アメリカ報告8 ――米国の刑務所で「ワーク」をやってきました――

 3月6日、カリフォルニア州のサン・クエンティン刑務所(男子刑務所)に行きました。「ワーク」というグループのためです。
これは、アティテューディナル・ヒーリングそのものではないのですが、アティテューディナル・ヒーリングで長い間中核的な役割を果たしてきたキャシーという女性が橋渡しをしてくれているものです。

 「ワーク」を考えたのは、バイロン・ケイティという女性です。彼女は、自らがうつで悲惨な状態に陥っていたときに、突然、真実に目覚めた人です。真実というのは何かというと、自分を苦しめているのは現実そのものではなく、現実に逆らおうとする自分の思考だということです。現実がいかに望ましくないものであっても、現実は現実なのですから、「こうあるべきではない」という思考にとらわれてしまうと、自分が苦しむという単純な理屈です。そして、その思考を問い直すための「ワーク」を、世界中に広めています。彼女の最初の著書Loving What Isは名著ですが、日本語にも翻訳されているようです。(人生を変える4つの質問(アーティストハウスパブリッシャーズ))

 私自身も、定期的に「ワーク」のグループに参加して学んでいますので、皆さんのご関心があればもっとご紹介する機会を作りたいと思います。単純ですが、とてもパワフルな手法だと思っています。

 バイロン・ケイティの直弟子(?)にあたるキャシーが、毎週月曜日に刑務所で「ワーク」をやっているというので、私も連れて行ってもらいました。

 刑務所の様子は日本と大差なく、こちらでも過剰収容の問題を抱えているようです。ただ、お国柄か、日本よりはそれぞれが伸び伸びと過ごしているような印象を受けましたし、受刑者が私たちに気軽に声をかけたり挨拶をしたりしてきます。
グループに参加できるのは、開放房(200人以上が巨大なドームに寝泊りしている)に入っている人たちだけだそうですが、そこに参加者を呼びに行くと、「「ワーク」っていうのは、何のワークだ」と、興味津々で近づいてくる人も結構いました。

 グループに参加して、私も一参加者として一緒に作業をしたのですが、なかなか感動的なグループでした。

 「ワーク」の代表的なやり方は、こんなふうです。
 まず、自分が頭に来ていることや不快に思っていることを文章にします。
「・・・なので、私は○○に腹を立てている」という具合です。
それから、この「・・・」の部分だけを抜き出して、「入れ替え」をするのです。

 たとえば、受刑者の一人が、
「私たちを意味もなくロックダウンしているので、管理者に腹が立つ」という文章を作ります。ロックダウン(封じ込め)というのは、私も今日はじめて知ったシステムですが、刑務所では、何かしらの暴動が起きると、それを起こした「人種」が、一定期間グループへの参加などを許可されなくなるのです。人種単位でのこんな懲罰がなぜ許されるのか理解できませんが、暴動にかかわりのない人も、同じ人種であるというだけの理由でロックダウンの対象になります。ちなみに、今日はヒスパニックの人たちがロックダウン中で、グループには白人と黒人しかいませんでした。

 自分には何の落ち度もないことで懲罰を受けるというのはいかにも理不尽なことで、これに腹が立つというのはいかにも正当な怒りです。
 でも、「ワーク」では、こんなふうに考えます。まず、「・・・」として抜き出されるのは「管理者は私たちを意味もなくロックダウンしている」になります。

 「ワーク」で要求される「入れ替え」は、4通りあります。
(1) 自分と相手との入れ替え
(2) 自分自身に向けて
(3) 正反対への入れ替え
(4) 「自分の思考」との入れ替え

 まず、一番簡単な(3)からやってみます。正反対にすると、「管理者は私たちを意味もなくロックダウンしていない」というふうになります。この文章を作ってから、3つの根拠を考えてみます。たとえば、「ロックダウンはさらなる暴力の発生を防ぐので、意味がないわけではない」「彼らは単に決められたことをやっているだけであり、意味なくやっているわけではない」「暴動は確かに人種単位で起こることが多いので、安全の確保という観点からはまったく無意味でもないかもしれない」・・・という具合にです。
 
 ここで重要なのは、何もロックダウンを正当化する必要はないということです。「完全に無意味」というよりは多少ましな根拠を思いつけば、それで上等です。

 次に(4)ですが、「私たちの思考は私たちを意味もなくロックダウンしている」というふうになります。この根拠になるのは、管理者への怒りにとらわれてしまうと、不快なエンドレス・テープを聞かされているようなもので、他の健康な活動ができなくなります。ですから、自らの思考が自らを封じ込めてしまう、というのはその通りだということになります。ここでも管理者を正当化する必要はありません。でも、「管理者が理不尽なことをしたら私たちは怒らなければならない」という思考に取りつかれてしまうと、私たちの自由が奪われるということです。
 (2)は「私たちは私たち自身を意味もなくロックダウンしている」というふうになり、これは(4)とほとんど同じです。

 そして(1)は「私たちは管理者を意味もなくロックダウンしている」となります。一瞬戸惑いますが、これにもまた真実があり、私たちが怒りにとらわれてしまうと、管理者とのやり取りの選択肢が狭まりますし、管理者が私たちに対してできることの可能性を減らしてしまうことにもなるのです。
 
 この「入れ替え」の作業を、バイロン・ケイティは、「轍にはまったタイヤを前後に動かしてみる作業」と呼びます。ただ読み流していると「そんな簡単なことで自分の気持ちは変わらない」と思うかもしれませんが、実際に自分の問題を文章に書いて「入れ替え」をしていくと、本当に目が覚める思いがするものです。ぜひ、試してみてください。

 この「ワーク」の考えは、アティテューディナル・ヒーリングの中核である「物事のとらえ方はいつでも自分で選択することができる」という考え方と共通します。「いやなことがあったから怒る」というのでは、自動操縦の飛行機と同じで、まさにロボットです。いやなことがあっても怒らないという選択肢があるのです。「ワーク」でも、それを教えていると思います。

 これが受刑者にどういう影響を及ぼしているかというと、それは計り知れないものがあります。グループの中での受刑者たちのやり取りだけでも十分に感動的でしたが、グループ外でも、他人の怒りに自動的に反応してケンカばかり起こしていた人が、他人の怒りに対してただ首を振って静かにしている、という変化が報告されていました。また、刑務所に入るまでは怒りのコントロールが課題だった人が、今では怒りをコントロールできる自信があるといっていました。なぜかというと、「ワーク」を通して、「自分はマッチョでいる必要はない。泣いても、感情的になってもオーケーだということがわかったからだ」と教えてくれて、とても感動しました。「自分が一番尊敬する人」をテーマにしたエクササイズもありましたが、そのときに、グループリーダーであるキャシーの名前を挙げている人がいたのも微笑ましかったです(なにしろむくつけき男性ばかりですから)。

 生育環境の中で怒りがコントロールできるということをどの大人も示してくれなかった、だから自分はここにいる、ということを言っている人もいました。でも刑務所に入ったおかげで「ワーク」に出会うことができたということを参加者はみな肯定的にとらえており、希望を見出すことができました。日本ではもちろん刑務所に入っても「ワーク」に出会えないので残念です。これは明らかに再犯防止にもプラスになるはずです。