2月26日、一時帰国して参加した「水島広子と歩む会総会」において、以下の文書を公表させていただきました。県連幹部の方たちのご判断だと思いますが、2月21日付の下野新聞の1面トップに「水島氏 1区出馬せず」の大きい記事が載ったようです。突然の新聞記事に「どうなっているんだ」というお尋ねもいただいてまいりましたが、以下が私が皆さまに直接ご報告したい内容です。本来は、もっと日本で時間のとれるときにご報告すべき内容であるのはもちろんですが、いろいろな事情を考慮した結果、この時期のご報告となりました。
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次期衆議院議員選挙栃木一区からの立候補について
水島広子と歩む会の皆さまには、今まで衆議院議員としての活動を共に歩んでいただきありがとうございました。改めまして心から感謝申し上げます。
おかげさまで、任期五年の間に、おそらく他の議員では実現できなかった領域の成果をいくつも上げさせていただきました。これもすべては、一九九九年の十月に移り住んで以来、二度にわたって国政へと送り出していただいた栃木一区の皆さま、特に主体的なご支援をくださった水島広子と歩む会の皆さまのおかげです。
昨年九月の総選挙で議席を失って以来、今後の政治とのかかわり方を自分なりに考えてまいりました。多くの方から、ぜひ栃木一区から再出馬するようにという温かいお励ましもいただいてまいりました。大変ありがたいことです。
栃木一区においては、本当にすばらしい方たちとの出会いをいただき、一生の財産とも言えるような関係を築かせていただいたことを感謝しております。その一方で、落下傘候補としてこの地にまいりました私は、「宇都宮に住んで初めて代弁者たり得る」と思ってまいりましたし、そのための努力を続けてまいりました。しかし、国会での活動が本格化するにつれ、国会で最大限の成果を上げながら家族そろって選挙区に居住するということはほとんど不可能であることがわかりました。
そんな中でも選挙区の皆さまとの関わりを最大限に確保できるように、家族の理解と協力を得て、週日は議員宿舎、週末は宇都宮、という移動生活を家族そろって続けてきましたが、宇都宮に移り住んだときには一歳であった娘も小学校二年生となり、連続して過ごせる自分の地域を必要とする年齢になりました。六年半前とは異なり、栃木一区の代弁者として小選挙区から立候補できる環境にはなくなったと判断せざるを得ません。また、候補者が選挙区に居住しているかどうかが唯一の争点になってしまうような選挙は、民主主義の成熟のためにも望ましいものではありません。
子どもたちが健康な心をもって成長できる社会の実現という目標に向ける思いは政治にかかわる前よりもむしろ強くなっております。栃木一区からの立候補という選択肢を断念せざるを得ない現状を踏まえた上で、自分にできることを考えながら前進を続けたいと思っています。現在米国で研修中のアティテューディナル・ヒーリングからは、そのためのヒントをたくさん学ばせていただいていると感じています。もちろん、自分にできる範囲で、政治にもかかわってまいりたいと思っております。
今までいただきましたご支援に心より感謝申し上げますと共に、今後ともご指導をいただけますようお願い申し上げます。メールマガジンでの活動報告はこれからも続けさせていただくつもりです。
最後になりますが、皆さまのご健康とご活躍を心よりお祈り申し上げます。
二〇〇六年二月二十五日 水島広子
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総会の後の記者会見では、「つまり、今は政治よりも育児ということですか?」というご質問をいただき、私の文章のつたなさを恥ずかしく思った次第ですが、もちろんそんなことが言いたいわけではありません。
政治というものの性質を考えれば、当然育児真っ最中の人間でも参加できるべきだと思っていますし、自分自身、育児中の立場だからこそ提言できたことが多々あると思います。
記者の方に説明申し上げたのは、「自分の目標を達成するための仕切り直し」ということです。本来何のために政治を志したのかということは一刻たりとも忘れたことがありませんが、それを考えればこそ、そのための環境調整に自ら努めるべきだと思っています。
幸い、お忙しい中駆けつけてくださいました「水島広子と歩む会」の皆さまには、真意を理解していただき、とても温かいお言葉をいただきました。私が栃木一区から出馬しようとしなかろうと、この後援会活動を通してできたネットワークを生かして、栃木に新しい力をつけていきたい、という前向きなご提言もいただきました。
また、私は現在米国での勉強に専念しており、今後は全く白紙の状態ですが(下野新聞の記事によると、すでに他の形での立候補が視野に入っているかのように読めますが、そういうことではありません)、今後どんな活動をしようと支援を続けてくださる、という温かいお気持ちを皆さまからいただきました。
改めて、「水島広子と歩む会」の皆さまのご見識の高さに感激すると共に、こういう方たちに支えていただいていたからこそ、充実した5年の任期を全うすることができたのだ、と改めて感謝しております。
明日の午後にはまた飛行機に乗って米国に戻り、活動報告を続けさせていただきます。
慌ただしいご報告で申し訳ございませんが、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。