No.1(2000.9.14)

私が日常感じていることや意見を書いていきます。

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安全保障についての考え方

 8月20日のテレビ朝日の番組、サンデープロジェクトで安全保障問題に対する質問を受けた際、私は、「非武装中立が理想」と答え、「武力で抵抗するのと、無抵抗で降伏するのと、どちらが犠牲が少ないかを検証すべき」との意見を述べました。

 番組終了後、多くの方から賛同と励ましのお便りをいただいたのですが、民主党には反対意見もたくさん寄せられたそうです。足りない時間の中で十分に説明しきれなかったことも原因だと思われますので、この機会に、少し安全保障についての私の考えを述べてみたいと思います。


現状に対する認識

 まず私は、国民が外国からの攻撃の危機にさらされないような政策を行うことが政治の大切な役割だと思っています。そのためには、対立している国のどちらかの側に付き、他方を敵視するような政策は取るべきではないと考えます。
 ところが日本は、これまでずっとある国々(北朝鮮や旧ソ連)を敵視する側に付いてきました。仮に日本が何も手を出さなくても、もし日本から飛び立った米軍機が北朝鮮を攻撃した場合、反撃を受けるのは、アメリカ本土ではなく日本です。これは、米軍によるイラク攻撃の際のミサイルによる反撃を見れば明らかです。このように、日本に軍隊があること、すなわち米軍や必要最小限度の範囲内にとどまらない強大な自衛隊が存在することこそが、むしろ日本を危険な状態に導いているような気がしてなりません。
 しかし、そうは言っても自衛隊は現実に存在し、そのために軍事力のバランスが保たれていることも事実です。軍事力は強めるにしろ弱めるにしろそのバランスを崩すものであり、極めて慎重に扱わなければなりません。だからこそ国際協調の中で軍縮していかなければならないのです。また、現に多くの人々が自衛隊で働き、その家族が生活しています。今すぐ自衛隊を廃止せよなどと主張するつもりは毛頭ありません。そのことと、軍縮・非武装の理想を掲げて、長期的視野において取り組むこととは全く別問題です。


政治家は現実政策とは別にビジョン(理想の姿)を示すべき

 安全保障問題に限らず、政治家は、個々の取り組みとは別に、将来的なビジョンを示すべきだと思います。そうでないと、いったいこの政治家は、どんな「理想の社会」を目指しているのか、個々の政策だけでは判断しにくく、何を基準に選んで良いのか分かりません。民主党と社民党、共産党は、似たような政策を掲げていても、目指す社会像が違うことで投票時の判断基準とすることとができるものです。
 私の総合的なビジョンは、「全ての人が生きる喜びと誇りを感じられる心の健康度の高い社会の実現」です。今取り組んでいる一つ一つの法案の準備は、全てこのビジョンを実現するための布石と言えます。私自身は、「厚生委員会」と「青少年問題特別委員会」に属しているので、なかなか安全保障問題に関わる機会はないのですが、それでもビジョンは持っています。それが前にも述べた、「非武装中立(軍隊を持たない、どこの国とも仲良く)」です。
 平和憲法を持つ日本らしい平和的国際貢献に向けて、わが国はリーダーシップを発揮していくことが大切だと思っています。


現実政策

 「武力で抵抗するのと、無抵抗で降伏するのと、どちらが犠牲が少ないかを検証すべき」という私の意見に対して、賛同と励ましのお便りに混じって、「降伏するのは腰抜けだ」「降伏したら家族が守れない」「降伏した国が過去にどうなったか勉強したことがあるのか」などの批判が寄せられました。でも、本当にそれが「腰抜け」「家族が守れない」態度なのでしょうか。
 国際関係はゲームではありません。常に、自分の国の尊厳を守り安全を考えていくべき政治家は、観念論を述べている余裕はなく、その時その時で、厳しい選択を迫られます。「戦うのと戦わないのとどちらが国を守れるのか?」を考えるのは腰抜けどころが非常に勇気のいる選択であり、高度な戦略と言えます。
 例えば、日本は太平洋戦争を「無条件降伏」という形で終結させました。遅すぎたとはいえ、あの降伏の判断は適切であり、それが「腰抜け」だとは思いません。あのまま武力による抵抗を続けていても神風が吹くという保証はありません。降伏した結果、日本は守られましたが、あのまま抵抗を続けていたら、日本はどうなっていたか分かりません。
 流動的な国際関係の中では、「武力で抵抗するのと、無抵抗で降伏するのと、どちらが犠牲が少ないかを検証すべき」という冷静な態度が常に要求されるのではないでしょうか。
 ところで、安全保障の話をするとすぐに「じゃあ、ミサイルを撃ち込まれたらどうする?」という質問が出ます。サンデープロジェクトでも司会者からその質問が出ました。でも、「撃ち返したらどうなる?」という質問にまともに答えられた人を私は見たことがありません。ミサイルを撃たれて、撃ち返して、さらに撃ち込まれたら?   また、よく国を家に例えて「泥棒が入らないように家に鍵をかけるのだから、国も武装すべき」などと言う人がいます。しかし、武器と鍵は違います。防空壕や核シェルターなら鍵の役割を果たすかもしれませんが、武装(米軍のものも含めて)は、家の中にダイナマイトを持つのと同じことです。不用意に攻撃されたら、家そのものが爆発の危機にさらされる可能性も常に考えなければなりません。


言葉による解決

 では実際に、どのような外交をわが国は目指すべきなのでしょうか。
 私は、コミュニケーションを重視する観点から、わが国は、世界各地で起こった紛争解決のための話し合いに率先して参加し、紛争当事者間の仲介役としてリーダーシップを発揮し、「紛争が起きたら、交渉は日本に任せよう」と世界中から信頼される、そんな国家を目指すべきだと思います。
 常に平和のための外交の原則を貫き、いかなる理由があろうとも軍事力によらない解決を愚直なまでに主張していくことが、平和憲法を持つ日本の果たす重要な役割だと思っています。その一貫した主張と、真摯な態度、コミュニケーション手法で、国際的信頼を勝ち取り、賛同する国を一つ二つと増やすことで、国際的な発言力を高めていくことを目指すべきではないでしょうか。でも、いくらコミュニケーションを尽くしても、現状の国際関係においては、正論よりも軍事力を背景とした発言が力を持ってしまうという現実があります。そうした現状を打破するために、私は以下のような軍縮に向けたステップを考えています。


世界軍縮に向けての私のビジョン

 国連が行う国際紛争解決にむけた交渉や平和維持活動(PKO)は、国際的な平和と安全に一定の役割を果たしてきました。しかし、国連がよりよく機能できるためには、どの国の意向にも偏重しない中立的な立場を明確にし、改革していく必要があります。
 他方、国連を中心とする集団安全保障体制を確立するためには、国連軍が創設される必要があると考えます。現時点ではその実現の可能性は低いといわれていますが、正式に国連軍が編成される場合には、日本も、兵員・装備・資金をGDPに見合うだけ提供することについて、前向きに検討しても良いと思います。
 各国が国力に応じて、兵員・装備・資金の提供を行い、平和に対する脅威や破壊、侵略があった場合には平和を維持するために国連軍がその役目を果たす。この場合の国連軍は、「敵」「味方」を作って攻撃する「軍事力」ではなく、あくまでも「警察機能」を担うことになります。そこで働く人たちは、原則的に無国籍の「国連公務員」となります。
 国連軍を整備すると同時に、各国個別の軍隊は徐々に削減していきます。日本の自衛隊の軍事部門も同様です。国連を中心とした最低限の安全保障、これが私の考える究極の目標です。
 自衛隊は、救助活動に関する機能を発展させていきます。消防や警察とも連携しつつ、軍隊として培われている指揮系統、チームワーク、技術を、より高度な訓練と研究によってさらに発展させていき、どんな状況下でも、世界のどの地域へも、常に世界で一番に人員を派遣できる世界一の技術とモラルを誇る精鋭救助隊を目指します。
 こうして、日本らしい平和的国際貢献とリーダーシップの発揮により、国際社会における地位の向上に努めることこそが日本の目指す外交のあり方だと思っています。世界各国から尊敬されるモラルの高い国となることで、学校などで無理に愛国心を教えなくても、自然と国に対して誇りの持てる真の愛国心が育つのではないでしょうか。


テレビ出演の反省点

 さて、サンデープロジェクトの発言の中で、私が一番反省したのは「非武装中立」という言葉を使ったことです。私としては前記のような「非武装中立(軍隊を持たない、どこの国とも仲良く)」というビジョン(理想の姿)を述べたわけですが、「非武装中立」という言葉は旧社会党が綱領的に使っていた特別な言葉だということを後になって知りました。新たなビジョンを描こうというときに、一部の人にとって必要以上の意味を持ってしまう用語を使ったことは失敗でした。
 もう一つ反省したのは、自分がビジョンの話をしているのに、あくまでも「今ミサイルを撃ち込まれたら・・・」という現在の話に引き戻したがる司会者のペースに巻き込まれてしまったこと。後でビデオを見て、相手のペースに巻き込まれている自分の姿がよくわかりました。今回の反省に立って、今後はもっと説得力を持った話が出来るように頑張りたいと思います。これからも、ご指導をいただけますようお願い申し上げます。



サンデープロジェクト再現| 番組をご覧になった方々からのお便り

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