No.6(2002.10.12)

私が日常感じていることや意見を書いていきます。

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最近の「不登校」をめぐって

不登校をめぐって、ここのところ大変気になる動きがある。
文部科学省は10年ぶりに「不登校問題に関する調査研究協力者会議」を 作った。9月5日から12月17日までの計8回会議が開かれ、審議がま とめられることになっている。
会議の委員のごく一部には
「こんなに一生懸命やって、なぜ、不登校の子どもたちがこんなに増えて いるのか。何をしてもこんな状態になるというのなら、根本的に学校シス テムを変えなきゃいけないんじゃないかと思います」
というような地に足の着いた意見を言っている人もいるが、大勢としては 「親自身の社会性の欠如があり、子どもに強制できない」
「わが子が登校拒否になっても問題を感じていない」
「待っていては復帰の時期を見逃してしまい、学校へ戻れない。『父性』 をもって押し出すべき」
「不登校を容認する風潮がある。誰にでも起こりうるという方針を『起き ても仕方がない』と誤解している」
というように、不登校の子どもたちをいかにして早期に学校復帰させるか、 という観点から議論が行われている。

なぜこんなことになってしまうのか。そもそも、当事者からのヒアリング がないため、どのようなサポートが本当に必要とされているのかがわから ない。不登校の子どもたちがその後どのように育っているかなどのデータ にも基づいていないため、そもそも不登校が本当にいけないことなのかど うかもわからない。
当事者の意見を聞かない、データに基づかない、というあたりの体質は、 文部科学省お得意のパターンだ。
文部科学省の寺脇研氏ですら「子どもの立場に立って考えようと、協力者 会議の委員が集まったのだが、大人のよかれと思うことを話してしまって いるように見えます」(不登校新聞)とコメントしているほどだ。

子どもの権利条約から言っても、子どもには教育を受ける権利がある。
「教育を受ける権利」と「登校する義務」をはき違えてはいけない。いじ め、教員の資質、社会から隔絶された環境、右往左往する教育政策、など、 今の学校現場には問題が数え切れないほどある。そうしたことのために登 校できなくなる子どもたちに対して、「登校の義務」を訴えることで何か プラスがあるのか。
むしろ、「学校にもいけない自分はダメな人間だ」という気持ちが強まり、 子どもの自尊心に決定的なダメージを与え、結果として社会適応できない 人間に育ててしまうことになりかねない(これは、不登校の結果ではなく、 登校を強要する結果である)。

登校という方法によらなくても子どもたちが教育を受ける権利を享受でき る仕組みを作ると共に、学校そのものももっと進歩しなければならない。
子どもたち一人一人の個性に応えられる環境、子どもたち一人一人の自尊心 とコミュニケーション能力を育てられる環境にしていくとともに、地域に開 かれた環境を作っていかなければならない。こうした努力もしないで、「警 察力を使ってでも・・・」とは、大人社会の無責任・身勝手以外の何もので もない。巨額の借金を背負い、環境を破壊しただけでなく、日本の大人たち は何の権利があって子どもたちをここまで痛めつけるのだろうか。



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