 『対人関係療法でなおす 気分変調性障害』『対人関係療法でなおす トラウマ・PTSD』がいずれも増刷とのご連絡。嬉しい。

先週書き上げたばかりの思春期本ですが、なぜかすでにゲラが届きました。早い! 思ったよりも早くお目にかけられそうです。タイトルはそのまま採用されそ うで、「思春期の意味に向き合う―成長を支える治療や支援のために」になりそうです。例によって地味本ですが、思い入れあり。


2012年02月03日(金)

昨年末に大量増刷があったばかりの拙著「『怒り』がスーッと消える本」、何とまた増刷とのこと。嬉しいびっくり。2月14日夜にはTSUTAYA六本木でのイベントに参加予定。バレンタインデーですが、よろしかったらどうぞ。詳細は後日。 http://t.co/p33pp9aU


2012年02月07日(火)

「スピチャン」というモバイルサイト http://t.co/CvNtk9vp にて、拙著「『怒り』がスーッと消える本」の宣伝が始まったそう。スマートフォン非対応。紹介ページは http://t.co/0n2y3Eo2 , http://t.co/ygBEKQSK とのこと。

私は退屈がとても嫌いな人間だが、「退屈=現在にいない」ということに今日気づいた。退屈を解消するのは刺激だとばかり思っていたが、刺激的だと確かに現 在に集中しやすい一方、刺激的だが現在にとどまりにくいものは「もっと、もっと」となりやすい。退屈からの脱出のカギは現在への集中。

某選挙への出馬の打診を受けて、雷に打たれたようにびっくりする(もちろんお断り)。常に政治に関心はあるが、自分は結局現在の政治の形の中、心の平和を 最優先にした折り合い方を見つけられていない。活動すればするほど効果的に平和のエネルギーが増えるやり方を思いつけるとよいのだが。

AHのボランティア・ファシリテータの方が見つけてくださった、丸善&ジュンク堂梅田店の五階の心理療法の棚の一段。拙著の一段があるなんて。涙。時間さえあれば、新幹線代を使っても見に行きたいくらい。 http://t.co/r618M5Bo

いただいた情報をもう一つ。紀伊国屋書店新宿本店の5階心理関連の書棚の前に、AHコーナーが設置されているのを発見したそうです。新刊「続々・怖れを手放す」のDVDも視聴できるようになっているそう。他の拙著も取り揃えられているよし。 http://t.co/VSRMfwSp


2012年02月10日(金)

昨夜、今夜と懐かしい方たちとの会食が続いたが、私のおみやげは拙著「トラウマの現実に向き合う ― ジャッジメントを手放すということ」。「この本が書けたから、もう死んでもいいと思ったんですよ」と話すと、謹んで受け取ってくださる。  http://t.co/epJODyxg


2012年02月12日(日)

今日はDV関連の講演で久しぶりの宇都宮です。例によってとんぼ返りの忙しい日程ですし、厳寒期の宇都宮は本当に寒いのですが、候補者~議員時代を6年間過ごした宇都宮で懐かしい方たちにたくさんお会いできるのが楽しみです。


2012年02月16日(木)

バレンタインデーのツタヤでのトークライブ、熱く楽しい催しでした。ナビゲーターの山崎拓巳さんがブログに書いてくださっています。現場の写真も(喋っているのが山崎さんと私)。2月15日の記事です。  http://t.co/x8MzmNkg


2012年02月19日(日)

今日は対人関係療法勉強会で、専門家向けワークショップ。一日喋り通しでした。専門家向けの勉強会なのに、一日の終わりにはまるでAHかと思うような温か い雰囲気になっていることにいつも感動しています。人間が集まるってよいことですね。来週は本当のAH。レアものの罪悪感ワークショップです。

今日の勉強会で、「『愛する人と幸せになる』」55のルール」の宣伝をした。「皆が軽視している本だけれど、誰もここまで恋愛感情を掘り下げた人はいない はず。絶対にお役立ち」と言ったら、4冊お買い上げ。恋愛に年齢は関係なく、結構おもしろい本だと思うのだけれど。基盤となる思想はAH。

今は「見た目」についての本を書いています。趣旨は、見た目にとらわれるあまり、自分の可能性を狭めたり、人とのつながりを失ったりしないように、ということ。刊行時期が明確になったらお知らせします。お楽しみに。


2012年02月23日(木)

先日のツタヤでのトークライブ(ビジツタ 公開収録イベント Vol.10)、音声をこちらで聞けるそうです。私の出番は30分経過したところからです。 http://t.co/xjQXMTZc


2012年02月24日(金)

この頃、破壊的なメッセージに対する感受性がさらに高まっていて、「悪徳銀行はつぶせばよい」などという物言いにもつい反応してしまう。「問題のある銀行 をどうするか」という「形」と、そこに乗せる「心の姿勢」は、明確に区別できると思うのだが。そこで働く人との心のつながりも大切にしながら。


2012年02月26日(日)

今日(すでに昨日)は「罪悪感を手放すワークショップ」。前回の「べき思考」とは異なり、さらに自分のネガティブな要素に向き合う内容なので難度は高かっ たが、いろいろな気付きもあり、私も知的刺激をたくさん受けた。参加者の皆さまに感謝。次回は「認められたい気持ちを手放すWS」予定。

ちょっと嬉しかったのは、参加者の方から拙著「「愛する人と幸せになる」55のルール」のことを、「恋愛版『家庭の医学』だと思っています」と言っていただいたこと。知識を得たので恋愛に振り回されずにすむとのこと。ありがたいです。 http://t.co/Dig17ioO


2012年02月29日(水)

今日は「週刊ダイヤモンド」の取材で、「思春期の娘に対して父親が果たすべき役割」について。話がいろいろと発展しておもしろかった。3/24号(3/19発売)に掲載される予定だそうです。

2012年1月のツイッターより(抜粋)

2012年1月のツイッターより、反響が大きかったものの抜粋です。


2012年01月01日(日)

社会活動も、分離の姿勢で行うのか、つながりの姿勢で行うのかによって正反対の効果を生む。つながりの姿勢で行う社会活動とは、それを支持する人だけでなく、多様な立場の人たちの胸を打つようなメッセージを持つものだと思う。もちろん社会を前進させるのはそういう活動。

私の友人で、私の活動を全面的に支持してくれている人が、「子どもの権利条約など反吐が出る」と言う。どうやら同じ条約でも、愛の目で読むか、怖れの目で読むかによって、読め方が全く違うらしい。こういうところにも取り組んで分離からつながりへとシフトしたいところ。


2012年01月13日(金)

人の話を聴くことで自分の心の平和につながる、というスタイルのAHでは、コミュニケーションに独特のパターンを持った発達障害の方(非定型発達者)には十分に味わっていただけないということを感じてきた。新たなスタイルの模索中。

一つの考えは、言葉を使わずに「現在」にいる活動を共にすること。食、農作業など。また、私は身近な非定型発達者と、マインドのレベルではあまりにもずれてしまい共感どころではないが、その一段深いところではつながりを感じることができる。この「つながり」が何であるかをもう少し考えたい。


2012年01月21日(土)

今日はAHのボランティア・トレーニングでした。「相手のため」と思ってすることが結局は相手のためにならない。自分の心の平和に専念して責任を持つことが、相手のため、ひいては世界平和につながる。こんなシンプルなことを毎回実感できるすばらしい一日です。


2012年01月26日(木)

人間に「心のきれいな人」「心が汚い人」という区別をすることに何かしらのメリットがあるのだろうか? 現時点での怖れの多寡は確かに人それぞれだし、それぞれの事情の中で適切に振る舞えない人もたくさんいる(私もその一人)。そのことと「心のきれいさ」の評価は別だと思うのだが。

昨日、四谷大塚の雑誌の取材が来た。小学校時代に通っていた塾。不良少女だった私は中高を過ごした桜蔭学園に複雑な感情を持っているが、昨日の取材で気づいたのは、「私は中高時代にしか楽しめないことを楽しむ!」と決めて、職員室でどれほど叱られようとやりたいことをやっていたこと。

ちょうど昨朝、思春期向けの専門書を書き上げたところだが、自分が思春期を精一杯生きていたことは、今の臨床能力につながっていると思う。編集者によってタイトルが変更されなければ「思春期の意味に向き合う」という本になる予定。刊行の折りにはまたご紹介します。

それにしてもおもしろいのは、私が慶応医学部に現役合格したときに「あら、あなたにはもっと苦労してほしかったわ」と言った桜蔭なのに、近年はキャリア教育の講師として招かれていること。「医者か弁護士」という狭い視点ではなく、人生はより多様だということを生徒に知らせてほしいそうだ。

自分が講演に行ったときには、後ろで寝ている生徒に最も共感してしまう。以前、慶応の精神科の講義を手伝ったときも、あまりの出席率の高さに(私は精神科の講義は2回しか出席していない)、「君たち、こんな天気のよい日に、他にすることがないの?」と真剣に心配してしまったほど。


2012年01月30日(月)

元日に放映された「オトナへのトビラTV」 http://t.co/kcetOL2W  の再放送が決定したそうです。好評だったそうです。元日に見損ねた方はどうぞ。 日時:2月4日(土)午後3時~3時45分 Eテレ

AHの「怖れを手放す」シリーズを刊行していただき明らかにAHの普及に貢献してくださっている星和書店さんからのご依頼で、メールマガジンに「天使の梯子」というコラムを書きました。よろしかったらどうぞご一読を。 http://t.co/RiTrlqbO


2012年01月31日(火)

拙著「正しく知る不安障害 不安を理解し怖れを手放す」(技術評論社)が増刷になるとの連絡をいただく。感情としての「不安」(生体に備わった単なる自己防御能力)と、心の姿勢としての「怖れ」を区別して書いてみた本。 http://t.co/KIGst8rI

お知らせがギリギリになってしまいましたが、AHの入門ワークショップを再開することになりました。2月4日(土)10:00-16:00、私がファシリテーターをつとめます。10名限定、詳しくは → http://t.co/y7p2O4ti

2011年10~12月のツイッターより(抜粋)

新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2011年10~12月のツイッターより、反響が大きかったものの抜粋です。


2011年10月07日(金)

拙著「対人関係療法でなおす うつ病」 http://t.co/0wVDSQ0y と、「対人関係療法でなおす 双極性障害」 http://t.co/3aH1VqZi  が、いずれも重版になるとのご連絡。心を込めて書いた本が多くの方に読まれるのはとても嬉しいです。

AHをベースにした新シリーズの企画が創元社の会議を通ったとのこと。希望して提案したものなのでとても嬉しく、やりがいのあるシリーズになりそう。力点は「癒し」よりも「エンパワーメント(自分の力とつながること)」。刊行は来年からになりますが、どうぞお楽しみに。


2011年10月08日(土)

今朝の朝日新聞で細川護煕氏と河野洋平氏が「94年政治改革の悔い」を語っている。細川短期政権交代は、人々を失望させ、変化への諦めを強め、小選挙区制を生み、その後の政治の質の劣化に明らかに貢献したと思う。それについて細川氏が語る姿勢からは当事者意識があまり伝わってこない。

本当に「悔い」ているのであれば、そのプロセスを検証し、今後同様の過ちを繰り返さないためのメッセージを出してほしい。「私はこう言ったのに、こうなってしまった」とぼやくのが時の首相の姿勢とは思えない。朝日の主筆が勧めているように、選挙制度審議会にでも入ったらどうかと思う。

小選挙区と比例区の関係について「比率は半々くらいが適当」と、政治家としての感覚を細川氏は述べているが、それはあくまでも「並立制」の話。より民意を直接反映する小選挙区比例代表制併用制についてなぜ一言も言及がないのか、不思議。


2011年10月11日(火)

今日は高知県四万十市に来ています。家族会のお招きで明日は講演です。羽田から高知空港の倍の時間をかけて高知空港から四万十市に来ましたが、やはり自然はきれいです。家族会の皆さま、県と市の方たちとお話しし、その熱意に感激。


2011年10月18日(火)

今日の取材で「凜」ということは何ですかと聞かれ、「自分の心の始末は自分でつけること」と答えた。名言だと感動してもらえて嬉しかったが、 AH的な意味でどの位の方がわかってくださるか。


2011年10月21日(金)

AH恋愛本を執筆中。対人関係療法をベースにした夫婦関係の本は12月刊行に向けて順調に進んでいるが、AHの恋愛本は、愛の恋愛か怖れの恋愛かがポイント。通常の恋愛は、無自覚な怖れの投影に過ぎないことが多いと思うから。書きながら楽しみ。あとは著者の力量次第か。

今日はNHKフォーラム「うつ病と躁うつ病を知る」でした。平日だというのに多くの方が参加してくださいました。病について正しく知ることは、不要な人間関係の軋轢をなくしていくことにつながります。こういう試みがもっと増えますように。


2011年10月22日(土)

今日は年1回のAHファシリテーター・ミーティング。現役ファシリテーターの方たちが集まる場です。2006年には私一人しかファシリテーターがいなかったのに、今日は会場いっぱいに集まっていただき、感慨深かったです。一年の活動方針も決まりました。


2011年11月12日(土)

本日、「『べき』思考を手放す」ワークショップが完了。参加者の方にも恵まれ、気づきも多く、本当に楽しく有意義な一日でした。この成果は来年本にまとめる予定です。今後も「手放す」シリーズのワークショップを、テーマを変えて継続予定。


2011年11月14日(月)

順調に増刷を重ねてきた拙著「『怒り』がスーッと消える本」が、このたび大量増刷になるとのご連絡。あまりにも嬉しくて涙。日本から怒りのエネルギーが少しでも消えますように。  http://t.co/td0CgSVa


2011年11月15日(火)

拙著についての嬉しいニュースが続く。被災地で活躍してこられた医師の先生から、現地で拙著「正しく知る心的外傷・PTSD 正しい理解でつながりを取り戻す」がとてもよく活用されていた、と教えていただく。素直に嬉しい。 http://t.co/z64dSMbI


2011年11月17日(木)

2012年版の「現代用語の基礎知識」が届く。インターネット時代にも生き残っている貴重な本。昨年からメンタルヘルスを執筆しているが、今年から「心理学」がなくなり、メンタル関係を全部一人で書くことになった。今日から書店でも販売されているそうです。


2011年11月25日(金)

昨日は「怒り」についての取材が2件続いた。最初は男女関係などにおける怒りの扱い方。これは、12月に刊行予定の2冊、「夫婦・パートナー関係」と「恋愛」の本とかなり関連。2つめの取材は「子どもの叱り方」。これはなかなかよい本がないとのことだった。将来的に検討。


2011年12月04日(日)

11/26にパックインジャーナルに出演したときの感想を書き損ねていた。「○○のせいでこうなった」という責任論と、「だから怒りを忘れてはいけない」ということが混同されているのは辛い。特にそれを体験者でもない第三者が言うのは強い違和感。

責任は責任できちんと問われるべきだし補償は行われるべき。しかし、そのことと「被害者たるもの、怒り続けるべき」という話は別だ。すでにひどい目に遭った人たちが、なぜ怒りによって日々の生活の質を落とすことまで他者から強要されなければならないのだろう。

どのような行動をとるかということと、それをどのような心の姿勢で行うかということは別次元の話。また、現在どんな感じ方をしているかは本人のプロセスの中での話として尊重されるべきもの。過去に何が起こっていようと、私たちが生きているのは今だということを忘れないようにしたい。

情報を開示する際には、すでに衝撃を受けている人にさらなる衝撃を与えないようにする配慮が必要だと思う。開示される情報の位置づけを、現時点で得られている知識に基づいてできるだけ誠実に説明する。位置づけが修正される際には修正の経緯を誠実に説明する。自己防衛は事態を悪化させる。


2011年12月09日(金)

高校2・3年生の「やせすぎ」女子の割合は5年前の約1.5倍に(学校保健統計調査)。拙著「ダイエット依存症」に書いたが、次世代に「やせたがり」文化を継承しないということは、子どもたちが育っている「今」の文化を改善する努力をすること。 

自分はやせたがっている大人が、あるいは、子どもから見て素敵でない大人が、「やせすぎは身体によくない」「ちょっと太った方が魅力的」などと言っても、まず意味のない話。「やせたがり」心理(実際には「やせたがらざるを得ない心理」)をよく読みとくことが第一歩。

次世代への思いを馳せることは、自分の中の力を呼び覚ますもの。「自分の」身体へのとらわれから、これからどういう社会を作りたいか、次世代にどういう影響を与えたいか、という視点に転じることが、すでに「やせたがり」防止抑制効果を生む。


2011年12月11日(日)

「対人関係療法で改善する 夫婦・パートナー関係」 http://t.co/WLoXZect の見本が届く。発売はクリスマスイブだそうです。先日刊行した恋愛本「『愛する人と幸せになる』55のルール」 http://t.co/VEwd0yBO とは全く別の内容です。

拙著と言えば、「『怒り』がスーッと消える本」がまたまた大増刷になるとのお知らせをいただいたばかり。この本を通して癒しが広がりますように。 http://t.co/E1ZN02G6


2011年12月14日(水)

地味な(?)専門書である拙著「摂食障害の不安に向き合う」がなんと増刷になるというご連絡をいただく。この本と、同シリーズの「トラウマの現実に向き合う」は、いつか英訳をしたいくらい内容を気に入っている本なので嬉しい。 http://t.co/iN4NAnec


2011年12月20日(火)

宮本太郎先生編「弱者99%社会 日本復興のための生活保障」の見本が届きました。私がプライムニュースに出演したときのやりとりが収載されています(第4章 子どもの未来をひらけるのか)。 http://t.co/XQBhyusn

マーク・ボイル著「ぼくはお金を使わずに生きることにした」を読んだ。自給と分かち合いを軸にした、持続可能な地球の実現とコミュニティ再生の本。お金の存在が、自分たちが消費するものの本質を見えなくさせるという考えに基づく。(続く) http://t.co/iVexfyg3

(続き)全体に共感できる本だが、特に「えてして活動家は『地球を救いたい』なんて言うけれど、地球は大丈夫、時間がたてば回復するだろう。救済が必要なのは人間なんだ」(214頁)に深く共感。自分と異なる考え方をする人間を排除する姿勢が、自然環境の破壊の根底にあると思う。


2011年12月23日(金)

八ッ場ダム継続はあまりにも象徴的。決定自体の正当性を主張するよりも、持続可能性という将来に希望を見いだせるよう、大きな絵を描くのが政治家の仕事だと思う。マニフェストが守られたかということよりも、そこでやろうとしていたことがどこにいってしまったのかが気になる。


2011年12月26日(月)

紀伊國屋書店新宿本店5階の心理関連書棚のところに、AHコーナーが設置されているのを発見、というご連絡をいただいた。関連書籍が揃えられており、「続々・怖れを手放す」のDVDも視聴できるようになっているそう。すごい。


2011年12月30日(金)

昨日友人とやりとりしていて気づいたこと。「相手との間に境界線を引けないこと=怖れ」という単純な構造。罪悪感も、境界線問題。そして、相手を信頼すれば、罪悪感を手放せる。もちろん信頼すべきは外形的な相手ではなくその本質たるあたたかいこころ(愛)。いずれ本に書きます。

9月のツイッターより(反響の大きかったものの抜粋)

2011年9月のツイッターより、反響が大きかったものの抜粋です。


2011年09月03日(土)

現在国外にいるため日本のニュースは文字でフォローしているだけだが、2006年米国に住んでいて日本に一時帰国したとき、例の「メール事件」の時期だっ たこともあり、帰国中、壊れたレコードのように連日繰り返される同じ「切り取られたシーン」しか見られず驚いた。今はどうなのだろう。

前後の文脈なく突然出てきた情報は、人に理解よりも衝撃をもたらし、感情的な反応を生むものだ。感情的な反応に頼って注目度を上げる、というような文化に価値を見いだすのをやめないと、知りたいことも知れなくなるし、相互理解も進まず、民主主義の危機に向かうと思う。


2011年09月06日(火)

拙著「『怒り』がスーッと消える本」、先日重版のご連絡をいただいたばかりなのに、また重版になるというご連絡。嬉しい驚きです。多くの方にお読みいただき、幸せな本です。 http://t.co/T1PBT66


2011年09月07日(水)

「あさイチ」見ていただいた方ありがとうございます。こういう心の問題と、「コメンテーター形式」という媒体の組み合わせについて、様々な限界を感じた時間でもありました。いろいろな思いを感じ取って理解を深めてくださった方が一人でも多くおられますように。


2011年09月11日(日)

鉢呂大臣の辞任を見て思うのは、「政治家が自分の言葉に責任を持つ」とはどういうことかが全く見えないということだ。政治家にとって言葉は命。政治家としてのあらゆる発言から政治姿勢が見えるべきだと思う。今回のような辞めさせ方は、また政治文化の熟成を妨げたと思う。

NYテロの日に生まれた下の子も今日で10歳。この10年間の我が子の成長に対して、世界平和の成長は? 対立からつながりへのシフトは、「べき思考」の手放しにあると私は思っている。「つながるべき」も手放して、それぞれのありのままを認められるようになりますように。


2011年09月12日(月)

拙著「拒食症・過食症を対人関係療法で治す」がまた増刷になるとのお知らせをいただきました。自分でも好きな本なので嬉しいです。年を追うごとに増刷ペースが速くなっているとか。一人でも多くの方のお役に立ちますように。 http://t.co/XyIIM9g


2011年09月13日(火)

リストカットについての本の執筆構想中。こんなことを取り上げてほしい、という皆さまの声を募集しています(執筆の参考としてであり、お返事や治療はできません)。詳細は http://t.co/ridfYoX ツイートではなくウェブサイト経由の書き込みでお願いいたします。


2011年09月18日(日)

昨日は新潟で「心の平和から社会の平和へ」というタイトルで講演。「平和のエネルギー」と「戦争のエネルギー」があるとすると、いかに「平和のエネル ギー」を増やすかが重要という話を、AH、修復的司法、非暴力コミュニケーションなどを紹介しつつした。大変好評で心強かった。

闘争的な「平和運動」、差別的な「差別撤廃運動」、暴力的な「暴力反対運動」等々。これらは本来の目的を達することができないだけでなく、結果として「戦争のエネルギー」を増やすものになるだろう。活動の内容と心の姿勢を一致させることはとても重要だと思う。

先日のNHK「あさイチ」でも、反対意見があったら割って入るようにと言われたが、声の大きい者が自説を声高に主張し合うのではなく、弱者の声にも耳を傾 ける社会を子どもたちに見せたいから、ちゃんと発言の機会を与えてくれと頼んだ(そして、聞き入れていただいた。感謝)。


2011年09月20日(火)

来週月曜日発売の「週刊ポスト」で怒りの特集をするとのことで、今日取材の方が見えた。どちらかと言うと拙著「怒りがスーッと消える本」の内容よりも、先日書き上げたばかりの「対人関係療法で改善する 夫婦・パートナー関係」(仮)の内容に関連する質問が多かった。


2011年09月25日(日)

今朝の朝日新聞3面「うねる直接民主主義」。「(脱原発デモの)参加者は原発事故を主義主張というよりも自分たちの生活の問題として考えようとしてい た」。記事タイトルの「直接民主主義」論と直接関係しない文章ではあるが、これを読んで、「主義主張」とは何かを改めて考える。

主義主張が「べき」の最たるものなのだとすると、それをぶつけ合ってもつながりが生まれないのはむしろ当然のこと。また、「べき」のもとに集った人たち は、それぞれが持っている力を奪われてしまっていて、ただ自動操縦のように「べき」を人に押しつけるしかないのかもしれない。

「べき」思考を手放すワークショップを企画してみたが、瞬く間に定員に達してしまった。それほど多くの方が「べき」思考に苦しんでおられるのだな、と思うと同時に、手放すことの価値に気づいておられるのは朗報。 http://t.co/y7p2O4ti


2011年09月27日(火)

来年度版「現代用語の基礎知識」メンタルヘルスの項の拙稿校正中。せっかく編集者の方がAHを新聞記事より拾ってくださったのに、文字数を減らす必要の中 でAHの項を自ら泣く泣く削除。まあ、まだ基礎知識として知っておくべき現代用語にはなっていないと考えて自分を納得させる。


2011年09月29日(木)

拙著「10代の子をもつ親が知っておきたいこと」がまた増刷になるとのご連絡をいただきました。刊行後まだ半年になりませんが、こんなに多くの方に読んでいただき嬉しいです。 http://t.co/HyA489Gk


2011年09月30日(金)

対人関係療法の創始者の一人ワイスマン(「疫学の神様」と呼ばれて国際的に著名な女性研究者)が来日中なので今日は一緒に夕食。研究者として一流であるだけでなく人間としても本当に魅力的で尊敬できる方で、いつも多くを教えていただいています。

3月のツイッターより(反響の大きかったものの抜粋)

2011年3月のツイッターより、反響が大きかったものの抜粋です。


2011年03月01日(火)

拙著「対人関係療法でなおす 双極性障害」が重版になるとのお知らせをいただく。昨年の今頃熱心に書いていた本。対人関係療法の最もラディカルな修正版である対人関係・社会リズム療法が日本でも注目されてきたことは嬉しい。http://amzn.to/hGqSVQ


2011年03月02日(水)

与党がマニフェストを守れないことはもちろんよくないが、これを単に「約束は守れ」というレベルで議論している限り、政治は進歩しないと思う。マニフェスト政治を日本に定着させたければ、その立案プロセスを検証し、「問題と対策」をはっきりさせた方がよいと思う。

民主党の2005年マニフェストとその後のマニフェストはずいぶん性質が違う(先日「2005年の断絶」と呼んだ部分)。そもそも野党が作ったマニフェストには限界があるのか、2007年以降のマニフェストに無理があるのか、その「無理」はどこから来たのか、など論点は多い。


2011年03月04日(金)

参院議長発言。参院の「独自性」は、法案受け取りのタイミングよりも、本来の形で示してほしい。衆院と参院とどこが違うのかということだ。かつて参院の共生調査会から超党派でDV法が作られたのは一つの好例だと思う。解散もなく任期が6年もあるのだから自ずと役割があるはず。

昨日の読売新聞の記事「アティテューディナル・ヒーリング『評価』やめて心の平和得るとは」→ http://ow.ly/47Hz8   記事の威力はすごく、本日はAHの定番本「怖れを手放す」がアマゾンで100位台です。http://amzn.to/gPGkLc


2011年03月07日(月)

新聞の言葉遣いが気になる。「外交に疎い菅首相」「菅首相は外交を苦手とする」というが、正確には「外交が苦手と言われることが多い菅首相」あたりがせいぜいではないだろうか。同じく、前原氏のことを「外交のプロ」「外交通」などと書くが、根拠は何だろう。

これらを組み合わせて「菅直人首相は外交を苦手とするだけに、党内有数の『外交のプロ』の前原氏を失う痛手も大きく、政権は重大な局面を迎えることになる」と朝日新聞1面に書かれてしまうと、まるで真実のように聞こえる。新聞の一面記事は昔からこんなに決めつけ調だっただろうか。

今のような時代には、何が事実で、何がそうではないのか(人が下した評価なのか)、を峻別していく、地に足のついた姿勢がとても重要だと思う。それが、私たちを支える社会の地盤を築いていくということだと思っている。


2011年03月09日(水)

ケビン・メア氏の「沖縄はゆすりの名人」発言の講義に参加していた学生さんのインタビュー。驚くばかりの差別意識を、若く、「絆」を大切にする感性が是正していくのは、今後の可能性を感じさせる。http://bit.ly/fbodYA


2011年03月10日(木)

「主婦年金」の大臣間「引き継ぎ」問題は、私には、民主党政権が当初形ばかりの「政治主導」を目指したことの後遺症に見える。官僚に支配されることなく、かつ、官僚に責任感をもって働いてもらえる真の「政治主導」は、日本初の試みであり、真剣に考える価値のあるものだと思う。


2011年03月11日(金)

日弁連には少年事件に取り組む全国の弁護士から、裁判員裁判について「十分な審理がされず、少年事件の特徴をわかってもらえない」という声が届く。特に不満が強いのは、生育歴や発達障害など「犯罪の背景」の立証に時間をかけられないことだ。(朝日3面)

犯罪背景の検討もせずに、同様の問題の再発防止はできない。「この」社会の中で育った少年が凶悪犯罪を犯したという事実を共同体としてもっと直視しなければ、共同体自体が崩壊していくと思う。これはとても多くの要因が関わった重要な話であり、軽視してよい話とはとても思えない。


2011年03月13日(日)

急性のトラウマ反応を、その後の社会機能を低下させる長く苦しいPTSDへと移行させるかどうかを決める最大の因子は、人による精神的な支えの有無。精神的に孤立する人ができませんように。どんな人もありのままを受け入れられますように。

できるだけ「普段どおりのこと」を、「自分のやり方で」やることも、とても貴重。物理的な限界がある中でも、そういう要素を少しでも作り出せますように。

阪神淡路大震災のときの衝撃的な映像をテレビで見たことがトラウマ体験となってPTSDを発症した人もいる。今回も、繰り返し流される衝撃的な映像を見ると、それが心配。トラウマを受けやすい人は情報をラジオで得た方がよいかもしれない。


2011年03月14日(月)

日本トラウマティック・ストレス学会の大震災支援情報サイト http://bit.ly/hhrYLS


2011年03月17日(木)

日本認知療法学会も震災関係の「心のケア情報」のサイトを作りました。http://bit.ly/h3e7px


2011年03月20日(日)

AHを被災者支援に役立てられないのか、というご質問を複数いただく。震災ボランティアの方がAHを知っておくことは、燃え尽き防止、効果的な支援のためにものすごく役立つと思う。現地入りしない人も、それぞれの立場で、AHを意識して暮らすことが結果として支援になると思う。


2011年03月23日(水)

分離の姿勢ではなくつながりの姿勢を持ちたい。罪悪感(自意識)を手放し、温かいつながりの心をもって、自分にできることを小さなところからでも。罪悪感は、結果として、疲れや否認につながってしまう、分離の姿勢。相手の現実からもずれていく。


2011年03月29日(火)

精神科医としてのお願いです。震災によるトラウマからの回復につながる一つの因子が、「政府への信頼」であると言われています。いたずらに政府への不信感をあおることが、すでに不安定になっている人たちの大地を時に致命的に不安定にすることを知っていただきたいと思います。

もちろん政府を盲信しろと言っているわけではありませんし、大政翼賛会を作ろうと言っているわけではありません。どんな時期にも、政府のチェックは重要です。しかし、政府への不信感をあおることと、改善が必要な点を示して後押しすることは、正反対の意味を持ちます。

特に「有識者」の方たちは、政府の対応が不適切だと思うのであれば、ただ不信感を表現するのではなく、より適切な方法を建設的に提案すると同時に、その実現に向けて動いてほしいと思います。「自分が暮らしている社会は、まだ安心できる」と思えることが、多くの人の心を救うでしょう。

緊急事態においては、いつも以上に、「自分の発言の着地点」を意識する必要があると信じています。平時であれば「言いっぱなし」の批判も許される余裕があると思いますが、こんなときには、「信頼できる何か」を共有できるように、それぞれの叡智をいただきたいと思います。

もちろん、「信頼できる何か」は、決して気休めや隠蔽であってはならないと思います。動員できる科学的知識は全て動員すべきだと思います。そして、この状況に、絶望せず、投げ出さず、逃げず、真摯に向き合っている人の存在が目に見えることはとても大切だと思います。

なお、以上のことは、被災して困窮している方が「政府は信じられない」と言うこととは全く別の話です。トラウマを受けた人たちが、それぞれのプロセスの中で、政府への不信感や怒りを感じることは全く当然のことで、時に必要なことでもあります。

2月のツイッターより(反響の大きかったものの抜粋)

2011年2月のツイッターより、反響が大きかったものの抜粋です。


2011年02月01日(火)

小沢氏の件でよく出てくる「けじめ」という言葉に違和感をもって見ている。いったいどういう「けじめ」なのか、発言者一人ひとりが特定しながら話した方がよいと思う(特定できるのであれば)。こうして考えると特定されていない「けじめ」という言葉も「空気」の言葉なのだと実感。

この件についてメディアを見ていて一番混乱するのは、「国会議員の身分」の話と、「政党内の処分」の話が混同しているところだ。「離党勧告」と「議員辞職」の話が同レベルで出てくることにびっくりする(その発言をしている人が国会議員だったりもする)。

執行部の指示に従わなかった人を処分する権利が、(そういう規約を持った)政党にはあるだろう。また、裁判を有利に進めるために十分に国会答弁ができないということがあるのなら、それも政党は考慮の対象にしてよいと思う。しかし、国会議員の身分に関わることは全く別の次元の話だ。


2011年02月04日(金)

昨日、プライムニュースに出演して思ったのは、政権交代の位置づけについて。政権交代を「有権者による平和的な革命」と考えれば、まさに「政権が変わる」わけで、その政治理念の変化や「国のかたち」の変化が見えるべきだ。

政権交代以降現在までの民主党は「自公政権時代と比べてマイナスがないように」というところに集中しているように見え(少なくとも子ども手当関係の話からはそう思った)、選挙を抱える人たちの集団としては理解できるが、それが理念を見えにくくし、借金にもつながるのだと思う。

例えば私たちが子ども手当を創設した時、子ども手当を課税対象とする代わりに所得制限を設けなかったのは、家庭間に分断を作らず子どもを大切に育てるというメッセージだった。本来は子どもの食費・被服費をカバーするものなので年長の子どもの方が減額という発想もなかった。

もちろん激変緩和措置は重要だし、何らかの変化を起こす際には、その政策効果を見るための期間、変化が無効だった場合の回復の算段などを含めて提案していく必要があると思う。このように様子を見ながら軌道修正するのは、行政ではなく政治に問われた役割だと思う。

「子ども家庭省」で子どもの施策を作っていく際には、近年たくさん得られている子どもの発達についての学術研究結果も反映させてほしい。大人たちのファンタジーで子どもを語るのではなく。

(2005年マニフェストまではあった)理念が受け入れられたわけではなく「子ども手当」と「無駄をなくす」が売り物になって誕生した民主党政権は、今、「子ども手当をばらまいているのに」「無駄もなくなっていないのに」消費税増税なんて、という怒りを買っている。


2011年02月10日(木)

参議院の区割り問題。参議院の独自性を、というのは、「衆議院とは違う意見を述べる」ことそのものにあるのではなく、「良識の府」と言われることからも、例えばより学識に基づいて考えるようなことが期待されているのだと思う。それは選挙制度にも反映されるべきものだ。

本当に「良識の府」としての参議院を含む二院制を残したいのであれば、政党政治とは全く違う次元での立案・チェック機能を持つ人たちを参議院議員として選べる仕組みを作る必要がある。政治的利害と学識の「ねじれ」国会であれば、本当に見る価値があると私は思っている。


2011年02月12日(土)

今朝の朝日新聞1面から始まる地方議会の記事。首長が提出した議案をこの4年間で一本も修正・否決していない、議員提案の政策条例が一つもない、議員個人の議案への賛否を明らかにしない、という3つをいずれも満たす「3ない議会」が全体の3分の1を占めるという結果。

私が6年間近くで見ていた宇都宮市議会も「3ない議会」の一つ。さらに、4年前に明文化された「申し合わせ」によって本会議での一般質問を年2回までに制限しているそうだ。

それにしても、議員の最低限の責任だと思っていた議案への賛否の公開が、84%の議会で行われていないのは驚いた。理由としてあげられた「慣例だから」「起立採決で確認できない」「会議録をつぶさに読めばわかるはずだ」は、いずれも地方議会の現状を象徴しているような気がする。

以前の自分の経験から言えば、本来は市政レベルで実現できる話なのに「国が面倒を見てくれないから」と国政レベルの話にすり替えて放置する、というケースもあった。議会が活性化していれば「これは自分たちでできるはず」と指摘して事態を前に進めることも可能だったのではないかと思う。


2011年02月13日(日)

今日は対人関係療法の専門家向けワークショップ。治療者を増やすことは急務。AHとは異なり、病気の治療法であるこちらはきちんとした形で普及させる必要がある。「対人関係療法っぽいこと」と「対人関係療法」は似て非なるものである。

最近、「エセ対人関係療法家」がいるという話をちらほら聞く。そのような「有名税」を払わなければならないほど普及してきたのかという感慨もあるが、患者さんを混乱させるのは間違いないし、本来対人関係療法でないものが提供されて「効かない」という結論になるのも困る。

日本の臨床現場の実情に合わせて、精神療法をできるだけ質を落とさずに普及させるというのは本当に難しい課題であり、私自身にできることなどごく限られているが、せめてその「ごく限られている」ことを丁寧にやっていきたいと思う。


2011年02月16日(水)

昨日、取材の方が来たので改めて昨今の政治について考える時間を持った。誰がやっても難しいこの時代の政治において「安心」を提供するとはどういうことだろうか、と考えてみると、小手先のどんな政策も本当の意味では安心をもたらさないと思う。

今までの選挙におなじみの「安心を提供します」というのは、むしろ、右肩上がり経済を前提とした物的な側面(ひどい場合はバラマキ)に偏ってきたように思う。しかし、今ではバラマキそのものが人の不安をあおっている。かといって、緊縮財政を前面に出されると、これはこれで不安だ。

どういうときに私たちが安心を感じるかと言うと、もちろん先の安全な見通しが立つときだが、今の政治状況でそれを物理的に示すことは限りなく難しい(できる限り努力すべきだが)。それ以上に重要なのは、「分断」のない考え方をすることによって信頼を獲得することだと思う。

社会の一定の側面を否認するのも「分断」だし(この期に及んで右肩上がりを前提とするのも、一定の側面の否認)、自分の良心から目を背けるのも「分断」。努力せずに放り出すのも「分断」。将来を絶望視するのも「分断」。批判されて自己正当化にしがみつくのも「分断」だ。

「分断」のない政治は、キーワードだと思う。もちろん民主主義にとって重要なことは、政治と有権者の間に「分断」がないこと。それはワイドショーで親しみを感じてもらうという意味でなく、自分自身が「分断」のない姿勢で仕事をするところを見せるということだと思う。


2011年02月19日(土)

国会議員が「現首相のままではだめだ」ということを単に言っているのを見ると私はとても悲しくなる。首相交代に言及するのであれば、せめて、「自分が首相になったら消費税はこうする。TPPはこう。子ども手当の財源問題は。米軍基地は」と実現可能なことを述べてほしい。

ここのところの政治が、怒りをエネルギーにした不安定な「振り子」になってしまっている一因にも、国会議員たちの当事者感のなさがあるように思う。小選挙区制に基づく二大政党制になると、どうしても「選挙に勝つこと」が優先されるので、当然の結果と言えば結果だが。


2011年02月21日(月)

「仮に今投票するとしたら」の投票先で自民党が民主党を上回っているのを見ると、政権交代前に有権者が自民党政治について問題だと感じていたことのどれだけが改善したのだろうかと素朴な疑問を抱く。今の仕組みは、単に相手の失点が自分の得点になるという性質のものだ。

もともと二大政党制に望まれたものは「健全な競争」だったのだろうが、お互いを高め合う「健全な競争」は、怒りをエネルギーにしたところには生まれない。そろそろこのことを真剣に考えないと、幻想を夢見ているうちに政治の質が限りなく劣化するような気がする。

もう一つ気になるのは、有権者にとって意思表示の選択肢があまりに少ないことだ。民主党という政党は応援したい。しかし、自分の選挙区の民主党候補者は自らの代弁者として送り出したくない。こういう意思表示は、政党そのものの体質改善のためにも重要なのではないだろうか。

そんなケースにも対応できる仕組みの有力候補である小選挙区比例代表併用制(比例でまず政党議席数を決め、小選挙区での当選者、そして惜敗率が高い方から議席を埋めていく)という仕組みについてもそろそろ真剣に検討すべきではないかと思う。

拙著「臨床家のための対人関係療法入門ガイド」が重版になるとのお知らせをいただく。専門家向けの本が着実に読まれていることは、一般書の場合とはまた別の意味で嬉しいことだ。 http://amzn.to/hKR270 


2011年02月24日(木)

今朝の朝日新聞を読んで「政治は弱者のために」という言葉がやはり引っかかる。今の社会システムでは暮らしにくい人がいるからシステムを改善することが必要なだけであって、そこに「弱者救済」という評価を上乗せすると結局は分断を深めるだけだと思う。


2011年02月25日(金)

今では民主党議員がテレビなどで子ども手当を擁護すると批判が多く来るそうだ。発案時に比べ大きく形を変えてしまった内容については私もいろいろと言いたいことがあるが、ようやく光が当たってきた子ども政策が愚策の代名詞みたいに認識されている現状は、とにかく悲しい。


2011年02月26日(土)

昨日、朝日新聞の方が取材に見え、民主党の社会保障政策の変遷を話し合っていたとき、「2005年の断絶」を改めて感じた。現職の方たちで2005年以前の経緯を語れる人は少なく、2005年以前の経緯の核心を知る人はすでに亡くなっていたり国会を去っていたりだという。

2000年に私が初当選したとき、民主党の厚生部会(今の厚生労働部門会議)が、ほとんど学会レベルの議論をしていることに感動したのを覚えている。また、「反対のための野党」的な色彩はあまりなく、生活に直結する厚生部門の政策を責任感をもって作ろうという気概があった。

2005年の郵政選挙では、社会保障に地道に取り組むような議員が多く失われたと同時に、そこから、たががはずれたように、「政策よりも政局」の政治傾向が顕著になったように思う。「ぶっ壊す」の言葉で始まった時代は、本当に創造文化を破壊文化に変えたような気がする。

持続可能な社会保障制度を作るには、単なる財源論ではなく、労働法制まで含めた大きな視野が必要で、腰を据えて取り組む必要がある。短期的なスパンの「政局」には全く馴染まない。今の政治文化が変わらないのであれば、やはり社会保障は政治から離れたところで熟議しないと無理だと思う。

パックインジャーナルに出演し、今日もジャーナリストの田岡俊次さんからいろいろと教えていただいた。ソ連がアフガンから撤退した後に東欧社会主義・ソ連の崩壊が起こったのと同様に、米国のイラク撤退に続いて今回の中東異変が起こっている、という見方は、なるほどと思った。


2011年02月27日(日)

現在の日本の政治状況から、議会制民主主義の否定に進むことが心配。「強いリーダーシップ」を求めることは、独裁への流れだと思う。ことは議会制民主主義の問題ではなく、「小選挙区制による二大政党制」というシステムの問題。その現実が見えてきたに過ぎないのだと思う。

12月のツイッターより(反響の大きかったものの抜粋)

2010年12月のツイッターより、反響が大きかったものの抜粋です。


2010年12月01日(水)

これだけ課題が多い日本の政治において、今の仕組みが機能しているとはどうしても思えない。二大政党制(小選挙区制)では、相手を叩けば自分の得点になる。この「勝ち負け」の仕組みが多くの無駄を生んでいるし、政治のネガティブなエネルギーも増やしているのは昨今の国会でも明らか。

二大政党制は政権交代を可能にするための秘薬として語られてきたが、その結果として失われたものは多い。こうして政権交代の現実を見た以上、「民主党か自民党か」というレベルを超えて、より民主主義的な選挙制度そのものについてもっと考えた方がよいと思う。

民主主義的、というのは、単に有権者の意見が政策に反映されるというだけではなく、自分たちが持っている力に気づける仕組みでもあると思う。権力行使という観点のみならず、社会の雰囲気作りにおいても。国民からどういうエネルギーを引き出す政治か、という視点は重要だと思う。


2010年12月02日(木)

日韓図書協定の今国会中の承認が困難になる一方で、感情的な懲罰動議にまた時間が費やされる。最近の国会は何かにハイジャックされたみたいに見える。同じレベルで自動反射しないで(絶望することも含む)、違う次元にエネルギーを集中させたいと思う。絶望は民主主義の放棄。

英国留学中の後輩は、多国籍の研究者たちから日本は真っ逆さまに沈没しつつある印象だと言われるそうだ。沈没かどうかは別として日本が大きな変化を経験しているということは事実。変化へのバランスの取れた適応を促進するのが政治の課題と考えれば、話が整理されると思うのだが。


2010年12月03日(金)
ウィキリークスの件は本当にいろいろと考えさせられるテーマの宝庫。今朝の朝日2面米欧メディア「公益か国益か苦悩」も興味深い。これはメディアだけの話ではなく、私たちが「国」というシステムをどう考えるかの話でもある。

生の情報にジャーナリスティックな分析を加えるのが新聞メディアの役割、という仏ルモンド紙のスタンスを見て、そもそも「生の情報」そのものに手が加えられがちな日本のメディアの現状を考える。どれほど多くの人が加工された「生の情報」を本当の情報だと思わされていることか。


2010年12月04日(土)

今朝の朝日の「天声人語」。給食費無料化という趣旨には賛成だが、給食費を払えるのに払わない親について「ふざけた親を税金で養う余裕はない」と断言しているのにびっくり。本来であれば、虐待的な環境として細やかなケアをしていくべき世帯ではないだろうか。税金を使ってでも。

一つの参考になるのが、イギリスでの取り組み。過去に私が書いた報告。http://bit.ly/e7DahC ここでは子どもの行動面について書いたが、妊娠出産の過程から、ケアが必要な家庭を早期に見つけ出して地域での支援につなげる試みもされている。


2010年12月05日(日)

給食費問題にしても、朝鮮学校授業料無償化の話にしても、大人の事情がどうであれ一人ひとりの子どもが社会から愛され受け入れられているという信頼感を持って育てるようになってほしい。その後のいろいろな問題が、この基本的信頼感の欠如から起こってくる。

大人の事情にはそれぞれの背景があり、解決に時間がかかるものだ。そうしている間にも子どもは育っていく。「まずは大人を改善してから」と考えることそのものが、子どもたちの現在から目をそらすことになってしまい、「社会とはそういうもの」という不信につながってしまう。


2010年12月06日(月)

土井隆義著「人間失格? 「罪」を犯した少年と社会をつなぐ」はお勧め。http://amzn.to/fZwvkF 若干意見が異なる部分もあるが、一読の価値はおおいにある本だと思う。修復的司法的だなと思って読んでいたら、やはりエピローグに出てきた。

虐待や犯罪など社会的事象について論じる際に、前提となる現実認識が共有されているとは思えない。センセーショナルな事件報道、日頃から地道に取り組んでいるわけでもない「有識者」によるコメントばかりが目立ち、地に足のついた現状分析は驚くほど少ない。土井氏の本はその貴重な1冊。

基礎データが足りないと私たちは容易に評価を下すようになる。評価は、「異物」を自分なりに消化しようとする試みだからだ。人間としての相手についてよく知ることで「異物」感は間違いなく減り、一方的な評価を下すのではなく本当に必要なことは何かを考えられるようになるのだと思う。


2010年12月07日(火)

人と違うことを言いにくい雰囲気。空気が読めないと言われることへの怖れ。ちょっと違うことを言うと人格攻撃。最近の日本で政治を語るときに感じるこれらの傾向は、実はいじめ現場の空気と同じ。だから、それを変えていくのも、社会を構成する私たち一人ひとりの態度だと思う。

私は「正論」であることにはあまり意味はないと思っている。どんな人にもその人なりの「正論」があるからだ。自分の「正論」を守ろうとすることよりも、自分の「事情」を正直に話していった方が、得るものも大きいし空気が平和になる。

メディアの人たちにも、「みんな」の「正論」を語ろうとする姿勢ではなく、それぞれの事情を聞き出して伝える役割を果たしてほしいと切に願う。メディアは、「決めつける人」「裁く人」ではなく、「調べる人」「いろいろな角度から見てみる人」「知られていないものを見せる人」であるはず。


2010年12月08日(水)

拙著「自分でできる対人関係療法」http://amzn.to/hjoUksと「対人関係療法でなおす 社交不安障害」http://amzn.to/fkKWBBが共に重版になるという連絡をいただく。「自分でできる対人関係療法」は2004年刊行だが多くの方に読み続けていただいている。


2010年12月09日(木)

また政局話が増えてきた。いつもの疑問だが、どうして政局になるとメディアは元気になるのだろう。「政治とは所詮権力闘争」というイメージは、こんなところからも強化されるのではないだろうか。

政局をしたり顔で語る人に非生産性を感じるのは、その話の根拠が過去の政治だから。未来のことを語っているようでいて、過去を語っているに過ぎない。今は新しい政治文化を創ることが必要なとき。だから、メディアがそろって政局をしたり顔で語り始めると、本当に不毛だと思う。


2010年12月11日(土)

小選挙区制は「勝ち負け」の制度として問題を感じるが、政界再編を困難にするという要素もある。小選挙区制で当選するには、現在推薦してもらっている団体の推薦を失うリスクをおかせないなど、いろいろな点で保守的にならざるを得ない。これが政党を形骸化させる一因だとも思う。

民主党は片山総務相が言う通り「シマウマ」政党であり、それが様々な場面で民主党への失望感につながってきた。これは、現在の民主党(新民主党)が小選挙区制時代の政党であることと無関係ではないはず。「自民党から出たいがすでに候補者がいるので」という層も誕生し、選挙互助会的になった。

いろいろな政治家を直に見てきて、人間としての善意が「選挙のリスク」によって縛られていると感じる人も少なくない。だからと言って選挙というシステムを放棄するわけにもいかない。「政治家は選挙のことだけ」と非難していても何も始まらない。やはり選挙の形を機能的にする必要がある。


2010年12月15日(水)

今朝の朝日新聞の社説「過疎とお年寄り 地域にあった支え合いを」はとてもよい。地域でうまくいっている実例を効率よく共有するための機能が必要だということを以前から発言してきたが、同じテーマ。地域活性化につながると共に、国と地方との関係性も変えていくことになるだろう。

政治がワイドショー化して軽く見えるようになった一方で、政治そのものは決して軽くなっていない。諫早の開門にこれだけの時間とエネルギーがかかっている。検察や警察が無実の一人の人間の生物的・社会的生命すら奪えることは今も同じ。年金や税金はもちろん生活を直撃する。

政治のワイドショー化は「政治を身近に感じてもらうために」だそうだが、本来、政治を身近に感じるには、自分の生活や地域の仕組みを考えるなど身近なテーマからであって、ワイドショーでよく顔を見るからと言って、政治との関係性が生産的に変わるわけでもないと思う。


2010年12月16日(木)

法制審議会がようやく親権停止の民法改正へ。2004年に児童虐待防止法を改正したとき、大きな積み残しとして附則に記したもの。子どもと親の現実に合った形で、懲罰的ではなく福祉的な運用をすること、そしてすでに手一杯な現場が適切な形で機能できるような人手と仕組みが必要。

2004年当時、法務省はまだ準備ができていないと、民法改正に最後まで首を縦に振らず、附則に盛り込むところが当時の政治的限界だった。今回はようやく準備ができたということなのだろう。政治においては、きちんと撒いておいた種は育つという印象を持つことが多い。「きちんと」が重要だが。


2010年12月17日(金)

大林検事総長引責辞任の報を見て、組織トップの引責辞任について、責任とは何かをいろいろと考えている。今やめても効果が薄いなどというコメントを見ると、相手(今回の場合は世論?)との関係性の中での「けじめ」(責任を認める)いう色彩が強いようだ。

私が知りたいのは、検察は反省しているかということではなく、どうすればこのような事態の再発を防げるのかという構造的な改善。人間はミスを犯すし、検事の人権感覚が完璧ではないという前提に立った上での有効な構造だ。検察が反省していますと言われて納得する次元の話ではない。

最高検は証拠チェック専門機能を作るそうだが、今回の「改革」が証拠隠滅という焦点だけで終わってしまったら困ると私は思う。証拠が起訴事実と合わないと知りながら起訴したという事実の方がより重いことだと思う。そこにきちんと構造的な手当てがされるのだろうか。


2010年12月18日(土)

この頃考えるのが「評論家」(評論家的有識者も含めて)のこと。特にテレビ番組などで、同じ評論家の意見ばかり聞かされると違和感が強い。一人の意見ばかり聞くとそれが真実であるかのような錯覚に陥るが、その前提となっているデータがどれほど正確なのかすらわからない。

例えば私から見ると、何らかの事件が起こった当日から加害者の心理状態について語り始める有識者にびっくりする。私もそういうコメントを求められたことがあるが「会ったこともない人について、情報が十分にない中、コメントするような姿勢が大変問題だと思う」と断っている。

コメントを断ると相手はハッとして「確かにそうですね」と認めるが、そこはテレビの悲しいところで、コメントをくれる別の人さがしに移っていく。同じ評論家ばかりが目につくのは、それらの人たちが「メディアが言ってほしいことを言ってくれる人」という側面もあるのだろう。


2010年12月19日(日)

鳩山さんの引退正式撤回。「民主党の友愛」が壊れていないかという指摘。それにしても私の目につくのは、その挨拶の中ですら小沢氏を「小沢先生」と呼んでいること。民主党は「先生」を排し、「長」「主」ではなく「代表」という言葉を用い、と民主主義を形でも示してきたはずだ。

相手を「先生」と呼ぶかどうかはTPOもあるだろう。しかし公的なメッセージの中でも先輩政治家を「先生」と呼んでしまうと、おそろしく民主主義が後退したような印象を私は受ける。その「友愛」が、所詮は内向きのものであるようにすら感じてしまう。


2010年12月20日(月)

通り魔事件に関連して「今の若者は健全な怒り方を教わっていない」というコメントをたまたま見た。しかし私自身(おそらくさらに上の世代も)、健全な怒り方など教わっていない。そんなことよりも、人とのつながりを感じられない孤独感・不全感の方がずっと大きな問題だと思うのだが。


2010年12月22日(水)

安全保障も「つながり」をキーワードにしてよい時代だと思う。「国家の安全保障」か「人間の安全保障」かという議論も乗り越えられるし、限られた資源と財源をより効率的に用いることができる。ただ、そのために手放さなければならない「怖れ」は、米国内だけでなく日本にも。

安全保障と言えば、国会時代にいつも気になっていたのは、安全保障を議論する場にはどうしても好戦的な人が集まりやすいということだった。そうでない人は軍事に関心を持たないことが多いからだ。軍事に造詣が深いが「つながり」志向の、希少価値の政治家を大切にしたいと思う。


2010年12月23日(木)

「トラウマの現実に向き合う ― ジャッジメントを手放すということ」を刊行しました。治療者向けの本ですが、一般の方にもお読みいただける内容です。 比較的著者の思い入れの強い本ですので、ご一読いただけると嬉しいです。http://bit.ly/i7CGuk

医学的な意味だけでなく、社会におけるトラウマ(広義)についてもこの頃よく考えている。「怖れ」とはトラウマを反映したものではないかとも考える。それを意識せずにただ「正論」をぶつけてしまうと、さらに傷が深まり、怒りや抵抗を招いてしまう。そのうちまとめて書いてみたい。


2010年12月24日(金)

今朝の朝日3面イラク戦争検証の記事を読んで、改めて過去を検証できない日本の体質について考える。政権交代は過去の検証の好機とは言っても、乗り越えるべき様々な「怖れ」がある。特に怒りの振り子のようになってしまっている現在の政治状況では、生産的な検証は難しいだろう。

朝日3面谷内元外務次官「小泉元首相はリーダーシップがあった。だから広く閣僚らの意見を募って議論する、という発想はなかった」当時の他の閣僚のコメントからも、小泉氏がイラク戦争支持を一人で決めたことは確かなようだ。それが今流行の「リーダーシップ」だとしたら大問題。


2010年12月28日(火)

自分の過去に心から向き合うという作業は、自己正当化という「怖れ」を手放す作業だ。自己正当化をやめてしまったらとてももたない、という「怖れ」が、否認、隠蔽、責任のすり替え、などにつながっていく。

自己正当化をやめた方が安全を感じられる、という環境を作っていければ、社会のあちこちに見られる「否認、隠蔽、すり替え」複合体が解消される方向に進むはず。現実的な責任をとっていくということと、その精神をサポートすることを区別できれば効果的なのだが。

これだけ問題が多い今は、「どういう姿勢で臨むのが最も効果的か」ということを真剣に考えるべき時。「悪い人」を糾弾していくやり方は「否認、隠蔽、すり替え」複合体にエネルギーを供給するし、相手の自己正当化を強めると反撃のエネルギーになり、社会の安全を直接脅かす。