2012年3月のツイッターより、反響が大きかったものの抜粋です。
2012年03月06日(火)
拙著「トラウマの現実に向き合う ― ジャッジメントを手放すということ」が増刷になるという連絡をいただく。最も思い入れのある本(しかし地味本なのであまり売れない)なので、涙が出るほど嬉しい。 http://t.co/bdYK9H4a
2012年03月14日(水)
「攻撃」についての本を書き終えました。5月頃刊行予定とのことですが、この本を通してまた心の平和が広がりますように、という貴重な言葉を友人からもらい、ありがたいです。書名や刊行時期など最終的に決まりましたらまたお知らせします。
「待つ」ということは、相手のプロセスを尊重するということであり、ありのままの相手と共にいる、ということ。つまりは評価の手放し。
2012年03月18日(日)
「怖れ」をエネルギーにして何かの活動をすることは、分断を生み協力者を減らすので非効率だと思ってきたが、さらに、「燃え尽き」が起こるということにも気づいた。
「怖れ」ばかりを煽られると、人はいつか燃え尽きてしまい、反応しなくなるだけでなく、自分の「怖れ」を煽る人に敵意すら感じるようになる。協力者を減らすところか、敵対者を増やしてしまうのだ。
私は、「形」よりも「心の姿勢」の方がはるかに大切だと思っている。訴えることの内容も、一つの「形」。「平和な内容にしなければ」と思うと「怖れ」を生む。まずは心の姿勢を平和に定めること。そうすると、自ずと、そこで表現される内容は限られてくる。
平和な心で、暴力的な、分断を生むメッセージは出せないものだ。平和な心から発せられる社会的メッセージが増えますように。
2012年03月22日(木)
対人関係療法創始者のワイスマンから、新たに刊行された症例集が届いた。昨年秋にお会いしたときに「今度症例集を送るけれど、翻訳の義務を感じないでね。あなたは日本の症例集を出した方がいいわよ」と言っていただいている。翻訳は確かに莫大な時間を要するので悩むところ。
ちなみに原書を読みたい方は、Casebook of Interpersonal Psychotherapy、版元はOxford University Press、著者はJohn C. Markowitz, Myrna M. Weissman。どちらも私の親しい友人。
心の姿勢について語っていたはずの人があるとき「形」について語り始めると、歪みが生じてくる。「形」を守ろうとすると、心の姿勢について、必ず「これだけは例外」というものが出てくるからだ。「全般的に心の平和は重要。でも今だけは、そんなことを言っていられない」という具合に。
有望な方向に進んでいたはずのことが途中で「変質」したと思われる例を歴史上いくつも見つけることができるが、いずれも「心の姿勢」から「形」に転向してしまった結果のように思う。一般的な言葉で言えば、「結果への執着」というところか。
2012年03月25日(日)
木更津で里山再生に取り組んでいる旧知の知人のところを訪ねた。単に自然が好きだが、言葉を使わない「AH的安全な共存」について考えていて(非定型発達の方とは言葉を使った共有はかなり難しいので)、その一つのヒントが、自然の中で時間を共有するというもの。
また、食の安全や環境保護というテーマも、どういう心の姿勢で取り組むかによって全く性質が変わってくる。愛、敬意、つながり、という「愛」 の姿勢か、罪悪感、恐怖、怒り、自己正当化、敵対、分断、という「怖れ」の姿勢か。
2012年03月28日(水)
オレンジページムック「プレ更年期からのイライラ・うつうつをすっきり!」が届く。「精神科医がアドバイス 更年期ストレス」を監修した。オレンジページの方たちとは二十代の頃からのおつきあいだが、一緒に仕事をするたびに元気になります。 http://t.co/vkUUDxzS