新しい地域づくりの知恵


 11月29日、NPO法人フローレンス(東京都中央区)にお招きをいただいたので訪問し懇談してきました。今後の日本の社会作りに向けて可能性を感じましたので、ご報告します。

 私は常々子育て・子育ちのカギは地域だということを述べてまいりました。家庭の子育て力は地域の子育て力に比例するものであって、現在落ちているのは「家庭の子育て力」ではなく「地域の子育て力」なのだ、ということを国会でも発言してきました。私が労働政策で重点を置いている「ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)」も、本人の生活の質を上げると同時に、地域において「自分の子ども以外の子どもを気にかけられる大人をどれだけ増やすか」ということが、その発想の根底にあります。

 でも、地域の再生、ということを考える場合に、日本にはこれといったモデルがなかったことも事実です。その鍵を握るのは専門性を持つNPOなのだろうということはわかっていましたが、行政に分断されてしまったりして、なかなか具体的なモデルに出会えずにきました。

 フローレンスは、その一つのあり方を示しているNPOだと思います。

 そもそも、設立のきっかけがユニークです。代表理事の駒崎弘樹さんはITベンチャーを経営していた新進気鋭の二十代ですが(写真私の右隣の青年が駒崎さん)、彼のお母さんがベビーシッターをなさっていたことから、子どもが熱を出して仕事を休んだことが理由で解雇された人の話を聞き、「病気の子どもの面倒をみるという当たり前のことをしたのに、なぜ仕事を辞めなければならないのだろう」という素朴な疑問を抱いたことがそもそものきっかけだったそうです。そして、病児保育の現状を調べ、現状に適していない補助金制度の問題もあり、ほとんどが赤字経営で伸び悩んでいる、ということを知り、持続可能なモデルを自分で作ってみようと思ったそうです。その際にイメージしたのは、「近所の助け合い」。駒崎さん自身、お母さんが働いていましたが、病気の時には、同じ団地に住む方が面倒をみてくださったそうで、そのような地域を再構築するということがフローレンス事業のイメージなのです。

 現在、フローレンスは、「子どもレスキューネット」という病児保育事業を第一の柱としています。子どもが病気なので助けてほしいという連絡をフローレンスにすると、スタッフ(有償ボランティア)が駆けつけて、まず病院に連れて行ってくれ、保育園に預けることが無理な状態であれば、子育て経験豊かなスタッフが自分の家で看護する、という仕組みになっています。会員になった子どもは、事前にスタッフの自宅を訪問し、スタッフとその環境に慣れ親しむ機会を持ち、スタッフ側でも、その子の健康状態などを把握しておきます。病気になったときに突然知らない人に預けられる、というわけではないところも重要なポイントです。看護するスタッフには医療資格は問いませんが(病児保育についての研修制度はあり)、提携小児科医が常に電話連絡をとれる態勢にあります。

 入会時に1万円、月会費4000円~(健康状態によって多少の差あり)を払うと、月1回までの利用は無料。2回目からは、1時間あたり1000円、という体系です。(送迎のための交通費は別体系) 
 定員40名のところ、希望者が200名もおり、現在160名が待機中という状況。子どもの面倒をみるための有償ボランティアの数が一番の弱点で、現在広報戦略を練っているところだそうです。

 フローレンスのバランスが良いと思ったところは、病児保育だけに特化していないところです。病児保育については、常に、「大人側の都合ばかりに子どもを合わせて良いの?」という疑問がついて回るものだからです。病気のときくらい、自分の家庭で親と共に過ごすことが許されても良いのではないか、ということです。どうしてもというときのための病児保育は必要ですが、本来は、大人の働き方を改善することで対処すべきだというのが正論です。育児休業・介護休業法の改正で、わずか年5日間の看護休暇は制度化されましたが、今の日本の現状を見れば、それが本質的な解決になっていないことは一目瞭然だと思います。

 フローレンスでは、中小企業だけを対象として、ワーク・ライフ・バランスのコンサルティング業務を始めています。このコンサルティングは、イギリスでは政府が率先してやっていることですが、ワーク・ライフ・バランスを福祉という視点だけで見るのではなく、むしろ、それぞれの労働者の満足度・安心感を高めることによって、労働生産性を上げて国際競争力を高めようという考え方です。イギリスでは、貿易産業省が担当しています。イギリスでは、在宅勤務やフレックスなどを導入してワーク・ライフ・バランスを改善したところ、企業の収益性も高まった、というデータもあります。日本にはそのようなデータがなかったこと、大手先進企業の実例を挙げても、「そういうところは恵まれた企業だからできるのでしょう」と言われて終わり、というような状況が続いてきました。

 フローレンスでは、本来、ワーク・ライフ・バランスなどほとんど無縁そうな中小ベンチャー企業を相手に、コンサルティング事業を展開し、ワーク・ライフ・バランスを改善することによって生産性が高まるというデータを作ろうとしています。データを集積すれば、日本の「常識」が打ち破られることになるでしょう。応援したい活動です。

 現在では、単なる病児保育にとどまらず、「フローレンス・パック」として、より「地域」を意識した総合プランも準備されています。地域の再構築、そして、ワーク・ライフ・バランス、という、今の日本でもっとも重要なテーマに真正面から取り組んでいるフローレンスの皆さんに、新しい可能性を感じました。
 今のように、政治が国民の代弁者としての機能を失ってしまっているときこそ、NPOが伸びるときなのかもしれません。

 なお、フローレンスには、今年はじめには厚生労働省も「参考にしたい」と話を聞きに来たそうです。フローレンス自身は、補助金行政には組み込まれていません。それは、補助金目当てに、結局は使い勝手の悪い、持続不可能なものになってしまうのでは、本来の趣旨に反する、という代表理事の判断だそうで、こうした毅然とした姿勢にも、可能性を感じたところです。

 現在、東京都江東区と中央区で事業を展開していますので、ご在住の有償ボランティアをご紹介いただければ助かると思います。(子育て経験があり、意欲がある方)
 今後、東京都23区全体に展開していく予定とのことです。

 12月10日には「子どもの村」のシンポジウム(京都)に参加しますが、「子どもの村」は、虐待をされた子どもたちが大規模施設に収容され続ける現状を改善するために立ち上がったNPOです。また、私が支援を続けてきているチャイルドライン、自立援助ホームなど、質の良いNPOが力を伸ばし、連携していくことによって、地域を新しい形で再構築していくことができるだろうと思っています。
 その際に、フローレンスの理事の方たちのように、マーケティングやITなど、営利事業でも十分に通用する専門性を持った人材がNPOで活躍していただけると、可能性がさらに広がるのだということを感じさせられた日でした。

フローレンス ホームページ http://www.florence.or.jp/

メディアのあり方

昨日パックインジャーナルに出演して、いろいろと思うところがありましたので一言。

★ 司会者の姿勢 ★

まず、司会の愛川欽也さんの姿勢に深い感銘を受けました。

パックインジャーナルは、いまどき珍しい「反権力」番組で、そのことも高く評価できるのですが、それ以上に、愛川さんの姿勢には最近のメディアに見られない気高さを感じました。

出演した自民党議員が中国の反日教育のことなどを例によって話していると、愛川さんが、「ほかの番組ではどうだか知らんが」と断った上で、自分の番組では、敵を作ってナショナリズムを煽るような姿勢は嫌いなのだ、ということを明言しておられました。これで会場の雰囲気が大きく変わりました。

先の総選挙を見るまでもなく、メディアの影響というのは異様に大きいものです。メディアがなぜこれほどまでに影響を持ってしまうのかということについては、先日もご紹介した「自民党が負けない50の理由」にいくつか分類されていますが、たとえば、毎日のように「中国では反日教育が・・・」というようなことをメディアを通して見聞きしていると、それが「真実」であるかのような気になってしまうのです。
司会者の役割というのは案外大きく、ゲストがそういう発言をしたときに、そのまま「ほう、ほう」と聞くのか、それとも、愛川さんのように発言の位置づけをきちんとするのか、という姿勢一つで、受け取る側の印象が大きく変わります。

すべての番組で、司会者が愛川さんのような姿勢をとってくれれば、それだけで日本は大きな可能性のある国になるでしょう。

★ メディアの生命線 ★

昨日のパックインジャーナルのテーマの一つが「NHK民営化議連(自民党)」でした。私自身は、公共放送は必要だと思っているので、何でもかんでも民営化という立場には反対です。なぜ公共放送が必要かというと、災害放送などももちろんなのですが、質のよいニュースやドキュメンタリーを、スポンサーの意向を気にせずに追求できることも、公共放送でなければできないことだと思うからです。

ところが、今のNHKは、国民が知りたいことを報道する、という本来公共放送に期待される役割ではなく、政府が知らせたいことを報道する、という本末転倒な役割を果たしてしまっているところが大問題です。これが、例の従軍慰安婦番組をめぐる政治圧力問題でも明らかになったところです。

もう一つ、NHKが、政官業の癒着の構造を作り出してしまっているという点も、改革が必要な大きな問題です。公共のための放送ではなく、公共の料金に群がる利権の複合体が作られてしまっているということでしょう。

NHK改革のために必要なことは、現在NHKが考えているような、「受信料の不払いをなくせば、改革が進む」というトンチンカンなことではありません。
利権の構造をなくすことももちろん重要ですが、それ以上に大切な問題として、この機会に考えるべきなのは、メディアの姿勢です。

今まで、日本のメディアは「中立」を旨としており、政治的に、右か左かどちらかに偏っていると問題だとされてきました。そして、なぜか政府は「真ん中」という位置づけになることが多かったように思います。
その結果として、多くのメディアが政府の御用放送のようになってしまい、パックインジャーナルのような番組が「いまどき珍しい反権力番組」ということになるのです。

でも、メディアの生命線は、本当に「中立」なのでしょうか。そうではなく、「独立」なのだと私は思います。スポンサーによって立つ民放であれば、完全な独立はありえないとしても、少なくとも、「公共放送」については、政府からの独立はもちろん、すべてから独立であるということが生命線なのだと思います。

NHKの予算承認を国会で行っているというのも、独立を妨げる一つの要因でしょう。「予算を通してもらわないとどうしようもないから」というのが、NHKの人たちが与党の政治家に気を遣う大きな理由だと言われています。

NHK問題が、「受信料を払わない人が増えたから、今のままではもたない。民営化しよう」という安易な方向に進むのではなく、これを機に、ここのところあまりにもおかしいメディアの方向性が是正されることを心から祈るものです。

そして、政府の提灯持ちのような番組や、公務員や官僚を単に批判する憂さ晴らしのような番組ではなく、権力をきちんと検証し、あるべき方向性を建設的に模索しようとするパックインジャーナルのような番組がもっと増えることを、さらに、愛川欽也さんのように、「人として望ましい姿勢」を身をもって示せる司会者が増えることを、心から期待しています。

CS放送出演のお知らせ

11月19日(土)11:00~13:00、朝日ニュースター(CS放送)の「愛川欽也パックイン・ジャーナル」にコメンテーターとして出演します。

テーマは、日米首脳会談、APEC首脳会合、日韓首脳会談、医療制度改革などになるようです。

CS放送をご覧になれる環境の方は、ぜひご覧くださいませ。

自民党が負けない50の理由

 10月31日、宇都宮にて、選対解散式を行いました。選挙を共にたたかってくださった選対役員の方たちがお集まりくださいました。これで、選挙後の処理が一段落したということになります。選挙後の厄介な仕事を共にお引き受けくださった方たちには心から感謝を申し上げます。

 また、10月20日をもって、現職時代の事務所体制を終結しました。事務所本体、ボランティア事務所、私設秘書が5人、という体制は、とても現在の財力では無理ですので、事務所本体と秘書1名程度の体制に変えることになります。どの程度の体制を維持できるかは、今後の党本部とのやりとりの結果次第、ということになります。
 私の事務所では、政治家事務所には珍しく、かなりのやせ我慢をして、雇用保険を含めて秘書全員の社会保険を完備しておりましたので、何とか気持ちよく事務所を縮小できそうです。

 さて、選挙が終わってから、いろいろな場で「総括」をする機会がありました。その都度、いろいろなご意見をうかがってきました。「水島を支持しているとわかると、自治会から声がかからなくなる」という「村八分」現象が、栃木一区ではまだまだあちこちで報告されています。また、「水島は六本木ヒルズに住んでいる」というデマは、泉町(宇都宮の飲屋街)で毎晩のように語られていたそうです。「自民党は、日頃の飲み会の一つ一つが、結果としては選挙運動になる」と、支持者の方がいみじくもおっしゃったように、自民党ネットワークが地域のネットワークとどれだけ一致しているか、というのは、野党サイドで選挙をやった人間しかわからないかもしれません。

 最近、全ての「総括」が書かれていると思う本に出会いました。

「50回選挙をやっても 自民党が負けない50の理由」(土屋彰久著、自由国民社 1400円+税)

という本です。
 2004年7月に発行されたこの本を、ひょんなことで読み始めたのですが、私がこの6年間に身をもって体験したこと、そしてうすうす気づいていたことが、整然と書かれています。

 著者は、「むすび」の中で、本書の内容について「これは全く勝手な憶測だが、ある部分では納得し、ある部分では疑問を覚えたという人が大半であり、しかも人それぞれで、納得した部分、疑問の残った部分は違うのではないかと思う。ついでに憶測を重ねさせて欲しい。あなたが納得した部分というのは、他の部分に比べて、あなたがより多くの知識を持っていたり、日頃から関心を持っていた分野のものではなかったろうか?」と書いています。

 この6年間、政治活動に専念してきた立場からは、この本の内容はほとんどが「より多くの知識を持っていたり、日頃から関心を持っていた分野」ということになりますが、まさに、納得の連続でした。

 政治関係の本としては、近年まれにみるヒット商品だと思います。ぜひ皆さまもお読みになることをお勧めします。そして、この「50の理由」を覆すにはどうしたら良いのか、現実的なご意見をいただければ幸いです。

Attitudinal Healing(AH)の国際会議に出席しました


10月20日~28日、渡米してきました。
国会を離れたら是非やってみたいと思っていた活動を始めるためです。

それは、Attitudinal Healing (AH)という手法を日本に定着させるということです。

Attitudinal Healing (AH)というのは、日本語では「対人姿勢による癒し」とか「生き方を変えるヒーリング」などと訳されているようですが、いずれもピンとこないので、ピンとくる言葉を思いつくまでは、原語のままAttitudinal Healing(日本語読みすると、アティテューディナル・ヒーリング)、あるいは略語としてAHという表記にすることをお許しください。

今後、もっと詳しく説明していきますが、一言でいえば、ものごとに対する姿勢(Attitude)を変えることによって心の安らぎを得る、というやり方です。恐怖や不安、罪悪感という感情にとらわれて「敵」のいる人生を過ごしていくのか、それとも、こういった感情を手放して他者とのつながりを感じながら生きるのか、という選択は、個人の力で自由にできるという信念がその根底にあります。

AHは、1975年に、精神科医であるジェラルド・ジャンポルスキー博士と4名のボランティアによって、その活動がスタートしました。致命的な病を持つ子どもたちのサポートグループが、その始まりでした。

精神科医が創始者であり、末期がんの子どものサポートなどから始まって現在でも医療と深い関係があることから、一人の精神科医としても大変関心のある手法ですが、同時に、政治家としても高い関心を持っています。特に現在は、ブッシュ政権にしても小泉政権にしても、人の心に潜んでいる恐怖や不安を煽って皆が不幸になる方向に社会を導く、という「不安の政治」が幅を利かせているわけですから、政治を変えるためにも、新たな「姿勢」が必要だと思っています。

致命的な病気を持つ子どもたちのサポートグループとしてスタートしたAHは、その後、そういった子どもたちの親やきょうだい、それ以外のさまざまな立場にある子どもや大人たちへと、その対象を広げてきました。現在では、病気と関係のある人たちだけでなく、教育現場、刑務所など、さまざまな領域へと活動が広がっています。
この活動が評価されて、今年は、創始者のジェラルド・ジャンポルスキー博士に対して、アメリカ医師会の栄誉賞が贈られています。

1977年に、カリフォルニア州ティブロンに設立されたAHセンターは、その後、より広い敷地を求めて同州のサウサリートに移りましたが、現在に至るまで、すべての人が無償でセンターを利用できるという環境を維持してきています。もちろんその裏には、いろいろな形でセンターに寄付をしたりボランティアをしてくれる多くの人たちがいます。大きなところで言えば、ドイツのルフトハンザ航空なども大口寄付者です。

現在では、AHは約30カ国に拠点を持ち、その活動は全世界に広がっています。

今回の訪米の主目的は、10月21日~23日に開かれたAHの国際会議に参加することでしたが、この国際会議でも、各国の状況を聞くことができました。

さらに私は、国際会議終了後には、AHの創始者であるジェラルド・ジャンポルスキー博士のご自宅に家族でお招きいただき、政治とAHについてなど、幅広く親しく懇談することができました。
また、センターを訪問し、親と死別した子どもたちのグループ、転移がんを持つ女性たちのグループ、介護をしている人たちのグループに参加することもできました。

この後、再び訪米し、国会議員時代にはどうしても不可能だったセンターでの研修兼ボランティアを半年ほどする予定です。

しばらくの間の私の活動の中心になりますので、皆さまには、また追って詳しく報告させていただきます。

国会議員の仕事と子育ての両立問題

 今回の選挙もまた、私にとってはデマとの戦いでした。今回も、膨大な量のデマが流され、今頃になってもまだ、「そんなデマも流れていたのか」と驚かされる毎日です。

 圧倒的なデマにまだまだ負けてしまうのは、それを信じてしまう人たちの問題でもありますが、それ以上に、長年築き上げられてきた自民党ネットワークが地域のネットワークと一体化しているということだと思います。
 
 今回もまた、デマの多くは荒唐無稽で笑ってしまうしかないような内容でしたが、一つだけ、論評に値するものがありましたので、少々書かせていただきたいと思います。

 それは、デマの主役であった、「水島は宇都宮に住んでいない」というものでした。「あの人はもともと東京の人で、家族も東京に帰ってしまって、本人も宇都宮には住んでいない」というデマは、選挙区の隅々まで見事に浸透していました。

 もちろんこれは基本的には嘘であり、私の自宅は宇都宮にありましたし、国会で議員宿舎にいるとき以外はもちろん自宅で生活しておりました。
 ただ、このデマにはそれなりの根拠があって、それは、子どもの学校問題なのです。

 このデマを加速させた背景には、私の長女が宇都宮の学校に行っていない、ということがありました。「もともと東京の人だから宇都宮の教育レベルに満足していないのではないか」などと言っていた人が多かったようですが、もちろんそんなことではありません。ことの本質は、「国会議員の仕事と子育ての両立問題」にありました。

 国会で、フルに立法活動をしようとすると、どうしても開会日は議員宿舎に泊まる必要が出てきます。国会での仕事をきちんとしている多くの議員が、平日は議員宿舎暮らしをしています。

 議員が子育て中の場合、子どもはどこにいるのかと言うと、これは人それぞれですが、親の滞在時間の長い議員宿舎近くの学校に行っているというケース、子どもは地元の学校に行っているというケースに分かれ、印象としては前者の方が多いのではないかと思います。

 どちらも一長一短がありますが、親子の時間を多く持とうとすると、やはり子どもの学校は議員宿舎の近くにした方が良いということになります。

 私の場合は、子どもとの時間を最大限に確保することと、「落下傘候補」として地元での時間をできる限り確保すること、という二つの大きな課題がありましたし、また、落下傘候補ですから地元に実家があるわけでもなく、夫と二人で子育てを全て担っていましたので、他の議員よりもさらに工夫が必要でした。

これは私しかやっていなかったパターンではないかと思いますが、金曜の夜に家族そろって宇都宮の自宅に戻り、また、週末を終えると家族そろって東京に出てくる、ということを続けていたわけです。子どもが保育園のときには、無認可保育所を活用して、水・木・金は東京の保育所、月・火・土は宇都宮の保育園、という二重保育をしていましたが、さすがに学校は2か所というわけにはいきませんから、議員宿舎近くの公立小学校に子どもを入学させ、土・日は親子そろって宇都宮で生活する、ということを続けてきたのです。

 今回、「宇都宮に住んでいない」というデマがこれほど浸透したことは、家族に負担をかけながらも二重生活を続けてきた身としては残念の一言に尽きますが、国会での仕事に重きを置く議員が増えてきたこと、子育て世代の議員が増えてきたこと、を考えると、実はこれからの大きなテーマがそこにあるのではないかと思っています。

 国会は男女共同参画が最も遅れている領域の一つですから、今頃になってようやく「仕事と子育ての両立」がテーマになってきたということだと思いますが、国会議員こそ、自分の子育てには責任を果たす必要があると私は思っていますので、両立の文化がきちんと作られていくことを期待しています。

民主党の子ども政策会議に呼ばれました

 10月13日(木)、民主党の子ども政策会議に呼ばれ、今まで取り組んできた政策についての報告をしました。選挙以来、男女共同参画委員長としての引き継ぎなど、ちょこちょこと国会には行っていますが、13日には国会内で落選議員に次々と会って、お互いに笑ってしまいました。不要ダムの阻止など、大きなプロジェクトに取り組んでいた人たちが落選してしまったため、いずれも引き継ぎが大変で、落選議員たちがせっせと国会に呼ばれているようです。

 私が13日に報告したのは、「育ち☆育む応援プラン(民主党の未来世代応援政策は、最終的にこういう名前に落ち着きました)」、「子ども家庭省設置計画」、「特定暴力情報からの子どもの保護に関する法律案(かつて「子ども有害情報からの子どもの保護に関する法律案」と名づけていた法案ですが、「子ども有害情報」という言葉が抽象的なので、暴力と性暴力などに限定した「特定暴力情報」という呼び名に変えました)」です。

 「育ち☆育む応援プラン」は、「未来世代応援基本法」を中心に、「テマとヒマ」「お金」「個別のニーズ」という3本柱からなる応援政策です。これを統括するのが子ども家庭省ということになります。

 また、「特定暴力情報からの子どもの保護に関する法律案」は、私にとっては特に思い出の多い法案です。初当選後すぐに着手し、私が初めて自分で作った議員立法になりました。暴力や性暴力の情報が、住み分けられることなく子どもたちに垂れ流されている現状には多くの人たちが疑問を感じながらも、憲法の規定する「表現の自由」に抵触しうる、という理由で、ずっと手をつけられずにきたものです。

 もちろん、表現の自由は、民主主義社会の根幹として何にも増して堅持しなければなりません。でも、だからと言って、有害な情報から守られるという子どもの権利が犠牲になって良いということでもないのです。ですから、私は、「情報の住み分け」と「メディアリテラシー教育」の2本柱からなる法案を作りました。

 それでも、こういう「規制」(私の法案は規制ではないと思いますが)にアレルギーのある方たちからは、散々な攻撃を受けました。2001年の初頭には、つわりに苦しみながら、シンポジウムなどで一生懸命説明していたのを懐かしく思い出します。あのときの議論のおかげで、立法者としてはずいぶん鍛えていただき、また、度胸もついたと思います。

 この法案も、その後、少しずつ手を加え、先の通常国会で「特定暴力情報からの子どもの保護に関する法律案」と名前を変え、また、子どもの意見表明権も明記したところです。

 こうやって考えてみると、まるでこの時期に国会を離れることがわかっていたかのように、全ての作業が通常国会で一段落しています。解散が半年前だったら、「育ち☆育む応援プラン」をまとめることもできていませんでしたし、子ども家庭省の設置計画も作れていませんでしたし、「特定暴力情報」も「子ども有害情報」の名前のままだったわけです。
 13日の会議で、今までの経過を報告しながら、あの時期の解散で良かったと、改めてほっとしました。

 それと同時に感じたのは、やはり、取り組んでいる人が少ない領域では、一人の落選が非常に痛いということ。私にしか報告できないものがこんなにあるということは、私自身が責任者のポストにあったということだけでなく、やはりその政策に関わっていた人がそれだけ少なかったということでもあります。

 とりあえず、国会を離れても手伝えることは手伝おうということで、「育ち☆育む応援プラン」も、選挙前には要約版しか印刷できませんでしたが、本体を印刷する上でコラムの部分は私が書かせていただくことになりました。

第三の道を

 選挙が終わってからというもの、議員会館の引き揚げ(5年分の資料が山のようでした)、議員宿舎の引っ越し、お礼のご挨拶まわり、と、落選候補者というのは案外忙しいもので、未だに落ち着きません。そんな状況のため、「敗戦の弁」をホームページにアップして以来、ご挨拶もできずにまいりましたことをお許しください。

 衆議院議員としての5年間、栃木1区の皆さまはもちろんのこと、全国の皆さまから様々な形でいただいてまいりましたご支援やご指導に改めまして心から感謝を申し上げます。野党の一議員ではございましたが、目に見える形でもいろいろな成果を残すことができましたこと、また、私が初めて選挙に出た頃に比べますと、「子ども」「子育て」という言葉が政治の主流になってまいりましたことは、本当に嬉しいことです。「子どもたちが健康な心をもって成長できる社会の実現を」と訴えたときに、「子どもには票も利権もないから、そんなことを言っていたら当選できない」と諫められたことが、今となっては懐かしく思い出されます。(まあ、今回の選挙でも相変わらず「水島は子どものことしかやらない」というデマを流されましたが)

 さて、9月24日、水島広子と歩む会主催の「ベアテの贈りもの」上映会に続き、水島広子と歩む会の拡大幹事会が開かれました。そこで、今後に向けての話し合いが行われました。

 今回の選挙は、当選のために全力を尽くしてまいりましたが、残念ながらこのような結果となりました。「10万人以上の人が投票したのにおかしい」「前回よりも得票数が多いのに」と惜しむ声を多くの方からいただいていますが、小選挙区制という選挙制度のもとでは、この結果が現実です。

 選挙が終わってからというもの、特にマスコミの方たちから、「次の選挙に出るのか出ないのか」という質問をいただき続けています。私は、「候補者が落選すると、捲土重来か、政界引退か、その二者択一しかないという発想が貧困だったのではないか」と指摘させていただいています。

 私はもともと議員になることが目的だった人間ではありません。「一人一人の心が健康な社会を作る」という目標のために、与えられた条件の中で、最も効果的だと思われる手段を追求してきた人間です。もちろん、政治のあり方が人の心に与える影響は大きいものですし、特に、今回の総選挙後の政治状況は看過できるものではありません。

 単に「次の選挙に出るのか出ないのか」という発想ではなく、日々移り変わる政治状況の中、また、自分に与えられた条件の中で、引き続き、最善を尽くさせていただきたいと思っています。

 先日、下野新聞が「注目したい第三の道」というコラムを書いてくださいましたが、まさに、「捲土重来か政界引退か」という二者択一から解放された「第三の道」を多くの人が歩むことができれば、日本の政治はもっと活性化すると思っています。

 このような私の考え方を、水島広子と歩む会の幹事の皆さまには温かくご理解いただき、「どんな形であっても支援する」というありがたいお言葉をいただくことができました。

 もう少し落ち着きましたら、また折々の活動報告をさせていただきたいと思っております。今後ともご指導・ご支援いただけますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。

選挙事務所にてのごあいさつ(2005年9月12日未明)

 皆さま、まずはありがとうございました。このたびの選挙では、連合栃木の皆さま、簗瀬進総合選対委員長をはじめとする国会議員、県会議員、市会議員の皆さま、そしてそれぞれの後援会の皆さま、さらに水島広子と歩む会の皆さま、県外からボランティアに駆けつけてくださった方たちも、昼夜を分かたず全力でのご支援をいただき、本当にありがとうございました。

 何の利権も求めず、見返りも求めずに、ただただ「栃木から日本を健康に」したいという思いで、これだけ全力のご支援をしてくださった皆さまは、栃木県の宝だと思っています。本当にありがとうございました。

 6年前に元祖・落下傘候補として家族3人で宇都宮に移り住んできたときに、栃木一区の皆さまには本当に温かく迎えていただいたこと、本当に感謝しています。それから2回にわたって国政に送り出していただき、子どもたちが健康な心をもって成長できる社会の実現のために必要だと思う仕事をしっかりとさせていただけたこと、また、日本にもこんな国会議員が存在できるのだということを国内外に示せたことは、大変ありがたいことでございました。

 今回は、これだけの逆風選挙でありながら、前回よりも多くの票をいただき、10万人以上の方が「水島広子」と名前を書いてくださったこと、栃木一区の皆さまに心から感謝を申し上げます。でも、選挙というのは議会制民主主義の根幹をなす大変重要なものであって、その結果は結果が全てです。今回の選挙の結果を見て、これからの日本の政治が大変心配ではありますが、今回私は栃木一区の皆さまから「国会の外で働くように」というお声をいただいたわけですから、国会の外で、自分の目標に向かって、またできるだけのことをしっかりとさせていただきたいと思っております。 皆さまの今までのお取り組みに心から感謝を申し上げますとともに、まだ未熟ではございますが、今後ともご指導・ご支援をいただけますようお願い申し上げます。

国会報告 その5(2000.8.17発行)(後半)

■8月6日(日) 苦しい4時起き。
広島への原爆投下日であり、5時から平和祈念朝起き会に参加。

その後、雑誌コスモポリタンの人が朝食風景の取材に来る。
私はどんなことがあっても朝食を欠かしたことがないということを話すと感心してくれた。

10時から労組の定期大会に出席。

その後、支持者の方が鬼怒川の河原で開いたバーベキュー大会に夫・娘と共に参加。

13時から「秘書公募の会(仮称)」。
先日の秘書公募に応募され、惜しくも不採用となった方たちと親睦を深める会。
こんな会を開いて良いのかどうか迷ったが、より良い社会実現に向けて一歩を踏み出した方たちなのだから今後も交流を持ちたいと思って企画した。
30名近くの方が参加され、今後も会合を持っていくことになった。
話が弾んで予定を30分超過して15時半に終了。

相変わらず、「水島広子ネットワーク通信」の発送のためにボランティアの皆さんが袋詰め作業をしてくださっているので、民主党の事務所に顔を出す。

18時から、娘を連れて「みや祭り」に参加。
今日は、サンバを踊っている知人の激励。

その後、事務所のスタッフと久しぶりにゆっくりタイ料理の夕食を食べた。
偶然、行き会った労組の委員長夫婦と同席。

■8月7日(月) 8時から恒例のマンデーレポート。

その後、事務所に戻って後援会名簿のチェックなど事務作業。

10時45分の新幹線で東京へ。
取材を一件受け、13時半から、厚生省担当者が来訪。
明日の厚生委員会で質問するため、何を質問するつもりかを聞きに来るのだ。

民主党では、国対の方針で、「答弁は大臣か政務次官に」と決まっている。
官僚に答えてもらうのではなく、政治家同士が議論で渡り合おうという考え方だ。
私もその方針に賛成なので、「答弁は大臣か政務次官に」と伝えた。
すると厚生省の人たちが「大臣答弁は大きい質問だけにしてもらえませんか」「本当にこんなことまで大臣に聞くんですか」と抵抗。
「民主党の方針ですから」と押し切った。
(この後、政策秘書のところに電話があって、「ほかの民主党の先生方も役人に答えさせていますから、水島先生も」という脅し?があったそうだ。
さすがは私の政策秘書、「他の人はそうでも水島は水島ですから」と頑として聞き入れなかったとのこと。
政治家に答えさせると失言するかもしれないと思っているのか? この厚生省の姿勢はギモン)

15時から、教育基本問題調査会。
今日は日教組からの聞き取り。
16時に中座して、新幹線で宇都宮へ。

18時から、民主党の県連の幹事会。
小林代表も簗瀬代表代行もいなかったため、私が座長を務める。
選挙で県連が背負った借金を返済するための「躍進パーティー」が話題。
私は政治資金パーティーをやらないでいこうと思っているが、党が背負った借金であれば仕方がない。
それにしても、きついノルマに気は重い。
皆さま、どうぞご協力をお願いいたします。

■8月8日(火) 7時32分の新幹線で東京へ。

9時から取材。

10時から厚生委員会。
今日は雪印問題についての集中審議。
午前中は、雪印社長やジャーナリストなどの参考人質疑。
午後からは政府に対する質疑。
私の質問は14時55分から20分間。
委員会質問は初めてだったが、代表質問と違って、何度でも再質問できるからやりがいはあった。
今後に向けての安全衛生対策について主に質問した。
私は、質問とは、相手を責めるよりも、「これからはこれをやります」という答えを引き出すためにやるものだと思っている。
特に厚生行政の場合、命に関わる問題だけに、今後の方針が重要だ。
そう思ってどんどん質問していたら、後で、取材していたフジテレビの人から「他の議員よりも淡々と質問していたが、一番多くの答えを引き出していた」とほめられた。
委員会質問は病みつきになりそうである。
大臣は参議院の予算委員会に出席していたため、私は政務次官にもっぱら質問。
途中で厚生省の局長が答えそうになったが、「私は政務次官にお願いしています」と、断った。

厚生政務次官(公明党)はとても有能な人なので、質疑応答もとてもテンポよく進めることができた。

16時に厚生委員会が散会し、議員の訪問を一件受けて(子ども病院に関する件)、16時半から子どもプロジェクトについて肥田美代子代議士と打ち合わせ。

17時半から取材。

19時から、枝野幸男代議士の呼びかけで「公募の会」。
枝野さんを含めて公募で当選した6名が集って意見交換をした。
今後は、落選した人も含めて公募の会を充実させていくこととなる。
遅くなって新幹線がなくなってしまったため、初めて議員宿舎に泊まった。
最も家賃が安いので決めた青山宿舎は「お化け屋敷」と言われているほど古い建物だが、私にとっては全く問題のない宿舎だった。
こんな宿舎を嫌がるとは、皆さんちょっと贅沢なのでは?
送っておいた布団を箱から取り出して何とか眠る。
全く足を踏み入れたことのなかった宿舎を片づけたりしていたら、結局宇都宮に帰るよりも睡眠時間が短くなってしまった。

■8月9日(水) 議員宿舎から地下鉄で出勤。
8時から厚生部会。
医療費と医療法の件で厚生省から説明を受ける。
老人医療費が高いのはわかるが、またしても「自己負担を増やすことで医療費を抑制する」というパターンの話であるため憤慨。
現在、たくさんの科にかかって浴びるように薬をもらっている老人でも、漢方治療や鍼治療を採用することによって医療費を軽減することができる。
そのような質的な改革なしに、単に医療費を削減しようとするのは、専門家でなくてもできることだ。
不要な(?)医療を受けている人の受診を抑制するために自己負担を上げても、結局苦しむのは本当に必要な医療を受けている人たちだ。
このあたりのことを意見する。
また、医師の臨床研修を義務化するということだが、その間の給料を保証しないと、研修中なのに一人前の顔をしてアルバイトするという習慣は変わらない。
また、アルバイト禁止にすると、20代半ばまで親のスネをかじれる一部の人しか医者になれなくなる。
そのあたりのことを指摘した。
ちなみに、私は研修医時代の月給は2万5千円。
休日返上で当直をたくさんやって食べていた。

9時から、介護保険をより良くするプロジェクトチーム。
関係団体から説明を受ける。
宇都宮の方も見えていた。
介護保険がどう考えても多くの問題をはらんでいるということを再認識。

10時半から、青少年問題特別委員会。
閉会のための儀式で、すぐに終わる。

10時45分から、ダラス=モーニングニュースのアジア支局の取材(英語)。

11時半から、日経ウーマンの取材。

12時半から、厚生委員会。
こちらも、閉会のための儀式。
12時40分から、代議士会。
13時から、本会議。

国会生活をしているうちに、「この際、暫時休憩します」というような「国会用語」に気づいた。
特に「この際」と「暫時」は多用されている。
こんな生活を続けていたら、日常会話でも「この際」などと言うようになりそうだ。

14時から、連合本部を表敬訪問。

慌てて戻って15時から代議士の部屋を一件訪問。
15時から始まっていた「少年犯罪総合対策プロジェクトチーム」に参加。
弁護士とジャーナリストから説明を受ける。
米国では、厳罰主義を保ちながら、更正システムを充実させている。
米国での「刑罰」というのはほぼ「隔離」を意味するようだ。
社会の安全を守るために隔離しておいて更正を徹底するという思想のようである。
日本のように、単なる年齢論議に終始する少年犯罪対策とはずいぶん違う。

18時から、衛星チャンネル・朝日新聞クロストークの収録。
社民党の辻元清美代議士と対談。
彼女は選挙中「お願いします」という言葉は絶対に使わなかったそうだ。
代わりに、「一緒に責任をとりましょう」と言い続けたとのこと。
こういう姿勢の人の方が、本当に国民のためによく働くのが最近の傾向だ。
選ぶ側も、頭を下げられたから「応援してあげる」という姿勢を改めない限り、良い政治家を得ることは難しいと思った。
また、そのスタイルで当選した辻元さんに敬意。

20時20分の新幹線で宇都宮に戻り、弔問一件。

■8月10日(木) 午前中、お世話になった方の告別式に出席。

午後は挨拶回り。

■8月11日(金) 6時36分の新幹線で東京へ。
8時から読売新聞の取材。

9時半に議員会館を出て、六本木のスタジオへ。
坂田カメラマンによるアエラの表紙の撮影と記者による取材。
坂田さんは長くニューヨークにいただけあって、日本の社会にもしっかりした客観的な目を向けている。

六本木から有楽町に向かい、12時から日本外国特派員協会の報道昼食会。
ここに招かれて講演するのは、民主党では鳩山さんと菅さんに次いで3人目とのこと。
公用語が英語とのことだったので英語で講演したが、これは、その国の母国語を使うというポリシーを持っている私としてはポリシー違反のような感じがして複雑な気分だった。
講演そのものは上々で、たくさんの質問もいただいた。
私の意見には多くの外国人記者の方たちがうなずいていた。
驚いたのは日本人の記者さんたちが多数紛れ込んでいて(?)、私の英語の講演をかなりの程度理解されていたことだった。

宇都宮に戻り、来客一件。

事務所で打ち合わせをした後、18時半から連合栃木で参議院議員選挙合同選対の第1回会議。

19時半すぎから、地元の盆踊り一件。

20時半からミニ集会。

23時前に事務所に戻って電話取材を一件受ける。
長い一日だった。

8月12日(土) 午前中、高校生の合唱団の激励。
「水島さんは高校の授業中どんな感じだったんですか」「高校のときクラブ活動は何をやっていたんですか」などと素直な質問を受け、あまり真面目な高校生でなかった私は返事に窮してしまった。

事務所で打ち合わせをした後、挨拶回り。

18時半から鹿沼で夕食会に出席。

その後、事務所で陳情の電話を受ける。

★今日の一言メモ
ある方から、男女は生物学的に脳の作りが違うので、男女共同参画というのは不自然なのではないか、クオータ制などはいかがなものか、という質問をいただいた。

男女が生物学的に異なるのは当然のことである。
もしかしたら、どういう仕事が向くか、という点についても、男女の平均値には差があるのかもしれない。
でも、人間の性質というものは、平均値を中心に広く分布しているものである。
例えば、ある仕事への適性は、男性の平均値の方が女性の平均値よりも高いかもしれない。
でも、A子さん(女性)が女性の中でも、その仕事に向いている方で、B夫さん(男性)は男性の中でもその仕事に向いていない方だとすれば、Aさんの方がBさんよりも、その仕事に向いている、ということは十分にあり得る。
今の日本は、「女性は、その職種に向いていない」という決めつけによって、A子さんのような人を、その職種から遠ざけようとする社会構造になっている。
このような構造を変えていくには、とりあえずはクオータ制のような制度によって、女性を積極的に、ある職種に近づけなければならないと思う。
それが実現したら、最終的には、「男性だから」「女性だから」という理由ではなく、「その人は、その職種に向いている」という理由で、性別に関わらずに仕事が選べるようになると思う。
ちなみに、私は政治家という仕事は、男女どちらにも向いていると思う。
だから政治の世界にクオータ制を導入することが必要だと思う。