メディアのあり方

昨日パックインジャーナルに出演して、いろいろと思うところがありましたので一言。

★ 司会者の姿勢 ★

まず、司会の愛川欽也さんの姿勢に深い感銘を受けました。

パックインジャーナルは、いまどき珍しい「反権力」番組で、そのことも高く評価できるのですが、それ以上に、愛川さんの姿勢には最近のメディアに見られない気高さを感じました。

出演した自民党議員が中国の反日教育のことなどを例によって話していると、愛川さんが、「ほかの番組ではどうだか知らんが」と断った上で、自分の番組では、敵を作ってナショナリズムを煽るような姿勢は嫌いなのだ、ということを明言しておられました。これで会場の雰囲気が大きく変わりました。

先の総選挙を見るまでもなく、メディアの影響というのは異様に大きいものです。メディアがなぜこれほどまでに影響を持ってしまうのかということについては、先日もご紹介した「自民党が負けない50の理由」にいくつか分類されていますが、たとえば、毎日のように「中国では反日教育が・・・」というようなことをメディアを通して見聞きしていると、それが「真実」であるかのような気になってしまうのです。
司会者の役割というのは案外大きく、ゲストがそういう発言をしたときに、そのまま「ほう、ほう」と聞くのか、それとも、愛川さんのように発言の位置づけをきちんとするのか、という姿勢一つで、受け取る側の印象が大きく変わります。

すべての番組で、司会者が愛川さんのような姿勢をとってくれれば、それだけで日本は大きな可能性のある国になるでしょう。

★ メディアの生命線 ★

昨日のパックインジャーナルのテーマの一つが「NHK民営化議連(自民党)」でした。私自身は、公共放送は必要だと思っているので、何でもかんでも民営化という立場には反対です。なぜ公共放送が必要かというと、災害放送などももちろんなのですが、質のよいニュースやドキュメンタリーを、スポンサーの意向を気にせずに追求できることも、公共放送でなければできないことだと思うからです。

ところが、今のNHKは、国民が知りたいことを報道する、という本来公共放送に期待される役割ではなく、政府が知らせたいことを報道する、という本末転倒な役割を果たしてしまっているところが大問題です。これが、例の従軍慰安婦番組をめぐる政治圧力問題でも明らかになったところです。

もう一つ、NHKが、政官業の癒着の構造を作り出してしまっているという点も、改革が必要な大きな問題です。公共のための放送ではなく、公共の料金に群がる利権の複合体が作られてしまっているということでしょう。

NHK改革のために必要なことは、現在NHKが考えているような、「受信料の不払いをなくせば、改革が進む」というトンチンカンなことではありません。
利権の構造をなくすことももちろん重要ですが、それ以上に大切な問題として、この機会に考えるべきなのは、メディアの姿勢です。

今まで、日本のメディアは「中立」を旨としており、政治的に、右か左かどちらかに偏っていると問題だとされてきました。そして、なぜか政府は「真ん中」という位置づけになることが多かったように思います。
その結果として、多くのメディアが政府の御用放送のようになってしまい、パックインジャーナルのような番組が「いまどき珍しい反権力番組」ということになるのです。

でも、メディアの生命線は、本当に「中立」なのでしょうか。そうではなく、「独立」なのだと私は思います。スポンサーによって立つ民放であれば、完全な独立はありえないとしても、少なくとも、「公共放送」については、政府からの独立はもちろん、すべてから独立であるということが生命線なのだと思います。

NHKの予算承認を国会で行っているというのも、独立を妨げる一つの要因でしょう。「予算を通してもらわないとどうしようもないから」というのが、NHKの人たちが与党の政治家に気を遣う大きな理由だと言われています。

NHK問題が、「受信料を払わない人が増えたから、今のままではもたない。民営化しよう」という安易な方向に進むのではなく、これを機に、ここのところあまりにもおかしいメディアの方向性が是正されることを心から祈るものです。

そして、政府の提灯持ちのような番組や、公務員や官僚を単に批判する憂さ晴らしのような番組ではなく、権力をきちんと検証し、あるべき方向性を建設的に模索しようとするパックインジャーナルのような番組がもっと増えることを、さらに、愛川欽也さんのように、「人として望ましい姿勢」を身をもって示せる司会者が増えることを、心から期待しています。

CS放送出演のお知らせ

11月19日(土)11:00~13:00、朝日ニュースター(CS放送)の「愛川欽也パックイン・ジャーナル」にコメンテーターとして出演します。

テーマは、日米首脳会談、APEC首脳会合、日韓首脳会談、医療制度改革などになるようです。

CS放送をご覧になれる環境の方は、ぜひご覧くださいませ。

自民党が負けない50の理由

 10月31日、宇都宮にて、選対解散式を行いました。選挙を共にたたかってくださった選対役員の方たちがお集まりくださいました。これで、選挙後の処理が一段落したということになります。選挙後の厄介な仕事を共にお引き受けくださった方たちには心から感謝を申し上げます。

 また、10月20日をもって、現職時代の事務所体制を終結しました。事務所本体、ボランティア事務所、私設秘書が5人、という体制は、とても現在の財力では無理ですので、事務所本体と秘書1名程度の体制に変えることになります。どの程度の体制を維持できるかは、今後の党本部とのやりとりの結果次第、ということになります。
 私の事務所では、政治家事務所には珍しく、かなりのやせ我慢をして、雇用保険を含めて秘書全員の社会保険を完備しておりましたので、何とか気持ちよく事務所を縮小できそうです。

 さて、選挙が終わってから、いろいろな場で「総括」をする機会がありました。その都度、いろいろなご意見をうかがってきました。「水島を支持しているとわかると、自治会から声がかからなくなる」という「村八分」現象が、栃木一区ではまだまだあちこちで報告されています。また、「水島は六本木ヒルズに住んでいる」というデマは、泉町(宇都宮の飲屋街)で毎晩のように語られていたそうです。「自民党は、日頃の飲み会の一つ一つが、結果としては選挙運動になる」と、支持者の方がいみじくもおっしゃったように、自民党ネットワークが地域のネットワークとどれだけ一致しているか、というのは、野党サイドで選挙をやった人間しかわからないかもしれません。

 最近、全ての「総括」が書かれていると思う本に出会いました。

「50回選挙をやっても 自民党が負けない50の理由」(土屋彰久著、自由国民社 1400円+税)

という本です。
 2004年7月に発行されたこの本を、ひょんなことで読み始めたのですが、私がこの6年間に身をもって体験したこと、そしてうすうす気づいていたことが、整然と書かれています。

 著者は、「むすび」の中で、本書の内容について「これは全く勝手な憶測だが、ある部分では納得し、ある部分では疑問を覚えたという人が大半であり、しかも人それぞれで、納得した部分、疑問の残った部分は違うのではないかと思う。ついでに憶測を重ねさせて欲しい。あなたが納得した部分というのは、他の部分に比べて、あなたがより多くの知識を持っていたり、日頃から関心を持っていた分野のものではなかったろうか?」と書いています。

 この6年間、政治活動に専念してきた立場からは、この本の内容はほとんどが「より多くの知識を持っていたり、日頃から関心を持っていた分野」ということになりますが、まさに、納得の連続でした。

 政治関係の本としては、近年まれにみるヒット商品だと思います。ぜひ皆さまもお読みになることをお勧めします。そして、この「50の理由」を覆すにはどうしたら良いのか、現実的なご意見をいただければ幸いです。

Attitudinal Healing(AH)の国際会議に出席しました


10月20日~28日、渡米してきました。
国会を離れたら是非やってみたいと思っていた活動を始めるためです。

それは、Attitudinal Healing (AH)という手法を日本に定着させるということです。

Attitudinal Healing (AH)というのは、日本語では「対人姿勢による癒し」とか「生き方を変えるヒーリング」などと訳されているようですが、いずれもピンとこないので、ピンとくる言葉を思いつくまでは、原語のままAttitudinal Healing(日本語読みすると、アティテューディナル・ヒーリング)、あるいは略語としてAHという表記にすることをお許しください。

今後、もっと詳しく説明していきますが、一言でいえば、ものごとに対する姿勢(Attitude)を変えることによって心の安らぎを得る、というやり方です。恐怖や不安、罪悪感という感情にとらわれて「敵」のいる人生を過ごしていくのか、それとも、こういった感情を手放して他者とのつながりを感じながら生きるのか、という選択は、個人の力で自由にできるという信念がその根底にあります。

AHは、1975年に、精神科医であるジェラルド・ジャンポルスキー博士と4名のボランティアによって、その活動がスタートしました。致命的な病を持つ子どもたちのサポートグループが、その始まりでした。

精神科医が創始者であり、末期がんの子どものサポートなどから始まって現在でも医療と深い関係があることから、一人の精神科医としても大変関心のある手法ですが、同時に、政治家としても高い関心を持っています。特に現在は、ブッシュ政権にしても小泉政権にしても、人の心に潜んでいる恐怖や不安を煽って皆が不幸になる方向に社会を導く、という「不安の政治」が幅を利かせているわけですから、政治を変えるためにも、新たな「姿勢」が必要だと思っています。

致命的な病気を持つ子どもたちのサポートグループとしてスタートしたAHは、その後、そういった子どもたちの親やきょうだい、それ以外のさまざまな立場にある子どもや大人たちへと、その対象を広げてきました。現在では、病気と関係のある人たちだけでなく、教育現場、刑務所など、さまざまな領域へと活動が広がっています。
この活動が評価されて、今年は、創始者のジェラルド・ジャンポルスキー博士に対して、アメリカ医師会の栄誉賞が贈られています。

1977年に、カリフォルニア州ティブロンに設立されたAHセンターは、その後、より広い敷地を求めて同州のサウサリートに移りましたが、現在に至るまで、すべての人が無償でセンターを利用できるという環境を維持してきています。もちろんその裏には、いろいろな形でセンターに寄付をしたりボランティアをしてくれる多くの人たちがいます。大きなところで言えば、ドイツのルフトハンザ航空なども大口寄付者です。

現在では、AHは約30カ国に拠点を持ち、その活動は全世界に広がっています。

今回の訪米の主目的は、10月21日~23日に開かれたAHの国際会議に参加することでしたが、この国際会議でも、各国の状況を聞くことができました。

さらに私は、国際会議終了後には、AHの創始者であるジェラルド・ジャンポルスキー博士のご自宅に家族でお招きいただき、政治とAHについてなど、幅広く親しく懇談することができました。
また、センターを訪問し、親と死別した子どもたちのグループ、転移がんを持つ女性たちのグループ、介護をしている人たちのグループに参加することもできました。

この後、再び訪米し、国会議員時代にはどうしても不可能だったセンターでの研修兼ボランティアを半年ほどする予定です。

しばらくの間の私の活動の中心になりますので、皆さまには、また追って詳しく報告させていただきます。

国会議員の仕事と子育ての両立問題

 今回の選挙もまた、私にとってはデマとの戦いでした。今回も、膨大な量のデマが流され、今頃になってもまだ、「そんなデマも流れていたのか」と驚かされる毎日です。

 圧倒的なデマにまだまだ負けてしまうのは、それを信じてしまう人たちの問題でもありますが、それ以上に、長年築き上げられてきた自民党ネットワークが地域のネットワークと一体化しているということだと思います。
 
 今回もまた、デマの多くは荒唐無稽で笑ってしまうしかないような内容でしたが、一つだけ、論評に値するものがありましたので、少々書かせていただきたいと思います。

 それは、デマの主役であった、「水島は宇都宮に住んでいない」というものでした。「あの人はもともと東京の人で、家族も東京に帰ってしまって、本人も宇都宮には住んでいない」というデマは、選挙区の隅々まで見事に浸透していました。

 もちろんこれは基本的には嘘であり、私の自宅は宇都宮にありましたし、国会で議員宿舎にいるとき以外はもちろん自宅で生活しておりました。
 ただ、このデマにはそれなりの根拠があって、それは、子どもの学校問題なのです。

 このデマを加速させた背景には、私の長女が宇都宮の学校に行っていない、ということがありました。「もともと東京の人だから宇都宮の教育レベルに満足していないのではないか」などと言っていた人が多かったようですが、もちろんそんなことではありません。ことの本質は、「国会議員の仕事と子育ての両立問題」にありました。

 国会で、フルに立法活動をしようとすると、どうしても開会日は議員宿舎に泊まる必要が出てきます。国会での仕事をきちんとしている多くの議員が、平日は議員宿舎暮らしをしています。

 議員が子育て中の場合、子どもはどこにいるのかと言うと、これは人それぞれですが、親の滞在時間の長い議員宿舎近くの学校に行っているというケース、子どもは地元の学校に行っているというケースに分かれ、印象としては前者の方が多いのではないかと思います。

 どちらも一長一短がありますが、親子の時間を多く持とうとすると、やはり子どもの学校は議員宿舎の近くにした方が良いということになります。

 私の場合は、子どもとの時間を最大限に確保することと、「落下傘候補」として地元での時間をできる限り確保すること、という二つの大きな課題がありましたし、また、落下傘候補ですから地元に実家があるわけでもなく、夫と二人で子育てを全て担っていましたので、他の議員よりもさらに工夫が必要でした。

これは私しかやっていなかったパターンではないかと思いますが、金曜の夜に家族そろって宇都宮の自宅に戻り、また、週末を終えると家族そろって東京に出てくる、ということを続けていたわけです。子どもが保育園のときには、無認可保育所を活用して、水・木・金は東京の保育所、月・火・土は宇都宮の保育園、という二重保育をしていましたが、さすがに学校は2か所というわけにはいきませんから、議員宿舎近くの公立小学校に子どもを入学させ、土・日は親子そろって宇都宮で生活する、ということを続けてきたのです。

 今回、「宇都宮に住んでいない」というデマがこれほど浸透したことは、家族に負担をかけながらも二重生活を続けてきた身としては残念の一言に尽きますが、国会での仕事に重きを置く議員が増えてきたこと、子育て世代の議員が増えてきたこと、を考えると、実はこれからの大きなテーマがそこにあるのではないかと思っています。

 国会は男女共同参画が最も遅れている領域の一つですから、今頃になってようやく「仕事と子育ての両立」がテーマになってきたということだと思いますが、国会議員こそ、自分の子育てには責任を果たす必要があると私は思っていますので、両立の文化がきちんと作られていくことを期待しています。

民主党の子ども政策会議に呼ばれました

 10月13日(木)、民主党の子ども政策会議に呼ばれ、今まで取り組んできた政策についての報告をしました。選挙以来、男女共同参画委員長としての引き継ぎなど、ちょこちょこと国会には行っていますが、13日には国会内で落選議員に次々と会って、お互いに笑ってしまいました。不要ダムの阻止など、大きなプロジェクトに取り組んでいた人たちが落選してしまったため、いずれも引き継ぎが大変で、落選議員たちがせっせと国会に呼ばれているようです。

 私が13日に報告したのは、「育ち☆育む応援プラン(民主党の未来世代応援政策は、最終的にこういう名前に落ち着きました)」、「子ども家庭省設置計画」、「特定暴力情報からの子どもの保護に関する法律案(かつて「子ども有害情報からの子どもの保護に関する法律案」と名づけていた法案ですが、「子ども有害情報」という言葉が抽象的なので、暴力と性暴力などに限定した「特定暴力情報」という呼び名に変えました)」です。

 「育ち☆育む応援プラン」は、「未来世代応援基本法」を中心に、「テマとヒマ」「お金」「個別のニーズ」という3本柱からなる応援政策です。これを統括するのが子ども家庭省ということになります。

 また、「特定暴力情報からの子どもの保護に関する法律案」は、私にとっては特に思い出の多い法案です。初当選後すぐに着手し、私が初めて自分で作った議員立法になりました。暴力や性暴力の情報が、住み分けられることなく子どもたちに垂れ流されている現状には多くの人たちが疑問を感じながらも、憲法の規定する「表現の自由」に抵触しうる、という理由で、ずっと手をつけられずにきたものです。

 もちろん、表現の自由は、民主主義社会の根幹として何にも増して堅持しなければなりません。でも、だからと言って、有害な情報から守られるという子どもの権利が犠牲になって良いということでもないのです。ですから、私は、「情報の住み分け」と「メディアリテラシー教育」の2本柱からなる法案を作りました。

 それでも、こういう「規制」(私の法案は規制ではないと思いますが)にアレルギーのある方たちからは、散々な攻撃を受けました。2001年の初頭には、つわりに苦しみながら、シンポジウムなどで一生懸命説明していたのを懐かしく思い出します。あのときの議論のおかげで、立法者としてはずいぶん鍛えていただき、また、度胸もついたと思います。

 この法案も、その後、少しずつ手を加え、先の通常国会で「特定暴力情報からの子どもの保護に関する法律案」と名前を変え、また、子どもの意見表明権も明記したところです。

 こうやって考えてみると、まるでこの時期に国会を離れることがわかっていたかのように、全ての作業が通常国会で一段落しています。解散が半年前だったら、「育ち☆育む応援プラン」をまとめることもできていませんでしたし、子ども家庭省の設置計画も作れていませんでしたし、「特定暴力情報」も「子ども有害情報」の名前のままだったわけです。
 13日の会議で、今までの経過を報告しながら、あの時期の解散で良かったと、改めてほっとしました。

 それと同時に感じたのは、やはり、取り組んでいる人が少ない領域では、一人の落選が非常に痛いということ。私にしか報告できないものがこんなにあるということは、私自身が責任者のポストにあったということだけでなく、やはりその政策に関わっていた人がそれだけ少なかったということでもあります。

 とりあえず、国会を離れても手伝えることは手伝おうということで、「育ち☆育む応援プラン」も、選挙前には要約版しか印刷できませんでしたが、本体を印刷する上でコラムの部分は私が書かせていただくことになりました。

第三の道を

 選挙が終わってからというもの、議員会館の引き揚げ(5年分の資料が山のようでした)、議員宿舎の引っ越し、お礼のご挨拶まわり、と、落選候補者というのは案外忙しいもので、未だに落ち着きません。そんな状況のため、「敗戦の弁」をホームページにアップして以来、ご挨拶もできずにまいりましたことをお許しください。

 衆議院議員としての5年間、栃木1区の皆さまはもちろんのこと、全国の皆さまから様々な形でいただいてまいりましたご支援やご指導に改めまして心から感謝を申し上げます。野党の一議員ではございましたが、目に見える形でもいろいろな成果を残すことができましたこと、また、私が初めて選挙に出た頃に比べますと、「子ども」「子育て」という言葉が政治の主流になってまいりましたことは、本当に嬉しいことです。「子どもたちが健康な心をもって成長できる社会の実現を」と訴えたときに、「子どもには票も利権もないから、そんなことを言っていたら当選できない」と諫められたことが、今となっては懐かしく思い出されます。(まあ、今回の選挙でも相変わらず「水島は子どものことしかやらない」というデマを流されましたが)

 さて、9月24日、水島広子と歩む会主催の「ベアテの贈りもの」上映会に続き、水島広子と歩む会の拡大幹事会が開かれました。そこで、今後に向けての話し合いが行われました。

 今回の選挙は、当選のために全力を尽くしてまいりましたが、残念ながらこのような結果となりました。「10万人以上の人が投票したのにおかしい」「前回よりも得票数が多いのに」と惜しむ声を多くの方からいただいていますが、小選挙区制という選挙制度のもとでは、この結果が現実です。

 選挙が終わってからというもの、特にマスコミの方たちから、「次の選挙に出るのか出ないのか」という質問をいただき続けています。私は、「候補者が落選すると、捲土重来か、政界引退か、その二者択一しかないという発想が貧困だったのではないか」と指摘させていただいています。

 私はもともと議員になることが目的だった人間ではありません。「一人一人の心が健康な社会を作る」という目標のために、与えられた条件の中で、最も効果的だと思われる手段を追求してきた人間です。もちろん、政治のあり方が人の心に与える影響は大きいものですし、特に、今回の総選挙後の政治状況は看過できるものではありません。

 単に「次の選挙に出るのか出ないのか」という発想ではなく、日々移り変わる政治状況の中、また、自分に与えられた条件の中で、引き続き、最善を尽くさせていただきたいと思っています。

 先日、下野新聞が「注目したい第三の道」というコラムを書いてくださいましたが、まさに、「捲土重来か政界引退か」という二者択一から解放された「第三の道」を多くの人が歩むことができれば、日本の政治はもっと活性化すると思っています。

 このような私の考え方を、水島広子と歩む会の幹事の皆さまには温かくご理解いただき、「どんな形であっても支援する」というありがたいお言葉をいただくことができました。

 もう少し落ち着きましたら、また折々の活動報告をさせていただきたいと思っております。今後ともご指導・ご支援いただけますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。

選挙事務所にてのごあいさつ(2005年9月12日未明)

 皆さま、まずはありがとうございました。このたびの選挙では、連合栃木の皆さま、簗瀬進総合選対委員長をはじめとする国会議員、県会議員、市会議員の皆さま、そしてそれぞれの後援会の皆さま、さらに水島広子と歩む会の皆さま、県外からボランティアに駆けつけてくださった方たちも、昼夜を分かたず全力でのご支援をいただき、本当にありがとうございました。

 何の利権も求めず、見返りも求めずに、ただただ「栃木から日本を健康に」したいという思いで、これだけ全力のご支援をしてくださった皆さまは、栃木県の宝だと思っています。本当にありがとうございました。

 6年前に元祖・落下傘候補として家族3人で宇都宮に移り住んできたときに、栃木一区の皆さまには本当に温かく迎えていただいたこと、本当に感謝しています。それから2回にわたって国政に送り出していただき、子どもたちが健康な心をもって成長できる社会の実現のために必要だと思う仕事をしっかりとさせていただけたこと、また、日本にもこんな国会議員が存在できるのだということを国内外に示せたことは、大変ありがたいことでございました。

 今回は、これだけの逆風選挙でありながら、前回よりも多くの票をいただき、10万人以上の方が「水島広子」と名前を書いてくださったこと、栃木一区の皆さまに心から感謝を申し上げます。でも、選挙というのは議会制民主主義の根幹をなす大変重要なものであって、その結果は結果が全てです。今回の選挙の結果を見て、これからの日本の政治が大変心配ではありますが、今回私は栃木一区の皆さまから「国会の外で働くように」というお声をいただいたわけですから、国会の外で、自分の目標に向かって、またできるだけのことをしっかりとさせていただきたいと思っております。 皆さまの今までのお取り組みに心から感謝を申し上げますとともに、まだ未熟ではございますが、今後ともご指導・ご支援をいただけますようお願い申し上げます。

国会報告 その5(2000.8.17発行)(後半)

■8月6日(日) 苦しい4時起き。
広島への原爆投下日であり、5時から平和祈念朝起き会に参加。

その後、雑誌コスモポリタンの人が朝食風景の取材に来る。
私はどんなことがあっても朝食を欠かしたことがないということを話すと感心してくれた。

10時から労組の定期大会に出席。

その後、支持者の方が鬼怒川の河原で開いたバーベキュー大会に夫・娘と共に参加。

13時から「秘書公募の会(仮称)」。
先日の秘書公募に応募され、惜しくも不採用となった方たちと親睦を深める会。
こんな会を開いて良いのかどうか迷ったが、より良い社会実現に向けて一歩を踏み出した方たちなのだから今後も交流を持ちたいと思って企画した。
30名近くの方が参加され、今後も会合を持っていくことになった。
話が弾んで予定を30分超過して15時半に終了。

相変わらず、「水島広子ネットワーク通信」の発送のためにボランティアの皆さんが袋詰め作業をしてくださっているので、民主党の事務所に顔を出す。

18時から、娘を連れて「みや祭り」に参加。
今日は、サンバを踊っている知人の激励。

その後、事務所のスタッフと久しぶりにゆっくりタイ料理の夕食を食べた。
偶然、行き会った労組の委員長夫婦と同席。

■8月7日(月) 8時から恒例のマンデーレポート。

その後、事務所に戻って後援会名簿のチェックなど事務作業。

10時45分の新幹線で東京へ。
取材を一件受け、13時半から、厚生省担当者が来訪。
明日の厚生委員会で質問するため、何を質問するつもりかを聞きに来るのだ。

民主党では、国対の方針で、「答弁は大臣か政務次官に」と決まっている。
官僚に答えてもらうのではなく、政治家同士が議論で渡り合おうという考え方だ。
私もその方針に賛成なので、「答弁は大臣か政務次官に」と伝えた。
すると厚生省の人たちが「大臣答弁は大きい質問だけにしてもらえませんか」「本当にこんなことまで大臣に聞くんですか」と抵抗。
「民主党の方針ですから」と押し切った。
(この後、政策秘書のところに電話があって、「ほかの民主党の先生方も役人に答えさせていますから、水島先生も」という脅し?があったそうだ。
さすがは私の政策秘書、「他の人はそうでも水島は水島ですから」と頑として聞き入れなかったとのこと。
政治家に答えさせると失言するかもしれないと思っているのか? この厚生省の姿勢はギモン)

15時から、教育基本問題調査会。
今日は日教組からの聞き取り。
16時に中座して、新幹線で宇都宮へ。

18時から、民主党の県連の幹事会。
小林代表も簗瀬代表代行もいなかったため、私が座長を務める。
選挙で県連が背負った借金を返済するための「躍進パーティー」が話題。
私は政治資金パーティーをやらないでいこうと思っているが、党が背負った借金であれば仕方がない。
それにしても、きついノルマに気は重い。
皆さま、どうぞご協力をお願いいたします。

■8月8日(火) 7時32分の新幹線で東京へ。

9時から取材。

10時から厚生委員会。
今日は雪印問題についての集中審議。
午前中は、雪印社長やジャーナリストなどの参考人質疑。
午後からは政府に対する質疑。
私の質問は14時55分から20分間。
委員会質問は初めてだったが、代表質問と違って、何度でも再質問できるからやりがいはあった。
今後に向けての安全衛生対策について主に質問した。
私は、質問とは、相手を責めるよりも、「これからはこれをやります」という答えを引き出すためにやるものだと思っている。
特に厚生行政の場合、命に関わる問題だけに、今後の方針が重要だ。
そう思ってどんどん質問していたら、後で、取材していたフジテレビの人から「他の議員よりも淡々と質問していたが、一番多くの答えを引き出していた」とほめられた。
委員会質問は病みつきになりそうである。
大臣は参議院の予算委員会に出席していたため、私は政務次官にもっぱら質問。
途中で厚生省の局長が答えそうになったが、「私は政務次官にお願いしています」と、断った。

厚生政務次官(公明党)はとても有能な人なので、質疑応答もとてもテンポよく進めることができた。

16時に厚生委員会が散会し、議員の訪問を一件受けて(子ども病院に関する件)、16時半から子どもプロジェクトについて肥田美代子代議士と打ち合わせ。

17時半から取材。

19時から、枝野幸男代議士の呼びかけで「公募の会」。
枝野さんを含めて公募で当選した6名が集って意見交換をした。
今後は、落選した人も含めて公募の会を充実させていくこととなる。
遅くなって新幹線がなくなってしまったため、初めて議員宿舎に泊まった。
最も家賃が安いので決めた青山宿舎は「お化け屋敷」と言われているほど古い建物だが、私にとっては全く問題のない宿舎だった。
こんな宿舎を嫌がるとは、皆さんちょっと贅沢なのでは?
送っておいた布団を箱から取り出して何とか眠る。
全く足を踏み入れたことのなかった宿舎を片づけたりしていたら、結局宇都宮に帰るよりも睡眠時間が短くなってしまった。

■8月9日(水) 議員宿舎から地下鉄で出勤。
8時から厚生部会。
医療費と医療法の件で厚生省から説明を受ける。
老人医療費が高いのはわかるが、またしても「自己負担を増やすことで医療費を抑制する」というパターンの話であるため憤慨。
現在、たくさんの科にかかって浴びるように薬をもらっている老人でも、漢方治療や鍼治療を採用することによって医療費を軽減することができる。
そのような質的な改革なしに、単に医療費を削減しようとするのは、専門家でなくてもできることだ。
不要な(?)医療を受けている人の受診を抑制するために自己負担を上げても、結局苦しむのは本当に必要な医療を受けている人たちだ。
このあたりのことを意見する。
また、医師の臨床研修を義務化するということだが、その間の給料を保証しないと、研修中なのに一人前の顔をしてアルバイトするという習慣は変わらない。
また、アルバイト禁止にすると、20代半ばまで親のスネをかじれる一部の人しか医者になれなくなる。
そのあたりのことを指摘した。
ちなみに、私は研修医時代の月給は2万5千円。
休日返上で当直をたくさんやって食べていた。

9時から、介護保険をより良くするプロジェクトチーム。
関係団体から説明を受ける。
宇都宮の方も見えていた。
介護保険がどう考えても多くの問題をはらんでいるということを再認識。

10時半から、青少年問題特別委員会。
閉会のための儀式で、すぐに終わる。

10時45分から、ダラス=モーニングニュースのアジア支局の取材(英語)。

11時半から、日経ウーマンの取材。

12時半から、厚生委員会。
こちらも、閉会のための儀式。
12時40分から、代議士会。
13時から、本会議。

国会生活をしているうちに、「この際、暫時休憩します」というような「国会用語」に気づいた。
特に「この際」と「暫時」は多用されている。
こんな生活を続けていたら、日常会話でも「この際」などと言うようになりそうだ。

14時から、連合本部を表敬訪問。

慌てて戻って15時から代議士の部屋を一件訪問。
15時から始まっていた「少年犯罪総合対策プロジェクトチーム」に参加。
弁護士とジャーナリストから説明を受ける。
米国では、厳罰主義を保ちながら、更正システムを充実させている。
米国での「刑罰」というのはほぼ「隔離」を意味するようだ。
社会の安全を守るために隔離しておいて更正を徹底するという思想のようである。
日本のように、単なる年齢論議に終始する少年犯罪対策とはずいぶん違う。

18時から、衛星チャンネル・朝日新聞クロストークの収録。
社民党の辻元清美代議士と対談。
彼女は選挙中「お願いします」という言葉は絶対に使わなかったそうだ。
代わりに、「一緒に責任をとりましょう」と言い続けたとのこと。
こういう姿勢の人の方が、本当に国民のためによく働くのが最近の傾向だ。
選ぶ側も、頭を下げられたから「応援してあげる」という姿勢を改めない限り、良い政治家を得ることは難しいと思った。
また、そのスタイルで当選した辻元さんに敬意。

20時20分の新幹線で宇都宮に戻り、弔問一件。

■8月10日(木) 午前中、お世話になった方の告別式に出席。

午後は挨拶回り。

■8月11日(金) 6時36分の新幹線で東京へ。
8時から読売新聞の取材。

9時半に議員会館を出て、六本木のスタジオへ。
坂田カメラマンによるアエラの表紙の撮影と記者による取材。
坂田さんは長くニューヨークにいただけあって、日本の社会にもしっかりした客観的な目を向けている。

六本木から有楽町に向かい、12時から日本外国特派員協会の報道昼食会。
ここに招かれて講演するのは、民主党では鳩山さんと菅さんに次いで3人目とのこと。
公用語が英語とのことだったので英語で講演したが、これは、その国の母国語を使うというポリシーを持っている私としてはポリシー違反のような感じがして複雑な気分だった。
講演そのものは上々で、たくさんの質問もいただいた。
私の意見には多くの外国人記者の方たちがうなずいていた。
驚いたのは日本人の記者さんたちが多数紛れ込んでいて(?)、私の英語の講演をかなりの程度理解されていたことだった。

宇都宮に戻り、来客一件。

事務所で打ち合わせをした後、18時半から連合栃木で参議院議員選挙合同選対の第1回会議。

19時半すぎから、地元の盆踊り一件。

20時半からミニ集会。

23時前に事務所に戻って電話取材を一件受ける。
長い一日だった。

8月12日(土) 午前中、高校生の合唱団の激励。
「水島さんは高校の授業中どんな感じだったんですか」「高校のときクラブ活動は何をやっていたんですか」などと素直な質問を受け、あまり真面目な高校生でなかった私は返事に窮してしまった。

事務所で打ち合わせをした後、挨拶回り。

18時半から鹿沼で夕食会に出席。

その後、事務所で陳情の電話を受ける。

★今日の一言メモ
ある方から、男女は生物学的に脳の作りが違うので、男女共同参画というのは不自然なのではないか、クオータ制などはいかがなものか、という質問をいただいた。

男女が生物学的に異なるのは当然のことである。
もしかしたら、どういう仕事が向くか、という点についても、男女の平均値には差があるのかもしれない。
でも、人間の性質というものは、平均値を中心に広く分布しているものである。
例えば、ある仕事への適性は、男性の平均値の方が女性の平均値よりも高いかもしれない。
でも、A子さん(女性)が女性の中でも、その仕事に向いている方で、B夫さん(男性)は男性の中でもその仕事に向いていない方だとすれば、Aさんの方がBさんよりも、その仕事に向いている、ということは十分にあり得る。
今の日本は、「女性は、その職種に向いていない」という決めつけによって、A子さんのような人を、その職種から遠ざけようとする社会構造になっている。
このような構造を変えていくには、とりあえずはクオータ制のような制度によって、女性を積極的に、ある職種に近づけなければならないと思う。
それが実現したら、最終的には、「男性だから」「女性だから」という理由ではなく、「その人は、その職種に向いている」という理由で、性別に関わらずに仕事が選べるようになると思う。
ちなみに、私は政治家という仕事は、男女どちらにも向いていると思う。
だから政治の世界にクオータ制を導入することが必要だと思う。

国会報告 その5(2000.8.17発行)(前半)

国会報告(7/30~8/12)

■7月30日(日) フジテレビが朝食シーンを撮影に来る。
その後、代表質問の原稿を直して、庭を掘り返してコンポストを埋め、昼から街頭演説へ。
4カ所で演説。
遠くまで行ったので午後いっぱいかかる。

■7月31日(月) 自宅を出るときからテレビカメラが来ている。
8時から恒例のマンデーレポート。
終了後、10時8分の新幹線で上京。
東京駅で下車すると数社のテレビカメラが待ちかまえている。
外国人観光客がその光景を指さして「オー」と喜んでいた。

議員会館到着後、代表質問の原稿に最終の手直しをして、サンドイッチの昼食後、12時40分からの代議士会へ。
代表質問をする鳩山代表と私が挨拶をする。

13時から本会議。
まずは、25年間勤続の村岡兼造氏の表彰。
その後、代表質問に入る。
トップバッターは鳩山代表。
とてもしっかりした質問内容で、民主党議員全員拍手で応援。
自民党からは「政見放送するな」「選挙で勝ってから言え」などと下品なヤジが飛ぶ。
次に、自民党の小里代議士による質問。
与党による質問は何とも面白味がない。

14時半頃より私の質問。
随所でヤジが飛ぶが、そのたびに睨み付けると黙るということに気づいた。
しかし、国会のヤジというのは何とも異様だ。
国会程度の規模の会場で話すことは、学会などで慣れている。
しかも、原稿あり、日本語、ということだから、決して難しくないプレゼンテーションなのだが、今まで、学会だろうと会議だろうとヤジはなかったので、おもしろい初体験だった。
森首相の答弁は全くの期待はずれ。
「総理のお考えは」と尋ねているのに、「国民の議論が分かれている」「適切に対応していきたい」など、おきまりの文句ばかり。
考えてみれば、これほど不誠実な受け答えをされたのは、生まれて初めてかもしれない。

他の代表質問は、だいたい同じような質問ばかりで、森首相も全く同じ答弁の棒読みを繰り返していた。
代表質問は、事前に質問原稿を提出しなければならないので、前の人が同じことを質問していても変えられないのだ。
そんなシステムもおかしいと思うし、そんな事情をわかっていながら全く同じ答弁を壊れたレコードのように繰り返す首相も首相だと思った。
質問の余韻に浸る間もなく、どうしたらこの国会を健全な議論の場にできるのだろうかと考える。

本会議が終わると、取材がたくさん来ていた。
18時半から、1年生議員の同期会。
安い居酒屋。
私としては珍しく奮発してタクシーに乗っていったのだが、タクシーの運転手さんが「先生はハイヤーじゃないんですか」とか「あんまり高そうじゃない店ですね」などとさかんに驚いていた。
今回の選挙では、民主党の1年生議員が43人も当選。
活発に意見を言って党を活性化しようということになる。
なかなか純粋で真面目で良い仲間たちが多い。
二次会は失礼して新幹線で宇都宮へ。

■8月1日(火) 9時27分の新幹線で上京。
11時より、民主党の女性候補者への取り組みについて、大学教授によるヒアリング。
選挙戦全般の経過について、また、女性候補としての特別な支援が党からあったかなどについて説明する。
13時から取材。
14時からジャーナリスト専門学校の学生さんによる取材。
16時から慶応の「三田評論」という雑誌の対談。
戦後家族の変容について。

■8月2日(水) 6時36分の新幹線で上京。
睡眠不足なので眠っていこうと思っていたのに、簗瀬進さんと駅で遭遇し、政治論議を戦わせている間に東京に着いてしまった。
後悔しながら眠い一日をスタート。

8時から厚生部会。
厚生白書と国民医療費についてのヒアリング。
高齢化社会の話が中心。

9時から、介護保険をより良くするプロジェクトチーム。
介護事業に携わっている人たちを招いてのヒアリング。
同じ時間帯に行われた厚生部会のクローン法案の取り扱いについての会議には、政策秘書の鳥居さんに代理出席してもらう。
生殖医療の問題も絡んで、今後紛糾しそうだとのこと。

10時半から予算委員会の傍聴。
本日の傍聴は1年生議員に義務づけられている。
菅さんの質問に対してきちんと答弁できない金融再生委員長に代わり、官僚の人が答えている。
「大臣が答えろ」「時計を止めろ」などのヤジが飛ぶ。
傍聴に値する緊迫したムード。

11時半に中座し、韓国国会事務総長の秘書の方の表敬訪問を受ける。
私の当選を韓国のテレビで見たとのこと。
韓国の国会で行事があるときに私を招聘したいと事務総長の意向が伝えられる。
日韓それぞれの女性政策などについて話し合う。
勧告では、金大統領になってから、クオータ制や女性公務員の昇進など、意欲的に行っているとのこと。

テレビモニターで予算委員会の続きを見ながら、さらに、代表質問を見て多くの方が送ってくださったメールを読みながら、サンドイッチの昼食を取る。
予算委員会で菅さんが「水島さんが代表質問で聞いていたが、有害情報から子どもたちを守る法案を作ったらどう対応するか」と森首相に尋ねてくれた。

13時から公共事業コントロール法についての新人議員勉強会。
国民がきちんと公共事業をコントロールできるよう、つまり、必要な公共事業を迅速に進め不要な公共事業をストップできるよう、用意している法案。
民主党は公共事業を何でも反対していると誤解されているが、目指しているのはこのような当たり前の目標である。

14時から、年金改革検討プロジェクトチーム。
講師を招いて、年金制度について広く学ぶ。
大切な問題であるため、衆参双方から多数が出席。
今まで、国会には年金を専門的に扱うセクションがなかった。
このため、年金について厚生省としっかり議論できる議員がいなかったという。
「靴の底から足をかく」みたいな状況を打破して本当に理想的な年金システムを構築するためにも、きちんと勉強しようというプロジェクトチーム。

16時から、保育問題についての勉強会。
夜間保育所がなかなか増えない現状、認可外の保育所などについて、厚生省の保育課長を招いて話し合う。
「夜間保育所を充実させると親が子供を家に連れて帰らなくなるということを心配している地方自治体が多いのではないか」という発言があった。
私は、そのようなことを考えるよりも、まずはまじめに子育てしている人たちのために、夜間保育を充実させるべきだと思う。
私もそうだが、何も用事がないときはできるだけ子どもと一緒にいたいわけで、夜間保育をやっているからと言って子どもを預けっぱなしにすることなどまずあり得ない。
どうしても夜の会議がある、どうしても残業しなければならない、というような時に預ける場所が必要なのだ。
保育園が24時間保育だからと言って、全ての子どもが24時間預けられるわけではないはずだ。
むしろ心配なのは、「保育園があると親が手を抜く」という理由で無理やり子どもを家庭に返すこと。
無理のある環境での子育ては虐待の温床ともなる。
精神科で患者さんを見ていて、「こんな育て方をするくらいなら、保育園に預けっぱなしにしてくれた方が良かったのではないか」と思うケースにもしばしば出会った。
夜間保育を充実させること、そして、預けっぱなしになる親がいるようなら、個別にカウンセリングすること、それが子どもを最も保護できるやり方だと思う。
こういったことに対するデータを充実させるよう、厚生省に要請。
さらに、先日調査に行った殺人保育所「スマイルマム」について厚生委員会で集中審議をすることを厚生委員会のメンバーに提案。

17時半に、TBS来訪。
代表質問についての取材。

その後、宇都宮に戻り、ビアパーティ後の労働組合1軒訪問。

■8月3日(木) 6時22分の新幹線で東京へ。
8時から、構造改革に関する勉強会。

9時から、環境部会・循環社会プロジェクトチーム。

10時から、公共事業プロジェクトチーム。
計画が中止・休止されたダムについて。

11時から、東京新聞取材。

12時半から、来週厚生委員会で質問することになった雪印問題について、調査室からレクチャーを受ける。

13時半から、パートの均等待遇女性議員の会。
「女性差別」から「パート差別」に姿を変えた間接差別について。

14時半から、フジテレビ取材。

15時から、部落解放推進委員会総会。
途中で抜け出し、同時進行中の、外交・安全保障部門会議に出席。

16時から、教育基本問題調査会。

「文責・曾野綾子」という、内閣官房の諮問機関の報告文に非難が集中する。
「日本人へ」というタイトルのその文章は、自分を神か何かと勘違いしているのか、とにかく高圧的・断定的で、傲慢な表現に満ちている。
高所から見下ろして「私たちは全てを知っている。
お前たちはバカだ」というような、とんでもない雰囲気だ。
「父親は職場の姿を、母親は家庭の姿を子どもに見せるべき」というようなくだりもあって、今時、こんな画一的な公文書があることにギョッとする。
その表現を直すつもりはないのか、と尋ねると、内閣官房の担当者は「文章には勢いというものがありまして・・・」などと言い訳をして、問題を認めようとしない。
「勢い」があれば、何を言っても許されるのか。
片親の子どももいるわけだし、父親がもっと家に帰らなければならないというこのご時世に、こんな文章を書かせるために税金が投入されたとは。
他にも、この改革案は現場から見ると何十年も遅れているという意見などが出される。

もっと言いたいことはあったが、日本の教育の今後に危機感を感じながら、中座して宇都宮へ。

駅から盆踊りに駆けつけ、全速力で走ってようやく挨拶時間に間に合った。
会場で、「国会が忙しいと庶民の声が聞こえなくなるから国会はほどほどに」などと言われて力が抜けてしまった。
確かに、国会という場は、手を抜けばほとんど仕事をしないで済む場所だと思う。
反対に、やりたい仕事・やるべき仕事がたくさんあると、いくら時間があっても足りない場所だ。
国会の活動をろくにしないで政策抜きの地元回りばかりしている議員の方が評価されるという矛盾した現実に改めて直面して複雑な気持ちになる。

■8月4日(金) 7時57分の新幹線で東京へ。
9時半に連合の副事務局長が来訪。

10時から16時半まで厚生委員会。
今日は私の質問はない。
大臣の所信に対する質問が各党の委員から出される。
最も印象的だったのは民主党の山井(やまのい)代議士の質問。
彼は私と同じ30代の一年生議員で、私が子どもたちのために政治家になったのだとすれば彼は寝たきり老人のために政治家になった人。
グループホームの充実を訴えて、著書も何冊か出している。
身体を拘束されたお年寄りのスライドを見せながら、「私はここに山井個人として来ているのではなく、全国の寝たきりのお年寄りと家族の代わりに来ているのです」「私たちは2~3年と簡単に言いますが、お年寄りはその間に死んでしまうから間に合わないのです」などと発言。
自分自身の代表質問の時もそうだったが、今日の山井さんの質問では、党派を超えてうなずいてくれた人が多かった。
国会は変わりつつある、と楽観的な印象を持った一瞬だった。
もう一つ印象的だったのは、常任委員会だと言うのに、部屋がガラガラだったこと。
自分の質問時間以外ほとんどいなかった他党議員もいた。
確かに、座っていても発言の機会があるわけでもないのだが。
やはり最低限の義務ではないだろうか。

終了後、小児の医療についての取材を受けて、17時から雪印問題について厚生省のレクチャーを受ける。

■8月5日(土) 11時半から、宇都宮女子高校の新聞部の学生さんの取材を受ける。
12時半から、宇都宮市現業組合主催の「食まつり」にパネラーとして出席。
15時から、県立美術館でのジョージグロス展友の会主催記念レセプションに出席。
挨拶後、ジョージグロス展を駆け足で回る。
その後、民主党栃木県連の事務所でボランティアの皆さんが後援会報の発送に向けて封筒詰めをしてくださっているため、顔を出す。
1万通を超える発送のため、昨日から追ったり詰めたり、ものすごい量の仕事をこなしてくださっている。
ボランティアの皆さんの協力なしには何もできない事務所であるため、本当に有り難い。

事務所で浴衣に着替えて宮まつりへ。
来賓として、他の議員や市長とともにパレードをする。
なぜ政治家がパレードをするのかよくわからないが、皆さん喜んでくださった。

パレード終了後、老人ホームの盆踊りに出席して、どんぶりに長パッチ姿に着替えて、再び宮まつりへ。
土砂降りの雨の中、市場の皆さんと共に御輿を担いだ。

その後、事務所でスタッフと事務所体制の検討。
いろいろな話が出てすっかり遅くなってしまった。

★今日の一言メモ
国会報告の読者の方から、「週刊文春の記事について訴えないのか」という記者会見での質問にどう答えたのか、という問い合わせをいただきました。

A.別姓を維持するために夫と書類上3回「離婚」していることは事実であり、見出しが扇情的で一人歩きしただけで、記事の内容に対しては訴えることは考えておりません、と答えました。
(文春の見出しは、「水島代議士『三度離婚』でも政界失楽園の船田元に勝った理由」というもの)

余談ですが、8月3日発売の週刊文春はあまりにもひどいものでした。
小宮山洋子参議院議員のことを「上に弱く下に強い」「ジコチュー」などと書いて徹底的にバッシングしています。
ご本人の温かく誠実な人柄を知っている私には耐えられない記事です。
何のためにこんな記事が書かれなければならないのでしょうか。