日銀総裁と道路特定財源という二つのテーマで国会が「空転」しているが、流れを見ていて、政治文化の問題を改めて痛感している。
日銀総裁はさておき、道路特定財源については、多くの国民が問題を感じている。特に、衆院審議を通して明らかになってきた「常軌を逸した無駄遣い」を目にして、このまま道路特定財源を守っていくべきだと考える人はまずいないだろう。
ところが、与党を中心に「それでも道路は必要だ」「地方切捨てだ」というような声が出てくる。これは政策論の明らかなすり替えであり、一般財源化した上で、地方分権の中、何に優先的にお金を遣うかは地方が決めていけばよいことだ。その地方が「それでも道路は必要だ」と思えば、一般財源から道路を作ればよいだけのことだ。地方切捨てでもなんでもない。
こうした政策論議は、どんどん進めていくべきだし、進めれば進めるほど国民の政治意識は高まる。自分たちが政治に関心を持つことがなぜ必要なのか、ということも本当に理解できるようになってくる。
政策論議を活性化するのは、まさに野党の役割であり、与党による「政策論のすり替え」を鋭く指摘して、論議を正しい軌道に乗せていく必要がある。
衆院審議は、その役割をよく果たしたものだと言えるだろう。
ところが、強行採決という「手続き」から流れが変わる。
気づくと「政治を混乱させて国民の利益を損なっているのは野党」というような空気ができてくる。私もかつて選挙区でそのような批判をたびたび受けた。
今回も、すでにそのような空気が作られ始めている。
「本来は与党が仕掛けたことなのに」という悔しさは、野党議員が常に抱くものである。民主的な手続きを先に放棄したのは与党の方なのに、応援してくれるはずの有権者が案外冷たい、ということはよく経験されることだ。
これは、強行採決という「手続き」を境に、主役が政策論議から「メンツ」に移るために起こることだと言える。
私ですら、先日新聞で「民主党の幹部が『衆院で強行採決をした与党が謝罪してこなければ先に進めない』と言った」という記事を読んで、かなり呆れた。
進めるべきなのは政策論議であり、与党と野党の「メンツ」問題は国民の利益とは何の関係もないからだ。
国会が紛糾していくうちに国民が飽きてくるのは、政策論議から「メンツ」へ、という主役の変化と直接関係している。「メンツ」の応酬を見ていると、「政治は関係ない」「自分が関心を持ってもどうせ変わらない」という気持ちになってくる。政策論議を聞いていたときには「自分の問題」だったのに、「メンツ」問題になってくると「勝手な政治家たちの問題」に変わってしまう、という構造である。
ところが実際に、政治を動かすエネルギーは「メンツ」だということは、私も政治の場にいて痛感したことだ。いかにして相手の「メンツ」をつぶさないかが、国会で成果をあげるためのポイントとなる。
確かに日本の社会はまだまだ「メンツ」が重要な構造になっているので、その代弁者である政治家たちが「メンツ」を中心に動くというのは仕方のないことなのだろうが、ここで野党が「怖れの綱引き」から手を放して、「メンツではなく政策を」という姿勢に徹することができれば、どれほど日本の政治文化が変わるだろう、と思っている。道路特定財源は、まさにそのための理想的なテーマだと思うのだが。
なお、「石原銀行」(新銀行東京)も、どれだけ「メンツ」から脱して政策論議ができるか、という重要なテーマだ。ポイントは都議会の対応になるわけだが、「どちらが正しかったか」という「怖れの綱引き」をするのではなく、現状に合わせた柔軟な政策論議が行われることを強く希望している。