アメリカ報告3―――コミュニティ・サービスとしてのアティテューディナル・ヒーリング

 子どもの学校が落ち着くまでは子ども中心に生活していたのですが、どうやら軌道に乗り始めたので、アティテューディナル・ヒーリング・センターでの研修兼ボランティアも本格的に始めました。

 これから少しずつご報告していこうと思いますが、まずはセンターの概観を述べたいと思います。創始者のジャンポルスキー博士も私も精神科医だということもあって、センターを病院や学究機関だと思われている方もいらっしゃるようですが、そうではなく、センターはあくまでも市民同士の助け合いの場としてのコミュニティ・サービスとして位置づけられます。

 センターはさまざまなサービスを提供していますが、その中心であるピアサポートグループ(仲間同士の助け合いのグループ)は、現在、以下のようなスケジュールになっています。

月曜日 10:00-12:00 慢性疾患と共に生きる
    17:00-19:00 Person-to-Person(特に病気などがあるわけではないが、自分の生き方にアティテューディナル・ヒーリングを取り入れたい人のグループ)
    19:30-21:30 Person-to-Person
    19:30-21:30 転移癌を持つ女性とその夫のグループ

火曜日 17:00-19:00 ゲイの男性のグループ
    19:30-21:30 致命的な病気を持つ人のグループ
    19:30-21:30 介護者のグループ
    19:30-21:30 配偶者を失った人のグループ

水曜日 10:00-12:00 加齢を考えるグループ
    10:30-12:00 転移癌の女性のグループ
    19:00-21:00 男性のストレス
    18:45-20:00 子どものグループ(第1週・第3週は病気を持つ子どもたち、第2週・第4週は近親者を失った子どもたち)
    18:45-20:00 上記の子どもたちの親のグループ

木曜日 10:00-12:00 Person-to-Person
    19:00-21:00 子どもを失った親のグループ
    19:00-21:00 HIV/エイズの人のグループ
    19:00-21:00 親しい人を失った人たちのグループ
 
長くなってきたので、また次回に続けます。

アメリカ報告3―――娘がチャータースクールに通い始めて」

 下の子ども(4歳)は昨年からモンテッソーリの保育園に通っていましたが、上の子ども(7歳)は今年の新学期からチャータースクールに通い始めました。さすがに7歳になると、英語がまったくしゃべれずにアメリカの学校に行くことがどういうことかを理解できますし、娘の日本の学校には日本語をまったくしゃべれずに入学・転校してきたクラスメートも複数いますので、自分に何が起こるかを十分に予測していた娘は、「学校に行きたくない」とずっと不平をこぼしていました。ただ、先行して保育園に通い始めた弟を励ましているうちに、自分もしっかりしなければと思ったようで、観念して通い始めました。

 ところが、初日から、娘の学校観は見事に変わってしまいました。そして、今では楽しそうに学校に通っています。何といっても、先生や友達の温かい支えが大きいです。みんな、少しでも日本語を覚えて娘とコミュニケーションしようと努力してくれますし(「もうじき娘も英語を覚えるから大丈夫よ」と言っても、「ううん、私たちも日本語を覚える」と言ってくれますので、英語ができないということで人格が否定されるわけではないということを示そうとしてくれているのだと思います)、娘が一人にならないように、学校でも学童保育でも、友達が気を遣ってくれます。

 娘のいる2年生は学校で一番人数の多いクラスなのですが、それでも19人で、担任と副担任の先生が二人でみてくださいます(カリフォルニアは州法の規定によって、3年生までは20人以下学級とすることが決められています)。教室の構造は日本の学校とは違い、先生の立つ場所をぐるりと囲むようにクラスの全員が座ります。ですから、席が前の子も後ろの子もおらず、皆が顔を見合える状態で座っています。
 学校が始まる前に担任の先生からクラスの基本的なルールを教えていただいたのですが、

(1) 授業中にトイレに行きたくなったら、手を握った状態(グーの形)で挙手をすれば、ホワイトボードにイニシャルを書いて出て行って良い。

(2) 本当に具合が悪くなったとき(吐きそうなときなど)は、とにかく外に出るなりトイレに行くなりして良い。

(3) 水(教室に飲水用の蛇口がある)は、休憩時間のみに飲むこと。作業の授業中は飲んでよい。

(4) 授業中の態度に問題があれば、まずホワイトボードに名前が書かれる。さらに問題があれば、その名前にチェックマークがつけられる。このチェックマークが二つになると、名前が丸で囲まれ、休憩時間なしとなる。

(5) 授業中の態度がとてもよい場合には、机の上のシールに先生がしるしをつけていく。このマークが30個たまると、記念のシールがもらえる。

(6) クラス全体の態度がとてもよい場合には、教室の前に貼ってある紙にマークがつく。これが100個たまると、クラスでパーティーをする。

 というきわめて単純なルールに基づいてクラスが運営されています。単純だけれどもなるほどと思わされるのは、まず、生理的な問題で子どもに不当な我慢を強いていないこと。また、悪いことをした場合も、先生の感情ですぐに怒られるのではなく、きちんとしたルールに基づいて、自分がどのくらい「休憩なし」に近づいているのかを自分で確認できること。これらは実社会においてもとても重要な原則だと思います。なんだかわからないルールで不当に自分を押し込めるのではなく、納得しながら責任を取っていくことは重要だからです。
 
 もう一つ感心しているのは、学校の先生がよくほめてくれるということです。私が(日本風に)「娘はご迷惑をおかけしていないでしょうか」というようなことを言うと、「ちゃんとやっていますよ。あなたは娘が良い子だということを知っているでしょう」とむしろ諌められますし、「彼女は本当に賢いし、良い子です。彼女の担任ができることはとても幸せなこと。あなたは娘のことを誇りに思うべきです」などと言ってくれます。もちろん初めてのことなので、とても嬉しいですが、ここでも感心することは、子どもを親の付属物のように言わないで、独立した人格として扱ってくれることです。

 娘はこちらでも学童保育のお世話になっているのですが、学童は校長室とメインオフィス(職員室というものがないので、ここが唯一の全校的な場所。といっても、女性が一人いていろいろと事務的なことを管理してくれているだけですが)の隣という、学校の中心に位置していて、雰囲気は日本の学童とそっくりです。日本と同様、娘にとって学童はかなりくつろげる楽しい場所のようです。

 アメリカは先進国の中でも出生率のかなり高い国ですが、暮らしてみるとそれを肌で感じます。私が住んでいるアパートは、4世帯が一つのブロックになっているのですが、同じ階の2世帯に、娘と同じ年頃の子どもたちが住んでいます(つまり、一つの階の4分の3に学齢期の子どもがいる)。我が家を含めて3世帯の子どもたちが、それぞれの家を訪問しあいながら、あるいは、アパートのすぐ下にある公園で、仲良く(時にはケンカをしながら)遊んでいる姿は見ていて嬉しくなります。ここも多国籍で、隣の家はインド人、その隣は金髪のアメリカ人です。金髪の女の子が、隣のインド人の赤ちゃんを抱っこしてあやしている姿は、なかなか良いものです。もちろん、そんなアメリカでも、「昔は暗くなるまで外で遊ぶのが子どもの仕事だった。今は危なくてそんなことはできない」と年配者が嘆く姿は日本と同じですが。

アメリカ報告2――― グローバル・ヒーリング会議

 新年あけましておめでとうございます。
 米国ではクリスマスがお祝いのハイライトで、新年はそれほどでもありません。クリスマス休暇に親戚を訪問したような人たちも、年末には戻ってくることが多いようです。さすがに1月1日は休みですが、ほとんどは1月3日から通常の活動が始まります。1月2日は休日らしいのですが、アティテューディナル・ヒーリング・センターをはじめ、2日から通常活動を始めるところもあります。

 北カリフォルニアは、雨季の最中で、毎日のように雨が降っています。年末年始は、河の流域を中心に洪水被害も出ました。我が家もようやくケーブルテレビの契約をしたのですが、テレビを見ていると、ピーっとアラームが鳴って、災害放送が入ります。「ベイエリア(サンフランシスコを含む湾岸地域。私が住んでいるところも、ベイエリアに含まれます)の災害報道をするため、番組を中断します」「これこれの地域の人は、何曜日の何時に洪水の危険性があるため、避難をお勧めします。シェルターにはペットは入れません。また、何曜日の何時までは高波の恐れがあり・・・」という具合に、かなり具体的な数字を盛り込んで繰り返し知らせてくれるので、様子がよくわかります。

 アティテューディナル・ヒーリング・センターは、私の到着直後から年末休みになってしまったので、センターそのものの活動はできませんでしたが、創始者ジャンポルスキー博士のおかげで、興味深い方たちに会う機会を持ってまいりました。その中の一人、ウィルフォード・ウェルチ氏から、とてもおもしろい国際会議を教えていただきました。日本人は一人も関わっていないそうなので、皆さまにもぜひお知らせしておこうと思います。

 その国際会議は、「Quest for GLOBAL HEALING II(地球レベルの癒しを求めて 第2回会議)」(以下、ここでは「グローバル・ヒーリング会議」と呼ぶことにします)というものです。

 私がお会いしたウェルチ氏は、米国外交官としてアジアでの長いキャリアを持ち、さらに新聞発行などさまざまな経験を持つユニークな方ですが、私と同じ関心を持つ人としてジャンポルスキー博士が紹介してくださいました。
ウェルチ氏は、「現状が問題だと思ったらまず何か自分でやるべき。誰かのせいにすることは簡単だけれども、それでは何の解決にもならない」という信念に基づき、同じ関心を持つ世界中の人をつなぐ役割を果たしています。彼が共同代表を務める「グローバル・ヒーリング会議」は、2004年に第1回会議が開かれ、本年5月に行われる会議が第2回となります。

 どういう集まりかをご理解いただくために、パンフレットの「お呼びかけ」の部分を以下に訳してみます。

■■■懸念を持った地球市民、ビジネスリーダー、学者、その他の改革者たちとともに、人類がこの地球で、もっと力を合わせて、平和に、持続可能に暮らせる未来を探索する、特別な集まりに参加しませんか? このユニークな集まりは、世界がどの方向に進んでいるのかということを懸念し、解決の力になりたいと思っている人たちのために創られています。「地球レベルの癒しを求めて」は、一歩を踏み出し、世界を変えるためにあなたが何をするかを決めるための機会です。■■■

 ウェルチ氏の言葉を借りれば、「これは普通の会議とはまったく違う。普通の国際会議というのは、参加者はずらりと椅子に座り、演者は、自分はいかに頭が良いかということを示すものだ。そういう会議に出ても、数日間は感動が残るが、数日後には普通の生活に戻ってしまう。われわれの会議は、もっとボトムアップで、完全な参加を求めるものだ」ということです。ただ、この「完全参加」を可能にするために、英語で本格的にコミュニケーションできることが参加条件になっています。日本人がまったくかかわれていない一つの理由がここにあるのではないかと思います。

 第2回会議には、ノーベル平和賞受賞者のデズモンド・ツツ大司教(南アフリカの反アパルトヘイト運動家)、ウォルター・クロンカイト氏(「アメリカの良心」とも言われた著名なジャーナリスト。ベトナム戦争撤退のきっかけを作った)、ファティマ・ガイラニ氏(アフガニスタンの著名な女性運動家。訪日経験もあり、日本語ではファタナ・ガイラニと表記されていることが多いようです)を含む、大変魅力的な方たちが演者として参加されます。

 開催地は、バリ島のウブドです。自然と文化・芸術が見事に融合した町で、私も何度も訪れていますが、バリで会議を開くことにも意味があるそうです。バリの人たちは、毎朝、三つの調和を祈るそうですが、一つは、周りの人との調和。二つ目は、自然との調和。そして、三つ目は、スピリチュアルなものとの調和。このため、「バリの豊かな文化が、癒し、許し、(人や自然との)調和を学ばせてくれます」(パンフレットより)ということです。

 こんなすばらしい集まりになぜ日本人が一人もかかわっていないのかという話をしているうちに、またしても情報疎外について考えさせられました。
 政治の場にいても、国際的なニュースは、日本のメディアが報じない限り、日本人はほとんど知ることができません。イラクの問題にしても、郵政にしても、政府の言い分をそのまま報道するメディアからしか情報を収集できない日本人は、まさに洗脳されているのと同じような状態にあります。この問題を何とかしなければならない、と改めて感じます。

 「グローバル・ヒーリング会議」では私自身もワークショップを開催するように、とジャンポルスキー博士から勧めていただいたのですが、現在米国滞在中ということもあり、経済的にも難しそうです。その代わりに、言語の壁を越えて日本人が国際的なネットワークと協調していくための方法を、ウェルチ氏とも相談していきたいと思っています。

 もしも英語が堪能でこの会議に参加してみたいという方がいらっしゃいましたら、ホームページ(http://www.questforglobalhealing.org/index.htm)を訪問していただくか、私にご連絡ください。

アメリカ報告1―――カリフォルニアにやってきました!

 米国に到着してちょうど一週間がたちました。どうなることかと思ったアパートも見つかり、今日ようやく入居しました。家具はこれからガレージセール(家の車庫で中古品を売り出すもの)やインターネットで物色していくことになりますので家の中はまだガランとしています。

 サンフランシスコは米国でも最も不動産の高い地域として知られており、その郊外のマリン市(私が住んでいるところ)の家賃もかなり高いのですが、その住環境は日本とは比べものになりません。広さや自然環境といったことだけでなく、安アパートであっても気の利いたものが備え付けられていることには感激します。

 ちょうどすべてがクリスマス休みに入るところなので、こちらも本格的な活動は年明けからとし、それまでは生活の基盤作りに費やそうと思っています。すべてがSocial Security Number(社会保障番号。国民総背番号みたいなもの)を中心に回っている米国では、この番号がないといろいろな不便があります。また、家賃や公共料金の支払いなど、外国人にはいろいろと不便なこともあります(これは、支払手段の不便ということだけで、日本の一部に見られるような「外国人オコトワリ」とはまったく違います。ちなみに私がアパートを借りた不動産屋さんの女性も、ドイツ国籍の人であるということが昨日判明しました)。

 そのような制約の中でも、一般市民はとても親切で、何とかしてあげようという気持ちが温かく伝わってきます。また、公共サービスに従事する人であっても、冗談好きで、一言は笑いが出ることを言ってくれるので、基本的に明るい気分ですごすことができます。 

 よく、日本人は礼儀正しいと言われますが、少なくとも「人を見たら挨拶する」ということは、アメリカ人の方が徹底して実践していると思います。このちょっとした声かけや笑顔がどれほど良い生活環境を作り出すか、ということは、かねてから感心して見ていました。スーパーで買い物をしていても、カートに乗って歌を歌っているうちの子どもたちを見た女性が「まあ、歌っているわ。なんてかわいらしいんでしょう」などと言ってくれるので、子育て支援にもなります。

 幸い、子どもたちにもとても良い学校と保育園を見つけることができました。すでに下の子は保育園に通い始めました。やはり米国でも公立の保育園では待機児童になってしまいますが、幸い、モンテッソーリ式教育をしている保育園に空きがあったため、お願いすることにしました。空きがあるから、という消極的な理由で入ったモンテッソーリですが、実は現地では「心と頭に良い」と評判の保育園でした。

★ チャータースクール ★

 上の子の学校はチャータースクールにしました。チャータースクールというのは、親が公立学校を作る、というタイプの、アメリカ独自の制度です。私を含めて、教育行政に関心の高い人なら、コミュニティスクール同様に大変心を惹かれる制度です。チャータースクールはまだ歴史が浅いのですが、カリフォルニアはその中では歴史の長い方です。公立学校と同じ敷地にあり、はじめは公立学校への入学をお願いして帰ろうとしたのですが、帰りに立ち寄った教育事務所で「隣にはチャータースクールもありますが、見ましたか」と言われて存在を知りました。個人の選択を重視するアメリカでは、役所であっても、案外面倒くさがらずに選択肢を提供してくれます。

 チャータースクールを保護者として体験することはとても貴重なことだろうと思ったのですが、校長先生がとても理解のある方で、早速、日本語と英語がともに話せる市民を2人、娘のためのボランティアとして見つけてくれました。そもそもチャータースクールでは私たち保護者も年間55時間学校のためにボランティアすることが要求されていますので、人々のボランティアによって成り立っている学校なのですが、英語がまったく話せない娘にとってはこれほど心強いことはありません。ほかの先生たちは、「英語のハンディがあるからまずは1年生に編入して、あとで2年に移ったらどうかしら」と言ってくれたのですが、そこは校長先生が毅然として「ボランティアを見つけたから言葉は何とかなります。彼女は2年に編入するのが最も自然なのだから」と、方針を決めてくださいました。

 なお、このチャータースクールは、アティテューディナル・ヒーリング・センターのすぐ裏手にあり、センターのスタッフが学校の中で活動しています。ですから、校長先生はセンターの良き理解者で、私の研修もとても楽しみにしてくださっています。

 学校にしても、保育園にしても、私の子どもたちはまったく英語が話せませんので、受け入れてもらえるのだろうか、ということを渡米前には心配していましたが、どこに行っても、「本人が気分よく過ごせるのであれば、こちらはまったく問題ありませんよ」と同じように言われました。これは、個を重視するアメリカの価値観もあるのでしょうが、同時に、英語が第二言語である子どもたちを日常的に多く引き受けているという事情もあるようです。娘が入る予定の2年生のクラスをちらりとのぞかせてもらいましたが、各人種がそろっているという感じで、多様な雰囲気を好ましく思いました。

★ アティテューディナル・ヒーリング (AH)★

 アティテューディナル・ヒーリング・センターでの私の活動は1月から本格的に始めることになりますが、まず、私がなぜアティテューディナル・ヒーリング(AH)に興味を持ったのか、という背景を少々述べさせていただきたいと思います。

 政治活動の中で、私のテーマは往々にして「不安」でした。
 不安は、社会の中でいろいろなマイナスを作り出しています。たとえば、社会の仕組みに変化を起こすことができないのは、不安によるところが大きいものです。夫婦別姓を認めると家族の絆が壊れるのではないか? というのは、まさに典型的な例でしょう。これは私の専門である「対人関係療法」が扱う問題領域の一つでもあるのですが、人間は、何らかの変化を乗り越えようとするとき、新しい環境に関して強い不安を感じる傾向があります。この不安が、変化をしようとする人の足を引っ張ることになります。

 また、不安は、人に「与える」ことにもブレーキをかけます。「自分も苦しいのに、人のことどころではない」と思っている人は多いものです。実際には、客観的に見てもっと「苦しそう」な人の方が他人に惜しみなく与えていることもあり、主観的な「苦しさ」が問題だということがわかります。

 「老後の心配」という不安も、特に日本では大きな社会的テーマです。老後が心配だから、と、亀が手足を引っ込めてしまうように、何もできなくなってしまうのです。確かに、ころころと言い分が変わる政府のありさまを見ていると、手足を引っ込めたくなる気持ちもわからないではないですが、それでは、政府をもっと誠実なものに変えることもできません。

 不安と双子のような関係にあるのが「罪悪感」です。罪悪感も、社会のいろいろな面を支配しています。特に、働く母親などは典型的な被害者でしょう。子育てによって職場に迷惑をかけているという罪悪感、仕事のために良い母親でいられないという罪悪感、子どもの世話を頼んでいろいろな人を巻き込んでしまう罪悪感・・・、と、一日中罪悪感を抱いているような人も少なくありません。罪悪感が何を生むか、というと、プラスのことは生まれません。罪悪感は仕事の生産性を落とし、対人関係をゆがめ、子どもと一緒にいても「心ここにあらず」になってしまいます。アティテューディナル・ヒーリングでも、「今このときを生きる」ということを大切にしていますが、特に子育てにおいては、「今」が一番大切です。子どもの将来のために、と、子どもには目もくれずに仕事に明け暮れたり子どもに過度な要求をしたり、というふうにしてしまうと、結局は「今」の子どもをネグレクト(育児放棄)してしまう、という皮肉な結果になってしまいます。罪悪感ばかり抱いてしまうと、子どもと一緒にいても、心のかなりの部分が自分を責めることに使われてしまいますから、子どものために使われる心の量がそれだけ少なくなってしまいます。

 罪悪感というのは、他人との関係の中で生まれることが多く、本人の自覚と十分なコミュニケーションによってかなりの程度克服できる、と私は思ってきましたが、不安についてはそんなに簡単なものでもありません。「だって老後がこれだけ心配なのだから、不安になって当たり前でしょう?」と言われてしまうと、それもそうだと思ってしまいます。このような不安を自然なこととして認めた上で、不安に飲み込まれてしまわないよう、できるだけの客観視につとめる、というのが、一言で言えば、現実的な精神医学のアプローチです。

 でも、もう少し確固たる価値観を作り出すことはできないのだろうか、ということを私はずっと考えてきました。特にここのところの日本では、弱者を見つけてバッシングしたり、政治がますますおかしなことになったり、と、ますます豊かな精神性からは遠ざかっているように思えます。そんな中、たとえば、老後を不安に思うことで人生の質が上がるのか、と言えば、決してそんなことはありません。むしろ、将来にばかり目が向いてしまって現在がおろそかになってしまう、というのは、子育ての場合と同じです。将来の保障もない上に、今このときまで不愉快な気持ちですごさなければならないという必要性はないのではないでしょうか。

 この疑問に答えを出してくれるのがアティテューディナル・ヒーリング(AH)です。不安や罪悪感を手放すことの重要性を教えてくれるものです。誤解しないでいただきたいのは、不安を手放すと言っても、決して、投げやりに刹那的な生き方をしようと言っているのでもないし、現実から逃避するような価値観にしがみこうとしているものでもないということです。
 
 最後に、余談ですが、米国に来て、「U.S. Post Office」(アメリカ合衆国郵便局)と書かれた立派な郵便局を地域のあちこちで見かけたときには、複雑な気分になりました。郵政民営化に賛成した方たちは、この事実を知っているのでしょうか・・・?
 

子どもの事件をめぐって

 12月10日、子どもの村シンポジウムの帰りの新幹線で、相次ぐ痛ましい事件をめぐって朝日新聞の取材を受けたのですが、大阪にしか配られない新聞のようなので、少々ご報告します。

 子どもの安全をどう図るか、ということについて、私は、問題解決の柱は大きく二つだと思っています。一つは、学童保育の整備です。共働き世帯や片親世帯であっても、学童保育に入れていない子どもがまだまだいます。学童保育の充実をめぐっては毎年要請活動が続けられてきていますが、保育園に比べると明らかに出遅れています。保育園時代は何とかなっても、子どもが学校に上がると突如として「放課後問題」が出てくる、というのは、政策的にも整合性に欠けることだと思います。この一連の事件を見て、日本も欧米のように保護者に子どもの送迎義務をかけるべきでは、という意見を述べている方もおられ、私も理解できる部分がありますが、その大前提としては、学童保育で、せめて保育園なみの時間は預かってもらえる、という環境整備が必要だと思います(さらに言えば、ワーク・ライフ・バランスを改善させて、子どもの送迎を優先させられる職場環境も必要)。

 記者の方が心配しておられたのは、「送迎義務という話になると、やはり女が仕事などせずに家にいるべきだという話になるのではないか」ということでした。おそらく、一部の無理解な政治家はそのようなことを言うでしょう。でも、現実を見れば、少子化と地域の空洞化は間違いなく進んでいるのであり、その時代に、母親が子どもを迎えに来れば子どもは安全で充実したときを過ごせるのか、というと、それは違うと思います。私はかねてから、保育園と学童保育の整備を、「希望するすべての子どもたちに家庭と学校以外のコミュニティを」をスローガンに訴えてきましたが、学童保育の整備は、子どもの通学路の安全を確保する効果があるとともに、少子化時代の子どもたちに安全な遊び場を提供することにもなるのです。

 もう一つの柱は、やはり地域です。自分自身も子育てをしていて地域の方たちに助けられていますが、顔が見える関係の中での助け合いというのは本当にありがたいものです。そして、その「つなぎ役」をしてくれるのは、往々にして子どもたち自身です。「開かれた学校を進めていたら事件が起こったので、また閉ざすしかなくなった」というような話を時々聞きますが、不審者対策と、顔が見える地域の方に学校を開く、ということは、まったく別の次元の話であって、十分両立するものだと思います。

 また、子どもの安全という観点からは、商店街というのは貴重な存在です。開放的に子どもにも目をかけていただけるので、安全の拠点になります。商店街がシャッター通りになってしまっているところが多いですが、やはり、自分たちはどういう地域に住みたいのか、という地域づくりを真剣に考えなければならない時代だと思います。

 12月13日から渡米することになりましたので、次号は、アメリカからの活動報告となります。今後ともよろしくお願いいたします。

子どもの村シンポジウム

 12月10日、NPO法人 子どもの村を設立する会主催シンポジウム「傷ついた子どもたちの未来を創る ~子ども虐待防止のために、今こそ行動を~」に参加しました。子どもの村は、虐待を受けた子どもたちが人員配置の低い大規模施設にいつまでも置かれている現状を解決するための強力な手段として、私もその活動を応援しているものです。子どもの村について、詳しくは、私の国会報告その220(2005年2月26日号)http://www.mizu.cx/kokkai/kokkai220.htmlをご参照ください。

 この日のシンポジウムに私のほかにシンポジストとして参加された方は、フリーライターの椎名篤子さんと千鳥饅頭総本舗社長の原田光博さんでした。
 椎名篤子さんは、「凍りついた瞳」の作者として有名ですが、虐待の生き字引のような方で、虐待のことは椎名さんに聞けば何でもわかります。日本子ども虐待防止学会副会長も務められ、児童虐待防止法の制定・改正において大きな原動力となってこられました。
 もう一方の原田光博さんですが、皆さん、「千鳥饅頭」とか「チロリアン」というお菓子、と聞けば、ご存知だと思います。なぜ千鳥饅頭の社長さんがこんなシンポジウムに、と思われるかもしれませんが、実は、原田さんは福岡県二丈町波呂(はろ)に日本初の子どもの村を作るべく、準備中なのです。
 日本の「子どもの村を設立する会」を、国際NGOであるSOS子どもの村の日本支部にしてノウハウを活用しよう、と準備を続けてこられたのは、シンポジウムの主催者でもある金子龍太郎さん(龍谷大学教授)なのですが、これはどちらかというとソフト面での作業です。一方、原田さんは、有能な実業家らしく、「お金を集めたり土地を用意したりするハード面は得意」とおっしゃいます。その「ハード面」と、金子先生が持っている「ソフト面」がうまくドッキングしてこの計画が進められているわけですから、心強いことです。

 千鳥饅頭のように、子どもの福祉において社会貢献しようという企業がもっとたくさん出てくれば、と思っています。海外は先行しており、たとえば、サッカーのFIFAも国際NGOであるSOS子どもの村の支援をしており、来年ドイツで開かれるワールドカップの最終試合の収益の一部を子どもの村に寄付することが決まっているそうです。SOS子どもの村では、このお金で世界に6箇所の子どもの村を作ることにしています。
 日本でも、ソフトバンクの北尾さんが「子ども希望財団」を作り、グループ会社の利益の1%程度を児童福祉関連施設に寄付する、とし、初年度は1億7千万円近い額を全国の児童養護施設や自立援助ホームなどに寄付しています。
 こうした動きを通して、子どもの福祉にお金が集まると同時に、社会的な関心も高まることを期待しています。

 シンポジウムで、私は、虐待というテーマに関して国政がまだやり残していることとして、
1 民法。まだまだ親権が子どもの権利に比べると強すぎる日本の民法の改正が必要。具体的には、親権の多様で柔軟な制限のあり方を認める、懲戒権を見直す、など。

2 児童福祉関連の人員配置を増すこと。「お金がないからできない」のではなく、数十年後を見通せば、今、子どもたちに人手をかけておくことは、確実に有効な先行投資になる。

3 虐待を受けた子どもたちが家庭的環境で成長できるようにするためには、子どもの村のように子どもに家庭を提供する活動や、自立援助ホームなどを充実させていくのがもっとも効果的。そのためには、NPOに寄付をした場合に、それが控除対象となるよう、NPO税制を改正することが必要。現在、控除対象となる認定NPOはその要件がまだまだ厳しすぎて、社会の枠組みそのものを変えるには至っていない。

4 子どもの福祉関連の予算が高齢者予算に比べて桁違いに低い現状を見ても、やはり子ども家庭省が必要。

などという話をしました。

新しい地域づくりの知恵


 11月29日、NPO法人フローレンス(東京都中央区)にお招きをいただいたので訪問し懇談してきました。今後の日本の社会作りに向けて可能性を感じましたので、ご報告します。

 私は常々子育て・子育ちのカギは地域だということを述べてまいりました。家庭の子育て力は地域の子育て力に比例するものであって、現在落ちているのは「家庭の子育て力」ではなく「地域の子育て力」なのだ、ということを国会でも発言してきました。私が労働政策で重点を置いている「ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)」も、本人の生活の質を上げると同時に、地域において「自分の子ども以外の子どもを気にかけられる大人をどれだけ増やすか」ということが、その発想の根底にあります。

 でも、地域の再生、ということを考える場合に、日本にはこれといったモデルがなかったことも事実です。その鍵を握るのは専門性を持つNPOなのだろうということはわかっていましたが、行政に分断されてしまったりして、なかなか具体的なモデルに出会えずにきました。

 フローレンスは、その一つのあり方を示しているNPOだと思います。

 そもそも、設立のきっかけがユニークです。代表理事の駒崎弘樹さんはITベンチャーを経営していた新進気鋭の二十代ですが(写真私の右隣の青年が駒崎さん)、彼のお母さんがベビーシッターをなさっていたことから、子どもが熱を出して仕事を休んだことが理由で解雇された人の話を聞き、「病気の子どもの面倒をみるという当たり前のことをしたのに、なぜ仕事を辞めなければならないのだろう」という素朴な疑問を抱いたことがそもそものきっかけだったそうです。そして、病児保育の現状を調べ、現状に適していない補助金制度の問題もあり、ほとんどが赤字経営で伸び悩んでいる、ということを知り、持続可能なモデルを自分で作ってみようと思ったそうです。その際にイメージしたのは、「近所の助け合い」。駒崎さん自身、お母さんが働いていましたが、病気の時には、同じ団地に住む方が面倒をみてくださったそうで、そのような地域を再構築するということがフローレンス事業のイメージなのです。

 現在、フローレンスは、「子どもレスキューネット」という病児保育事業を第一の柱としています。子どもが病気なので助けてほしいという連絡をフローレンスにすると、スタッフ(有償ボランティア)が駆けつけて、まず病院に連れて行ってくれ、保育園に預けることが無理な状態であれば、子育て経験豊かなスタッフが自分の家で看護する、という仕組みになっています。会員になった子どもは、事前にスタッフの自宅を訪問し、スタッフとその環境に慣れ親しむ機会を持ち、スタッフ側でも、その子の健康状態などを把握しておきます。病気になったときに突然知らない人に預けられる、というわけではないところも重要なポイントです。看護するスタッフには医療資格は問いませんが(病児保育についての研修制度はあり)、提携小児科医が常に電話連絡をとれる態勢にあります。

 入会時に1万円、月会費4000円~(健康状態によって多少の差あり)を払うと、月1回までの利用は無料。2回目からは、1時間あたり1000円、という体系です。(送迎のための交通費は別体系) 
 定員40名のところ、希望者が200名もおり、現在160名が待機中という状況。子どもの面倒をみるための有償ボランティアの数が一番の弱点で、現在広報戦略を練っているところだそうです。

 フローレンスのバランスが良いと思ったところは、病児保育だけに特化していないところです。病児保育については、常に、「大人側の都合ばかりに子どもを合わせて良いの?」という疑問がついて回るものだからです。病気のときくらい、自分の家庭で親と共に過ごすことが許されても良いのではないか、ということです。どうしてもというときのための病児保育は必要ですが、本来は、大人の働き方を改善することで対処すべきだというのが正論です。育児休業・介護休業法の改正で、わずか年5日間の看護休暇は制度化されましたが、今の日本の現状を見れば、それが本質的な解決になっていないことは一目瞭然だと思います。

 フローレンスでは、中小企業だけを対象として、ワーク・ライフ・バランスのコンサルティング業務を始めています。このコンサルティングは、イギリスでは政府が率先してやっていることですが、ワーク・ライフ・バランスを福祉という視点だけで見るのではなく、むしろ、それぞれの労働者の満足度・安心感を高めることによって、労働生産性を上げて国際競争力を高めようという考え方です。イギリスでは、貿易産業省が担当しています。イギリスでは、在宅勤務やフレックスなどを導入してワーク・ライフ・バランスを改善したところ、企業の収益性も高まった、というデータもあります。日本にはそのようなデータがなかったこと、大手先進企業の実例を挙げても、「そういうところは恵まれた企業だからできるのでしょう」と言われて終わり、というような状況が続いてきました。

 フローレンスでは、本来、ワーク・ライフ・バランスなどほとんど無縁そうな中小ベンチャー企業を相手に、コンサルティング事業を展開し、ワーク・ライフ・バランスを改善することによって生産性が高まるというデータを作ろうとしています。データを集積すれば、日本の「常識」が打ち破られることになるでしょう。応援したい活動です。

 現在では、単なる病児保育にとどまらず、「フローレンス・パック」として、より「地域」を意識した総合プランも準備されています。地域の再構築、そして、ワーク・ライフ・バランス、という、今の日本でもっとも重要なテーマに真正面から取り組んでいるフローレンスの皆さんに、新しい可能性を感じました。
 今のように、政治が国民の代弁者としての機能を失ってしまっているときこそ、NPOが伸びるときなのかもしれません。

 なお、フローレンスには、今年はじめには厚生労働省も「参考にしたい」と話を聞きに来たそうです。フローレンス自身は、補助金行政には組み込まれていません。それは、補助金目当てに、結局は使い勝手の悪い、持続不可能なものになってしまうのでは、本来の趣旨に反する、という代表理事の判断だそうで、こうした毅然とした姿勢にも、可能性を感じたところです。

 現在、東京都江東区と中央区で事業を展開していますので、ご在住の有償ボランティアをご紹介いただければ助かると思います。(子育て経験があり、意欲がある方)
 今後、東京都23区全体に展開していく予定とのことです。

 12月10日には「子どもの村」のシンポジウム(京都)に参加しますが、「子どもの村」は、虐待をされた子どもたちが大規模施設に収容され続ける現状を改善するために立ち上がったNPOです。また、私が支援を続けてきているチャイルドライン、自立援助ホームなど、質の良いNPOが力を伸ばし、連携していくことによって、地域を新しい形で再構築していくことができるだろうと思っています。
 その際に、フローレンスの理事の方たちのように、マーケティングやITなど、営利事業でも十分に通用する専門性を持った人材がNPOで活躍していただけると、可能性がさらに広がるのだということを感じさせられた日でした。

フローレンス ホームページ http://www.florence.or.jp/

メディアのあり方

昨日パックインジャーナルに出演して、いろいろと思うところがありましたので一言。

★ 司会者の姿勢 ★

まず、司会の愛川欽也さんの姿勢に深い感銘を受けました。

パックインジャーナルは、いまどき珍しい「反権力」番組で、そのことも高く評価できるのですが、それ以上に、愛川さんの姿勢には最近のメディアに見られない気高さを感じました。

出演した自民党議員が中国の反日教育のことなどを例によって話していると、愛川さんが、「ほかの番組ではどうだか知らんが」と断った上で、自分の番組では、敵を作ってナショナリズムを煽るような姿勢は嫌いなのだ、ということを明言しておられました。これで会場の雰囲気が大きく変わりました。

先の総選挙を見るまでもなく、メディアの影響というのは異様に大きいものです。メディアがなぜこれほどまでに影響を持ってしまうのかということについては、先日もご紹介した「自民党が負けない50の理由」にいくつか分類されていますが、たとえば、毎日のように「中国では反日教育が・・・」というようなことをメディアを通して見聞きしていると、それが「真実」であるかのような気になってしまうのです。
司会者の役割というのは案外大きく、ゲストがそういう発言をしたときに、そのまま「ほう、ほう」と聞くのか、それとも、愛川さんのように発言の位置づけをきちんとするのか、という姿勢一つで、受け取る側の印象が大きく変わります。

すべての番組で、司会者が愛川さんのような姿勢をとってくれれば、それだけで日本は大きな可能性のある国になるでしょう。

★ メディアの生命線 ★

昨日のパックインジャーナルのテーマの一つが「NHK民営化議連(自民党)」でした。私自身は、公共放送は必要だと思っているので、何でもかんでも民営化という立場には反対です。なぜ公共放送が必要かというと、災害放送などももちろんなのですが、質のよいニュースやドキュメンタリーを、スポンサーの意向を気にせずに追求できることも、公共放送でなければできないことだと思うからです。

ところが、今のNHKは、国民が知りたいことを報道する、という本来公共放送に期待される役割ではなく、政府が知らせたいことを報道する、という本末転倒な役割を果たしてしまっているところが大問題です。これが、例の従軍慰安婦番組をめぐる政治圧力問題でも明らかになったところです。

もう一つ、NHKが、政官業の癒着の構造を作り出してしまっているという点も、改革が必要な大きな問題です。公共のための放送ではなく、公共の料金に群がる利権の複合体が作られてしまっているということでしょう。

NHK改革のために必要なことは、現在NHKが考えているような、「受信料の不払いをなくせば、改革が進む」というトンチンカンなことではありません。
利権の構造をなくすことももちろん重要ですが、それ以上に大切な問題として、この機会に考えるべきなのは、メディアの姿勢です。

今まで、日本のメディアは「中立」を旨としており、政治的に、右か左かどちらかに偏っていると問題だとされてきました。そして、なぜか政府は「真ん中」という位置づけになることが多かったように思います。
その結果として、多くのメディアが政府の御用放送のようになってしまい、パックインジャーナルのような番組が「いまどき珍しい反権力番組」ということになるのです。

でも、メディアの生命線は、本当に「中立」なのでしょうか。そうではなく、「独立」なのだと私は思います。スポンサーによって立つ民放であれば、完全な独立はありえないとしても、少なくとも、「公共放送」については、政府からの独立はもちろん、すべてから独立であるということが生命線なのだと思います。

NHKの予算承認を国会で行っているというのも、独立を妨げる一つの要因でしょう。「予算を通してもらわないとどうしようもないから」というのが、NHKの人たちが与党の政治家に気を遣う大きな理由だと言われています。

NHK問題が、「受信料を払わない人が増えたから、今のままではもたない。民営化しよう」という安易な方向に進むのではなく、これを機に、ここのところあまりにもおかしいメディアの方向性が是正されることを心から祈るものです。

そして、政府の提灯持ちのような番組や、公務員や官僚を単に批判する憂さ晴らしのような番組ではなく、権力をきちんと検証し、あるべき方向性を建設的に模索しようとするパックインジャーナルのような番組がもっと増えることを、さらに、愛川欽也さんのように、「人として望ましい姿勢」を身をもって示せる司会者が増えることを、心から期待しています。

CS放送出演のお知らせ

11月19日(土)11:00~13:00、朝日ニュースター(CS放送)の「愛川欽也パックイン・ジャーナル」にコメンテーターとして出演します。

テーマは、日米首脳会談、APEC首脳会合、日韓首脳会談、医療制度改革などになるようです。

CS放送をご覧になれる環境の方は、ぜひご覧くださいませ。

自民党が負けない50の理由

 10月31日、宇都宮にて、選対解散式を行いました。選挙を共にたたかってくださった選対役員の方たちがお集まりくださいました。これで、選挙後の処理が一段落したということになります。選挙後の厄介な仕事を共にお引き受けくださった方たちには心から感謝を申し上げます。

 また、10月20日をもって、現職時代の事務所体制を終結しました。事務所本体、ボランティア事務所、私設秘書が5人、という体制は、とても現在の財力では無理ですので、事務所本体と秘書1名程度の体制に変えることになります。どの程度の体制を維持できるかは、今後の党本部とのやりとりの結果次第、ということになります。
 私の事務所では、政治家事務所には珍しく、かなりのやせ我慢をして、雇用保険を含めて秘書全員の社会保険を完備しておりましたので、何とか気持ちよく事務所を縮小できそうです。

 さて、選挙が終わってから、いろいろな場で「総括」をする機会がありました。その都度、いろいろなご意見をうかがってきました。「水島を支持しているとわかると、自治会から声がかからなくなる」という「村八分」現象が、栃木一区ではまだまだあちこちで報告されています。また、「水島は六本木ヒルズに住んでいる」というデマは、泉町(宇都宮の飲屋街)で毎晩のように語られていたそうです。「自民党は、日頃の飲み会の一つ一つが、結果としては選挙運動になる」と、支持者の方がいみじくもおっしゃったように、自民党ネットワークが地域のネットワークとどれだけ一致しているか、というのは、野党サイドで選挙をやった人間しかわからないかもしれません。

 最近、全ての「総括」が書かれていると思う本に出会いました。

「50回選挙をやっても 自民党が負けない50の理由」(土屋彰久著、自由国民社 1400円+税)

という本です。
 2004年7月に発行されたこの本を、ひょんなことで読み始めたのですが、私がこの6年間に身をもって体験したこと、そしてうすうす気づいていたことが、整然と書かれています。

 著者は、「むすび」の中で、本書の内容について「これは全く勝手な憶測だが、ある部分では納得し、ある部分では疑問を覚えたという人が大半であり、しかも人それぞれで、納得した部分、疑問の残った部分は違うのではないかと思う。ついでに憶測を重ねさせて欲しい。あなたが納得した部分というのは、他の部分に比べて、あなたがより多くの知識を持っていたり、日頃から関心を持っていた分野のものではなかったろうか?」と書いています。

 この6年間、政治活動に専念してきた立場からは、この本の内容はほとんどが「より多くの知識を持っていたり、日頃から関心を持っていた分野」ということになりますが、まさに、納得の連続でした。

 政治関係の本としては、近年まれにみるヒット商品だと思います。ぜひ皆さまもお読みになることをお勧めします。そして、この「50の理由」を覆すにはどうしたら良いのか、現実的なご意見をいただければ幸いです。