国会報告 その11(2000.9.25発行)

水島広子の国会内外での活動をお伝えするために、週1回程度、発行の予定です。



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国会報告(9/17〜9/23)


■9月17日(日)

昼から街頭演説2カ所。途中から雨になる。
個人相談を一件受けた後、お見舞い一件。
夜は会合。


■9月18日(月)

7時45分から恒例のマンデーリポート。
8時すぎに意気揚々と2カ所目の県庁前に行くと、知事選の候補予定者が演説をしているではないか。仕方がないので、市役所前で演説し、8時30分に県庁前に戻る。今日は簗瀬さんが中国視察中なのでこのような柔軟な対応ができてよかった。

10時から、食品衛生法の改正と充実強化を求める請願を受ける。

その後、事務所の様々な不手際の謝罪をして回り、夜は会食。


■9月19日(火)

午前中は講談社「現代」の取材。担当者が体調を崩したということで、なぜか大学の先生が取材に見える。鳩山由紀夫さんの改憲論などが話題になる。

12時から14時まで、支持者宅を訪問。

その後、昼食と事務作業を済ませ、15時23分の新幹線で東京へ。
東京で会食会。
本県出席者の方の車に同乗させていただき宇都宮へ。


■9月20日(水)

8時30分の新幹線で東京へ。
10時から厚生委員会。閉会中であるが、医原性クロイツフェルト・ヤコブ病(以下、CJD)問題についての集中審議。

CJDは、非常に重い病気である。潜伏期間は長いこともあるが、一度発症すると平均18カ月で死に至る。私も医師時代に数件遭遇したことがあるが、非常に劇的で難しい経過をたどる病気である。原因はプリオン蛋白の感染であることが近年明らかになった。ちなみに、一時期世間を騒がせた「狂牛病」はやはりプリオンによる病気で、牛のCJDのようなものである。

医原性CJDというのは、ヒト乾燥硬膜の移植によって起こったCJDのことである。治療のために、死体から取った硬膜(脳味噌の外側を包んでいる膜)を乾燥させたものを手術で移植するのである。死体がプリオン蛋白に感染していると、それがヒト乾燥硬膜を介して脳に感染し、CJDを起こす。これが医原性CJDの実態である。
医原性CJDの被害者の数は、日本人がダントツに多い。外国では、危険性を予見して対応していたが、日本ではそれが大変遅れた。このために、「第二の薬害エイズ」と呼ばれている。

そもそも、ヒト乾燥硬膜は1973年に厚生省によって認可された。「死体からとった硬膜」など、慎重に取り扱うべきものだと思うが、この認可時には、専門家も交えずに、事務方だけで機械的に認可が決められた。その時点でヒト乾燥硬膜の輸入を許可していたのはわずかにベルギー一国だけだったと言う。
1976年から、厚生省にCJDの研究班ができた。
1981年に日本で第一症例が発生。
1987年2月には、米国疾病対策予防センターの週報で、ヒト乾燥硬膜が原因となったCJDの1例が報告され、米国では2カ月後にヒト乾燥硬膜の輸入を禁止している。
日本では、1988年に、厚生省の研究班が、ヒト乾燥硬膜がCJDの感染経路である可能性があるという指摘を報告。
ところが、その後も日本ではヒト乾燥硬膜が使われ続け、1997年にWHOの警告が出された後、ようやく回収措置をとった。
1973年から、実に40〜50万枚のヒト乾燥硬膜が輸入されたということになる。そして、多くの人がCJDに感染した。本来は極めてまれな病気である。
厚生省の責任については、予見可能性という観点から、現在訴訟で争われているが、米国が第一例報告のわずか2カ月後に輸入を禁止しているという素早さに比べて、厚生省の対応はお粗末だと言わざるを得ない。

本日の集中審議では、津島厚生大臣が一貫して「これは難病で苦しんでおられる方に行政として何をしてあげられるかという問題」と、あたかも自然発生のCJDであるかのような語り方をしていた。
民主党からは、金田誠一さんと家西悟さんが質問をした。家西さんは、ご自身が薬害エイズの被害者であるから、怒りもひとしおだ。金田さんも、普段は穏やかな方なのだが、厚生省の答弁に声を荒げていた。
薬害エイズの時に、もう二度とこんな悲劇を起こさないと誓ったはずだ。それからわずかの間に、また同じ道の繰り返し。厚生省は反省しなかったのだろうか。
また、当時厚生大臣だった菅直人さんが厚生省の責任を暴き出したというのは本当に大きな業績だったのだと再認識。
ちなみに、高名な脳外科の専門医は、「厚生省が認可しているから安全だと思って使っていた。少しでも危険性があるとわかっていたら、大腿筋膜で十分に代用できた」と、自らが心をこめて手術した結果、患者さんがCJDで亡くなることになってしまったことが無念でたまらないとのこと。

政府から十分な答弁を得られなかったため、今後、被害にあった家族や遺族(患者本人はすぐに意識不明となってしまうため証言できない)を参考人として招くことも検討しながら再び集中審議をしていくこととなった。

18時から、品川で開かれた「政経フレッシュフォーラム」に参加。若手の議員と若手のベンチャー企業の経営者との懇談会。
いろいろな話が出たが、「米国はゴールとルールだけがきちんと決まっている。日本は、ゴールやルールはきちんとしておらず、プロセスだけが決まっている。このために仕事がやりにくい」という話に、なるほどと思った。
また、女性起業家に対する金融機関の差別が問題として挙げられた。その結果か、女性の起業ニは一人も参加していなかった。
「一度も投票に行ったことはない。投票に行くヒマがあったら仕事をしたい。自分も自分の領域でしっかり仕事をしているのだから政治家も自分で努力をすれば良い。こんなところに人の意見を聞きに来ていることがおかしい。日本はもうおしまいだから日本にこだわるつもりはない」と発言した起業家がいたため、「外国に移り住むとしても、その土地では住民が政治参加をして良い社会を作るための努力をしてきたから暮らしやすい社会ができたということを忘れてはならない」と、反論した。

21時32分の新幹線で宇都宮へ。


■9月21日(木)

9時27分の新幹線で東京へ。

11時から、両院議員総会。今国会の戦い方について、衆参両院で確認。特に、与党が改悪しようとしている参議院の選挙制度は大問題。こんなに短期間で選挙制度をいじることも非常識だし、それも旧全国区に逆戻りするような問題の多い非拘束式名簿。今年の2月に与野党間で「参院選前には選挙制度の見直しはしない」という合意に達したというのにAその合意を反故にしての与党案。国会では約束というものは守らなくても良いのだろうか。
12時から、広報委員会。私も広報委員会の副委員長となったため、毎週木曜日の昼に委員会に出席することになった。私はかねてから民主党は「見せ方の下手な党」だと思っていた。党内に入ってみれば、本当に真面目に政策を作っている良い党なのに、それが外に全く見えない。民主党内に、クオータ制の実現に向けて努力している人たちがいることも知らなかった。「もっと見せ方をうまくしなければならない」と主張していたところ、責任ある立場を任されてしまうことになった。今後の責任は重大だ。

13時に、青少年問題特別委員会の委員部の方たち(事務方)が事務所来訪。私が今国会から青少年問題特別委員会の理事になるため、今までの経過を報告に来たのだ。

13時30分には、青少年問題特別委員会の調査室の方たちが来訪。

13時40分から代議士会。

14時から10分ほどの本会議。議席指定、会期の決定(12月1日まで)、委員長の変更、特別委員会の設置など、形式的な議決。

14時15分から青少年問題特別委員会。委員長と理事の決定。ここで私も正式に理事となる。

5分ほどナ終わり、男女共同参画調査会へ。これは、ネクストキャビネットの男女共同参画・人権・総務部門に属する、政策立案の調査会。私は事務局次長として、各作業チームのとりまとめをすることになった。

15時前に終わったため、一年生衆議院議員の会「いっきの会」へ。今日は菅直人さんを招いての意見交換会。
「森首相のままでいてくれた方が参議院選は戦いやすいと言われているが、政治の質を向上させる責任からは退陣を迫るべきだと思う。どちらが正しい考え方か」などという質問が出され、菅さんは「姑息なことを考えるよりも正々堂々と正しいことをするべき。そうしないと国民は信頼してくれない」と答えていた。

15時半過ぎに事務所に戻ると、海江田万里代議士が経済の勉強会のお誘いに来てくださる。ありがたくお受けする。

16時から本会議。森首相による所信表明演説。前回よりもさらに内容がない。前半はほとんど「IT革命」の話。「日本新生の最も重要な柱はIT」と断言(私はもっと重要なものがあると思うが・・・)。低料金で楽しめる、コンテンツの充実したインターネット・・・と、まるで業者の話を聞いているかのような演説だった。「あまりにも内容がないのでヤジることもできない」とは同僚議員の弁。同じ与党内でも、公明・保守党からはほとんど拍手がなかったのは印象的だった。

18時48分の新幹線で宇都宮へ。

20時からの会合に出席後、一軒訪問して帰宅。


■9月22日(金)

今日は衆議院は日程がない。地元での一日。
労組の大会、原稿執筆やプロジェクトチームの原案づくり、職場集会などで一日が終わる。


■9月23日(土)


午前中は、労組の大会出席後、子どもたちの音楽練習を激励して、12時8分の新幹線で東京へ。
海城高校の学園祭の「水島広子さんと現役中高生のタウンミーティング」という催しに招いてもらったのだ。
「キレる少年と現在の教育制度との関係」というタイトルで、現役中高生とディスカッションをした。「大人が思っているよりも子どもたちはずっと真面目に考えている」というのが私の持論だが、やはり真摯な意見がいくつも出されて感動した。時間が足りずに質問を全て受けきれなかったほどである。また、先生も「ゥ分も悩みながら教えている」というようなコメントをされていて、とても率直で良かった。
子どもたちの多くが、「ゆとり教育」に魅力を感じていないことが特徴的だった。本当の意味での「ゆとり」につながっていないことを誰よりも子どもたちが感じているのではないだろうか。本当に魅力的な教育であれば、「ゆとり」など必要ないのかもしれない。
最近宇都宮の元教員の方に教えていただいた、「教えない教育」(教育をスリムにするために、教える内容を易しくするのではなく、教えないことによって考えさせる教育)という概念を紹介したところ、とても評判が良かった。海城高校でも、社会科では、自分でテーマを決めて自分の足で歩いて人の意見を聞いたり調べたりしてまとめるという方法をとっているとのこと。すばらしいことだと思う。
タウンミーティングに出席して嬉しかったのは、参加していた保護者たちが「子どもたちのああいう姿を見られて良かった」とコメントし、先生たちから「あそこまで生徒から意見が出るとは思わなかった」などという話が聞けたこと。子どもたちもちゃんと考えているのだということが示せて本当に良かった。また、参加した生徒からのコメントでは、「子供がキレるとセうが、大人がキレることの方が心配。政治家が突然キレて戦争でも始めるのではないか」などというものもあって大いに同感した。
予定時間を超過して終了した後には、私の著書などを持って生徒たちがサインをもらいに来てくれた。「精神科医を目指しているんです」「政治家になって子どもたちの問題に取り組みたい」などと口々に自分の夢を語ってくれた。

雨の中、新幹線で宇都宮へ。



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