新しいメディア「ode」(その1)

 現在暮らしているベイエリア(サンフランシスコ近辺)は、世界の中でもスピリチュアルなものが集まる拠点の一つだと言われていますが、本当にいろいろなおもしろい出会いがあります。

 その一つが、「ode」(オード)という雑誌です(odeという言葉の意味は、「特殊の主題でしばしば特定の人や物に寄せる叙情詩」)。この雑誌の共同創始者であり編集者のイレーン・デュ・プイというオランダ出身の女性と知り合いになり、親しくする中で、大変感銘を受けましたので、この雑誌について紹介させていただきます。

 メディアのあり方については、今までも何度か取り上げてきましたが、「ode」は、まさにそんな問題意識の中から生まれてきた雑誌です。

「ode」のキャッチコピーには、「世界を救っている実在の人たちの話。現実の問題への解決策。全て良いニュースだけ! この頃あなたは、良いニュースをどのくらい受け取っていますか? 私たちに良いニュースを送らせてください!」とあります。

また、「ode」の推薦文として、パッチ・アダムズ(笑いを医療に取り入れていることで世界的に有名な医師)はこう書いています。「悪いニュースを詰め込まれた市民は、悲観的に、冷笑的になる・・・そうすれば、良い消費者になるだろう。「ode」は、すばらしいことが起こっていることを知らせてくれる。そこで表現されているのは、全人類と環境への愛だ」今のメディアがいかに商業主義や悲観主義によって歪められているかということでしょう。

さまざまな問題を前向きに解決するために、そして、より良い未来を作るために、共有すべき情報やアイディアを共有しようというのが「ode」の基本理念だと思います。

 例えば、「ode」では、以下のようなニュースを伝えています。

■あるキノコ農園では、殺虫剤の使用をやめることで一日あたり25%キノコの収穫量が増えた。どうやったのか。土壌に自然の細菌・真菌・酵母を加えることによって、その農家は、生産量を伸ばし、自分自身と地球の健康を向上させたのである。
そして、これは、カリフォルニアのしゃれた高級農園で起こったことではない。これはタイの田舎の話だ。そこの村人は、化学薬品ではなく微生物を使って、きゅうりや、トマトや、とうもろこしや、米や、マンゴや、魚を育てている。

■ビニールの買い物袋は、下水道を詰まらせ、木にはまり込んでしまう。3つの国(台湾、バングラデシュ、南アフリカ)は、ビニールの買い物袋を禁止した。アイルランドでビニール袋を有料にすることを義務づけたところ、使用量は90%減った。米国では、毎年1000億枚のビニール袋が捨てられている。そして、本当に「捨てる」場所などないということを、私たちは知っている。

■国連では、世界で10~20億人が、何らかのスラムに住んでおり、水道も下水道もなく、法的な権利もなく暮らしていると推計している。でも、スラムの住民は、自分自身の力で向上している! アフリカのあるスラムでは、自分たちの学校を作った。カラチでは、スラムの住民が自分たちの下水道を作った。そしてブラジルでは、政府が、何十万もの小区画の地所を、スラムの住民に譲り、家を建てられるようにした。

次回に続けます。

アティテューディナル・ヒーリング・センターの誕生(4)

 アティテューディナル・ヒーリング・センターの誕生について、パッツィ・ロビンソンの翻訳の続きです。

☆☆☆ 

夕食を終えると、私たちは皆で輪になって座りました。1分間くらい手を握りました。これは、全ての集まりの最初と終わりに今でも行われている習慣です。仕事のミーティングであろうと、グループセッションであろうと、本当にそうなのです。

次に起こったことは、私にとって、センターの始まりのカギとなることでした。私たちは順番に、自分が怖れていることについて話しました。正直に、率直に。私は目前の怖れを話しました。それは、自分が失明するのではないかということでした。私は緑内障を患っていました。緑内障というのは、視神経を損傷するほど眼圧を高くする可能性のある病気なのです。

死についても、もちろん、話し合いました。私はそれまでに自分自身の死についても家族の死についても考えようとしたことがなかったので、子どもたちが最も深い心配事について自由に話すのを、畏敬の念をもって見ていました。

お互いに自分自身の怖れを打ち明け始めてみると、私たちには何の違いもないのだということに気づきました。大人も子どもも同じことに直面していました。子どもたちは私たちの教師になりました。子どもたちは、とても怖いテーマについて、私よりもはるかに直接的なやり方で物事に対処していました。

最初のセッションの終わりに、私たちは全員がずっと昔から友だちだったような気持ちになりました。深く気持ちを打ち明けあうことの何かが、他の何よりも人々をつなぐのです。でも、気軽な雰囲気がずっとその場を占めていたということも、大切なこととして言っておきましょう。いたわり打ち明け合う中に、笑いと愛がありました。

☆☆☆

(☆☆☆ではさまれた部分は、パトリシア・ロビンソン著「アティテューディナル・ヒーリングの原則の一つの定義」の邦訳)

社会正義とアティテューディナル・ヒーリング(その3)、LEFT TO TELL

★ 社会正義とアティテューディナル・ヒーリング(その3) ★

 社会正義とアティテューディナル・ヒーリング(その2)で、「攻撃は不安に基づく行動」と書いたところ、「自分と違う考えの人は不安に基づいて行動していると独善的に考えるのか」という趣旨のメールをいただきましたが、もちろんそんなことを言いたいわけではありません。ここで問題にしているのは、あくまでも「攻撃」という、コミュニケーションの形であって、内容ではありません。アティテューディナル・ヒーリングでは、すべてのコミュニケーションは人と人を結びつけるためにすべきものであると考えますので、バッシングのように、相手の言い分を理解しようともせず、相手を悪と決めつけて叩くというようなコミュニケーションは、当然、アティテューディナル・ヒーリング的ではないということになります。そして、こういうコミュニケーションパターンを支配しているのが、「怖れ」であり「不安」であるということを言いたいのです。

 そうは言っても、内容も全く無関係とは言えません。例えば、選択的夫婦別姓などを考えた場合、本当に相手を理解して結びつこうとすれば、「別姓は家族の絆を壊す」などという空論を言い続けるわけにはいかないからです。また、非嫡出子の差別にしても、本当に相手の話に心から耳を傾ければ、親の事情がどうであれ、子どもは一人の人間として生まれ、成長し、周りの人たちと関わっているのであり、差別は差別なのだということが理解できるはずです。そして、その差別を解消するために、自分には何ができるだろうかということを考えるようになるはずです。ですから、ある人たち(特に、自分とは関係のない人たち)に、何らかの我慢や価値観を強いるような理念は、やはりアティテューディナル・ヒーリング的ではないと言え、そこには「不安」が強く根づいていると言えます。

 このあたりのことは、拙著「国会議員を精神分析する」を書いたときに、ある程度まとめました。対立軸は今や「保守か革新か」にあるのではなく、「共感か共感の欠如か」にある、ということ、そして、共感の欠如の裏側には不安があるのだということ、これが拙著の主張ですが、当時はまだ知らなかったアティテューディナル・ヒーリングと全く同じ考え方です。

 さて、社会正義になぜアティテューディナル・ヒーリングなのかと言うと、不正義の背景に不安がある以上、こちらも不安に基づく行動をしている限り、事態は悪くなる一方だからです。不安に基づく行動というのは、「逃避」「防御」「反撃」ということになりますが、どれも、事態の改善に結びつかないということは、皆さまも経験的にご存知のことだと思います。強烈な反撃をして、一見うまくいったように見えても、その火種は必ずくすぶっているものです。相手が攻撃してくるときに、怖れを抱かないのはなかなか訓練のいることですが、「攻撃」という相手の「不安」に反応するのではなく、不安によって覆い隠されている本当の相手に働きかけることが重要なのだと思います。

★LEFT TO TELL(伝えるために一人生き残った)★

 社会正義に関連して、最近読んだ本の中でとても感動した一冊に、LEFT TO TELL(伝えるために一人生き残った)という本があります。これは、ルワンダの最悪の虐殺を生き残ったイマキュレという女性が書いた本なのですが、ツチ族の彼女は、海外留学していた兄を除き最愛の家族をすべて残虐な形で殺され、自らは身動きのとれない小さなトイレに7人の女性と共に3ヶ月間隠れて生き延びました。最初の頃は、自分たちを虐殺したフツ族を全て殺して仕返しをしてやりたいと思う彼女ですが、もともと敬虔なカトリックとして育ったこともあり、身動きのとれないトイレで祈りを続けるうちに、最終的には、許しの境地に達します。そして、解放後には刑務所を訪れ、自分の母と兄を虐殺した犯人に「あなたを許します」と言うのです。これだけの残虐を経験し、絆の強かった家族を失い、自らも、何度も殺される恐怖をくぐってきた人ですから、その道のりは簡単なものではありませんでした。でも、許しあうことによってしかルワンダは正常化しないし、許すことによってしか心の傷は癒されないという彼女の信念は揺るがないものになっています。

 隠れていたトイレから脱出してフランス軍のキャンプに保護された彼女は、その指揮官から、「フツ族は邪悪だ。復讐したい奴がいたら殺してやるから、家族を殺した人間の名前を言え」と言われますが、殺し屋と指揮官に同じにおいを嗅ぎ取った彼女は、もちろん同調しませんでした。自分が求めるのは新たな殺人ではなく平和である、と指揮官の提案を退けたのです。

 真の「許し」を学ぶためにも、また、もちろんルワンダの虐殺について知るためにも、さらには、内戦国にとって外国からの援助がどう映ったのかを知るためにも、とても勉強になる一冊です。アメリカでもこの2月に出版されたばかりの本ですが、日本語訳を早く実現するように、こちらの出版社の方とやりとりしています。

アティテューディナル・ヒーリング・センターの誕生(3)

 アティテューディナル・ヒーリング・センターの誕生について、パッツィ・ロビンソンの翻訳の続きです。

☆☆☆ 

このプロジェクトが終わった2週間後、ジェリーはもう6週間プロジェクトをやるつもりがあるかと私に尋ねました。「癌の子どもたちと一緒にやるつもりはある?」とジェリーは言い、続けて、自分は死に直面するような子どもたちのために仕事をするようにという強い内なる導きを得たのだと言いました。当時、ジェリーは自分が死ぬことをとても怖れていました。私はと言えば、死の話題を感情的に避けていました。ジェリーはここに何か大切なことがあるのだということを心の中で知っていたのです。

私はそのプロジェクトが怖いと思いました。たった6週間のことだと自分に言い聞かせ、その間、参加している子どもたちに何も起こらないようにと望みました。それまで、重い病気の子どもが身近にいたことがなく、私は、率直に言って、とても怖かったのです。

4人の人たちが参加しました――ジェリー・ジャンポルスキーと、パット・テイラー(この計画のコーディネーター役)、グロリア・マーレイと、私です。私たちはまず子どもを見つけなければなりませんでした。私たちは医師や友人に尋ね、参加の意思がある子どもたちを、望んでいた数だけ見つけました。今度もまた、6名の子どもたちが選ばれました。それから私たちは子どもたちと親に連絡を取り、家を訪問してプロジェクトについて話し合いました。この実験の結果、他のたくさんの子どもたちが恩恵を被るかもしれないということを話し、協力を求めました。この子どもたちは、これからの6週間、私たちがお互いにどうやって助け合えるかを知るために週1回集まる気になってくれるのでしょうか? 言うまでもなく、全ての子どもたちと親たちが、参加に同意してくれました。

1975年の夏に、私たちの最初の集まりが持たれました。私たちはまだ「埠頭レストラン」の下の部屋に集まっており、まだ集まりの名前がありませんでした。ジェリーとパットとグロリアと私は皆そこにいました。私たちは夕食を用意しました。サラダ、スパゲッティ、フランスパン、そしてデザートにはクッキーを。夕食は、緊張を解くのには完璧でした。私たちは皆少し緊張していたのです。日程表を作っていなかったので、何が起こるのかもよくわかりませんでした。集まりの時間は2時間と決めてありました。
 
☆☆☆

(☆☆☆ではさまれた部分は、パトリシア・ロビンソン著「アティテューディナル・ヒーリングの原則の一つの定義」の邦訳)

アメリカ人のコミュニケーション(補足)

 前回、「アメリカ人のコミュニケーション」について書かせていただきましたが、「北カリフォルニア」と地域を限定するのを忘れてしまったので、自分の経験は違ったというような声をいくつかいただきました。失礼いたしました。

 私が暮らしている北カリフォルニア、特にサンフランシスコを中心としたベイエリアは、アメリカの「良さ」が強く現れている地域だと思います。多様性を尊重する土地柄のため、ゲイのメッカでもあります。また、アメリカの中では最もスピリチュアルな場所のひとつだと言われています。
 
 こちらでは、カープール(相乗り)という制度があります。車に3人以上乗っていると、橋の通行料が無料になり、高速道路でカープール車線という優先車線を走ることができます。渋滞のときには本当に助かります。個人にとっても橋の通行料やガソリン代などが節約できるありがたい制度ですが、環境政策としても、相乗りを促進して車の数を減らす効果があります。もちろん、渋滞解消効果もあります。日本と違って駐車するスペースがたくさんありますので、家から車で出てきて、途中で他人の車かバスに乗り換えて通勤する人はたくさんいます。サンフランシスコ市内の駐車事情は悪いので、私も普段はバス停の近くに車を駐車して、バスでサンフランシスコに行きます。

 先日、サンフランシスコまで車で行かなければならなかったときに、ゴールデン・ゲート・ブリッジの通行料5ドル節約のため、男性を一人乗せました。話しているうちに、サンフランシスコ市役所で働く弁護士だということがわかったのですが、東海岸出身だという彼は、「ここに初めて来たときには驚いた。スーパーに入ったら、皆が私を助けようとしてくれるのだから。ニューヨークやワシントンDCでは、なぜあなたを助けなければならないのという雰囲気だった」と言っていました。そして、「マリン郡は確かにお金持ちの多い地域だけれども、ここではいくらお金持ちになっても相変わらずブルージーンズをはいて、全く偉ぶらないところも特徴」と言っていました。彼に言わせると、ベイエリア以外では、シアトルとオレゴンのポートランドが似たような雰囲気だそうです。

 日本から来た私と、東海岸から来た彼が、同じようなところに目をつけていることが大変おもしろかったです。
 そもそも、考えてみれば、こうして気軽に他人を車に乗せて、おしゃべりを楽しみながら道を行く、というのも、日本の都会では考えられないぜいたくな体験です。

 最後に、前回のメルマガを読んで、共感のメールを送ってくださった、北カリフォルニア在住のSabrina Hiroko Okadaさんのメールを一部ご紹介します(ご本人の了解を得て、日本の読者にわかりやすいように、文意を変えずに一部を変更してあります)。

=============
私はバスとバート(高速交通システム)に乗ってサンフランシスコまで行き、そこから成田に飛びます。この国にいる限りは、いろんな人が声をかけてくれて、スーツケースをもってくれたり、バスの運転手が声をかけてくれたりしますが、成田に着くと同時に、逆カルチャーショックをいつも受けます。私がどんなに重い荷物をもっていても、ぶつかっていくのになんの言葉もかけない人はたくさんいるどころか、長い長い階段を荷物を持って上がったりするのに、「手伝いましょうか」と声をかけられたことは一度もありません。

言いたいことは本人の前ではっきりと言い、あとくされはほとんどなし!という人付き合いの仕方も非常に心地よいです。
=============

 もちろんアメリカにも医療や人種問題など困った問題はたくさんありますし、「アメリカは良くて日本は悪い」と言うつもりは全くありません。でも、少なくともこのベイエリアの人々の暮らし方からは多くを学ぶことができると思っています。多様性を尊重することで、社会全体に寛容と活気が生まれること。また、それぞれが他人に微笑みかけ、援助の手を伸ばすことで、自分も気持ちよく暮らせるし、困ったときにも助けられること。スーパーのレジを待っている列の中でも会話が始まるので、退屈する時間が少ないこと。

また、私の住むマリン郡では、全面積の40%を自然のままに保存してあり、サンフランシスコから車で20分程度という便利な土地柄でありながら、自然に包まれて暮らせるというのも、住民運動の大きな成果です。

アティテューディナル・ヒーリング・センターの誕生(2)

 アティテューディナル・ヒーリング・センターの誕生について、パッツィ・ロビンソンの翻訳の続きです。

☆☆☆ 

 私はこの考えに夢中になり、実験に喜んで参加したいと言いました。私たちはバイオフィードバックの道具を使い、結果が私たちにも子どもたちにもよくわかるようにしました。これは6週間の計画でした。ジェリーは6名のボランティアの大人たちと6名の子どもたちの協力を得ることができました。私たちは6週間続けて、火曜日の放課後に、ティブロンのジェリーの診療所の隣の「埠頭レストラン」のすぐ下にジェリーが借りた部屋で会いました。それぞれの大人が一対一で子どもに対応しました。

 最初のプロセスは、子どもたちの指に装置をつけて、想像を働かせることによって手の温度を上げたり下げたりできるようにさせることでした。たとえば、私が、担当している7歳のブラッドに、手が温かい水にひたっていると思い描いたり、あるいは反対に、冷たい水に入っているとイメージしたりしてごらんと言います。全く何の問題もありませんでした。彼は最初のセッションでこれができるようになり、他のほとんどの子どもたちもそうでした。

 私たちのどちらも、これが目の前で難なく実際にできるのを見てワクワクしました。それは自然なプロセスだったのです。次のステップは、「ブラッドの人生に起こっていることで変えたいことは何?」ということです。最初に取り組んだのは、野球をするときの恥ずかしさでした。打席に立ってみんなの注目が集まると、とても緊張してしまうのです。彼は固まってしまい、ボールを打つなどほとんど不可能な状態になってしまいます。私たちは野球場における彼の状況に、バイオフィードバックの技術を使うことができました。ブラッドが打席に向かって歩き、バットを振り、ボールをしっかりと高く打っている姿をイメージするようにしました。私たちは、共通の目標に向かって、遊びながら、楽しんでやりました。この練習が終わる頃には、よい結果が出るだろうという自信を二人とも持っていました。次の週、ホームランを打ったというニュースをもって現れたのは、喜んで、やすらいでいるブラッドでした。

 6週間のセッションの間、私たちはたくさんのことに取り組みました――読み方、うまくいっていない友達との関係、父親に関する問題など、ブラッドが取り組んできた主だった問題は全てです。追跡調査をしてみると、その結果は長く続いていました。子どもたちは技術を自分のものにし、生活で必要になったときに自分で応用できるようになっていたのです。私は、良い友情が築けただけでなく、多くのことを学ばせてもらったこの実験プロジェクトが終わってしまうのが残念でした。
 
☆☆☆

(☆☆☆ではさまれた部分は、パトリシア・ロビンソン著「アティテューディナル・ヒーリングの原則の一つの定義」の邦訳)

アメリカ報告18 ――アメリカ人のコミュニケーション

 今週はいろいろと変わったことがあり、また日米の比較をしたくなりましたので、少々ご報告させていただきます。社会正義とアティテューディナル・ヒーリング(その3)は、次回にします。

 5月19日には、Noetic Sciencesという、スピリチュアリティと科学の関係を研究している団体の講演会に誘われて出かけて行ったのですが、その講演の演者として招かれていたのが村上和雄先生でした。村上先生は現在筑波大学の名誉教授ですが、DNA解明の世界的権威で、高血圧の黒幕である酵素「レニン」の遺伝子解読に成功したことで有名です。ノーベル賞に最も近い日本人とも言われています。村上先生の著書「サムシング・グレート」などは、スピリチュアルな本として、科学が苦手な人でも楽しく読めるのではないでしょうか。

 村上先生とは以前漢方関係のシンポジウムでご一緒させていただいたことがありますが、まさか北カリフォルニアの、日本人がほとんどいないところで再会できるとは思いませんでした。改めて親しくお話しさせていただき、すっかり意気投合いたしました。

 そして夜の10時ごろに上機嫌で帰途に着いたのですが、最近怪しげだった車がいよいよ本格的にオーバーヒートしてしまいました。嫌な予感がして高速を途中で降りたところ、降りてすぐにエンジンが止まり、ブレーキもロックされてしまいました。あそこで高速を降りる判断をしていなかったら、と思うと、ちょっとゾッとします。

 無事に車を止め、自ら修理を試みたのですが、ラジエーターに穴があいているようで、どうにもなりません。仕方なく保険会社に電話をかけて心細く到着を待っている間に、親切な巡査部長に発見していただきました。最終的には、巡査部長が牽引会社に催促してくださり、牽引車が来るまで付き添っていただいたので、安心できました。また、「なんでこんな古い車に乗っているんだ」などと価値観を押しつけるようなことは一切言わず、お説教もせず、ユーモアすらもって、親身になって事態に対処してくださったので、新鮮な体験でした。(もちろん、すべての警察官がこういう人だというわけではないようで、私はかなり運がよかったようです)

 巡査部長に発見していただく前には、遅い時間であるにもかかわらず、いろいろな車が止まって「何か手伝いましょうか」と声をかけてくれました。アメリカでは、本当にこうした人の善意をありがたく感じることが多いです。

 声をかけると言えば、アメリカ人は、本当に平気で人に声をかけます。例えば、郵便局で列に並んでいなかった人(アメリカ人はよくカードや手紙を送るということもあるのですが、アメリカではパスポートの発行も郵便局で行っており、地域の拠点として機能している郵便局は、とにかく込んでいることが多いのです。もちろん、郵便局は国営です)が窓口に先に行ってしまったように見えたとき。私も「?」と思いながら見ていると、必ず誰かが「あの人は前からいたの?」と問題提起します。「彼は最初から、ドアのところにいたよ」などと証言が出てきて、本人も「自分は誰よりも先に来ていた」と主張し、「それなら良い」ということになるのですが、以前、問題提起をした女性が「だって、あの人がもしも外国人でここのルールを知らない人だったら、教えてあげなければ不親切でしょう」と言っていました。確かにその通りです。

 また、バスに乗っていたとき、バスの止まった場所が悪くて歩行者用の信号が見えなかった、と運転手に苦情を怒鳴ってきた人がいました。運転手も負けてはおらず「だって、ここから左に曲がってすぐに右に曲がらなければならないのに、これ以外にどういうルートがあるんだ」と言い返します。歩行者は「もっと信号の手前で止まればいいじゃないか」。運転手は「ここに来たとき、信号は青だったんだ。途中で信号が変わったんだから仕方ないじゃないか」。こうしてしばらく怒鳴りあって、あとはさっぱりと出かけていきます。

 人前で注意をするとそのときは言い返しもしないけれど、後で待ち伏せしていて仕返しをする、という、日本でよく見られるやり方よりははるかに気持ちが良いです。

 アメリカ人と結婚してずっとアメリカに住んでいる日本人に、「日本ではアメリカ人は自分勝手で公共心がないと思っている人が多い」と言ったら、「反対じゃないの?」ととてもびっくりしていました。「だって、日本人は、人にぶつかっても謝らないじゃないの」と。NPOのときにも書きましたが、公共心はアメリカのほうがはるかに強いと思います(もちろん例外もありますが)。

 また、何といっても見習うべきはコミュニケーション能力です。自分の意見はしっかり主張するけれども相手の意見も尊重する、というのは、例えば、人が話している間は口をはさまない、というマナーにも現れていると思います。日本で、ガチャガチャと、結局声の大きい人が会話を支配する、というような文化に慣れてしまっていると、アメリカの会話は最初はストレスがたまるのですが、相手が話さずに待っているので、できるだけ相手にとって価値のある話をしようという気にもなります。

 また、私のセンターでも、よほどの急用でない限り、他の人たちが話をしているところに駆け込んで自分の用事をすませる、というのはご法度です。上下関係が緩やかなセンターだからということもあるのでしょうが、上司が部下に何かを伝えたいときも、よほど差し迫っているのでなければ、「手が空いたら私の部屋に来てください」というメッセージだけ残して、そこにいる人たちの会話を尊重します。

 今週は、ひょんなことから、アメリカに来て5年という日本人のお宅にお招きをいただき、行ってきました。会社員であるお父さんが言っていたことが印象的でした。「アメリカに来て、これほど子どものことに関わるようになるとは思ってもいなかった。日本にいたときは、仕事ばかりで、家庭での存在感は全くなかったと思う。こちらに来たら、あらゆることに親の参加を求められるので、自分はすっかり変わった。こちらの学校では、平日の昼間の行事でも、両親そろって参加している人が多い」と言っていました。8歳でアメリカに来たという中学生の息子さんに、日本にいたときのお父さんとアメリカでのお父さんの違いを尋ねてみたのですが、「日本にいたときのお父さんはよく覚えていない」とのことでした。

 日本でもアメリカでも、「家族」というものが政治的に重要なキーワードになっている昨今ですが、少なくとも、「家族を大切に」というスローガンは、アメリカのほうが実態を伴っているようです。

 余談ですが、そのお宅に招かれたときに、もう一組、日本人の家族が来ていたのですが、そこの男性は、ついに私の職業すら聞きませんでした(私の夫には尋ねて、いろいろと仕事の話をしていました)。個人が尊重されるアメリカでは、まずあり得ないことです。「夫の仕事は・・・」と女性が言ったとしても、「それであなたは何をしているの?」と聞くのが当たり前です。久しぶりに日本を体験した気がしました。

アティテューディナル・ヒーリング・センターの誕生(1)

 パッツィ・ロビンソンの翻訳ですが、前回までで「アティテューディナル・ヒーリングの原則」のご紹介は終わりました。この冊子は2部構成になっており、後半は、センター誕生の経緯が書かれています。これもなかなか興味深いものですので、引き続き、ご紹介します。

☆☆☆ 

アティテューディナル・ヒーリング・センターの誕生 カリフォルニア州、ティブロン

アティテューディナル・ヒーリング・センターは1975年にジェラルド・ジャンポルスキー博士によって創設されました。ジャンポルスキー博士は、ジェリーと呼ばれるのを好みますが、当時、サンフランシスコ湾を見渡すカリフォルニア州ティブロンの魅力的な場所で開業をしている精神科医でした。彼は、いろいろな手法のよいところを取り入れるタイプの精神科医だと考えられていました。バイオフィードバック、催眠療法、リラクゼーションの技術をはじめ、彼が必要だと直感したものは何でも利用していました。彼の専門は、学習障害を持つ子どもたちでした。

私の息子マイケルが失読症で苦しんでいたとき、私は必死で助けを求めていました。マイケルは9歳で、私の家庭の状況は悲惨でした。1971年、自分たちが深刻な状況に陥っており、抜け出せる見通しがないと思ったときに、私はジェリーを紹介されました。ですから、私たちは怖れおののきながら、ティブロンの小さな診療所に毎週通い始めたのです。息子は良くなり、治療をやめましたが、私は通い続けました。自分自身について学べるという期待にとてもワクワクしていたのです。私は1950年代にバークレーで心理学を学んでいましたが、それが今新たな魅力を感じさせたのです。過去には私の心理学の焦点は他人を理解することにありましたが、今度は自分についての気づきを深めるためのものとして見るようになりました。

治療は私をすばらしく目覚めさせました。私が自分自身について探り学び始めると、人間の成長には限界がないということに気づいてきました。本当のことを言うと、それはとても苦しいプロセスでしたが、それだけ得るものも大きいものでした。

アティテューディナル・ヒーリング・センターはスピリチュアルな方法で作られました。数ヶ月前に、ジェリーは「奇跡のコース」という読み物を紹介されました。彼はこれに深く感動しました。それを読んだ瞬間から、彼のスピリチュアルな変化が始まりました。彼が学んだことについて話してくれるのを聞いて、私も惹きつけられ、もっと詳しく話してくれるようにと常に質問をしました。この時点では、私は「奇跡のコース」のコピーを持っていませんでした。手に入らなかったからです。でも、ジェリーは自分が学んでいることの全てを喜んで教えてくれました。そしてその過程で、彼も自分自身の経験を強化したのです。

実は、現在知られているアティテューディナル・ヒーリング・センターが作られる前に、ジェリーは私に、ある実験の計画に参加する気があるかどうか尋ねてきました。それは、地元の私立学校の低学年の健康で活発な子どもたちを対象に行われるものでした。ジェリーは、この子どもたちが、外で何が起こっていようと自分の内面をコントロールできるようになるかどうかを知りたかったのです。毎日の生活を送りやすくなるように、ものの受け止め方を実際に変えられるのかということを知りたかったのです。
 
☆☆☆

(☆☆☆ではさまれた部分は、パトリシア・ロビンソン著「アティテューディナル・ヒーリングの原則の一つの定義」の邦訳)

社会正義とアティテューディナル・ヒーリング(その2)

 私が大部分の時間を過ごしているサウサリートのセンターでは、アティテューディナル・ヒーリングは、病気を持つ人、死を迎えようとしている人、愛する人を亡くした人、虐待を含め不適切な養育を受けた人、などを主な対象としていますが(この4月から、「家族を戦争に出している人」のグループも始まりました)、オークランドのセンターの中心的なテーマは社会正義です。私自身は、むしろこちらの方に高い関心があります。なぜかというと、差別などの問題を解決していくにあたって、アティテューディナル・ヒーリングのアプローチは、私が現在唯一有効だと思えるものだからです。私が国会での活動を通して身をもって学んできたことのエッセンスでもあります。

 前回ご紹介した原則の12「どんな人も、愛を差し伸べているか助けを求めているかのどちらかととらえることができる」というのは、個人的な人間関係においても役立ちますが、政治活動などをするときには特に役に立つ考え方です。自分を攻撃しているように見える人は、実は助けを求めて叫んでいる人に他ならない、ということです。私自身、アティテューディナル・ヒーリングに出会う前に、このことには気づいていました。拙著「国会議員を精神分析する」にも、人の話を聞こうとしない人の不安の強さについて書きましたが、現在日本で大きな問題になっているジェンダー・バッシング(男女共同参画の流れに対する揺り戻し現象)なども、まさに不安に基づく行動です。

 「バッシング」などは、一見すると「攻撃」に見えます。私も、男女共同参画や平和を目指す言動について、いろいろな「攻撃」を受けてきました。でも、私は自分が「攻撃」されているとは考えず、相手の「不安」としてとらえるように努めてきました。そうすれば、自分がぐらつかないのはもちろんのこと、相手が理解可能な存在になりますし、歩み寄りが可能になります。

 相手の「攻撃」を攻撃としてとらえてしまうと、今度はこちらの不安が喚起されます。そして、逃げるか、反撃するか、という形をとることになります。どちらも、問題解決をますます難しくしていきます。
 国会にいたときに、私の法案修正率が高かったのは、基本的にこの姿勢をとっていたからだと思います。

 オークランドのセンターの代表であるアイーシャは、まさに「攻撃」に対して愛を返してきた人です。彼女は様々な差別にあってきました。例えば、孫娘が生まれたときに、貸しオムツのサービスを受けようとしたら、(黒人が多く住む)治安の悪い地域だから配達できない、と言われたとき、彼女は怒るのではなく、心の平和を保ちながら、担当の女性に「あなたが初めて赤ちゃんを産んだ母親だったら、どう思う?」と語りかけ、最終的にオムツの配達を可能にしました。また、中華料理のレストランで、黒人にはサービスをしないと断られたときにも、怒らず、「あなたがサービスしたくないと言うのなら、それはあなたの選択でしょう。でも、あなたの言動から、この店の若い従業員たちがどういうことを学ぶか、考えてみてください」と語りかけ、最終的には求めていたサービスを受けました。

 こうした差別を受けたときに、アイーシャが(正当な)怒りを相手にぶつけていたとしたら、どうなったでしょうか。相手との溝はますます深まったでしょう。そして、相手に、人種問題を考え直させる機会を与えることもできなかったでしょう。

 これらの感動的なエピソードが詰まった「Beyond Fear(怖れを超えて)」という著書は本当にお勧めです。人種問題の解決はここにしかないだろう、という気持ちにさせてくれます。日本語に翻訳できれば良いのですが、どちらか関心のある出版社をご存知でしたらご紹介ください。(日本の出版界の景気の悪さは、良書の紹介をどんどん難しくしていると思います。)

 社会正義とアティテューディナル・ヒーリングについては、また次回にも続けます。
 

アティテューディナル・ヒーリングの原則12

☆☆☆

12 どんな人も、愛を差し伸べているか助けを求めているかのどちらかととらえることができる。

この原則は、人間関係の中で利用できる並外れた道具です。人とやりとりするときにこの原則を頭に入れておくことができれば、人間関係をより望ましい形にすることができるでしょう。人間関係の中で、相手が私たちに愛を差し伸べているのだということが明らかである場合、ふつう、何の問題も起こらないものです。愛とサポートの気持ちを受け取り、愛とサポートで応えることができます。何の葛藤も感じませんし、問題は難なく解決するように見えます。

 反対に、何らかの理由で自分が攻撃されていると感じる場合には、防衛の姿勢をとり、逃げるか攻撃し返すかをしがちです。逃げる姿勢で反応しても、戦う姿勢で反応しても、行動につながります。これは、自分を傷つけずに守るように学んできた、条件反射なのです。私たちを攻撃しているように見える人を、怖れから行動している人だと見ることができるようになると、その状況の力動について全く新しい次元で見ることができるようになります。
この原則を、他の原則と共に、さらに発展的に利用できるようになるために、まず自分の心の焦点を変えるところから始めましょう。どういうことかと言うと、ここでもまた、自分の気持ちについて責任をとり、ストレスが起こる瞬間に私たちに起こる反応について他人のせいにしない、ということです。

 私たちが責任を持っているのは自分自身の心の平和であって、他の人のことではありません。人の話を聞くときにこの原則に焦点を当てていれば、攻撃に見えるものが、実は、怖れの表現であり助けを求める声だということがわかるでしょう。そうなると、他の力動が起こり始めます。その瞬間に私たちが自己防衛をしなくなると、エネルギーに変化が起こり、「攻撃者」はそれを感じます。私たちの受け止め方の変化によって新たな力動が起こる余裕ができたため、はじめと同じような切迫感は続かなくなります。この新しい力動は私たちの人間関係のパターンと質を変えていきます。

 これらの原則がきちんと働くようにするには、まず、自分の考えのパターンについて完全な責任をとることを選びます。常に、しっかりとした意識を持っていられるようにします。怖れが現れてくるのは過去や未来なのですから、「今」に生きることは、アティテューディナル・ヒーリングにとって肝心なことです。

 怖れというのは愛と正反対のものであり、両方の枠組みの中で同時に生きることは不可能です。愛の中で生きたいのであれば、過去のものも未来のものも怖れを手放すことによってそれが可能になります。実は、この瞬間にこそ、私たちにはそれができるのです。どういう状況に置かれているとしても。この瞬間に生きることによって、私たちは何が起こっても対処することができます。それが感情的な、身体的な、スピリチュアルな痛みであっても。

 私たちの心を再訓練し始めるには、アティテューディナル・ヒーリングの12の原則のリストを、いつでも目にできるよう持ち歩くと良いでしょう。難しい状況になったら、私たちは直ちに問題の焦点を変えることができるのだということを認識することが大切です。私たちは、望むときにはいつでも役に立つ原則をどれでも選ぶことができます。原則を全て読んでも良いですし、起こっていることと関係のあるものを一つ選んでも良いのです。どのように原則を使おうとも、私たちは自分の態度をすぐに変えることができ、その結果として外で起こっていることの力動を変えることができるのだということがわかるでしょう。外側の状況は実際には変わることも変わらないこともあるでしょうが、私たちの受け止め方を変えることによって、世界を違うふうに見たり感じたりすることができるようになります。

 アティテューディナル・ヒーリングは、やる気と、自覚と、率直さと練習を必要とします。必要なのはそれだけです。失敗のように見えるものによってやる気をなくさないことが重要です。それは、私たちが道を歩んでいく上での学びのための経験にすぎないのです。私たちに起こることは全て、私たちの学びのために起こるのです。そして、そこから、私たちは、学びが決して止まることがないように改めて選ぶことができるのです。
 
☆☆☆

(☆☆☆ではさまれた部分は、パトリシア・ロビンソン著「アティテューディナル・ヒーリングの原則の一つの定義」の邦訳)