国会報告 その213(2005.01.08発行)

水島広子の活動の様子をお伝えするために、毎週1回、発行しております



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国会報告



■謹賀新年




 昨年は大変お世話になり、ありがとうございました。参議院選、栃木県 知事選、宇都宮市長選、と大きな選挙のあった1年でしたが、国会におい ては、2期目の衆議院議員として、いろいろと重要な仕事をさせていただ きました。

 児童虐待防止法の改正を、概ね満足できる形に仕上げることができ、そ の他、児童福祉法など政府の提出した法案にも、実質的な修正を加えるこ とができました。
 党内では、9月までは「次の内閣」の雇用担当大臣として、主に若年雇 用とパート労働者の政策に取り組みました。9月からは、男女共同参画委 員長として初めて執行部入りをし、党務に関わるとともに、男女共同参画 委員会の活性化に務めてまいりました。12月に訪問した韓国では、いろい ろなことを学びながら、長期的な交流の基盤を作ることができました。
 「次の内閣」は離れましたが、民主党の少子化対策の責任者と、子ども 家庭省の設置準備の責任者は務めさせていただいております。
 また、超党派のチャイルドライン支援議員連盟の事務局長に就任し、党 派を超えた子ども支援にも力を入れてまいりました。

 私自身はそれなりに満足の行く実績を上げてまいりましたが、国政にお いては、病巣がますます深刻になってきています。昨年は、年金制度を根 本から脅かし、世界と日本の平和を根本から脅かすような決定が、国民的 議論はもちろんのこと国会においての議論も尽くさずに、なし崩し的に強 行されました。年金にしても、平和にしても、現状を作るために積み重ね られてきた努力の大きさを考えると、「作るのには長時間かかるが、壊す のは一瞬」ということを痛感しました。また、総理大臣をはじめとする大 臣の答弁の重みがなくなり、改正年金法の条文ミスが国会も通さずに官報 の正誤表で訂正され、いよいよ「何でもあり」の政治になってきました。
 この現状を改善するためには、従来型の政治の手法ではとても間に合わ ないだろうと感じています。また、どのようにしたら政治の構造を「対立 から調和へ」と変えていけるだろうか、と思案する毎日です。本年もどう ぞ変わらぬご指導・ご支援をいただけますようお願い申し上げます。



■訪韓報告(その4・まとめ)




 訪韓報告の最後に、今回の視察の主眼であったクオータ制について、そ してそれを推進した女性運動について、まとめてみたいと思います。

○クオータ制(割り当て制)

 韓国で、クオータ制への動きが明らかになってきたのは1980年代の 終わり頃からでした。1991年に地方自治が再開されることになったた め、その選挙に向けてクオータ制への動きが焦点化されたのです。
 韓国女性開発院でも、クオータ制についてのレポートを出し、選挙の度、 政権が代わる度、各政党が少しずつ受け入れてきたということです。

 1994年に「割当制導入のための女性連帯」が結成されました。1995年の 地方選挙に向け、女性議員が全体の20%に達することを目指しました。
結果として、女性比率は伸びたものの目標には届きませんでした。(1991 年地方選挙では0.9%、1995年は2.2%)金大中政権になって、女性 発展基本法(1996年施行、公務員のクオータ制、女性団体への支援などを 規定)が制定され、2000年には女性部(省)も設置されました。
 2000年には政党法が改正され、国会議員・地方議員の比例代表の女性候 補者を3割以上にするという努力義務が規定されました。努力義務だった ことと、3割であれば順位には条件がなかったため、2000年総選挙での効 果は限定的でした。

 2002年が韓国では「女性政治元年」と呼ばれていますが、政党法が改正 され、地方議会の比例代表候補を5割に引き上げる、名簿順位は男女交互 にする、比率に違反すると候補者登録無効、地方議会の選挙区で女性候補 者を3割以上にした政党には補助金を追加支給、ということが規定されまし た。
 この結果、2002年の地方選挙では、比例代表の当選者のうち女性が67.2 %を占めました。

 2004年に政党法が改正され、地方議会と同様の改正が国会においても行 われ、さらに、政党補助金の10%を女性政治発展のために使うことが義 務づけられました。

 クオータ制導入に向けて一貫して原動力になってきたのが、女性団体で した。女性団体の粘り強い運動があったため、選挙のたびにより本質的な クオータ制が導入されてきたのです。
 現在、女性団体の主張は、「比例の割合を30%から50%に増やすこ と」だそうです。比例の割合は全議席の30%なので、その半数を女性に する現行法には自ずと限界があります。
 このほか、2004年の政党法改正では、女性専用選挙区の新設も議論され たそうです。また、選挙区で女性候補者を3割以上にした政党には現在で も追加の補助金が出ますが、これを義務づけるという議論もあるそうです。 日本では考えられないような議論が自由に、かつ真剣に行われている様子 は羨ましい限りです。

○韓国の女性運動について

 韓国では、女性団体の存在がかなり大きいようです。クオータ制を実現 させた原動力も女性団体です。文民政権誕生後は、進歩的な女性運動のリ ーダーが続々と政界入りをしています。このことがさらに女性国会議員と 女性運動団体のネットワークを強化し、より大きな力を生んできました。
 第一線の女性運動家は同時に重要な民主化運動家でもあった、というこ とは注目すべき点です。このために、女性運動が民主化後の韓国で主流と なることができたのでしょう。

 女性運動団体は、単に政府を批判したり意見を言ったりするのではなく、 具体的な立法案を出します。性売買についての法律も、女性団体からの提 案によって実現したそうです。
 このほか、政策モニタリングをしたり、委員会の傍聴をして議会に圧力 をかけたり、と女性団体は大活躍のようです。

 2003年8月には、全国321の女性団体が連合して「総選挙女性連帯」を 結成。戸主制の廃止や、男女平等の家族政策、女性雇用創出、非正規雇用 者の保護、保育の公共性拡大といった政策項目を要求し、各党の女性政策 を評価しました。

 2003年11月には、「きれいな政治女性ネットワーク」を結成。「女性を 100人国会に送るキャンペーン」を展開し、102名の新人の女性候補者名簿 を発表して、彼女たちを比例代表候補者にするよう各党に対して働きかけ ました。そのうち、選挙区で15名、比例区で31名、計46名が候補者となり、 21名が当選しました。
 この102名のリストを作る際には、梨花女子大学の女性リーダーシップ 開発院も大きな役割を果たしたそうです。

 日本にも女性参政権運動に始まる女性運動はありますが、残念ながら、 それが国会において主流になりうるという現状にはなっていません。また、 女性の年齢が若くなればなるほど保守回帰しているという指摘もあります。 女性運動家たちは(私なども含めて)、「それは一部の恵まれた女性だけ のためのもの。普通の女性はそんなことを望んではいない」などと批判さ れることも少なくないのが現状です。
 韓国ではどうか、と質問すると、質問そのものがピンとこなかったよう ですが、少なくとも「仕事と家庭の両立」か「専業主婦」か、という選択 については、20〜30代では女性のほとんどが就業を希望しており、若 い世代では男女共同参画社会に異を唱える人はまず聞かない、ということ でした。また、女性議員は「全ての」女性のために働くことが当然のこと として要求されているそうで、女性委員会に所属していることで女性票が 入る、という構造も、こういったところに由来しているのかもしれません。 日本よりもはるかに国政における女性議員の存在感があるのでしょう。「 日本の女性議員は女性のために働いていないのでは?」などという厳しい 質問も若手国会議員から出されていました。

 梨花女子大学では、「男女雇用平等法を作るときには、日本の雇用機会 均等法を大いに参考にして作った。ところが、その後、日本よりも韓国の 方が進んでいる。どういうことなのか。韓国が早いのか。日本が遅いのか。」 という質問をいただきました。
 多分両方だろう、と答えたのですが、韓国では、とりあえず法律や制度 を作ってみて、不都合があったら後で調整しよう、というフロンティア精 神があります。一方、日本の立法は、石橋を叩いても渡らないようなとこ ろがあります。
 こういった手法の違いが、それぞれの国でのエネルギーの違いにもつな がっているように思います。
 「どうせ誰がやっても同じ」「どうせ何も変わらない」とため息をつい ているだけの文化を変えたいものです。





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