アメリカ報告4 ――多様性に富んだカリフォルニアで感じること――

 北カリフォルニアに落ち着いて1ヶ月がたちましたが、本当にこちらではストレスを感じることがほとんどありません。困難がない、という意味ではなく、不愉快な思いをしたり閉塞感を感じたりすることがほとんどないのです。

 なぜなのだろう、と、日本と北カリフォルニアの違いをここのところよく考えているのですが、その理由の中の主なものに多様性と言語があると思います。

 たとえば、日本にいるときには、他人から意見を押しつけられていると感じることや、「どうしてこういう失礼な言い方ができるのだろう」と不思議に思うことがよくあったのですが、こちらではほとんどそういうことがありません。こちらに長く住む日本人になぜだと思うかと聞いたところ、「日本はみんな同じだと思っているからでしょう。こちらでは、あまりにもそれぞれの背景が違いすぎて、単一の価値観を押しつけるなんてことは恐ろしくてできない」と言っていました。確かにその通りで、こちらでは、それぞれが違っているというところからすべてがスタートしますから、よく知らない人に「あなたはこうすべきだ」などという意見を述べることなど不可能です。(まったく余計な話ですが、私のセンターで働いているメリッサという若い女性はてっきりメキシコ人だと思っていたのですが、フィリピン人の母親とユダヤ人の父親を持つ人だということがつい先日判明しました。本当にこちらでは顔から人を判断することもできない、と改めて感じました。)
 また、こちらの人は本当に「余計なお世話」をしません。服装など、日本人の感覚からはギョッとするような人にしばしば出会いますが、良いときには「その服すてきね」などとほめますが、「何、その格好」などと非難している人はまったく見たことがありません。

 ただ、この話をすると、多くのアメリカ人が「それは面白い考察だ」と言う一方で、「でも、カリフォルニアの外に出たらぜんぜん違うよ」と、地域差を必ず指摘してくれます。アメリカの地域差はそれはそれは大きく、たとえば、死刑にしても、先日カリフォルニアでは76歳の人に死刑が執行されて新聞の一面に大きく記事が載りましたが(高齢ということで)、カリフォルニアは死刑執行の件数が大変少ない州(つまり死刑に対して慎重な州)である一方、テキサスなどは大変容易に死刑を執行する州だそうです。税金は高いけれども福祉はそれなりにしっかりしていること、労働組合の強さなど、大雑把な言い方をすれば、カリフォルニアはアメリカの中でもヨーロッパ型の州なのだと思います。
 ちなみに、リベラルなカリフォルニアは大統領選でももちろん反ブッシュの州でした。私の身近でも「ブッシュを弾劾せよ!」という靴下を履いた人や垂れ幕を窓からたらしている家を見かけます。先日、小学校5年生が「ブッシュは嫌いだ」と言うので、どこが嫌いなのかと聞いたら、「戦争をやっていることと、ホームレスの面倒を見ないこと」と言っていました。その意識の高さに感心して、あなたは特別な子どもなのかと聞いたら、友達ともそんな話をしているよと言っていました。
 リベラルなカリフォルニアの中でも特にリベラルなサンフランシスコはアメリカ政治独特の争点である中絶についても、中絶反対派の人たちの標的となっていて、近々大規模なデモが行われるそうです。当然、受けて立つほうも「選択の自由」を掲げて、大規模なデモを行うようです。この二つのデモが鉢合わせないように、警察は必死で知恵を絞っているという噂です。

 カリフォルニアは税金が高くてビジネスにならない、などとぼやく人もいますが(シュワルツネッガーが知事選に出たときの公約がそれだったそうですが、何もなされていないそうです)、基本的に、カリフォルニアの多様性を愛している人が多いようです。私もその一人です。

 カリフォルニアの場合は人間の多様性が一目瞭然なので誰もがそれを尊重しますが、日本では多様性がまだ事実として認識されていないところに問題があるのではないかと思います。人間は人それぞれ違っているもので、どの国の人も本当は多様なのに、それが当然のこととして認められていない社会では、「価値観の押しつけ」に苦しむ人が多いということではないでしょうか。

 もう一つの要因である言語ですが、ここのところつくづく日本語と英語の違いを考えています。日本語と異なり、英語は基本的に性別・世代中立的な言語です。また、関係の距離が言語に反映されることも基本的にありません。つまり、初対面であっても、性別がどうであろうと、世代の違いがあろうと、基本的に同じ言葉を使うということです。これがどういう結果につながるかというと、外的要因にとらわれずに、伝えたいメッセージの内容だけに集中できるということになります。これはなかなか心地よいもので、日本でしばしば感じる「どのくらいくだけた言葉を使おうか」という悩みからは完全に解放されています。もちろんこちらは英語を母語としない立場ですから、語彙など別の悩みはありますが・・・。

 なお、前回のメールマガジンに対して、私が感じている教育の「良さ」に共感してくださるメールをたくさんいただきありがとうございました。こんなに良い学校ばかりではないはずなので、アメリカの教育制度全体について包括的な報告をすべきだというご意見もいただきましたが、今回の渡米はあくまでもアティテューディナル・ヒーリング・センターでの私の研修兼ボランティアが目的で、アメリカの教育制度の視察に来ているものではありません。ですから、私の現在の生活からは、アメリカの教育制度の全体を論じるような余裕もありませんし、そのような意思もありません。皆さまにご報告しているのは、あくまでも一人の保護者として体験した事実ですので、決して包括的なものではありません。私が、アメリカの中でもおそらく最も恵まれている地域の一つであるカリフォルニア州マリン郡に住んでいるということも考慮に入れる必要はあると思います。

 ただ、教育とは結局、子どもなり保護者なりに及ぼす影響がすべてなのではないでしょうか。そして、他国の教育を当事者として経験できるというのは大変貴重な機会だと思っています。ですから、教育制度を大所高所から論じることよりも、ここでは、日常の些事をご報告していきたいと思っています。ご理解をいただければ幸いです。

 また長くなってしまったので、アティテューディナル・ヒーリングの続きは次回にしますが、日中のボランティアに加えて連夜グループに出席する上に、週末もここのところトレーニングが続き、宿題も多いので、なかなか忙しくなってきました。