3月11日に名古屋で行われました「NHKハートフォーラム うつ病と躁うつ病を知る」の放送日時が以下のとおり決まったそうです。
本来は4月3日に東京で行われるものが放映される予定でしたが、停電等の影響で延期となりましたため、名古屋開催分が放映されるそうです。
(というわけで、放映を念頭に置かずに話していたので、不適切な部分はご容赦くださいませ)
日時:5月7日(土)午後2時~3時(教育テレビ)全国放送
番組名:TVシンポジウム「うつ病と躁うつ病を知る」
このたび、紀伊國屋書店さんから「10代の子をもつ親が知っておきたいこと ―― 思春期の心に向き合う」を刊行していただきましたのでお知らせします。
一般向けの本です。
様々な情報があふれる中、「この点さえ押さえておけば」と、気を楽に持っていただけるよう、お役に立てれば幸いです。
10代の子をもつ親が知っておきたいこと ―― 思春期の心に向き合う
紀伊國屋書店
定価 1365円(税込)
内容(出版社ウェブサイトより)
■思春期のうつ病は、大人と同じくらい多い?
■「虐待」と「しつけ」の境界線は?
■禁欲教育はかえって中絶率を高める?
■薬物に手を出す子に「いい子」が多い理由は?
■親の離婚が子どもの成長に悪影響を及ぼさない条件とは?
■「空気を読む」ばかりでは自尊心は育たない?
■子どもの危機を救う一言とは?
うつ病等への治療効果が実証されている対人関係療法の第一人者であり、思春期前後の心の問題を専門にする著者は、10代に多い心の病や問題行動の奥底には、「自尊心」と「コミュニケーション力」の低さが潜んでいると言う。
本書では、自分を大切にする気持ちである「自尊心」と、心の健康を決める「コミュニケーション力」の2つを育てるために必要な知識と心がまえを、大人のどのような対応が自尊心を育て、逆にどのような態度が自尊心を損なうのかという具体例とともに、やさしく説いている。思春期の子をもつ親や教育関係者には必読の一冊。
2011年3月のツイッターより、反響が大きかったものの抜粋です。
拙著「対人関係療法でなおす 双極性障害」が重版になるとのお知らせをいただく。昨年の今頃熱心に書いていた本。対人関係療法の最もラディカルな修正版である対人関係・社会リズム療法が日本でも注目されてきたことは嬉しい。http://amzn.to/hGqSVQ
与党がマニフェストを守れないことはもちろんよくないが、これを単に「約束は守れ」というレベルで議論している限り、政治は進歩しないと思う。マニフェスト政治を日本に定着させたければ、その立案プロセスを検証し、「問題と対策」をはっきりさせた方がよいと思う。
民主党の2005年マニフェストとその後のマニフェストはずいぶん性質が違う(先日「2005年の断絶」と呼んだ部分)。そもそも野党が作ったマニフェストには限界があるのか、2007年以降のマニフェストに無理があるのか、その「無理」はどこから来たのか、など論点は多い。
参院議長発言。参院の「独自性」は、法案受け取りのタイミングよりも、本来の形で示してほしい。衆院と参院とどこが違うのかということだ。かつて参院の共生調査会から超党派でDV法が作られたのは一つの好例だと思う。解散もなく任期が6年もあるのだから自ずと役割があるはず。
昨日の読売新聞の記事「アティテューディナル・ヒーリング『評価』やめて心の平和得るとは」→ http://ow.ly/47Hz8 記事の威力はすごく、本日はAHの定番本「怖れを手放す」がアマゾンで100位台です。http://amzn.to/gPGkLc
新聞の言葉遣いが気になる。「外交に疎い菅首相」「菅首相は外交を苦手とする」というが、正確には「外交が苦手と言われることが多い菅首相」あたりがせいぜいではないだろうか。同じく、前原氏のことを「外交のプロ」「外交通」などと書くが、根拠は何だろう。
これらを組み合わせて「菅直人首相は外交を苦手とするだけに、党内有数の『外交のプロ』の前原氏を失う痛手も大きく、政権は重大な局面を迎えることになる」と朝日新聞1面に書かれてしまうと、まるで真実のように聞こえる。新聞の一面記事は昔からこんなに決めつけ調だっただろうか。
今のような時代には、何が事実で、何がそうではないのか(人が下した評価なのか)、を峻別していく、地に足のついた姿勢がとても重要だと思う。それが、私たちを支える社会の地盤を築いていくということだと思っている。
ケビン・メア氏の「沖縄はゆすりの名人」発言の講義に参加していた学生さんのインタビュー。驚くばかりの差別意識を、若く、「絆」を大切にする感性が是正していくのは、今後の可能性を感じさせる。http://bit.ly/fbodYA
「主婦年金」の大臣間「引き継ぎ」問題は、私には、民主党政権が当初形ばかりの「政治主導」を目指したことの後遺症に見える。官僚に支配されることなく、かつ、官僚に責任感をもって働いてもらえる真の「政治主導」は、日本初の試みであり、真剣に考える価値のあるものだと思う。
日弁連には少年事件に取り組む全国の弁護士から、裁判員裁判について「十分な審理がされず、少年事件の特徴をわかってもらえない」という声が届く。特に不満が強いのは、生育歴や発達障害など「犯罪の背景」の立証に時間をかけられないことだ。(朝日3面)
犯罪背景の検討もせずに、同様の問題の再発防止はできない。「この」社会の中で育った少年が凶悪犯罪を犯したという事実を共同体としてもっと直視しなければ、共同体自体が崩壊していくと思う。これはとても多くの要因が関わった重要な話であり、軽視してよい話とはとても思えない。
急性のトラウマ反応を、その後の社会機能を低下させる長く苦しいPTSDへと移行させるかどうかを決める最大の因子は、人による精神的な支えの有無。精神的に孤立する人ができませんように。どんな人もありのままを受け入れられますように。
できるだけ「普段どおりのこと」を、「自分のやり方で」やることも、とても貴重。物理的な限界がある中でも、そういう要素を少しでも作り出せますように。
阪神淡路大震災のときの衝撃的な映像をテレビで見たことがトラウマ体験となってPTSDを発症した人もいる。今回も、繰り返し流される衝撃的な映像を見ると、それが心配。トラウマを受けやすい人は情報をラジオで得た方がよいかもしれない。
日本トラウマティック・ストレス学会の大震災支援情報サイト http://bit.ly/hhrYLS
日本認知療法学会も震災関係の「心のケア情報」のサイトを作りました。http://bit.ly/h3e7px
AHを被災者支援に役立てられないのか、というご質問を複数いただく。震災ボランティアの方がAHを知っておくことは、燃え尽き防止、効果的な支援のためにものすごく役立つと思う。現地入りしない人も、それぞれの立場で、AHを意識して暮らすことが結果として支援になると思う。
分離の姿勢ではなくつながりの姿勢を持ちたい。罪悪感(自意識)を手放し、温かいつながりの心をもって、自分にできることを小さなところからでも。罪悪感は、結果として、疲れや否認につながってしまう、分離の姿勢。相手の現実からもずれていく。
精神科医としてのお願いです。震災によるトラウマからの回復につながる一つの因子が、「政府への信頼」であると言われています。いたずらに政府への不信感をあおることが、すでに不安定になっている人たちの大地を時に致命的に不安定にすることを知っていただきたいと思います。
もちろん政府を盲信しろと言っているわけではありませんし、大政翼賛会を作ろうと言っているわけではありません。どんな時期にも、政府のチェックは重要です。しかし、政府への不信感をあおることと、改善が必要な点を示して後押しすることは、正反対の意味を持ちます。
特に「有識者」の方たちは、政府の対応が不適切だと思うのであれば、ただ不信感を表現するのではなく、より適切な方法を建設的に提案すると同時に、その実現に向けて動いてほしいと思います。「自分が暮らしている社会は、まだ安心できる」と思えることが、多くの人の心を救うでしょう。
緊急事態においては、いつも以上に、「自分の発言の着地点」を意識する必要があると信じています。平時であれば「言いっぱなし」の批判も許される余裕があると思いますが、こんなときには、「信頼できる何か」を共有できるように、それぞれの叡智をいただきたいと思います。
もちろん、「信頼できる何か」は、決して気休めや隠蔽であってはならないと思います。動員できる科学的知識は全て動員すべきだと思います。そして、この状況に、絶望せず、投げ出さず、逃げず、真摯に向き合っている人の存在が目に見えることはとても大切だと思います。
なお、以上のことは、被災して困窮している方が「政府は信じられない」と言うこととは全く別の話です。トラウマを受けた人たちが、それぞれのプロセスの中で、政府への不信感や怒りを感じることは全く当然のことで、時に必要なことでもあります。
震災により電力の確保ができないということで、延期になるそうです。
また改めて企画が決まりましたらお知らせいたします。
NHKハートフォーラム「うつ病と躁うつ病を知る」(東京)で講演します。
出演は私の他に
尾崎 紀夫氏(名古屋大学大学院 医学系研究科 教授)
藤臣 柊子氏(漫画家・エッセイスト)
宇賀神 享子氏(NPO法人ノーチラス会 会員)
です。
日時 2011年4月3日(日曜日) (13:30~16:00予定)
会場 パルテノン多摩
東京都多摩市落合2-35
定員 1000人
申し込み方法等詳細は
栃木県議会議員 山田みやこさんが先日出版された本に文章を寄せましたのでご紹介します。
2001年、第二子妊娠中の夏に大きなお腹を抱えて選対委員長を引き受け誕生してもらった、栃木県民主党初の女性県議が山田さんでした。
これからもぜひ活躍していただきたいです。
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私は2000年6月に衆議院議員に初当選しましたが、実際に政治の世界に入って、女性の議員が必要だということをそれまで以上に痛感していました。国政の場でも女性議員を増やすための仕組み作りに取り組みましたが、さらに深刻なのは地方議会でした。タレント議員が多い国政に比べて、地方議会における女性の割合はさらに低いのです。生活により密着したテーマを扱う地方議会こそ、そして地方分権が進む中で役割が大きくなってくる地方議会こそ、女性議員を増やすべき場です。それが政治全体の底上げにつながるだろうと考えました。
そのような思いで県議補欠選挙の女性候補を探し始めたのですが、もちろん難航しました。まともな候補者探しが難しいということは、自分自身が政治の世界に入って初めて知った現実です。困り果てていたところに、市民のネットワークが与えてくださったのが山田みやこさんでした。従来型の政治では、もともと政治家志望だった人が「自分が出たい」と名乗り出るか、票になりそうな候補を説得して一本釣りするか、という形で候補者が決まってきました。山田さんはどちらでもなく、私が女性候補者を探して苦労しているという情報を受けて、同じ志を持った市民の方が、我がこととして真剣に考えてくださった結果得られた人材でした。谷津さんに連れられて選挙の話をしに来てくださった山田さんとじっくりと話し合い、この人こそ選挙に出ていただきたいと心から思える方だということがすぐにわかりました。メンツ中心の男性議員の中には、「市議選に当選しなかった人を出したら馬鹿にされる」ということを言う人もいましたが、私が自ら選対委員長を引き受けるという条件で納得してもらいました。
山田さんの一番の特徴は、「有権者への信頼」だと思います。「政治家を信頼できるかどうか」という視点はよく話題になりますが、政治において何よりも必要なのは「有権者への信頼」だと私は思っています。有権者を信頼できない政治家は、情報を隠したり、嘘をついたり、「私に任せなさい」というような姿勢をとったりします。このような姿勢は、政治のわかりにくさや絶望につながり、結果として有権者の政治離れ、民主主義の危機につながっていきます。山田みやこさんは、「有権者への信頼」に基づき、情報をきちんと開示し、ネットワークを作りながら、政治活動を続けておられますし、政治のわかりやすさや希望へと間違いなく貢献してくださっています。そもそも山田さんは、私の「有権者への信頼」の中から生まれてきた議員です。女性候補者が見つからずに困っていたときに、従来型の安易な方向に流れることなく市民を信頼し続ける中で、市民が動いて山田議員が誕生しました。その生い立ちを大切に、山田さんにはこれからも「有権者への信頼」に裏打ちされたネットワーク型の新たな政治の形を栃木から作っていただきたいと期待しています。
2011年2月のツイッターより、反響が大きかったものの抜粋です。
小沢氏の件でよく出てくる「けじめ」という言葉に違和感をもって見ている。いったいどういう「けじめ」なのか、発言者一人ひとりが特定しながら話した方がよいと思う(特定できるのであれば)。こうして考えると特定されていない「けじめ」という言葉も「空気」の言葉なのだと実感。
この件についてメディアを見ていて一番混乱するのは、「国会議員の身分」の話と、「政党内の処分」の話が混同しているところだ。「離党勧告」と「議員辞職」の話が同レベルで出てくることにびっくりする(その発言をしている人が国会議員だったりもする)。
執行部の指示に従わなかった人を処分する権利が、(そういう規約を持った)政党にはあるだろう。また、裁判を有利に進めるために十分に国会答弁ができないということがあるのなら、それも政党は考慮の対象にしてよいと思う。しかし、国会議員の身分に関わることは全く別の次元の話だ。
昨日、プライムニュースに出演して思ったのは、政権交代の位置づけについて。政権交代を「有権者による平和的な革命」と考えれば、まさに「政権が変わる」わけで、その政治理念の変化や「国のかたち」の変化が見えるべきだ。
政権交代以降現在までの民主党は「自公政権時代と比べてマイナスがないように」というところに集中しているように見え(少なくとも子ども手当関係の話からはそう思った)、選挙を抱える人たちの集団としては理解できるが、それが理念を見えにくくし、借金にもつながるのだと思う。
例えば私たちが子ども手当を創設した時、子ども手当を課税対象とする代わりに所得制限を設けなかったのは、家庭間に分断を作らず子どもを大切に育てるというメッセージだった。本来は子どもの食費・被服費をカバーするものなので年長の子どもの方が減額という発想もなかった。
もちろん激変緩和措置は重要だし、何らかの変化を起こす際には、その政策効果を見るための期間、変化が無効だった場合の回復の算段などを含めて提案していく必要があると思う。このように様子を見ながら軌道修正するのは、行政ではなく政治に問われた役割だと思う。
「子ども家庭省」で子どもの施策を作っていく際には、近年たくさん得られている子どもの発達についての学術研究結果も反映させてほしい。大人たちのファンタジーで子どもを語るのではなく。
(2005年マニフェストまではあった)理念が受け入れられたわけではなく「子ども手当」と「無駄をなくす」が売り物になって誕生した民主党政権は、今、「子ども手当をばらまいているのに」「無駄もなくなっていないのに」消費税増税なんて、という怒りを買っている。
参議院の区割り問題。参議院の独自性を、というのは、「衆議院とは違う意見を述べる」ことそのものにあるのではなく、「良識の府」と言われることからも、例えばより学識に基づいて考えるようなことが期待されているのだと思う。それは選挙制度にも反映されるべきものだ。
本当に「良識の府」としての参議院を含む二院制を残したいのであれば、政党政治とは全く違う次元での立案・チェック機能を持つ人たちを参議院議員として選べる仕組みを作る必要がある。政治的利害と学識の「ねじれ」国会であれば、本当に見る価値があると私は思っている。
今朝の朝日新聞1面から始まる地方議会の記事。首長が提出した議案をこの4年間で一本も修正・否決していない、議員提案の政策条例が一つもない、議員個人の議案への賛否を明らかにしない、という3つをいずれも満たす「3ない議会」が全体の3分の1を占めるという結果。
私が6年間近くで見ていた宇都宮市議会も「3ない議会」の一つ。さらに、4年前に明文化された「申し合わせ」によって本会議での一般質問を年2回までに制限しているそうだ。
それにしても、議員の最低限の責任だと思っていた議案への賛否の公開が、84%の議会で行われていないのは驚いた。理由としてあげられた「慣例だから」「起立採決で確認できない」「会議録をつぶさに読めばわかるはずだ」は、いずれも地方議会の現状を象徴しているような気がする。
以前の自分の経験から言えば、本来は市政レベルで実現できる話なのに「国が面倒を見てくれないから」と国政レベルの話にすり替えて放置する、というケースもあった。議会が活性化していれば「これは自分たちでできるはず」と指摘して事態を前に進めることも可能だったのではないかと思う。
今日は対人関係療法の専門家向けワークショップ。治療者を増やすことは急務。AHとは異なり、病気の治療法であるこちらはきちんとした形で普及させる必要がある。「対人関係療法っぽいこと」と「対人関係療法」は似て非なるものである。
最近、「エセ対人関係療法家」がいるという話をちらほら聞く。そのような「有名税」を払わなければならないほど普及してきたのかという感慨もあるが、患者さんを混乱させるのは間違いないし、本来対人関係療法でないものが提供されて「効かない」という結論になるのも困る。
日本の臨床現場の実情に合わせて、精神療法をできるだけ質を落とさずに普及させるというのは本当に難しい課題であり、私自身にできることなどごく限られているが、せめてその「ごく限られている」ことを丁寧にやっていきたいと思う。
昨日、取材の方が来たので改めて昨今の政治について考える時間を持った。誰がやっても難しいこの時代の政治において「安心」を提供するとはどういうことだろうか、と考えてみると、小手先のどんな政策も本当の意味では安心をもたらさないと思う。
今までの選挙におなじみの「安心を提供します」というのは、むしろ、右肩上がり経済を前提とした物的な側面(ひどい場合はバラマキ)に偏ってきたように思う。しかし、今ではバラマキそのものが人の不安をあおっている。かといって、緊縮財政を前面に出されると、これはこれで不安だ。
どういうときに私たちが安心を感じるかと言うと、もちろん先の安全な見通しが立つときだが、今の政治状況でそれを物理的に示すことは限りなく難しい(できる限り努力すべきだが)。それ以上に重要なのは、「分断」のない考え方をすることによって信頼を獲得することだと思う。
社会の一定の側面を否認するのも「分断」だし(この期に及んで右肩上がりを前提とするのも、一定の側面の否認)、自分の良心から目を背けるのも「分断」。努力せずに放り出すのも「分断」。将来を絶望視するのも「分断」。批判されて自己正当化にしがみつくのも「分断」だ。
「分断」のない政治は、キーワードだと思う。もちろん民主主義にとって重要なことは、政治と有権者の間に「分断」がないこと。それはワイドショーで親しみを感じてもらうという意味でなく、自分自身が「分断」のない姿勢で仕事をするところを見せるということだと思う。
国会議員が「現首相のままではだめだ」ということを単に言っているのを見ると私はとても悲しくなる。首相交代に言及するのであれば、せめて、「自分が首相になったら消費税はこうする。TPPはこう。子ども手当の財源問題は。米軍基地は」と実現可能なことを述べてほしい。
ここのところの政治が、怒りをエネルギーにした不安定な「振り子」になってしまっている一因にも、国会議員たちの当事者感のなさがあるように思う。小選挙区制に基づく二大政党制になると、どうしても「選挙に勝つこと」が優先されるので、当然の結果と言えば結果だが。
「仮に今投票するとしたら」の投票先で自民党が民主党を上回っているのを見ると、政権交代前に有権者が自民党政治について問題だと感じていたことのどれだけが改善したのだろうかと素朴な疑問を抱く。今の仕組みは、単に相手の失点が自分の得点になるという性質のものだ。
もともと二大政党制に望まれたものは「健全な競争」だったのだろうが、お互いを高め合う「健全な競争」は、怒りをエネルギーにしたところには生まれない。そろそろこのことを真剣に考えないと、幻想を夢見ているうちに政治の質が限りなく劣化するような気がする。
もう一つ気になるのは、有権者にとって意思表示の選択肢があまりに少ないことだ。民主党という政党は応援したい。しかし、自分の選挙区の民主党候補者は自らの代弁者として送り出したくない。こういう意思表示は、政党そのものの体質改善のためにも重要なのではないだろうか。
そんなケースにも対応できる仕組みの有力候補である小選挙区比例代表併用制(比例でまず政党議席数を決め、小選挙区での当選者、そして惜敗率が高い方から議席を埋めていく)という仕組みについてもそろそろ真剣に検討すべきではないかと思う。
拙著「臨床家のための対人関係療法入門ガイド」が重版になるとのお知らせをいただく。専門家向けの本が着実に読まれていることは、一般書の場合とはまた別の意味で嬉しいことだ。 http://amzn.to/hKR270
今朝の朝日新聞を読んで「政治は弱者のために」という言葉がやはり引っかかる。今の社会システムでは暮らしにくい人がいるからシステムを改善することが必要なだけであって、そこに「弱者救済」という評価を上乗せすると結局は分断を深めるだけだと思う。
今では民主党議員がテレビなどで子ども手当を擁護すると批判が多く来るそうだ。発案時に比べ大きく形を変えてしまった内容については私もいろいろと言いたいことがあるが、ようやく光が当たってきた子ども政策が愚策の代名詞みたいに認識されている現状は、とにかく悲しい。
昨日、朝日新聞の方が取材に見え、民主党の社会保障政策の変遷を話し合っていたとき、「2005年の断絶」を改めて感じた。現職の方たちで2005年以前の経緯を語れる人は少なく、2005年以前の経緯の核心を知る人はすでに亡くなっていたり国会を去っていたりだという。
2000年に私が初当選したとき、民主党の厚生部会(今の厚生労働部門会議)が、ほとんど学会レベルの議論をしていることに感動したのを覚えている。また、「反対のための野党」的な色彩はあまりなく、生活に直結する厚生部門の政策を責任感をもって作ろうという気概があった。
2005年の郵政選挙では、社会保障に地道に取り組むような議員が多く失われたと同時に、そこから、たががはずれたように、「政策よりも政局」の政治傾向が顕著になったように思う。「ぶっ壊す」の言葉で始まった時代は、本当に創造文化を破壊文化に変えたような気がする。
持続可能な社会保障制度を作るには、単なる財源論ではなく、労働法制まで含めた大きな視野が必要で、腰を据えて取り組む必要がある。短期的なスパンの「政局」には全く馴染まない。今の政治文化が変わらないのであれば、やはり社会保障は政治から離れたところで熟議しないと無理だと思う。
パックインジャーナルに出演し、今日もジャーナリストの田岡俊次さんからいろいろと教えていただいた。ソ連がアフガンから撤退した後に東欧社会主義・ソ連の崩壊が起こったのと同様に、米国のイラク撤退に続いて今回の中東異変が起こっている、という見方は、なるほどと思った。
現在の日本の政治状況から、議会制民主主義の否定に進むことが心配。「強いリーダーシップ」を求めることは、独裁への流れだと思う。ことは議会制民主主義の問題ではなく、「小選挙区制による二大政党制」というシステムの問題。その現実が見えてきたに過ぎないのだと思う。
毎週洪水のように出る本から、お勧め本を目利きが紹介する「神保町の匠」で、
拙著「トラウマの現実に向き合う ─ ジャッジメントを手放すということ」を
紹介していただきました。的確な書評をいただいております。
数ある著書の中でも思い入れの深い本なので、とても嬉しいです。
三省堂書店公式ブログ http://www.books-sanseido.co.jp/blog/takumi/2011/02/post-273.html