昨日、アメリカ人の友人から電話があり、次のようなことを質問されました。
こちらの新聞に、「日本は高ストレス社会」というタイトルで、安倍首相、朝青龍、過労サラリーマンのことが書いてあったが、よく教えてほしい。
私は意外な感じがしました。それは、日本では、安倍首相の辞任問題は、どちらかというと世間知らずのお坊ちゃんの資質として語られているからです。
もちろん、安倍さんに首相としての資質がないことは先刻承知のことです。とにもかくにもそういう人が表舞台から去ってくれたことは日本にとって良かったと思います。
また、「お坊ちゃん世襲議員」については、拙著「国会議員を精神分析する」にも書かせていただきましたが、今回指摘されているような、いろいろな問題があるものです。
それでも、安倍さんのことを「お坊ちゃんだから」ということで片づけようとしている風潮には、やや懸念を感じています。
安倍さんは、ある意味ではタカ派の典型のような人ですが、問題解決の方法として「圧力」を好みます。相手の言い分を聞かずに「自分こそが正しい」という姿勢を貫く人です。
官房副長官時代に、小泉さんと菅直人さんの党首討論の場で、さかんに下品な野次を飛ばしていたのをよく記憶しています。(世間では「お上品」として通っていたようですが、野次はとにかく下品でした)
通常、野次は議員の仕事で、政府関係者は静かにしているのが礼儀なのですが、安倍さんはどうしても我慢できなかったようです。
「この人はいつも自分が正しくないと気がすまない人なんだな」と、強く感じました。
この姿勢は、首相としての仕事にも、そして、最後の辞任会見にすら、表れていたと思います。
だから、多くの人が指摘しているように、国民への謝罪がなかったのでしょう。
「お坊ちゃん」であっても、自分だけが正しいわけではないということを知っている人はたくさんいます。
世間知らずであっても、とにかく人の意見は聞いてみようと思っている人もたくさんいます。
安倍さんのこういう姿勢は、「お坊ちゃん」だから、というよりも、その思想体系が攻撃的だから、というふうに見たほうが妥当です。
自分だけが正しいと信じて他人のことを攻撃している人は、実は自信のない人だと思います。
常に自分の正しさを証明していないと安心できないのです。
そして、自分の正しさを証明するために、常軌を逸した行いをした指導者は、ヒトラー、スターリン、ポルポトを含め、過去にたくさんいました。
今回の安倍さんの突然の辞任も、その「常軌を逸した行い」のひとつと考えればわかりやすいものです。
たまたま安倍さんは側近に「恵まれて」いなかったため、他人への攻撃の装置を作ることができず、自分自身への攻撃という結果の方が目立ったということでしょう。
でも、他人への攻撃の装置を作れた人たちも、安倍さんと同じように、ひどいストレスを自分自身に加えていたと思います。
いくら敵を排除しても安心できない、というのがその症状のひとつでしょう。
今回のことを単なる「お坊ちゃんバッシング」に終わらせることなく、政治家としての攻撃的な姿勢を見直す結果につなげることができれば、と思っています。
なお、自民党の総裁選ですが、「派閥談合」でできあがった福田さんを批判する向きに、不思議を感じています。
なぜなら、自民党というのは、そうやって出来上がった組織であり、そのやり方を変える(民主的な方法で物事を決める)ということになると、自民党の存在そのものを否定するようなことになってしまうからです。
地方組織からすべて、自民党というのはそうやってできあがっている組織なのです。
選挙の時も、町内会などの長が「○○を支援する」と決めたら、皆が従う、というのが自民党の「古きよき伝統」であって、日本の伝統的なやり方にマッチしているのです。
談合を熱く批判している自民党関係者も、自分自身の足元を見れば、日頃から談合的な暮らしをしているのです。
このようなやり方にはプラスの面もマイナスの面もあり、変えていこうと思うのであれば、単に批判して破壊するだけでなく、そのような「社会的伝統」を今後どういう形にしていきたいのかを考えなければ、小泉さんがやったように、社会は壊れていくだけでしょう。
この点をしっかりと踏まえないと、政治を本質的に変えていくことはできないと思っています。