2015年8月のツイッターより(抜粋)

2015年8月のツイートのうち、反響の大きかったものの抜粋です。

 


8月1日(土)

今日はAHの実践ワークショップだった。日本でAHの活動を始めて、まもなく9年になるが、本当によかったと思う。人間の一番よい部分、人生の一番深い部分、この世で最も温かい部分に触れる感じ。

これは完全に個人的な印象だが、AHに熱心に参加している人は美しい。顔の造形とかもよいのかもしれないけれども、怖れを手放した顔、怖れを手放すことに意欲的な顔は、美しいものなのだろう。私も含めて、みんな年齢不詳だし。AHはアンチエイジング効果があるのだろうな。

誰がどんな価値観を持とうとかまわない。大切に育てられなかった人が人を大切にできないのも理解できる。でも、たった二人だが子どもを育てることに人生の半分以上のエネルギーを使っている私としては、どんな人の命も尊重してほしい。問題行動を起こすよりも「助けて」と言ってほしい。

安全保障の領域に、絶対はない。絶対を確立するには、高度に人間的な素養が必要になる。地球のバランスにも長けていなければならない。そんな基盤もないのに「断定」する首相は何なのだろうか? ほとんど新興宗教と同じ。私はAHで頑張る。

 


8月3日(月)

ありがとうございます。ちょくちょく「里帰り」しているんですよ。江戸っ子の私にとって、田舎は宇都宮です。行けば煮物とかお赤飯とか用意して待っていてくださる宇都宮の皆さんには本当に「親戚」を感じています。でも冬の宇都宮の寒さだけは・・・ http://bit.ly/1g3lhVb

「取り返しがつく」発言とは何なのだろう? 政治家は、言葉が仕事。欠陥商品を作って、「ごめんなさい、うっかりしていました」は、一般社会の仕事では通じない。精神科医、国会議員、と、言葉を使う仕事ばかりしてきた私は、言葉の重みをとても強く感じている。

 


8月4日(火)

もちろん人間は完璧な存在ではないから、失言はあっても仕方がない。しかし、それが単なる「はしゃぎすぎ」なのか、根底にある信念を表現したものであるかは、簡単に判別可能。例えば私は「うちの子はかわいくない」なんて、死んでも言わない。

物作りを仕事にする人は、「物」がうまくできなかったときに、かなりの責任をとらされる。政治家の言葉も同じではないのだろうか。私は、医療者の言葉によって傷ついてきた患者さんをたくさん診ているので、ますますそう感じる。

歴史を振り返れば、「言葉」がどれほど人を救い、社会を変えてきたかがわかる。だから私も本を書いている。本を書くときには、愛のエネルギーをこめるように、念には念を入れている(初期の本は該当しないのでお許しを)。言葉のプロである政治家が「うっかりしていました」ですむのか。

人の言葉は武器のようなものだ。例えば、「ついうっかり」警官が全く無辜の市民を拳銃で撃ったら、どう思うだろうか。「すみません、ついうっかり」で許されるのだろうか。身体と心は違うと思っている人は、統計をよく見るとよい。人の幸せ度を決める第一因子は、心の健康だ。

「戦争に行きたがらない無責任な若者」と言うが、では、その発言者も含めて、安保法案を成立させようとしている人たちは戦争に行ってくれるのか? 若者達が、今後国際社会でどのような立ち位置を取りたいか、希望を持ってはいけないのか? 私のジャッジメントは「卑怯すぎる」。

先ほどのツイートで、「戦争に行ってくれる」は書きすぎた。「くれる」などという表現はいらない。「人殺しに行ってくれるのか」なんて言わない。反戦家クリント・イーストウッドの「アメリカン・スナイパー」は、戦争そのものをよく描いていると思う。それが人に何をもたらすか。

戦争の負の側面は至る所で語られてきたし、私も語ってきた。戦争体験者から話も聞いてきた。そういう意味では、クリント・イーストウッド監督の「アメリカン・スナイパー」は価値中立的だった。だからこそ戦争の悲惨さが余計に身にしみる。戦争賛成者の人の意見も聞いてみたいです。

本来日本人ってもっと礼節を重んじるのではなかったのか。ヘイトスピーチを聞いていると、「ああ、日本の繊細で配慮があり礼節をわきまえた文化はどこに行ってしまったのか」と悲しくなる。せめて丁寧に話しましょうよ。

私が耐えようと思えるのは天災までだけ。東日本大震災であれほどの貴重な命と人生を失った数年後に、なんで「不戦の誓い」というブランドを捨てるのだろう?

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8月6日(木)

アメリカで知った素晴らしい概念の一つが、Every child learns differently.つまり、それぞれの子に合った教育環境があるということ。決められたシステムに通えないことを問題視するよりも、その子に合った教育環境を http://bit.ly/1g3lYhr

時節柄、戦争映画を多く見ている。硫黄島の戦いを日米各サイドから描いたクリント・イーストウッドの二部作。米側「父親達の星条旗」は観ていたが、日本側の「硫黄島からの手紙」をようやく観た。結論は、「人間の本質は愛」と「戦争は、人間としての機能を損なう」ということ。

核兵器のない平和な世界を、という主張に反対する人の気持ちがわからない。本当にわからない。人間には、踏み込んでよい領域とそうでない領域があるのではないか。

是非観てみてください。硫黄島の戦いは米軍の勝利でしたが、それによってヒーローとされた人たちが決して幸福にならないということを。 http://bit.ly/1g3m1K3

私は、クリント・イーストウッドが優れた俳優だと思ったことは一度もないが(ごめんなさい)、映画監督としては本当に優れていると思う。特に、暴力的に扱われがちなシーンに人情を感じさせるのが上手。人間は人間なんだよ、と。

私は小さい頃、日本人であることをどうしても誇りに思えなかった。それはいわゆる「自虐史観」とは全く反対で、自分たちの犯した過ちを正当化しようとする姿勢に対して感じた違和感故だと思う。人間の弱さ故仕方ないが、これからは強く生きていくというメッセージがほしかった。

私は小3からぐれていたので、自分が納得することしか納得しません。特に権威のある大人の言うことは、そのまま信じることなどいたしません。 http://bit.ly/1g3lZSq

そうですね。じっくり観察してください。ついでにAH(attitudinal healing)にも興味を持っていただければ、なおさら理解が深まるとも。
参考文献は http://bit.ly/1g3nfVE
http://bit.ly/1g3m3lh

 


8月7日(金)

反中・反韓感情が何とかならないのかなと思って、AHのベースである「奇跡のコース」を世界に広めているWhitson夫妻に聞いてみた。どちらの国でも「奇跡のコース」は翻訳され熱心に勉強している人がいるそう。心の平和に焦点を当てれば、社会は平和になる。励まされる。

(1)そうそう、やせ我慢的美意識というのは、祖父(水島)に顕著に見られました。彼の東大の研究室で事故が起こり若者が亡くなりました。祖父はそもそも不在だったし責任はなかったのですが、母子家庭でやっと息子を東大に送った母上に申し訳なさを感じて、

(2)ずっと送金を続けていたそうです。これは祖父が亡くなってから、お弟子さん達によって明らかにされたことです。そんなことを知りもしない身内は祖父のことを「けち」と言い続けていました。ちなみに、誕生日が祖父と同じ私までついでに「けち」と。祖父を誇りに思っています。

私の父も、創薬による特許料がたくさん入ったらしいのですが、それを私物化しないで、若手研究者のために拠出してしまいました。普通に家計に入れてくれればもっと贅沢ができるのに、と思いつつも、そんな父が誇りです。そして結局私もAHを通して似たようなことをしています。

AHはどんな宗教とも、あるいは無宗教とも両立できる。宗教についてどうこういう立場に私はないが、分離を招くものには違和感を覚える。つまり「私たちが特別に優れている」という態度を取る人たち。どんな人でも、大切なものを大切に思う気持ちは変わらないのではないか。

 


8月9日(日)

パール判事ついては、中島岳志著「パール判事」がとてもわかりやすいですね。戦争で勝った方が一方的に敗戦国を裁くのは確かにおかしい。そのことと、戦争でどれだけの人を被害に陥れたかは別のことです。

私は、精神科医が権威に含まれるかと聞いて、倒れるほど驚きました。私にとって、それは永遠の勉強の対象だし、どこまでいっても「権威」などとは無関係だと思います。学問って何でもそうですよね。「元衆議院議員」は、「ああ、この人は政治の話もできるのね」程度でつけている肩書きです。

 


8月12日(水)

昨夜は、国際対人関係療法学会の理事会でした。本格的なリニューアル中なので、日本で学会を作るときの参考になります。ちなみに、今東京を離れているのですが、auのiPhoneのスカイプで、電話国際会議に普通に参加できる世になったなんて。(サボれないのですが)

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《水島広子スタッフより》
「緑のgoo」に水島広子のインタビュー記事が掲載されました。AHのこともたっぷり!
→第32回 精神科医/水島広子さん 心の掃除…不安を手放し自ら「癒やし」を – LOHAS – 緑のgoo : http://bit.ly/1g3m7Bg
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8月14日(金)

久しぶりに元厚労相の小宮山洋子さんに会った。国政を退かれ軽井沢に移住されたが、悠々自適に、かつ多くの地域貢献をしながら暮らしておられる模様。生きる姿勢は相変わらず、さすが小宮山さん。

 


8月16日(日)

私はAHで言う「怖れ」とは、トラウマ(私が名付けた「プチトラウマ」も含めて)と同義だと思っている。どちらも、自分が足りない、自分が損なわれている、という感覚。そして癒しこそが、私が取り組むように与えられた使命だと思っている。

 


8月18日(火)

ものーすごく久しぶり(10年以上ぶり?)にゲイの友人(年配なので先輩風だけれど)と連絡がとれて近々会うことになった。私を覚えてくれていたのも嬉しいし、つもる話が楽しみ。ちなみに私が彼と友人になったのは、初めて会ったとき20分ほど「美少年」に間違えられていたから。

 

今朝の朝日新聞「封印された『戦争神経症』」。組織由来の、また加害者としての、心の傷。戦争があらゆる意味で人間性を失わせるというのは本当のことだと思う。仮に生きて帰れても、一生その症状を負っていく。

 


8月19日(水)

現在増刷されておらず入手困難となっている拙著「トラウマの現実に向き合う」からの抜粋です。私が考える「ゆるし」について現時点で読んでいただけるものとして。 http://bit.ly/1g3magC

グーグルカレンダーにスケジュールを依存しているのだが、どういうわけか今日の大切な会食の予定が漏れていた。診療、取材が終わって、さて帰宅か、というタイミングで会食の時間だという連絡。慌てて駆けつけて、1時間遅れで到着。でも久しぶりに日米の大切な先輩と楽しい会食だった。

素晴らしい人たちと出会い、人生の質が上がることは本当にありがたいことです。でも、その出会いを実現してくれるのは、大野裕先生や、神庭重信先生、アメリカの共同研究者など、私の直属の先輩です。私も後輩によいチャンスを与えられるよう、頑張っています。

 


8月23日(日)

今日の研究会には慶應の医学部の学部生も参加してくれました。当時の私を思えば、部活をやめて、学校以外の人とのつながりを求めてある程度不良的行動をしていた時期です。「学生なのに勉強するの?」という変な疑問が私にはあります。もしも精神科医になるのであれば、もっと広く世界を。

 


8月24日(月)

約20年ぶりに年上のゲイの友人に会った。タイムスリップしたみたいに、ギャップを感じない親しさだった。東京にいる人だが、震災で店を閉じ、ボランティアをしてきた年月の話はきらめいていた。こういう人が私の人生の中にいてくれて本当によかったと感じた。

ゲイの友人のすばらしいところは、「誰から見た話か」を尊重してくれるところ。「広子先生からすればこういうことだったのね」という確認の仕方が、精神科医以上に上手だったし、結果としてとても落ち着いた。私が今親しくしている人全部に彼を紹介したい。

 


8月26日(水)

拙著「対人関係療法で改善する 夫婦・パートナー関係がまた増刷になるとの連絡。これ以外にも夫婦関係について書いてほしいという依頼は来るが、私はこれ1冊で結構役に立つと思っており、お断りしている。http://bit.ly/1g3mhbS

 


8月27日(木)

アメリカにいたとき、現地の人で、やはり「愛l」を「感謝」に置き換えて理解している人がいました。「感謝すべき」ではなく、「ああ、ありがたいな」と温かく思えるものなら、きっと「愛」と同じことなのだと思います。http://bit.ly/1g3mhbS

拙著「自己肯定感、持っていますか?」がまた増刷になるというお知らせ。6月に刊行して、まだ2ヶ月少々しか経っていないのに、そんなに多くの方に読んでいただける幸せな本。著者としては、今の世相を変えたくて書いたもの。 http://bit.ly/1g3mhbS

 

 

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《水島広子スタッフより》
郵便局で買える生活情報誌「Kiite!」9月号。
水島広子連載「こころの応援談」、今月は「優しくなれない私」です。 http://bit.ly/1g3mwE3
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拙著「女子の人間関係」の中国語版(台湾)の見本が届いた。装丁は同じ。
http://bit.ly/1g3mwE3 
http://bit.ly/1g3mzzz

今では来年末まで書く物が決まっている私だが、出版についてのここまでの道は決して平坦ではなかった。企画書を出して却下されたもの(これは次の会議で採用)、編集者の言うがままに書いて絶版になったものなど、いろいろ考えさせられた。今はとにかく愛をこめて書くのが鉄則。

 


8月28日(金)

以前「あさいち」に出演したとき、「援助交際」 をその「居場所」として扱っていてギョッとした。当日開始前に強く頼んで援交の危険性についてやっと言及してもらえたが。本当に「強く」頼む必要があった。http://bit.ly/1g3mBri

何と言っても一番は「トラウマの現実に向き合う」です。この本は1週間ほどで書き上げ、書き終わったときはもうこれで死んでもよいと思えました。今入手困難になっているようですが、版元を変えて絶対に復活させます! http://bit.ly/1g3lest

ありがとうございます。今度は文庫も視野に入れて、少しでも定価を安くできればと思っています。また、専門家でなくても手に取りやすいように。 http://bit.ly/1g3lest

(1)前もツイッターで愚痴ったような気がしますが、「あさいち」のもっとひどかったところは、ようやく「援交」から抜け、家族とよりを戻し、自分のような子の役に立ちたいと養護教員を目指すことにした子が、高校の成績証明書を取りに行ったという感動的なエピソードに対して

(2)「この子はおかしい。先生にため口を聞いている」と不満を言いつのったコメンテーターのM氏、そしてそれを誰も否定しない雰囲気でした。私はスタッフに「この番組が終わってから自殺者が増えたらNHKのせいですよ」と脅して、番組の締めの役割をもらいました。

(3)「今日ごらんになったように、理解のない大人達は多いですが、そんな大人ばかりでもありません。ちゃんとわかってくれる大人に助けてもらってくださいね」というのが確か私の締めの言葉でした。その辺は元政治家、時間きっかりで終わりました。

(4)発展途上の人間には、期待すべきレベルというものがあります。売春をして、家族との仲も悪く、さまよってきた子が、養護教員になりたい、そのための書類獲得に高校に出向くなんて、私はVTRを見ていて「頑張れ!」と涙が出ましたよ。ため口云々はもっとあとの話でしょう。

(5)「あさいち」問題もう一つ思い出しました。コメンテーターのM氏などがやたらと礼儀を無視して自分の意見ばかりぶつけるので、ニュースで時間があいた際にUアナウンサーに「ちゃんと均等に発言の機会をください」と頼みました。そうしたら「それはご自分で声を大きくして」と。

(6)仕方なくスタッフの方に、「こうやって声の大きいものが社会を支配していくから、行き場のない子ども達は救われないのですよ。か細い声にも、語る場を作ってください」と、これまたかなり強く主張しました。そうしたら、ニュースあけは私のコメントから再スタートしてくれました。

 


8月29日(土)

対人関係療法で、周囲の身近な人たちとの関係をダイレクトに聞いても答えない人の方が多い。でも、その人が今一番困っていること(子どもの不登校とか)について、身近な人たちはどう関わってくれているのかを聞くと、だいたい真相が見えてくる。

安倍さんのヤジについて過去に言及したらツイッターでぼこぼこにされたが、党首討論(安倍さんは当時官房副長官)の現場にいた私にとって安倍さんのヤジは、まるで街宣車がずっとわめき立てているようなものだった。 http://bit.ly/1g3mNXm

またぼこぼこにされるかな。でも私は安倍さんの教育・マナー係ではないので、私に何を言ってもブラックホールに吸収されるようなものですよ。

 


8月30日(日)

先日出版の打ち合わせの際「プロフィール写真がいい」と言われた(このツイッターで使っている写真)。一日の診療が終わり最も疲れた時間「ゆほびか」の取材で撮っていただいたもの。、ノーメイク、髪もボロボロ。でもわが子達はメイクして撮っていただいた写真を「ブス」と。

ありがとうございます! ずっと30歳の頃の写真をプロフィールに使っていたのですが、精神科の先輩から「いったい何歳のときの写真だ??」とクレーム(?)をいただいたので、「ゆほびか」のご厚意を得て、使わせていただいています。 http://bit.ly/1g3mQmd

写真話のついで。写真って、信頼関係が表れますね。「ゆほびか」のとき、私は、(ライターさんには失礼ながら)なんとなくカメラマンの方が最も私を理解してくださっているような気がしました。そうすると無防備なよい写真が撮れるように思います。

そしてそのデモに、先日来ご紹介している私のゲイの友人は、イデオロギーと関係なく、視覚障害者の方のお手伝いとして参加したのです。社会に希望を感じます。(彼のイデオロギーについては聞いていませんが) http://bit.ly/1g3mT1a

とにかく今絶対に必要なのは安保法制などではなく、貧困、恵まれない家庭の子ども達の「居場所」、メンタルヘルス、大きな視野での社会保障の確立、等々本当にたくさんあるのです。なんで安保法制のことでこんなに多くの時間とエネルギーを使わなければならないのでしょう。

 


8月31日(月)

メイク道具も持っていません(笑)。「基礎化粧」もしません。30過ぎから日焼け止めだけは塗るようになりました。テレビに出るときは顔がてからないようにメイクしてもらいますが、顔が息苦しい気がして、取ってから返ります。 http://bit.ly/1g3mTOW

さらに、すでにいろいろと問題がある自衛隊員の方たちの精神科医療費も増えるでしょう。もう現場はギリギリを通り越しているのに。これもつながった問題ですよね。 http://bit.ly/1g3mWu7

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《水島広子スタッフより》
本日掲載の水島広子連載記事「こころの健康便」最新版です!
東京新聞:「圧力」に対する手だては できるだけ「言葉」で確認を
http://bit.ly/1g3mYSs
”「役割期待」というのは、「自分は相手に何をしてほしいか」「相手は自分に何をしてほしいか」ということです”
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幼少時からの疑問。「喧嘩は悪いことなのに、なぜ戦争はいい?」「共産主義は理想的に思えるのに、なぜ怖い?」の2つ。後者は、「覇権主義」ではなく「できるだけ社会主義」(自分ができる範囲で障害者雇用するなど)を自分の道として生きている。が、前者の謎だけは解けない。

突然ですが、クリント・イーストウッド監督の「インビクタス」、まだご覧になっていない方がいらっしゃったら、是非お勧めします。南アの映画です。ゆるしについて、人間の不完全さと限りない可能性について、いろいろな角度から感動します。今の時代に必要な映画という気がします。

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《水島広子スタッフより》
”理解のない大人達は多いですが、 そんな大人ばかりでもありません。
ちゃんとわかってくれる大人に助けてもらってくださいね”
水島広子公式サイトに「『あさイチ』に出演して感じた違和感」を追加しました。
http://bit.ly/1g3n7p5
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9月1日(火)

安保法制に対する反対運動のよいところは、最近の社会的変化が基本的に「怒り」を反映したものだったのに対して、未来への責任、平和の希求、人間性の回復がテーマであるところだ。まさに「被害者」から「主体者」への変化。

私の念願の、広島での開催です。ぜひご参加ください! http://bit.ly/1g3nfVE

(1)映画と言えば、私が現職議員だった頃、「バトル・ロワイアル」が公開され話題となった。表現の自由を重んじる人と、テーマの残酷さに保守的になる人と、国会は二分された(もちろん関心のない人も多かった)。基本的に怖いエネルギーが嫌いな私はこの映画を好きとは言えない。

(2)当時「子ども有害情報」の法案に取り組んでいた私は議論に巻き込まれる立場となったが、結局のところ「強制された殺戮」の愚かしさを描いた映画なのかなと思った。今私の視野に入る「強制された殺戮」は、戦争と死刑。

このところクリント・イーストウッドの宣伝ばかりしている気がするが、私は俳優としての彼に魅力を感じない一方、監督としては鬼才だと思っている。そして、いろいろな映画に、「戦争で、正当な人殺しをした人たち」がその後死ぬまで苦しむというテーマが出てくる。

「怖れの眼鏡」の文庫化、この1週間ほど考えたり書いたりしてきましたが、「すでに書いたこと」が多すぎて、同じテーマで二度は書かないというポリシー(というか飽きっぽさ)に抵触します。幸い版元の光文社様にご理解をいただきました。罪滅ぼしに、よい本を書いてみたいと思います。

9月は両親と息子の誕生月。亡くなった父は母と2日違いの誕生日なので、墓参がてら二人のお祝いを。(と言いながら、母の誕生日はラジオ出演)息子は2001年9月11日に生まれるという運命を背負っている。反抗期で面倒ですが、人の事情を受け入れ、平和主義的な息子です。

ちなみに私はバッハと祖父、娘と同じ、3月21日生まれ。概ね、春分の日です。娘が私の30歳の誕生日に産まれてくれたこと、息子が運命的に特別な日に生まれたことは、人の誕生日を覚えるのが苦手(無関心?)の私に神様がくれたプレゼントだろう。

今日、野田聖子さんのパーティだったと聞き、女性政治家を激励しなければ、と久しぶりに野田さんに電話した。変わらぬ溌剌とした声で嬉しかった。お互い子育てを頑張ろうという話も。本当に、彼女みたいにバランスのとれた政治家にもっと活躍してほしい。

「怖れの眼鏡」の文庫化に取り組み、編集者さんの手も患わせてきたが、結論として「違うテーマを書きたい」ということでお願いすることになった。自分が生きている間に書ける文字数を考えると、適当な仕事はしたくない。いつも書きたいことを書きたい。版元さんにはただただお詫び。

お願いです。AHを福島へ、という要望を多く聞くのですが、今のところ開催地、事務局の中心となってくださる方について見当がつきません。もちろんこちらでもできるだけサポートしますので、「ここで開いて!」「連絡係はできるだけやるから!」という方、ご連絡をお待ちします。

 


9月4日(金)

「パーソナリティ障害」と安易に診断する風潮に危惧を感じている。遅くとも成人期早期までに、幅広い範囲にわたり、機能障害をきたしており、他の精神疾患との関連で説明できない、等重要な診断を軽く行う人の臨床的見識を疑う。本当のパーソナリティ障害は明らかに常識を超える。

自分がある程度「よくできた!」と思って世に出したものがボコボコにされたら、衝撃を受けて、自分を守る言動に出るのは当然の反応だと思います。家族やスタッフも含めて、警戒的・保護的になるのも当然でしょう。そういうのを「障害」と言うのはやめませんか?

私は野田聖子さんがとても好きだし、初の女性首相になってほしい。しかし、衆議院で安保法制に賛成したことも事実。そこに政治家としての責任は確かにある。新たな流れを作るために、叡智の限りを尽くしてほしい。本当に。