2016年7月のツイートより(抜粋)

2016年7月のツイートのうち、反響の大きかったものを抜粋してまとめました。

 


7月1日(金)

史上最難関の校正は、直しをたくさん入れてしまったのでもう一度校正することに。もう一冊の校正も抱えています。私の校正の「赤(直し)」の多さは案外有名らしくて、編集者さんにはご迷惑をかけますが、これも「できるだけ完璧主義」ですね。その時点の自分のできるだけを。

来週またテレビの収録があって、白衣を着せられます。ああはずかしい・・・。でも僧侶の方がその衣装で出られるというので、私も合わせることにしました。こちらも詳細は後日。

過去に診ていた患者さんから、現在妊娠中で不安なことの相談があった。なぜか私が診た患者さんは、結婚もよくするし、出産もよくする。知っている範囲では皆さん順調。月経がないままに治療を終結しても数年すると出産、というのは、やはり対人関係療法の長期的な効果か。

ギリギリまで粘って校正した本、「自分の居場所がないと感じるときに読む本」として、かんき出版から7月19日発刊の予定です。入手可能になったらまたお知らせしますね。


7月3日(日)

今日は5時起きで大阪に新幹線日帰り、創元社セミナーとして、対人関係療法研究会の実践入門編を行った。やっと東京に帰ってきた。さすがに疲れたが、皆さん熱心に学ばれていて希望。東京はここのところ会場抽選に落ち続け、なかなか開くことができずにおります。


7月4日(月)

私が理事を務める国際対人対人関係療法学会(ISIPT)では、各地のテロに対して対人関係が何か役立てるはずだと考えている。私も同意だが、AHの方が可能性が高いのではないだろうか。


7月5日(火)

私は慶應医学部の医学部新聞の編集委員をやっているのだが、「天声人語」のような、「鑑往知来」というコラムがある。だいたいは執筆を人に頼むのが仕事だが、今回は10年ぶりに自分で書いた。現在の世界情勢のキーワードが「疎外」であること、AHや対人関係療法の可能性など。

テレビの収録が終了。(テレビにしては?)なかなか役に立ちそうな内容だったが、関西でしか放映されないらしい。ちょっと残念。

今日はバタバタしておりましたが、「他人の目が気になる人へ」の再校ゲラも先ほど発送してきました。「見た目が気になる症候群」の焼き直しなのですが、ずいぶん改編し加筆もしました。このあたりが今の日本への直球勝負かなと思っています。刊行日がわかりましたらお知らせします。

こんな時間なのに、AH仲間と、どうすれば日本を安心できる国にできるかを話し合っています。そんな仲間ができたことは幸せで、AHを日本に導入して本当によかったと思っています。


7月10日(日)

昨日・今日と、AHのファシリテーター・トレーニング中。AHのガイドラインを誰よりも大切に守ることができるファシリテーターがたくさん誕生しますように。

選挙速報を見ていると、もちろん信頼する人が落選していく様子も目の当たりにするし、全体の情勢も心配になる。いろいろな感情が出てくる。でも、そういう「怖れ」にとらわれず、自分自身の「政治活動」と決めたAHを淡々とやっていこうと思っている。それが一番の近道と。


7月13日(水)

戦争の害と言えば、そこで失われる命や健康が注目されているが、戦地で闘った戦士達のPTSDがどれほど彼らの人生を土台から損なうか、きちんと検証されているのだろうか。英雄どころか、殺人者、自殺者にもなりうる。そういう人たちを私たちは作りたいのだろうか。

PTSDになるほど現場にさらされなかった人(つまり大本営などでふんぞり返っていた人)が、戦争への幻想をいつまでも手放せないのではないだろうか。

日常生活に戻っても、戦地を思い起こさせるある刺激によって、まるで自分が戦地にいるような状態になるという現象が起こる(解離性フラッシュバック)。自分を守るために周囲の人を攻撃するのも、その人にとって当然なのだ。結果として無辜の市民の安全が脅かされる。

安倍首相をはじめ安保法制推進派は、アメリカなどに見られる帰還兵の悲惨なその後を知っているのだろうか。それも、多くが一時は「愛国者」「ヒーロー」と持ち上げられた後に、終わりのない苦しみに取り憑かれたことを。

平和な日常生活を送るだけでもこんなにメンタルを患っている日本人が、戦争に加担することによってどんな精神状態になるかと思うと、私は本当に心配になる。ただでさえメンタルヘルスのマンパワーが少なく専門性も低いのに。


7月15日(金)

私が理事を務める国際対人関係療法学会(ISIPT)のメーリングリストでは、フランスへのお見舞いがいっぱい。私もその一人だが、世界には日々もっと多くの人が殺されている地域があるということを学会メンバーが気づいていることを望む。


7月19日(火)

今日は朝ジェリー・ジャンポルスキーと電話で話し(また、電話が足りないと言われた)、この後20時からは国際対人関係療法学会の電話理事会。何となく英語の多い日。

小池百合子さんが鳥越俊太郎さんを「病み上がりの人」と言ったことについて、発言自体が非人間的である以上に、それを小池さんが「これが選挙なんですよ」と言った、ということも大きな問題だと思う。選挙不信、政治不信は明らかにこういう価値観と関連していると思う。

私は今でも、対立と疎外を生まない選挙のあり方について考えている。正解は、政策本位の政党が、時に応じて連立していくという北欧形式かと思っている。そういういう国の人間としての豊かさ、国際競争力の高さは見とれるほどだ。


7月20日(水)

「居場所」の本、おそらく今までで一番難産だったように思う。自分自身がAHでまったりしすぎて、「居場所のなさ」を感じなくなってきているからだろうか。同時に、自分の個人的なストーリーを今までで一番たくさん書いた本でもあります。居場所を感じられなかった、昔の。

そうそう、著書「対人関係療法のプロが教える 誰と会っても疲れない「気づかい」のコツ」のハングル語版刊行のオファーが来たそうです。この頃案外ハングル語、中国語の訳書を刊行していただいていて、嬉しいです。 amzn.to/2abWAG2

週刊文春には私もやられました。しかもなぜか毎回同じ記者なのです。最終的には事実と異なるという内容証明を送って、その後は無事になりました。週刊新潮に至っては、取材すらしていないのになぜか取材に応じたコメントが。こちらはあまりにバカバカしく放置しました。


7月21日(木)

(1)ちなみに週刊新潮には後日談が。2008年に父が亡くなった時、確か「 墓碑銘」というコラムに書きたいのでと、私のコメントを求められた。「新潮さんには嫌な記事を書かれた記憶があるのですが、今回のはまともですか」と聞いたら「まともです。大丈夫です」と言われた。

(2)まともでない記事も書いていることは新潮自身わかっているのだなと思った。実際、故人に敬意を払ったよい記事でした。

しかし雑誌の中吊り広告(新聞広告も)は恐ろしい。私は「水島広子代議士、3度離婚でも政界失楽園の船田元に勝った理由」という広告を週刊文春にさらされ、選挙区で大きなダメージを受けた。記事を読めば、別姓維持のために同じ相手と離再婚を繰り返しているだけ、ということがわかるのだが。

週刊誌相手は難しいです。ターゲットにされた時点で、取材に応じなければ勝手なことを書かれて「現時点で何のコメントもない」と嫌な総括、取材に応じても勝手な解釈をされて結局は嫌な総括。周辺取材を受けた友人が、「とにかく悪い方向に話を持って行きたがる」と言っていました。

週刊文春の周辺取材を受けた友人によると、「大学時代から自分というものをしっかり持った人でした」と答えたら「つまり浮いていたということですか??」と尋ねられたそうです。「そんなことはありません!」と必死で守ってくれた友人達に感謝。

よく「健康だけには自信がある」という人がいるが(名誉男性の女性に多い)、私は「健康には自信がない」タイプ。長時間睡眠を必要とするlong-sleeperだし、いろいろな病気をしてきたし、今もしているし。どうしても自分の社会リズムを中心に計画を練っていく必要がある。

現職議員のときに「朝まで生テレビ」に招かれたのだが、当時は母乳育児の赤ん坊もいたし、「夜は寝るものですから」と断ったら田原総一朗さんの逆鱗にふれ、それ以来非常に嫌われているようだ。もちろん徹夜国会とかは出ましたよ。

通販生活の座談会で、自称評論家の男性が、私の発言を完全にねつ造して自分のウェブサイトで批判するという被害にあったこともある(田原総一朗氏も座談会の一員で、私への偏見に相当とらわれていた)。信頼する先輩いわく「彼らは騒がれることで稼いでいるのだから無視しなさい」と。

私も若かったので、「不正はただすべき」と思っていたが、確かにやり返すことで相手を潤すこともあるのだなと初めて気づいた。さすがに週刊文春はしつこかったので内容証明を送ったが。


7月23日(土)

今日、原口一博さんにいただいたメッセージに「平和への道はない。 平和こそが道なのだ。」とあった。まさにAHだ。

現在、東京新聞(北関東)と北海道新聞ウェブ、その他雑誌2誌にコラムを連載していますが、さらに北日本新聞にもコラムの連載が決まりました。こちらは「女子の人間関係」関連です。


7月24日(日)

どうでもよい話ですが、「ああ、間違えた」という気持ちが強いので。先日私は「健康には自信がある」人たちの話をツイートしましたが、「体力には自信がある」の間違いでした。ごめんなさい。


7月25日(月)

私は初めて選挙に出たとき、地元県議から「選挙は殺す以外何でもあり」と言われた。「選良」という言葉は死語なのかと思った。でも絶望するために出馬を決意したわけではない。相手の悪口を言わないことも含め、選挙中の空気をできるだけよくするように、自分なりに努力したつもりだ。

これは中学生時代からの疑問。なぜ米国、the United States of Americaを「アメリカ合州国」と訳さずに、「合衆国」と訳しているのでしょうか。どなたか納得のいくように教えてくださる方がいらっしゃれば。

国際対人関係療法学会のメンバーシップ委員会担当理事の私ですが、英語圏でない日本でのアンケートをふまえてようやく一つの連携モデル(国際学会と国内学会)を提案してみました。どう受け取られるでしょう。もう2時だったのですね。集中したときの時間の速度は速いです。

私がこれほど神経質になるのは、認知行動療法の前例があるからです。確かに保険適応になったのは喜ばしいことですし、私も議員時代に推したことでした。ただ、各自が勝手に「認知行動療法」を行うので、大野裕先生直弟子の私はかなり戸惑っております。本当はそんな治療法ではないのに。

対人関係療法は認知行動療法と並んでエビデンス・ベイストな精神療法の双璧をなしており、重度のうつ病や、うつ病併存のPTSDに最も優れた治療法としての地位が確立しているのですが、私が現職議員のときに厚労省に委員会で質問したら「人間関係療法については知りません」と。嗚呼。


7月26日(火)

娘と一緒に期日前投票に行ってきました。二人のスケジュールを見比べると、今日しかない! ということで、雨の中行ってきました。私の子育ては決して自慢できたものではありませんが、「投票は当然」という価値観を育てることができたのはよかったと思います。

ついでに。私に似て倹約体質の中3息子が「靴を買ってほしい」というので今履いているのを見たら、何と靴底にいくつも大きな穴が(靴下ではないですよ、念のため。もちろん靴下も穴だらけですが)。雨のときとか、どうしていたのだろう。息子の希望で一番安いのを買いました。

この頃、新聞の一面記事であっても、「いったいこの文節はどこにかかっている?」と思うものが多い。文章力の劣化。一流新聞を読んで言語を学ぶ時代は終わったのか。

任侠的な私には右翼的な部分もあり(英語で自分の名前を表記するとき、必ず姓名の順にしている)、右とか左とかどうでもよい気がしてきた。人間としての優しさ、疎外しないで包み込む態度、筋を通す勇気、その土台があれば右でも左でもよいのでは。もちろん何よりも命の尊重。


7月28日(木)

8月2日(火)13:00から議員会館で開かれる「平和と連帯」勉強会にて、「心の平和から社会の平和へ」の講演を20分ほどします。原口一博さんの呼びかけです。国会でAHの話がされる初めての機会になると思います。 

今回の悲しい事件。ヘイトクライムの方に話が圧倒的に進んでいるが、まずは罪を犯した本人がどういう人生を歩んできたかの理解は不可欠だと思う。罪は罪であり、かばうという気持ちはないが、どういう人がどういう動機で犯罪を犯すのか、専門的な調査が必要だ。

米民主党大会でのオバマ大統領。「私たちは何を怖れているのではなく、何を共有しているのかに基づいて米国を定義づけるかだ」という、Andrew Sullivanの引用。これはAHそのもので、怖れによって動かされるのはやめようという明確なメッセージ。

(1)パーソナリティ障害の診断は、遅くとも成人期初期までに、広い範囲にわたって、診断基準に規定されているような症状が見られることが必須です。この頃、若い治療者の方が「うつ病で、自己愛性パーソナリティ障害です」などとプレゼンテーションすることに懸念しています。

(2)うつ病など臨床疾患の間には、多くの人が回避性パーソナリティ障害などの診断基準を満たしますが、うつ病が治れば、それらは消滅したり、常識範囲内になるということが研究結果からわかっています。よほどの根拠がない限り、臨床疾患が治る前にパーソナリティ障害の診断は下さないでほしいです。

幸せな人生を送ってきた人が、今回のような事件を起こすことはあり得ないように思うのです。疎外をなくす、被害者意識をなくす。AHの仕事だと思います。どうぞご賛同を。

私が臨床経験のある自己愛性パーソナリティ障害の人は、我が子をも殺すほど、自己愛にとらわれていました。それに比べて、うつ病の人の「自己愛」は、むしろ自虐的で、「自分のせいで悪いことが起こっている」と考えるもの。人によっては地球の裏の地震ですら。同じ自己中心でも、全く違います。


7月30日(土)

私はAHが自分の「政治活動」だと思っているが、議員会館で8月2日に講演をさせていただくことについてAHコミュニティにお知らせしたところ、「勇気をいただいてしまいました」という嬉しい反響が。お互いに勇気を与え合うことはとても大切ですね。

議員会館で「心の平和から社会の平和へ」という講演をさせていただくことは、別に名誉なことではない。ただ、それが本当に政治に必要なことだと思うから、意義を感じるだけだ。国会は特別に高貴な場所ではない。ただ、多くの権限を握っている場所だ。

わが子達は、無認可、私立認可、公立認可、東京都認証のすべての保育園を経験したが、いずれにおいても安心して預けられたことを「幸運だった」と思わなくてよい時代が来ますように。

防災対策として、木造住宅密集地域の再開発を行うと小池さんが言っていた。私も木造密集地域に住んでいる。近所で行われてきた再開発は、タワーマンションの建設。タワーマンションは健康被害が多いということで欧州では規制対象になっていると聞いている。

私は「元に戻りますか?」と聞く患者さんに、「せっかく病気になったのだから、元に戻るのではもったいない。もっとよい人生を歩めるようにしましょう」と言う。これは鳥越さんの、「癌になったから、私は人生で今が一番健康なんですよ」という言葉に通じると思う。

鳥越さんの公約まで、東京都が「非核都市宣言」をしていないことを知らなかった。歴代の知事を考えれば当然とも言えるが。非核都市宣言は、今年1月、1604自治体を数える。日本における総自治体数は1797、従って宣言率は89.3%となるが、人口比では90%を遙かに越えている。

ちなみに、小池百合子さんは東京都知事になっても、東京を非核都市宣言するつもりはないそうです。有力候補者の中で最もタカ派であることは間違いないと、国会時代の体験からも感じています。


8月1日(月)

私の漢方の恩師・寺師睦宗先生は、「何も咲かない冬の日は下へ下へと根を伸ばせ」とおっしゃっていた(最初の発言者不詳)。私にとっての「下」とは、心の姿勢。絶望に駆られそうになったときには、自分の心の姿勢を見つめ、心の平和を選んでいくようにしている。

明日は議員会館の「平和と連帯」勉強会で「心の平和から社会の平和へ」の講演。都知事選後、分断が激しい今だからこそ、よけい価値があるように感じる。この時期を選んでくださった原口一博さんに感謝。決して「しゃんしゃん」という意味ではないので誤解なきよう。

「漢方」と言えば、私の最新刊「自分の居場所がないと感じたときに読む本」に私の漢方研修時代の辛い話が出て来ますが、これは寺師先生のことではありません。寺師先生との出会いはその後のことです。


8月2日(火)

「平和と連帯」勉強会で、議員会館で講演してきました。懐かしい人たち(へー、こんな人も来てくれるんだ、と思う人も含め)にお会いできて嬉しかったし、ポイントをおさえて話を聴いていただけた感じがしました。睡眠不足でどうなることかと思いましたが、行ってよかったです。

カメラに写るのは私と原口さんだけなのに、「平和と連帯」勉強会に集まられた国会議員の方達がとても真摯に話を聴いてくださったのは思った以上の収穫だった。「まずは自分が変わらなければ」という結論を共有することもできた気がする。

久しぶりの国会、それも建て直されて初めて行った議員会館で勝手がわからずあたふたしていた私をさりげなく優しくサポートしてくださった国会職員の方達にも感謝。しかし立派な議員会館になったものだ。駐車場を地下に入れたので広くなったそう。なるほど。古い会館も懐かしいけれど。

本日の講演に対し、民進党は今後どうすれば再び信頼を得られるのかという質問をいただいた。私は、これを「失敗→やり直し」と捉えるのではなく、まず、期待していた人たちを傷つけてしまったのだという意識を持ち、必要なのは癒しだと認識するところから始まる、という趣旨のことを答えた。

そうしないと、いつまでたっても失敗を責められ、落ち込んだり自己正当化したり、と、まさに「攻撃」を攻撃として受け止めてしまう、という連鎖に陥る。AHを知るものであれば、「攻撃」とは、「傷ついた心の悲鳴」と捉えることができ、癒し、進化させていくことができるはずだ。

今日の講演では、「包み込み型の政治」という言葉を初めて使いました。分断vsつながりというのは今までも使ってきた構造ですが、「つながり」も微妙な言葉です。でも、分断したがっている人すら包み込んでしまう、というのが私のイメージとしてAHに最も近いです。

誤解を招くといけないので改めて申し上げておきますが、原口一博さんが立ち上げられた「平和と連帯」勉強会は、超党派のもので、さらに国会議員だけではなくNPOの方達などにも広く呼びかけているものです。創設の理念からして「包み込み型」です。


8月3日(水)

【1】精神医学(専門性の高いもの)と司法とが、今ほど連携しなければならない時はないと思う。先日の障害者施設事件しかり。どう育った人がああなるのかは、精神医学的な解明が必要だ。

【2】また、私の専門範囲で言えば、学校時代の熾烈ないじめによりひどい複雑性PTSDに罹患し、その症状としての解離(意識の連続性、統合性がなくなる)によって万引きをしてしまう(この場合、記憶も全くない)。私が診るまで長いことトラウマも発見されていなかった。

【3】裁判で証人台に立ったが、裁判は検察官によるいじめの再現だった。私が頑張って収監を防いだケースはあるが、収監されたらどうなるのだろう? ただでさえ対人関係に恐怖を持つ彼女たちが、そこでどれほど追加のトラウマを受けるのだろう。至急改善を求めたい。

【4】確かにPTSDについては「私はPTSDだ」と嘘をつく人もいて、米国の訴訟が大変だという話は聴いている。しかし、私の患者さんについて言えば、私は偽証罪に当たることはしていない自信があるし、その根拠として、治療と信頼関係の結果、患者さんの病状は驚くほどよくなってくる。

「怒り」「攻撃」「自己肯定感」「本当の自信」など、大好きな本を編集していただいてきた編集者さんといろいろ打ち合わせた(打ち合わせ?とは思えないような話も含めて、だが)。またよい本ができるといいな。

AHでの愛は、物理的法則に逆行すると言われています。与えれば減るのが当たり前。しかし、AHでは、愛を与えると、自分もそれを同時に体験するので、自分の持ち分も増えるのです。究極の財テクですね。

軽々には決して言えない。でも、昨日の議員会館での講演を経て、沖縄と政府の膠着状態に対して、AHが1%でも力になれれば、と思った。AHは問題解決の手段ではない。ただ、AHによる奇跡を多々見てきた立場としては。

(1)「蓮舫氏と細野氏が会談 共産党との連携見直しで一致」という記事を読んだ。共産党は限界のある政党だと私は思っている。「国が」「国の責任が」が多く、自分たちが「国」になったときの道筋がわからない。しかし、信頼性のある多くの情報提供を行ってきたことも事実だ。

(2)私は民主党現職議員時代「バリバリの共産党員」というデマを流されてダメージを受けた。人権侵害をしているわけでもない一政党を、スケープゴートにするのは下品すぎないか。政治全体を考えたときの「野党連携」の必要性はある。共産党をそこから外す理由はそんなに本質的?

おそらく8月2日の議員会館での講演を受けて、栃木時代のボランティアの方からメールをいただいた。「16年前から、水島さん動きは、変わらないですね」と。「変わらないですね」は「成長しましたね」よりも私にとって格段に嬉しい言葉。貫きたい信念と生きる姿勢があるからだと思う。