国会報告 その7(2000.8.28発行)

水島広子の国会内外での活動をお伝えするために、週1回程度、発行の予定です。



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国会報告(8/20〜8/25)

テレビを観て応援等のメッセージをいただいた方々、本当にありがとうございました。

この場をお借りして心より御礼申し上げます。


■8月20日(日)

8時17分発の新幹線で東京へ。
10時からテレビ朝日のサンデープロジェクトに出演。

実は、私はかつて朝日新聞の論壇に「キレやすいのは大人の方だ」という小論文を投稿したことがあるが、そのきっかけになったのがサンデープロジェクトだった。この番組を見ていて、あまりにも性急な議論に唖然として投稿したのだった。
嫌な予感はしていたが、やはり性急な議論はこの日も変わらず(田原総一郎さんはいつもよりも格段に優しかったらしいが)。足りない時間の中で十分に説明しきれなかったために、特に国防問題について民主党に意見が殺到したらしい。
私が番組の中で訴えていたことは、私の理想は非武装であること。その私に対して「人間、そんなに良い人ばかりじゃないから」と自民党の松島代議士が言っていたが、私は、理想に向けて大人が努力しなくてどうするのだと思っている。
なぜか「水島は安保破棄、自衛隊解散、攻撃されたら降伏しろと言っている」などという噂が一部に流れているようだが、そんなことには触れてもいない
現在の日本の軍備状況は私も十分に認識している。そして、国際社会の中で、その状況でバランスを取っていることも事実だと思う。軍備というのは、強めるにしろ弱めるにしろ、そのバランスを崩すものであるから、国際的協調の中で軍縮しなければな
らない。そのための努力を各国ともしようとしている。私は、日本がそのイニシアチブを取って世界軍縮の先導役になればいいと思っている。
私はそういったビジョンを示そうとしていたのだが、なぜか「じゃあ、ミサイルを撃たれたらどうする」というような質問が出る。ミサイルを撃たれて、撃ち返したら、次はどうするのでしょうか? 核兵器に手が出たら地球はおしまいです。そうならないように、国際間の十分な話し合いを持つこと、そして、国際協調の中で軍縮をしていくこと、それしか道はないと思う。というようなことを言いたかったのだが、突如として私たちが出ていたコーナーが終わってしまった。
一つ反省したのは「非武装中立」という言葉を使ったこと。私はこの言葉を自分で考えて使ったのだが、旧社会党が使っていた専門用語だと知った。それが一部の人たちに、理屈を離れたアレルギー反応を生んだらしい。これからは別の表現を考えなければならない。
とっさの反論も、もう少し適切な言葉を使えば良かったと反省している。

新幹線で宇都宮に戻って、13時半から「水島広子国政報告会&ネットワーク会議」。お集まりいただいたみなさま、ありがとうございました。

会議終了後、ボランティアの皆さんと事務所で交流し、18時から労組委員長夫婦と会食。



■8月21日(月)

8時から恒例のマンデーレポート。

終了後、秘書(見習い)をつれて市議の皆さんに挨拶。

簗瀬事務所で打ち合わせ。

12時から取材。「夫への遺言」という連載記事だという。何を話すのかと思っていたら、ジェンダーフリーの夫婦の実態を聞きたかったらしい。「家事は、できる方ができることをやる」という我が家の原則などを話す。

14時から、連合栃木執行委員会に挨拶。総選挙協力のお礼と秘書(見習い)の紹介。

事務所で作業と打ち合わせ。

19時から、宇都宮市医師会編集委員会の座談会。小児救急医療と「キレる」子どもがテーマ。小児救急医療については様々な意見が交わされたが、子ども病院の必要性については満場一致で賛成。


■8月22日(火)

珍しく約束がない一日。事務所で作業や打ち合わせをしたり、民主党県連に打ち合わせに行ったり、事務所内の仕切を買いに行ったり、と普段できない仕事をする。


■8月23日(水)

6時36分の新幹線で東京へ。
7時50分から文化放送「チャレンジ梶原放送局」に出演。

10時から、イギリス大使館二等書記官の表敬訪問を受ける。

11時から、アエラの取材。

久しぶりの東京なので、訪問の間には、たまった書類の片づけ。また、秋の臨時国会に提出すべき法案作成用に頼んでおいた資料も山のようにある。

12時から、サウジアラビアの青年団との意見交換会。民主党からは古川代議士と私、社民党からは原陽子代議士、自民党からは後藤田代議士が参加。どのようにして日本とサウジアラビアの交流を活性化するかという話し合い。「日本では女性が総理大
臣になる可能性はありますか」と問われて、私と原さんが「もちろん」と答え、「サウジアラビアでは?」と尋ねると、「とんでもない」と、本当に驚いたようだった。

14時までの予定が13時に終わったので、議員会館に戻って書類整理の続き。

15時から、日本記者クラブの「お茶の会」。民主党の松沢議員と古川議員と一緒。
「お茶の会」なのにお茶は出ず、普通の記者会見だった。サンデープロジェクトの内容に触れると、やはり「ミサイルが飛んできたらどうするのか」という質問が出た。
「それで打ち返したらどうなるのか」という質問を返しながら、前記のような私の考えを説明したところ、理解を得ることができた。「日曜日のテレビを見てあなたに失望したけれど、今日はよくわかりました。頑張って」と言っていただけた。
この席で、もう一つ出たのが「何党と連立するか」という話題だった。松沢さんは「自由党となら連立できる」、古川さんは「自由党とは組めない。政権というのは選挙によって手に入れるべきだ」という意見。私は、政党同士が連立を組むという発想そのものが受け入れられない。連立を組んで一緒に行動できるのならば、一つの党になるべきだと思う。各政策ごとに共闘するのであれば、相手は何党でもかまわない。
松沢さんと古川さんと一緒に記者会見を受けて、本当に三者三様であることはよくわかった。これだけの違いを包含しながら議論を深めていければ、本当に民主党は良い党になるかもしれない、と思った。

17時4分の新幹線で宇都宮へ。事務所で作業をした後、一軒訪問した家が長引いて遅くなってしまった。



■8月24日(木)

午前中、挨拶周り。
13時半から労組の定期大会。
15時から病院訪問。小児医療の問題について話し合う。
16時半から打ち合わせをして、その後、挨拶周り。


■8月25日(金)

早朝から電話で起こされる。「今朝の下野新聞に・・・」という電話に驚いて新聞を取りに行くと、何と一面トップに知事選に関して「水島氏、渡辺氏不支持」と出ているではないか。一面トップに載ったのは当選した時くらいだったが、なぜこんな記事が書かれたのか、釈然としない。
また、「距離を置いて慎重に見極めたい」という発言がなぜ「不支持」になってしまったのかもよくわからない。
この新聞記事のために振り回された一日となる。

10時から労組の定期大会。

11時半から、下野新聞の記事をめぐって事務所に集まったマスコミ各社による取材。「不支持ではなくて中立なのだったらあまり大した記事は書けませんね」とつまらなそうにしていた。

14時20分から労組の定期大会。大会ラッシュである。

16時に事務所に戻り、原稿のゲラをチェック。ここから、散発的に電話取材が入っていたが、その中にイギリスのBBCの取材が入る。英語での電話取材は本当に大変だ。私の声がイギリスのラジオに流れるというので緊張。
この間に、頼んでおいた街宣車用の車が届く。中古だが、とても見た目が良い。これからキャリアやスピーカーをつけて街宣車にするので、使えるようになるまでしばらくかかる。安い中古車を見つけるために奔走してくださった方々、無償提供の申し出をしてくださった方、さらに、街宣車が来るまでの間、実際に貸してくださった方、本当にありがとうございました。

20時から県連で会議。



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