2012年8月のツイッターより(抜粋)

2012年8月のツイッターより、反響が大きかったものの抜粋です。


2012年08月01日(水)

Eテレ「オトナへのトビラ」の取材が終わったところ。「孤独力」なる言葉を初めて使ってみた。自分のありのままを受け入れることは、人との深いつながりにつながるだけでなく、一人で過ごす時間の質も高める。番組については詳細がわかり次第お知らせします。


2012年08月02日(木)

「お母さんの心がラクになる! 怒らない子育て」刊行しました。本書の原稿を初めて見た担当編集者の若い女性が、「子どもを持ちたいと初めて思った」と、感動の一言をくださった一冊。 もちろん、お父さん、それ以外の方もどうぞ。詳しくは http://t.co/ZRgt3viG

最近のいじめは特に集団の気分によって行われるので、いじめられた理由はわからないことが多い。するといじめ被害者は「人からネガティブな思いを向けられないように自分を完璧に整える」という対処法しか身につけられない。ストレスフルで、破綻しやすい対処法だ。

ところがそうした「最近のいじめ」には、驚くほど共通する構造があって、それを知ることができれば、「被害者が自分であったことの必然性」などなかったのだ、ということがわかってくる。誰が同じ立場に「はまっても」、同じようなことになるだけなのだ。

いじめについて学んでいくと、「自分が悪かったからいじめられた」というところから、「いじめという構造」に目が向くようになっていく。いじめによるトラウマを負っている人が社会でやっていけるようになるには、「自分が悪かったからいじめられた」という感覚の癒しが重要。

いじめられていたことを親に言うべきだった、という論調については、「親はもっと子どもを観察すべき」という啓発効果は認めつつも、言えなかったことには相応の理由がある。理不尽ないじめを受けた上に、それへの対処が悪かったなどという「二次いじめ」だけは絶対に作りたくない。


2012年08月05日(日)

改めて言っておきますが、いわゆる「新型うつ病」なるものは、うつ病ですらなく、大部分が、発達障害の方の適応障害だと思います。発達障害の方は、他者からの批判に容易に衝撃を受けてしまい、攻撃モードに入ってしまいます。これが「他罰的」と言われる部分です。

ところが、「新型うつ病」(甘やかされて育った人たちの困ったうつ病)という概念が広がったおかげで、何よりも困るのは本当のうつ病の人たちです。「あの人と同じ目で見られたくない」と、うつ病の診断書を拒む人もいます。当然の権利なのですが。

精神科医にとっても、「うつ病」という診断書の重みが本当に軽くなったと感じています。診断名よりも、中身の詳細な説明が命、という感じになっています。明らかに余計な仕事が増えています。

定型的うつ病患者さんは昔も今も自責的で、「新型うつ病」なるものに対する世間の論調に「やっぱり悪いのは私か・・・」と大変胸を痛めておられます。エセ専門家が「新型うつ病」なる言葉を提唱しようと、うつ病治療の本質は何ら変わりません。

職場では具合が悪くなるものの週末ディズニーランドに行ける、という時点で、うつ病ではなく適応障害の可能性が高いです。医師による正確な診断が患者さんの人生を救うというのは、どんな診療科でも同じですね。誤診が患者さんへの人格攻撃につながるのは大問題です。

ちなみに「非定型うつ病」も、「新型うつ病」とは全く違うもので、れっきとしたうつ病です。睡眠や食欲のパターンが、定型うつ病の方と違うだけで、その苦しさはとてもディズニーランドどころではありません。非定型のうつは、双極性障害のうつの方にもよく見られますね。

児童虐待防止法の抜本改正をしたときの主眼は「虐待を早く見つけて通報する」に主にとどまっていた視点を、「その後も生きていかなければならない子どもの育ち」に大きく広げたことだった。いじめについてはまだ前者の段階にいると思う。そして後者が必要なのも同じ。

いじめられ体験が人間関係の基本設定になってしまうと、その後も本当に長期にわたって影響を受け続ける。些細なことでも他者のネガティブな反応を異常に怖れるようになることも多い。「相手にもいろいろ事情があるのだな」などという余裕のあるものの見方は一般に難しい。

いじめを「極悪のいじめっ子」「見逃した・隠蔽した学校」という視点から見ている限り、効果的な前進は望めないと思う。コミュニティとしてこれをどう引き受け癒していくか、という修復的司法の視点が必要。それがいじめられた子の「人間の基本設定」を変えることにもつながるはず。

学校の先生はもちろん、子どもに関わる全ての職種の人が修復的司法のトレーニングを受けたらとても効果的だろうと思う(もちろんAHでも可)。いじめ対策(予防、発見、癒し)になるし先生たちの燃え尽き予防にもつながるだろう。そういう環境で育つ子どもたちの未来も楽しみ。

虐待者に対する見方はabuse(虐待)からin need(助けを求めている)へとシフトしつつある。いじめる人間も極度の「in need」だ。行為としてのいじめが断じて許されないということと、そんな行動をとるほどに「in need」なのだと見ることは、矛盾しない。

まとめていただきました。ありがとうございます。@montagekijyo 「いじめと修復的司法:水島広子氏(精神科医)」 をトゥギャりました。 http://t.co/HFGMk62p


2012年08月06日(月)

以前から思っているのは、AHの原則も、タイミングの合わない人にとっては「とても受け入れられないポジティブ」になるリスクがあるということ。AHを人に勧めない方がよいというのは、そういう観点からも言えるだろう。それぞれに合ったタイミングでAHが生かされますように。

「タイミングが合わない」というのは、例えば、トラウマやうつ病などの症状がまだ「症状」として本人に認識されていないとき。症状は症状として認識することが心の平和につながるというのは、とても大切な理解だと思う。

何らかの病気にかかっていて、その症状が出ている。それこそが自分のありのまま。症状を症状として認めることも、自分のありのままの受け入れの一つの形。病気を治したいと思う気持ちも、なかなか治らずに焦ったり絶望的になったりする気持ちも、全部が自分のありのまま。


2012年08月11日(土)

「いじめられている人」向けに何か書くとしたら、現在の自分についての感じ方(自分はだめな人間だという感じ方)が、いじめの結果として誰にでも起こる症状だということを知ってほしい。だめな人間だからいじめられるのではなく、いじめられる結果起こる症状としての感じ方。

「打ち込める何かを持とう」というメッセージも、私は好きではない。そう思っている間は「打ち込める何か」は見つからないことが多いし、そんな自分が「欠けている」と思ってしまうから。むしろ「今」を大切に生きることが、人生に「打ち込む」ことだと思う。


2012年08月23日(木)

ちょっと対象年齢は下なのですが、「怒らない子育て」がわりとそういう感じの本です。思春期の子にも応用できると思います。 http://t.co/R3Y2ToFE @mymt15 ところで一つ質問があるのですが、親子で交わした約束を守らない子にどう接すればよろしいでしょうか。


2012年08月28日(火)

拙著「対人関係療法でなおす 社交不安障害」 http://t.co/9ztwD6HZ が、同シリーズの「対人関係療法でなおす うつ病」 http://t.co/seLeFB50 と、「臨床家のための対人関係入門ガイド」と共に、また重版になるとのご連絡をいただく。

社交(社会)不安障害に対する対人関係療法は、対人不安をどうするか?という視点ではなく、症状としての対人不安はあるとしても、実質的に相手とどういう関係を築くかというアプローチ。「緊張せずに喋れる」ということを目標とするのではなく、「何を伝えるか」に注目する。

人が対人不安を持つようになる背景は様々だが、ひとたび対人不安を持つようになった後の悪循環は似ている。「対人不安をどうするか」への注目を手放すことは、悪循環からの解放につながるパラダイムシフトとも言える。多くの方に触れていただきたい考え方だ。