民主党の子ども政策会議に呼ばれました

 10月13日(木)、民主党の子ども政策会議に呼ばれ、今まで取り組んできた政策についての報告をしました。選挙以来、男女共同参画委員長としての引き継ぎなど、ちょこちょこと国会には行っていますが、13日には国会内で落選議員に次々と会って、お互いに笑ってしまいました。不要ダムの阻止など、大きなプロジェクトに取り組んでいた人たちが落選してしまったため、いずれも引き継ぎが大変で、落選議員たちがせっせと国会に呼ばれているようです。

 私が13日に報告したのは、「育ち☆育む応援プラン(民主党の未来世代応援政策は、最終的にこういう名前に落ち着きました)」、「子ども家庭省設置計画」、「特定暴力情報からの子どもの保護に関する法律案(かつて「子ども有害情報からの子どもの保護に関する法律案」と名づけていた法案ですが、「子ども有害情報」という言葉が抽象的なので、暴力と性暴力などに限定した「特定暴力情報」という呼び名に変えました)」です。

 「育ち☆育む応援プラン」は、「未来世代応援基本法」を中心に、「テマとヒマ」「お金」「個別のニーズ」という3本柱からなる応援政策です。これを統括するのが子ども家庭省ということになります。

 また、「特定暴力情報からの子どもの保護に関する法律案」は、私にとっては特に思い出の多い法案です。初当選後すぐに着手し、私が初めて自分で作った議員立法になりました。暴力や性暴力の情報が、住み分けられることなく子どもたちに垂れ流されている現状には多くの人たちが疑問を感じながらも、憲法の規定する「表現の自由」に抵触しうる、という理由で、ずっと手をつけられずにきたものです。

 もちろん、表現の自由は、民主主義社会の根幹として何にも増して堅持しなければなりません。でも、だからと言って、有害な情報から守られるという子どもの権利が犠牲になって良いということでもないのです。ですから、私は、「情報の住み分け」と「メディアリテラシー教育」の2本柱からなる法案を作りました。

 それでも、こういう「規制」(私の法案は規制ではないと思いますが)にアレルギーのある方たちからは、散々な攻撃を受けました。2001年の初頭には、つわりに苦しみながら、シンポジウムなどで一生懸命説明していたのを懐かしく思い出します。あのときの議論のおかげで、立法者としてはずいぶん鍛えていただき、また、度胸もついたと思います。

 この法案も、その後、少しずつ手を加え、先の通常国会で「特定暴力情報からの子どもの保護に関する法律案」と名前を変え、また、子どもの意見表明権も明記したところです。

 こうやって考えてみると、まるでこの時期に国会を離れることがわかっていたかのように、全ての作業が通常国会で一段落しています。解散が半年前だったら、「育ち☆育む応援プラン」をまとめることもできていませんでしたし、子ども家庭省の設置計画も作れていませんでしたし、「特定暴力情報」も「子ども有害情報」の名前のままだったわけです。
 13日の会議で、今までの経過を報告しながら、あの時期の解散で良かったと、改めてほっとしました。

 それと同時に感じたのは、やはり、取り組んでいる人が少ない領域では、一人の落選が非常に痛いということ。私にしか報告できないものがこんなにあるということは、私自身が責任者のポストにあったということだけでなく、やはりその政策に関わっていた人がそれだけ少なかったということでもあります。

 とりあえず、国会を離れても手伝えることは手伝おうということで、「育ち☆育む応援プラン」も、選挙前には要約版しか印刷できませんでしたが、本体を印刷する上でコラムの部分は私が書かせていただくことになりました。