アメリカ報告3―――娘がチャータースクールに通い始めて」

 下の子ども(4歳)は昨年からモンテッソーリの保育園に通っていましたが、上の子ども(7歳)は今年の新学期からチャータースクールに通い始めました。さすがに7歳になると、英語がまったくしゃべれずにアメリカの学校に行くことがどういうことかを理解できますし、娘の日本の学校には日本語をまったくしゃべれずに入学・転校してきたクラスメートも複数いますので、自分に何が起こるかを十分に予測していた娘は、「学校に行きたくない」とずっと不平をこぼしていました。ただ、先行して保育園に通い始めた弟を励ましているうちに、自分もしっかりしなければと思ったようで、観念して通い始めました。

 ところが、初日から、娘の学校観は見事に変わってしまいました。そして、今では楽しそうに学校に通っています。何といっても、先生や友達の温かい支えが大きいです。みんな、少しでも日本語を覚えて娘とコミュニケーションしようと努力してくれますし(「もうじき娘も英語を覚えるから大丈夫よ」と言っても、「ううん、私たちも日本語を覚える」と言ってくれますので、英語ができないということで人格が否定されるわけではないということを示そうとしてくれているのだと思います)、娘が一人にならないように、学校でも学童保育でも、友達が気を遣ってくれます。

 娘のいる2年生は学校で一番人数の多いクラスなのですが、それでも19人で、担任と副担任の先生が二人でみてくださいます(カリフォルニアは州法の規定によって、3年生までは20人以下学級とすることが決められています)。教室の構造は日本の学校とは違い、先生の立つ場所をぐるりと囲むようにクラスの全員が座ります。ですから、席が前の子も後ろの子もおらず、皆が顔を見合える状態で座っています。
 学校が始まる前に担任の先生からクラスの基本的なルールを教えていただいたのですが、

(1) 授業中にトイレに行きたくなったら、手を握った状態(グーの形)で挙手をすれば、ホワイトボードにイニシャルを書いて出て行って良い。

(2) 本当に具合が悪くなったとき(吐きそうなときなど)は、とにかく外に出るなりトイレに行くなりして良い。

(3) 水(教室に飲水用の蛇口がある)は、休憩時間のみに飲むこと。作業の授業中は飲んでよい。

(4) 授業中の態度に問題があれば、まずホワイトボードに名前が書かれる。さらに問題があれば、その名前にチェックマークがつけられる。このチェックマークが二つになると、名前が丸で囲まれ、休憩時間なしとなる。

(5) 授業中の態度がとてもよい場合には、机の上のシールに先生がしるしをつけていく。このマークが30個たまると、記念のシールがもらえる。

(6) クラス全体の態度がとてもよい場合には、教室の前に貼ってある紙にマークがつく。これが100個たまると、クラスでパーティーをする。

 というきわめて単純なルールに基づいてクラスが運営されています。単純だけれどもなるほどと思わされるのは、まず、生理的な問題で子どもに不当な我慢を強いていないこと。また、悪いことをした場合も、先生の感情ですぐに怒られるのではなく、きちんとしたルールに基づいて、自分がどのくらい「休憩なし」に近づいているのかを自分で確認できること。これらは実社会においてもとても重要な原則だと思います。なんだかわからないルールで不当に自分を押し込めるのではなく、納得しながら責任を取っていくことは重要だからです。
 
 もう一つ感心しているのは、学校の先生がよくほめてくれるということです。私が(日本風に)「娘はご迷惑をおかけしていないでしょうか」というようなことを言うと、「ちゃんとやっていますよ。あなたは娘が良い子だということを知っているでしょう」とむしろ諌められますし、「彼女は本当に賢いし、良い子です。彼女の担任ができることはとても幸せなこと。あなたは娘のことを誇りに思うべきです」などと言ってくれます。もちろん初めてのことなので、とても嬉しいですが、ここでも感心することは、子どもを親の付属物のように言わないで、独立した人格として扱ってくれることです。

 娘はこちらでも学童保育のお世話になっているのですが、学童は校長室とメインオフィス(職員室というものがないので、ここが唯一の全校的な場所。といっても、女性が一人いていろいろと事務的なことを管理してくれているだけですが)の隣という、学校の中心に位置していて、雰囲気は日本の学童とそっくりです。日本と同様、娘にとって学童はかなりくつろげる楽しい場所のようです。

 アメリカは先進国の中でも出生率のかなり高い国ですが、暮らしてみるとそれを肌で感じます。私が住んでいるアパートは、4世帯が一つのブロックになっているのですが、同じ階の2世帯に、娘と同じ年頃の子どもたちが住んでいます(つまり、一つの階の4分の3に学齢期の子どもがいる)。我が家を含めて3世帯の子どもたちが、それぞれの家を訪問しあいながら、あるいは、アパートのすぐ下にある公園で、仲良く(時にはケンカをしながら)遊んでいる姿は見ていて嬉しくなります。ここも多国籍で、隣の家はインド人、その隣は金髪のアメリカ人です。金髪の女の子が、隣のインド人の赤ちゃんを抱っこしてあやしている姿は、なかなか良いものです。もちろん、そんなアメリカでも、「昔は暗くなるまで外で遊ぶのが子どもの仕事だった。今は危なくてそんなことはできない」と年配者が嘆く姿は日本と同じですが。