国会報告 その5(2000.8.17発行)(前半)

国会報告(7/30~8/12)

■7月30日(日) フジテレビが朝食シーンを撮影に来る。
その後、代表質問の原稿を直して、庭を掘り返してコンポストを埋め、昼から街頭演説へ。
4カ所で演説。
遠くまで行ったので午後いっぱいかかる。

■7月31日(月) 自宅を出るときからテレビカメラが来ている。
8時から恒例のマンデーレポート。
終了後、10時8分の新幹線で上京。
東京駅で下車すると数社のテレビカメラが待ちかまえている。
外国人観光客がその光景を指さして「オー」と喜んでいた。

議員会館到着後、代表質問の原稿に最終の手直しをして、サンドイッチの昼食後、12時40分からの代議士会へ。
代表質問をする鳩山代表と私が挨拶をする。

13時から本会議。
まずは、25年間勤続の村岡兼造氏の表彰。
その後、代表質問に入る。
トップバッターは鳩山代表。
とてもしっかりした質問内容で、民主党議員全員拍手で応援。
自民党からは「政見放送するな」「選挙で勝ってから言え」などと下品なヤジが飛ぶ。
次に、自民党の小里代議士による質問。
与党による質問は何とも面白味がない。

14時半頃より私の質問。
随所でヤジが飛ぶが、そのたびに睨み付けると黙るということに気づいた。
しかし、国会のヤジというのは何とも異様だ。
国会程度の規模の会場で話すことは、学会などで慣れている。
しかも、原稿あり、日本語、ということだから、決して難しくないプレゼンテーションなのだが、今まで、学会だろうと会議だろうとヤジはなかったので、おもしろい初体験だった。
森首相の答弁は全くの期待はずれ。
「総理のお考えは」と尋ねているのに、「国民の議論が分かれている」「適切に対応していきたい」など、おきまりの文句ばかり。
考えてみれば、これほど不誠実な受け答えをされたのは、生まれて初めてかもしれない。

他の代表質問は、だいたい同じような質問ばかりで、森首相も全く同じ答弁の棒読みを繰り返していた。
代表質問は、事前に質問原稿を提出しなければならないので、前の人が同じことを質問していても変えられないのだ。
そんなシステムもおかしいと思うし、そんな事情をわかっていながら全く同じ答弁を壊れたレコードのように繰り返す首相も首相だと思った。
質問の余韻に浸る間もなく、どうしたらこの国会を健全な議論の場にできるのだろうかと考える。

本会議が終わると、取材がたくさん来ていた。
18時半から、1年生議員の同期会。
安い居酒屋。
私としては珍しく奮発してタクシーに乗っていったのだが、タクシーの運転手さんが「先生はハイヤーじゃないんですか」とか「あんまり高そうじゃない店ですね」などとさかんに驚いていた。
今回の選挙では、民主党の1年生議員が43人も当選。
活発に意見を言って党を活性化しようということになる。
なかなか純粋で真面目で良い仲間たちが多い。
二次会は失礼して新幹線で宇都宮へ。

■8月1日(火) 9時27分の新幹線で上京。
11時より、民主党の女性候補者への取り組みについて、大学教授によるヒアリング。
選挙戦全般の経過について、また、女性候補としての特別な支援が党からあったかなどについて説明する。
13時から取材。
14時からジャーナリスト専門学校の学生さんによる取材。
16時から慶応の「三田評論」という雑誌の対談。
戦後家族の変容について。

■8月2日(水) 6時36分の新幹線で上京。
睡眠不足なので眠っていこうと思っていたのに、簗瀬進さんと駅で遭遇し、政治論議を戦わせている間に東京に着いてしまった。
後悔しながら眠い一日をスタート。

8時から厚生部会。
厚生白書と国民医療費についてのヒアリング。
高齢化社会の話が中心。

9時から、介護保険をより良くするプロジェクトチーム。
介護事業に携わっている人たちを招いてのヒアリング。
同じ時間帯に行われた厚生部会のクローン法案の取り扱いについての会議には、政策秘書の鳥居さんに代理出席してもらう。
生殖医療の問題も絡んで、今後紛糾しそうだとのこと。

10時半から予算委員会の傍聴。
本日の傍聴は1年生議員に義務づけられている。
菅さんの質問に対してきちんと答弁できない金融再生委員長に代わり、官僚の人が答えている。
「大臣が答えろ」「時計を止めろ」などのヤジが飛ぶ。
傍聴に値する緊迫したムード。

11時半に中座し、韓国国会事務総長の秘書の方の表敬訪問を受ける。
私の当選を韓国のテレビで見たとのこと。
韓国の国会で行事があるときに私を招聘したいと事務総長の意向が伝えられる。
日韓それぞれの女性政策などについて話し合う。
勧告では、金大統領になってから、クオータ制や女性公務員の昇進など、意欲的に行っているとのこと。

テレビモニターで予算委員会の続きを見ながら、さらに、代表質問を見て多くの方が送ってくださったメールを読みながら、サンドイッチの昼食を取る。
予算委員会で菅さんが「水島さんが代表質問で聞いていたが、有害情報から子どもたちを守る法案を作ったらどう対応するか」と森首相に尋ねてくれた。

13時から公共事業コントロール法についての新人議員勉強会。
国民がきちんと公共事業をコントロールできるよう、つまり、必要な公共事業を迅速に進め不要な公共事業をストップできるよう、用意している法案。
民主党は公共事業を何でも反対していると誤解されているが、目指しているのはこのような当たり前の目標である。

14時から、年金改革検討プロジェクトチーム。
講師を招いて、年金制度について広く学ぶ。
大切な問題であるため、衆参双方から多数が出席。
今まで、国会には年金を専門的に扱うセクションがなかった。
このため、年金について厚生省としっかり議論できる議員がいなかったという。
「靴の底から足をかく」みたいな状況を打破して本当に理想的な年金システムを構築するためにも、きちんと勉強しようというプロジェクトチーム。

16時から、保育問題についての勉強会。
夜間保育所がなかなか増えない現状、認可外の保育所などについて、厚生省の保育課長を招いて話し合う。
「夜間保育所を充実させると親が子供を家に連れて帰らなくなるということを心配している地方自治体が多いのではないか」という発言があった。
私は、そのようなことを考えるよりも、まずはまじめに子育てしている人たちのために、夜間保育を充実させるべきだと思う。
私もそうだが、何も用事がないときはできるだけ子どもと一緒にいたいわけで、夜間保育をやっているからと言って子どもを預けっぱなしにすることなどまずあり得ない。
どうしても夜の会議がある、どうしても残業しなければならない、というような時に預ける場所が必要なのだ。
保育園が24時間保育だからと言って、全ての子どもが24時間預けられるわけではないはずだ。
むしろ心配なのは、「保育園があると親が手を抜く」という理由で無理やり子どもを家庭に返すこと。
無理のある環境での子育ては虐待の温床ともなる。
精神科で患者さんを見ていて、「こんな育て方をするくらいなら、保育園に預けっぱなしにしてくれた方が良かったのではないか」と思うケースにもしばしば出会った。
夜間保育を充実させること、そして、預けっぱなしになる親がいるようなら、個別にカウンセリングすること、それが子どもを最も保護できるやり方だと思う。
こういったことに対するデータを充実させるよう、厚生省に要請。
さらに、先日調査に行った殺人保育所「スマイルマム」について厚生委員会で集中審議をすることを厚生委員会のメンバーに提案。

17時半に、TBS来訪。
代表質問についての取材。

その後、宇都宮に戻り、ビアパーティ後の労働組合1軒訪問。

■8月3日(木) 6時22分の新幹線で東京へ。
8時から、構造改革に関する勉強会。

9時から、環境部会・循環社会プロジェクトチーム。

10時から、公共事業プロジェクトチーム。
計画が中止・休止されたダムについて。

11時から、東京新聞取材。

12時半から、来週厚生委員会で質問することになった雪印問題について、調査室からレクチャーを受ける。

13時半から、パートの均等待遇女性議員の会。
「女性差別」から「パート差別」に姿を変えた間接差別について。

14時半から、フジテレビ取材。

15時から、部落解放推進委員会総会。
途中で抜け出し、同時進行中の、外交・安全保障部門会議に出席。

16時から、教育基本問題調査会。

「文責・曾野綾子」という、内閣官房の諮問機関の報告文に非難が集中する。
「日本人へ」というタイトルのその文章は、自分を神か何かと勘違いしているのか、とにかく高圧的・断定的で、傲慢な表現に満ちている。
高所から見下ろして「私たちは全てを知っている。
お前たちはバカだ」というような、とんでもない雰囲気だ。
「父親は職場の姿を、母親は家庭の姿を子どもに見せるべき」というようなくだりもあって、今時、こんな画一的な公文書があることにギョッとする。
その表現を直すつもりはないのか、と尋ねると、内閣官房の担当者は「文章には勢いというものがありまして・・・」などと言い訳をして、問題を認めようとしない。
「勢い」があれば、何を言っても許されるのか。
片親の子どももいるわけだし、父親がもっと家に帰らなければならないというこのご時世に、こんな文章を書かせるために税金が投入されたとは。
他にも、この改革案は現場から見ると何十年も遅れているという意見などが出される。

もっと言いたいことはあったが、日本の教育の今後に危機感を感じながら、中座して宇都宮へ。

駅から盆踊りに駆けつけ、全速力で走ってようやく挨拶時間に間に合った。
会場で、「国会が忙しいと庶民の声が聞こえなくなるから国会はほどほどに」などと言われて力が抜けてしまった。
確かに、国会という場は、手を抜けばほとんど仕事をしないで済む場所だと思う。
反対に、やりたい仕事・やるべき仕事がたくさんあると、いくら時間があっても足りない場所だ。
国会の活動をろくにしないで政策抜きの地元回りばかりしている議員の方が評価されるという矛盾した現実に改めて直面して複雑な気持ちになる。

■8月4日(金) 7時57分の新幹線で東京へ。
9時半に連合の副事務局長が来訪。

10時から16時半まで厚生委員会。
今日は私の質問はない。
大臣の所信に対する質問が各党の委員から出される。
最も印象的だったのは民主党の山井(やまのい)代議士の質問。
彼は私と同じ30代の一年生議員で、私が子どもたちのために政治家になったのだとすれば彼は寝たきり老人のために政治家になった人。
グループホームの充実を訴えて、著書も何冊か出している。
身体を拘束されたお年寄りのスライドを見せながら、「私はここに山井個人として来ているのではなく、全国の寝たきりのお年寄りと家族の代わりに来ているのです」「私たちは2~3年と簡単に言いますが、お年寄りはその間に死んでしまうから間に合わないのです」などと発言。
自分自身の代表質問の時もそうだったが、今日の山井さんの質問では、党派を超えてうなずいてくれた人が多かった。
国会は変わりつつある、と楽観的な印象を持った一瞬だった。
もう一つ印象的だったのは、常任委員会だと言うのに、部屋がガラガラだったこと。
自分の質問時間以外ほとんどいなかった他党議員もいた。
確かに、座っていても発言の機会があるわけでもないのだが。
やはり最低限の義務ではないだろうか。

終了後、小児の医療についての取材を受けて、17時から雪印問題について厚生省のレクチャーを受ける。

■8月5日(土) 11時半から、宇都宮女子高校の新聞部の学生さんの取材を受ける。
12時半から、宇都宮市現業組合主催の「食まつり」にパネラーとして出席。
15時から、県立美術館でのジョージグロス展友の会主催記念レセプションに出席。
挨拶後、ジョージグロス展を駆け足で回る。
その後、民主党栃木県連の事務所でボランティアの皆さんが後援会報の発送に向けて封筒詰めをしてくださっているため、顔を出す。
1万通を超える発送のため、昨日から追ったり詰めたり、ものすごい量の仕事をこなしてくださっている。
ボランティアの皆さんの協力なしには何もできない事務所であるため、本当に有り難い。

事務所で浴衣に着替えて宮まつりへ。
来賓として、他の議員や市長とともにパレードをする。
なぜ政治家がパレードをするのかよくわからないが、皆さん喜んでくださった。

パレード終了後、老人ホームの盆踊りに出席して、どんぶりに長パッチ姿に着替えて、再び宮まつりへ。
土砂降りの雨の中、市場の皆さんと共に御輿を担いだ。

その後、事務所でスタッフと事務所体制の検討。
いろいろな話が出てすっかり遅くなってしまった。

★今日の一言メモ
国会報告の読者の方から、「週刊文春の記事について訴えないのか」という記者会見での質問にどう答えたのか、という問い合わせをいただきました。

A.別姓を維持するために夫と書類上3回「離婚」していることは事実であり、見出しが扇情的で一人歩きしただけで、記事の内容に対しては訴えることは考えておりません、と答えました。
(文春の見出しは、「水島代議士『三度離婚』でも政界失楽園の船田元に勝った理由」というもの)

余談ですが、8月3日発売の週刊文春はあまりにもひどいものでした。
小宮山洋子参議院議員のことを「上に弱く下に強い」「ジコチュー」などと書いて徹底的にバッシングしています。
ご本人の温かく誠実な人柄を知っている私には耐えられない記事です。
何のためにこんな記事が書かれなければならないのでしょうか。

国会報告 その4(2000.7.31発行)

国会報告(7/23~7/29)
■7月23日(日) 昨年秋に選挙準備を開始してから、よく考えてみると休日というものをとっていない。
元日から街頭演説やビラ配りをしていた。
選挙が終わってからも休日がなかったため、スタッフにも疲れが見えてきた。
精神科医として「きちんと休みなさい」ということを言い続けてきた立場からも、反省をし、本日は事務所を完全に休みとした。
私も、混乱を極めている自宅を片づけたり、たまっていた買い物をしたり、散髪に行ったりする。
昨日の「水島広子ネットワーク会議」の後に出た意見に従って、会合の時に子どもを遊ばせるスペースを作るためのゴザを買った。
私も子連れで行動するときには強く感じるが、会合のお知らせに「子連れ可」と書かれているかどうか、子供向けのスペースがあるかどうか、ということは、肩身の狭さを考える上で死活問題となる。
今後は、「子連れ可」の案内と、子供用のゴザを敷いて会合を催したいと思うので、お子さん連れの方もお気軽にご参加ください。

夕方、突然携帯電話に「鳩山由紀夫です」という電話。
28日からの臨時国会で私に代表質問をしてほしいという内容である。
「1年生議員が代表質問をするのはたぶん初めてじゃないかな」とのこと。
若手を起用しようという民主党の姿勢に改めて感心。
頑張らなければ。

■7月24日(月)
8時から恒例のマンデーレポート。
輪転機がうまく使えず、配布ビラが十分に刷れなかった。

マンデーレポート終了後、今後の活動方針などについて、簗瀬事務所と合同で会議。

簗瀬事務所で大慌てで昼食を済ませて、13時半から労働組合の定期総会に出席。

その後、引き続き簗瀬さんたちと打ち合わせ。

16時から、県政記者クラブで秘書公募の結果について記者発表。
同席した秘書見習いのRさんとMさんが実に堂々と自らの意見を述べているので感心する。
記者発表の席で、例の「週刊文春」の記事について、「訴えないんですか」という質問が出た。

その後、事務所に戻って、今度は事務所内の戦略会議。
国会議員が慣例的に行っている弔電のベタ打ち(新聞の死亡欄を見て、選挙区内の全ての人に弔電を打つ習慣。
ちなみに簗瀬さんは行っていない)の是非などについて、事務所スタッフで打ち合わせ。
ベタ打ちはそもそも無意味で失礼であるだけでなく、月間30万円ほど必要になる。
貧乏事務所であり、皆さまからいただいた貴重なカンパをそのような形で使いたくないという結論になり、勇気を出して慣例を破ることにする。
2時間ほどの打ち合わせの後、事務作業をして22時前に帰宅。

■7月25日(火)
8時37分の新幹線で上京。
議員会館でデザイナー氏と後援会報の打ち合わせをした後、政策秘書の鳥居さんと代表質問についての打ち合わせ。
私の頭の中ではすでに質問する内容が決まっているが、これから政調の人などと摺り合わせが行われるという。

代表質問をすることになって私以上に動揺している鳥居さんから、頼んでおいた資料をどっさりと受け取って、11時半過ぎに会館を出る。
地下鉄で新宿まで行き、昼食をとる時間がないことに気づき慌てて駅のスタンドでサンドイッチを食べてから、小田急線で一路大和へ。
虐待死事件のあった無認可保育所「スマイルマム」の調査に向かう。
子どもを無認可保育所に預けた経験を持つ親としても、全く他人事ではない事件だ。

13時半から、大和市と神奈川県の担当者を呼んでのヒアリング。
臨席した国会議員や県会議員から様々な質問が出て時間を超過する。
男性議員の諸氏も保育行政に並々ならぬ意欲を注いでいるので心強い。
私も、「無認可保育所への立ち入り調査には専門家との連携が必要なのではないか(大和市回答:その必要を認め、市にも専門家を養成していきたい)」「虐待の通報があったときに、責任を持って児童相談所なり警察なりにつないでいるのか(大和市回答:現状ではそうなっていない。
児童相談所や警察に連絡するように伝えているだけ)」などと質問した。

15時25分からの記者会見では、県から市町村へ権限移譲ができるように児童福祉法を改正することの必要性、現在無届けで開設できる無認可保育所を届け出制にすることの必要性などが石毛えい子調査団長から語られた。
私も、「地方レベルでも、虐待通報の窓口を一本化し、市民に周知徹底すること。
その窓口に通報があったときは、絶対にその火を消さないように、必ず児童相談所や警察も一丸となって対応すること。
そのような態勢づくりが急務だと思う」と述べた。
記者会見は最初の10分で中座して、横浜経由で宇都宮へ。

18時半からホテルニューイタヤで「水島広子と語る会」。
事実上の選対打ち上げ式である。
共に選挙を戦ってくださった連合栃木の皆さん、簗瀬後援会の皆さん、そして水島広子後援会の皆さんの懐かしい面々と久しぶりにお会いすることができて、選挙にタイムスリップしたような気分になる。
この席で、「水島広子と歩む会」の会長が小児科医の渋川典子さんに正式に決定する。

夜遅く帰宅すると、知人から週刊誌の記事がファックスされている。
いわく、「民主党もクーデター? 水島広子党首擁立の動き」。
本人の全く知らないところでそんな憶測が飛んでいるとは。

■7月26日(水)
事務所にて朝の打ち合わせをした後、挨拶回り数件。
11時半から宇都宮中央郵便局新局舎落成式に出席。
今日はこの後東京まで2往復しなければならない忙しい日だというのに、こういう日に限って新幹線が事故のため遅れているとのこと。
乗るはずだった12時8分の新幹線が運休で、12時32分の新幹線に乗るが、グリーン車も一杯の状態。
13時28分到着の予定が、14時近くになって東京駅に着いた。
今日は郵便局から写真週刊誌フラッシュが同行取材。
新幹線の中や東京の地下鉄の車内でパシャパシャと写真を撮られて恥ずかしいことこの上ない。

13時半からの拡大予算部会勉強会に50分ほど遅刻して出席。
最近の経済動向と構造改革、そして沖縄サミットと、2部構成。
15時で中座して、今度は買売春問題と取り組む会の「DV法をめぐる意見交換会」に出席。
16時までいられるはずだったのに、新幹線がまだ遅れているということで、15時半過ぎに中座の指令が出る。
16時16分発の新幹線で宇都宮へ。
新幹線の中で複数の国会議員の方たちに会う。

思ったよりも早く宇都宮に到着したため、お見舞い一件。
ナースステーションに挨拶をしたら喜んでいただき、一緒に写真を撮る。
相変わらず激務の割に待遇が改善されない看護職員さんたちのために頑張ることを約束する。

18時から連合宇河(宇都宮・河内)地協拡大役員会に出席。
中座して19時5分の新幹線で再び東京へ。

21時より国会テレビ出演。
生出演の間、視聴者からかかってくる電話の質問に答えたりする。
医療関係の質問が多かった。
22時に出演が終わり、新幹線の終電で宇都宮へ。
ダイヤの乱れはさすがに直っていた。

■7月27日(木)
10時より、壬生インターにて、関東自動車道・栃木都賀ジャンクションー宇都宮上三川インターチェンジ開通式に出席。
中座して、12時8分の新幹線で東京へ。

13時より始まっていた、民主党ネクストキャビネット新人議員ガイダンスに30分近く遅刻して到着。
一人ずつ意見を、というので、小選挙区を主体としたこのままの選挙制度では絶対に民主党は政権などとれない、と主張した。
私の理想とする選挙制度は比例代表併用制というもので、比例で各党の議席数の配分を決め、もう一票で人を選ぶというもの。
政党とは政策集団であり、選挙とは人気投票でもお世話へのご恩返しでもなく、その政策を選ぶものだということをわかりやすくするためにも、しばらくは比例を主体とした制度にすべきだと思う。
選挙制度については今後も議論しましょうと菅直人さんが答えてくれた。

15時半より、取材2件。
1件は子育てについて、もう1件は代表質問について。
取材を受けながらサンドイッチの昼食。
その後、代表質問に向けて、政策秘書に頼んでおいた資料を受け取る。

絶対に間に合わないというタクシーの運転手さんをなだめすかして、17時32分の新幹線に駆け込み乗車し、宇都宮へ。

19時から、全建総連の人と面会し、その後、会合一件。
政治についてじっくり話せた良い会だった。

■7月28日(金)
6時36分の新幹線で東京へ。
8時から、代表質問について、民主党の事務方の人と打ち合わせ。
粗稿を作ってきてくれるという噂だったのに、「まあ自分でやってみてください」とのこと。
10時からの代表との打ち合わせに向けて、慌てて骨子を作る。
10時から、鳩山代表や他の議員数名、事務方の人たちと、代表質問についての打ち合わせ。

11時から、両院議員総会。
代表質問に向けて、皆に励まされる。
11時45分から、代議士会。
12時から、本会議。
議席指定のみなので5分で終わる。
その後直ちに青少年問題特別委員会。
委員長と理事の選出のみで、数分で終わる。
この委員会の委員になれたことは大変嬉しい。

会館事務所に戻り、食事をとりながら取材を受ける。

14時より、本会議。
総理大臣の所信表明演説。
この演説に対して私が代表質問をするわけだが、原稿は事前に入手しているので目新しいことはない。
終了後、所信演説についてテレビの取材を受けたので、「言葉で言うことは簡単だ。
いくら美辞麗句を並べても、今まで森政権はそんなことをやってきていないではないか」と答えた。

15時前から、議員特権見直しワーキングチーム会議に出席。
歳費を日割りにする議員立法提出のめどが立った。
また、法律を変えて合法的に国庫への返還ができるようになりそうだ。

16時36分の新幹線で宇都宮へ。
NTT労組の会合、自治労の会合、市議の会合と3つ続けて出席。
帰宅後、代表質問の原稿に真面目に取り組む。

■7月29日(土)
7時32分発の新幹線で東京へ。
さすがに眠い。

9時から、政策秘書と代表質問についての打ち合わせ。
10時から、昨日に引き続いて、鳩山代表たちと打ち合わせ。
自己満足できる代表質問を完成していったが、それぞれの立場から、好き勝手な(?)注文がつく。
断ったものもあるが、いくつか採用していくと、量が増えてしまった。
13時8分の新幹線で宇都宮に戻りながら、原稿の量を減らすために苦しむ。

宇都宮では、夏祭り1件に行った後、宇都宮空襲展に出席、その後、事務所で打ち合わせをした後、盆踊り3カ所に行った。
盆踊りなどに行けば皆さん喜んでくださるので気分は良いのだが、議員が祭りや会合への出席に忙殺されることについては未だに悩む。

国会報告 その3(2000.7.24発行)

国会報告(7/16~7/22)

■7月16日(日)
 朝8時半から、労働組合のスポーツ大会に出席。
始球式でソフトボールを投げる。
 その後、挨拶回り。
 12時半から、うつのみや「地球村」の講演に出席。
高木善之氏による、日本のゴミ行政の話を聞く。
もっと聞きたかったが、中座して、14時からの秘書公募面接へ。
ジャーナリストの下村満子さん(選挙時に私を推薦してくれたWIN WINの副代表)も審査員の一人として参加してくださり、17時すぎまで面接審査をする。
審査の結果、3名を秘書候補者として内定することが決まった。

今回の秘書公募には、2~3名の採用枠のところ、100名の方から応募をいただいた。
書類選考を通過された21名の方が面接審査に来てくださった。
100名の方は全て、本当に熱心に日本のことを考えられての応募で、大変心強く感じた。
全員を採用するというわけにはいかないが、より良い社会の実現に向けて、ぜひ共に頑張っていきたいと思う皆さんだった。
このつながりを絶やさないようにする会合を企画することなどを選考委員会で話し合った。

■7月17日(月)
8時より、恒例のマンデーレポート。
まだ街宣車がないため、相変わらず簗瀬参議院議員に居候状態。

昨日の面接で選ばれた秘書見習いの方が一人来てくださったので、早速「研修」に入っていただく。
今回の公募で採用された方は全て、3カ月間の「研修」を経て正式に秘書として採用されることになる。

終日挨拶回り。

■7月18日(火)
7時32分の新幹線で東京へ。

9時から、国連婦人2000年推進議員連盟の総会および「女性2000年会議」報告のヒアリング。
日本代表団主席代表 岩男壽美子男女共同参画審議会長から報告があり、補足説明が外務省と総理府の方からあった。
女性・女児への暴力、グローバリゼーションに伴う経済格差の広がり、特に女性の貧困化、HIVの広がり、家庭内の無償労働に対する評価、などが問題点として話し合われたとのこと。
女性・女児への暴力については、人権問題であるという認識が全世界的に共有されてきたとのことだった。
男女共同参画の問題は、宗教や伝統などによって強硬に反対するアフリカの国々などもあり、やっとの思いで「北京宣言及び行動綱領実施のための更なる行動とイニシアティブに関する文書」を採択したという。
私も、家庭内の無償労働の評価について質問。

10時10分、ずっと広報関係のデザインを手がけていただいているO氏と面会。
後援会報の打ち合わせなど。

11時 男女共同参画調査会会議。
今までの活動報告などが行われた。
私も、この調査会には全面的に参加することになっている。
単なる活動報告の会議に終わりそうだったが、終盤になって、。
「民主党の幹部男性たちには本当に男女共同参画を推進しようという意識があるのか」「党内でも意見がまとまらないでどうするのか」。
というような意見が続出し(私も発言した)、やや紛糾。
江田五月参議院議員が、。
「どうしても嫌だという議員がいても、党議拘束をかけたり民主党としての決定をするから大丈夫だ」。
と言ってくれたため、収束した。
男女共同参画調査会のメンバーは、民主党の各委員会に男女共同参画の精神を広めていく役割を担うということを再確認。

12時すぎに昼食。

13時 フジテレビ取材。
私が「子どもを有害情報から守る法律」を作ろうとしていることを小耳に挟んだという。
どんな内容なのか様子を聞きに来たらしい。

14時 オーストラリアの外交官の方が表敬訪問。
日本の政治の現状や未来への展望などを話し合う。

14時半 少年法改悪に反対している弁護士の方が来訪。
精神科医時代にも一度お会いしたことがある方である。
少年法についての私の考え方を説明。
加害者対策も被害者対策もあまりにも手抜きであるのが日本の現状であること。
その結果、加害者の更正システムも機能していないし、また、被害者の心の傷へのケアもできていない。
更正システムが機能していないということは、次なる犯罪の防止にもつながっていないということなどを伝える。
少年法というと、すぐに年齢の問題や厳罰化の話になるが、こういう根本的なシステムの話を避けている限り、何も改善しない。
厳罰化しても、追いつめられた加害者はより凶悪な犯罪を犯すだけだと思う。
加害者 対 被害者 という構図にすり替えることなく、どちらも社会の被害者であるという構造を把握しなければ議論は不毛となるばかりだと思う。
少年犯罪対策の先進国の例を広く国民に紹介すべきではないかと意見を述べた。

16時半の新幹線で宇都宮へ。

18時から、宇都宮地区労の「2000年沖縄連帯・平和行進参加報告会」に出席。
深刻な基地問題を抱えている沖縄での平和行進に参加した方たちの熱い報告会。
私も挨拶の中で「軍隊は女性を守るか」という新聞報道を例に挙げ、軍隊周辺での性暴力などの話をした。
随行していた秘書見習いRさんは「みんな真面目で感動した」という。

■7月19日(水)
10時半 国道121号瑞穂野バイパス開通式に出席。

今日から、もう一人の秘書候補者Mさんが働いてくれている。

13時 下野新聞取材。

14時より挨拶回り。

17時45分よりNTT労組の納涼祭。

19時より、ボランティアのエイサクさんの送別会。
神奈川県民の彼は、選挙の応援のために、12月から宇都宮に住み着いて働いてくれていた。
明日、神奈川に帰ることになった。
人手もお金もない選挙だったため、ボランティアの方たちには本当に助けられた。
改めて感謝したい。

21時、お通夜1件。

■7月20日(木)
午前中、もう一人の秘書内定者Sさんと面談。
今回採用した3名のうち唯一の男性。
会社がまだ退職できないため、10月頃からの仕事になりそうである。

午後、会合に出席した後、二荒山前と江曽島で街頭演説。
多くの方から街頭カンパをいただいた。
その後、事務所で作業。

■7月21日(金)
地元で挨拶回り。
道中、常任委員会が厚生委員会、特別委員会が青少年特別委員会に決まったとの連絡が入る。
常任委員会の第一希望は文教委員会で出しておいたのだが、私がやりたいことは青少年特別委員会の方が扱いやすいとのこと。
厚生行政でもやりたいことはたくさんあるので、納得した。

18時から、民主党栃木県連の幹事会。
選挙の総括や今後の活動方針など。
民主党の代表選挙も議題の一つ。
無投票当選になりそうなムードとのことだが、一般のサポーターも投票できるシステムにしたこともあるし、やはり民主党らしく複数の候補者に政策論争をしてもらいたい。
と発言したら簗瀬参議院議員に「あなたも総理大臣になりたいんだったら立候補する?」と言われてしまった。

■7月22日
11時、栃木県難病団体連絡協議会にて挨拶。

13時半より、当選報告会およびボランティア・市民会議(今後、水島広子ネットワーク会議と改称)を開催。
お忙しい中、多くの方が集まってくださり、活発なご意見をくださった。
当初13時からと発表していたため、ご迷惑をおかけした皆さま、本当に申し訳ございませんでした。

★今日の一言メモ
国会報告の読者の方から、次のようなご質問をいただきました。

Q.「クオータ制」とは、どういったものなのでしょうか?その制度によって女性議員にどのような利点があるのか教えて下さい。

A.クオータ制とは、「片方の性が一定割合を下回らない」という制度です。
例えば、その一定割合を25%と決めれば、男性議員・女性議員のどちらも、25%を下回らないようになります。
比例区の名簿を、男女男女あるいは女男女男という順番にすることも一般的な方法です。
クオータ制が導入されれば、女性国会議員の数が明らかに増えるというメリットがあります。
実際に、ノルウェーなどの国では、クオータ制が義務づけられてから明らかに政治の質が向上しています。

国会報告 その2(2000.7.19発行)

■7月10日(月)
8時~恒例のマンデーレポート。
その後、終日地元で挨拶回り。
事務所の使い勝手を指摘する声が多いため、事務所移転の候補地を途中で見に行く。
なかなか条件に合う候補地は見つからない。

■7月11日(火)
7時の新幹線で東京へ。
8時半から赤坂プリンスホテルで、栃木県執行部との朝食懇談会。
県への意見として、小児医療のことを発言する。
近年、心を病む子どもが増加している。
とても大人を中心とした医療体制の中では対応しきれない。
また、乳児死亡率が全国3位の栃木県は、もっと専門的な小児科医療ができるようにしなければならない。
他県に習って栃木でも県立子ども病院を作ることを検討してほしいと要望。
知事からの回答は、国立病院の特化として小児病院にしてほしいという要望は出しているとのこと。
県の予算で子ども病院を作るのは無理だとのことだった。
小児医療については、国政レベルでも力を入れていかなければならないと再認識。

懇談会の時間が超過したため、中座して宇都宮へとんぼ返り。
11時半から自治労の中央委員会に参加して挨拶。
その後、挨拶回りをしながら事務所に戻る。
事務所でテイクアウトの焼きそばを食べて、13時から挨拶回り。

■7月12日(水)
9時11分の新幹線で東京へ。
10時半から民法改正ネットワークの人たちが状況説明に来る。
民法改正に向けての自分なりのアイディアを説明し情報交換。
民法が改正されないためにいかに多くの人が傷つき苦労しているかがよくわかる。

余談だが、先週発売になった「週刊文春」に、「水島代議士『三度離婚』でも政界失楽園の船田元に勝った理由」という、なにやら扇情的なタイトルの記事がある。
本文を読めば、私たち夫婦が別姓を維持するためにやむを得ずペーパー離再婚を行っているだけのことだという事情がわかるのだが、新聞広告などでタイトルだけが一人歩きしてしまい、「いったいどういうこと?」と、地元でちょっとした騒ぎが起こっている。

その後、会館でたまっている用事を秘書の鳥居さんと共に片づけ、14時すぎに慶応大学へ。
6月24日付けで退職しているのだが、忙しくて大学に行けなかったため、研究室の片づけができていない。
16時までに、大急ぎでロッカーや本棚の中身を段ボールに詰め、宅急便で送る手配をしてもらう。
段ボールは7個になった。
長年の蓄積は大きい。

16時35分の新幹線で宇都宮に戻り、17時45分から、NTTの労組の納涼祭に出席。
挨拶を済ませてから矢板に移動し、会合に出席。

■7月13日(木)
9時27分の新幹線で東京へ。
11時から、「議員特権の見直しワーキングチーム」の会議に出席。
先日提起された歳費の問題が発展してワーキングチームができた。
私も委員の一人である。
選挙前後の歳費の支払い問題(今回の我々の問題がこれ)、長期に国会を欠席してる議員への歳費支払い問題(オレンジ共済の友部議員など)のほか、永年勤続の胸像などが問題として挙げられる。
私自身、国会の「当選回数主義」には大きな問題を感じている。
議員は実績で評価されるべきもので、長くやったから偉いというものではないと思う。
「当選回数主義」が国会の風通しを悪くしているのではないか。
秋の臨時国会での議員立法提出に向けて、これからも作業をしていくこととなる。

13時、田中甲代議士の政策秘書の方から、今までの青少年問題の取り組みについて説明を受ける。
こちらも、自分が作りたい法律を説明し、共同作業をする旨、確認する。

13時50分 下野新聞の取材。
先ほどのワーキングチームについて。

14時 朝日新聞の取材。
WIN WINについて。
今の選挙制度の元では、WIN WINのような団体による資金援助は大変ありがたい。
でも、将来的には、公営選挙にして、テレビで対立候補者同士が政策討論をするなど、資金の差が勝敗に影響を与えない選挙にすべきだと思う、という自分の考えを話す。
女性議員をふやすためには、クオータ制の導入が急務であるということも話す。

15時36分の新幹線で宇都宮へ。
挨拶回りと、面会数件。

■7月14日(金)
朝早く、宇都宮から那須へ移動。
10時から那須で行われた「余笹橋完成記念式典」に出席。
自民党から4人、民主党から2人、計6人の国会議員が出席。
1998年8月の集中豪雨による被害の一つとして、旧余笹橋の一部が流失して、国道4号線が分断された。
その復旧工事が完成したのだ。
暑い中、テントの四隅に氷の柱を立てての記念式典で、皆、汗を流していた。

14時から、連合栃木地方委員会に出席。

その後、挨拶回りをして、17時15分から、関東甲信越税理士会栃木県支部連合会の懇親会に出席。

いったん自宅に戻って娘と夕食をとってから、21時からの会合に出席。

■7月15日(土)
 午前中、2つの会合に出席。
午後は忙しい。
まずは、どんぶりに長パッチをはいて、天王祭に。
夫と娘も同行。
娘は子ども御輿の仲間に入れてもらう。
私は、高所恐怖症だと言うのに、御輿の上に立つ羽目になる。
足を押さえてはもらえるが、手はどこにもつかまれない。
右足と左足の揺れが噛み合わなくなったり、猛者が大きく揺すったりすると、本当に転落の恐怖を感じる。
顔をひきつらせていると「笑って、笑って」と注意される。
どうにかこうにか任務を全う。

その後、大慌てで会合に出席。

次は、上三川町の祭りに飛ぶ。
時間と態勢が不十分だったため、御輿の上には立たずにすむ。
代わりに、御輿を少々担がせていただき、18時40分に宇都宮に向けて出発。

宇都宮で会合に出席。

こうも会合が多いと、「会費」が重要な問題となってくる。
選挙前は貧乏候補者ということで免除していただけることが多かったが、当選してしまうとそうもいかない。
政治家の寄付行為は、公職選挙法で禁止されているが、未だに「会費」という名目での寄付行為が続けられているのが現状である(額が多少多くても、封筒に「会費」と書いてあれば許されてしまう)。
ただでさえ出席すべき会合の多い国会議員が、規定額以上の会費を払い続けていくためには、企業・団体献金に依存したり、パーティー券売りに汲々としたり、と、政治の姿を歪めるような形の活動をしなければならない。
これが日本の政治の質を低める一因であると思う。

私の事務所では、「市民と共に歩む政治」の実現に向けて、企業・団体献金に頼らず、国からいただく歳費と、皆さまからのカンパだけで活動の全てを賄うことにしている。
人件費、交通費、広報活動、事務所運営費など、政治活動による支出は大変に大きく、皆さまのご理解をいただきながら辛うじて活動をしている状況である。
とても、「会費」を豪快に払える状況ではない。
「会費」と名を変えた寄付行為など、悪しき慣習を排するためにも、まずは自分自身が率先して「会費」の過剰支払いをやめようと決意した。
たかが「会費」であっても、こんな小さなところからも一つ一つ政治の非常識を見直していかなければならないと思っている。
ケチだとか礼儀知らずだと非難されることは覚悟の上、頑張っていこうと悲壮な決断。
皆さまのご理解を切に祈り申し上げます。

★今日の一言メモ
「国会報告」の読者の方から、下のようなご質問をいただきました。
いただいたご質問のうち、皆さまもご関心がありそうなものについては、この場をお借りしてお答えしていこうと思います。

●質問:「政調の議員」とはどのようなことをするのですか?そういえば、各党に政調会長っていますね。
この役割のことよくわかりません。

●「政調」とは「政策調査会」の略のようです。
議員立法をしたり、政策を考えたりするときに、助けてくれる人たちです。
個々の議員の委員会質問などのときには、議員と政策秘書とで考えなければなりませんが、党としての立法などについては政調のスタッフが助けてくれます。
ちなみに、民主党の政調会長は菅直人さん、会長代行は枝野幸男さんです。

他に、「国対」というのもあります。
これは「国会対策」の略です。
「国対」が、国会でのやりとりそのものに重きを置くのに比べて、「政調」は立法活動や政策立案の方に重きが置かれた仕事です。

国会報告 その1(2000.7.11発行)

■7月3日

13~15時 東京で政策秘書・私設秘書の面接
15時~ 両院議員総会
16時~ 新人議員ガイダンス
17時半~ 懇親会

民主党はリベラルで風通しが良い党という印象。

■7月4日

9時 民主党新人記念撮影(国会正門前)

10時 初登院 

7時に家を出たときからテレビカメラが同行。
さかんにマスコミから「感想は」と聞かれるが、大した感慨はない。議員バッジをもらうだけのためになぜ10時に召集がかかったのか疑問。形式を重んずる職場であることを再認識。国会内は守衛の人が多くて驚く。

10時すぎ 議員会館に入る。いろいろな説明を受ける。
その後、マスコミの取材が続く。

12時すぎ 地下の食堂へ。竹村泰子さんたちと昼食をとるが、半分くらいのところでタイムリミット。

12時半 代議士会。
ところが、副議長の選出をめぐって与党が突如予期せぬことを言い出し、各派協議会が紛糾しているとのこと。待機となる。初っぱなから党利党略問題に巻き込まれる。待機時間を利用して、自分の実現したい政策について具体的な話を政調の議員に聞いてもらう。来週にもプロジェクトチームを立ち上げてもらえそう。

13時半 予鈴。
代議士会再開。与党と話し合いにならないということで、我が党の意思統一をはかる。

13時40分 本鈴。
40分遅れで本会議開会。議長には白票、副議長には石井副代表と書いた票を投ずる。投票の仕方が、あまりにも旧式であることに驚く。首班指名を含めて、3回も全議員が投票に赴くのである。開票時間も含めて、所要時間は限りなく長い。近くの若手議員たちと「電子投票にすべき」と話し合った。忙しい自分の生活を考えると、本会議に要した3時間弱は時間の無駄が多かった。

16時半 民主党男女共同参画委員会
男性議員は2人。今後の活動方針。女性のための政治大学、クオータ制実現に向けての活動など。女性のための政治大学を地方に広めるため、宇都宮でと名乗りを上げる。

18時 ダッシュの会 
1期~3期の若手議員の会。鳩山代表も出席して、意見交換。私も、「民主党の決定事項に異議があるときはどのようにそれを訴えたらよいのか」と質問して答えてもらう。他の1年生議員も、「先輩たちのヤジは下品だ」などと堂々と意見を述べている。ヤジの是非については検討してくれるとのこと。初登院の日から、これだけオープンに意見を述べられる党は貴重だと思う。鳩山代表も「民主党には全く上下関係はありません」と明言。
ダッシュの会の世話人が全て男性であることに問題を感じる。今後、頑張っていかなければ。

事務所に戻り、取材を受け、宇都宮への帰途につくが、大雨のため地下鉄丸の内線が止まってしまい、慌てて千代田線に。同行取材の記者さんに助けられる。思えば、今日は国会内で何度も道に迷い、マスコミの方たちにどれほど助けられたことか。

20時4分発の新幹線も大雨のため発車が遅れ、21時過ぎに宇都宮に到着。東京から来てくれたボランティアの友人たちが自宅で待っていてくれたので、今後の方針を話し合った。

■7月5日

宇都宮事務所で打ち合わせの後、上京。議員会館の事務所番がいないため、知人に無理矢理お願いする。

12時40分 代議士会
6月25日からの任期なのに、6月分の歳費が満額支給されたことについて、一年生議員の手塚さんから異議申し立てがある。その他、勤続50年の人の胸像を作ることはおかしいという議論も出る。

13時 本会議
今日の本会議は、常任委員長などの選挙であり、ほとんど争点なく短時間で散会。中尾元建設大臣の問題追求のため会期延長を求めるという方針だが、会期に関する議題もなく終わる。

本会議終了後、国対の部屋で、昨日提案したプロジェクトについて、相談。議員立法に向けてのコンセプトをまとめる。こういう話は元気が出る。プロジェクトの座長をお願いした肥田美代子さんと、子供関係でやりたい仕事について話し合う。

その後、会館に戻ると、代議士会で発言した手塚さんから取材を一緒に受けてほしいとの電話。手塚さんの勇気ある申し立てに、「私も歳費は日割り支給にすべきだと思う」とコメントしていたので、仲間として呼ばれる。他に、1年生議員の武正さんも同席。6月分の歳費を返還してパフォーマンスに終わらせるのではなく、歳費を日割りとする議員立法に向けて取り組むことを確認。昨日も感じたが、こういう話を1年生がどんどん提案して、代表たちもそれを歓迎してどんどんやらせてくれる民主党の雰囲気はとても良い。

議員会館の人手がない中、明日の予定が次々と飛び込む。それらを処理して、16時16分の新幹線で宇都宮へ。

18時から、鹿沼で労組の選対解散式。栃木2区とは協力関係にあるので顔を出す。

20時から宇都宮で別の会合。

■7月6日(木)

6時40分自宅発。7時の新幹線で東京へ。さすがに眠いので珍しく新幹線内で睡眠。東京駅につくと、近くに座っていた方が「頑張って」と励ましてくださる。

8時半からホテルで朝食をとりながら党の勉強会。北海道大学の山口氏が講師。

途中で抜け出し、9時半から参議院会館で、民主党のネクストキャビネットの男女共同参画・人権・総務部会。

これも途中で抜け出し、10時半から議長応接室で、政倫審(特別委員会)に委員として出席。すぐに散会となる。

いったん会館事務所に戻り、いくつか電話をかけてから、11時に国会開会式の様子を見に行く。

戻ってから取材を受け、たまった書類を片づけながらおにぎりの昼食。

12時40分から、逓信委員会。希望の調整が間に合わなかったため、特別国会の間のみ暫定的に割り当てられた委員会である。

委員会終了後、先輩議員の部屋を訪問。

13時半から、子ども関係の立法について田中甲代議士と討議。

13時40分から代議士会。今日で会期が終わるが、夏休み気分で浮かれるのではなく、閉会中の活動をきちんと取り決めなければならないという気合いの入った意見がいくつか出され、拍手が起こる。

14時 本会議。委員の任命があってすぐに散会。

14時15分 民主党厚生部会。自分が厚生行政において実現したい意見を述べる(代替医療の研究、精神療法の点数化、子どもの医療の充実など)。厚生部会においては、私が子ども関係のプロジェクトの責任を持つように任命される。ありがたい。

15時 1年生議員の同期会。若手ならではの意見がどんどん出されて心強い。議員を「先生」と呼ぶのをやめよう、との提案には拍手が起こる。

この後、取材の連続。政策秘書を引き受けてくださることになった鳥居さんがさっそく助けに来てくれた。

18時から東京栃木県人会に出席。

■7月7日(金)

今日は地元。
事務所で打ち合わせの後、10時半から栃木女性議員連盟の研修会に顔を出す。県全体から多くの女性議員が集まっている。頼もしい。

その後、あいさつ回り。
支持者の焼きそば屋で昼食。途中、手塚代議士から電話が入る。歳費の支払い方を考えるプロジェクトチームを立ち上げることになったのでメンバーになってほしいとのこと。了解する。

その後、遊説しながらあいさつ回り。

夜、企業関係の会合に出席。

■7月8日(土)

午前中は、7日いっぱいで締め切った秘書公募の書類審査。選考委員会のメンバーと共に、書類に目を通す。2~3人の枠の採用であるが、何と97人もの方から応募をいただく。「今まで政治に関心を持っていなかったが、今回初めて関心を持った」というような若い方も多く、大変嬉しく思う。皆さんを採用したいところだが、経済的な事情から選考しなければならないのが辛い。

午後、新幹線で東京に出、15時30分に横浜に行き、在日韓国青年商工人連合会の第20期定期総会に出席。地方参政権の問題も大詰めに入っている。民主党は党を上げて実現に向けて取り組んできているが、自民党の反対のため実現できずにいる。外国との関係は、私が目指す「多様な価値観を尊重できる社会の実現」のために重要な第一歩。頑張っていきたい。

19時30分に宇都宮に戻り、19時45分から大慌てで会合に出席。私の選挙を一生懸命応援してくださった皆さんが集まっていた。さらに、同じフロアには連合関係の方たちが一杯。挨拶をしたり一緒に写真を撮ったりして大騒ぎとなる。

20時には、やはり選挙で本当に力になってくださった女性の皆さんの会合に出席。

20時半からは、これまた一生懸命応援してくださった方たちの会合に出席。

横浜から飛んで帰ってきて予定していた会合に3つとも出席できて本当に良かった。皆さん、とても喜んでくださった。

■7月9日(日)

午前中は久しぶりに自宅で書類作成。慶応大学の常勤はやめたわけだが、非常勤講師の申請をするための書類を作ったり、原稿の執筆をしたりする。娘が同じように仕事をしたがるため、作業の効率は半分以下に落ちたが、どうにか仕上げる。

昼過ぎから二荒山前とオリオン通りで街頭演説。二荒山前では、演説をはじめる前に、ボランティアの友人がギターを弾きながら「お祝いの歌」を歌ってくれた。演説をはじめると、とても多くの方がご声援をくださった。選挙前よりも明らかに人が集まる。

演説後、事務所に戻って打ち合わせをしたり、来客と話したりする。その後、挨拶回り。21時半に帰宅して娘の散髪。