日時: 12月8日(土)11:00~13:00
番組: 愛川欽也のパックイン・ジャーナル
朝日ニュースター(CS放送)
テーマは未定です。
CS放送をご覧になれる環境の方は、ぜひご覧くださいませ。
なお、インターネットでも一部をみることができます。
http://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00064/v00134/
10月22日に、紀伊國屋書店から新刊が刊行されます。
「拒食症・過食症を対人関係療法で治す」 定価1,680円
2001年にPHP新書から出版した「『やせ願望』の精神病理 ~ 摂食障害からのメッセージ」を改訂したものです。
摂食障害という病気は、心の病を考える上での教科書のようにわかりやすい病気だと思っておりますので、摂食障害の関係者はもちろんのこと、心の健康にご関心のある方にお勧めいたします。
(以下、紀伊國屋書店ホームページより)
専門医が教える摂食障害の「新しい常識」
過食嘔吐はがまんしなくていい。「すぐに」「完璧に」治そうとするから治らない。日本では数少ない摂食障害の専門医が教える「新しい常識」。多くの誤解と偏見を正し、患者とその家族に治療のための正しい知識を提供する。「最も身近な他者」との関係を改善することでうつ病や摂食障害の治療に効果をあげ、欧米で標準的な治療法である「対人関係療法」を紹介。
昨日、アメリカ人の友人から電話があり、次のようなことを質問されました。
こちらの新聞に、「日本は高ストレス社会」というタイトルで、安倍首相、朝青龍、過労サラリーマンのことが書いてあったが、よく教えてほしい。
私は意外な感じがしました。それは、日本では、安倍首相の辞任問題は、どちらかというと世間知らずのお坊ちゃんの資質として語られているからです。
もちろん、安倍さんに首相としての資質がないことは先刻承知のことです。とにもかくにもそういう人が表舞台から去ってくれたことは日本にとって良かったと思います。
また、「お坊ちゃん世襲議員」については、拙著「国会議員を精神分析する」にも書かせていただきましたが、今回指摘されているような、いろいろな問題があるものです。
それでも、安倍さんのことを「お坊ちゃんだから」ということで片づけようとしている風潮には、やや懸念を感じています。
安倍さんは、ある意味ではタカ派の典型のような人ですが、問題解決の方法として「圧力」を好みます。相手の言い分を聞かずに「自分こそが正しい」という姿勢を貫く人です。
官房副長官時代に、小泉さんと菅直人さんの党首討論の場で、さかんに下品な野次を飛ばしていたのをよく記憶しています。(世間では「お上品」として通っていたようですが、野次はとにかく下品でした)
通常、野次は議員の仕事で、政府関係者は静かにしているのが礼儀なのですが、安倍さんはどうしても我慢できなかったようです。
「この人はいつも自分が正しくないと気がすまない人なんだな」と、強く感じました。
この姿勢は、首相としての仕事にも、そして、最後の辞任会見にすら、表れていたと思います。
だから、多くの人が指摘しているように、国民への謝罪がなかったのでしょう。
「お坊ちゃん」であっても、自分だけが正しいわけではないということを知っている人はたくさんいます。
世間知らずであっても、とにかく人の意見は聞いてみようと思っている人もたくさんいます。
安倍さんのこういう姿勢は、「お坊ちゃん」だから、というよりも、その思想体系が攻撃的だから、というふうに見たほうが妥当です。
自分だけが正しいと信じて他人のことを攻撃している人は、実は自信のない人だと思います。
常に自分の正しさを証明していないと安心できないのです。
そして、自分の正しさを証明するために、常軌を逸した行いをした指導者は、ヒトラー、スターリン、ポルポトを含め、過去にたくさんいました。
今回の安倍さんの突然の辞任も、その「常軌を逸した行い」のひとつと考えればわかりやすいものです。
たまたま安倍さんは側近に「恵まれて」いなかったため、他人への攻撃の装置を作ることができず、自分自身への攻撃という結果の方が目立ったということでしょう。
でも、他人への攻撃の装置を作れた人たちも、安倍さんと同じように、ひどいストレスを自分自身に加えていたと思います。
いくら敵を排除しても安心できない、というのがその症状のひとつでしょう。
今回のことを単なる「お坊ちゃんバッシング」に終わらせることなく、政治家としての攻撃的な姿勢を見直す結果につなげることができれば、と思っています。
なお、自民党の総裁選ですが、「派閥談合」でできあがった福田さんを批判する向きに、不思議を感じています。
なぜなら、自民党というのは、そうやって出来上がった組織であり、そのやり方を変える(民主的な方法で物事を決める)ということになると、自民党の存在そのものを否定するようなことになってしまうからです。
地方組織からすべて、自民党というのはそうやってできあがっている組織なのです。
選挙の時も、町内会などの長が「○○を支援する」と決めたら、皆が従う、というのが自民党の「古きよき伝統」であって、日本の伝統的なやり方にマッチしているのです。
談合を熱く批判している自民党関係者も、自分自身の足元を見れば、日頃から談合的な暮らしをしているのです。
このようなやり方にはプラスの面もマイナスの面もあり、変えていこうと思うのであれば、単に批判して破壊するだけでなく、そのような「社会的伝統」を今後どういう形にしていきたいのかを考えなければ、小泉さんがやったように、社会は壊れていくだけでしょう。
この点をしっかりと踏まえないと、政治を本質的に変えていくことはできないと思っています。
今回の参院選は、まるで2005年の郵政総選挙をそのまま裏返したような、似通った選挙だったと思います。
この結果を単なる「不満のはけ口」「自民党へのお灸」として終わらせるか、新たな時代の始まりにするかは、今後の民主党の賢さにかかってくるでしょう。破壊ではなく創造としての新しい政治文化を示してもらいたいと思います。
ただし、政治文化は国民の文化を反映するものです。不満の振り子に揺られるだけでない、地に足の着いた人が増えていかなければならないと思っています。
そんな考えから、ちょっと異色ですが、訳書を出版しました。米国在住中にご報告したことがありますが、私がカリフォルニアの男子刑務所でボランティアとして行っていたワークを紹介したものです。自分が不愉快に思うのは「人のせい」ではない、ということを知ることの心地よさ・豊かさを教えてくれるワークです。「自民党のせいでこうなった」「民主党のせいでこうなった」という不満が原動力である限り、政治はどんどん破壊的になっていくと思います。自分の感じ方に責任を持つと、他人との豊かな連携が可能になります。そんなことをご紹介したくて訳した本ですので、ぜひご一読ください。
もちろん、本の趣旨どおり、愛や承認を求めて苦しんでいる人にも、とても役に立つ本です。
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探すのをやめたとき愛は見つかる ―― 人生を美しく変える四つの質問
バイロン・ケイティ著 水島広子訳
創元社 2310円(税込)
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5月24日に、ビデオニュース・ドットコム(ビデオニュース・ドットコムについては、末尾の*をご参照ください)のお招きで、久しぶりに選択的夫婦別姓についての討論をしました。
討論の相手は、埼玉大学教養学部教授の長谷川三千子さんでした。
ビデオニュースの方たちは、選択的別姓に反対している現職国会議員に出演依頼をしていたそうですが、皆さん辞退されたそうです。
政治家が自らの主張を訴える機会を辞退するとは不思議な話です。選択的別姓に反対などしていると、選挙に悪影響を及ぼす時代になってきたのでしょうか。
その結果として、私は哲学者の方と討論することになったのでした。
そうは言っても、賛成派・反対派が一対一でじっくりと討論したことは今までほとんど例がないそうで、それはそれで貴重な討論だったようです。
長谷川さんの主張は、「夫婦別姓制度」(儒教国にあった制度。生まれたときの父の姓を一生名乗る制度)と、「夫婦同氏制度」(現在の日本の制度。婚姻中の夫婦が同じ氏を名乗る制度)を選択できるようにするという考え方が混乱している、というもので、現実に生きる人間としてはそれのどこが問題なのか、ついによくわかりませんでした。
また、「結婚生活というのは、いろいろな我慢の連続なのに、どうしてたかだか苗字のことが我慢できないのか」という疑問も呈されていました。(これについては、「たかだか苗字」と思うのは長谷川さんの価値観であり、万人の価値観ではないということをお伝えしておきました)
討論の中では、哲学者と精神科医の違いでしょうか、ということになりました。つまり、「ものごとはかくあるべき」ということを論じる哲学者である長谷川さんと、一人ひとりがどのように悩んでいるかということに注目する精神科医との視点の違いなのかもしれません。そして、私は政治は後者の視点からなされるものであってほしいと思っており、長谷川さんは反対なのでしょう。
選択的夫婦別姓の議論は、ずっと、この2つの立場の対立だったと思います。
そして、私が人の「怖れ」に強い関心を抱くようになったのも、そこに原点があります。他人の自由を奪うことを正当化するほどの強い「怖れ」は、どうすれば解消することができるのだろうか、ということを考えるようになったのです。
「ものごとはかくあるべき」という考え方も、「怖れ」のひとつの形です。「~すべき」「~あるべき」という考え方が、どれほど心の平和を奪うか、ということは驚くほどです。その結果として、奪われるのは心の平和だけではなく、実際に社会の平和まで奪われてしまいます。
現実を現実として受け入れた上で、理解し、共感し、解決できることはしていく、という姿勢を妨げるのが、まさにその「怖れ」なのです。
今回の討論で意味があったと思ったのは、長谷川さんが私の家族観などをよく聞いてくださり、「水島さんのような考えでやっていらっしゃるのなら、それは立派な夫婦よ」と言ってくださったことです。歪曲された宣伝の影響もあるのでしょうが、別姓夫婦というのは「単なるわがままな人たち」だと思っておられたようです。「怖れ」を手放す第一歩は、相手への理解であり共感であるわけですから、こういうプロセスを積み重ねることも必要なのだろうと改めて思いました。
長谷川さんも、「皆さん、長谷川三千子と討論と聞くと辞退する方が多いけれど、今日は水島さんとちゃんとお話ができて良かったわ」と喜んでおられました。
それにしても、別姓どころか新しい姓を作ることも珍しくないカリフォルニアに住んでいた期間を経て、日本はまだこんなところでウロウロしているのだなあ、と改めて実感しました。
討論の中でも言いましたが、「結婚すること」と「どちらかが姓を変えること」が不可分なものになってしまっている日本の現状は、結婚のあり方を歪めていると思います。
先日も党首討論についての感想を北海道新聞に取材されましたが、そのときに、「家族の価値というのは、法律で決めたから実感されるものではない。それよりも、家族で夕食がとれるような労働状況になっているか、というような観点から考えるのが政治の仕事。実際に価値のある家庭であれば、子どもは家族の価値を尊重するようになる」という話をしましたが、別姓の議論についても全く同じことを感じています。
収録したものは現在インターネット上で見られます。
http://www.videonews.com/
政策討論クロストーク 第3回(2007年05月24日)
選択的夫婦別姓の是非を問う
賛成派:水島広子氏(精神科医・前衆議院議員)
反対派:長谷川三千子氏(埼玉大学教養学部教授)
* ビデオニュース・ドットコムは、日本人ビデオジャーナリストの草分けとしてテレビ朝日ニュースステーションやTBSニュース23などで精力的なジャーナリスト活動を行ってきた神保哲生氏が、「日本にも広告に依存しない独立系の民間放送局が必要」との考えのもとで1999年11月に立ち上げた日本初のニュース専門のインターネット放送局です。このため、有料会員制をとっているそうです。月会費500円ですべての番組が見られるというの魅力的ですが、会員登録をしなくても冒頭部分は見られるようです。