アメリカ報告6 ――アティテューディナル・ヒーリングの原則1――

 今日は、アティテューディナル・ヒーリングの12の原則を書きます。

1 私たちの本質は愛。
2 健康とは、心の平和(やすらぎ)。癒しとは、怖れを手放すこと。
3 与えることと受け取ることは同じ。
4 私たちは、過去も未来も手放すことができる。
5 存在する時間は「今」だけ。それぞれの瞬間は与えるためにある。
6 私たちは裁くのではなく許すことによって、自分や他人を愛することができるようになる。
7 私たちは他人の欠点を見つけるのではなく愛を見つけることができる。
8 外で何が起こっていようと心の平和を選ぶことができる。
9 私たちはお互いに生徒であり教師である。
10 私たちは自分たちを分断された存在ではなく一つのいのちとしてとらえることができる。
11 愛は永遠のものなので、死を怖れる必要はない。
12 どんな人も、愛を差し伸べているか助けを求めているかのどちらかととらえることができる。

 これらの原則について、私の考えや経験をいずれお伝えしようと思いますが、まずは、パトリシア・ロビンソンという女性が書いた「アティテューディナル・ヒーリングの原則の定義」という小冊子をご紹介したいと思います。アティテューディナル・ヒーリング・センターがジェラルド・ジャンポルスキー博士と4名の女性によって創設されたのは1975年ですが、その4名の女性の一人がパトリシア(パッツィと呼ばれています)・ロビンソンです。
 パッツィの小冊子は最近印刷されたもので、昨年10月の国際会議で配られました。現在もセンターにおいて1冊5ドルで配布されています。

 ちょうど皆さまにアティテューディナル・ヒーリングの原則をご紹介しようと思っていたところに、ジャンポルスキー博士から電話がかかってきて、「パッツィが病気で末期の状態なので、私は小冊子が彼女の遺言だと思っている。いろいろな国の言葉に翻訳してもらっているところだが、日本語に訳してもらえないか」という依頼がありました。もちろん快諾すると共に、インターネットでも紹介することを許可していただきました。

 そこで、少しずつ翻訳しながらご紹介していきたいと思います。わかりにくいところや疑問に思われるところは、ぜひご質問ください。

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☆ アティテューディナル・ヒーリングの定義 ☆

 アティテューディナル・ヒーリングというのは、単に、私たちの態度を変えるというものではありません。むしろ、物事を怖れる気持ちを手放すことを意識的に選択していくということなのです。アティテューディナル・ヒーリングは、自分、他人、世界を、裁くことなく見られるようになるためのスピリチュアルな道です。目標は行動を変えることではなく、変化のための最も強力な手段、つまり、「心」のあり方を変えることなのです。

 心の平和というただ一つの目標を持ち、「許し」の実行というただ一つの機能を果たしていくことは可能です。その中で、私たちは人間関係を癒し、心の平和を感じ、怖れを手放すことができます。自分の中にあるエネルギーとつながるときに、アティテューディナル・ヒーリングは私たちの人生における創造的な力になるのです。

☆ アティテューディナル・ヒーリングの12の原則 ☆

1 私たちの本質は愛であり、愛は永遠である

 愛というものは、うまく説明できるものではありません。経験することだけができるものです。アティテューディナル・ヒーリングにおいても、愛は定義づけるよりも経験するものです。

 愛はエネルギーです。不変で永遠のものです。科学者たちが「生命力」と呼ぶもので、未だに測定はできないけれども、存在は誰もが知っているものです。私たちの中を流れる純粋なエネルギーです。痛みや、不安、怒り、さまざまな形で現れる怖れによって妨げられることがなければ、私たちは愛の本質を認識することができますし、心の平和を感じられるようになります。

 大切なことは、私たちの心の曇りをとるように常に努め、そこには愛のエネルギーしかないのだということ、そして、「負の感情」と呼んでいるもののために愛を感じることができないのだということを認識することです。私たちの人生が、自らを愛し、他人にもその愛を与えるためのものなのだということを体験できるようになります。

 これは、世間の大部分の人が考えている愛とは違います。一般に、愛というのは、誰か他の人から「得る」ものです。愛が「足りなくなるかもしれない」という怖れとセットになっています。この怖れの中で生きてしまうと、愛を惜しげなく与えることができなくなってしまいます。それはエゴの仕業です。愛は、測定できるようなものではなく、分かち合うためにあるのです。

 愛の本質は、身体の癒しにも重要な役割を果たします。私たちのセンターのグループの一つで、50代半ばの女性が、もう9年も慢性的な背中の痛みに悩まされてきたと不満を述べていました。この痛みから解放されたことは一瞬たりともなかったと言いました。私たちは、一つの実験に参加していただけないかと彼女に頼みました。彼女は了解しました。私たちは約15名のグループの参加者たちに、30秒ほどこの女性に愛を送ってもらえないかと頼みました。すべての参加者が了解しました。それから、今度はその女性に、グループの参加者たちに向けて同じことをしてくれないかと頼みました。つまり、グループが彼女に愛を送るのと同時に彼女がグループに愛を送るのです。彼女は了解し、私たちは始めました。
 それは、私たちが一つだけの目標――他の人に愛を送るという――に集中したすばらしい30秒間でした。30秒が終わったとき、参加者たちはその結果を話し合おうとしました。私たちファシリテーターはそれをしないように注意し、グループミーティングでの話し合いはそれ以前よりも深いレベルで続けられました。ミーティングの終わりに、背中の痛みの女性が興奮した様子で言いました。「どうしても我慢できません。この1時間、背中の痛みがすっかり消えていたということを皆さんにどうしてもお伝えしたいんです」

 これは、ずっと以前に起こったことですが、信頼することについてのレッスンとして私の中に永遠に植えつけられています。このミーティングで起こったことは、見たり測定したりできるようなものではありません。そのとき私に起こっていた唯一のことは、この女性に対して愛を感じようとする意思だけでした。私の目標は彼女の痛みをとることでも、自分の気持ちを良くしようということでも、何でもありませんでした。それは、ただそのときに集中し、愛を送り、結果については心配しない、ということでした。人の気持ちははっきりと送ることができるもので、別の人がそれを深いレベルで感じることができるのだということを私に認識させてくれた強力なレッスンでした。

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(☆☆☆ではさまれた部分は、パトリシア・ロビンソン著「アティテューディナル・ヒーリングの原則の定義」の邦訳)

★★ グループ対人関係療法の訳書を出版しました。注目の対人関係療法、初めてのグループ療法版です。 ★★

アメリカ報告5 ―― ゲイのカウボーイ映画

 このタイトルに「?」と思われた方もいらっしゃるかと思いますが、実は、今アメリカで大変ホットな話題になっているのがこの映画です。

 Brokeback Mountainという映画なのですが、単なるカウボーイ映画かと思いきや、実はゲイの恋愛映画、というものです。なぜ話題になっているのかというと、アメリカでは、(ブッシュ大統領を見ればわかりますが)カウボーイというのは「男らしさ」の象徴。そのカウボーイがゲイだという設定そのものが、一部の人たちには受け入れがたいことになっているのです。

 聞くところによると、すでにユタ州ではこの映画を上映禁止にしたそうです。「そんなの憲法違反では?」とアメリカ人に質問してみましたが、「ユタでは14歳の少女との結婚が許されているのだ。あそこは私的クラブみたいな州だから、自分たちが決めれば何でも許されるらしい」との答えでした。
 とにかく、そのくらいに、赤の州(赤は共和党の色。赤の州というのは、大統領選でブッシュが勝った、保守的な州ということ。ちなみに、青は民主党の色で、カリフォルニアは青の州ということになります)を中心として反発が強いそうなのです。

 ただ、12月9日にたった6つの映画館(もちろん、サンフランシスコ、ニューヨーク、ロサンゼルスといった場所の映画館)で封切られたこの映画は、先週は683軒の映画館で上映されるまでに広がってきています(それでも、人気映画に比べればまだまだ3分の1以下という規模だそうです)。サンフランシスコやニューヨークだけではなく、リトルロック(アーカンソー州)やバーミングハム(アラバマ州)といった南部の都市でも予想以上に多くの人が観たそうで、アメリカが今や単に「赤の州」「青の州」に分けられるわけでもない、ということを示しているようです。
 この映画が今年のアカデミー賞のオスカーを受賞する可能性が高い、ということになって、騒ぎが大きくなっているようです。オスカーを受賞すれば、もっと多くの映画館が上映するようになり、「アメリカにゲイが広がる」と懸念している保守層がいるとか。ゲイについて全く理解していないといわざるを得ませんが、それほど恐怖が強いようなのです。

 私はまだ観ていませんが、実際に観た人の話を聞くと、「とにかく素晴らしい映画で、偏見が全くなくなった」という人から、「陳腐なラブストーリー。ゲイに対する偏見はもともとないが、映画としてはつまらない」という人まで、さまざま。ただ、ゲイも要するに人を愛する人間なのだということを描き出し、これだけ社会的な議論を引き起こしたという点では、やはり優れた映画なのだと思います。機会があったらぜひ観てみたいと思っています。

アメリカ報告5 ―― コミュニティ・サービスとしてのアティテューディナル・ヒーリング(その2)

 前々回の報告で、アティテューディナル・ヒーリング・センターで提供しているグループのテーマをご紹介しましたが、グループがどのように運営されているかというところが、センターの鍵だと思います。

 グループは、ファシリテーター(グループでの話し合いを促進する人)数名と、参加者によって運営されます。精神療法や患者教育のためのグループなどでは、もっと構造化されていることが一般的ですが、アティテューディナル・ヒーリングのグループは、完全に自由参加で、いつでも誰でも参加することができます。何年にもわたって毎週参加している人もいる一方で、時々思い出したようにやってくる人もいて、人それぞれの形で参加しています。
 グループ参加は無料です。毎週水曜日の子どものグループだけは、さらに無料で夕食も提供します。あるレストランが定期的においしい料理を寄付してくれるほかは、センターの経費でまかないます。これはセンター始まって以来の伝統だそうです。
 
 ファシリテーターは、センターで規定したトレーニングを受けた人がなりますが、基本的にボランティアであり、さらに、「転移癌を持つ女性のグループ」であれば、自らも転移癌を持っている女性がファシリテーターをやっていたり、と、当事者であるケースも多いです。これは、まずは自分がグループに参加して救われたという体験から、アティテューディナル・ヒーリングの価値を実感し、トレーニングを受けて、ボランティアとしてファシリテーターを務める、ということのようです。

 このことからもわかるように、アティテューディナル・ヒーリングのグループは、治療グループではなくピアサポート(同じ立場の人たちの助け合い)グループなのです。ですから、サービスを提供する人とされる人という区別はありません。この姿勢は、アティテューディナル・ヒーリングのグループ運営のガイドライン(指針)を見ればもっとよくわかります。

 ガイドラインは全部で9項目あり、アティテューディナル・ヒーリングの原則12項目とともに、グループの始めに参加者が順番に読み上げていきます。12項目の全体は後日ご紹介したいと思いますが、ピアサポートのあり方をご理解いただく上で特に重要なものだけここで抜粋します。

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2 ここにいる目的は自分たちを癒すことです。他人に助言をしたり誰かの信念や行動を変えたりするためにいるのではありません。自分をありのままに受け入れてもらえると、他人を受け入れやすくなります。

4 私たちはそれぞれが独特な存在だということを尊重します。大切なのはそれぞれの人のプロセスなのであって、それを裁くことではないと認識します。

6 生徒と教師の役割は入れ替えることができます。年齢や経験にかかわりなく、お互いが生徒になったり教師になったりします。
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 第2項目で述べられている「助言しない」ということはアティテューディナル・ヒーリングの命のようなものです。正解はその人の中にあるのであって、それを自らが見つけ出すために支えるという姿勢が貫かれています。ある人の話に関連して何かを言いたくなったときは、その人に対する意見という形ではなく、あくまでも自分の経験から自分が話すという形をとります。
 参加者の意見を聞いてみると、助言されないという環境はやはりとても安心できるそうです。自分のプロセスを自分で経ていくことができるからです。ただただ愛情をもって聞いてもらえる環境、そして、助言に対して身構えなくて良い環境、これが自分のアティテュード(心の姿勢)を変えるためには必要な要素なのです。

 アティテューディナル・ヒーリングについては、まだまだ続きます。

アメリカ報告4 ――多様性に富んだカリフォルニアで感じること――

 北カリフォルニアに落ち着いて1ヶ月がたちましたが、本当にこちらではストレスを感じることがほとんどありません。困難がない、という意味ではなく、不愉快な思いをしたり閉塞感を感じたりすることがほとんどないのです。

 なぜなのだろう、と、日本と北カリフォルニアの違いをここのところよく考えているのですが、その理由の中の主なものに多様性と言語があると思います。

 たとえば、日本にいるときには、他人から意見を押しつけられていると感じることや、「どうしてこういう失礼な言い方ができるのだろう」と不思議に思うことがよくあったのですが、こちらではほとんどそういうことがありません。こちらに長く住む日本人になぜだと思うかと聞いたところ、「日本はみんな同じだと思っているからでしょう。こちらでは、あまりにもそれぞれの背景が違いすぎて、単一の価値観を押しつけるなんてことは恐ろしくてできない」と言っていました。確かにその通りで、こちらでは、それぞれが違っているというところからすべてがスタートしますから、よく知らない人に「あなたはこうすべきだ」などという意見を述べることなど不可能です。(まったく余計な話ですが、私のセンターで働いているメリッサという若い女性はてっきりメキシコ人だと思っていたのですが、フィリピン人の母親とユダヤ人の父親を持つ人だということがつい先日判明しました。本当にこちらでは顔から人を判断することもできない、と改めて感じました。)
 また、こちらの人は本当に「余計なお世話」をしません。服装など、日本人の感覚からはギョッとするような人にしばしば出会いますが、良いときには「その服すてきね」などとほめますが、「何、その格好」などと非難している人はまったく見たことがありません。

 ただ、この話をすると、多くのアメリカ人が「それは面白い考察だ」と言う一方で、「でも、カリフォルニアの外に出たらぜんぜん違うよ」と、地域差を必ず指摘してくれます。アメリカの地域差はそれはそれは大きく、たとえば、死刑にしても、先日カリフォルニアでは76歳の人に死刑が執行されて新聞の一面に大きく記事が載りましたが(高齢ということで)、カリフォルニアは死刑執行の件数が大変少ない州(つまり死刑に対して慎重な州)である一方、テキサスなどは大変容易に死刑を執行する州だそうです。税金は高いけれども福祉はそれなりにしっかりしていること、労働組合の強さなど、大雑把な言い方をすれば、カリフォルニアはアメリカの中でもヨーロッパ型の州なのだと思います。
 ちなみに、リベラルなカリフォルニアは大統領選でももちろん反ブッシュの州でした。私の身近でも「ブッシュを弾劾せよ!」という靴下を履いた人や垂れ幕を窓からたらしている家を見かけます。先日、小学校5年生が「ブッシュは嫌いだ」と言うので、どこが嫌いなのかと聞いたら、「戦争をやっていることと、ホームレスの面倒を見ないこと」と言っていました。その意識の高さに感心して、あなたは特別な子どもなのかと聞いたら、友達ともそんな話をしているよと言っていました。
 リベラルなカリフォルニアの中でも特にリベラルなサンフランシスコはアメリカ政治独特の争点である中絶についても、中絶反対派の人たちの標的となっていて、近々大規模なデモが行われるそうです。当然、受けて立つほうも「選択の自由」を掲げて、大規模なデモを行うようです。この二つのデモが鉢合わせないように、警察は必死で知恵を絞っているという噂です。

 カリフォルニアは税金が高くてビジネスにならない、などとぼやく人もいますが(シュワルツネッガーが知事選に出たときの公約がそれだったそうですが、何もなされていないそうです)、基本的に、カリフォルニアの多様性を愛している人が多いようです。私もその一人です。

 カリフォルニアの場合は人間の多様性が一目瞭然なので誰もがそれを尊重しますが、日本では多様性がまだ事実として認識されていないところに問題があるのではないかと思います。人間は人それぞれ違っているもので、どの国の人も本当は多様なのに、それが当然のこととして認められていない社会では、「価値観の押しつけ」に苦しむ人が多いということではないでしょうか。

 もう一つの要因である言語ですが、ここのところつくづく日本語と英語の違いを考えています。日本語と異なり、英語は基本的に性別・世代中立的な言語です。また、関係の距離が言語に反映されることも基本的にありません。つまり、初対面であっても、性別がどうであろうと、世代の違いがあろうと、基本的に同じ言葉を使うということです。これがどういう結果につながるかというと、外的要因にとらわれずに、伝えたいメッセージの内容だけに集中できるということになります。これはなかなか心地よいもので、日本でしばしば感じる「どのくらいくだけた言葉を使おうか」という悩みからは完全に解放されています。もちろんこちらは英語を母語としない立場ですから、語彙など別の悩みはありますが・・・。

 なお、前回のメールマガジンに対して、私が感じている教育の「良さ」に共感してくださるメールをたくさんいただきありがとうございました。こんなに良い学校ばかりではないはずなので、アメリカの教育制度全体について包括的な報告をすべきだというご意見もいただきましたが、今回の渡米はあくまでもアティテューディナル・ヒーリング・センターでの私の研修兼ボランティアが目的で、アメリカの教育制度の視察に来ているものではありません。ですから、私の現在の生活からは、アメリカの教育制度の全体を論じるような余裕もありませんし、そのような意思もありません。皆さまにご報告しているのは、あくまでも一人の保護者として体験した事実ですので、決して包括的なものではありません。私が、アメリカの中でもおそらく最も恵まれている地域の一つであるカリフォルニア州マリン郡に住んでいるということも考慮に入れる必要はあると思います。

 ただ、教育とは結局、子どもなり保護者なりに及ぼす影響がすべてなのではないでしょうか。そして、他国の教育を当事者として経験できるというのは大変貴重な機会だと思っています。ですから、教育制度を大所高所から論じることよりも、ここでは、日常の些事をご報告していきたいと思っています。ご理解をいただければ幸いです。

 また長くなってしまったので、アティテューディナル・ヒーリングの続きは次回にしますが、日中のボランティアに加えて連夜グループに出席する上に、週末もここのところトレーニングが続き、宿題も多いので、なかなか忙しくなってきました。

アメリカ報告3―――コミュニティ・サービスとしてのアティテューディナル・ヒーリング

 子どもの学校が落ち着くまでは子ども中心に生活していたのですが、どうやら軌道に乗り始めたので、アティテューディナル・ヒーリング・センターでの研修兼ボランティアも本格的に始めました。

 これから少しずつご報告していこうと思いますが、まずはセンターの概観を述べたいと思います。創始者のジャンポルスキー博士も私も精神科医だということもあって、センターを病院や学究機関だと思われている方もいらっしゃるようですが、そうではなく、センターはあくまでも市民同士の助け合いの場としてのコミュニティ・サービスとして位置づけられます。

 センターはさまざまなサービスを提供していますが、その中心であるピアサポートグループ(仲間同士の助け合いのグループ)は、現在、以下のようなスケジュールになっています。

月曜日 10:00-12:00 慢性疾患と共に生きる
    17:00-19:00 Person-to-Person(特に病気などがあるわけではないが、自分の生き方にアティテューディナル・ヒーリングを取り入れたい人のグループ)
    19:30-21:30 Person-to-Person
    19:30-21:30 転移癌を持つ女性とその夫のグループ

火曜日 17:00-19:00 ゲイの男性のグループ
    19:30-21:30 致命的な病気を持つ人のグループ
    19:30-21:30 介護者のグループ
    19:30-21:30 配偶者を失った人のグループ

水曜日 10:00-12:00 加齢を考えるグループ
    10:30-12:00 転移癌の女性のグループ
    19:00-21:00 男性のストレス
    18:45-20:00 子どものグループ(第1週・第3週は病気を持つ子どもたち、第2週・第4週は近親者を失った子どもたち)
    18:45-20:00 上記の子どもたちの親のグループ

木曜日 10:00-12:00 Person-to-Person
    19:00-21:00 子どもを失った親のグループ
    19:00-21:00 HIV/エイズの人のグループ
    19:00-21:00 親しい人を失った人たちのグループ
 
長くなってきたので、また次回に続けます。

アメリカ報告3―――娘がチャータースクールに通い始めて」

 下の子ども(4歳)は昨年からモンテッソーリの保育園に通っていましたが、上の子ども(7歳)は今年の新学期からチャータースクールに通い始めました。さすがに7歳になると、英語がまったくしゃべれずにアメリカの学校に行くことがどういうことかを理解できますし、娘の日本の学校には日本語をまったくしゃべれずに入学・転校してきたクラスメートも複数いますので、自分に何が起こるかを十分に予測していた娘は、「学校に行きたくない」とずっと不平をこぼしていました。ただ、先行して保育園に通い始めた弟を励ましているうちに、自分もしっかりしなければと思ったようで、観念して通い始めました。

 ところが、初日から、娘の学校観は見事に変わってしまいました。そして、今では楽しそうに学校に通っています。何といっても、先生や友達の温かい支えが大きいです。みんな、少しでも日本語を覚えて娘とコミュニケーションしようと努力してくれますし(「もうじき娘も英語を覚えるから大丈夫よ」と言っても、「ううん、私たちも日本語を覚える」と言ってくれますので、英語ができないということで人格が否定されるわけではないということを示そうとしてくれているのだと思います)、娘が一人にならないように、学校でも学童保育でも、友達が気を遣ってくれます。

 娘のいる2年生は学校で一番人数の多いクラスなのですが、それでも19人で、担任と副担任の先生が二人でみてくださいます(カリフォルニアは州法の規定によって、3年生までは20人以下学級とすることが決められています)。教室の構造は日本の学校とは違い、先生の立つ場所をぐるりと囲むようにクラスの全員が座ります。ですから、席が前の子も後ろの子もおらず、皆が顔を見合える状態で座っています。
 学校が始まる前に担任の先生からクラスの基本的なルールを教えていただいたのですが、

(1) 授業中にトイレに行きたくなったら、手を握った状態(グーの形)で挙手をすれば、ホワイトボードにイニシャルを書いて出て行って良い。

(2) 本当に具合が悪くなったとき(吐きそうなときなど)は、とにかく外に出るなりトイレに行くなりして良い。

(3) 水(教室に飲水用の蛇口がある)は、休憩時間のみに飲むこと。作業の授業中は飲んでよい。

(4) 授業中の態度に問題があれば、まずホワイトボードに名前が書かれる。さらに問題があれば、その名前にチェックマークがつけられる。このチェックマークが二つになると、名前が丸で囲まれ、休憩時間なしとなる。

(5) 授業中の態度がとてもよい場合には、机の上のシールに先生がしるしをつけていく。このマークが30個たまると、記念のシールがもらえる。

(6) クラス全体の態度がとてもよい場合には、教室の前に貼ってある紙にマークがつく。これが100個たまると、クラスでパーティーをする。

 というきわめて単純なルールに基づいてクラスが運営されています。単純だけれどもなるほどと思わされるのは、まず、生理的な問題で子どもに不当な我慢を強いていないこと。また、悪いことをした場合も、先生の感情ですぐに怒られるのではなく、きちんとしたルールに基づいて、自分がどのくらい「休憩なし」に近づいているのかを自分で確認できること。これらは実社会においてもとても重要な原則だと思います。なんだかわからないルールで不当に自分を押し込めるのではなく、納得しながら責任を取っていくことは重要だからです。
 
 もう一つ感心しているのは、学校の先生がよくほめてくれるということです。私が(日本風に)「娘はご迷惑をおかけしていないでしょうか」というようなことを言うと、「ちゃんとやっていますよ。あなたは娘が良い子だということを知っているでしょう」とむしろ諌められますし、「彼女は本当に賢いし、良い子です。彼女の担任ができることはとても幸せなこと。あなたは娘のことを誇りに思うべきです」などと言ってくれます。もちろん初めてのことなので、とても嬉しいですが、ここでも感心することは、子どもを親の付属物のように言わないで、独立した人格として扱ってくれることです。

 娘はこちらでも学童保育のお世話になっているのですが、学童は校長室とメインオフィス(職員室というものがないので、ここが唯一の全校的な場所。といっても、女性が一人いていろいろと事務的なことを管理してくれているだけですが)の隣という、学校の中心に位置していて、雰囲気は日本の学童とそっくりです。日本と同様、娘にとって学童はかなりくつろげる楽しい場所のようです。

 アメリカは先進国の中でも出生率のかなり高い国ですが、暮らしてみるとそれを肌で感じます。私が住んでいるアパートは、4世帯が一つのブロックになっているのですが、同じ階の2世帯に、娘と同じ年頃の子どもたちが住んでいます(つまり、一つの階の4分の3に学齢期の子どもがいる)。我が家を含めて3世帯の子どもたちが、それぞれの家を訪問しあいながら、あるいは、アパートのすぐ下にある公園で、仲良く(時にはケンカをしながら)遊んでいる姿は見ていて嬉しくなります。ここも多国籍で、隣の家はインド人、その隣は金髪のアメリカ人です。金髪の女の子が、隣のインド人の赤ちゃんを抱っこしてあやしている姿は、なかなか良いものです。もちろん、そんなアメリカでも、「昔は暗くなるまで外で遊ぶのが子どもの仕事だった。今は危なくてそんなことはできない」と年配者が嘆く姿は日本と同じですが。

アメリカ報告2――― グローバル・ヒーリング会議

 新年あけましておめでとうございます。
 米国ではクリスマスがお祝いのハイライトで、新年はそれほどでもありません。クリスマス休暇に親戚を訪問したような人たちも、年末には戻ってくることが多いようです。さすがに1月1日は休みですが、ほとんどは1月3日から通常の活動が始まります。1月2日は休日らしいのですが、アティテューディナル・ヒーリング・センターをはじめ、2日から通常活動を始めるところもあります。

 北カリフォルニアは、雨季の最中で、毎日のように雨が降っています。年末年始は、河の流域を中心に洪水被害も出ました。我が家もようやくケーブルテレビの契約をしたのですが、テレビを見ていると、ピーっとアラームが鳴って、災害放送が入ります。「ベイエリア(サンフランシスコを含む湾岸地域。私が住んでいるところも、ベイエリアに含まれます)の災害報道をするため、番組を中断します」「これこれの地域の人は、何曜日の何時に洪水の危険性があるため、避難をお勧めします。シェルターにはペットは入れません。また、何曜日の何時までは高波の恐れがあり・・・」という具合に、かなり具体的な数字を盛り込んで繰り返し知らせてくれるので、様子がよくわかります。

 アティテューディナル・ヒーリング・センターは、私の到着直後から年末休みになってしまったので、センターそのものの活動はできませんでしたが、創始者ジャンポルスキー博士のおかげで、興味深い方たちに会う機会を持ってまいりました。その中の一人、ウィルフォード・ウェルチ氏から、とてもおもしろい国際会議を教えていただきました。日本人は一人も関わっていないそうなので、皆さまにもぜひお知らせしておこうと思います。

 その国際会議は、「Quest for GLOBAL HEALING II(地球レベルの癒しを求めて 第2回会議)」(以下、ここでは「グローバル・ヒーリング会議」と呼ぶことにします)というものです。

 私がお会いしたウェルチ氏は、米国外交官としてアジアでの長いキャリアを持ち、さらに新聞発行などさまざまな経験を持つユニークな方ですが、私と同じ関心を持つ人としてジャンポルスキー博士が紹介してくださいました。
ウェルチ氏は、「現状が問題だと思ったらまず何か自分でやるべき。誰かのせいにすることは簡単だけれども、それでは何の解決にもならない」という信念に基づき、同じ関心を持つ世界中の人をつなぐ役割を果たしています。彼が共同代表を務める「グローバル・ヒーリング会議」は、2004年に第1回会議が開かれ、本年5月に行われる会議が第2回となります。

 どういう集まりかをご理解いただくために、パンフレットの「お呼びかけ」の部分を以下に訳してみます。

■■■懸念を持った地球市民、ビジネスリーダー、学者、その他の改革者たちとともに、人類がこの地球で、もっと力を合わせて、平和に、持続可能に暮らせる未来を探索する、特別な集まりに参加しませんか? このユニークな集まりは、世界がどの方向に進んでいるのかということを懸念し、解決の力になりたいと思っている人たちのために創られています。「地球レベルの癒しを求めて」は、一歩を踏み出し、世界を変えるためにあなたが何をするかを決めるための機会です。■■■

 ウェルチ氏の言葉を借りれば、「これは普通の会議とはまったく違う。普通の国際会議というのは、参加者はずらりと椅子に座り、演者は、自分はいかに頭が良いかということを示すものだ。そういう会議に出ても、数日間は感動が残るが、数日後には普通の生活に戻ってしまう。われわれの会議は、もっとボトムアップで、完全な参加を求めるものだ」ということです。ただ、この「完全参加」を可能にするために、英語で本格的にコミュニケーションできることが参加条件になっています。日本人がまったくかかわれていない一つの理由がここにあるのではないかと思います。

 第2回会議には、ノーベル平和賞受賞者のデズモンド・ツツ大司教(南アフリカの反アパルトヘイト運動家)、ウォルター・クロンカイト氏(「アメリカの良心」とも言われた著名なジャーナリスト。ベトナム戦争撤退のきっかけを作った)、ファティマ・ガイラニ氏(アフガニスタンの著名な女性運動家。訪日経験もあり、日本語ではファタナ・ガイラニと表記されていることが多いようです)を含む、大変魅力的な方たちが演者として参加されます。

 開催地は、バリ島のウブドです。自然と文化・芸術が見事に融合した町で、私も何度も訪れていますが、バリで会議を開くことにも意味があるそうです。バリの人たちは、毎朝、三つの調和を祈るそうですが、一つは、周りの人との調和。二つ目は、自然との調和。そして、三つ目は、スピリチュアルなものとの調和。このため、「バリの豊かな文化が、癒し、許し、(人や自然との)調和を学ばせてくれます」(パンフレットより)ということです。

 こんなすばらしい集まりになぜ日本人が一人もかかわっていないのかという話をしているうちに、またしても情報疎外について考えさせられました。
 政治の場にいても、国際的なニュースは、日本のメディアが報じない限り、日本人はほとんど知ることができません。イラクの問題にしても、郵政にしても、政府の言い分をそのまま報道するメディアからしか情報を収集できない日本人は、まさに洗脳されているのと同じような状態にあります。この問題を何とかしなければならない、と改めて感じます。

 「グローバル・ヒーリング会議」では私自身もワークショップを開催するように、とジャンポルスキー博士から勧めていただいたのですが、現在米国滞在中ということもあり、経済的にも難しそうです。その代わりに、言語の壁を越えて日本人が国際的なネットワークと協調していくための方法を、ウェルチ氏とも相談していきたいと思っています。

 もしも英語が堪能でこの会議に参加してみたいという方がいらっしゃいましたら、ホームページ(http://www.questforglobalhealing.org/index.htm)を訪問していただくか、私にご連絡ください。

アメリカ報告1―――カリフォルニアにやってきました!

 米国に到着してちょうど一週間がたちました。どうなることかと思ったアパートも見つかり、今日ようやく入居しました。家具はこれからガレージセール(家の車庫で中古品を売り出すもの)やインターネットで物色していくことになりますので家の中はまだガランとしています。

 サンフランシスコは米国でも最も不動産の高い地域として知られており、その郊外のマリン市(私が住んでいるところ)の家賃もかなり高いのですが、その住環境は日本とは比べものになりません。広さや自然環境といったことだけでなく、安アパートであっても気の利いたものが備え付けられていることには感激します。

 ちょうどすべてがクリスマス休みに入るところなので、こちらも本格的な活動は年明けからとし、それまでは生活の基盤作りに費やそうと思っています。すべてがSocial Security Number(社会保障番号。国民総背番号みたいなもの)を中心に回っている米国では、この番号がないといろいろな不便があります。また、家賃や公共料金の支払いなど、外国人にはいろいろと不便なこともあります(これは、支払手段の不便ということだけで、日本の一部に見られるような「外国人オコトワリ」とはまったく違います。ちなみに私がアパートを借りた不動産屋さんの女性も、ドイツ国籍の人であるということが昨日判明しました)。

 そのような制約の中でも、一般市民はとても親切で、何とかしてあげようという気持ちが温かく伝わってきます。また、公共サービスに従事する人であっても、冗談好きで、一言は笑いが出ることを言ってくれるので、基本的に明るい気分ですごすことができます。 

 よく、日本人は礼儀正しいと言われますが、少なくとも「人を見たら挨拶する」ということは、アメリカ人の方が徹底して実践していると思います。このちょっとした声かけや笑顔がどれほど良い生活環境を作り出すか、ということは、かねてから感心して見ていました。スーパーで買い物をしていても、カートに乗って歌を歌っているうちの子どもたちを見た女性が「まあ、歌っているわ。なんてかわいらしいんでしょう」などと言ってくれるので、子育て支援にもなります。

 幸い、子どもたちにもとても良い学校と保育園を見つけることができました。すでに下の子は保育園に通い始めました。やはり米国でも公立の保育園では待機児童になってしまいますが、幸い、モンテッソーリ式教育をしている保育園に空きがあったため、お願いすることにしました。空きがあるから、という消極的な理由で入ったモンテッソーリですが、実は現地では「心と頭に良い」と評判の保育園でした。

★ チャータースクール ★

 上の子の学校はチャータースクールにしました。チャータースクールというのは、親が公立学校を作る、というタイプの、アメリカ独自の制度です。私を含めて、教育行政に関心の高い人なら、コミュニティスクール同様に大変心を惹かれる制度です。チャータースクールはまだ歴史が浅いのですが、カリフォルニアはその中では歴史の長い方です。公立学校と同じ敷地にあり、はじめは公立学校への入学をお願いして帰ろうとしたのですが、帰りに立ち寄った教育事務所で「隣にはチャータースクールもありますが、見ましたか」と言われて存在を知りました。個人の選択を重視するアメリカでは、役所であっても、案外面倒くさがらずに選択肢を提供してくれます。

 チャータースクールを保護者として体験することはとても貴重なことだろうと思ったのですが、校長先生がとても理解のある方で、早速、日本語と英語がともに話せる市民を2人、娘のためのボランティアとして見つけてくれました。そもそもチャータースクールでは私たち保護者も年間55時間学校のためにボランティアすることが要求されていますので、人々のボランティアによって成り立っている学校なのですが、英語がまったく話せない娘にとってはこれほど心強いことはありません。ほかの先生たちは、「英語のハンディがあるからまずは1年生に編入して、あとで2年に移ったらどうかしら」と言ってくれたのですが、そこは校長先生が毅然として「ボランティアを見つけたから言葉は何とかなります。彼女は2年に編入するのが最も自然なのだから」と、方針を決めてくださいました。

 なお、このチャータースクールは、アティテューディナル・ヒーリング・センターのすぐ裏手にあり、センターのスタッフが学校の中で活動しています。ですから、校長先生はセンターの良き理解者で、私の研修もとても楽しみにしてくださっています。

 学校にしても、保育園にしても、私の子どもたちはまったく英語が話せませんので、受け入れてもらえるのだろうか、ということを渡米前には心配していましたが、どこに行っても、「本人が気分よく過ごせるのであれば、こちらはまったく問題ありませんよ」と同じように言われました。これは、個を重視するアメリカの価値観もあるのでしょうが、同時に、英語が第二言語である子どもたちを日常的に多く引き受けているという事情もあるようです。娘が入る予定の2年生のクラスをちらりとのぞかせてもらいましたが、各人種がそろっているという感じで、多様な雰囲気を好ましく思いました。

★ アティテューディナル・ヒーリング (AH)★

 アティテューディナル・ヒーリング・センターでの私の活動は1月から本格的に始めることになりますが、まず、私がなぜアティテューディナル・ヒーリング(AH)に興味を持ったのか、という背景を少々述べさせていただきたいと思います。

 政治活動の中で、私のテーマは往々にして「不安」でした。
 不安は、社会の中でいろいろなマイナスを作り出しています。たとえば、社会の仕組みに変化を起こすことができないのは、不安によるところが大きいものです。夫婦別姓を認めると家族の絆が壊れるのではないか? というのは、まさに典型的な例でしょう。これは私の専門である「対人関係療法」が扱う問題領域の一つでもあるのですが、人間は、何らかの変化を乗り越えようとするとき、新しい環境に関して強い不安を感じる傾向があります。この不安が、変化をしようとする人の足を引っ張ることになります。

 また、不安は、人に「与える」ことにもブレーキをかけます。「自分も苦しいのに、人のことどころではない」と思っている人は多いものです。実際には、客観的に見てもっと「苦しそう」な人の方が他人に惜しみなく与えていることもあり、主観的な「苦しさ」が問題だということがわかります。

 「老後の心配」という不安も、特に日本では大きな社会的テーマです。老後が心配だから、と、亀が手足を引っ込めてしまうように、何もできなくなってしまうのです。確かに、ころころと言い分が変わる政府のありさまを見ていると、手足を引っ込めたくなる気持ちもわからないではないですが、それでは、政府をもっと誠実なものに変えることもできません。

 不安と双子のような関係にあるのが「罪悪感」です。罪悪感も、社会のいろいろな面を支配しています。特に、働く母親などは典型的な被害者でしょう。子育てによって職場に迷惑をかけているという罪悪感、仕事のために良い母親でいられないという罪悪感、子どもの世話を頼んでいろいろな人を巻き込んでしまう罪悪感・・・、と、一日中罪悪感を抱いているような人も少なくありません。罪悪感が何を生むか、というと、プラスのことは生まれません。罪悪感は仕事の生産性を落とし、対人関係をゆがめ、子どもと一緒にいても「心ここにあらず」になってしまいます。アティテューディナル・ヒーリングでも、「今このときを生きる」ということを大切にしていますが、特に子育てにおいては、「今」が一番大切です。子どもの将来のために、と、子どもには目もくれずに仕事に明け暮れたり子どもに過度な要求をしたり、というふうにしてしまうと、結局は「今」の子どもをネグレクト(育児放棄)してしまう、という皮肉な結果になってしまいます。罪悪感ばかり抱いてしまうと、子どもと一緒にいても、心のかなりの部分が自分を責めることに使われてしまいますから、子どものために使われる心の量がそれだけ少なくなってしまいます。

 罪悪感というのは、他人との関係の中で生まれることが多く、本人の自覚と十分なコミュニケーションによってかなりの程度克服できる、と私は思ってきましたが、不安についてはそんなに簡単なものでもありません。「だって老後がこれだけ心配なのだから、不安になって当たり前でしょう?」と言われてしまうと、それもそうだと思ってしまいます。このような不安を自然なこととして認めた上で、不安に飲み込まれてしまわないよう、できるだけの客観視につとめる、というのが、一言で言えば、現実的な精神医学のアプローチです。

 でも、もう少し確固たる価値観を作り出すことはできないのだろうか、ということを私はずっと考えてきました。特にここのところの日本では、弱者を見つけてバッシングしたり、政治がますますおかしなことになったり、と、ますます豊かな精神性からは遠ざかっているように思えます。そんな中、たとえば、老後を不安に思うことで人生の質が上がるのか、と言えば、決してそんなことはありません。むしろ、将来にばかり目が向いてしまって現在がおろそかになってしまう、というのは、子育ての場合と同じです。将来の保障もない上に、今このときまで不愉快な気持ちですごさなければならないという必要性はないのではないでしょうか。

 この疑問に答えを出してくれるのがアティテューディナル・ヒーリング(AH)です。不安や罪悪感を手放すことの重要性を教えてくれるものです。誤解しないでいただきたいのは、不安を手放すと言っても、決して、投げやりに刹那的な生き方をしようと言っているのでもないし、現実から逃避するような価値観にしがみこうとしているものでもないということです。
 
 最後に、余談ですが、米国に来て、「U.S. Post Office」(アメリカ合衆国郵便局)と書かれた立派な郵便局を地域のあちこちで見かけたときには、複雑な気分になりました。郵政民営化に賛成した方たちは、この事実を知っているのでしょうか・・・?
 

子どもの事件をめぐって

 12月10日、子どもの村シンポジウムの帰りの新幹線で、相次ぐ痛ましい事件をめぐって朝日新聞の取材を受けたのですが、大阪にしか配られない新聞のようなので、少々ご報告します。

 子どもの安全をどう図るか、ということについて、私は、問題解決の柱は大きく二つだと思っています。一つは、学童保育の整備です。共働き世帯や片親世帯であっても、学童保育に入れていない子どもがまだまだいます。学童保育の充実をめぐっては毎年要請活動が続けられてきていますが、保育園に比べると明らかに出遅れています。保育園時代は何とかなっても、子どもが学校に上がると突如として「放課後問題」が出てくる、というのは、政策的にも整合性に欠けることだと思います。この一連の事件を見て、日本も欧米のように保護者に子どもの送迎義務をかけるべきでは、という意見を述べている方もおられ、私も理解できる部分がありますが、その大前提としては、学童保育で、せめて保育園なみの時間は預かってもらえる、という環境整備が必要だと思います(さらに言えば、ワーク・ライフ・バランスを改善させて、子どもの送迎を優先させられる職場環境も必要)。

 記者の方が心配しておられたのは、「送迎義務という話になると、やはり女が仕事などせずに家にいるべきだという話になるのではないか」ということでした。おそらく、一部の無理解な政治家はそのようなことを言うでしょう。でも、現実を見れば、少子化と地域の空洞化は間違いなく進んでいるのであり、その時代に、母親が子どもを迎えに来れば子どもは安全で充実したときを過ごせるのか、というと、それは違うと思います。私はかねてから、保育園と学童保育の整備を、「希望するすべての子どもたちに家庭と学校以外のコミュニティを」をスローガンに訴えてきましたが、学童保育の整備は、子どもの通学路の安全を確保する効果があるとともに、少子化時代の子どもたちに安全な遊び場を提供することにもなるのです。

 もう一つの柱は、やはり地域です。自分自身も子育てをしていて地域の方たちに助けられていますが、顔が見える関係の中での助け合いというのは本当にありがたいものです。そして、その「つなぎ役」をしてくれるのは、往々にして子どもたち自身です。「開かれた学校を進めていたら事件が起こったので、また閉ざすしかなくなった」というような話を時々聞きますが、不審者対策と、顔が見える地域の方に学校を開く、ということは、まったく別の次元の話であって、十分両立するものだと思います。

 また、子どもの安全という観点からは、商店街というのは貴重な存在です。開放的に子どもにも目をかけていただけるので、安全の拠点になります。商店街がシャッター通りになってしまっているところが多いですが、やはり、自分たちはどういう地域に住みたいのか、という地域づくりを真剣に考えなければならない時代だと思います。

 12月13日から渡米することになりましたので、次号は、アメリカからの活動報告となります。今後ともよろしくお願いいたします。

子どもの村シンポジウム

 12月10日、NPO法人 子どもの村を設立する会主催シンポジウム「傷ついた子どもたちの未来を創る ~子ども虐待防止のために、今こそ行動を~」に参加しました。子どもの村は、虐待を受けた子どもたちが人員配置の低い大規模施設にいつまでも置かれている現状を解決するための強力な手段として、私もその活動を応援しているものです。子どもの村について、詳しくは、私の国会報告その220(2005年2月26日号)http://www.mizu.cx/kokkai/kokkai220.htmlをご参照ください。

 この日のシンポジウムに私のほかにシンポジストとして参加された方は、フリーライターの椎名篤子さんと千鳥饅頭総本舗社長の原田光博さんでした。
 椎名篤子さんは、「凍りついた瞳」の作者として有名ですが、虐待の生き字引のような方で、虐待のことは椎名さんに聞けば何でもわかります。日本子ども虐待防止学会副会長も務められ、児童虐待防止法の制定・改正において大きな原動力となってこられました。
 もう一方の原田光博さんですが、皆さん、「千鳥饅頭」とか「チロリアン」というお菓子、と聞けば、ご存知だと思います。なぜ千鳥饅頭の社長さんがこんなシンポジウムに、と思われるかもしれませんが、実は、原田さんは福岡県二丈町波呂(はろ)に日本初の子どもの村を作るべく、準備中なのです。
 日本の「子どもの村を設立する会」を、国際NGOであるSOS子どもの村の日本支部にしてノウハウを活用しよう、と準備を続けてこられたのは、シンポジウムの主催者でもある金子龍太郎さん(龍谷大学教授)なのですが、これはどちらかというとソフト面での作業です。一方、原田さんは、有能な実業家らしく、「お金を集めたり土地を用意したりするハード面は得意」とおっしゃいます。その「ハード面」と、金子先生が持っている「ソフト面」がうまくドッキングしてこの計画が進められているわけですから、心強いことです。

 千鳥饅頭のように、子どもの福祉において社会貢献しようという企業がもっとたくさん出てくれば、と思っています。海外は先行しており、たとえば、サッカーのFIFAも国際NGOであるSOS子どもの村の支援をしており、来年ドイツで開かれるワールドカップの最終試合の収益の一部を子どもの村に寄付することが決まっているそうです。SOS子どもの村では、このお金で世界に6箇所の子どもの村を作ることにしています。
 日本でも、ソフトバンクの北尾さんが「子ども希望財団」を作り、グループ会社の利益の1%程度を児童福祉関連施設に寄付する、とし、初年度は1億7千万円近い額を全国の児童養護施設や自立援助ホームなどに寄付しています。
 こうした動きを通して、子どもの福祉にお金が集まると同時に、社会的な関心も高まることを期待しています。

 シンポジウムで、私は、虐待というテーマに関して国政がまだやり残していることとして、
1 民法。まだまだ親権が子どもの権利に比べると強すぎる日本の民法の改正が必要。具体的には、親権の多様で柔軟な制限のあり方を認める、懲戒権を見直す、など。

2 児童福祉関連の人員配置を増すこと。「お金がないからできない」のではなく、数十年後を見通せば、今、子どもたちに人手をかけておくことは、確実に有効な先行投資になる。

3 虐待を受けた子どもたちが家庭的環境で成長できるようにするためには、子どもの村のように子どもに家庭を提供する活動や、自立援助ホームなどを充実させていくのがもっとも効果的。そのためには、NPOに寄付をした場合に、それが控除対象となるよう、NPO税制を改正することが必要。現在、控除対象となる認定NPOはその要件がまだまだ厳しすぎて、社会の枠組みそのものを変えるには至っていない。

4 子どもの福祉関連の予算が高齢者予算に比べて桁違いに低い現状を見ても、やはり子ども家庭省が必要。

などという話をしました。