2016年6月のツイートより(抜粋)

2016年6月のツイートのうち、反響の大きかったものを抜粋してまとめました。

 


6月1日(水)

 

(1)私は12歳から普通の英語教育を受け始めた普通の学生だ。でもラジオ「基礎英語」を聞くことができたので、英語教師(進学校)の発音がめちゃくちゃだと言うことは理解した。だからそこからはそこからは距離をとった。

(2)「基礎英語」をはじめ、ネイティブの英語だけを聞いた。学校では先生レベルの「イットー」みたいな英語を話した。

(3)英作文だけは絶対にしなかった。必ず英和辞書を見て、その文章どおりの文章を作った。ただしい英文を書けるように。

(4)結果として、今は英語のコミュニケーションを、そこそこの発音でできている。ネイティブにはもちろん劣るが。先日自分とAHの関係をぽっどキャストに載せたときは、「あなたの第一言語が英語でないということを忘れた」と言われた。自慢ではない。戦略だ。

 

(5)ちなみに、英会話教室も、塾も、何も行っていない。でも高2で家族でアメリカに行ったとき、壊れていた電球の修理を父が私に頼んだ。電話して惨状を報告したら何と!新しい電球が。どれほど父が喜んだことか(そしてますます英会話学校は遠い夢に。。。

 

AHにしろ「奇跡のコース」にしろ、人間の本質は愛(あたたかいこころ)で、そこに怖れが垢(大人からの叱責や、様々な怖れ)のようにこびりついてしまうのだ、という考えだ。私たちはAHなどを通して、自分の本質に立ち返るのだと。

 

私はジェリーに質問したことがある。「なぜもともと愛の存在だったのにわざわざ忘れて、思い出すの?」と。ジェリーの答えは「君は賢すぎるんだよ」だった。

 

その後いろいろ考えた。時間があり、身体を持っているこの世界に生きている私たちには、当然のごとくいろいろな怖れが生じる。その中で本質を思い出していくのではないか。心の平和を唯一の目的にするというのは、私たちの本質に立ち返ると言うことではないのか。

 


6月4日(土)

 

明日の高松でのAH入門ワークショップがどうなるかな、とともこさんからの報告を楽しみにしているが、結局いつも詳しい話にはならず(もちろん守秘義務もあるため)「AHっていいですね」が結論になる。「やっぱりAHっていいですね」を私とともこさんは年に何百回言っているか。

 


6月5日(日)

 

8月27日(土)一般向け対人関係療法セミナー「みんなで学ぶ対人関係療法」、詳細と申し込みフォームができました。3年目の開催となりますが、基本は変わらず、新しい情報のアップデートをします。どなたでもご参加いただけます。ぜひどうぞ。 ipt-event.com

 

今までのイベントでは、いただいたご質問全部に時間内に答える、ということが幸いにもできてきました。今回も全問回答を目指しますが、どうなりますことか。 ipt-event.com

 

2006年秋たった一人でAHJを始め、名札をカッターで切ったり、クリニックの待合室をワークショップ風に並べ替えたりと、一人で始めてきました。そんな過去があるから今ボランティアの皆さんへの感謝が強いのでしょうか。私などいなくても高松でAHの空間が広がる。素晴らしいことです。

 

さすがに日経新聞に大きく取り上げられ、多くのビジネスパーソンが参加された2007年秋は、通常の仕事の他に月8回の入門ワークショップを一人でやり、高熱を出しましたが。タイミングよく星和書店の方が別件でいらして、「怖れを手放す」の書籍とDVDの刊行となりました。

  

 


6月6日(月)

 

そうそう、私の「発明品?」がこの「逆転の発想」なのです。特に自虐的な方にお勧めです。自分に言っているようなひどいことを、大切な他人に言うだろうか? というところから、自分へのいじめに気づいていただくのです。

 

AHと同じく、すべては自分の選択なのだと思います。自分をいじめて一生を終わるのか。生まれてきて、人の役にも立ててよかったと思えるのか。私は後者を選びます。

 

「居場所がない」と感じる人のための本を、書き上げています。「自分なんて生きていたって・・・」と思う方、出版を待っていてくださいね。かんき出版です。

 

締め切りにはちょっと早かったけれど、「現代用語の基礎知識」、メンタルヘルスの部分を書き終わりました。ああ疲れた。

 

私は自由を至上主義にしているので、締め切りギリギリに仕事をするということはあまりしません。さっさと仕上げてしまいます。相手が設定した締め切りに拘束されるなんて、いやですから。(でも時間がなくてギリギリになることもありますが)

 

私の発明品?は他にも結構あって、たとえば「今は、これでよい」とか「横の比較と縦の比較」とか、「まし」を感じで「増し」と書くとか。まあ、特許権はとれないでしょうねえ。気の毒に思う方は本を買ってくださいませ。

 


6月7日(火)

 

アマゾンの書評だったかな、社会リズムについて「カントのような生活はできない。つまらない」というようなものがあったので、責任を持って私も社会リズムを守るようにしています。でも今日は眠気が全然訪れず、原稿を書き続けていますが。ごめんなさい。

 

雑誌に私の名前を見つけて喜んだけど、読んでみたらいつも私が本で言って言ることとあまりにかけ離れている、どうしちゃったんでしょう、というお問い合わせをいただいた。雑誌の場合、監修者のプロフィール欄が小さいので、他の人の監修部分まで私のものに見えるのかな?お問い合わせ感謝。

 


6月9日(木)

 

1年半ぶりくらいに再開したランニング。比較的速やかにペースを取り戻しつつある。膝の負担を考えて、決して速く走らないようにしているが、それでも息が切れることがないのは大学時代体育会で鍛えた心肺機能故だろうか。

 

ちなみに高校までの私は体育以外の通信簿はみんな左にまっすぐ並んでいて、体育だけが右端だった。その頃はちょっと走っても脇腹が痛くなっていた。まあ、人生、やる気になれば何歳からでも遅くないということかな。もう少し年をとったらウォーキングにします。

 

さらにちなみに。 体前屈もマイナス20センチみたいな人間だったが、近年ヨガを初めて、今は開脚頭床付けができます。

 

なぜランニングとヨガなのか。もちろん、有酸素運動と、柔軟+筋力運動の組み合わせだからということもあります。でも、どっちも家を中心にできるのです。家からランニングに出る。家でヨガをする。お金もかかりません。

 

前はジムに通っていたこともあるのですが(プールは貴重)、家からジムに行くまでの間にランニングが終わってしまいます。という時間的なこともあります。

 

不器用なのですが、絵を描くのは好きです。小さい頃の志望は漫画家(その後ピアニスト→小説家→革命家!!!!(今は絶対しませんよ))。人の似顔絵とか、案外上手です。人の能力って案外でこぼこですね。

 


6月10日(金)

 

今日はテレビの打ち合わせ2件。どちらも出演することになりそうだ。こういうのは季節性があるのだろうか。

 

修学旅行に行く中3息子になぜか2000円余計にとられたが、学生時代ずーっとぐれていたわたしにとって、まっすぐに教育を受けていく息子はまぶしい。私もそうだったらもっとよい性格になっていたかな。

 

考えてみたら、私が大学5年のときに「日中医学生交流協会」に参加して、中医(日本の漢方とは多少異なるが)の勉強のために各大学に滞在したのは、「学生として何かやっておきたい」という願望もあったのだろうな。ただぐれていることがもったいなくなったのかもしれない。

 

似顔絵のことを考えていたら、私と愛犬(メスのミニチュアダックスフント。頭はすごく悪い)の共通点に気づいた。黒目がちであること、そして寂しがり屋であること。

 

土曜の夜にテレビの収録があるのだが、医者ということで白衣を着て出るのだそうだ。恥ずかしい・・・(ま、白衣の優れた点は、下に着る服を選ばずにすむということだが)放映日は別なので、またお知らせします。

 

私はヒラリー・クリントンを尊敬している。自伝も細かく読み込んだ。「政治によって、社会に変化をもたらす」という目的がなければ、彼女はもっとピュアな人権派でいられただろうなと思うと何とも言えない気分になるが、それが政治だ。そして大切なのは変化をもたらすことだ。

 

政治は怖れをどう扱うかだと思っている。そういう意味ではピュアな人権派はある人達にとって怖れをもたらすだろう。そこをどれほどうまくやるかに政治家の力量が問われると思う。ヒラリーにも。

 

私が専門としている対人関係療法は、少々ソーシャルワーク的な要素も含む(周囲の身近な人にも手を突っ込む)。だから米国のソーシャルワーカー学会で人気が高い。私も日本で、PSW(精神保健福祉士・国家資格)に普及させたい。

 

たとえば20代で過食症を患ったとする。その人が40代でアルコール依存症を患ったとして、対人関係療法をかつて受けていたのなら、周囲の人が力強い味方になってくれるのではないか。

 

私は今自分がやっていることにまあまあ満足しているが、医療ドラマなどを見るとあの忙しい現場に戻りたくなる。でも、私よりもずーっと医療技術的に優秀な人たちがいるのだから、任せて自分がやるべきことをやろう。

 


6月12日(日)

 

患者さんをサポートしていて気になるのは、保育園入所における親の精神疾患の重視度。自治体によってかなりバラツキがあり、まともな診断書では入れないところも。うつがひどくて一日ネグレクト、トラウマ症状による激しい感情発作(自傷も含む)、そんな環境の子が入れないとは?

 

一億総活躍とかなんとか言っているが、それは「親が子どもを保育園に預けて働くこと」だけではない。子どもを安心できる環境で育てて、その子が持っている人柄や能力を引き出すことでもある。わかっているのだろうか?

 


6月14日(火)

 

”プロ”の人にはバカにされるかも知れませんが、私が今一番癒しを得るのは「遺留捜査」です。huluで見られる過去のドラマですが。シーズン2からが真骨頂ですが、ぜひシーズン1から見てください。被害者は語ることができないが、遺留品は語ることができる。毎回泣いています。

 

国際対人関係療法学会(ISIPT)の電話理事会が終了。本来隔月のはずが結局毎月になっている。やはり資格化の話は難しい。私も現在行っている調査に基づいて、会員制度についていくつかのモデルを提示する予定。各国に一律のモデルを押しつけるのは事実上不可能。

 


6月15日(水)

 

「現代用語の基礎知識」のメンタルヘルスの部分の執筆が少し前に終わった。例年よりも早い仕上がりで肩の荷が下りている。執筆者が私に代わってからは「この分野を読む」の総論部分を、単なる分析にとどめず、あるべき社会の姿、アプローチの仕方を織り交ぜるようにしている。

 

肩の荷が下りたとは言え、今週は金曜夜にテレビの収録、土曜朝の便で沖縄に行って講演。睡眠時間が必要な私には恐怖。そのあたりから校正地獄(今出版社に2冊入っている)。もっと余裕を持って仕事をしたいが、何しろ体力の限界が・・・。

 

それでも子どもが小さい頃は家族旅行でボーッとしたり旅行先で書きたい本を書いたりすることがリラックス源だった。子どもが反抗期や受験期に入ってくるとそういう時間は失われる。犬はかわいいが子どもとはやはり違う。メリハリがつけにくい。

 

宇都宮の支持者の方からメールをいただいて、ツイッターで息子(衆議院一期目に生んだ第二子)がもう中3なんて、と驚いていた。さすがに年頃の子どもの個人情報を公にはできないが、こっそり子ども達の写真を送った。

 

ダーティな政治家は常にいるが、そこには比較的「お金を配って足下を固める」というイメージがあった。つまり政治力・支配力の強化だ。今回の都知事騒動まで、個人的な贅沢のために政治資金を使った例があったのかな。浅学にして知らないが。

 

しかし。国会議員になってお金持ちになったなどと思ったことはないですね。政治資金と私生活を完全に切り離していたので、最初の当選までは8ヶ月間、週1回東京に通ってアルバイトして家計を支えていました(赤字でしたが)。現職になってからも歳費からは党費や秘書給与。

 

何かの参考になれば。国会議員の委員会派遣など正規の視察はなぜかファーストクラスが義務づけられます。ただし、泊まったホテルは例えば直前に小泉首相も泊まったという一泊3万円のロンドンのホテル。ロンドンのホテルは高いですから、決して異常ではない料金でした。

 

ノルウェーの視察では、今では当たり前になりつつエコホテルに初めて泊まりました。交換の必要のあるタオルだけを床に落としておいてください、というスタイル。視察のよさって、贅沢さよりもこういうところにあるのでは、と感心しました。

 

格安ビジネスって何?と思われた方用に。私がはまっているサービスです。間違いなくビジネスに乗れてビジネスラウンジも使えるのですが、例えばアムステルダムまで26時間かけて3カ所で乗り継いでいく、でも料金はエコノミーなみで行ける、というものです。しばらくめまいがします。

 

中国系の格安ビジネスに乗ったら、座席がフルフラットになっただけでなく、何と布団(敷、掛両方!)とパジャマつきでした。夜になったら乗客が妙に可愛らしくなってきたな、と思っていたら皆さんかわいらしいパジャマ着用で。もちろんぐっすり眠りました。

 


6月16日(木)

 

確かに自伝や伝記の全てが真実を語っていないだろう。私は小学校2年生のとき、日本語で読める伝記を毎日2冊ずつ読んでいた。夢中だった。将来精神科医になる芽があったとしたらこのあたりだろうか。伝記を読んでも、患者さんの話を聴いても、真実の軸を見る訓練になったのかも。

 

「居場所」に引き続き「他人の目」の本のタイトルで自己主張しております。どうも、「解決本」「ハウツー本」の方が売れるという印象が業界にあるようですが、少なくとも私の著書は、もっとしんみりした心に届くタイトルのものか、中立的なタイトルのものの方がよく売れています。

 

今回の決着はどうなるかわかりませんが、この頃以前よりも執筆ペースが落ちているのは、タイトル問題が大きいです。仮タイトル(テーマ)に基づいて心を込めて本を書いても、校正が終わるくらいの段階で、どんでん返しが来る(タイトルの最終決定権は出版社にある模様)からです。

 

仮約束をしている出版社はたくさんありますが、やはり今まで気心が通じて仕事をすることができた、そしてそれなりにたくさん売れて多くの方に影響を与えることができた、編集者さんとだけ仕事をしていこうかなと思う今日この頃です。もちろんタイトルも。

 

「怒り」「女子」が売れたあたりから執筆依頼が増えたので、自分に合った編集者さんと営業力のある会社を探してみようと、一通りおつきあいしてみようとやってきました。でも心をこめて書いた物がひっくり返されてしまうのは思ったよりもきついことに気づきました。

 

かつて楽しんでいたのは開発途上国における貧乏旅行。もちろん予約なく行き安宿で熾烈な料金交渉をして宿を決めていた。しかしおもしろいもので、本気で料金交渉をした宿は、私たちの安全を守り親切にしてくれた。人と人が真剣に向き合った結果なのだろうか。

 

次の都知事の候補は・・・という街角インタビュー(恣意的ではなく公平な基準を持ってほしい)を見ていて、「あーあ」という気持ちを隠しきれなかった。でもそれは有権者の意識の低さというよりも、政治についての情報提供の悪さが原因なんだろうな。

 


6月17日(金)

 

TBSの収録が終わった。疲れたけれども明日は朝から沖縄に行って講演。ゲラも持って行かねば。放映日の詳細は後日お知らせします。

 


6月18日(土)

 

那覇空港で飛行機を待っているところ。梅雨明けしたばかりの沖縄はすごい天気で、さっき見た外気温は35度だった。それでも多くの方が有料の講演に集まって熱心に聞いてくださった。また梅雨前線をまたいで帰ることになる。不思議な感じ。

 


6月19日(日)

 

テロリストは必ずしも「流入」してくるものではなく、その土地で生活していた人が疎外されてテロリズムに共鳴するケースもある、という視点は見逃してはいけないと思う。

 

AHスカイプはともこさんの発明によって前からやっているが(国際的には初めて!)このたびAHLineを試しにやってみたら大成功だった模様。沖縄の講演でも質問の時間にAHの話も出、勇気を得た。さすが10周年、日本にAHがとてもよく受け入れられていることがわかる。

 

今まで、元支持者の方にも時々は元気な姿を見せたい、とテレビはほぼ無条件に出演してきたが、これからは内容を選ぶ必要があるかなと一昨日の収録時に思った。なんだかどんどん世捨て人になりそうだ。

 


6月20日(月)

 

私も、調子が悪いときでも講演や診療など人に会うときは元気にしている。これはプロ意識とも言えるが、明るさを相手に与えると、自分も明るさを受け取ることができる、というAHの原則がらみだとも思う。だから破綻しないでやっていられるのだろうな。

 


6月21日(火)

 

今、時間さえあれば(睡眠時間を削っても)熱心に見ているのが米ドラマ「クリミナル・マインド」。もちろん精神科医としてのサイコパスへの関心はあるが、それ以上に、テロ、ソマリア戦線の弊害をリアルに(米国寄りでなく)描いているのがすごい。とてもお勧めできる量ではないが。

 


6月25日(土)

 

(1)日本人はもともと自然に神を見出しており、いろいろな事情を受け入れることに長けていたということを私は考えている。それが日本人の精神性だと思う。それを単純に○か×かの二元論的に裁くような人たちが政権についていることに強い違和感を覚えている。

 

(2)しかもそのような人たちが「保守」「日本の伝統を守る」などと自分たちを称しているのはさらに違和感がある。一昔前の自民党の人たちには、「事情」のわかる、懐の深い人たちがいたように思うが。

 


6月26日(日)

 

今日、ランニング中にATMの場所を聞いてきた外国人カップル旅行者がいたので丁寧に教えてあげた。旅行者には英語で親切にしてあげるが、日本に何年も住んでいて英語で質問してくる人には、日本語で答えるようにしている。いくらなんでも「すみません」くらいは日本語で言えるでしょう。

 


6月27日(月)

 

史上最難関の校正を終えて、先ほど投函してきた。7月19日発刊予定の「居場所がないと感じるときに読む本」。評価は大きく分かれるのだろうなあ、と思いつつ、読んでほしいような、読んでほしくないような。テーマとの相性、編集者との相性など、いろいろあります。

 

「こんなツイートをした」と、ゲラを読んでもらった友人(普段はゲラを人に読んでもらうこともしない。それだけ自信がなかったのでしょう)に伝えたら、「いや、よく書けていたと思うよ」と。そうならよいけれど。

 

EUを「グローバリズムの象徴」と見るか「協調」と見るかで、英国民投票の評価は全く変わってくる。私はかつてド・ピルバン仏首相(イラク戦争をやめさせようと外相として奔走した人)と昼食を共にしたことがあるが、彼は東アジアにもEUみたいなものをつくったらどうかと強く提案していた。

 

どうでもよいことだが、ド・ピルバン元首相は、とてもイケメンだった。「日本も米国だけでなくもっと広く目を向けた方がよい」とはっきりと明言していた。

 

国民投票は、究極の直接民主主義だ。でも、その前提としてどれほど正しい情報が提供されているのか。今の日本のメディア(少なくともテレビ)がその役割を果たしているとは思えず、絶望的になる。

 


6月28日(火)

 

今日は中高一貫教育の学校で、「10代の子をもつ親が知っていたいこと」の講演。もちろん専門家としての講演だが、うちの子もまさに10代が二人なので、聴衆と気もあってよい雰囲気だった。

 

講演に行く途中、某有名人を含む選挙演説が聞こえてきた(幸い私と反対側の出口だったので会わなかった)。怖れをあおる演説で、聞いていてよい気持ちはしなかった。人の怖れをあおらずに、選挙をしたり政治を変えたりする方法は、真剣に考える必要がある。

 


6月30日(木)

 

自己肯定感の話をしていたら、「自己肯定感、持っていますか?」が増刷になりました。また、「十代」の講演の話をしていたら、「十代のうちに知っておきたい折れない心の作り方」が増刷に。こういう考え方が広がってくれること、癒される人が増えること、ありがたいです。