アティテューディナル・ヒーリング・センターの誕生について、パッツィ・ロビンソンの翻訳の続きです。
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私たちは今でもドナヒューのテープを学びの道具として使っています。深い感動があり、見た人にはパワフルな影響を与えます。子どもたちはまっすぐで正直です。フィル・ドナヒューはこの経験にとても強く影響を受けたため、約1年後にカリフォルニアにやってきて、センターについてのショーをもう一度やりました。彼は10回のショーができるくらいの題材を得たといい、今でも子どもたちの何人かと連絡をとっています。
シカゴから帰ってくると、私たちの静かな小さなセンターは大騒ぎになっていました。電話は一日中鳴りっぱなしです。アメリカ中から電話がかかってきて、助けを求めているのです。手紙が殺到しました。私たちは圧倒されながら、最善を尽くして手紙に返事をしたり電話をとったりしました。ドナヒューの番組の最後に、パット・テイラーが「私たちはサービスを有料にしようとは夢にも思いません・・・でも、寄付は決してお断りしません」と言いました。これがきっかけとなって、寄付が殺到しました。高額のものも小額のものも。私たちは反応の大きさの見当がつきませんでした。すごかったのです。
私たちは全くのボランティア組織でした。今や公的な寄付が入ってくるようになったので、法的にNPOになる必要がありました。自力でそれができるかどうかを見てみようと私たちは決めました。弁護士に法外なお金を払わずにすむようにです。それは本当にとても単純でした。私たちはカリフォルニア州サクラメントに行きました。そして、NPO法人化を申し込みました。私たちは1977年1月20日に国務長官の事務所に行き、その日のうちにNPO法人格を得ることができました。事務所の人は、基本定款を簡潔な形で作るのも手伝ってくれました。それは、カリフォルニア州法のもとで、私たちの目的をはっきりと述べたシンプルな文書です。基本定款は、私たち、当時は3人だった理事会メンバーによって署名されました。
団体規約も作りました。ほかの団体の形式を調べて自分たちのセンターに必要なものを採用したのです。私たちの団体規約は10ページからなり、1981年11月23日の理事会で採択され、事務局長のウイリアム・テッドフォードによって署名されました。私たちが踏まなければならなかったもう一つの公的なステップは、カリフォルニア州税務局に行って非課税の対象となることでした。これは、すでにNPO法人格をとっていたので、難なくできました。
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(☆☆☆ではさまれた部分は、パトリシア・ロビンソン著「アティテュー
ディナル・ヒーリングの原則の一つの定義」の邦訳)