アティテューディナル・ヒーリング・センターの誕生について、パッツィ・ロビンソンの翻訳の続きです。
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夕食を終えると、私たちは皆で輪になって座りました。1分間くらい手を握りました。これは、全ての集まりの最初と終わりに今でも行われている習慣です。仕事のミーティングであろうと、グループセッションであろうと、本当にそうなのです。
次に起こったことは、私にとって、センターの始まりのカギとなることでした。私たちは順番に、自分が怖れていることについて話しました。正直に、率直に。私は目前の怖れを話しました。それは、自分が失明するのではないかということでした。私は緑内障を患っていました。緑内障というのは、視神経を損傷するほど眼圧を高くする可能性のある病気なのです。
死についても、もちろん、話し合いました。私はそれまでに自分自身の死についても家族の死についても考えようとしたことがなかったので、子どもたちが最も深い心配事について自由に話すのを、畏敬の念をもって見ていました。
お互いに自分自身の怖れを打ち明け始めてみると、私たちには何の違いもないのだということに気づきました。大人も子どもも同じことに直面していました。子どもたちは私たちの教師になりました。子どもたちは、とても怖いテーマについて、私よりもはるかに直接的なやり方で物事に対処していました。
最初のセッションの終わりに、私たちは全員がずっと昔から友だちだったような気持ちになりました。深く気持ちを打ち明けあうことの何かが、他の何よりも人々をつなぐのです。でも、気軽な雰囲気がずっとその場を占めていたということも、大切なこととして言っておきましょう。いたわり打ち明け合う中に、笑いと愛がありました。
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(☆☆☆ではさまれた部分は、パトリシア・ロビンソン著「アティテューディナル・ヒーリングの原則の一つの定義」の邦訳)