2016年4月のツイートのうち、反響の大きかったものを抜粋してまとめました。
4月2日(土)
お誕生祝いにいただいた絵、ご本人の許可が得られましたので一部ご紹介します。実物よりも可愛らしいけれど、なんとなく雰囲気を押さえていると感心しています。ありがとうございました。 pic.twitter.com/ZpmZy1eD0i
AHをやってきて何度も聞いた感想が「こんなに安全な場がこの世にあるなんて」というもの。つまり、人は心の姿勢次第で安全な場を作り出せる能力を持っているということだ。それがだんだんと世界に広がっていくことをイメージしながら活動を続けたい。
今日、漢字についても話題になった。「おそれ」を私は「怖れ」と表記しているけれども、例えば「台風上陸の恐れ」は「怖れ」ではない。もちろん、「畏れ」は畏敬の念でもある。そうするとやっぱり「りっしんべん」のある「怖れ」かなと。
「ゆるす」はひらがな表記にしている。「許す」となると、相手の行為を大目に見ることになってしまう。「赦す」は、上のものからの免罪。というわけで、AHの「ゆるす」はひらがな。過去を思い出して自分がいちいち傷つくのをやめる、という話。これはそのうち本にしたい。
AHでいう「ゆるし」には、相手の存在も、相手の行為も関係ない。ただ自分を傷つけるのをやめ、心の平和を得るためのもの。「何で許さなきゃいけないんですか!?」という質問(批判)をよく受けるが、このあたりはどういう生き方をしたいかの問題だと思います。
4月3日(日)
夜なべ仕事をしつつ、「全国の学校で、道徳の授業がAHになればいいにのにな」と願う私です。AH以上の、どんな道徳が必要なのでしょうか。
4月5日(火)
「もう選挙には出ないんですか?」と聞かれる度に、「AHが今の私の政治活動です」と答えている。本気でそう信じているし、今回民主党がなくなったことでますます本質に迫れる気がしている。
4月11日(月)
佐賀での講演、また何か言われそうなので先に言っておきますが、いわゆる「政治」とは全く関係ありません。会場手配などを原口さんにお願いしたのは、原口さんがとても早くからのAH支持者であり、信頼できる友人であることが主な理由です。
4月12日(火)
国際対人関係療法学会(ISIPT)の電話理事会が終わったところ。隔月のはずが、結局毎月開かれている。ただ嬉しいのは、欧米圏でサマータイムが始まったおかげで、日本では、先月まで朝7時だったのが夜の8時になったこと(理事全員が参加できるよう、時間調整されている)。
今日は私の担当領域に割かれた時間が長かった。私の担当は、経済格差、言語格差がある各国や各地域の組織や会費と国際学会の関係をきちんと作ること。少し形が見えてきた。
変な政治家の「キャバクラ」発言から、以前出演したあさイチのことを思い出した。 bit.ly/23B5scl 「まったく今の子は…」と言うのは定番だが、育った時代環境が違う人を批判できるのだろうか。
4月15日(金)
(1)今日は忙しすぎて脳が興奮しているせいか、まだまだ眠気が訪れない。そうだ、と思ってカリフォルニア在住のAH創始者ジェリーに電話してみたら、向こうは朝で見事にキャッチ。コミュニケーションが足りない、と常々言っている父親みたいなジェリーはとても喜んでくれた。
(2)これからも眠れないときは時差を生かして連絡するからね、すごくAH的な考えでしょ、と言ったら「とにかく連絡してこなくて寂しいから、その考えはいいね」と喜んでくれた。実の父も亡くなってしまった私だが、90歳のジェリーが健在なのはとっても嬉しい。
(3)前にはメールで知らせておいたが、今日は直に、原口さんが国会でAHに言及してくださった話も改めてできた。「It’s a miracle!」というのはジェリーの反応だった。@kharaguchi
ちょっと連絡してみようかな、というのはおそらく遠慮するよりも実行した方がよいことだと思う。ただ突然電話や訪問だと困る人もいるだろう。私も自分のペースを大事にする方なので、メールがほとんどで手紙やハガキも時々。ジェリーは目がほとんど見えていないので、電話がベスト。
4月17日(日)
本当にネット社会で寄付が楽になりました。寄付した義援金、役立つように使われますように。多少のコストがどうこう言うわけではなく、本当に必要な人のもとに届きますように。 twitter.com/cocorojin/stat…
4月18日(月)
東日本大震災の際に頼まれて書いた本「正しく知る 心的外傷・PTSD」、もう役割を終えたと思っていましたが今回も指針にしていただきたい、現地に入られる方に是非ご一読いただきたいと思います。善意が善意として生かされるように。 amzn.to/1SeW5bb
双子の兄のような先輩、原口一博さん(佐賀1区選出)から現地の様子をいろいろうかがっています。「自分は東京でぬくぬく暮らして申し訳ない」という罪悪感は何の役にも立ちません。義援金等、とにかく現実に役に立つ支援を前向きに行っていくことです。
(1)この頃重版情報が多くて網羅し切れていないが、今日は「社交不安障害」の増刷連絡が来た。不安をどうにかしようとする認知行動療法とは異なり、対人関係療法では、「まあ、それは病気として仕方ないから」と、「伝え方」よりも「伝える内容」を重視する。
(2)考えてみれば、手話、点字、外国語会話など、「伝え方」は必ずしも正解があるわけではない。でも「伝える内容」によって人々は交われる。まずは自分が社交不安の症状を持っていることを自覚し、「それでも」人に思いが伝わるよう、工夫していきたいものだ。
ちなみに私も昔は社交不安が強かった。小学校低学年までは普通の緊張だったが、小5の終わりに転校した学校では、朗読が比較的上手だと思っていた私に対して担任が「文章の最後をのばしすぎる」と「たー」とか「だー」とか私のまねをした。これはかなりの屈辱で、乗り越えるのに時間がかかった。
本当に直してほしかったのなら、せめてクラス中が見ている中では注意しないでほしかった。まあ、考えてみればもう40年近く前の話? 教育はその後進歩したのだろうか。
4月20日(水)
今日も単行本の執筆の打診があったが、多くの出版社をお待たせしてしまっており色よい返事ができなくて申し訳ない。ライターさんに書いてもらえば早いのだろうが、インタビューに割く時間があるくらいなら自分で書きたいし、本当に伝えたいのは平和なエネルギーなのだろうな。
この前文化放送の「オトナカレッジ」でも話したのですが、私は中学受験の頃から「8割の力しか出さない」ことを目指してきました。そうしないと燃え尽きるということがわかっていたのです。人生何が起こるかわからず、そんなときのために余力を持っておくことは重要だと思っています。
4月21日(木)
それにしても、今朝の朝日新聞の写真はひどすぎる。まあ、診療後の疲れた時間だったし、取材に向けて特に外見を整えることはしていないので髪がボサボサなのは仕方ないのだが、いつもこんな顔をしているわけではない(はず)と思いたい。実物はもっと感じがよいと思います。
気に入らないと言えば、録音された自分の声を聴いて「え??」と思ったことはありませんか? 私はずっと「録音された」自分の声が嫌いでした。でも、ある日講演後に「人を落ち着かせる声ですね」と言っていただいてから気にしなくなりました。要は自分の心の姿勢が出るのですかね。
4月24日(日)
江田五月さんから参議院議員選挙に出馬せずとの連絡。元気なうちに後継者に引き継ぐのも責任と。それはそう思うが、人も政治姿勢も、私が大切に思ってきたものが失われていく喪失感。
どんな治療法を自分の専門として究めていくかは、その人の人柄や人生観が大いに表れると思う。もちろん医局の縛りなどでたまたま専攻したという場合もあるだろうが、そんな縛りもなく、研究会に全国から集まってくださる治療者を見ていると、やはりふさわしい方達だと思う。
治療法の根底にある人生観を自分のものとして受け入れられないという人は、結局長続きしないと観察している。対人関係療法研究会は、そういう意味では良質。終了後の片付けも(お医者さん達が!)手伝ってくれるし、人間関係もお互いに励まし合い学び合おうとする姿勢に満ちている。
もちろんある精神科的障がいに対してエビデンス(1例報告などではなく)がある場合はそれを優先すべきだと思う。だが、その際も、精神療法の非特異的因子(要は、治療者の温かさ、寛大さ、弱い者への優しい目)がベースにないとお勧めできない。
この頃の自分の臨床では、親が発達障害の場合はどうしても治療が長引く。本人の分だけなら16回以内で片をつけることができる場合も多いが、親が発達障害故に事態が混乱してしまうと、よりコンスタントな支援が必要と感じる。でもそんな中でも患者さんは好転していく力を持っている。
4月25日(月)
いつも休日関係なく仕事をしているので、GWの到来に気づき、「まずい、今送っておかないと連休明けになってしまう!」とにわかに動き出した私。7月には「居場所」の本が刊行予定です。それに例年の頭痛の種の「現代用語の基礎知識」なども。震災の様子を見て役立つ本になるように。
4月26日(火)
AHグループ終了後のファシリテーターのミーティングはとても独特です。普通、グループがどうだったか、問題人物は誰か、などを話し合うのでしょうが、AHでは、「人をサポートする立場で、どれほど自分の心の平和に集中できたか」をそれぞれが言ってカードを読んでおしまいになります。
4月29日(金)
不調だった自宅スキャナーが復活。ほっとした。スキャナーのない生活がどれほど大変だったか。でも考えてみたら、私が現職議員の終わり頃にようやく普及し始めたものだ。昔はファクスもなかった。まあ自力で直せたのでよしとしよう。
さすがにこんな時間に起きていると外国とのやりとりがスムーズ。懸案だった事務用件に、ただちに返答をくれるので、今日中に解決しそう。
対人関係療法がらみで、もしかすると7月に急遽ニューヨークに飛ばなければならないかもしれない。そうなったらスケジュールの再調整で大変だ。
4月30日(土)
10月にロンドンで開かれる国際学会に、Plenary Speaker(全員出席の講演)として招待された。とても名誉なことだけれど、結果としては断るつもり。もう年も年だし、名誉や社会的義務よりも、自分が本当に役立つと思う活動にエネルギーを絞っていくつもり。
7月のNYも、結局断ることにした。対人関係療法の創始者ワイスマンが「NYのミーティングに出るなら、必ずうちでもてなさせて」とまで言ってくれたが、身体が一つしかない。もっと身体が増えないかな。一日の時間とか。
そうそう。知らない方のための豆知識。少なくとも米国では、「~くらい」を-ishで表現する。「5時頃」はfive-ish。「普通っぽい」はnormal-ish。「黒っぽい」はblack-ish。日本にいるとなかなか得ることのできない知識。私はkind-ishかな。