2014年12月のツイッター抜粋

2014年12月のツイートのうち、反響の大きかったものの抜粋です。
スタッフによるツイートも始まっておりますので、区別のため、
スタッフによるツイートは(スタッフ)と書かせていただきます。
                                        

2014年12月01日(月)

私を肯定してくれるとリツイートするのに批判的なものは放置しておくので、卑怯と思われるかもしれない。でも、これはそれぞれの領域を尊重した結果。私が拡散したい意見は私の責任で拡散する。一方、批判的な人は「その人なりの意見」として、反撃もせず放置という形で尊重する。)

そういう意味では、正月休み明けに夫→ゼロ歳の娘経由でインフルエンザになっていた私は、どうしても休めない外来のために、座薬の解熱剤を使った。体温が下がりすぎて、命の危険を感じた。この頃はよく注意されているが、解熱剤にはくれぐれもご注意を。外来は無事できたが。
                                        

2014年12月04日(木)

総選挙について、絶望的なコメントが続々と届く。私の目には、怒りをエネルギーに「振り子選挙」を繰り返してきた結果の焼け野原に見えてならない。選挙の度に何かに怒り、選挙が終わるとそれがどうなったか見届けることもしない。これでは責任ある民主主義は育たないと思う。

怒りと無力には深い関連がある。怒り、無力感、被害者意識・・・こういう言葉で説明できる世相がどれほど多いことか。無力でいる=主権を明け渡すということ。それが何を意味して、どういうことが待っているのか、(現時点での)主権者たちは認識しているのだろうか。

                                        

2014年12月05日(金)

投票にあたっては、「育てたい力をつぶさない」という理念的な観点と、「よりましな結果を導く」という現実的な観点が必要だと思う。現在の制度では、前者は比例区に、後者は小選挙区に、より関係するだろう。もちろん、惜敗率当選もあり得る場合には、小選挙区に前者を適用できる。
                                        

2014年12月06日(土)

「イライラ」の本にも書いたが、「強いリーダー」を待ち望まないでほしい。主権を譲り渡して「被害者」にならないでほしい。「何かをやってくれそう」な人に白紙委任するのではなく「何を」「どういう姿勢で」やってきた人かを見てほしい。新人候補であっても、だ。

私は現職議員の頃「国民の皆様」という言葉を使ったことはない。常に「私たち」という言葉を使っていた。確かに議員でいる方ができることは多いけれども、主権者としての意識はずっと変わらない。「強いリーダー」に全てを委ねる気持ちは全くないし、ただ文句を言うつもりもない。
                                        

2014年12月10日(水)

日曜日は宇都宮に行くため、本日期日前投票をしてきた。投票しながら、当たり前のこととして安全な選挙権が与えられている現状に改めて感謝すると同時に、民主主義の後退は何としても食い止めなければと強く思った。
                                        

2014年12月11日(木)

私の母校の慶應医学部で、臨床系で初めての女性教授誕生(呼吸器内科)。それも、慶應出身ではなく、北大出身で、今まで北大准教授を務めていた方。女性、外部、という二重の意味で異例。これを「そんなに遅れているのか」と見るか、「すばらしい進歩」と見るかはお任せします。
                                        

2014年12月13日(土)

今回の選挙のテーマは「無関心」と「萎縮」のような気がするが、特に「萎縮」は「怖れ」の代表選手だ。萎縮したくなる気持ちもわかるが、少しずつ勇気を出していくことが大きな変化につながるのではなかろうか。「萎縮」させている方こそ、強い「怖れ」にとらわれているのだから。

この時代に必要なのは、本当に「少しの勇気」だと思う。絶望や萎縮が基本形になるのは人間としてわからなくもない。しかし、一人一人が少しずつでも「少しの勇気」を出していくことによって、必ず社会は変わると信じている。私がAHを通してやっているのは、そんな活動だと思う。

仮に自民党が圧勝しようと、私たちが主権者であることには変わりはない。誇りを持ってほしい。萎縮はしないでほしい。少なくとも憲法が改正されるまでは、私たちには安全な選挙が保障されている。政治の窮状を見て、私はますます民主主義を守っていこうと、平和な気持ちで思っている。

「怖れ」にとりつかれた相手に対抗できる唯一の手段は「自分自身の心の平和」。自分の「怖れ」をマグネットのように相手に追従してはいけない。引き続きAHで「心の平和」を普及させると同時に、何かプラスアルファを考えていきたい。
                                        

2014年12月14日(日)

怒りに任せた政治活動は、現状を守りたい人たち(あるいは現状で手一杯な人たち)には響かない。本当に多くの人にAHに触れてほしい。 http://amzn.to/1sq1xv7
本当に人の心を動かすのは、怒りではなく癒やしなのだと私は信じている。
                                        

2014年12月15日(月)

(1)今回の選挙の結果を受けて自分なりの総括。私が現職時代、常に受けた批判は「民主党はバラバラ」だった。「バラバラ」には二つの意味があると思う。一つは、旧組織(寄り合い所帯と言われる所以)による意地の張り合いや嫉妬。これは、旧組織のリーダの統率能力の問題。

(2)もう一つは、私も含めて「この結論だけは受け入れられない」と感じる人たちによる造反。今でもこれは悪いことだと思っていない。ただただ組織の決定に従う人は政治家ではない。自分が信じる道を堂々と進み少しでも結果をよくしていく責任を負うのが政治家だと思うから。

(3)そのような本当の「政治家」を今回の選挙でもまた失った。日本はいつになったら本当の「政治家」を育てられるのだろう。北欧で私が見てきたように、小さな部屋に各党が缶詰になり真剣な議論をして工夫や妥協の結果よりよい結論に達することが、いつできるようになるのだろう。

(4)私も「どぶ板選挙」をやっていたが、ただ「うちに来てくれた」だけで喜ぶほど国民の自己肯定感は低いのだろうか。身近で議員を見て、どんな仕事をしているのか、どんな理想や手法を持った人なのかを知ることこそ、主権者にとって「どぶ板選挙」の本来の役割だと思うのだが。

(5)虚無感しか生まない今の「焼け野原」から新しい生命を育てていくには、以上のような認識が必要なのではないかと私は思っている。一人の主権者として。まだ間に合うことを祈っている。
                                        

2014年12月24日(火)

年をとることのよいところは、残された時間を意識し、より「やりたいこと」「やりがいのあること」に集中しようと心の割り切りが得られることだと思う。

取材はずっと物理的に受けられる限り受けてきたが、取材時間+校正時間を考えると、本を書く時間が明らかに食われる。今の私にとって、自分が伝えておきたいことを伝えるのはとても大切なことなので、申し訳ないが来年からは取材時間を大幅に減らそうと考えている。
                                        

2014年12月25日(水)

AHの「選択」のよいところは、「もう一つの見方がある」「もう一つの生き方がある」と
示してくれるところ。一般 に選択肢があるほど不安になってしまうのは、「ちゃんと正し
い選択ができるだろうか」という不安による。これは「正しい選択をすべき」の「べき思
考」に過 ぎない。

「過去を捨てて前へ進め」と人は言う。AHにおいても、過去は終わったこととして手放
すことが心の平和のための選択肢。しかし本当の意味で過去を手放すには、自分をいたわり様々な感情を肯定することが必要。そうすれば人は自然と前進する。これは対人関係療法の常識。

2月14日の「人間関係と心の健康」、まだ若干の残席があります。8月のセミナーに比べるとぐっと一般向けで日常生活に役に立つと思います。温かい雰囲気の中、バレンタインデーを共に過ごしませんか
                                        

2014年12月26日(木)

私がいつも患者さんを診ていて思うこと。私のところに来るような難しい患者さんは、
病気自体がフルタイムの仕事 (もしくはそれ以上)となっている。病気には昼休みも有
休もない。それなのに、仕事(学業)ができていない自分を責めたり、普通にできない
自分を責めたり している。

社会全体が「病気もあるのに仕事をしていてすごいですね」という雰囲気になればずいぶん違うと思う。「病気を言い訳にして…」とは全く違う方向で。それぞれの事情を尊重し合い他人から元気をもらうことは、自分の心の姿勢一つで可能だと思う。少なくとも私は患者さんを尊敬している。

今日打ち合わせしたコミックエッセイは、私がここ数年書いてみたいと思っていたもの。最終的に企画として成立するかどうかわからないが、もしもうまくいけば多くの人が楽になるのではないかと思う。非定型発達(発達障害)関連。自分の臨床経験がギューッと詰まったものにしたい。

中一の息子いわく、彼のある友達は、私のツイートを常にリツイートしてくれているらしい。自分の子どもを見ること、そしてこういう話を聞くことは、私を確実に絶望から救ってくれる。私と息子との関係は、笑いと感動のツボを共有することだけ。それが未来につながる気がしている。

                                        

2014年12月30日(火)

AHのために使っている部屋を、関わる方が年末に大掃除する、という企画が恒例化してきた。もちろん全ての活動がボランティア。参加したい人、都合がつく人だけが参加する。大掃除の雰囲気が年々よくなってきていると聞き、何かは確実に育っているのだな、と感慨深い

こうして考えてみると、「自分が何かをしていないことについて言い訳しなくてよい環境」は人をエンパワーすると思う。そして、誰が何を言おうと、そういう環境は精神的には自分で作れるのだと思う。まずは、自分が何かをしていないことについて、自分に言い訳するのをやめるところから。

「自分が何かをしていないことについて自分に言い訳しない」ということは、自分の事情を認め受け入れるということ。人から何かを言われそうだからやる、という姿勢のままでは、ずっと「やらされている感」から抜けることができず、同じ行動をとっても無力化していくのだと思う。