予算委員会第一分科会
(2003年2月27日)



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ジェンダーフリー、男女共同参画社会に関して



○水島分科員
 民主党の水島広子でございます。
 本日は、ジェンダーフリーについての政府の見解を伺いたいと思います。
ジェンダーの問題について、ここのところの国会審議や政府の対応がかなり現場に混乱を与えておりますので、きょうは改めて整理をさせていただきたいと思っております。
 二〇〇二年十一月十二日、参議院内閣委員会で福田官房長官は次のように答弁されております。
  男らしさとか女らしさ、これはやっぱり男女という性別がある限りあるのではないかと思います。
ただ、時代が変わり、社会の情勢が変わって、その考え方に多少の違いがあるということがあったとしても、男女の性別というところから出てくるものは、これは否定することはできないと思っております。
このような答弁なわけですけれども、この答弁で、男らしさ、女らしさという言葉を官房長官は生物学的な性として使っているのか、社会的な性として使っているのかが全く私には不明であるわけですけれども、一体どちらの趣旨で使われているのでしょうか。

○福田国務大臣
 確かに私、そういうような答弁をしたことがございますけれども、これは明確な言葉、厳格に言葉を選んでということではないということで使いましたけれども、しかし、一般的に言えばそれでわかるんじゃないかなと思って、私は申し上げたんです。
 そこで申し上げたところは、性別というのは、これは生物学的な意味での違いですね、男女の違い。
すなわち、英語で言えばセックス、こういうことになります。
 念のため申し上げれば、男女共同参画は、男女に差があることを認めず人間を中性化するという考え方ではありません。
生物学的には男女に違いがあるということは当然として認めた上で、一人一人の個性を尊重したような選択を認め合い、性別にかかわりなく個人の能力を十分に発揮できる社会の実現を目指すものである、こういう考え方でございます。

○水島分科員
 そうしますと、先ほどの答弁なんですけれども、  時代が変わり、社会の情勢が変わって、その考え方に多少の違いがあるということがあったとしても、男女の性別というところから出てくるものは、これは否定することはできない ということで、時代が変わって、社会の情勢が変わると、生物学的な性が変わるという趣旨の答弁なんでしょうか、それともこの時点で社会的な性ということをおっしゃっているんでしょうか。

○福田国務大臣
 これは、ジェンダーと言っても、社会文化的な背景をもとにした考え方ですけれども、セックスと言うと、これはもう男女というので生物学的に明確に分かれているわけですね。
とはいいながら、その見方、考え方というのは、昔と今といろいろな考え方があるでしょう。
多少違いがあるということはお認めになると思うのです。
それはジェンダーの部分に踏み込んでいる表現かもしれぬけれども、しかし、そういう見方があるということ、それから男女間の問題とか、そういうことにおいてはやはり時代によって多少の違いが出てきているのじゃないかなというように思いますので、そういうふうな表現を使ったということです。

○水島分科員
 しつこくて申しわけないのですけれども、時代によって変化が出てくるのはジェンダーであって、生物学的な性は、れっきとした雄雌の、人間が生き物である以上はあるものであって、そうしますと、官房長官がここで否定することができないと言っている男らしさ、女らしさというもの、これは一体どちらなんでしょうか。

○福田国務大臣
 ジェンダーのもとはやはりセックスだと思うんですよ、やはりセックスが根源にあるのです。
ですから、ジェンダーと言った場合にセックスを無視するわけにいかないということですから、言ってみれば一緒のものだと。
ただ、セックスは生物学的な違いだということで、これは生物学的には違うんですよ、生物学的には違う。
だけれども、セックスと言っても、そこのところは微妙なところですけれども、私なんか昔のセックスと今のセックスと何か違ったような感じがするので、そういうふうに申し上げた。
これは文化的な部分が入っているかもしれません。

○水島分科員
 今、官房長官はなかなか重大な発言をされているわけですけれども、ジェンダーのもとはセックスである、それは確かにおっしゃるとおりだと思いますし、だからこそこの問題は慎重に扱っていかなければいけないと思っております。
 生物学的な性別であるセックスというものは明らかに存在しているわけです。
例えば男性には月経もありませんし、妊娠、出産もない、これは歴然とした事実であるわけです。
そのことを認めて尊重した上で、機会の均等ができるだけ妨げられないようにするのが男女共同参画社会基本法の理念であると思っておりますけれども、私の理解は正しいでしょうか。

○福田国務大臣
 そうですよ、そのとおりだと思いますよ。

○水島分科員
 そうしますと、セックスによってジェンダーがつくられてきたという歴史があります、もちろん。
女性の方が、女性は子供を産むから、ずっと仕事をするのには向かないんじゃないかとか、そういう考え方がいろいろあって、女はうちにいるもの、男は外で働くもの、それは一つのジェンダーと言えると思うんですけれども、そういうことによって女性にとって例えば働く機会が失われるとしたらそれは問題だというような考えからつくられてきているのが、この男女共同参画社会基本法であるという理解でよろしいでしょうか。

○福田国務大臣
 要するに、ジェンダーが違う、そしてその結果、そのジェンダーというものをもう少し社会的な意味で考えれば、女らしさとか男らしさとかいったようなものが出てくる。
それは、その時々で違うことはあるんですよ。
それはお認めになりますね。
昔と今じゃ違うでしょう。
しかし、男らしい職業、例えば自衛隊だと。
自衛隊隊員、最近、女性も大分入ってきていますけれどもね。
それから、女らしい、今、看護婦、これも男も入ってきていますけれども、看護婦も女らしいと。
こんなふうな社会的な通念というのがありますよね。
ですから、そういうように、昔は軍隊に女性というのは恐らく考えられなかった、看護婦も昔は男は考えられなかった、こういうことはあったと思いますね。
ですから、そういう社会の変化によって、やはりそういうものはだんだん変わってくるということはあるわけですよ。
 ですから、それは、しかし、ジェンダーということもあるんだけれども、女性は例えば腕力がないとか、それから看護婦さんは女らしい優しさがあるとか、こういうことを言うと問題になるのかもしれぬけれども、だけれども、そういう社会通念というのはないということは言えないでしょう。
ですから、そういうようなことも含めて女らしさ、男らしさというものがある、その根源はセックスだ、こういうことです。

○水島分科員
 今のは私は大変重大な問題発言だと思いますけれども、官房長官がまさか本気でそんなことを思っていらっしゃらないと思うので、少し考え方の整理をさせていただきたいと思うんです。
 今おっしゃったように、男らしい職業、女らしい職業という考え方そのものがジェンダーであると思いますけれども、結局、そのような、例えば、看護の仕事は女らしい仕事だからということで……(福田国務大臣「そういう通念」と呼ぶ)そういう通念があるということのために、ある男性が看護職につきたいことを妨げられるとすれば、それはよくない、一人一人がそういう個性、能力があるのであれば看護の仕事ができるようにしていこうとするために男女共同参画社会基本法がつくられているのではないかと思っているんです。
 ですから、恐らく、官房長官がおっしゃっている、否定するものではないというのは、そういう通念を持っている人の存在を否定するものではないというふうに答弁していただかないと、多分誤解を招いて……(福田国務大臣「そう言っているじゃないですか」と呼ぶ)いや、そういう人の存在をじゃなくて、そういう通念はあるというふうにおっしゃっていたので、そこはちょっともう一度きちんと言い直して、官房長官の発言は重大ですので、ぜひもう一度言っていただきたいんです。
そういう通念を持っている人たちが存在することによって個々人の自由な選択、希望がかなえられないことを、なるべく政府としては個々人の個性を尊重するような立法措置としてこの男女共同参画社会基本法をつくっているんだというような趣旨の御答弁、あるいは、今のことでそのとおりだと言っていただいても結構なんですが。

○福田国務大臣
 委員のおっしゃっていることと私の考えていることと違わないですよ、同じこと。
同じことを言っているんですよ。
ただ、余りワンパターン化してしまうということについては、強制をするとかいったようなことがあって、それはかえって個人の自由を妨げるということになるから、そういうことで社会をまとめようというような考え方はよくない、私はこういうふうに考えているんです。

○水島分科員
 私の考えと同じだと言っていただいたので大変自信を持ちましたけれども、そのワンパターン化ということなんですけれども、次に進ませていただきたいんですが、ジェンダーフリーという言葉についてなんですが、最近、自治体のプログラムなどで、ジェンダーフリーと名前のついたものが認められなくなるというような動きがあると聞いております。
 二〇〇二年の十一月十二日に、男女共同参画局の坂東眞理子局長はこのように答弁をされているわけですが、  ジェンダーという言葉は、社会的、文化的に形成された性別という意味で男女共同参画基本計画においても使用しておりますけれども、ジェンダーフリーという用語はアメリカでも使われておりませんし、北京宣言及び行動綱領や最近の国連婦人の地位委員会の年次会合の報告書などでも使われておりません。
もちろん、日本の男女共同参画社会基本法、男女共同参画基本計画等の法令においても使用しておりません。
  したがって、我が局、男女共同参画局としては、ジェンダーフリーの公式的な概念はこれこれでございますということをお示しできる立場にはございませんけれども、現在、一部に、男性と女性の区別をなくするんだ、男性と女性を画一的に扱うんだ、画一的に男性と女性の違いを一切排除しようという意味でジェンダーフリーという言葉を使っている方がいらっしゃる、そういうことは大変一部に誤解を持たれているんだなと思いますが、男女共同参画社会はこのような意味でのジェンダーフリーを目指しているのではなくて、男女共同参画社会基本法で求められているとおり、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる社会、男女が差別を受けることなく、対等なパートナーとして様々な分野に参画し、利益も責任も分かち合っていけるような社会を目指しているというふうに思っております。
というような答弁なんですけれども、この答弁を受けまして、一部の人たちは、ジェンダーフリーの考え方を政府が否定したと、鬼の首をとったかのように興奮をしているわけでございます。
 もちろん、男女共同参画社会として局長が求める社会像については、私には全く異議はございません。
でも、「このような意味でのジェンダーフリー」という表現には疑問を感じます。
ジェンダーというのは社会的、文化的に形成された性別という意味であるということをおっしゃった上で、そこからフリーになる、解放されるという言葉なわけですから、生物学的な性別まで否定するわけではないということぐらい、これは英語が堪能な局長であれば御存じなのではないかと思います。
 確かに、ジェンダーフリーという用語はアメリカでも使われておりません。
でも、アメリカ人と、あるいはヨーロッパの人と国際会議などで英語で話す際にジェンダーフリーという言葉を使った経験からいいますと、それはとてもよい表現なので浸透させていきたいというような反応が得られております。
日本でも、市民団体や地方自治体などのパンフレットやホームページなどをいろいろと調べてみましたけれども、ジェンダーにとらわれない、ジェンダーに縛られないという趣旨で正しく使用されており、生物学的な性別まで否定するようなものは私は見つけることができませんでした。
 ジェンダーフリーは、あくまでも、ジェンダーからフリーになることという意味だと思いますので、「このような意味でのジェンダーフリー」という答弁はおかしいのではないでしょうか。
ジェンダーフリーという用語をこのような意味で用いるのは不本意だとでも答弁すべきだったのではないかと思っております。
聡明な局長が生物学的な性差と社会的な性差の違いもわからないとは思えませんので、ぜひここで答弁を修正していただければと思います。

○坂東政府参考人
 お答えいたします。
 御指摘のとおり答弁をしておりますが、それは本当に一部に、現在、一部にですが、男性と女性の区別をなくするんだ、男性と女性を画一的に扱うことがジェンダーフリーなんだという意味で使っておられる方がいらっしゃいますので、そうではないんだ、男女共同参画というのは、そういう、画一的に扱うジェンダーフリーを目指しているのではないという意味で申し述べております。
 そしてまた、このジェンダーフリーの公式的な概念というのがまだきちんと定義されておりません。
委員がおっしゃいましたように、社会的な、文化的な、形成された役割からの抑圧あるいは差別をなくするという意味で使っていらっしゃる方もいらっしゃいますけれども、そうではなしに、先ほど申しましたように、本当に、画一的に扱うんだという意味で使っていらっしゃる方もいるということで、その定義がはっきりしていない、そしてまた、我々自身もその定義をするべき立場にないということでお答えをしたものでございます。

○水島分科員
 そうしましたら、官房長官にお答えいただければいいかと思うんですが、では、今私が言ったような趣旨でのジェンダーフリーということを言いたい場合にはどういう言葉を使えばよろしいんでしょうか。

○坂東政府参考人
 僣越でございますが、性にかかわりなく個性と能力が尊重され、発揮できるという意味で使っていただければと思います。

○水島分科員
 ジェンダーという言葉の定義はあるということですので、例えばジェンダーに縛られないとか、ジェンダーにとらわれないとか、そういう表現でもよろしいでしょうか。

○坂東政府参考人
 男女共同参画基本計画では、ジェンダーに敏感な視点を持って男女共同参画社会を推進する、いろいろな社会制度を見直していくというふうな使い方をしております。

○水島分科員
 それでは、そういうジェンダーフリーという片仮名言葉がいけないというレベルの話であれば、ジェンダーに縛られないというふうにただ使いかえればいいだけなのだということが理解できました。
政府が、男女共同参画社会基本法という法律を持ちながら、ジェンダーからの解放という考え方を否定したという一部の報道が正しいとはまさか思っておりませんでしたけれども、本日、そのとおりであるということがわかりまして、大変安心をいたしました。
 官房長官は、フェミナチという言葉を聞いたことがございますでしょうか。

○福田国務大臣
 今初めて聞きました。
済みません。

○水島分科員
 もちろん、知っていなければいけない言葉ではありませんので、結構なんですけれども、私も別に日常的に使っている言葉ではありませんが、最近どうも私のような人間がフェミナチと呼ばれているようでございます。
この言葉こそ正確に定義されていないので、私もよくわからないんですけれども、多分、私の察するところ、フェミニストナチズムというようなことの略語ではないのかなと思いまして、それこそ、先ほどからおっしゃっているように、画一的に何かを押しつけようとしている人というふうにどうも曲解されているように思っております。
 ただ、男女共同参画、あるいは私が使う意味でのジェンダーフリーというのは、画一的なジェンダーの枠にとらわれずに、それぞれがそれぞれの人らしく暮らしていくという考えだと思いますので、そういう意味ではナチとは全く対極の位置にあると思いますけれども、私の考え方は正しいでしょうか。

○福田国務大臣
 よろしいんじゃないですか。

○水島分科員
 それでは、私のような人間をフェミナチと呼ぶのは正しくないということを、官房長官にお墨つきをいただきましたので、ぜひこれからもまた自信を持って、多様な価値観が尊重される社会の実現のために頑張ってまいりたいと思っております。
 また、もう一つ気になっている表現なんですけれども、ジェンダーフリーの行き過ぎとか、行き過ぎたジェンダーフリーとか、そのような表現をこのごろ一部で見かけるわけでございます。
ジェンダーフリーというのが、私の使う意味では、ジェンダーからの解放、ジェンダーにとらわれない、そういう枠を取り払うという意味で使う限りは、枠を取り払い過ぎるということは理屈からいってあり得ないと思うんですけれども、これもよろしいでしょうか。

○福田国務大臣
 個人がその能力を発揮するという社会をつくりたい、活力ある社会をつくりたいという観点からいえば、それが強制されるとか、そういうことでなければよろしいんじゃないでしょうか。

○水島分科員
 強制というのがあくまでも枠ということなんだと思いますので、また何らかの生き方の枠にその人をはめて無理やり強制するなんということになりますと、本来の、枠から解放されるという趣旨に反することですので、強制というのはそこでは全くあり得ないと思っておりますけれども。
 そうしますと、ジェンダーにとらわれないという姿勢が行き過ぎるということはないと言ってよいですね。

○福田国務大臣
 ですから、再三申し上げているように、それは個人の自由なんですね、そういうことは。
 ただ、社会規範とか、社会的な制約というか、無言のルールとか、いろいろなのがあるんだけれども、そういったようなものを全く無視していいかどうかというのは、またそこでケース・バイ・ケースで考えていかなければいけないというふうに思っています。

○水島分科員
 今、官房長官がおっしゃったのは、もっと根本的な話であって、基本的人権に関しても、それは他者の人権を配慮しながら生きていかなければいけないとか、多分そのレベルの話だと思いますので、このジェンダーの問題に限ったことではないと思います。
今の御答弁からは、少なくとも私が使っている意味ではジェンダーフリーの行き過ぎということはあり得ない、個人が自由になり過ぎるということはあり得ないと。
それが他者の自由を侵害する場合にはもちろん問題になりますけれども、自由そのものとしては問題にはならないということが理論的にも確認されましたので、またこちらも自信を持って進めてまいりたいと思います。
 また、二〇〇二年の十一月十五日の内閣委員会におきまして、副大臣が、「十二日の参議院内閣委員会における質疑応答を刷り物にいたしまして、近日中に全国の都道府県に送付することを決定しております。
」と答弁されております。
これを受けて、実際に十二月四日付で「国会の質疑について」という文書が、都道府県、政令指定都市に送られ、市町村にも周知徹底させることと書かれております。
 このような国会の審議の様子が自治体に送られるというのは、余り日常的なことだとは思わないんですけれども、何を意図してこのようなことをされたんでしょうか。

○米田副大臣
 冒頭からの官房長官と委員の質疑を伺っておりましたが、まさに、さまざまな誤解や食い違いやすれ違いや、いろいろな議論がこの間あったわけでございますし、現在もあるわけであります。
 したがって、男女共同参画社会形成のための国の基本的な考え方、本当に基本中の基本の部分についてのやりとりがさきの国会で行われたというふうに考えております。
言ってみますと、この男女共同参画社会基本法等に関する国の施策の基本的な考え方の理解を一層深めていただく、こういう趣旨で国会の質疑を取りまとめたものを地方公共団体に送らせていただいたわけでございます。

○水島分科員
 ところが、私もそれを拝見したんですけれども、また議事録も当然当時から拝見しているんですけれども、きょう私がこれだけ確認しなければならないほど、ちょっとわかりにくい内容だったということなんです。
そうしますと、それを整理させていただいた本日の私のこの質疑に対する答弁も、各自治体に送っていただけるんでしょうか。
 官房長官のツルの一声でも、言っていただければ。

○坂東政府参考人
 先ほど副大臣から御答弁なさいましたように、男女共同参画に対する政府の考え方を地方公共団体に伝えることは大変重要なことだと思いますので、御指示を仰いで、できるだけ情報を提供したいと思っております。

○水島分科員
 そうすると、指示をされる立場である官房長官は、本日のこの質疑の内容、答弁、各自治体に同じように送っていただけますでしょうか。

○福田国務大臣
 恐らく、そうするんじゃないかと思いますよ。

○水島分科員
 私も、この分野に関して、決して普通の人よりも知識が少ない方だとは思わないんですけれども、それをもって読んでも政府の答弁というのはよくわからないところが多かったので、それで本日、そのような声を代弁して、ここで確認をさせていただいたわけでございます。
あちこちで混乱されている方がいらっしゃいますから、ぜひ、今官房長官がおっしゃってくださったように、本日のこの会議録につきましても各自治体に送っていただけますように、改めてお願いを申し上げます。
 本日の結論ということになりますけれども、そうしますと、内閣府としてはというか政府としては、ジェンダーフリーという言葉をきちんと定義した上であれば、ある自治体なりある市民団体なりが、これはジェンダーにとらわれないということを意味するのだということをきちんと定義した上であれば、自治体などが使っても問題ないと考えられておりますでしょうか。
また、私が地元に戻りまして、地元の自治体の方に、政府はそう言ったというふうに申し上げてよろしいでしょうか。

○福田国務大臣
 先ほど坂東局長からも答弁いたしましたけれども、ジェンダーフリーという言葉はいかなる場合でも使ってはいけないということではないので、誤解を招くような、そういうおそれがあるので政府として公式に使っていない、こういうことですね。
ですから、使用する際に、例えば地方公共団体とか関係機関において用語を適切に定義して、それが誤解なく理解されるようにする、これが大事だと思います。

○水島分科員
 そうしましたら、何だか慌ててジェンダーフリーという名前のついたプログラムをやめているなんという話も少し聞いておりますけれども、そういうところでももともとジェンダーフリーとはということで定義されて使っているところが多いですので、それであれば慌ててこの国会の答弁の結果を受けて取りやめる必要がないということで確認させていただけたと思います。
 本日、大体、私の頭の中で、あるいは多くの方たちの頭の中で混乱していたことが官房長官によってきちんと整理されたということで、大変うれしく思っております。
あくまでも、最初に官房長官がおっしゃいましたように、ジェンダーというのは、確かにもともとはセックスと切り離せない関係のところから出てきたことは間違いのないことでございまして、だからといって、そのことによって個々人の機会均等、先ほど官房長官は何か女性の方が腕力が弱いとか何とかおっしゃいましたけれども、例えば、私、女ですが、私よりも腕力の弱い男性もいらっしゃるわけですし、例えばあと、よく子育ては女に向いているからといって保育園の先生は女の仕事だというふうに言う方もいらっしゃるけれども、私はやはり、子供が嫌いな女性よりは子供が好きな男性に自分の子供を預けたいと思います。
このような考え方は官房長官には支持していただけますか。

○福田国務大臣
 支持します。

○水島分科員
 ありがとうございます。
 ですから、官房長官もぜひ、私ごときから申し上げるのは僣越なんですが、これから答弁なさるときに、男らしさ女らしさはありますなんというふうに、否定できませんというふうに答弁されてしまうと、官房長官もそのような人たち、そのような価値観の人だというふうに思われてしまいますので、そういう価値観を持った人がこの世の中に存在していることは理解をしている、ただ、そのことによって個々人の自由な選択が妨げられないように努力していくのが政府としての務めではないか、そのような……  違いますか。
違えば言っていただきたいんですが、そのように言っていただければと思うんですが、いかがでしょうか。

○福田国務大臣
 趣旨はよくわかっています。
しかし、言葉遣いで、女らしさ男らしさ、こういうところで男らしさ女らしさという、その定義のような話をしているときには問題になるかもしれぬけれども、一般的にはそういう言葉はあるし、また、そういうものがあって楽しい社会ということもあるかもしれぬ、そういうことも考えて判断していくべき問題だと思います。

○水島分科員
 もちろん、官房長官がお友達とお話なさるときは、もうどんな表現を使われても御自由だと思うんですが、今は男女共同参画を推進していく官房長官というお立場にいらっしゃるわけですので、官房長官として御発言になるときには、その男らしいとか女らしいという言葉のためにどれほど多くの男性、女性が機会を奪われてきたかというようなことをぜひ頭に置いていただいて……(福田国務大臣「それほどのことはない」と呼ぶ)それほどのことはないと……(福田国務大臣「気にしなくていいですよ」と呼ぶ)気にしなくていいとおっしゃるんですけれども、先ほどおっしゃったように、例えば、えっ、男のくせに看護の仕事をするのとか。
 ですから、そういうことで、かなりそのことについて敏感になっている方がいらっしゃるので、ぜひそういった一人一人の方たち、あるいは官房長官がここで発言されたことで、自分の職場で、ほらごらん、男らしさ女らしさというのはあるんだと言われている、本当に一人一人の方たちのことをぜひ思いめぐらしながら、これからもまた前向きな御答弁をいただけますようにお願いいたします。
 きょうは、別に官房長官にけちをつけに来たわけではございませんで、今までの答弁をちょっと確認させていただきたくて伺ったわけです。
私が期待したとおりの御答弁をいただきまして、ありがとうございました。
ぜひこれからも男女共同参画社会の推進のために御尽力いただけますようにお願いいたします。
 ありがとうございました。






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