本日はCS放送に出演したということもあり、夕方までのワークショップを終えた後は珍しくもTVの選挙報道を見ておりました。
(そして、普段だったら起床時間が近づいてくる今の時間に、まだこんなものを書いています)
★ 小選挙区制の「取り扱い注意」
愛川欽也さんは「日本に民主主義の芽生え」と総括されていましたし、もちろん有権者の付託は確かに存在すると私も思います。
でも、今の場合の「付託」は、具体性を持ったものではなく、「今がひどすぎるから何とかしてくれ」というのに一番近いように思います。
それと同時に、小選挙区制の「取り扱い注意」も改めて痛感しています。
今回の議席数を見ると、ちょうど郵政選挙の自民党と民主党のバランスがひっくり返ったような感じです。
これを「政権交代可能な小選挙区制」として見ることは簡単です。
政官業の癒着構造など、政権交代によってしか解消できないものもありますので、この時点での政権交代にはもちろん反対するものではありません。
でも、同時に、小選挙区制を使いこなしていくためには、かなり高い民意が必要だということも痛感しています。
最悪のシナリオは、
「自民党に4年間やらせてみた。社会が悪くなった。自民党が悪い」
「今度は民主党に4年間やらせてみた。社会が悪くなった。民主党が悪い」という繰り返しが続く、ということです。
市民の被害者意識はつのり、政治への絶望感が深まって終わるだけでしょう。
そこには当事者として参加する有権者の姿が見えません。
私が小選挙区制反対なのは、常に責めるべき相手が見えてしまうということと、多様な民意が拾えないということが最大の理由です。
また、政権交代が頻繁に起こるようなら各政党は緊張感を持って切磋琢磨するだろうという予想もあるようですが、少なくとも私が落選させた候補者は「なりふりかまわず」品性も捨てて、本来踏み込んではいけないようなことまで必死でやって議席を取り戻したという印象が強いです。人を追い込むと、「何でもあり」になってしまうのだな、と苦々しい思いで見ていました。
ネガティブキャンペーンで議席を獲得するよりも、ヴィジョンと当面やっていくことを明らかにして議席を獲得する方が、世の中の空気が遙かによくなると思います。
そういう意味では、北欧型の比例中心・多数政党連立政権が私の理想です。
政策一つ一つの吟味において、個々人の主体性(=責任)が明確になるからです。
もう一つの懸念事項は、小選挙区ではかなりの票をとらなければならないので、当然「より多くの人におもねる」必要が出てきます。
結果としては政策的に拮抗する二大政党ができるというよりも、似たような二つの政党ができるように思います。(民主党が第二自民党になる怖れは確かにあり)
似たような二つの政党ができればまだましなのですが、自民党がこのまま崩壊してしまうと、単に民主党が長期に政権を担当することによって根っこが生えて第二の自民党になる可能性も否定できません。
私は、市民がより政策に関心を持つためには、「民主党にお任せしてみよう」という発想よりも、どういう政策に自分は希望を感じるのか、どういう社会を思い描けるのか、と言う検証の方が大切なように思います。それが民主主義の成熟というものではないでしょうか。
★ 当面の民主党に望むこと
民主党がマニフェストの内容を完璧に4年で仕上げることを私は期待していません。それよりも、「政治が変わった」という感覚を国民に与えることが不可欠だと思っています。菅直人さんが厚生大臣のときに行った薬害エイズへの対応は、政治への信頼を取り戻してあまりあるものでした。
今度は、政府をあげて、それをやっていくことになります。
私は最初の選挙の時に、「新人議員に何ができる?」と聞かれ、「少なくとも、自分が何をやろうとしていて、どんな抵抗にあってできないのか、ということを情報公開することはできる」と答えました。(実際には、思ったよりも遙かに政策を実現できましたが)
政権の座についた民主党も、霞ヶ関や業界との癒着の中で、脅し・すかし・かわしの洗礼は受けていくことになりますから、そういう中で、すべてを達成しようと思うよりも、「何をやっていて、どんな抵抗にあってできないのか」ということを情報公開していくことが何よりも「市民が主役の民主党」なのだと思います。
世論の後押しがあれば、抵抗は弱まります。
今の民主党にバラ色の希望を持っているわけではありませんが、せっかく政権交代するのですから、くれぐれも細川政権の二の舞にならないように、何かしらの行動が未来のプラスにつながるのだという前例を作ってもらいたいと思います。
また、私の最大の希望としては、「自分が変われば政治も変わる」という意識を多くの方に持っていただきたいと思います。
★ 小選挙区制の中の国会議員
これはまだ私もよくわからないところです。2005年の郵政選挙、そして今回の政権交代選挙、と見てくると、個々の議員を個人的に知る立場にある私は、「選挙は個人の資質ではない」としみじみ感じます。小選挙区制のもとでは、党に逆風が吹くと、議員の個人的な資質はほとんど関係なく、吹き飛ばされる人は吹き飛ばされてしまいます。よほど利権の強い人は生き残ります。
小選挙区制は政党中心になるわけですが、では、国会議員の役割は何? ということになります。
強いて言えば、党の政策立案過程に加わる人間。これは、民主党が透明性を保った政策立案過程を続けていけば、現実になるでしょう。
私自身も5年間議員をやってみて思ったのが、本人がその気になればできる仕事はたくさんあるということです。小選挙区制でこんなにも多くの議員が吹き飛ばされている現状を見ると、本人の業績はどうなるのだろう、そもそも議員本人の個性はどうなるのだろう、といろいろと考えさせられます。
何はともあれ、少なくとも形式的には新しい政治の夜明けです。