【コラム】

この人、デジタル? 

(暮らしの手帖53 8-9月号 2011)

*依頼はしたものの、正式な許可はいただけていないのですが、重要な内容だと思いますので、著作権に基づいて、一部改変してご紹介します。

私はかつて衆議院議員だったこともあり、テレビに知人がよく出てくる。自分が実際に知って尊敬している人が出てくると「この人すごくいい人なんだよ」などとつい言ってしまう。

しかし、我が子(中2と小4)から「この人、いい人? 悪い人?」と聞かれるようになって、違和感が強まってきた。他人に対して、「いい人」「悪い人」という評価を下すような人間に育てたいと思っているわけではないからだ。むしろ自分自身が日頃、個人として、また仕事や社会活動の中でも取り組んでいることは、評価を手放すこと。他人に評価を下す姿勢がどれほどの苦しみや争いを生むかを痛いほどわかっているつもりだ。

自分が何気なく言ってきた言葉が子どもたちに「いい人」「悪い人」という評価の物差しを作ってしまったということになる。反省しつつ、しかしこの際こういう話をするのも悪くないと思い、「人間には本当はいい人も悪い人もいないんだよ」と言ってみた。もちろん、それまで私から「この人すごくいい人なんだよ」と言われて育ってきた子どもたちは混乱している。

「ええとね、みんな基本的にはいい人で、がんばっているんだけど、それでもできることとできないことってあるじゃない」と言うと、子どもたちはうなずいている。「たとえば、何かがすごく心配だと頭がキーッてなってしまって、人のことをものすごく怒ってしまったりとかするんだよね。じゃあその人が悪い人かって言うと、そういうわけでもないじゃない。安心すると優しくなったりするし」子どもたちは身近な大人たちのことを思い浮かべたのか、うなずいている。

「でも戦争をしたがる政治家は悪い人だよ」と上の子が言うので、そういう視点も尊重したいと思い、「戦争をしたがる人っていうのは、自分が正しいと思っていて、その通りにしないと世の中がおかしくなるっていう心配が強い人なんだと思うよ。でも何が正しいかなんて、その人によって考え方が違うでしょう。それぞれが一生懸命やって、他の人のことを殴ったり殺したりとかしなければまあいいんじゃないって思うタイプの人と、いろいろ決めないと世の中がおかしくなってしまうという心配が強いタイプがいるんだよね。学校の先生でもいろいろいるじゃない」これは子どもたち、うなずいている。

「まあそれぞれが一生懸命やればいいんじゃない、と思っている人をリベラルって言うんだよ。だから今まで『いい人』って言ってきた政治家の人たちは、だいたいリベラルな人たちっていうこと。要は心配の強さの話だね」と言ってみた。「そういう意味では、かか(私)はわりとリベラルなお母さんなんだよ」と言ったら「知っている」と言ってくれたので、まあ子どもたちなりに理解したのかな、と思った。

 しかし、やはり突如として現れた「リベラル」という言葉は難しかったらしい。ある日、下の子(小4)から、「この人、デジタル?」と聞かれて、「デジタルって何?」と聞いたら、「『いい人』の変身」。彼は「リベラル」と言いたかったようだ。