衆議院憲法調査会
「基本的人権の保障に関する調査小委員会」
(2003年6月5日)



質問バックナンバー|HOME

伝統と道徳の定義。
夫婦別姓は非道徳的?



○大出小委員長
 これより会議を開きます。
 基本的人権の保障に関する件、特に基本的人権と公共の福祉について調査を進めます。
 本日は、参考人として千葉大学法経学部助教授小林正弥君に御出席をいただいております。
 この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
 本日の議事の順序について申し上げます。
 まず、小林参考人から基本的人権と公共の福祉について、国家、共同体、家族、個人の関係の再構築の視点から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑に対しお答え願いたいと存じます。
 なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 御発言は着席のままでお願いいたします。



<中略・詳しくは衆議院HPをご覧下さい。>




○大出小委員長
 次に、水島広子君。

○水島小委員
 民主党の水島広子でございます。
 本日は、小林参考人、本当に貴重なお話をいただきまして、ありがとうございました。
日ごろ考えておりますことに理論的な根拠づけをいただいたような気もいたしまして、大変勇気を持たせていただいたところでございます。
 幾つか確認をさせていただきたいと思うんです。
 まず、コミュニタリアニズムというのは、きょう先生からは非常に学術的なお話をいただいたわけでございますが、これは、平たく言いますと、自分が暮らす社会とか、あるいは自分が子供たちや孫たちに提供していく社会というものをよりよくしていこうとしていくような、そういう自然な気持ちに基づくものと考えてよろしいのでしょうか。
先生も先ほどちょっと触れていらっしゃいましたが、これはつまり、広い意味での幸福追求というように解釈してよろしいものなんでしょうか。

○小林参考人
 それで大体結構でございます。
 ただ、コミュニタリアンの場合は、ローカルな共同体の伝統とか、それを前提にした人々の意識に基づく自治、この辺を強調いたします。

○水島小委員
 ありがとうございます。
 先生が資料の一枚目で最初に触れられておりましたコミュニタリアニズムの中で重要視されるもの、「自由、善、共同体、伝統、美徳一般、責務」とありまして、今先生がおっしゃったようなことでもあると思うんです。
 この中で、大体理解できるんですけれども、伝統というものの位置づけだけ御説明いただけますでしょうか。

○小林参考人
 通常のコミュニタリアンは、伝統の中で、例えば人生どう生きるべきかという理念があり、善を規定するものがあるので、人格形成のために伝統が重要であるというふうに説くわけですが、ただし、この伝統自体も時代によって変わっていくものですし、また、その時代に生きる人々の考え方によって伝統自体は変わるわけです。
ですから、不変のものとして伝統を考えているのではなくて、伝統自体も変わっていく、また、人間はそれを変えていく存在だ、こういうふうな観点で私は考えております。

○水島小委員
 つまり、伝統というのは、伝統というものがあって、それが現代に生きる人たちを圧迫するというようなものではなくて、そこで暮らしている人たちが自発的につくり出してきたルールのようなものと考えてよろしいんでしょうか。

○小林参考人
 コミュニタリアンにいろいろなものがありまして、保守的なコミュニタリアンは割と伝統的な伝統を強調する。
また、それに対して、伝統の変革の可能性、それを選択する可能性というものを強調しております。

○水島小委員
 ありがとうございます。
 この中で、道徳とか美徳一般とかモラルとか、そのような言葉で語られていると思いますが、この道徳というものを先生はどのように定義していらっしゃるか、教えていただけますでしょうか。

○小林参考人
 倫理と言うときには非常に内面的な要素を強く考えると思いますけれども、道徳の場合、やはり社会である程度共有されている価値というものにウエートを置いて考えております。

○水島小委員
 社会である程度共有されている価値というのは例えばこんなレベルのものだというのを、もう少し御説明いただけますでしょうか。
例えば、人に暴力を振るってはいけないというようなレベルのことなのか、人のものを盗んではいけないというレベルのことなのか、あるいはまたもう少し違ったレベルのことなのかというのは、どのあたりの話なんでしょうか。

○小林参考人
 そういった一般的な意味での道徳ももちろん含みますし、地域と時代においては、例えば中国であれば、儒教が強かった時代には儒教的な倫理観というのが非常に強かったわけですね。
今日、あるいは、プロテスタンティズムが強い地域ではプロテスタントの道徳というものがあります。
ですから、これは場所と時代によって変わるわけですけれども、そういった宗教的ないし文化的な要素も広げて考えております。

○水島小委員
 道徳のイメージとして、それを守っていれば本当に大体の人が、ある程度生活上の個人としての幸せも満たされるというようなものなのか、あるいは、時によっては、ある人にとっては道徳に従うということが苦痛でしかないようなものなのかというと、どちらのイメージになりますでしょうか。

○小林参考人
 私は、本来の道徳は個人を幸せにするものだと思いますけれども、全部の道徳がそうだとは言えないので、封建的な道徳というものがあった時代があることは確かだろうと思います。

○水島小委員
 こういうことを先生に御質問すべき質問なのかどうか、これは政治の場で議論しなければいけないことなのかもしれませんけれども、私は、かねてから、選択的別姓を認めるという、夫婦別姓のことに取り組んでおりまして、これをやっていると、道徳的じゃないとか倫理的じゃないとかいつも言われたりするんですけれども、私は決してこれは道徳的じゃないと思っていないんですが、先生の御意見はいかがでしょうか。
 つまり、いろいろな形の家族が現に存在しているし、いろいろな形の家族が存在していて、その中で求められている道徳というのは、きちんとそこの地域に住む家族として地域に参加をしていくことであるとか、あるいは家族で子供を持っているのであれば子供をきちんと養育していくことであるとか、そういうことが求められている道徳であって、どういう名前を名乗るとか、そういうことはちょっと違う次元のような気もしているんですけれども、先生の御意見を伺えれば幸いでございます。

○小林参考人
 コミュニタリアンは、やはり共同体の一つとして家族を非常に重視します。
その意味では家族制度は非常に大事だと思っているんですが、同時に、家族というのは時代において変化するものです。
ですから、おっしゃったような問題というのは、変化の中の新しい共同体、家族のあり方に対応する一つの制度だろうと思っております。
 ただ、この問題、私も確たる見解はないのですけれども、夫婦の間の問題だけではなくて、子供とか将来世代の観点から見るとどうなるかということを考えるのがやはり大事だろうと思っております。

○水島小委員
 今、子供とか将来世代へということをおっしゃって、私もそういう観点は非常に重要だと思うんですけれども、この道徳というものと、現にいろいろな形の家族がもう存在してしまっているということとの関係の中で、封建的な時代にはいろいろな人たちが苦しんできたという歴史があったと思うんです。
やはり、そこから脱して自分たちで新たなモラルをつくっていこうとするのが恐らく先生もおっしゃりたいことかなと思うんですけれども、その場合には、やはり子供のこと、将来のことを考える上で、それぞれの人が積極的に参加できるような形の新たなモラルであれば、ある程度、子供のこと、将来的なことというのもプラスの効果を生むのではないかと思うんですけれども、いかがでございましょうか。

○小林参考人
 私もそうなることを希望しているんですが、ただ、コミュニタリアンの議論の背景にアメリカの家族制度の崩壊がございまして、これが犯罪率の上昇等の現象をもたらしている、だから家族が必要だという議論が出発点にありますので、これをクリアするための対策というものを考えることが同時に大事かというふうに考えております。

○水島小委員
 本当におっしゃるとおりで、やはり家族がきちんと信頼して、お互いに愛情を持って暮らしていくようなことであるとか、あるいは、どうしても事情から離婚しなければいけないようなときにも、人間としての尊厳をお互いに侵し合わないように関係を維持していくこととか、子供と親との関係は、きちんと親子関係は持ったまま離婚していけるようにしていくこととか、限りなく道徳的にやっていくということは必要だなと私も思っておりまして、先生も恐らく今の御趣旨、そのようなことだと受けとめさせていただきました。
 さて、先生のお説の中でも、また私もそう思っておりますが、国家から押しつけられる公ではなく、積極的な公共の精神というものが必要なんだ、そういうことだと思うんですけれども、これを教育現場に応用させていこうとすると、どんな形になりますでしょうか。
あるいは、どんな、今までいろいろなお説がございましたでしょうか。

○小林参考人
 つまり、公共の精神の形成のためには、例えばディスカッション、議論をして、何がいいかという決定プロセスというものを練習する過程が大事だと思うんです。
 例えば、公民というような教科がありますけれども、これまでそういうようなことは必ずしもトレーニングされていたとは思えないので、これを教育の現場で展開する。
しかも、それが自分の個人的利益ではなくて、全体の利益につながるような結論を見出す、そのための手法を身につける、そういうトレーニングをすることが必要かと思います。

○水島小委員
 大変うれしいお答えをいただきまして、ありがとうございます。
 また、何か次々と矢継ぎ早に質問して申しわけないんですが、先生にいただきました資料の四ページ目にもございますが、「社会的保守主義は価値の法制化を図ろうとするが、逆効果や歪んだ効果を招く」と書いてあります。
これは本当に私は実感していることでございまして、常に立法者が気をつけなければいけないことだと思っているんですが、これをどうしても理解していただけない方たちが国会の中にもいらっしゃいまして、こういうのを定めれば絶対社会はよくなるんだと、多分善意からだと思うんですが、信じられている方たちがいらっしゃるんですが、これがどういうゆがんだ結果を招いてきたかとか、そのような実例を、先生、学問的な立場から少し御説明いただけますでしょうか。

○小林参考人
 アメリカで一番典型的に挙げられるのは、禁酒法の制定ですね。
プロテスタンティズムの観点から酒は不道徳なものであるということをした結果、マフィアの非常に大きな繁栄を招くし、一方お酒の方は減らなかった、結局法律はやめざるを得なかった。
これが最大の例として挙げられています。

○水島小委員
 本当にそのようなことだと思います。
 きょう、本当に、今まで矢継ぎ早に質問をしてまいりまして、先生も御協力をいただいててきぱきとお答えをいただきましたので、聞きたいことが大体聞けて本当にありがたく思っているところなんです。
 まとめますと、そういう価値を法律にしていくのではなくて、やはり今ある憲法、きょうまた憲法の新たな価値というものを再認識させていただいたわけでございますが、その中で、とにかく今できることを道徳的にやっていこう、この可能性をもっと追求していく中でまた社会的なモラルを向上させていくのがまず我々がすべきことである、そのために立法措置が必要なものは立法していく、そのようなふうに解釈をさせていただきましたが、最後に、その点だけ御確認をいただけますでしょうか。

○小林参考人
 全くそのとおりであります。

○水島小委員
 本当にありがとうございました。







質問バックナンバー|HOME