2017年1月のツイートより(抜粋)

2017年1月のツイートより(抜粋)

2017年1月のツイートのうち、反響の大きかったものを抜粋してまとめました。


1月1日(日)

おお、年が明けていました。あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。私にとっては6年周期が始まる特別な年です。今まで以上に皆さまのお役に立てますよう、本当に祈っております。

個人的な関わりのある人にはよく言うのですが、私は決して「他人の役に立ってこそ自分の価値がある」と思う人間ではありません。ただ、自分がやりたいこと、自分にとって気持ちがよいことをやっているだけです。


1月2日(月)

とりあえずここまでに自宅に届いた分の年賀状の整理が終わった。年賀状は数も多いし手がかかるが、「年賀状だけはやりとりする関係」というのが案外好きな距離感なので、やめられない。

自分が製薬会社から特別な便宜を提供されていないこと、精神療法を推進する立場なのでむしろ煙たがられていることを含めて敢えて言うが、効果的な薬物療法は本当に効果的だ。どうしようもない精神科医やどうしようもない製薬会社のために、その恩恵を拒絶するのは明らかに損失だ。

愚痴ついでに。無能な精神科医にかかって、病気もよくならなければ、自分の本来の力を見いだせないのも当たり前。それをくれぐれも自分の努力不足とか、自分側の責任とか、思わないでください。

前も言ったような気がしますが、受診する度に、自己肯定感が下がるような治療者(医者に限らず、メンタルヘルスの専門家と称する人たち)からは離れてほしいです。

先日、AH創始者のジェリージャンポルスキーが、親や教師としての子どもとの関わりについて、とてもよいことを言っていた。「子どもとやりとりする際には、やり取りする前よりも子どもの自己肯定感が高まっているような、そんなやりとりをしてほしい」と。

ジェリーは私と電話をする度に、「もっと電話してくれなきゃだめだよ。もっとお互いの近況報告をしなくちゃ。電話の頻度が低すぎるよ」と、田舎のおじいさんみたいなことを常に言うのだが、それは私の自己肯定感を高めるコメントなんだな、と改めて気づいた。


1月6日(金)
「運」について書いた本は、これから編集作業に入りますが、5月に刊行してもらえる予定のようです。他にも、今年は昨年よりも出版仕事を頑張るつもりです。


1月7日(土)
今日はAHの実践ワークショップ(対人援助に焦点を当てたもの)だった。その中で出た話題。一般に「傾聴」と言われているものは、形こそ似ているが、AH的な聴き方とは正反対なのでは。「相手を助けてあげたい」という気持ちが先立つのだとしたら、確かに正反対なのだと思う。

今日つくづく痛感したが、私は精神科の患者さんを侮辱するような人とは信頼関係を持てない。未知のものには怖れを抱きがちだし、それが偏見という形をとるのはわかる。でも自分が偏見を持っていると認め、知識を増やすことで改善したいという意識すら持っていない人は、対象外。

ちなみに先ほどのツイートは、今日のAHの場で感じたことではありません。今日のAHはとても温かく豊かで参加者皆さまとのつながりを感じる場でした。

私は完璧とは程遠い親だ。でも、親としてどうしよう、と迷ったときには「もしも私が明日事故で死んだとして、どういう親だったと覚えていてほしいか」を考える。親の記憶を子どもはずっと抱えていく。父を失ってもうじき9年になるが、父からの愛を感じる記憶は肥やしになっている。


1月9日(月)

恒例の穂高養生園AH宿泊ワークショップ、今年も行きます! 大自然の中、おいしいマクロビ料理をいただき、AHを堪能できる、贅沢な企画です。ぜひ現地でお会いしましょう! https://goo.gl/SMmfPP

人の被害者意識を刺激して勢力を伸ばすのがポピュリズム、被害者意識を癒やす方向のものがリベラリズムのように思う。保守の反対語は革新であって、従来の保守にはリベラルな要素もあった。

四日市でも初めてのAH入門ワークショップが開催されます! https://goo.gl/Dt62NV

豊田市でのAH入門ワークショップです! https://goo.gl/9Wqmf9


1月11日(水)
性的虐待を受けた男性のための安全なグループは案外少ないのですが、AH護国寺では、3の倍数の月に、「未成年の頃に性的虐待を受けたと思う男性のためのAHグループ」を開催しています。男性のみのグループです。詳しくは http://www.ah-japan.com

早朝は、国際対人関係療法学会の電話理事会だった。「認定」は長年の懸案だが、詰めていこうとすると、熟練した臨床感覚でしかわからない「よい対人関係療法」をどう定義づけるか、という難題にぶつかる。認定の議論に参加しつつ、足下の日本で少しでもよい対人関係療法家を育てたい。

それにしてもまあ。「母国語としての英語と、国際語としての英語を区別して責任を持ってください」と頼んでいるのに、相変わらず母国語としての英語しか話さない、私以外の理事達。私はかろうじてついて行っているけど、ときには「ついていけません!」とか言った方がいいのかな。


1月12日(木)

オバマ氏には、大統領退任後にも、命ある限り活躍してほしい。もちろん、命がなくなった後にも、永遠に人の記憶に残る存在であるのは間違いないが。

対人関係療法研究会の、実践入門編ワークショップ、2月26日(日)に行います。有資格者向けです。入門編は年3回程度の開催です。まだ残席がございますので、この機会にどうぞ。詳細は https://goo.gl/BEzoWB

先日のAHワークショップで出た話題。問題を見ないようにすれば、心を平らにすることはできる、と。でもそれはAH的に言えば「分断の姿勢」。心が平らになっても、幸せ感はない。AHで言う「心の平和」とは、幸せ感をもたらすもの。

刊行時期はまだ未定だが、モラルハラスメントの本を書くことになった。「モラルハラスメントはとんでもない」ということは今や多くの人が共有している感覚だろうが、癒やしにつなげるのが私の仕事だと思っている。

それぞれの「幸せ」を追求するからもめ事が起こる、というのは絶対に違うと思う。「幸せ」をお金のレベルなどで考えればそうかもしれない。でも人間にとって真に幸せなことは、自分の本質である温かさに帰って、その中でのびのびと生きることだと思う。私とAH仲間が共有していること。

ちなみに、「運」の本(5月刊行予定)にお金についても書いた。経済レベルが一定水準以下の世帯に虐待が起こりやすいのは事実で、それは行政がきちんと経済保証すべきこと。それ以上の世帯では、お金をどうとらえるか、ということが、幸せ度を決めるのだなと思う。


1月15日(日)

個人名をあげて評価を下すことは、ポジティブな評価であっても、その人によって傷つけられた他人の内心に踏み込み傷つけうる、ということは常に意識した方がよいと思う(時には評価された本人さえも傷つく)。他人の存在を受け入れることとポジティブな評価を下すことは似て非なるもの。


1月16日(月)
AHの原則12のextend loveを「愛をさしのべる」としたのは私の誤訳だったとつくづく思う。AHで言う「愛」は、自分がぽかぽかしているという以上のものではない。自分がぽかぽかしていれば自然と周りもぽかぽかする。周りを温めようとすると正反対にもなりうる。

私は友達づきあいをまめにするタイプではないが、「相談できる人がいる」ことの心強さは痛感している。自由を重んじる私は滅多に人に相談しないし、活動が様々なので領域によって相談相手を選ぶが、それでも「いつでも相談できる」という感覚は間違いなく私の自己肯定感を支えている。


1月17日(火)

生活保護バッシングほど、人の被害者意識を反映したものはないと思う。「自分はこんなに苦労しているのに、税金で楽して生活している人たち」という考え。一例一例にどんな事情があるか知っても、同じことを言えるとは思えないのだが。


1月18日(水)
先ほど「一例一例にどんな事情があるか知っても、同じことを言えるとは思えない」と書いたのは、事情を知ればわかってくれるはず、という信頼を伝えたかったから。とても暴力的なツイートを目にするが、その批判対象になっている人の個別の事情や生活を知ったら、全く違うのではないか。

相談できない、人間関係に恵まれていない、という人については、5月刊行予定の「運」の本に、書いてみました。

だって、「人間関係は大切」と言われても、それを持っていないと思う人にとっては、拷問みたいなものですものね。


1月20日(金)
今日の唯一の目標を、「心の平和の選択」とする、と決意。あらゆる形の怖れにとらわれる度に手放す意識を持とう。


1月21日(土)

トランプ政権が始まる。問題はたくさん起こると思う。それらに、いかに「怖れ」を載せずに意見できるか。何が問題であるかを淡々と述べ、トランプ氏への嫌悪という形の「怖れ」を載せずにいられれば、世界はずいぶん変わると思う。

自分はどう思われているのだろうか?とか、自分はどう評価されただろうか?とか、そういう懸念からは一切解放されます。 もちろん人間ですから、ちょっとは気になりますが、すぐに「いやいや、私の人生の唯一の目標は、自分自身の『心の平和』だった」と(後略:「運」の本より)

「運」の本のデータレベルの編集作業が終わった。あとは本全体のつくりも含めて、少しでも人の役に立つものになりますように。しかし、「運」というのは、改めて考えるとおもしろいものだな。

「無防備は力」の一つの例。先日取材を受けていたときに言ったのだが、自己肯定感が低い人ほど、完璧でいようとする傾向がある。自分の弱点や失敗を、「弱点や失敗として」さらけ出せる人は、強いと思う。そしてそうすることによって、人はもっと強くなると思う。

私が好きなAHカードの一つ、「無防備の中に安全がある」。「攻撃的な世界に対して防衛的な反応をしてもうまくいきません。なぜなら、それは自分自身が弱く傷つきやすいという感覚を増すからです。防衛的になれば自分は守られると信じているのは、怖れている人だけです」


1月22日(日)

3月に「劣等感を考えるAHワークショップ」を開く旨のお知らせをしたら即日満席になった。それほどニーズのあるテーマなんだな、と改めて実感。これもいずれ本になりますので、関心のある方はお楽しみに。まずは実りの多いワークショップになりますように。

本当に癒しを必要としているのは、自らの劣等感を「劣等感」と自覚して悩んだりするのではなく、それを人にぶつけている人なのだろうけれど。

「クリントン氏をとりまく利権があまりにもひどすぎたから」という理由でトランプ大統領を支持している人に対して、「一人一人の当たり前の人権、生活、そして政治の品性が脅かされるのが心配だ」という話をしても、何となくシャットダウンされてしまうのは悲しい。


1月23日(月)

各現場の人たちが一生懸命やってきて、それでも限界があるから法制化が必要、という話ならわかる。でもそういう努力の積み重ねのないところに「法律さえできれば解決する」と考える人は、一度、永田町の現場を体験してみてほしい。考慮すべきことは決してシンプルではないのだ。


1月25日(水)
「形」と「心の姿勢」を分けて考えるととてもわかりやすい。「どうしたらよいのか」を考える前に、「自分はこの状況をどう受け止めたいのか(心の平和を大切にしたいのか)」を考え、それに基づいてふるまうと、自分の温かさが守られるし、往々にして効果的な行動もとれる。

3月26日に、対人関係療法研究会の特別編(要望の強いロールプレイ編)を1年ぶりに行います。2月26日の実践入門編には珍しくまだ空席があります。入門編に参加していただくことが、特別編参加の要件になりますのでご留意ください。http://www.ipt-japan.org


1月26日(木)

今日打ち合わせた本の企画は、うまく書ければ多くの希望をもたらすことになると思います。「自分が女性に生まれたことを幸せに思いつつ、女らしさに縛られない生き方」。女らしさの押しつけが嫌だからと言って、女であることまで捨てる必要はない、と書ける能力が私にありますように。

今日初めて、女性に対して「産業廃棄物」というむごい言葉が使われているのを知った。一定年齢を過ぎた女性に対して。おそらく、子どもを生まなかった女性に対して使われることもあるのだろう。あまりにもショック。


1月28日(土)
今日は静岡で、福祉職・介護職の方を対象に、「ケアする側をケアするための怒りの扱い方」を講演。会場いっぱいの方たちが熱心に聴いてくださって、明るく温かく、とてもよい時間でした。

信頼できる学術論文等を引用して書いた一般向けの病気についての本が「今まで医者から言われてきたことと違う」という反応を生むのはよくある(多くが前進につながる)。でも本を売りたいがための扇動家呼ばわりされると、それほど「専門家」の不勉強に振り回されてきた人が気の毒になる。


1月29日(日)

大野先生からいただきました。認知行動療法については、「?」と思う本が多い中、大野先生自らが自費制作で責任を持って作られた本書は信頼できるありがたい本です。多くの方が手に取られますよう。認知行動療法が正しい形で普及しますように。 https://goo.gl/HdlHx7

信頼できる学術論文等を引用して書いた一般向けの病気についての本が「今まで医者から言われてきたことと違う」という反応を生むのはよくある(多くが前進につながる)。でも本を売りたいがための扇動家呼ばわりされると、それほど「専門家」の不勉強に振り回されてきた人が気の毒になる。

今年もWINWINの会費を払う。女性の政治進出の経済的ハードルを軽減するための団体。私自身、総選挙において史上初めて推薦された4人の候補者の一人で、当時総決起集会直後でポスターを貼るお金もなかったところを救われた。女性政治家についてはとにかくまずは質より量。

最近国内外を見渡したときに「有力」な女性政治家は、(どういうわけかハイヒールを好むことも共通するが)「女子ども」の人権を守らないタイプの政策を推進しているように感じる。やはり「名誉男性」に過ぎないのだろうか。しっかりと「女子ども」の人権を守ってくれる政治家に期待。

ツイッターの限られた文字数を、温かいエネルギーで書くのか、怖れをあおるエネルギーで書くのか(しばしばぶつけられてくる被害者意識も含めて)によって、世界を変えていくことができる、ということに一人でも多くの人が気づきますように。

大義のために一人が切り捨てられるという考えには昔から反対だ。WINWINの推薦が難しくなったとき、元文部相の赤松良子さんに「官僚的なマクロの視野で一人のやる気を挫いてどうする」と反論した。幸い受け入れてもらえ推薦してもらえた。社会は一人一人の積み重ねだ。