非暴力コミュニケーション(NVC)

★サマータイム★

 アメリカは4月からサマータイムになります。こちらではDaylight Savings Timeと呼ぶようですが、4月2日から1時間時間がずれます(始まる日は年によってまちまちのようです)。12月にこちらに来た頃は、夜6時に子どもを保育園に迎えに行く頃は暗かったのですが、この頃は7時ごろまで明るい毎日です。これで1時間時間がずれると、ますます明るい晩を楽しめるようになります。東京で育った私としては、朝がなかなか明るくならないのは馴染みませんが、仕事が終わった後にも明るいというのは楽しいことです(私は夜もセンターのグループに行くので、すべてが終わる頃にはさすがに暗くなりますが)。
 ただ、平年であればとっくに終わっているはずの雨季がまだ終わらず、相変わらず嵐などが続いているのには閉口しています。気温もあまり上がりませんし、カリフォルニアらしい日差しを楽しめるのにはまだ時間がかかりそうです。先日はあまりにも珍しい雪まで降って大騒ぎになりました。私の周囲のアメリカ人は、「地球が温暖化しているのに、なぜここだけ寒くなるのだろう」と不思議がっています。

★非暴力コミュニケーション(NVC)★

 さて、今日は、「非暴力コミュニケーション」について少々ご紹介したいと思います。バイロン・ケイティの「ワーク」と同じく、アティテューディナル・ヒーリングと直接関係のあるものではありませんが、きわめて親和性の高い内容を持つものです。また、対人関係療法を通してコミュニケーションの問題に取り組んできた私には、とても納得のいくものです。

 アティテューディナル・ヒーリングにしても、バイロン・ケイティにしても、そして今日ご紹介する「非暴力コミュニケーション」にしても、いずれも、個々人の「意識」に焦点を当てたものです。ものの受け止め方、自分の感じ方については、自分自身が責任を持たなければならない、という考え方が基本にあります。

 これは、とても大切な考え方だと思います。歴史を振り返っても、一番危険なのはヒトラーや小泉純一郎のようなエキセントリックな人物ではありません。そういう時代に、ほとんど無意識のままに流されていった人たちが、一番危険だと思うのです。「だって、社会がこんなだから」「だってうちの国の首相は異常だから」というような理屈で、自分の意識を問い直すこともせず、そのまま流されていくことが、歴史の流れを作ってきたのです。

 実は、これは国家レベルの話だけではありません。例えば、DV(ドメスティック・バイオレンス)などについても、加害者が「だって妻が私を怒らせるようなことをしたから」「私のプライドを傷つけたから」というような理屈を述べるのが常です。「妻がやったこと」と「自分の感じ方」を無条件に結びつけているというのが大きな特徴です。

 「非暴力コミュニケーション」は、このような結びつけ方を問い直すものです。そして、相手について何かを決めつけるのではなく、自分自身の感情や要求を表現するようにします。
 例えば、相手が自分に挨拶をしなかったとき。
「挨拶もしないで何という失礼な人間だ」と怒るのは、非暴力コミュニケーションではありません。相手を裁いているだけだからです。

また、「あなたは私を無視した」とか、「私をないがしろにした」というのも、非暴力コミュニケーションではないのです。まだまだ、重点が相手側にあって、自らの内部の感情を表現できていないからです。

 非暴力コミュニケーション的に言うとすれば、「あなたが挨拶をしてくれなかったとき、私は悲しかったし腹が立った。なぜなら、人から尊重されたいという私の要求が満たされなかったから」というような内容を述べるのです。

 あなたが相手側の立場だとして、「挨拶もしないで何という失礼な人間だ」といきなりののしられるのと、「あなたが挨拶をしてくれなかったとき、私は悲しかったし腹が立った。なぜなら、人から尊重されたいという私の要求が満たされなかったから」という趣旨を述べられるのと、どちらを暴力的だと感じるでしょうか。そして、どちらであれば、自己防衛に走らずに、もっと相手に対して親身になれるでしょうか。

  非暴力コミュニケーション(NVC)を始めたのはマーシャル・B・ロゼンバーグ(Marshall B. Rosenberg, Ph.D.)ですが、彼の本の序文で、アラン・ガンジー(マハトマ・ガンジーの孫。ガンジー非暴力研究所の創設者兼代表)は、祖父との思い出を述べています。非暴力主義で知られるガンジーですが、身体的な暴力だけに注目していたわけではありません。むしろ重要なのは心理的な暴力であって、身体的な暴力はその一つの爆発の形であり、身体的な暴力に「燃料を供給する」のが心理的な暴力だということを述べていたそうです。ですから、日ごろのコミュニケーションをいかに非暴力的に行うか、ということにマハトマ・ガンジーも力点を置いていたそうです。ガンジーの哲学は「社会にもたらしたい変化に、まず自分がなるべきだ」というものですが、暴力のない世の中を作りたいのであれば、まず自分が使う言葉から気をつけなければならないということでしょう。

  政治の世界においてこれは特に重要なことであると同時に難しいことなのですが、不可能なことではないと思っています。現在、この点で尊敬できるハワイの上院議員といろいろなやりとりをしていますし、6月末にはハワイを訪問して懇談することになっていますので、またご報告いたします。

 非暴力コミュニケーションにご関心のある方は、
http://www.cnvc.org/index.htm へどうぞ。英語のウェブサイトです。
 私が知る範囲では、まだ日本語訳された本はないようです。

 アメリカに来て良かったことの一つに、しっかりした本をたくさん読めるということです。日本における出版業界の斜陽ぶりは目に余りますが、自分の著作を出すときにも「一文ごとに改行してください。そうしないと日本の読者は読みませんから」と言われたことがあります。200ページ以上のペーパーバックを普通に読みこなしているアメリカ人を見ると、国の将来の違いが見えてくるようです。また、アメリカでは、本を読むのが苦手な人のために、カセットテープやCDも大変はやっています。

 日本語で非暴力コミュニケーションについてもっと知りたい、というご希望が多いようでしたら、このメルマガでもまたご報告させていただきます。