国会報告 その141(2003.5.6発行)

水島広子の活動の様子をお伝えするために、毎週1回(月曜日)発行しております


国会報告 バックナンバー|HOME

国会報告(04/20〜05/05)



■4月20日(日)




宇都宮市議選および市長選の告示日。
出陣式出席を含め、民主市民連合議員会所属の候補者11名の全員当選に 向けて、全面的な応援態勢に入る。



■4月21日(月)




8時前から夜まで、終日市議選応援。



■4月22日(火)




8時から市議選の選挙カーに乗った後、10時7分の新幹線で東京へ。

12時20分から幹事長による個別面談。自由党との合流問題について。
選挙協力は積極的に進めるべきだが、合流には否定的な自分の見解を述べ た。
選択的別姓、永住外国人の地方参政権など、民主党と自由党の間の政策の 開きは大きい。「政権交代のためにはその程度のことは目をつぶって」と いう意見がないわけでもないが、これらの基本政策は、民主党の結党の精 神である「多様な価値観を尊重しあえる市民社会の実現」(これは、前代 表時代から、議員総会などで折に触れて確認してきたことだし、少なくと も私はこう理解しているので民主党に所属している)の根幹に触れる問題 だ。

「決して楽でもない仕事をしているのは、目的があるからであって、その 目的を逸れるような方針は認められない。その目的とは、民主党が掲げる 理念を全国に浸透させることだと思う」
と自分の考えを岡田克也幹事長に伝えた。

幹事長は、「政権をとって、ね」と言ったが、「政権交代だけが目的にな ってしまってはいけない。あくまでも、政権交代というのは、民主党が考 える社会を実現するための手段にすぎない」ということを敢えて述べた。
「政権交代をしたら日本がますます悪くなった、というのでは困りますか らね」と言うと、幹事長は、「そんなことあるわけがないでしょう」とち ょっと驚いた顔をしていた。政権交代に向けて全力を尽くしたいという思 いは私も全く同じだが、どんな政権交代になるかというのは常に思い描い ている必要があると思う。
ドイツがナチ政権になったのも、一種の「政権 交代」だと言えるからだ。昨年の2回の代表選にかなりのエネルギーを注 いだのは、政権交代に向けて、民主党を、より民主党らしい政党にしてお きたいという思いが私なりにあったからだ。

私があまりにも遠慮なくものを言うので、同席していた北橋幹事長代理は 驚いていたかもしれない。でも、岡田さんと話すときにはいつもこんな感 じだ。最近「原理主義者同士(?)で、岡田克也と水島広子はよく似てい る」と言われることがなぜか多いが、岡田さんとは以前から余計な気遣い なしに率直に話し合えるので、私が好きな政治家の一人だ。

12時40分から代議士会。
13時から本会議。

本会議終了後、明日の青少年問題特別委員会の質問に向けての準備と質問 取り。

17時36分の新幹線で宇都宮へ。
19時から、市議選の個人演説会で応援。
演説会には、福田富一市長も来ていた。地方分権や、30人学級のことに ついて、「国が認めてくれないからできない」と挨拶の中で述べておられ たので、その後の挨拶で、「30人学級についても、民主党はとっくに提 案している。また、税源の委譲も含めて、本格的な地方分権は民主党の中 心的政策」と紹介をし、市長が考える宇都宮の実現のためには、ぜひ次の 衆院選で民主党を応援していただきたい、と述べたが、多忙な市長はすで に会場を後にしており残念だった。



■4月23日(水)




7時19分の新幹線で東京へ。

8時50分から青少年問題特別委員会の理事会。今日の議事について確認。

9時から青少年問題特別委員会。今日は官房長官所信に対する一般質疑。
私は野党筆頭理事なので、ずっと委員会室に張り付いて審議の動きに目を 光らせていなければならないが、今日は、質問希望者が民主党内にいなか ったため、結局、私は9時から30分、また10時半から30分、計60 分福田官房長官に質問をした(官房長官が途中で抜けたため、最後の15 分間は米田副大臣が代理答弁)。

前半は、先日まとめられた「青少年の育成に関する有識者懇談会報告書」 (官房長官が主宰の懇談会。この報告書の出来は、驚くほど良い)に基づ いて、教育基本法改正の方向などとの関連を質問。
特に、報告書に書かれ ている「青少年に関わる知見には、ある分野の専門家にとって常識であり ながら他の分野や一般の人々には知られていないものも多いことも明らか になった」という文章はまさに私の気持ちそのものであり、現実を知らな いのではないかという不信感を持ってきた文部科学省の姿勢との整合性を 確認。

質問の冒頭には、子どものモラルには大人がどう行動するかということが 大きな影響を与える、という観点から、暴力団との関係が明らかになって いる松浪健四郎議員について、そして、昨日官房長官が「暴力団も有権者」 と発言したことの真意について確認。官房長官はメディアが悪いという姿 勢だった。

後半は、省庁間の調整をどうするかということに関連して、子ども担当大 臣を独立させる(子ども省を作る)考えについて。また、他者への寛容を 学ぶためにも選択的別姓の問題を内閣府が推進すべきではないか。

リプロダクティブ・ヘルス・ライツ(性と生殖に関する健康と権利)の特 に「ライツ(権利)」の部分について、ここのところの混乱した国会審議 を総括し、「リプロダクティブ・ライツ」は、ごく常識的で重要な権利だ ということが副大臣によって答弁された。
また、ここのところリプロダクティブ・ライツが中絶の権利の議論に矮小 化されているように思うが、中絶というのは、権利かどうかを論じるレベ ルの問題ではなく、本人にとっては追いつめられた最後の手段であり、確 実に本人を傷つけるものだという認識を持ってもらいたい、ということも 述べた。
全ての中絶を禁止するのなら、生まれた子ども全てを社会が責任を持って 育てられる基盤を整備することが必要だ。

詳しくは、後日議事録をご参照ください。

一般質疑終了後、「インターネット異性紹介事業を利用して児童を誘引す る行為の規制等に関する法律案」(いわゆる出会い系サイトの法案)につ いて、国家公安委員長の谷垣議員より提案理由説明と参考人招致の議決。

委員会終了後、いわゆる「野理懇(やりこん)」(野党理事懇談会)を初 めて開く。野党筆頭理事である私の重要な仕事の一つだ。野党の理事に集 まってもらい、野党としての方針を話し合った。委員会運営のあり方(何 時間審議するか、参考人招致などをどうするか、など)だけでなく、政策 レベルでも野党間が歩調を合わせることができるかの調整もしなければな らない。野党筆頭理事の責任は案外重いものだと改めて実感。

午後は法務委員会と厚生労働委員会。
午前中から開かれていたが、さすがに青少年問題特別委員会の筆頭理事な ので委員会室を離れることができなかった。
法務委員会は、引き続き名古屋刑務所問題の集中審議。ここのところ、毎 週1回は刑務所問題、もう1回は法案審議、というパターンになっている。
変則的だが、不祥事があると審議が全て停滞してしまうと、長引くほど国 民の理解が得られなくなり、結果として究明が不十分になる、という経験 を何度かしており、こういう変則的な形も良いのではないかと思っている。
厚生労働委員会は、食品衛生法改正案などの審議。

15時からは党首討論。今日も菅さんの圧勝。小泉さんの論法は稚拙だっ た。公約を実現できていないことを菅さんに指摘されると、「じゃあ民主 党はそうすれば良かったと言うんですか?」と反撃していた。そもそも、 そういう公約を掲げたことの是非も含めて、首相の責任が問われていると いうのに、民主党に罪をなすりつけるとは、さすがに呆れた。
ちなみに、2年間で唯一実現できた公約は、公用車への低公害車導入。で も、何のことはない、税金を使って公用車を買い換えただけのことだ。

党首討論終了後、法務委員会に戻り、17時4分の新幹線で宇都宮へ。

夜まで市議選の応援。



■4月24日(木)




8時から市議選の選挙カーに乗って選挙応援をしてから、9時57分の新 幹線で東京へ。

12時から青少年問題特別委員会の理事懇談会。
「出会い系サイト」の法案について、連休直後までの審議と参考人招致に ついて話し合う。与党側は「参考人招致は1回で十分」と主張し、こちら は「通信の問題と子どもの権利の問題という完全に独立した2つのテーマ があるのだから、参考人招致は最低2回は必要だ、と主張。物別れに終わ るかと思ったが、時間ぎりぎりに、1回の参考人招致を2部構成の質問で、 という形で折り合った。
野党として4名の参考人を呼べることになったので、参考人の選定などの 作業が続くことになる。

12時40分から代議士会。
13時から本会議。採決のみ。

本会議終了後、宇都宮に戻って夜まで市議選の応援。



■4月25日(金)




8時前から夜まで、宇都宮で市議選の応援。



■4月26日(土)




8時前から夜まで、宇都宮で市議選の応援。
途中、18時から1時間弱、獨協医科大学創立三十周年記念感謝会に出席。



■4月27日(日)




朝、家族で投票を済ませてから、娘を連れて、問屋町のびっくり市、花み ずきフェスタ、支持者宅での山菜パーティーへと、続けて参加。選挙でろ くに顔も合わせられない毎日が続いていたので、娘も喜んでついて歩く。
15時からは、鹿沼で、鈴木貢市議の市議会議長就任の集いに参加。
その後、今市に移動し、選挙のためにうかがうことができなかった弔問。

宇都宮に戻って、後援会長と打ち合わせ。

20時前に一度家に戻り、夕食を取ってから、各候補者事務所へ。
上三川と南河内で町長選も行われたため、一市二町を駆け回り、翌日2時 に最後の事務所にようやく到着。ヒヤヒヤする場面もあったが、民主市民 連合議員会所属の候補者は11名全員が当選して、本当に良かった。これ で、宇都宮は、県議選・市議選ともに全勝。



■4月28日(月)



眠い目をこすりながら、7時45分から恒例のマンデーリポート。

9時半から定例の事務所内打ち合わせ。
県議選・市議選と、事務所スタッフが本当によく働いてくれた。わが事務 所のスタッフはほとんどが女性だが、子育て中の人たちも含めて、各選挙 で全面的に活躍してくれた。スタッフが育ってくれたのはありがたいが、 この1カ月間ほとんど休みなしだったので、明日から連休明けまでは基本 的に休んでもらうことにした。

打ち合わせ終了後、11時34分の新幹線で東京へ。
これまで選挙のために先延ばしにしてきた問題などを打ち合わせる。

昨日、衆議院補選で当選した小宮山洋子さんから途中で電話が入る。昨晩、 当確が出た直後に携帯にお祝いのメッセージを入れておいたからだ。
これからは同じ衆議院で働けると喜んでいた。私も子ども政策で課題をた くさん抱えているので、事務局長である小宮山さんが復活してくれて本当 に嬉しい。

18時すぎの新幹線で宇都宮に戻る。



■4月29日(火)〜5月5日(月)




選挙の祝勝会、お葬式、お見舞い、メーデー大会、会合、といった用事を こなしつつ、原稿執筆や自宅の大掃除などの雑用をする。今まで4畳半の 和室に家族4人で寝ていたのだが、さすがに狭くて身動きがとれなくなっ てきたため、思い切って6畳の和室に移った。布団が3つ敷けるようにな り、生活の質が急に上がったようだ。






国会報告 バックナンバー|HOME