今日は、アティテューディナル・ヒーリングの原則8を紹介します。
8 外で何が起こっていようと心の平和を選ぶことができる。
これは、「心の平和」の「意識的選択」であり、アティテューディナル・ヒーリングの中核的な考えを示したものです。
もちろん、外で起こっていることを否認して自分の殻に逃げ込むということでもありませんし、外で起こっていることを都合よく解釈するということでもありません。
例えば、大切な人を失ったとき。精神医学的にもよく知られている「悲哀」の反応が起こります。大雑把に言って、一定期間、「否認(喪失そのものを受け入れることができない) → 絶望(もう自分には何の望みもない) → 脱愛着(他の対象にも心を開いていく)」というプロセスを経ていきます。「心の平和を選ぶ」というのは、何も、この「絶望」を経験しないですませるということではありません。「絶望」を否定しようと葛藤するのではなく、「絶望」している自分を認め、「絶望」している自分を「許し」てやさしくする、という「選択」をするのです。
センターの悲哀グループに来る人の中には、「妻が生きているうちは、人生は選択に満ちていた。でも、彼女が亡くなってからは、何の選択肢もなくなってしまった」と嘆く人もいます。そういう人が、「そんな自分に辛く当たる態度」と、「そんな自分を認めてあげる態度」の選択があるのだということに気づいていくと、他の選択肢にも気づいていきます。
また、センターには介護者のグループもあります。介護の現場は日本と似たり寄ったりで、時には相手を殺してやりたいと思う場面も出てきます。そんなときには、介護者は追い詰められた気持ちになっており、「選択」という概念が抜け落ちてしまいます。
センターの介護者のグループでは、「介護は自分で選択してやっている」ということを基本に置いています。これは、決して、いわゆる「自己責任論」ではありません。自分で選んでやっているのだから、何が起こっても我慢しろという考えではないのです。
そうではなく、「介護を引き受けないという選択肢もある。でも、自分は、自分の人生を豊かにするために、介護をするという選択をした」というふうに考え、さらに自分の人生を豊かにするためにはどうしたらよいだろうか、という観点で話をするのです。ですから、介護を怠けたいと思う気持ちも正当なものとして認められます。相手を殺したいと思った、というエピソードも、打ち明けあうことができます。そして、そんな自分に罪悪感を持つのではなく、自分を認めてあげよう、という選択をしていくのです。介護者グループのもう一つの焦点は、「いかに自分の介護をするか(自分をいたわるか)」ということでもあります。
介護者のグループにいた人は、期間の長短はあれ、やがて「悲哀のグループ」に移っていきます。でも、介護者のグループにいた時代を「本当に支えられた」と懐かしそうに話す姿を見ると、週に2時間程度のグループでも、どれほど介護者の支えになっているかを痛感します。
この原則について、もう一つ誤解を招きそうな点として、「では、完全に無抵抗になるのか」ということがあります。もちろん、そんなことではありません。虐待をされて、心の平和を選んだから、無抵抗でいるということではありません。もちろん、心の平和を選びつつ、現状を変えるための行動を起こしてよいのです。自分自身の経験からも、心の平和に基づいて起こした行動の方が、結局のところ、自分を大切にする変化につながることの方が多いと思います。心が平和なだけ、起こすべき行動に集中できるわけですから。
以下に、この原則について、パッツィ・ロビンソンの冊子の翻訳を記します。2段落目の「私たちはロボットではありません」というところが、私は好きです。 「非暴力コミュニケーション」のときにも述べましたが、ロボットのように、ただ無意識に反応する人の集合体が最も怖ろしいと思うからです。
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8 外で何が起こっていようと心の平和を選ぶことができる。
心の平和をただ一つの目標として選びたいのであれば、「世間」の言うとおりに行動をとる必要がないということがわかるようになります。私たちは皆、「世間」がどれほど「正当な怒り」を守り、「正当な怒り」へのしがみつきをサポートしているかを知っています。私たちは、「世間」がサポートしてくれることをすることもできるし、自分の気持ちに責任を持ち、心の内面を見つめ、怒り・罪悪感・決めつけを捨てることを選ぶこともできます。
私たちはロボットではありません。ロボットは外側の世界によって動かされます。ボタンが押されれば、誰かがやらせたいと思ったとおりのことをするようにプログラムされています。私たちはロボットのように行動する必要はありません。自分に最も平和をもたらすことをし、感じ、ふるまう自由があります。本質的に、誰も私たちのことを幸せに「したり」、悲しく「させたり」、寂しく「させたり」、怒ら「せたり」することはできないのです。「私の配偶者がこんな(あんな)ふうに振舞ってくれれば、私はもっと幸せになれるのに」というとき、私たちはそれが事実だというふうに感じることが多いものです。
実は、このような状況を使って、自分の心のトレーニングをすることができます。今このときに、自分の心をもっと平和にするために、起こっていることの受け止め方をどのように変えられるのか、考えてみることができます。他人のふるまいを変えようとすることは操作でありコントロールであり、長い目で見ると決してうまくいかないのです。他人を変えることは決してできず、自分自身を変えることしかできないのです。自分の気持ちに気づき、認め、それを変えることを積極的に選べるように、自分の気持ちを見つめ続ける意識とやる気が必要です。私たちが変わり始めることができるように、今この瞬間に集中して、しっかりと考え続ける勇気が必要なのです。
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(☆☆☆ではさまれた部分は、パトリシア・ロビンソン著「アティテューディナル・ヒーリングの原則の定義」の邦訳)