『「心がボロボロ」がスーッとラクになる本』刊行しました

『「心がボロボロ」がスーッとラクになる本』を刊行しましたのでお知らせします。

頑張りすぎて、仕事・就職・人間関係に疲れたときのための、心を癒す43の処方箋です。

「心がボロボロ」と感じておられる方、その予備軍の方のお役に立てば幸いです。


内容(「はじめに」より抜粋)

今まで頑張ってきたからこそ、生き方を変えられる
ボロボロになってしまった今は、これまでの自分の努力のすべてが虚しく感じられているかもしれません。
でも、そんなことはありません。
本書を読んで生き方を変えていくとしても、それは、今まで別のやり方で一生懸命生きてきたからこそわかる価値。
今までのやり方ではとても自分がもたないということを、身にしみて感じたからこそ、今、本書を手に取られているのだと思います。
人間の生き方には、持って生まれた性格や、育った環境、周りにいた人たちの性格や価値観、今までの人生で経験してきたことなど、さまざまな要素が反映されています。
その結果としてある生き方をするようになるのは、必然とも言えるもので、頭で変えようとしてもなかなか変えられるものではありません。
そもそも、今の生き方はごく当たり前のものだと思っていて、問題意識すら持っていない人も多いでしょう。
心がボロボロになって、「このままではダメだ」「もう生きていけそうもない」と切実に感じない限り、人は変わることが難しいのです。
心がボロボロになった今は、生き方を変えるとき。
ここまで頑張ってきた自分を認め、その上で、今の自分に必要な変化を起こしていきましょう。

必要なのは「頑張り」ではなく「癒し」

生き方を変えましょう、と言われて、「自分はもうこれ以上頑張れない」と思った方もおられると思います。
すでに心がボロボロで、生き方を変える気力もない、全く前向きになれない、という気持ちかもしれません。
でも大丈夫です。
本書で言う「生き方を変える」ということは、自分にとって最も自然な形にしていくこと。
今までのように、流れに逆らって苦しみながら頑張るのとは、全く逆の方向です。
それは、魚が川の流れの中、自然にスルスルと泳ぐイメージ。

自分にとって最も自然な形になったとき、私たちは最も元気になりますし、生き生きと人生を楽しめるようになります。
もちろん、そのときには、心をボロボロにせずに、健康に「頑張る」ということも、またできるようになるはずです。

さくら舎
1470円(税込)

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「対人関係療法のプロが教える 誰と会っても疲れない『気づかい』のコツ」刊行しました

「疲れる気づかい」ではなく「元気になる気づかい」ができるようになるために書いた一冊です。

【内容】「はじめに」より

「気づかい」がわからない、「気づかい」に疲れたあなたへ

●「気づかい」上手になりたい、と思っていろいろと「気づかい」についての話を聞いたり本を読んだりしてきたけれども、なかなかできない
●先を読んで相手に寄り添うような「気づかい」をしろと言われても、うまく読めない。相手に寄り添ったつもりが、「余計なお世話」と言われることもある
●「気づかい」のポイントはタイミング、と言うけれども、そのタイミングがわからない
●相手をリスペクトしろと言われても、どうしてもできない相手がいる。そもそも人に関心を持つことが苦手
●あるところでは「積極的に自分の話をしましょう」と書いてあるけれども、別のところには「あまり自分の話ばかりしすぎてはいけません」と書いてある。いったいこの状況はどっちなのだろう、と悩んでしまう
●出過ぎた「気づかい」も控えめすぎる「気づかい」もいけない、さじ加減が大切と言われても、その「さじ加減」がわからない
●過去の失敗から、「気づかい」全般に消極的になってしまっている
●本に書いてあることを頭には入れてみたものの、「あれも気をつけなければ」「これも気をつけなければ」と思っているとすっかり混乱して逆に頭が真っ白になってしまい、単なる「気が利かない人」になってしまう
●もともと気をつかいすぎるタイプで、「気づかい」は上手。「気が利く人」とほめてもらえるのだけれども、自分自身は「気づかい」で燃え尽きてしまっていて、人と接することがストレス
●「気づかい」ばかりして、常に自分よりも相手を優先させてしまい、結局自分は何もできない。自分の人生がむなしくなる

 これらのいずれかに少しでも当てはまる人は、ぜひ本書をお読みいただきたいと思います。
 「気づかい」というのは、実は小手先のことではなく、かなり本質的なテーマです。
 「気づかい」上手な人を見てある行動を真似することはできても、それはとても限定的なものですし、ある状況には通用しても別の状況には通用しない、ということも起こってきます。
 どんな状況においても「気づかい」ができる応用力をつけるためには、「気づかい」とはそもそも何であるかを知っておく必要があります。
 また、「気づかい」の仕方を間違えてしまうと、自分が消耗してしまったり、自分の自由を奪ったりしてしまいます。本文でよくお話ししていきますが、実は、「気づかい」には二種類あります。「疲れる気づかい」と「元気になる気づかい」があるのです。
 前者の「疲れる気づかい」では燃え尽きてしまったり雑な「気づかい」しかできなくなってしまったりするのに対して、後者の「元気になる気づかい」をすると自分自身がどんどん元気になって、自由で力強い存在になっていくのが感じられると思います。
 周りの人も喜んでくれて、自分自身も癒されていく、そんな「気づかい」ができるようになりたくありませんか?
 どんな「気づかい」をするか、というのは、単に社会でうまくやっていくための方便にとどまらず、実は人生の質を決めていく、重要な心の姿勢です。「気づかい」を通して、さらに元気に、自由に、人生の可能性を広げていくために、本書がお役に立つことを祈っております。

日本実業出版社  1365円(税込)

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2012年8月のツイッターより(抜粋)

2012年8月のツイッターより、反響が大きかったものの抜粋です。


2012年08月01日(水)

Eテレ「オトナへのトビラ」の取材が終わったところ。「孤独力」なる言葉を初めて使ってみた。自分のありのままを受け入れることは、人との深いつながりにつながるだけでなく、一人で過ごす時間の質も高める。番組については詳細がわかり次第お知らせします。


2012年08月02日(木)

「お母さんの心がラクになる! 怒らない子育て」刊行しました。本書の原稿を初めて見た担当編集者の若い女性が、「子どもを持ちたいと初めて思った」と、感動の一言をくださった一冊。 もちろん、お父さん、それ以外の方もどうぞ。詳しくは http://t.co/ZRgt3viG

最近のいじめは特に集団の気分によって行われるので、いじめられた理由はわからないことが多い。するといじめ被害者は「人からネガティブな思いを向けられないように自分を完璧に整える」という対処法しか身につけられない。ストレスフルで、破綻しやすい対処法だ。

ところがそうした「最近のいじめ」には、驚くほど共通する構造があって、それを知ることができれば、「被害者が自分であったことの必然性」などなかったのだ、ということがわかってくる。誰が同じ立場に「はまっても」、同じようなことになるだけなのだ。

いじめについて学んでいくと、「自分が悪かったからいじめられた」というところから、「いじめという構造」に目が向くようになっていく。いじめによるトラウマを負っている人が社会でやっていけるようになるには、「自分が悪かったからいじめられた」という感覚の癒しが重要。

いじめられていたことを親に言うべきだった、という論調については、「親はもっと子どもを観察すべき」という啓発効果は認めつつも、言えなかったことには相応の理由がある。理不尽ないじめを受けた上に、それへの対処が悪かったなどという「二次いじめ」だけは絶対に作りたくない。


2012年08月05日(日)

改めて言っておきますが、いわゆる「新型うつ病」なるものは、うつ病ですらなく、大部分が、発達障害の方の適応障害だと思います。発達障害の方は、他者からの批判に容易に衝撃を受けてしまい、攻撃モードに入ってしまいます。これが「他罰的」と言われる部分です。

ところが、「新型うつ病」(甘やかされて育った人たちの困ったうつ病)という概念が広がったおかげで、何よりも困るのは本当のうつ病の人たちです。「あの人と同じ目で見られたくない」と、うつ病の診断書を拒む人もいます。当然の権利なのですが。

精神科医にとっても、「うつ病」という診断書の重みが本当に軽くなったと感じています。診断名よりも、中身の詳細な説明が命、という感じになっています。明らかに余計な仕事が増えています。

定型的うつ病患者さんは昔も今も自責的で、「新型うつ病」なるものに対する世間の論調に「やっぱり悪いのは私か・・・」と大変胸を痛めておられます。エセ専門家が「新型うつ病」なる言葉を提唱しようと、うつ病治療の本質は何ら変わりません。

職場では具合が悪くなるものの週末ディズニーランドに行ける、という時点で、うつ病ではなく適応障害の可能性が高いです。医師による正確な診断が患者さんの人生を救うというのは、どんな診療科でも同じですね。誤診が患者さんへの人格攻撃につながるのは大問題です。

ちなみに「非定型うつ病」も、「新型うつ病」とは全く違うもので、れっきとしたうつ病です。睡眠や食欲のパターンが、定型うつ病の方と違うだけで、その苦しさはとてもディズニーランドどころではありません。非定型のうつは、双極性障害のうつの方にもよく見られますね。

児童虐待防止法の抜本改正をしたときの主眼は「虐待を早く見つけて通報する」に主にとどまっていた視点を、「その後も生きていかなければならない子どもの育ち」に大きく広げたことだった。いじめについてはまだ前者の段階にいると思う。そして後者が必要なのも同じ。

いじめられ体験が人間関係の基本設定になってしまうと、その後も本当に長期にわたって影響を受け続ける。些細なことでも他者のネガティブな反応を異常に怖れるようになることも多い。「相手にもいろいろ事情があるのだな」などという余裕のあるものの見方は一般に難しい。

いじめを「極悪のいじめっ子」「見逃した・隠蔽した学校」という視点から見ている限り、効果的な前進は望めないと思う。コミュニティとしてこれをどう引き受け癒していくか、という修復的司法の視点が必要。それがいじめられた子の「人間の基本設定」を変えることにもつながるはず。

学校の先生はもちろん、子どもに関わる全ての職種の人が修復的司法のトレーニングを受けたらとても効果的だろうと思う(もちろんAHでも可)。いじめ対策(予防、発見、癒し)になるし先生たちの燃え尽き予防にもつながるだろう。そういう環境で育つ子どもたちの未来も楽しみ。

虐待者に対する見方はabuse(虐待)からin need(助けを求めている)へとシフトしつつある。いじめる人間も極度の「in need」だ。行為としてのいじめが断じて許されないということと、そんな行動をとるほどに「in need」なのだと見ることは、矛盾しない。

まとめていただきました。ありがとうございます。@montagekijyo 「いじめと修復的司法:水島広子氏(精神科医)」 をトゥギャりました。 http://t.co/HFGMk62p


2012年08月06日(月)

以前から思っているのは、AHの原則も、タイミングの合わない人にとっては「とても受け入れられないポジティブ」になるリスクがあるということ。AHを人に勧めない方がよいというのは、そういう観点からも言えるだろう。それぞれに合ったタイミングでAHが生かされますように。

「タイミングが合わない」というのは、例えば、トラウマやうつ病などの症状がまだ「症状」として本人に認識されていないとき。症状は症状として認識することが心の平和につながるというのは、とても大切な理解だと思う。

何らかの病気にかかっていて、その症状が出ている。それこそが自分のありのまま。症状を症状として認めることも、自分のありのままの受け入れの一つの形。病気を治したいと思う気持ちも、なかなか治らずに焦ったり絶望的になったりする気持ちも、全部が自分のありのまま。


2012年08月11日(土)

「いじめられている人」向けに何か書くとしたら、現在の自分についての感じ方(自分はだめな人間だという感じ方)が、いじめの結果として誰にでも起こる症状だということを知ってほしい。だめな人間だからいじめられるのではなく、いじめられる結果起こる症状としての感じ方。

「打ち込める何かを持とう」というメッセージも、私は好きではない。そう思っている間は「打ち込める何か」は見つからないことが多いし、そんな自分が「欠けている」と思ってしまうから。むしろ「今」を大切に生きることが、人生に「打ち込む」ことだと思う。


2012年08月23日(木)

ちょっと対象年齢は下なのですが、「怒らない子育て」がわりとそういう感じの本です。思春期の子にも応用できると思います。 http://t.co/R3Y2ToFE @mymt15 ところで一つ質問があるのですが、親子で交わした約束を守らない子にどう接すればよろしいでしょうか。


2012年08月28日(火)

拙著「対人関係療法でなおす 社交不安障害」 http://t.co/9ztwD6HZ が、同シリーズの「対人関係療法でなおす うつ病」 http://t.co/seLeFB50 と、「臨床家のための対人関係入門ガイド」と共に、また重版になるとのご連絡をいただく。

社交(社会)不安障害に対する対人関係療法は、対人不安をどうするか?という視点ではなく、症状としての対人不安はあるとしても、実質的に相手とどういう関係を築くかというアプローチ。「緊張せずに喋れる」ということを目標とするのではなく、「何を伝えるか」に注目する。

人が対人不安を持つようになる背景は様々だが、ひとたび対人不安を持つようになった後の悪循環は似ている。「対人不安をどうするか」への注目を手放すことは、悪循環からの解放につながるパラダイムシフトとも言える。多くの方に触れていただきたい考え方だ。

Eテレに出演します

Eテレにインタビュー出演することになりましたので、ご都合がつく方はどうぞご覧ください。

番組名:「オトナへのトビラTV」夏スペシャル
     ~ワタシが悩んでいたころ(仮)~

番組HP:http://www.nhk.or.jp/heart-net/tobira/

放送日時:2012年8月23日(木)
        午後6:55~7時54分 Eテレ

番組内容:オトナへのトビラTVは、10代の若者たちに向けた番組。
       親や教師が教えてくれないリアルなオトナの現実って?
       厳しい現実に直面した時どうしたらいい?
       かっこいいオトナが教えてくれる、知らないと損する“オトナ流”生き方って?
       幸せな未来を手に入れるために絶対に役立つ情報満載の番組です。
       今回は、芸能界で活躍する「人生の先輩たち」の過去の苦しい体験や
       トラウマ克服の体験談をきっかけに、“厳しい現代社会を生き抜くための術”を学びます。

出演   有吉弘行(MC)  鈴木奈々(アシスタント) 
      岩尾望(フットボールアワー) 大島美幸(森三中)
      山里亮太(南海キャンディーズ) IKKO  ほか 

2012年7月のツイッターより(抜粋)

2012年7月のツイッターより、反響が大きかったものの抜粋です。


2012年07月03日(火)

何かしらの苦しい体験をしたとき、自分の事情を心から受け入れた人は、他人にも事情があることに気づいていく。頑張っていない人などいない、という理解だ。そういう人を見ると、本当の強さを感じる。


2012年07月08日(日)

自分を無力化するような人の「指導」を受けに行きたがる人がいる。この現象は、衝撃という概念を用いると理解しやすい。「指導」という名の衝撃を受けると、人は自分を疑い自信をなくす。そして「こうすべき」という「指導」にしがみつきたくなる。

衝撃に基づく反応は、その基本的なエネルギーが「恐怖」なので、合理的な説得はまず難しい。自分の安全を脅かすものとして、激しい怒りを誘発することにもなる。「衝撃への反応パターン」について知識が共有されれば、自己認識や相互理解が進み、社会平和がずいぶん実現するはず。

現在社会で展開されている様々な(特に感情的な)議論が、「衝撃の土俵」に乗ってしまっているような気がして、まあしばらく待つしかないという気持ちと、その間に着々と衝撃についての知識を普及させようという気持ちと、両方。


2012年07月09日(月)

拙著「10代の子をもつ親が知っておきたいこと」が増刷になるとの連絡をいただく。あまり目立たないけれども広く読んでいただいているのだな、としみじみ感動。 http://t.co/1ECJ7lO7


2012年07月10日(火)

拙著「思春期の意味に向き合う」は、治療者のみならず教育・司法・警察関係の人たちにも読んでもらいたいと思って書いたもの。いじめについてもページを割いたが、正しい理解がないと、司法や治療の場でいじめが再現されることになってしまうから。 http://t.co/jYXOmFth

いじめを抱えるコミュニティの癒しには修復的司法が有効だと信じあちこちで発言しているのに、きちんと文章にしたものが見つからない。拙著「10代の子をもつ親が知っておきたいこと」のp198「いじめにどう向き合うか」は見つけたが。 http://t.co/1ECJ7lO7


2012年07月18日(水)

今朝(というか昨朝)、久しぶりにAH創始者のジェリー・ジャンポルスキーとスカイプで長話をしたが、現在87歳のジェリーは、この春スポーツジムで転倒して足首骨折をし、さらに手術で声帯損傷をして声を一時的に失ったにもかかわらず、今日見た顔は以前よりも元気で若々しかった。

声を失っていた頃、日本のトレーニング参加者から「どうすれば今に集中できますか」という質問を受けて、ジェリーは、「私はオーディオブックを聴きながら運動していた。一回に一つのことだけに集中できるくらい自分を愛していたら、こんな怪我はしなかっただろう」と答えていた。

瞬間瞬間に何かに心から専心することが、自分を愛すること。AHの原則が言う「存在する時間は『今』だけ。それぞれの瞬間は与えるためにある」というのは、まさにそういうことなのだろう。結果に執着せずに何かに専心することは、まさに「与えること」そのもの。

AHのガイドライン「ランプのかさではなく光だけを見るようにする」というのも、AH体験なしにはわかりにくいものだが、ボランティアの方が先日、拙著「見た目が気になる症候群!」は「ランプのかさ」についてよく書けている本だと言ってくれた。 


2012年07月19日(木)

世の中から「攻撃のエネルギー」をなくしていこうと思ったら、「例外」を作らないように意識する必要がある。「この攻撃だけは正当な例外」という集積が、多くの不幸の裏にある。自分の心の中でどれだけ「正当な攻撃」を手放せるかが、社会の平和の鍵だと思う。

「攻撃のエネルギー」を手放すことと、変化を諦めることとは全く違う。逆に、何らかの実質的な変化を起こしたければ「攻撃のエネルギー」を手放すことが必要だと思う。

「分離」をどういうときに感じるかと言うと、自分と同じ立場の人についてはアンフェアな姿勢でも容認するとき。「つながり」をどういうときに感じるかと言うと、自分と異なる立場の人にでも、そのフェアな姿勢に敬意を払えるとき。「つながり」は変化の鍵。

以前「子ども有害情報」の棲み分け法案を作っていたとき、「表現の自由を侵す奴」としてあちこちで吊し上げにあった(今も時々そういう汚名をネット上で見かける)。吊し上げの場でも、対立せずにこちらの事情を切々と訴えると、終了時には聴衆の多くが仲間になっていた。


2012年07月23日(月)

衝撃を受けたときの原則は、現在自分に起こっていることが衝撃への反応だと認めた上で、もともとやっていたことをただコツコツと続けること。衝撃への反応として生まれた怒りのエネルギーに翻弄され、本来やるべきことを見失ってはだめだということは社会的にも適用できる。


2012年07月25日(水)

自分の中のネガティブな気持ちを「欲望」と呼んで克服対象とするのは、「怖れ」に評価を下し「べき思考」で縛り、とさらに「怖れ」を加えていくこと。克服できるどころか膨張するのは当然。必要なのは評価や克服ではなく、癒し。欲があるのではなく単に怖れているだけ。


2012年07月27日(金)

何年か前、地方新聞から招聘されていじめと修復的司法についての話をした。参加者の方は深く感銘を受け「どうしてこういう有効な手だてが日本で知られていないのか」と。そこで某全国紙にその要点を投稿した。すると、「時期にあったテーマでない」という理由で却下された。

いじめは常に起こっていること。ニュース性ということで言えば当時は「時期に合ったテーマではない」ということだったのだろうが、これだけ多くの人たちの育ち、そしてその後の人生に大きな影響を与える日常的な出来事を、ニュース性という軸で切るのが不思議だ。

事件になって取り上げるから、学校側も防衛的になる。日頃からの取り組みであれば、学校側も教育的な視点を持ってもっとオープンに話し合いに参加できるように思う。つまり、日常的な意識と取り組みが必要であり、そこを貫く姿勢は「断罪」ではなく「修復的司法」であるべき。


2012年07月29日(日)

社会のネガティブな側面について語るときには、それが子どもたちにとってどういうメッセージになるかを考えたい。物理的に右肩上がりの幻想を抱かせようという意味ではなく、社会がどうなろうと心の平和を自分で選んでいきたい、というメッセージを体現できる人間になりたい。


2012年07月30日(月)

いじめなどによるトラウマ症状(自己不全感を中心としたもの)を長い年月にわたり抱えながら、それがトラウマ症状として典型的な感じ方だということも知らない人にしばしば出会う。自分が「不全」なのではなく単なる症状としての感じ方だということを知るのは福音になる。

「いじめられている君たちへ」というタイプのポジティブな語りかけに私が違和感を抱くのは、本当にトラウマを受けている人にとってはかなりレベルの違う話だから。ある程度の自己肯定感がなければ、ポジティブな提案に前向きになれない自分を責めるだけだろう。

先日公表されたうつ病治療ガイドライン http://t.co/keeCFwF2 でも、いじめや虐待の後遺症について触れてもらったが、いわゆる「難治性うつ病」にはトラウマ関連者も多い。そう考えると、うつ病叩きの世相にも涙が出る思い。

「お母さんの心がラクになる! 怒らない子育て」刊行しました

本書の原稿を初めて見た担当編集者の若い女性が、「子どもを持ちたいと初めて思った」と、感動の一言をくださった一冊です。
現在子育てに悩んでいる方向けに書いた実践的な本ですが、結果として子どもの魅力を描くこともできたように思います。
もちろんお母さんだけでなくお父さん、それ以外の方もどうぞ。

内容(「はじめに」より抜粋)

子育ては「つい怒ってしまう」ようなシーンの連続です。私自身も二人の子どもを育てていますので、それは痛いほどよくわかります。
でも、ちょっと別の視点を持ってみるだけで、「つい怒ってしまう」はずのシーンを、子どもの力に気づいたり、子どもの力を伸ばしたりするシーンに変えることができる、と聞いたら嬉しくありませんか? 
そして、私たち親を困らせている子ども自身が、一番頼もしい存在となって、「つい怒ってしまう」ような状況から助け出してくれることすらあるのです。
そんな視点の転換のコツを、本書で一緒に見ていきましょう。

子育ては、子どもの力を借りなければとても大変な作業になってしまいますが、子どもの力を発揮してもらうために必要な努力は、実はそれほど多くありません。そんな「ちょっとした努力のポイント」を本書でお伝えしたいと思います。
「子育ては親育て」などと言われますが、私は、「子育ては親の癒し」だと思っています。多くの親にとって、子どもとの関わりは、無条件の愛情を与えてもらう、人生で初めての機会となるからです。
実は、子どもを持つということは、自分を無条件に愛してくれる人を持つということ。子どもは育っていく存在であると同時に、不完全な親を見守ってくれる愛の存在でもあるのです。
ですから、そんな愛情の中、もっとのびのびと子育てをしてみましょう。それが、子どもを無条件に愛することにつながります。
親子関係は、最も悩ましいものになってしまうこともあるのですが、すばらしい可能性を秘めたものでもあります。子育てを通して自分を癒すことが、子どもに豊かな「生きる力」を与えるのですから、こんなによい話はないと思いませんか?

青春出版社 1365円(税込)

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2012年4月~6月のツイッターより(抜粋)

2012年4月~6月のツイッターより、反響が大きかったものの抜粋です。


2012年04月16日(月)

ある問題についてのパロディを見た。笑えなかった。立場の違う人を馬鹿にして笑う姿勢は分離を生むということを痛切に感じた。パロディを作った人と比較的近い立場の私ですら、分離を感じた。パロディにも分離のパロディとつながりのパロディがあるのだろう。

そのパロディを「おもしろい」と言った友人は「ストレスだけではやっていけないから」。怖れの重荷から解放されたければ、別の種類の怖れの形を選ぶのではなく、心の姿勢としての怖れを手放すことが必要。あらゆる立場の人がつい笑ってしまうような「つながりのパロディ」を見たい。


2012年04月17日(火)

何であれ形に依存する心の姿勢は「怖れ」だと言えるが、形への依存は、結果に執着する場合や、形を言い訳にする場合だけでない。人間に備わった自然な反応としての感情(不安など)まで克服しようとすることも、形への依存だと思う。

週末のAHファシリテーター・トレーニングは、直前に不測の事態に見舞われたためかなりの睡眠不足につながったが、怖れを手放し、必要とされそうなことを淡々とした結果、とてもうまくいっただけでなく、今後に向けて新しい視点さえ得られた。助けてくれる人の温かさも痛感。


2012年04月22日(日)

他者に評価をくだすのが当たり前になっている人は、同じことを日常的に自分自身に対してもやっているわけで、自分自身への虐待を続けてボロボロな心を抱えているのだな、と痛ましく思うことがある。


2012年05月11日(金)

拙著「10代の子をもつ親が知っておきたいこと」が韓国語に翻訳されることになったそうです。韓国でもお役に立ちますように。 http://t.co/gP43aNXg


2012年05月16日(水)

「身近な人の『攻撃』がスーッとなくなる本」アマゾンで販売開始しました。拙著ではありますが結構お勧めです。お役に立ちますように。内容等詳細は → http://t.co/YcbfUdrH

拙著「『怒り』がスーッと消える本」、また重版になったそうです。新たに刊行した「攻撃」の本と共に、平和を広げるお手伝いができますように。 http://t.co/KHloXeic


2012年05月18日(金)

訳書「探すのをやめたとき愛は見つかる」がまた重版になるとの連絡をいただいた。米国の男子刑務所で一緒にこの「ワーク」に取り組み、目を輝かせていた受刑者の皆さんは、今頃どうしているだろう。 http://t.co/CqXhFJXB


2012年05月27日(日)

すべての「形」を、「愛(あたたかいこころ)の○○」と「怖れの○○」と考えてみるととてもわかりやすい。罪悪感の(怖れの)「ごめんなさい」と、つながりの(愛の)「ごめんなさい」は全く違う。

実は最近はやりの「ワクワク」も、「ワクワクしなければ!」と焦るときは怖れになっているし、実際にワクワクしていろいろなつながりを感じているときは愛の姿勢。「ワクワク」すら一つの「形」と考えることができる。


2012年06月03日(日)

拙著「対人関係療法でなおす 双極性障害」がまた増刷になるとの連絡をいただく。この本を通してIPSRT(対人関係・社会リズム療法)の存在が知られるのは嬉しいことです。 http://t.co/UzP265tY


2012年06月04日(月)

移動中の書店で、ヴォーグ誌7月号を確認。ヴォーグでは、「やせすぎモデル」が女性の不健康な美を奨励する懸念から、やせすぎモデルを採用しないことを決定。日本版にも7月号から反映されている。かねてから「やせたがり」とメディアの関係を指摘してきた立場からは嬉しい。

このところ人の文章をチェックする機会が続いており、文章にこめられたエネルギーについていろいろと考えた。人目を引こうとする文章からは、怖れのエネルギーを感じることが多い。文章を書くことも、癒し(怖れの手放し)の一つの機会にすることができる、と強く再確認。


2012年06月08日(金)

拙著「身近な人の『攻撃』がスーッと消える本」が新刊JPに掲載されました。 http://t.co/KSOIoJ4a


2012年06月11日(月)

私は研修医の頃から「なるほど」と思えるまで患者さんの話を聴くことにしていた。その後の臨床経験によって「なるほど」と思うまでの時間はかなり短縮されたが、今でも「なるほど」と思えない限り効果的な治療ができないのは変わらない。

この姿勢は他の人間関係にもそのまま適用され、他人と関わりを持つ際には「なるほど」と思えるまで相手を知るようにしている。この「なるほど」が、AH流に言うところの「つながり」の一つの形だということには後になって気づいた。

衆議院議員だった頃も、自分とは違う主張をする人の話を聴いて「なるほど」と思うと、何らかの形での協調が可能になった。今でも、自分が忌み嫌いたくなる人に「なるほど」を見つけることが、社会を前向きに進めるための必要要件だと思っている。

「怒らない技術」の著者嶋津良智さんとの対談「あなたの『怒り』が日本を弱くしている 日本人に必要な『アンガーマネジメント』とは」JB Pressで読めます。 http://t.co/XO9OKq6m


2012年06月21日(木)

先月刊行した拙著「身近な人の『攻撃』がスーッとなくなる本」が早速重版になるとの連絡をいただく。気に入っている本なので嬉しい。一人ひとりの心の平和、そして社会の平和につながりますように。 http://t.co/oM3H5LNM


2012年06月26日(火)

今朝の朝日・天声人語に私の著書が引用されていると同級生が教えてくれた。今の政局について「水島広子さんが著書で見抜いた通り、政治家とは自己愛にあふれた人たちなのだ」と。念のため補足すると、自己愛そのものはパワーにもなり、大切なのは「他者への共感」があるかどうか。

なおこの拙著「国会議員を分析する 『ヘンな人たち』が生き残る理由」(朝日新聞社)は残念ながら絶版になっている。最後の提言の部分は今の私が見るとやや物足りないが、それ以外は案外おもしろい本だった。現職時代に書いたもの。

拙著の副題「『ヘンな人たち』が生き残る理由」を見て改めて思ったが、05年、09年の「怒りをエネルギーにした選挙」を経て、民主・自民両党から、尊敬できる議員がごっそりいなくなったと感じている。今の政治の質を嘆く前提としてそのことを認識する必要があると思う。

拙著「『怒り』がスーッと消える本」がまたまた増刷になるという連絡をいただく。個人的に役立ったという報告をいただくのも嬉しいし、「怒りのエネルギー」によって社会が変な方向に進まないよう、拙著が貢献することも祈っています。 http://t.co/jAI35Snn


2012年06月28日(木)

「『見た目』が気になる! 症候群 ――他人にどう思われるか、とても気になる心から自由になれる本――」を刊行しました。詳細は→ http://t.co/9ZUGmOAO


2012年06月29日(金)

拙著「自分でできる対人関係療法」がまた重版になるとの連絡をいただく。2004年に刊行した本なのでもう8年間も広く読んでいただいていることになる。幸せな本。  http://t.co/uqQifiHG

「『見た目』が気になる! 症候群 ―他人にどう思われるか、とても気になる心から自由になれる本―」刊行

「『見た目』が気になる! 症候群 ――他人にどう思われるか、とても気になる心から自由になれる本――」を刊行しましたのでお知らせします。

【内容(出版社による紹介)】
10代、20代の若者を中心に、「自分が他人にどう思われるかが気になってしかたがない」人たちが激増しており、「見た目」が時代のキーワードになっています。“つま
らない人”“おもしろくない人”“空気の読めない人”……と呼ばれたくない、嫌われたくない――その思いが強すぎで、人前で本来の自分とは違うキャラを演じたり、
必死にメールの返信をしたり、ダイエットに励んだり。そんな不安にさいなまれる人たちを『「見た目」が気になる!症候群』として、その心理の深層に潜む“プチ・ト
ラウマ”の存在を暴き、自分らしく、のびのびと生きるためのアドバイスをする本です。

《本書の項目タイトルより》

・体型やスタイルの願望は「もっと、もっと」ときりがない
・会話上手になろうという思いが強すぎるほど、会話が下手になる
・携帯メールの、「即、返信」呪縛にとらわれていないか?
・「キャラ」を気にし始めると自分を見失う
・「友だちが少ないと思われたくない」心理が、真の友人との出会いを遠ざける
・饒舌に会話できることは、コミュニケーション能力の高さを意味しない
・恋人は、「もてる私」を証明するためにいるのではない
・「見た目」を気にしていないふりをする人も実は「見た目」 にとらわれている
・「見た目がよくなれば自信がつく」は嘘
・「自信さえつけば」と思うと、ますます自信がなくなる
・「自分の好きなところを見つけよう!」のワナ
――etc.

「あとがき」より

講演で話し慣れている私でも、「話している自分はどう見られるか」というところに意識を向けると、にわかに緊張するものです。しかし、「聴いている人」に意識を集
中させると、「見た目」が気になる心を完全に手放すことができ、講演そのものに集中して、その質をよくすることができるのです。ほとんどストレスも感じませんし、
聴いている人とのつながりを感じますので、あとで「自分はどう思われただろうか」などと気に病むこともありません。完璧な出来ではなかったとしても、一生懸命やっ
たことはわかってもらえただろう、と思えるのです。

これは、患者さんを含め、多くの人との関わりの中で経験してきたことと完全に一致します。「見た目」を気にすることで、どれほど自分にストレスを加え、どれほど
自分が嫌いになり、どれほど相手との間のつながりが断たれ、どれほど今に集中できなくなるか・・・。それはときに、心を病むレベルにまで達するのです。

本書を書きながら、「見た目」が気になる心について一般にいわれる、「自信をつけよう」「見た目なんて気にしないようにしよう」といったアプローチが、いかにピ
ント外れであるかを改めて認識しました。本書をお読みいただいた方にはおわかりだと思いますが、そういったアプローチは有効であるどころか、むしろ有害なのです。
今この瞬間にも「自信さえつけば」「見た目を気にしないようにしなければ」「見た目を気にする自分は弱い」などと思っている方が多数おられると思うと、そのもとに
本書が届くことを祈るのみです。

主婦と生活社  1365円(税込)

アマゾンで購入する方は http://amzn.to/LSO8rZ

大阪・高槻で講演します

講演 よみがえる楽しい心 ~内なる心への応援~

日時:2012年6月30日(土) 15:30~(開場15:00)

場所:高槻現代劇場 文化ホール 3階会議室 (阪急高槻市駅徒歩5分)

定員:300名(先着順)

  * 保育あり(要予約)

主催:高槻市医師会 女性医師の会

後援:高槻市・高槻市教育委員会・高槻市保健所・高槻市PTA協議会・大阪府女医会

* 参加を希望される方は、高槻市医師会あてに電話かファクスにてお申し込みください。

電話   072-661-0123
ファクス 072-676-0897

大分で講演します

第5回大分うつ病対策講演会
STOP! 自殺
「対人関係のストレスを解決すると同時に対人関係から力をもらうコツ
うつ病に対する対人関係療法」

日時: 2012年12月1日(土) 15:00~17:00

場所: 大分大学医学部 臨床大講義室

定員: 300名(事前申し込み不要)

主催: 大分うつ病研究会
後援: 大分大学

お問い合わせ先: 大分大学医学部 精神神経医学講座
〒879-5593 大分県由布市狭間町医大ヶ丘1-1
電話 097-586-5823