国会報告 その2(2000.7.19発行)

■7月10日(月)
8時~恒例のマンデーレポート。
その後、終日地元で挨拶回り。
事務所の使い勝手を指摘する声が多いため、事務所移転の候補地を途中で見に行く。
なかなか条件に合う候補地は見つからない。

■7月11日(火)
7時の新幹線で東京へ。
8時半から赤坂プリンスホテルで、栃木県執行部との朝食懇談会。
県への意見として、小児医療のことを発言する。
近年、心を病む子どもが増加している。
とても大人を中心とした医療体制の中では対応しきれない。
また、乳児死亡率が全国3位の栃木県は、もっと専門的な小児科医療ができるようにしなければならない。
他県に習って栃木でも県立子ども病院を作ることを検討してほしいと要望。
知事からの回答は、国立病院の特化として小児病院にしてほしいという要望は出しているとのこと。
県の予算で子ども病院を作るのは無理だとのことだった。
小児医療については、国政レベルでも力を入れていかなければならないと再認識。

懇談会の時間が超過したため、中座して宇都宮へとんぼ返り。
11時半から自治労の中央委員会に参加して挨拶。
その後、挨拶回りをしながら事務所に戻る。
事務所でテイクアウトの焼きそばを食べて、13時から挨拶回り。

■7月12日(水)
9時11分の新幹線で東京へ。
10時半から民法改正ネットワークの人たちが状況説明に来る。
民法改正に向けての自分なりのアイディアを説明し情報交換。
民法が改正されないためにいかに多くの人が傷つき苦労しているかがよくわかる。

余談だが、先週発売になった「週刊文春」に、「水島代議士『三度離婚』でも政界失楽園の船田元に勝った理由」という、なにやら扇情的なタイトルの記事がある。
本文を読めば、私たち夫婦が別姓を維持するためにやむを得ずペーパー離再婚を行っているだけのことだという事情がわかるのだが、新聞広告などでタイトルだけが一人歩きしてしまい、「いったいどういうこと?」と、地元でちょっとした騒ぎが起こっている。

その後、会館でたまっている用事を秘書の鳥居さんと共に片づけ、14時すぎに慶応大学へ。
6月24日付けで退職しているのだが、忙しくて大学に行けなかったため、研究室の片づけができていない。
16時までに、大急ぎでロッカーや本棚の中身を段ボールに詰め、宅急便で送る手配をしてもらう。
段ボールは7個になった。
長年の蓄積は大きい。

16時35分の新幹線で宇都宮に戻り、17時45分から、NTTの労組の納涼祭に出席。
挨拶を済ませてから矢板に移動し、会合に出席。

■7月13日(木)
9時27分の新幹線で東京へ。
11時から、「議員特権の見直しワーキングチーム」の会議に出席。
先日提起された歳費の問題が発展してワーキングチームができた。
私も委員の一人である。
選挙前後の歳費の支払い問題(今回の我々の問題がこれ)、長期に国会を欠席してる議員への歳費支払い問題(オレンジ共済の友部議員など)のほか、永年勤続の胸像などが問題として挙げられる。
私自身、国会の「当選回数主義」には大きな問題を感じている。
議員は実績で評価されるべきもので、長くやったから偉いというものではないと思う。
「当選回数主義」が国会の風通しを悪くしているのではないか。
秋の臨時国会での議員立法提出に向けて、これからも作業をしていくこととなる。

13時、田中甲代議士の政策秘書の方から、今までの青少年問題の取り組みについて説明を受ける。
こちらも、自分が作りたい法律を説明し、共同作業をする旨、確認する。

13時50分 下野新聞の取材。
先ほどのワーキングチームについて。

14時 朝日新聞の取材。
WIN WINについて。
今の選挙制度の元では、WIN WINのような団体による資金援助は大変ありがたい。
でも、将来的には、公営選挙にして、テレビで対立候補者同士が政策討論をするなど、資金の差が勝敗に影響を与えない選挙にすべきだと思う、という自分の考えを話す。
女性議員をふやすためには、クオータ制の導入が急務であるということも話す。

15時36分の新幹線で宇都宮へ。
挨拶回りと、面会数件。

■7月14日(金)
朝早く、宇都宮から那須へ移動。
10時から那須で行われた「余笹橋完成記念式典」に出席。
自民党から4人、民主党から2人、計6人の国会議員が出席。
1998年8月の集中豪雨による被害の一つとして、旧余笹橋の一部が流失して、国道4号線が分断された。
その復旧工事が完成したのだ。
暑い中、テントの四隅に氷の柱を立てての記念式典で、皆、汗を流していた。

14時から、連合栃木地方委員会に出席。

その後、挨拶回りをして、17時15分から、関東甲信越税理士会栃木県支部連合会の懇親会に出席。

いったん自宅に戻って娘と夕食をとってから、21時からの会合に出席。

■7月15日(土)
 午前中、2つの会合に出席。
午後は忙しい。
まずは、どんぶりに長パッチをはいて、天王祭に。
夫と娘も同行。
娘は子ども御輿の仲間に入れてもらう。
私は、高所恐怖症だと言うのに、御輿の上に立つ羽目になる。
足を押さえてはもらえるが、手はどこにもつかまれない。
右足と左足の揺れが噛み合わなくなったり、猛者が大きく揺すったりすると、本当に転落の恐怖を感じる。
顔をひきつらせていると「笑って、笑って」と注意される。
どうにかこうにか任務を全う。

その後、大慌てで会合に出席。

次は、上三川町の祭りに飛ぶ。
時間と態勢が不十分だったため、御輿の上には立たずにすむ。
代わりに、御輿を少々担がせていただき、18時40分に宇都宮に向けて出発。

宇都宮で会合に出席。

こうも会合が多いと、「会費」が重要な問題となってくる。
選挙前は貧乏候補者ということで免除していただけることが多かったが、当選してしまうとそうもいかない。
政治家の寄付行為は、公職選挙法で禁止されているが、未だに「会費」という名目での寄付行為が続けられているのが現状である(額が多少多くても、封筒に「会費」と書いてあれば許されてしまう)。
ただでさえ出席すべき会合の多い国会議員が、規定額以上の会費を払い続けていくためには、企業・団体献金に依存したり、パーティー券売りに汲々としたり、と、政治の姿を歪めるような形の活動をしなければならない。
これが日本の政治の質を低める一因であると思う。

私の事務所では、「市民と共に歩む政治」の実現に向けて、企業・団体献金に頼らず、国からいただく歳費と、皆さまからのカンパだけで活動の全てを賄うことにしている。
人件費、交通費、広報活動、事務所運営費など、政治活動による支出は大変に大きく、皆さまのご理解をいただきながら辛うじて活動をしている状況である。
とても、「会費」を豪快に払える状況ではない。
「会費」と名を変えた寄付行為など、悪しき慣習を排するためにも、まずは自分自身が率先して「会費」の過剰支払いをやめようと決意した。
たかが「会費」であっても、こんな小さなところからも一つ一つ政治の非常識を見直していかなければならないと思っている。
ケチだとか礼儀知らずだと非難されることは覚悟の上、頑張っていこうと悲壮な決断。
皆さまのご理解を切に祈り申し上げます。

★今日の一言メモ
「国会報告」の読者の方から、下のようなご質問をいただきました。
いただいたご質問のうち、皆さまもご関心がありそうなものについては、この場をお借りしてお答えしていこうと思います。

●質問:「政調の議員」とはどのようなことをするのですか?そういえば、各党に政調会長っていますね。
この役割のことよくわかりません。

●「政調」とは「政策調査会」の略のようです。
議員立法をしたり、政策を考えたりするときに、助けてくれる人たちです。
個々の議員の委員会質問などのときには、議員と政策秘書とで考えなければなりませんが、党としての立法などについては政調のスタッフが助けてくれます。
ちなみに、民主党の政調会長は菅直人さん、会長代行は枝野幸男さんです。

他に、「国対」というのもあります。
これは「国会対策」の略です。
「国対」が、国会でのやりとりそのものに重きを置くのに比べて、「政調」は立法活動や政策立案の方に重きが置かれた仕事です。

国会報告 その1(2000.7.11発行)

■7月3日

13~15時 東京で政策秘書・私設秘書の面接
15時~ 両院議員総会
16時~ 新人議員ガイダンス
17時半~ 懇親会

民主党はリベラルで風通しが良い党という印象。

■7月4日

9時 民主党新人記念撮影(国会正門前)

10時 初登院 

7時に家を出たときからテレビカメラが同行。
さかんにマスコミから「感想は」と聞かれるが、大した感慨はない。議員バッジをもらうだけのためになぜ10時に召集がかかったのか疑問。形式を重んずる職場であることを再認識。国会内は守衛の人が多くて驚く。

10時すぎ 議員会館に入る。いろいろな説明を受ける。
その後、マスコミの取材が続く。

12時すぎ 地下の食堂へ。竹村泰子さんたちと昼食をとるが、半分くらいのところでタイムリミット。

12時半 代議士会。
ところが、副議長の選出をめぐって与党が突如予期せぬことを言い出し、各派協議会が紛糾しているとのこと。待機となる。初っぱなから党利党略問題に巻き込まれる。待機時間を利用して、自分の実現したい政策について具体的な話を政調の議員に聞いてもらう。来週にもプロジェクトチームを立ち上げてもらえそう。

13時半 予鈴。
代議士会再開。与党と話し合いにならないということで、我が党の意思統一をはかる。

13時40分 本鈴。
40分遅れで本会議開会。議長には白票、副議長には石井副代表と書いた票を投ずる。投票の仕方が、あまりにも旧式であることに驚く。首班指名を含めて、3回も全議員が投票に赴くのである。開票時間も含めて、所要時間は限りなく長い。近くの若手議員たちと「電子投票にすべき」と話し合った。忙しい自分の生活を考えると、本会議に要した3時間弱は時間の無駄が多かった。

16時半 民主党男女共同参画委員会
男性議員は2人。今後の活動方針。女性のための政治大学、クオータ制実現に向けての活動など。女性のための政治大学を地方に広めるため、宇都宮でと名乗りを上げる。

18時 ダッシュの会 
1期~3期の若手議員の会。鳩山代表も出席して、意見交換。私も、「民主党の決定事項に異議があるときはどのようにそれを訴えたらよいのか」と質問して答えてもらう。他の1年生議員も、「先輩たちのヤジは下品だ」などと堂々と意見を述べている。ヤジの是非については検討してくれるとのこと。初登院の日から、これだけオープンに意見を述べられる党は貴重だと思う。鳩山代表も「民主党には全く上下関係はありません」と明言。
ダッシュの会の世話人が全て男性であることに問題を感じる。今後、頑張っていかなければ。

事務所に戻り、取材を受け、宇都宮への帰途につくが、大雨のため地下鉄丸の内線が止まってしまい、慌てて千代田線に。同行取材の記者さんに助けられる。思えば、今日は国会内で何度も道に迷い、マスコミの方たちにどれほど助けられたことか。

20時4分発の新幹線も大雨のため発車が遅れ、21時過ぎに宇都宮に到着。東京から来てくれたボランティアの友人たちが自宅で待っていてくれたので、今後の方針を話し合った。

■7月5日

宇都宮事務所で打ち合わせの後、上京。議員会館の事務所番がいないため、知人に無理矢理お願いする。

12時40分 代議士会
6月25日からの任期なのに、6月分の歳費が満額支給されたことについて、一年生議員の手塚さんから異議申し立てがある。その他、勤続50年の人の胸像を作ることはおかしいという議論も出る。

13時 本会議
今日の本会議は、常任委員長などの選挙であり、ほとんど争点なく短時間で散会。中尾元建設大臣の問題追求のため会期延長を求めるという方針だが、会期に関する議題もなく終わる。

本会議終了後、国対の部屋で、昨日提案したプロジェクトについて、相談。議員立法に向けてのコンセプトをまとめる。こういう話は元気が出る。プロジェクトの座長をお願いした肥田美代子さんと、子供関係でやりたい仕事について話し合う。

その後、会館に戻ると、代議士会で発言した手塚さんから取材を一緒に受けてほしいとの電話。手塚さんの勇気ある申し立てに、「私も歳費は日割り支給にすべきだと思う」とコメントしていたので、仲間として呼ばれる。他に、1年生議員の武正さんも同席。6月分の歳費を返還してパフォーマンスに終わらせるのではなく、歳費を日割りとする議員立法に向けて取り組むことを確認。昨日も感じたが、こういう話を1年生がどんどん提案して、代表たちもそれを歓迎してどんどんやらせてくれる民主党の雰囲気はとても良い。

議員会館の人手がない中、明日の予定が次々と飛び込む。それらを処理して、16時16分の新幹線で宇都宮へ。

18時から、鹿沼で労組の選対解散式。栃木2区とは協力関係にあるので顔を出す。

20時から宇都宮で別の会合。

■7月6日(木)

6時40分自宅発。7時の新幹線で東京へ。さすがに眠いので珍しく新幹線内で睡眠。東京駅につくと、近くに座っていた方が「頑張って」と励ましてくださる。

8時半からホテルで朝食をとりながら党の勉強会。北海道大学の山口氏が講師。

途中で抜け出し、9時半から参議院会館で、民主党のネクストキャビネットの男女共同参画・人権・総務部会。

これも途中で抜け出し、10時半から議長応接室で、政倫審(特別委員会)に委員として出席。すぐに散会となる。

いったん会館事務所に戻り、いくつか電話をかけてから、11時に国会開会式の様子を見に行く。

戻ってから取材を受け、たまった書類を片づけながらおにぎりの昼食。

12時40分から、逓信委員会。希望の調整が間に合わなかったため、特別国会の間のみ暫定的に割り当てられた委員会である。

委員会終了後、先輩議員の部屋を訪問。

13時半から、子ども関係の立法について田中甲代議士と討議。

13時40分から代議士会。今日で会期が終わるが、夏休み気分で浮かれるのではなく、閉会中の活動をきちんと取り決めなければならないという気合いの入った意見がいくつか出され、拍手が起こる。

14時 本会議。委員の任命があってすぐに散会。

14時15分 民主党厚生部会。自分が厚生行政において実現したい意見を述べる(代替医療の研究、精神療法の点数化、子どもの医療の充実など)。厚生部会においては、私が子ども関係のプロジェクトの責任を持つように任命される。ありがたい。

15時 1年生議員の同期会。若手ならではの意見がどんどん出されて心強い。議員を「先生」と呼ぶのをやめよう、との提案には拍手が起こる。

この後、取材の連続。政策秘書を引き受けてくださることになった鳥居さんがさっそく助けに来てくれた。

18時から東京栃木県人会に出席。

■7月7日(金)

今日は地元。
事務所で打ち合わせの後、10時半から栃木女性議員連盟の研修会に顔を出す。県全体から多くの女性議員が集まっている。頼もしい。

その後、あいさつ回り。
支持者の焼きそば屋で昼食。途中、手塚代議士から電話が入る。歳費の支払い方を考えるプロジェクトチームを立ち上げることになったのでメンバーになってほしいとのこと。了解する。

その後、遊説しながらあいさつ回り。

夜、企業関係の会合に出席。

■7月8日(土)

午前中は、7日いっぱいで締め切った秘書公募の書類審査。選考委員会のメンバーと共に、書類に目を通す。2~3人の枠の採用であるが、何と97人もの方から応募をいただく。「今まで政治に関心を持っていなかったが、今回初めて関心を持った」というような若い方も多く、大変嬉しく思う。皆さんを採用したいところだが、経済的な事情から選考しなければならないのが辛い。

午後、新幹線で東京に出、15時30分に横浜に行き、在日韓国青年商工人連合会の第20期定期総会に出席。地方参政権の問題も大詰めに入っている。民主党は党を上げて実現に向けて取り組んできているが、自民党の反対のため実現できずにいる。外国との関係は、私が目指す「多様な価値観を尊重できる社会の実現」のために重要な第一歩。頑張っていきたい。

19時30分に宇都宮に戻り、19時45分から大慌てで会合に出席。私の選挙を一生懸命応援してくださった皆さんが集まっていた。さらに、同じフロアには連合関係の方たちが一杯。挨拶をしたり一緒に写真を撮ったりして大騒ぎとなる。

20時には、やはり選挙で本当に力になってくださった女性の皆さんの会合に出席。

20時半からは、これまた一生懸命応援してくださった方たちの会合に出席。

横浜から飛んで帰ってきて予定していた会合に3つとも出席できて本当に良かった。皆さん、とても喜んでくださった。

■7月9日(日)

午前中は久しぶりに自宅で書類作成。慶応大学の常勤はやめたわけだが、非常勤講師の申請をするための書類を作ったり、原稿の執筆をしたりする。娘が同じように仕事をしたがるため、作業の効率は半分以下に落ちたが、どうにか仕上げる。

昼過ぎから二荒山前とオリオン通りで街頭演説。二荒山前では、演説をはじめる前に、ボランティアの友人がギターを弾きながら「お祝いの歌」を歌ってくれた。演説をはじめると、とても多くの方がご声援をくださった。選挙前よりも明らかに人が集まる。

演説後、事務所に戻って打ち合わせをしたり、来客と話したりする。その後、挨拶回り。21時半に帰宅して娘の散髪。