アメリカ報告5 ―― コミュニティ・サービスとしてのアティテューディナル・ヒーリング(その2)

 前々回の報告で、アティテューディナル・ヒーリング・センターで提供しているグループのテーマをご紹介しましたが、グループがどのように運営されているかというところが、センターの鍵だと思います。

 グループは、ファシリテーター(グループでの話し合いを促進する人)数名と、参加者によって運営されます。精神療法や患者教育のためのグループなどでは、もっと構造化されていることが一般的ですが、アティテューディナル・ヒーリングのグループは、完全に自由参加で、いつでも誰でも参加することができます。何年にもわたって毎週参加している人もいる一方で、時々思い出したようにやってくる人もいて、人それぞれの形で参加しています。
 グループ参加は無料です。毎週水曜日の子どものグループだけは、さらに無料で夕食も提供します。あるレストランが定期的においしい料理を寄付してくれるほかは、センターの経費でまかないます。これはセンター始まって以来の伝統だそうです。
 
 ファシリテーターは、センターで規定したトレーニングを受けた人がなりますが、基本的にボランティアであり、さらに、「転移癌を持つ女性のグループ」であれば、自らも転移癌を持っている女性がファシリテーターをやっていたり、と、当事者であるケースも多いです。これは、まずは自分がグループに参加して救われたという体験から、アティテューディナル・ヒーリングの価値を実感し、トレーニングを受けて、ボランティアとしてファシリテーターを務める、ということのようです。

 このことからもわかるように、アティテューディナル・ヒーリングのグループは、治療グループではなくピアサポート(同じ立場の人たちの助け合い)グループなのです。ですから、サービスを提供する人とされる人という区別はありません。この姿勢は、アティテューディナル・ヒーリングのグループ運営のガイドライン(指針)を見ればもっとよくわかります。

 ガイドラインは全部で9項目あり、アティテューディナル・ヒーリングの原則12項目とともに、グループの始めに参加者が順番に読み上げていきます。12項目の全体は後日ご紹介したいと思いますが、ピアサポートのあり方をご理解いただく上で特に重要なものだけここで抜粋します。

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2 ここにいる目的は自分たちを癒すことです。他人に助言をしたり誰かの信念や行動を変えたりするためにいるのではありません。自分をありのままに受け入れてもらえると、他人を受け入れやすくなります。

4 私たちはそれぞれが独特な存在だということを尊重します。大切なのはそれぞれの人のプロセスなのであって、それを裁くことではないと認識します。

6 生徒と教師の役割は入れ替えることができます。年齢や経験にかかわりなく、お互いが生徒になったり教師になったりします。
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 第2項目で述べられている「助言しない」ということはアティテューディナル・ヒーリングの命のようなものです。正解はその人の中にあるのであって、それを自らが見つけ出すために支えるという姿勢が貫かれています。ある人の話に関連して何かを言いたくなったときは、その人に対する意見という形ではなく、あくまでも自分の経験から自分が話すという形をとります。
 参加者の意見を聞いてみると、助言されないという環境はやはりとても安心できるそうです。自分のプロセスを自分で経ていくことができるからです。ただただ愛情をもって聞いてもらえる環境、そして、助言に対して身構えなくて良い環境、これが自分のアティテュード(心の姿勢)を変えるためには必要な要素なのです。

 アティテューディナル・ヒーリングについては、まだまだ続きます。

アメリカ報告3―――コミュニティ・サービスとしてのアティテューディナル・ヒーリング

 子どもの学校が落ち着くまでは子ども中心に生活していたのですが、どうやら軌道に乗り始めたので、アティテューディナル・ヒーリング・センターでの研修兼ボランティアも本格的に始めました。

 これから少しずつご報告していこうと思いますが、まずはセンターの概観を述べたいと思います。創始者のジャンポルスキー博士も私も精神科医だということもあって、センターを病院や学究機関だと思われている方もいらっしゃるようですが、そうではなく、センターはあくまでも市民同士の助け合いの場としてのコミュニティ・サービスとして位置づけられます。

 センターはさまざまなサービスを提供していますが、その中心であるピアサポートグループ(仲間同士の助け合いのグループ)は、現在、以下のようなスケジュールになっています。

月曜日 10:00-12:00 慢性疾患と共に生きる
    17:00-19:00 Person-to-Person(特に病気などがあるわけではないが、自分の生き方にアティテューディナル・ヒーリングを取り入れたい人のグループ)
    19:30-21:30 Person-to-Person
    19:30-21:30 転移癌を持つ女性とその夫のグループ

火曜日 17:00-19:00 ゲイの男性のグループ
    19:30-21:30 致命的な病気を持つ人のグループ
    19:30-21:30 介護者のグループ
    19:30-21:30 配偶者を失った人のグループ

水曜日 10:00-12:00 加齢を考えるグループ
    10:30-12:00 転移癌の女性のグループ
    19:00-21:00 男性のストレス
    18:45-20:00 子どものグループ(第1週・第3週は病気を持つ子どもたち、第2週・第4週は近親者を失った子どもたち)
    18:45-20:00 上記の子どもたちの親のグループ

木曜日 10:00-12:00 Person-to-Person
    19:00-21:00 子どもを失った親のグループ
    19:00-21:00 HIV/エイズの人のグループ
    19:00-21:00 親しい人を失った人たちのグループ
 
長くなってきたので、また次回に続けます。

Attitudinal Healing(AH)の国際会議に出席しました


10月20日~28日、渡米してきました。
国会を離れたら是非やってみたいと思っていた活動を始めるためです。

それは、Attitudinal Healing (AH)という手法を日本に定着させるということです。

Attitudinal Healing (AH)というのは、日本語では「対人姿勢による癒し」とか「生き方を変えるヒーリング」などと訳されているようですが、いずれもピンとこないので、ピンとくる言葉を思いつくまでは、原語のままAttitudinal Healing(日本語読みすると、アティテューディナル・ヒーリング)、あるいは略語としてAHという表記にすることをお許しください。

今後、もっと詳しく説明していきますが、一言でいえば、ものごとに対する姿勢(Attitude)を変えることによって心の安らぎを得る、というやり方です。恐怖や不安、罪悪感という感情にとらわれて「敵」のいる人生を過ごしていくのか、それとも、こういった感情を手放して他者とのつながりを感じながら生きるのか、という選択は、個人の力で自由にできるという信念がその根底にあります。

AHは、1975年に、精神科医であるジェラルド・ジャンポルスキー博士と4名のボランティアによって、その活動がスタートしました。致命的な病を持つ子どもたちのサポートグループが、その始まりでした。

精神科医が創始者であり、末期がんの子どものサポートなどから始まって現在でも医療と深い関係があることから、一人の精神科医としても大変関心のある手法ですが、同時に、政治家としても高い関心を持っています。特に現在は、ブッシュ政権にしても小泉政権にしても、人の心に潜んでいる恐怖や不安を煽って皆が不幸になる方向に社会を導く、という「不安の政治」が幅を利かせているわけですから、政治を変えるためにも、新たな「姿勢」が必要だと思っています。

致命的な病気を持つ子どもたちのサポートグループとしてスタートしたAHは、その後、そういった子どもたちの親やきょうだい、それ以外のさまざまな立場にある子どもや大人たちへと、その対象を広げてきました。現在では、病気と関係のある人たちだけでなく、教育現場、刑務所など、さまざまな領域へと活動が広がっています。
この活動が評価されて、今年は、創始者のジェラルド・ジャンポルスキー博士に対して、アメリカ医師会の栄誉賞が贈られています。

1977年に、カリフォルニア州ティブロンに設立されたAHセンターは、その後、より広い敷地を求めて同州のサウサリートに移りましたが、現在に至るまで、すべての人が無償でセンターを利用できるという環境を維持してきています。もちろんその裏には、いろいろな形でセンターに寄付をしたりボランティアをしてくれる多くの人たちがいます。大きなところで言えば、ドイツのルフトハンザ航空なども大口寄付者です。

現在では、AHは約30カ国に拠点を持ち、その活動は全世界に広がっています。

今回の訪米の主目的は、10月21日~23日に開かれたAHの国際会議に参加することでしたが、この国際会議でも、各国の状況を聞くことができました。

さらに私は、国際会議終了後には、AHの創始者であるジェラルド・ジャンポルスキー博士のご自宅に家族でお招きいただき、政治とAHについてなど、幅広く親しく懇談することができました。
また、センターを訪問し、親と死別した子どもたちのグループ、転移がんを持つ女性たちのグループ、介護をしている人たちのグループに参加することもできました。

この後、再び訪米し、国会議員時代にはどうしても不可能だったセンターでの研修兼ボランティアを半年ほどする予定です。

しばらくの間の私の活動の中心になりますので、皆さまには、また追って詳しく報告させていただきます。