国会報告 |
★謹賀新年 昨年は大変お世話になり、ありがとうございました。 4月の統一自治体選挙に始まり、11月の衆議院総選挙、12月の上三川 町議選、と、自分に直接関わる大きな選挙が続いた一年でしたが、皆さま には様々なご支援をいただきました。 総選挙におきましては、小選挙区で は惜敗という残念な結果となりましたが、乏しい物量の中、正攻法の選挙 を貫き、前回同様十万人以上の方に投票していただき、比例で復活当選す ることができました。自分が日頃から訴えている「新たな政治のモデル」 の構築に少しは貢献できたのではないかと思います。この流れを、小選挙 区当選に向けてつなげていきたいと思っています。 11月の総選挙では、政権交代を何よりも訴えました。 日本の政治は完全に末期的な状況に陥っています。 昨年は、日本の悪政のツケが、ますます噴出してきた年でもありました。 特に、総選挙を前に隠されていた問題が、総選挙後の短い期間に、バタバ タと露見してきました。地元においても、足利銀行の破たんという大きな ダメージを被りました。民主党では地域金融というテーマを最重要課題の 一つとして政策の中で位置づけてきましたが、政権交代さえしていれば栃 木県もこれほど翻弄されずにすんだはずです。 国際情勢を見ても、世界平和に向けての努力がぶちこわしになった年でし た。先制攻撃を正当化するイラク戦争を米国が独断で始めたことによって、 国連における協議という、各国が積み上げてきた努力が根底から脅かされ ました。 さらに、日本は、そこに自衛隊を送るということを決め、中東・アラブ地 域において長年培ってきた信頼関係と、法治国家としての国際社会におけ る信頼を失おうとしています。 3年半前、衆議院議員になったときにも、政治の負の遺産に埋もれたマイ ナスからのスタートだと思ったものでしたが、さらに負の遺産ばかりが積 もっていきます。 今年こそは、この流れを変えて、日本にまともな政治が実現できるよう、 国会の内外で努力していきたいと思っております。 どうぞ温かいご指導・ご支援をいただけますよう心よりお願い申し上げま す。 ■2003年の主な出来事 ●1月〜7月 通常国会 厚生労働委員会、法務委員会、青少年問題特別委員会、憲法調査会という 4つもの委員会(衆議院議員で最多?)に所属をして活動しました。合計 21回の質問をするとともに、青少年問題特別委員会では、野党筆頭理事 という大役をいただき、委員会運営の野党責任者を務めさせていただきま した。 解散がささやかれて多くの衆議院議員が国会から姿を消していましたが、 国会議員としての本分を全うすべく、国会活動に全力を尽くさせていただ きました。忙しいけれども多くの勉強をさせていただいた、そして、自分 が実現したかった政策をいくつか実現することのできた国会でした。 ●2月 パート労働者均等待遇法案の骨子をまとめ、連合の全国集会で発 表 ●4月 統一自治体選挙 栃木一区においては、民主党公認・推薦候補者 全員の当選を果たしました。民主党栃木県第一区総支部代表としての責任 を全うすることができました。 ●7月 衆議院青少年問題特別委員会で宇都宮視察 野党理事の地元での視察が実現することは一般にはまずないことですが、 「東京よりも地方の現実を」との主張が実って、地元・宇都宮を視察地に することができました。 ●7月 「仕事と家庭の両立支援法案」を衆議院に提出。2001年に作 った法案を、労働基準法の改正に合わせて修正したもの。 ●8月 衆議院青少年問題特別委員会の理事として、ヨーロッパ視察。 「選挙前に視察に出るなんて」と多くの方を仰天させてしまいましたが、 十年分くらいの勉強をさせていただき、構造的な改革に向けての大きなヒ ントをたくさん得ました。 ●9月 臨時国会 ●10月10日 衆議院解散 ●11月9日 二期目の当選 ●12月12日 民主党「次の内閣」の雇用担当大臣に任命されました。 ■水島広子と歩む会の活動 ●2月2日 恒例のバス旅行で茨城県那珂湊他へ ●3月1日 躍進の集い 初めて開いた集いでしたが、菅直人代表も駆け つけてくださり、大変にぎやかな会となりました。 ●9月7日 恒例のバス旅行で軽井沢へ。 ■TV番組収録でジェンダーフリー論争 1月12日に放送予定のTVタックルの収録が12月27日に行われた。 テーマは「ジェンダーフリー」。 ゲストは、舛添要一参議院議員、前衆議院議員の米田建三氏、田嶋陽子氏、 弁護士の住田裕子氏、政治評論家の三宅久之氏、評論家の宮崎哲哉氏。 議論の内容はおなじみのパターンだったが、介護も育児も当事者体験のあ る舛添要一氏は、この領域に限っては考え方が私と非常に近いので新鮮だ った。 また、宮崎哲哉氏は、選択的別姓反対の急先鋒として記憶してきた人だっ たが、この日の収録内容については私と考えがほとんど同じだったので、 これもまた驚いた。 内閣府の副大臣時代に、男女共同参画の揺り戻し役として悪名高かった米 田氏も、落ち着いて話してみれば、いろいろな誤解や不安の上にこの問題 を論じていることがわかり、「あなたたちみたいなまともな人ばかりだと 良いのだけれど、極端なのがいるからね」と私や田嶋陽子さんに言ってく ださった。極端な人はどこの世界にもいると思うのだけれど・・・。 議論の内容は、ぜひ当日番組を見ていただきたい。 ところで、収録中にとんだハプニング(?)が起こった。 三宅久之氏と私はこの日が初対面だったのだが、収録前に「水島広子です」 と挨拶すると、「ああ、あんたが船田元の天敵か」と、最初から好戦的だ った。 三宅氏は、ご高齢ということもあるのだろうが、「男が男らしくして何が 悪い!」と、この日のテーマについてはまったく受け入れることができな かったようだ。話についていけずによほど不愉快だったらしく、舛添氏の ことは「この裏切り者!」と言い、私にも「あんたたちの考えは女には支 持されていないんだ。だから女に投票してもらえずに選挙に落ちるんだ。 比例で復活したからって大きな顔をするな!」。 一瞬ムッとしたが、すぐに、三宅氏の隣に座っていた米田氏のことを考え た。米田氏は比例で復活も果たせなかったのだ。本当に失礼な発言だ。 こういうのが「男らしさ」なのだろうか。 ちなみに、私は、ジェンダーフリーというのは、人に何らかの生き方を強 要するものではなく、男性が男性であるがゆえに、女性が女性であるがゆ えに、不愉快な思いをしないですむシステムのことだと思っている。 「男は男らしく」という発想が、いじめの被害にあった男の子に止めを刺 して自殺へと追い込むことは知られるようになってきた。ここのところの 自殺や過労死の被害者は、ほとんど男性である。 「女は女らしく」と女性が社会から排除されてきたことはよく知られてい る。また、「女は男に支配されるべき」という考え方が、DV(ドメステ ィックバイオレンス;家庭内暴力)の背景に根強く存在している。 これらは、克服していかなければならない問題だ。 一方、ジェンダーフリーというのは、オスとメスの違いまで否定するもの ではなく、むしろ尊重するものだ。女性は女性の医療者に、男性は男性の 医療者に診てもらいたい、という「同性介護」の流れを私は支持する。女 性が産婦人科の診察台に乗って、医療者が男性だというときに感じる違和 感は、「女性が女性であるがゆえに不愉快な思いをする」ということにな るのだと思う。 もちろん、男性の医療者に診てもらいたいという女性の存在を否定するつ もりはまったくない。 このあたりの議論をごっちゃにしてしまうために混乱するパターンが多い のではないだろうか。 テレビタックルの収録中も、すぐに「男性と女性のトイレは同じで良い」 というような話題になってしまったが、それは例えとしてふさわしくない、 ということを指摘しておいた。 ★新春街頭演説 ○1月1日(木) 14:00〜 宇都宮・二荒山神社周辺にて 15:00〜 〃 (各40分くらいづつ) (特別ゲスト:枝野幸男民主党政調会長) ★テレビ出演のお知らせ 〇新春報道スペシャル 「ザ・決断! あの一瞬! 第4弾」 ・2004年1月1日(木) 朝8:00〜9:24 ・テレビ東京系 〇ビートたけしのTVタックル 「新時代の大ゲンカ! なにかヘンだぞジェンダーフリー論争」 ・2004年1月12日(月) 21:00〜22:00 ・テレビ朝日系 |