国会報告 その5(2000.8.17発行)(後半)

■8月6日(日) 苦しい4時起き。
広島への原爆投下日であり、5時から平和祈念朝起き会に参加。

その後、雑誌コスモポリタンの人が朝食風景の取材に来る。
私はどんなことがあっても朝食を欠かしたことがないということを話すと感心してくれた。

10時から労組の定期大会に出席。

その後、支持者の方が鬼怒川の河原で開いたバーベキュー大会に夫・娘と共に参加。

13時から「秘書公募の会(仮称)」。
先日の秘書公募に応募され、惜しくも不採用となった方たちと親睦を深める会。
こんな会を開いて良いのかどうか迷ったが、より良い社会実現に向けて一歩を踏み出した方たちなのだから今後も交流を持ちたいと思って企画した。
30名近くの方が参加され、今後も会合を持っていくことになった。
話が弾んで予定を30分超過して15時半に終了。

相変わらず、「水島広子ネットワーク通信」の発送のためにボランティアの皆さんが袋詰め作業をしてくださっているので、民主党の事務所に顔を出す。

18時から、娘を連れて「みや祭り」に参加。
今日は、サンバを踊っている知人の激励。

その後、事務所のスタッフと久しぶりにゆっくりタイ料理の夕食を食べた。
偶然、行き会った労組の委員長夫婦と同席。

■8月7日(月) 8時から恒例のマンデーレポート。

その後、事務所に戻って後援会名簿のチェックなど事務作業。

10時45分の新幹線で東京へ。
取材を一件受け、13時半から、厚生省担当者が来訪。
明日の厚生委員会で質問するため、何を質問するつもりかを聞きに来るのだ。

民主党では、国対の方針で、「答弁は大臣か政務次官に」と決まっている。
官僚に答えてもらうのではなく、政治家同士が議論で渡り合おうという考え方だ。
私もその方針に賛成なので、「答弁は大臣か政務次官に」と伝えた。
すると厚生省の人たちが「大臣答弁は大きい質問だけにしてもらえませんか」「本当にこんなことまで大臣に聞くんですか」と抵抗。
「民主党の方針ですから」と押し切った。
(この後、政策秘書のところに電話があって、「ほかの民主党の先生方も役人に答えさせていますから、水島先生も」という脅し?があったそうだ。
さすがは私の政策秘書、「他の人はそうでも水島は水島ですから」と頑として聞き入れなかったとのこと。
政治家に答えさせると失言するかもしれないと思っているのか? この厚生省の姿勢はギモン)

15時から、教育基本問題調査会。
今日は日教組からの聞き取り。
16時に中座して、新幹線で宇都宮へ。

18時から、民主党の県連の幹事会。
小林代表も簗瀬代表代行もいなかったため、私が座長を務める。
選挙で県連が背負った借金を返済するための「躍進パーティー」が話題。
私は政治資金パーティーをやらないでいこうと思っているが、党が背負った借金であれば仕方がない。
それにしても、きついノルマに気は重い。
皆さま、どうぞご協力をお願いいたします。

■8月8日(火) 7時32分の新幹線で東京へ。

9時から取材。

10時から厚生委員会。
今日は雪印問題についての集中審議。
午前中は、雪印社長やジャーナリストなどの参考人質疑。
午後からは政府に対する質疑。
私の質問は14時55分から20分間。
委員会質問は初めてだったが、代表質問と違って、何度でも再質問できるからやりがいはあった。
今後に向けての安全衛生対策について主に質問した。
私は、質問とは、相手を責めるよりも、「これからはこれをやります」という答えを引き出すためにやるものだと思っている。
特に厚生行政の場合、命に関わる問題だけに、今後の方針が重要だ。
そう思ってどんどん質問していたら、後で、取材していたフジテレビの人から「他の議員よりも淡々と質問していたが、一番多くの答えを引き出していた」とほめられた。
委員会質問は病みつきになりそうである。
大臣は参議院の予算委員会に出席していたため、私は政務次官にもっぱら質問。
途中で厚生省の局長が答えそうになったが、「私は政務次官にお願いしています」と、断った。

厚生政務次官(公明党)はとても有能な人なので、質疑応答もとてもテンポよく進めることができた。

16時に厚生委員会が散会し、議員の訪問を一件受けて(子ども病院に関する件)、16時半から子どもプロジェクトについて肥田美代子代議士と打ち合わせ。

17時半から取材。

19時から、枝野幸男代議士の呼びかけで「公募の会」。
枝野さんを含めて公募で当選した6名が集って意見交換をした。
今後は、落選した人も含めて公募の会を充実させていくこととなる。
遅くなって新幹線がなくなってしまったため、初めて議員宿舎に泊まった。
最も家賃が安いので決めた青山宿舎は「お化け屋敷」と言われているほど古い建物だが、私にとっては全く問題のない宿舎だった。
こんな宿舎を嫌がるとは、皆さんちょっと贅沢なのでは?
送っておいた布団を箱から取り出して何とか眠る。
全く足を踏み入れたことのなかった宿舎を片づけたりしていたら、結局宇都宮に帰るよりも睡眠時間が短くなってしまった。

■8月9日(水) 議員宿舎から地下鉄で出勤。
8時から厚生部会。
医療費と医療法の件で厚生省から説明を受ける。
老人医療費が高いのはわかるが、またしても「自己負担を増やすことで医療費を抑制する」というパターンの話であるため憤慨。
現在、たくさんの科にかかって浴びるように薬をもらっている老人でも、漢方治療や鍼治療を採用することによって医療費を軽減することができる。
そのような質的な改革なしに、単に医療費を削減しようとするのは、専門家でなくてもできることだ。
不要な(?)医療を受けている人の受診を抑制するために自己負担を上げても、結局苦しむのは本当に必要な医療を受けている人たちだ。
このあたりのことを意見する。
また、医師の臨床研修を義務化するということだが、その間の給料を保証しないと、研修中なのに一人前の顔をしてアルバイトするという習慣は変わらない。
また、アルバイト禁止にすると、20代半ばまで親のスネをかじれる一部の人しか医者になれなくなる。
そのあたりのことを指摘した。
ちなみに、私は研修医時代の月給は2万5千円。
休日返上で当直をたくさんやって食べていた。

9時から、介護保険をより良くするプロジェクトチーム。
関係団体から説明を受ける。
宇都宮の方も見えていた。
介護保険がどう考えても多くの問題をはらんでいるということを再認識。

10時半から、青少年問題特別委員会。
閉会のための儀式で、すぐに終わる。

10時45分から、ダラス=モーニングニュースのアジア支局の取材(英語)。

11時半から、日経ウーマンの取材。

12時半から、厚生委員会。
こちらも、閉会のための儀式。
12時40分から、代議士会。
13時から、本会議。

国会生活をしているうちに、「この際、暫時休憩します」というような「国会用語」に気づいた。
特に「この際」と「暫時」は多用されている。
こんな生活を続けていたら、日常会話でも「この際」などと言うようになりそうだ。

14時から、連合本部を表敬訪問。

慌てて戻って15時から代議士の部屋を一件訪問。
15時から始まっていた「少年犯罪総合対策プロジェクトチーム」に参加。
弁護士とジャーナリストから説明を受ける。
米国では、厳罰主義を保ちながら、更正システムを充実させている。
米国での「刑罰」というのはほぼ「隔離」を意味するようだ。
社会の安全を守るために隔離しておいて更正を徹底するという思想のようである。
日本のように、単なる年齢論議に終始する少年犯罪対策とはずいぶん違う。

18時から、衛星チャンネル・朝日新聞クロストークの収録。
社民党の辻元清美代議士と対談。
彼女は選挙中「お願いします」という言葉は絶対に使わなかったそうだ。
代わりに、「一緒に責任をとりましょう」と言い続けたとのこと。
こういう姿勢の人の方が、本当に国民のためによく働くのが最近の傾向だ。
選ぶ側も、頭を下げられたから「応援してあげる」という姿勢を改めない限り、良い政治家を得ることは難しいと思った。
また、そのスタイルで当選した辻元さんに敬意。

20時20分の新幹線で宇都宮に戻り、弔問一件。

■8月10日(木) 午前中、お世話になった方の告別式に出席。

午後は挨拶回り。

■8月11日(金) 6時36分の新幹線で東京へ。
8時から読売新聞の取材。

9時半に議員会館を出て、六本木のスタジオへ。
坂田カメラマンによるアエラの表紙の撮影と記者による取材。
坂田さんは長くニューヨークにいただけあって、日本の社会にもしっかりした客観的な目を向けている。

六本木から有楽町に向かい、12時から日本外国特派員協会の報道昼食会。
ここに招かれて講演するのは、民主党では鳩山さんと菅さんに次いで3人目とのこと。
公用語が英語とのことだったので英語で講演したが、これは、その国の母国語を使うというポリシーを持っている私としてはポリシー違反のような感じがして複雑な気分だった。
講演そのものは上々で、たくさんの質問もいただいた。
私の意見には多くの外国人記者の方たちがうなずいていた。
驚いたのは日本人の記者さんたちが多数紛れ込んでいて(?)、私の英語の講演をかなりの程度理解されていたことだった。

宇都宮に戻り、来客一件。

事務所で打ち合わせをした後、18時半から連合栃木で参議院議員選挙合同選対の第1回会議。

19時半すぎから、地元の盆踊り一件。

20時半からミニ集会。

23時前に事務所に戻って電話取材を一件受ける。
長い一日だった。

8月12日(土) 午前中、高校生の合唱団の激励。
「水島さんは高校の授業中どんな感じだったんですか」「高校のときクラブ活動は何をやっていたんですか」などと素直な質問を受け、あまり真面目な高校生でなかった私は返事に窮してしまった。

事務所で打ち合わせをした後、挨拶回り。

18時半から鹿沼で夕食会に出席。

その後、事務所で陳情の電話を受ける。

★今日の一言メモ
ある方から、男女は生物学的に脳の作りが違うので、男女共同参画というのは不自然なのではないか、クオータ制などはいかがなものか、という質問をいただいた。

男女が生物学的に異なるのは当然のことである。
もしかしたら、どういう仕事が向くか、という点についても、男女の平均値には差があるのかもしれない。
でも、人間の性質というものは、平均値を中心に広く分布しているものである。
例えば、ある仕事への適性は、男性の平均値の方が女性の平均値よりも高いかもしれない。
でも、A子さん(女性)が女性の中でも、その仕事に向いている方で、B夫さん(男性)は男性の中でもその仕事に向いていない方だとすれば、Aさんの方がBさんよりも、その仕事に向いている、ということは十分にあり得る。
今の日本は、「女性は、その職種に向いていない」という決めつけによって、A子さんのような人を、その職種から遠ざけようとする社会構造になっている。
このような構造を変えていくには、とりあえずはクオータ制のような制度によって、女性を積極的に、ある職種に近づけなければならないと思う。
それが実現したら、最終的には、「男性だから」「女性だから」という理由ではなく、「その人は、その職種に向いている」という理由で、性別に関わらずに仕事が選べるようになると思う。
ちなみに、私は政治家という仕事は、男女どちらにも向いていると思う。
だから政治の世界にクオータ制を導入することが必要だと思う。