国会報告(1/26〜2/1) |
■イラクへの自衛隊派遣問題 ★イラクへの自衛隊派遣国会承認★ 1月27日の本会議で、イラクへの自衛隊派遣の国会承認について、趣旨 説明と民主党、共産党の代表質問がありました。この中の総理大臣の答弁 には間違いがあった(小泉首相、前代未聞の「本会議答弁撤回」で後述) ことが後で大問題となりましたが、それだけではなく、例によって内容の ないひどい答弁でした。 いよいよ陸上自衛隊本隊にも派遣命令が出され、日本は戦後初めての大き な政策転換をしようとしています。これが何を意味するのか、ということ についての審議としては、あまりにも間の抜けたものでした。 当日、本会議場にはいつもよりも多くのマスコミが来ていました。本会議 が終わって外に出たときも、マスコミの人たちが次々と議員をつかまえて はテレビカメラの前でインタビューしていました。さすがイラクへの自衛 隊派遣ともなると、メディアも力が入るのだなと思って見ていましたが、 何と、メディアの方たちの対象が「古賀潤一郎議員問題」であることがわ かってびっくりしました。追及しなければならない問題であることは否定 しませんが、今の日本の政治を取り巻く状況を象徴しているようで、違和 感を強く感じました。 ★小泉首相、前代未聞の「本会議答弁撤回」★ 小泉首相は1月27日の本会議で、サマワの治安情勢を尋ねた民主党・原 口議員の質問に対して、サマワ市評議会があるから治安は安定している、 と答弁しましたが、実は市評議会はすでに総辞職していたことが委員会で の民主党の指摘で明らかになりました。 これについて、29日の本会議で、小泉首相は答弁の撤回をしました。 首相が本会議の答弁を撤回したというのは、歴史上例を見ないそうです。 この「撤回」は、陳謝の形もとらず、「市評議会はなくなっても、治安は 安定している」ということをさらに平然と言い放ちました。 でも、サマワの安定の根拠を尋ねたのが最初の原口議員の質問だったので すから、その根拠とした評議会がなくなっている以上、何をもって治安は 安定していると判断しているのかを言わなければ答弁にならないはずです。 評議会があるかないかもわからなかったくせに、現在の治安についての情 報が正しく入っているとはとても思えません。 また、評議会がすでに総辞職していたというニュースは、防衛庁には事前 に入っていたようです。その情報が首相に伝わらないという仕組みも、今 の政権の明らかな問題点です。 ★国会紛糾!★ 1月30日18時、イラク復興支援特別委員会で、自民党議員の質問中、 自民党の次席理事が採決の動議を提出、強行採決が行われました。 強行採決は私も何度か経験していますが、今回は明らかに異常でした。 まず、それまでの審議の中で、小泉首相や石破防衛庁長官の答弁があまり にもひどかったため、委員長も「後刻理事会で協議します」と何度か明言 していました。 それなのに、突然の動議で理事会も開かずに強行採決ですから、民主党の 理事は委員長席に歩み寄ろうとしました。 すると、委員でもない自民党議員が、民主党の理事を阻止したのです。そ れも、暴力を振るったので、民主党の筆頭理事は手から出血、次席理事は 殴られて怪我、という有様でした。 理事が委員長席に歩み寄る、というのは当然認められた権利で、私もやっ たことがあります。 これは、委員会の運営が、委員長と理事の協議で決められている以上、当 たり前のことです。 特に、今回は「後刻理事会で・・・」という発言があったわけですから、 確認のために歩み寄るのは至極もっともなことです。 それを、委員でもない議員が暴力を振るって阻止したというのは、今まで に例を見ないことです。 つまり、審議が続けば続くほど政府側のボロが出るため(実際にボロボロ 出ていました)、一刻も早く審議を打ちきらなければならない、というこ とだったのでしょう。 先日の小泉首相の答弁拒否もそうですが、完全に国会での議論が封殺され てきています。 それも今回は暴力まで振るってということですから、「戦前よりもひどい」 というぼやきが聞こえるのも無理はありません。 この暴挙に対して、議長と副議長に抗議をしました。議長は、自民党の国 対委員長を呼んで、よく話し合うようにと指示しました。 ところが、先ほどの採決は無効であり審議に戻るべきだというこちら側の 主張を与党が受け入れず、結果的に、予算委員会、財務金融委員会を、野 党不在のもと立て続けに開いては採決を重ねました。 23時20分から本会議が開かれましたが、3つもの委員会が強行に採決 されたということは前代未聞であり、こんなやり方を認めてしまうとルー ル無視が定着してしまう、という国対委員長の判断のもと、本会議には出 席できませんでした。 本会議に出て、イラク特別委員長、予算委員長、財務金融委員長の問責決 議案や防衛庁長官や内閣総理大臣の不信任案などをどんどん提出する、と いうのも選択肢の一つでしたが、3つの委員会を勝手に開いて採決した、 という前代未聞の暴挙の前には、本会議場に入らない、という選択肢をと らざるを得なかったようです。 自衛隊派遣の国会承認は参議院へと送られます。が、ここまで国会が不正 常となった中で、どういう戦略をとっていくべきか、大変な難題です。 ■民主党予算案について 「次の内閣」では、民主党予算案の編成作業を続けています。100万人 の雇用創出という民主党の政権公約を可能とする予算案を、マニフェスト を土台にして作っています。 ところで、先日、菅代表の党大会の挨拶をどう予算化できるか、という趣 旨のことをこの国会報告に書いたところ、「何でもすぐに予算、予算とい うのでは、自民党と変わらないではないか。お金を使うことよりも節約す ることを考えなさい」という趣旨のメールをいただきました。 どうやら長年の自民党の金権政治の中で、本来中立的な言葉であるはずの 「予算」という言葉が、何やら金権くさい言葉になってしまったようです。 私は、かねてから「税を征するものは民主主義を征す」という言葉を支持 して、税制調査会の役員を積極的に務めてきました。税金を公正に集めて、 それを公正に分配する、ということが、民主主義社会における政治の重要 な役割です。 予算を見れば、どこに重きを置いている政権であるのかがよくわかるもの です。また、法律の中には予算措置を伴わないものもありますが、予算措 置が必要なものもたくさんあります。 ですから、代表の挨拶を予算化する、というのは、何もハコものを作ろう ということを意味しているのではありません。スローライフを実現するた めには、どのような働き方が必要か?どのような農業政策が必要か? ど のような住宅政策が必要か? ということを考えれば、それを誘導するよ うな政策が必要になってきます。 そのためには、予算のバランスを考え直さなければならないのです。 現在、民主党予算案を編成する上で私たちが心がけているのは、現在の雇 用を創出し、かつ、将来に向けて必ずプラスになるところに予算を使うと いうことです。 ですから、福祉領域や子育て領域、環境領域(例えば緑のダム)に重点的 に予算化するということは価値のあることです。 予算について議論するということは、お金を節約することにも当然つなが ることだとご理解いただければ幸いです。 ■総合雇用対策特別政策会議スタート 1月29日の朝8時から、いよいよ総合雇用対策特別政策会議がスタート しました。ネクスト大臣である私が座長、総括副大臣である池口修次参議 院議員が事務局長、衆参の委員会理事が副座長を務めます。 1月29日には、まず、厚生労働省の2004年度予算についてのヒアリ ング、また、今国会に政府が提出する予定の労働関係の法案のヒアリング をしました。 ■連合のパート政策プロジェクトチームへの報告 1月29日、連合に出向いて、パート労働者均等待遇法案の進捗状況につ いての報告を行いました。 ヨーロッパと違って「職務」よりも「会社への貢献度」が中心となってい る今の日本の労働状況では、均等待遇の法案を作るということは大変難し い作業となります。 でも、ワークシェアリングを本質的に進め、さまざまな事情を抱えた人も、 高齢者も、障害を持つ人も、それぞれのバランスで仕事と生活を両立させ られるようにするためには、どうしても必要な法律です。 今国会での提出を目指しています。 帰途、笹森会長にバッタリお会いしたので、会長室でしばし懇談させてい ただきました。 日本経団連による政策評価のことや、民主党はなぜ生活実感に欠けると言 われるのか、など、いろいろな話をして貴重なご意見をいただきました。 ■連合との政策協議スタート 今国会からの私の新たな仕事の一つが、連合との政策協議です。連合側は 草野事務局長をはじめとした役員の方たち、民主党側は、政調会長をはじ めとする政調役員と、厚生労働大臣の古川元久議員、そして、雇用担当大 臣の私、というメンバーです。極めて小規模な、集中的な会議です。 各週で、金曜日の朝8時15分から行われます。第一回が、1月30日に スタートしました。 ■宇都宮大学でマニフェスト討論 1月31日、宇都宮大学において公開マニフェスト・シンポジウムが行わ れました。国際学部の杉原教授のゼミで、学生さんたちが自主運営するよ うな形で開かれました。自民党からは渡辺喜美代議士、公明党からは小高 県議、社民党からは山口矢板市議会議員、共産党からは野村節子参院選候 補者、そして民主党からは私が出席しました。 有権者になったかならないかくらいの学生さんたちを対象に(もちろん社 会人学生の方もいらっしゃいましたが)今日的な政治の情報を共有できた ということは大変意義深いものでした。今後、このような場が増えていく と良いと思いました。 |