アメリカ報告1―――カリフォルニアにやってきました!

 米国に到着してちょうど一週間がたちました。どうなることかと思ったアパートも見つかり、今日ようやく入居しました。家具はこれからガレージセール(家の車庫で中古品を売り出すもの)やインターネットで物色していくことになりますので家の中はまだガランとしています。

 サンフランシスコは米国でも最も不動産の高い地域として知られており、その郊外のマリン市(私が住んでいるところ)の家賃もかなり高いのですが、その住環境は日本とは比べものになりません。広さや自然環境といったことだけでなく、安アパートであっても気の利いたものが備え付けられていることには感激します。

 ちょうどすべてがクリスマス休みに入るところなので、こちらも本格的な活動は年明けからとし、それまでは生活の基盤作りに費やそうと思っています。すべてがSocial Security Number(社会保障番号。国民総背番号みたいなもの)を中心に回っている米国では、この番号がないといろいろな不便があります。また、家賃や公共料金の支払いなど、外国人にはいろいろと不便なこともあります(これは、支払手段の不便ということだけで、日本の一部に見られるような「外国人オコトワリ」とはまったく違います。ちなみに私がアパートを借りた不動産屋さんの女性も、ドイツ国籍の人であるということが昨日判明しました)。

 そのような制約の中でも、一般市民はとても親切で、何とかしてあげようという気持ちが温かく伝わってきます。また、公共サービスに従事する人であっても、冗談好きで、一言は笑いが出ることを言ってくれるので、基本的に明るい気分ですごすことができます。 

 よく、日本人は礼儀正しいと言われますが、少なくとも「人を見たら挨拶する」ということは、アメリカ人の方が徹底して実践していると思います。このちょっとした声かけや笑顔がどれほど良い生活環境を作り出すか、ということは、かねてから感心して見ていました。スーパーで買い物をしていても、カートに乗って歌を歌っているうちの子どもたちを見た女性が「まあ、歌っているわ。なんてかわいらしいんでしょう」などと言ってくれるので、子育て支援にもなります。

 幸い、子どもたちにもとても良い学校と保育園を見つけることができました。すでに下の子は保育園に通い始めました。やはり米国でも公立の保育園では待機児童になってしまいますが、幸い、モンテッソーリ式教育をしている保育園に空きがあったため、お願いすることにしました。空きがあるから、という消極的な理由で入ったモンテッソーリですが、実は現地では「心と頭に良い」と評判の保育園でした。

★ チャータースクール ★

 上の子の学校はチャータースクールにしました。チャータースクールというのは、親が公立学校を作る、というタイプの、アメリカ独自の制度です。私を含めて、教育行政に関心の高い人なら、コミュニティスクール同様に大変心を惹かれる制度です。チャータースクールはまだ歴史が浅いのですが、カリフォルニアはその中では歴史の長い方です。公立学校と同じ敷地にあり、はじめは公立学校への入学をお願いして帰ろうとしたのですが、帰りに立ち寄った教育事務所で「隣にはチャータースクールもありますが、見ましたか」と言われて存在を知りました。個人の選択を重視するアメリカでは、役所であっても、案外面倒くさがらずに選択肢を提供してくれます。

 チャータースクールを保護者として体験することはとても貴重なことだろうと思ったのですが、校長先生がとても理解のある方で、早速、日本語と英語がともに話せる市民を2人、娘のためのボランティアとして見つけてくれました。そもそもチャータースクールでは私たち保護者も年間55時間学校のためにボランティアすることが要求されていますので、人々のボランティアによって成り立っている学校なのですが、英語がまったく話せない娘にとってはこれほど心強いことはありません。ほかの先生たちは、「英語のハンディがあるからまずは1年生に編入して、あとで2年に移ったらどうかしら」と言ってくれたのですが、そこは校長先生が毅然として「ボランティアを見つけたから言葉は何とかなります。彼女は2年に編入するのが最も自然なのだから」と、方針を決めてくださいました。

 なお、このチャータースクールは、アティテューディナル・ヒーリング・センターのすぐ裏手にあり、センターのスタッフが学校の中で活動しています。ですから、校長先生はセンターの良き理解者で、私の研修もとても楽しみにしてくださっています。

 学校にしても、保育園にしても、私の子どもたちはまったく英語が話せませんので、受け入れてもらえるのだろうか、ということを渡米前には心配していましたが、どこに行っても、「本人が気分よく過ごせるのであれば、こちらはまったく問題ありませんよ」と同じように言われました。これは、個を重視するアメリカの価値観もあるのでしょうが、同時に、英語が第二言語である子どもたちを日常的に多く引き受けているという事情もあるようです。娘が入る予定の2年生のクラスをちらりとのぞかせてもらいましたが、各人種がそろっているという感じで、多様な雰囲気を好ましく思いました。

★ アティテューディナル・ヒーリング (AH)★

 アティテューディナル・ヒーリング・センターでの私の活動は1月から本格的に始めることになりますが、まず、私がなぜアティテューディナル・ヒーリング(AH)に興味を持ったのか、という背景を少々述べさせていただきたいと思います。

 政治活動の中で、私のテーマは往々にして「不安」でした。
 不安は、社会の中でいろいろなマイナスを作り出しています。たとえば、社会の仕組みに変化を起こすことができないのは、不安によるところが大きいものです。夫婦別姓を認めると家族の絆が壊れるのではないか? というのは、まさに典型的な例でしょう。これは私の専門である「対人関係療法」が扱う問題領域の一つでもあるのですが、人間は、何らかの変化を乗り越えようとするとき、新しい環境に関して強い不安を感じる傾向があります。この不安が、変化をしようとする人の足を引っ張ることになります。

 また、不安は、人に「与える」ことにもブレーキをかけます。「自分も苦しいのに、人のことどころではない」と思っている人は多いものです。実際には、客観的に見てもっと「苦しそう」な人の方が他人に惜しみなく与えていることもあり、主観的な「苦しさ」が問題だということがわかります。

 「老後の心配」という不安も、特に日本では大きな社会的テーマです。老後が心配だから、と、亀が手足を引っ込めてしまうように、何もできなくなってしまうのです。確かに、ころころと言い分が変わる政府のありさまを見ていると、手足を引っ込めたくなる気持ちもわからないではないですが、それでは、政府をもっと誠実なものに変えることもできません。

 不安と双子のような関係にあるのが「罪悪感」です。罪悪感も、社会のいろいろな面を支配しています。特に、働く母親などは典型的な被害者でしょう。子育てによって職場に迷惑をかけているという罪悪感、仕事のために良い母親でいられないという罪悪感、子どもの世話を頼んでいろいろな人を巻き込んでしまう罪悪感・・・、と、一日中罪悪感を抱いているような人も少なくありません。罪悪感が何を生むか、というと、プラスのことは生まれません。罪悪感は仕事の生産性を落とし、対人関係をゆがめ、子どもと一緒にいても「心ここにあらず」になってしまいます。アティテューディナル・ヒーリングでも、「今このときを生きる」ということを大切にしていますが、特に子育てにおいては、「今」が一番大切です。子どもの将来のために、と、子どもには目もくれずに仕事に明け暮れたり子どもに過度な要求をしたり、というふうにしてしまうと、結局は「今」の子どもをネグレクト(育児放棄)してしまう、という皮肉な結果になってしまいます。罪悪感ばかり抱いてしまうと、子どもと一緒にいても、心のかなりの部分が自分を責めることに使われてしまいますから、子どものために使われる心の量がそれだけ少なくなってしまいます。

 罪悪感というのは、他人との関係の中で生まれることが多く、本人の自覚と十分なコミュニケーションによってかなりの程度克服できる、と私は思ってきましたが、不安についてはそんなに簡単なものでもありません。「だって老後がこれだけ心配なのだから、不安になって当たり前でしょう?」と言われてしまうと、それもそうだと思ってしまいます。このような不安を自然なこととして認めた上で、不安に飲み込まれてしまわないよう、できるだけの客観視につとめる、というのが、一言で言えば、現実的な精神医学のアプローチです。

 でも、もう少し確固たる価値観を作り出すことはできないのだろうか、ということを私はずっと考えてきました。特にここのところの日本では、弱者を見つけてバッシングしたり、政治がますますおかしなことになったり、と、ますます豊かな精神性からは遠ざかっているように思えます。そんな中、たとえば、老後を不安に思うことで人生の質が上がるのか、と言えば、決してそんなことはありません。むしろ、将来にばかり目が向いてしまって現在がおろそかになってしまう、というのは、子育ての場合と同じです。将来の保障もない上に、今このときまで不愉快な気持ちですごさなければならないという必要性はないのではないでしょうか。

 この疑問に答えを出してくれるのがアティテューディナル・ヒーリング(AH)です。不安や罪悪感を手放すことの重要性を教えてくれるものです。誤解しないでいただきたいのは、不安を手放すと言っても、決して、投げやりに刹那的な生き方をしようと言っているのでもないし、現実から逃避するような価値観にしがみこうとしているものでもないということです。
 
 最後に、余談ですが、米国に来て、「U.S. Post Office」(アメリカ合衆国郵便局)と書かれた立派な郵便局を地域のあちこちで見かけたときには、複雑な気分になりました。郵政民営化に賛成した方たちは、この事実を知っているのでしょうか・・・?
 

子どもの村シンポジウム

 12月10日、NPO法人 子どもの村を設立する会主催シンポジウム「傷ついた子どもたちの未来を創る ~子ども虐待防止のために、今こそ行動を~」に参加しました。子どもの村は、虐待を受けた子どもたちが人員配置の低い大規模施設にいつまでも置かれている現状を解決するための強力な手段として、私もその活動を応援しているものです。子どもの村について、詳しくは、私の国会報告その220(2005年2月26日号)http://www.mizu.cx/kokkai/kokkai220.htmlをご参照ください。

 この日のシンポジウムに私のほかにシンポジストとして参加された方は、フリーライターの椎名篤子さんと千鳥饅頭総本舗社長の原田光博さんでした。
 椎名篤子さんは、「凍りついた瞳」の作者として有名ですが、虐待の生き字引のような方で、虐待のことは椎名さんに聞けば何でもわかります。日本子ども虐待防止学会副会長も務められ、児童虐待防止法の制定・改正において大きな原動力となってこられました。
 もう一方の原田光博さんですが、皆さん、「千鳥饅頭」とか「チロリアン」というお菓子、と聞けば、ご存知だと思います。なぜ千鳥饅頭の社長さんがこんなシンポジウムに、と思われるかもしれませんが、実は、原田さんは福岡県二丈町波呂(はろ)に日本初の子どもの村を作るべく、準備中なのです。
 日本の「子どもの村を設立する会」を、国際NGOであるSOS子どもの村の日本支部にしてノウハウを活用しよう、と準備を続けてこられたのは、シンポジウムの主催者でもある金子龍太郎さん(龍谷大学教授)なのですが、これはどちらかというとソフト面での作業です。一方、原田さんは、有能な実業家らしく、「お金を集めたり土地を用意したりするハード面は得意」とおっしゃいます。その「ハード面」と、金子先生が持っている「ソフト面」がうまくドッキングしてこの計画が進められているわけですから、心強いことです。

 千鳥饅頭のように、子どもの福祉において社会貢献しようという企業がもっとたくさん出てくれば、と思っています。海外は先行しており、たとえば、サッカーのFIFAも国際NGOであるSOS子どもの村の支援をしており、来年ドイツで開かれるワールドカップの最終試合の収益の一部を子どもの村に寄付することが決まっているそうです。SOS子どもの村では、このお金で世界に6箇所の子どもの村を作ることにしています。
 日本でも、ソフトバンクの北尾さんが「子ども希望財団」を作り、グループ会社の利益の1%程度を児童福祉関連施設に寄付する、とし、初年度は1億7千万円近い額を全国の児童養護施設や自立援助ホームなどに寄付しています。
 こうした動きを通して、子どもの福祉にお金が集まると同時に、社会的な関心も高まることを期待しています。

 シンポジウムで、私は、虐待というテーマに関して国政がまだやり残していることとして、
1 民法。まだまだ親権が子どもの権利に比べると強すぎる日本の民法の改正が必要。具体的には、親権の多様で柔軟な制限のあり方を認める、懲戒権を見直す、など。

2 児童福祉関連の人員配置を増すこと。「お金がないからできない」のではなく、数十年後を見通せば、今、子どもたちに人手をかけておくことは、確実に有効な先行投資になる。

3 虐待を受けた子どもたちが家庭的環境で成長できるようにするためには、子どもの村のように子どもに家庭を提供する活動や、自立援助ホームなどを充実させていくのがもっとも効果的。そのためには、NPOに寄付をした場合に、それが控除対象となるよう、NPO税制を改正することが必要。現在、控除対象となる認定NPOはその要件がまだまだ厳しすぎて、社会の枠組みそのものを変えるには至っていない。

4 子どもの福祉関連の予算が高齢者予算に比べて桁違いに低い現状を見ても、やはり子ども家庭省が必要。

などという話をしました。

新しい地域づくりの知恵


 11月29日、NPO法人フローレンス(東京都中央区)にお招きをいただいたので訪問し懇談してきました。今後の日本の社会作りに向けて可能性を感じましたので、ご報告します。

 私は常々子育て・子育ちのカギは地域だということを述べてまいりました。家庭の子育て力は地域の子育て力に比例するものであって、現在落ちているのは「家庭の子育て力」ではなく「地域の子育て力」なのだ、ということを国会でも発言してきました。私が労働政策で重点を置いている「ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)」も、本人の生活の質を上げると同時に、地域において「自分の子ども以外の子どもを気にかけられる大人をどれだけ増やすか」ということが、その発想の根底にあります。

 でも、地域の再生、ということを考える場合に、日本にはこれといったモデルがなかったことも事実です。その鍵を握るのは専門性を持つNPOなのだろうということはわかっていましたが、行政に分断されてしまったりして、なかなか具体的なモデルに出会えずにきました。

 フローレンスは、その一つのあり方を示しているNPOだと思います。

 そもそも、設立のきっかけがユニークです。代表理事の駒崎弘樹さんはITベンチャーを経営していた新進気鋭の二十代ですが(写真私の右隣の青年が駒崎さん)、彼のお母さんがベビーシッターをなさっていたことから、子どもが熱を出して仕事を休んだことが理由で解雇された人の話を聞き、「病気の子どもの面倒をみるという当たり前のことをしたのに、なぜ仕事を辞めなければならないのだろう」という素朴な疑問を抱いたことがそもそものきっかけだったそうです。そして、病児保育の現状を調べ、現状に適していない補助金制度の問題もあり、ほとんどが赤字経営で伸び悩んでいる、ということを知り、持続可能なモデルを自分で作ってみようと思ったそうです。その際にイメージしたのは、「近所の助け合い」。駒崎さん自身、お母さんが働いていましたが、病気の時には、同じ団地に住む方が面倒をみてくださったそうで、そのような地域を再構築するということがフローレンス事業のイメージなのです。

 現在、フローレンスは、「子どもレスキューネット」という病児保育事業を第一の柱としています。子どもが病気なので助けてほしいという連絡をフローレンスにすると、スタッフ(有償ボランティア)が駆けつけて、まず病院に連れて行ってくれ、保育園に預けることが無理な状態であれば、子育て経験豊かなスタッフが自分の家で看護する、という仕組みになっています。会員になった子どもは、事前にスタッフの自宅を訪問し、スタッフとその環境に慣れ親しむ機会を持ち、スタッフ側でも、その子の健康状態などを把握しておきます。病気になったときに突然知らない人に預けられる、というわけではないところも重要なポイントです。看護するスタッフには医療資格は問いませんが(病児保育についての研修制度はあり)、提携小児科医が常に電話連絡をとれる態勢にあります。

 入会時に1万円、月会費4000円~(健康状態によって多少の差あり)を払うと、月1回までの利用は無料。2回目からは、1時間あたり1000円、という体系です。(送迎のための交通費は別体系) 
 定員40名のところ、希望者が200名もおり、現在160名が待機中という状況。子どもの面倒をみるための有償ボランティアの数が一番の弱点で、現在広報戦略を練っているところだそうです。

 フローレンスのバランスが良いと思ったところは、病児保育だけに特化していないところです。病児保育については、常に、「大人側の都合ばかりに子どもを合わせて良いの?」という疑問がついて回るものだからです。病気のときくらい、自分の家庭で親と共に過ごすことが許されても良いのではないか、ということです。どうしてもというときのための病児保育は必要ですが、本来は、大人の働き方を改善することで対処すべきだというのが正論です。育児休業・介護休業法の改正で、わずか年5日間の看護休暇は制度化されましたが、今の日本の現状を見れば、それが本質的な解決になっていないことは一目瞭然だと思います。

 フローレンスでは、中小企業だけを対象として、ワーク・ライフ・バランスのコンサルティング業務を始めています。このコンサルティングは、イギリスでは政府が率先してやっていることですが、ワーク・ライフ・バランスを福祉という視点だけで見るのではなく、むしろ、それぞれの労働者の満足度・安心感を高めることによって、労働生産性を上げて国際競争力を高めようという考え方です。イギリスでは、貿易産業省が担当しています。イギリスでは、在宅勤務やフレックスなどを導入してワーク・ライフ・バランスを改善したところ、企業の収益性も高まった、というデータもあります。日本にはそのようなデータがなかったこと、大手先進企業の実例を挙げても、「そういうところは恵まれた企業だからできるのでしょう」と言われて終わり、というような状況が続いてきました。

 フローレンスでは、本来、ワーク・ライフ・バランスなどほとんど無縁そうな中小ベンチャー企業を相手に、コンサルティング事業を展開し、ワーク・ライフ・バランスを改善することによって生産性が高まるというデータを作ろうとしています。データを集積すれば、日本の「常識」が打ち破られることになるでしょう。応援したい活動です。

 現在では、単なる病児保育にとどまらず、「フローレンス・パック」として、より「地域」を意識した総合プランも準備されています。地域の再構築、そして、ワーク・ライフ・バランス、という、今の日本でもっとも重要なテーマに真正面から取り組んでいるフローレンスの皆さんに、新しい可能性を感じました。
 今のように、政治が国民の代弁者としての機能を失ってしまっているときこそ、NPOが伸びるときなのかもしれません。

 なお、フローレンスには、今年はじめには厚生労働省も「参考にしたい」と話を聞きに来たそうです。フローレンス自身は、補助金行政には組み込まれていません。それは、補助金目当てに、結局は使い勝手の悪い、持続不可能なものになってしまうのでは、本来の趣旨に反する、という代表理事の判断だそうで、こうした毅然とした姿勢にも、可能性を感じたところです。

 現在、東京都江東区と中央区で事業を展開していますので、ご在住の有償ボランティアをご紹介いただければ助かると思います。(子育て経験があり、意欲がある方)
 今後、東京都23区全体に展開していく予定とのことです。

 12月10日には「子どもの村」のシンポジウム(京都)に参加しますが、「子どもの村」は、虐待をされた子どもたちが大規模施設に収容され続ける現状を改善するために立ち上がったNPOです。また、私が支援を続けてきているチャイルドライン、自立援助ホームなど、質の良いNPOが力を伸ばし、連携していくことによって、地域を新しい形で再構築していくことができるだろうと思っています。
 その際に、フローレンスの理事の方たちのように、マーケティングやITなど、営利事業でも十分に通用する専門性を持った人材がNPOで活躍していただけると、可能性がさらに広がるのだということを感じさせられた日でした。

フローレンス ホームページ http://www.florence.or.jp/

CS放送出演のお知らせ

11月19日(土)11:00~13:00、朝日ニュースター(CS放送)の「愛川欽也パックイン・ジャーナル」にコメンテーターとして出演します。

テーマは、日米首脳会談、APEC首脳会合、日韓首脳会談、医療制度改革などになるようです。

CS放送をご覧になれる環境の方は、ぜひご覧くださいませ。

民主党の子ども政策会議に呼ばれました

 10月13日(木)、民主党の子ども政策会議に呼ばれ、今まで取り組んできた政策についての報告をしました。選挙以来、男女共同参画委員長としての引き継ぎなど、ちょこちょこと国会には行っていますが、13日には国会内で落選議員に次々と会って、お互いに笑ってしまいました。不要ダムの阻止など、大きなプロジェクトに取り組んでいた人たちが落選してしまったため、いずれも引き継ぎが大変で、落選議員たちがせっせと国会に呼ばれているようです。

 私が13日に報告したのは、「育ち☆育む応援プラン(民主党の未来世代応援政策は、最終的にこういう名前に落ち着きました)」、「子ども家庭省設置計画」、「特定暴力情報からの子どもの保護に関する法律案(かつて「子ども有害情報からの子どもの保護に関する法律案」と名づけていた法案ですが、「子ども有害情報」という言葉が抽象的なので、暴力と性暴力などに限定した「特定暴力情報」という呼び名に変えました)」です。

 「育ち☆育む応援プラン」は、「未来世代応援基本法」を中心に、「テマとヒマ」「お金」「個別のニーズ」という3本柱からなる応援政策です。これを統括するのが子ども家庭省ということになります。

 また、「特定暴力情報からの子どもの保護に関する法律案」は、私にとっては特に思い出の多い法案です。初当選後すぐに着手し、私が初めて自分で作った議員立法になりました。暴力や性暴力の情報が、住み分けられることなく子どもたちに垂れ流されている現状には多くの人たちが疑問を感じながらも、憲法の規定する「表現の自由」に抵触しうる、という理由で、ずっと手をつけられずにきたものです。

 もちろん、表現の自由は、民主主義社会の根幹として何にも増して堅持しなければなりません。でも、だからと言って、有害な情報から守られるという子どもの権利が犠牲になって良いということでもないのです。ですから、私は、「情報の住み分け」と「メディアリテラシー教育」の2本柱からなる法案を作りました。

 それでも、こういう「規制」(私の法案は規制ではないと思いますが)にアレルギーのある方たちからは、散々な攻撃を受けました。2001年の初頭には、つわりに苦しみながら、シンポジウムなどで一生懸命説明していたのを懐かしく思い出します。あのときの議論のおかげで、立法者としてはずいぶん鍛えていただき、また、度胸もついたと思います。

 この法案も、その後、少しずつ手を加え、先の通常国会で「特定暴力情報からの子どもの保護に関する法律案」と名前を変え、また、子どもの意見表明権も明記したところです。

 こうやって考えてみると、まるでこの時期に国会を離れることがわかっていたかのように、全ての作業が通常国会で一段落しています。解散が半年前だったら、「育ち☆育む応援プラン」をまとめることもできていませんでしたし、子ども家庭省の設置計画も作れていませんでしたし、「特定暴力情報」も「子ども有害情報」の名前のままだったわけです。
 13日の会議で、今までの経過を報告しながら、あの時期の解散で良かったと、改めてほっとしました。

 それと同時に感じたのは、やはり、取り組んでいる人が少ない領域では、一人の落選が非常に痛いということ。私にしか報告できないものがこんなにあるということは、私自身が責任者のポストにあったということだけでなく、やはりその政策に関わっていた人がそれだけ少なかったということでもあります。

 とりあえず、国会を離れても手伝えることは手伝おうということで、「育ち☆育む応援プラン」も、選挙前には要約版しか印刷できませんでしたが、本体を印刷する上でコラムの部分は私が書かせていただくことになりました。

国会報告 その5(2000.8.17発行)(後半)

■8月6日(日) 苦しい4時起き。
広島への原爆投下日であり、5時から平和祈念朝起き会に参加。

その後、雑誌コスモポリタンの人が朝食風景の取材に来る。
私はどんなことがあっても朝食を欠かしたことがないということを話すと感心してくれた。

10時から労組の定期大会に出席。

その後、支持者の方が鬼怒川の河原で開いたバーベキュー大会に夫・娘と共に参加。

13時から「秘書公募の会(仮称)」。
先日の秘書公募に応募され、惜しくも不採用となった方たちと親睦を深める会。
こんな会を開いて良いのかどうか迷ったが、より良い社会実現に向けて一歩を踏み出した方たちなのだから今後も交流を持ちたいと思って企画した。
30名近くの方が参加され、今後も会合を持っていくことになった。
話が弾んで予定を30分超過して15時半に終了。

相変わらず、「水島広子ネットワーク通信」の発送のためにボランティアの皆さんが袋詰め作業をしてくださっているので、民主党の事務所に顔を出す。

18時から、娘を連れて「みや祭り」に参加。
今日は、サンバを踊っている知人の激励。

その後、事務所のスタッフと久しぶりにゆっくりタイ料理の夕食を食べた。
偶然、行き会った労組の委員長夫婦と同席。

■8月7日(月) 8時から恒例のマンデーレポート。

その後、事務所に戻って後援会名簿のチェックなど事務作業。

10時45分の新幹線で東京へ。
取材を一件受け、13時半から、厚生省担当者が来訪。
明日の厚生委員会で質問するため、何を質問するつもりかを聞きに来るのだ。

民主党では、国対の方針で、「答弁は大臣か政務次官に」と決まっている。
官僚に答えてもらうのではなく、政治家同士が議論で渡り合おうという考え方だ。
私もその方針に賛成なので、「答弁は大臣か政務次官に」と伝えた。
すると厚生省の人たちが「大臣答弁は大きい質問だけにしてもらえませんか」「本当にこんなことまで大臣に聞くんですか」と抵抗。
「民主党の方針ですから」と押し切った。
(この後、政策秘書のところに電話があって、「ほかの民主党の先生方も役人に答えさせていますから、水島先生も」という脅し?があったそうだ。
さすがは私の政策秘書、「他の人はそうでも水島は水島ですから」と頑として聞き入れなかったとのこと。
政治家に答えさせると失言するかもしれないと思っているのか? この厚生省の姿勢はギモン)

15時から、教育基本問題調査会。
今日は日教組からの聞き取り。
16時に中座して、新幹線で宇都宮へ。

18時から、民主党の県連の幹事会。
小林代表も簗瀬代表代行もいなかったため、私が座長を務める。
選挙で県連が背負った借金を返済するための「躍進パーティー」が話題。
私は政治資金パーティーをやらないでいこうと思っているが、党が背負った借金であれば仕方がない。
それにしても、きついノルマに気は重い。
皆さま、どうぞご協力をお願いいたします。

■8月8日(火) 7時32分の新幹線で東京へ。

9時から取材。

10時から厚生委員会。
今日は雪印問題についての集中審議。
午前中は、雪印社長やジャーナリストなどの参考人質疑。
午後からは政府に対する質疑。
私の質問は14時55分から20分間。
委員会質問は初めてだったが、代表質問と違って、何度でも再質問できるからやりがいはあった。
今後に向けての安全衛生対策について主に質問した。
私は、質問とは、相手を責めるよりも、「これからはこれをやります」という答えを引き出すためにやるものだと思っている。
特に厚生行政の場合、命に関わる問題だけに、今後の方針が重要だ。
そう思ってどんどん質問していたら、後で、取材していたフジテレビの人から「他の議員よりも淡々と質問していたが、一番多くの答えを引き出していた」とほめられた。
委員会質問は病みつきになりそうである。
大臣は参議院の予算委員会に出席していたため、私は政務次官にもっぱら質問。
途中で厚生省の局長が答えそうになったが、「私は政務次官にお願いしています」と、断った。

厚生政務次官(公明党)はとても有能な人なので、質疑応答もとてもテンポよく進めることができた。

16時に厚生委員会が散会し、議員の訪問を一件受けて(子ども病院に関する件)、16時半から子どもプロジェクトについて肥田美代子代議士と打ち合わせ。

17時半から取材。

19時から、枝野幸男代議士の呼びかけで「公募の会」。
枝野さんを含めて公募で当選した6名が集って意見交換をした。
今後は、落選した人も含めて公募の会を充実させていくこととなる。
遅くなって新幹線がなくなってしまったため、初めて議員宿舎に泊まった。
最も家賃が安いので決めた青山宿舎は「お化け屋敷」と言われているほど古い建物だが、私にとっては全く問題のない宿舎だった。
こんな宿舎を嫌がるとは、皆さんちょっと贅沢なのでは?
送っておいた布団を箱から取り出して何とか眠る。
全く足を踏み入れたことのなかった宿舎を片づけたりしていたら、結局宇都宮に帰るよりも睡眠時間が短くなってしまった。

■8月9日(水) 議員宿舎から地下鉄で出勤。
8時から厚生部会。
医療費と医療法の件で厚生省から説明を受ける。
老人医療費が高いのはわかるが、またしても「自己負担を増やすことで医療費を抑制する」というパターンの話であるため憤慨。
現在、たくさんの科にかかって浴びるように薬をもらっている老人でも、漢方治療や鍼治療を採用することによって医療費を軽減することができる。
そのような質的な改革なしに、単に医療費を削減しようとするのは、専門家でなくてもできることだ。
不要な(?)医療を受けている人の受診を抑制するために自己負担を上げても、結局苦しむのは本当に必要な医療を受けている人たちだ。
このあたりのことを意見する。
また、医師の臨床研修を義務化するということだが、その間の給料を保証しないと、研修中なのに一人前の顔をしてアルバイトするという習慣は変わらない。
また、アルバイト禁止にすると、20代半ばまで親のスネをかじれる一部の人しか医者になれなくなる。
そのあたりのことを指摘した。
ちなみに、私は研修医時代の月給は2万5千円。
休日返上で当直をたくさんやって食べていた。

9時から、介護保険をより良くするプロジェクトチーム。
関係団体から説明を受ける。
宇都宮の方も見えていた。
介護保険がどう考えても多くの問題をはらんでいるということを再認識。

10時半から、青少年問題特別委員会。
閉会のための儀式で、すぐに終わる。

10時45分から、ダラス=モーニングニュースのアジア支局の取材(英語)。

11時半から、日経ウーマンの取材。

12時半から、厚生委員会。
こちらも、閉会のための儀式。
12時40分から、代議士会。
13時から、本会議。

国会生活をしているうちに、「この際、暫時休憩します」というような「国会用語」に気づいた。
特に「この際」と「暫時」は多用されている。
こんな生活を続けていたら、日常会話でも「この際」などと言うようになりそうだ。

14時から、連合本部を表敬訪問。

慌てて戻って15時から代議士の部屋を一件訪問。
15時から始まっていた「少年犯罪総合対策プロジェクトチーム」に参加。
弁護士とジャーナリストから説明を受ける。
米国では、厳罰主義を保ちながら、更正システムを充実させている。
米国での「刑罰」というのはほぼ「隔離」を意味するようだ。
社会の安全を守るために隔離しておいて更正を徹底するという思想のようである。
日本のように、単なる年齢論議に終始する少年犯罪対策とはずいぶん違う。

18時から、衛星チャンネル・朝日新聞クロストークの収録。
社民党の辻元清美代議士と対談。
彼女は選挙中「お願いします」という言葉は絶対に使わなかったそうだ。
代わりに、「一緒に責任をとりましょう」と言い続けたとのこと。
こういう姿勢の人の方が、本当に国民のためによく働くのが最近の傾向だ。
選ぶ側も、頭を下げられたから「応援してあげる」という姿勢を改めない限り、良い政治家を得ることは難しいと思った。
また、そのスタイルで当選した辻元さんに敬意。

20時20分の新幹線で宇都宮に戻り、弔問一件。

■8月10日(木) 午前中、お世話になった方の告別式に出席。

午後は挨拶回り。

■8月11日(金) 6時36分の新幹線で東京へ。
8時から読売新聞の取材。

9時半に議員会館を出て、六本木のスタジオへ。
坂田カメラマンによるアエラの表紙の撮影と記者による取材。
坂田さんは長くニューヨークにいただけあって、日本の社会にもしっかりした客観的な目を向けている。

六本木から有楽町に向かい、12時から日本外国特派員協会の報道昼食会。
ここに招かれて講演するのは、民主党では鳩山さんと菅さんに次いで3人目とのこと。
公用語が英語とのことだったので英語で講演したが、これは、その国の母国語を使うというポリシーを持っている私としてはポリシー違反のような感じがして複雑な気分だった。
講演そのものは上々で、たくさんの質問もいただいた。
私の意見には多くの外国人記者の方たちがうなずいていた。
驚いたのは日本人の記者さんたちが多数紛れ込んでいて(?)、私の英語の講演をかなりの程度理解されていたことだった。

宇都宮に戻り、来客一件。

事務所で打ち合わせをした後、18時半から連合栃木で参議院議員選挙合同選対の第1回会議。

19時半すぎから、地元の盆踊り一件。

20時半からミニ集会。

23時前に事務所に戻って電話取材を一件受ける。
長い一日だった。

8月12日(土) 午前中、高校生の合唱団の激励。
「水島さんは高校の授業中どんな感じだったんですか」「高校のときクラブ活動は何をやっていたんですか」などと素直な質問を受け、あまり真面目な高校生でなかった私は返事に窮してしまった。

事務所で打ち合わせをした後、挨拶回り。

18時半から鹿沼で夕食会に出席。

その後、事務所で陳情の電話を受ける。

★今日の一言メモ
ある方から、男女は生物学的に脳の作りが違うので、男女共同参画というのは不自然なのではないか、クオータ制などはいかがなものか、という質問をいただいた。

男女が生物学的に異なるのは当然のことである。
もしかしたら、どういう仕事が向くか、という点についても、男女の平均値には差があるのかもしれない。
でも、人間の性質というものは、平均値を中心に広く分布しているものである。
例えば、ある仕事への適性は、男性の平均値の方が女性の平均値よりも高いかもしれない。
でも、A子さん(女性)が女性の中でも、その仕事に向いている方で、B夫さん(男性)は男性の中でもその仕事に向いていない方だとすれば、Aさんの方がBさんよりも、その仕事に向いている、ということは十分にあり得る。
今の日本は、「女性は、その職種に向いていない」という決めつけによって、A子さんのような人を、その職種から遠ざけようとする社会構造になっている。
このような構造を変えていくには、とりあえずはクオータ制のような制度によって、女性を積極的に、ある職種に近づけなければならないと思う。
それが実現したら、最終的には、「男性だから」「女性だから」という理由ではなく、「その人は、その職種に向いている」という理由で、性別に関わらずに仕事が選べるようになると思う。
ちなみに、私は政治家という仕事は、男女どちらにも向いていると思う。
だから政治の世界にクオータ制を導入することが必要だと思う。

国会報告 その5(2000.8.17発行)(前半)

国会報告(7/30~8/12)

■7月30日(日) フジテレビが朝食シーンを撮影に来る。
その後、代表質問の原稿を直して、庭を掘り返してコンポストを埋め、昼から街頭演説へ。
4カ所で演説。
遠くまで行ったので午後いっぱいかかる。

■7月31日(月) 自宅を出るときからテレビカメラが来ている。
8時から恒例のマンデーレポート。
終了後、10時8分の新幹線で上京。
東京駅で下車すると数社のテレビカメラが待ちかまえている。
外国人観光客がその光景を指さして「オー」と喜んでいた。

議員会館到着後、代表質問の原稿に最終の手直しをして、サンドイッチの昼食後、12時40分からの代議士会へ。
代表質問をする鳩山代表と私が挨拶をする。

13時から本会議。
まずは、25年間勤続の村岡兼造氏の表彰。
その後、代表質問に入る。
トップバッターは鳩山代表。
とてもしっかりした質問内容で、民主党議員全員拍手で応援。
自民党からは「政見放送するな」「選挙で勝ってから言え」などと下品なヤジが飛ぶ。
次に、自民党の小里代議士による質問。
与党による質問は何とも面白味がない。

14時半頃より私の質問。
随所でヤジが飛ぶが、そのたびに睨み付けると黙るということに気づいた。
しかし、国会のヤジというのは何とも異様だ。
国会程度の規模の会場で話すことは、学会などで慣れている。
しかも、原稿あり、日本語、ということだから、決して難しくないプレゼンテーションなのだが、今まで、学会だろうと会議だろうとヤジはなかったので、おもしろい初体験だった。
森首相の答弁は全くの期待はずれ。
「総理のお考えは」と尋ねているのに、「国民の議論が分かれている」「適切に対応していきたい」など、おきまりの文句ばかり。
考えてみれば、これほど不誠実な受け答えをされたのは、生まれて初めてかもしれない。

他の代表質問は、だいたい同じような質問ばかりで、森首相も全く同じ答弁の棒読みを繰り返していた。
代表質問は、事前に質問原稿を提出しなければならないので、前の人が同じことを質問していても変えられないのだ。
そんなシステムもおかしいと思うし、そんな事情をわかっていながら全く同じ答弁を壊れたレコードのように繰り返す首相も首相だと思った。
質問の余韻に浸る間もなく、どうしたらこの国会を健全な議論の場にできるのだろうかと考える。

本会議が終わると、取材がたくさん来ていた。
18時半から、1年生議員の同期会。
安い居酒屋。
私としては珍しく奮発してタクシーに乗っていったのだが、タクシーの運転手さんが「先生はハイヤーじゃないんですか」とか「あんまり高そうじゃない店ですね」などとさかんに驚いていた。
今回の選挙では、民主党の1年生議員が43人も当選。
活発に意見を言って党を活性化しようということになる。
なかなか純粋で真面目で良い仲間たちが多い。
二次会は失礼して新幹線で宇都宮へ。

■8月1日(火) 9時27分の新幹線で上京。
11時より、民主党の女性候補者への取り組みについて、大学教授によるヒアリング。
選挙戦全般の経過について、また、女性候補としての特別な支援が党からあったかなどについて説明する。
13時から取材。
14時からジャーナリスト専門学校の学生さんによる取材。
16時から慶応の「三田評論」という雑誌の対談。
戦後家族の変容について。

■8月2日(水) 6時36分の新幹線で上京。
睡眠不足なので眠っていこうと思っていたのに、簗瀬進さんと駅で遭遇し、政治論議を戦わせている間に東京に着いてしまった。
後悔しながら眠い一日をスタート。

8時から厚生部会。
厚生白書と国民医療費についてのヒアリング。
高齢化社会の話が中心。

9時から、介護保険をより良くするプロジェクトチーム。
介護事業に携わっている人たちを招いてのヒアリング。
同じ時間帯に行われた厚生部会のクローン法案の取り扱いについての会議には、政策秘書の鳥居さんに代理出席してもらう。
生殖医療の問題も絡んで、今後紛糾しそうだとのこと。

10時半から予算委員会の傍聴。
本日の傍聴は1年生議員に義務づけられている。
菅さんの質問に対してきちんと答弁できない金融再生委員長に代わり、官僚の人が答えている。
「大臣が答えろ」「時計を止めろ」などのヤジが飛ぶ。
傍聴に値する緊迫したムード。

11時半に中座し、韓国国会事務総長の秘書の方の表敬訪問を受ける。
私の当選を韓国のテレビで見たとのこと。
韓国の国会で行事があるときに私を招聘したいと事務総長の意向が伝えられる。
日韓それぞれの女性政策などについて話し合う。
勧告では、金大統領になってから、クオータ制や女性公務員の昇進など、意欲的に行っているとのこと。

テレビモニターで予算委員会の続きを見ながら、さらに、代表質問を見て多くの方が送ってくださったメールを読みながら、サンドイッチの昼食を取る。
予算委員会で菅さんが「水島さんが代表質問で聞いていたが、有害情報から子どもたちを守る法案を作ったらどう対応するか」と森首相に尋ねてくれた。

13時から公共事業コントロール法についての新人議員勉強会。
国民がきちんと公共事業をコントロールできるよう、つまり、必要な公共事業を迅速に進め不要な公共事業をストップできるよう、用意している法案。
民主党は公共事業を何でも反対していると誤解されているが、目指しているのはこのような当たり前の目標である。

14時から、年金改革検討プロジェクトチーム。
講師を招いて、年金制度について広く学ぶ。
大切な問題であるため、衆参双方から多数が出席。
今まで、国会には年金を専門的に扱うセクションがなかった。
このため、年金について厚生省としっかり議論できる議員がいなかったという。
「靴の底から足をかく」みたいな状況を打破して本当に理想的な年金システムを構築するためにも、きちんと勉強しようというプロジェクトチーム。

16時から、保育問題についての勉強会。
夜間保育所がなかなか増えない現状、認可外の保育所などについて、厚生省の保育課長を招いて話し合う。
「夜間保育所を充実させると親が子供を家に連れて帰らなくなるということを心配している地方自治体が多いのではないか」という発言があった。
私は、そのようなことを考えるよりも、まずはまじめに子育てしている人たちのために、夜間保育を充実させるべきだと思う。
私もそうだが、何も用事がないときはできるだけ子どもと一緒にいたいわけで、夜間保育をやっているからと言って子どもを預けっぱなしにすることなどまずあり得ない。
どうしても夜の会議がある、どうしても残業しなければならない、というような時に預ける場所が必要なのだ。
保育園が24時間保育だからと言って、全ての子どもが24時間預けられるわけではないはずだ。
むしろ心配なのは、「保育園があると親が手を抜く」という理由で無理やり子どもを家庭に返すこと。
無理のある環境での子育ては虐待の温床ともなる。
精神科で患者さんを見ていて、「こんな育て方をするくらいなら、保育園に預けっぱなしにしてくれた方が良かったのではないか」と思うケースにもしばしば出会った。
夜間保育を充実させること、そして、預けっぱなしになる親がいるようなら、個別にカウンセリングすること、それが子どもを最も保護できるやり方だと思う。
こういったことに対するデータを充実させるよう、厚生省に要請。
さらに、先日調査に行った殺人保育所「スマイルマム」について厚生委員会で集中審議をすることを厚生委員会のメンバーに提案。

17時半に、TBS来訪。
代表質問についての取材。

その後、宇都宮に戻り、ビアパーティ後の労働組合1軒訪問。

■8月3日(木) 6時22分の新幹線で東京へ。
8時から、構造改革に関する勉強会。

9時から、環境部会・循環社会プロジェクトチーム。

10時から、公共事業プロジェクトチーム。
計画が中止・休止されたダムについて。

11時から、東京新聞取材。

12時半から、来週厚生委員会で質問することになった雪印問題について、調査室からレクチャーを受ける。

13時半から、パートの均等待遇女性議員の会。
「女性差別」から「パート差別」に姿を変えた間接差別について。

14時半から、フジテレビ取材。

15時から、部落解放推進委員会総会。
途中で抜け出し、同時進行中の、外交・安全保障部門会議に出席。

16時から、教育基本問題調査会。

「文責・曾野綾子」という、内閣官房の諮問機関の報告文に非難が集中する。
「日本人へ」というタイトルのその文章は、自分を神か何かと勘違いしているのか、とにかく高圧的・断定的で、傲慢な表現に満ちている。
高所から見下ろして「私たちは全てを知っている。
お前たちはバカだ」というような、とんでもない雰囲気だ。
「父親は職場の姿を、母親は家庭の姿を子どもに見せるべき」というようなくだりもあって、今時、こんな画一的な公文書があることにギョッとする。
その表現を直すつもりはないのか、と尋ねると、内閣官房の担当者は「文章には勢いというものがありまして・・・」などと言い訳をして、問題を認めようとしない。
「勢い」があれば、何を言っても許されるのか。
片親の子どももいるわけだし、父親がもっと家に帰らなければならないというこのご時世に、こんな文章を書かせるために税金が投入されたとは。
他にも、この改革案は現場から見ると何十年も遅れているという意見などが出される。

もっと言いたいことはあったが、日本の教育の今後に危機感を感じながら、中座して宇都宮へ。

駅から盆踊りに駆けつけ、全速力で走ってようやく挨拶時間に間に合った。
会場で、「国会が忙しいと庶民の声が聞こえなくなるから国会はほどほどに」などと言われて力が抜けてしまった。
確かに、国会という場は、手を抜けばほとんど仕事をしないで済む場所だと思う。
反対に、やりたい仕事・やるべき仕事がたくさんあると、いくら時間があっても足りない場所だ。
国会の活動をろくにしないで政策抜きの地元回りばかりしている議員の方が評価されるという矛盾した現実に改めて直面して複雑な気持ちになる。

■8月4日(金) 7時57分の新幹線で東京へ。
9時半に連合の副事務局長が来訪。

10時から16時半まで厚生委員会。
今日は私の質問はない。
大臣の所信に対する質問が各党の委員から出される。
最も印象的だったのは民主党の山井(やまのい)代議士の質問。
彼は私と同じ30代の一年生議員で、私が子どもたちのために政治家になったのだとすれば彼は寝たきり老人のために政治家になった人。
グループホームの充実を訴えて、著書も何冊か出している。
身体を拘束されたお年寄りのスライドを見せながら、「私はここに山井個人として来ているのではなく、全国の寝たきりのお年寄りと家族の代わりに来ているのです」「私たちは2~3年と簡単に言いますが、お年寄りはその間に死んでしまうから間に合わないのです」などと発言。
自分自身の代表質問の時もそうだったが、今日の山井さんの質問では、党派を超えてうなずいてくれた人が多かった。
国会は変わりつつある、と楽観的な印象を持った一瞬だった。
もう一つ印象的だったのは、常任委員会だと言うのに、部屋がガラガラだったこと。
自分の質問時間以外ほとんどいなかった他党議員もいた。
確かに、座っていても発言の機会があるわけでもないのだが。
やはり最低限の義務ではないだろうか。

終了後、小児の医療についての取材を受けて、17時から雪印問題について厚生省のレクチャーを受ける。

■8月5日(土) 11時半から、宇都宮女子高校の新聞部の学生さんの取材を受ける。
12時半から、宇都宮市現業組合主催の「食まつり」にパネラーとして出席。
15時から、県立美術館でのジョージグロス展友の会主催記念レセプションに出席。
挨拶後、ジョージグロス展を駆け足で回る。
その後、民主党栃木県連の事務所でボランティアの皆さんが後援会報の発送に向けて封筒詰めをしてくださっているため、顔を出す。
1万通を超える発送のため、昨日から追ったり詰めたり、ものすごい量の仕事をこなしてくださっている。
ボランティアの皆さんの協力なしには何もできない事務所であるため、本当に有り難い。

事務所で浴衣に着替えて宮まつりへ。
来賓として、他の議員や市長とともにパレードをする。
なぜ政治家がパレードをするのかよくわからないが、皆さん喜んでくださった。

パレード終了後、老人ホームの盆踊りに出席して、どんぶりに長パッチ姿に着替えて、再び宮まつりへ。
土砂降りの雨の中、市場の皆さんと共に御輿を担いだ。

その後、事務所でスタッフと事務所体制の検討。
いろいろな話が出てすっかり遅くなってしまった。

★今日の一言メモ
国会報告の読者の方から、「週刊文春の記事について訴えないのか」という記者会見での質問にどう答えたのか、という問い合わせをいただきました。

A.別姓を維持するために夫と書類上3回「離婚」していることは事実であり、見出しが扇情的で一人歩きしただけで、記事の内容に対しては訴えることは考えておりません、と答えました。
(文春の見出しは、「水島代議士『三度離婚』でも政界失楽園の船田元に勝った理由」というもの)

余談ですが、8月3日発売の週刊文春はあまりにもひどいものでした。
小宮山洋子参議院議員のことを「上に弱く下に強い」「ジコチュー」などと書いて徹底的にバッシングしています。
ご本人の温かく誠実な人柄を知っている私には耐えられない記事です。
何のためにこんな記事が書かれなければならないのでしょうか。

国会報告 その4(2000.7.31発行)

国会報告(7/23~7/29)
■7月23日(日) 昨年秋に選挙準備を開始してから、よく考えてみると休日というものをとっていない。
元日から街頭演説やビラ配りをしていた。
選挙が終わってからも休日がなかったため、スタッフにも疲れが見えてきた。
精神科医として「きちんと休みなさい」ということを言い続けてきた立場からも、反省をし、本日は事務所を完全に休みとした。
私も、混乱を極めている自宅を片づけたり、たまっていた買い物をしたり、散髪に行ったりする。
昨日の「水島広子ネットワーク会議」の後に出た意見に従って、会合の時に子どもを遊ばせるスペースを作るためのゴザを買った。
私も子連れで行動するときには強く感じるが、会合のお知らせに「子連れ可」と書かれているかどうか、子供向けのスペースがあるかどうか、ということは、肩身の狭さを考える上で死活問題となる。
今後は、「子連れ可」の案内と、子供用のゴザを敷いて会合を催したいと思うので、お子さん連れの方もお気軽にご参加ください。

夕方、突然携帯電話に「鳩山由紀夫です」という電話。
28日からの臨時国会で私に代表質問をしてほしいという内容である。
「1年生議員が代表質問をするのはたぶん初めてじゃないかな」とのこと。
若手を起用しようという民主党の姿勢に改めて感心。
頑張らなければ。

■7月24日(月)
8時から恒例のマンデーレポート。
輪転機がうまく使えず、配布ビラが十分に刷れなかった。

マンデーレポート終了後、今後の活動方針などについて、簗瀬事務所と合同で会議。

簗瀬事務所で大慌てで昼食を済ませて、13時半から労働組合の定期総会に出席。

その後、引き続き簗瀬さんたちと打ち合わせ。

16時から、県政記者クラブで秘書公募の結果について記者発表。
同席した秘書見習いのRさんとMさんが実に堂々と自らの意見を述べているので感心する。
記者発表の席で、例の「週刊文春」の記事について、「訴えないんですか」という質問が出た。

その後、事務所に戻って、今度は事務所内の戦略会議。
国会議員が慣例的に行っている弔電のベタ打ち(新聞の死亡欄を見て、選挙区内の全ての人に弔電を打つ習慣。
ちなみに簗瀬さんは行っていない)の是非などについて、事務所スタッフで打ち合わせ。
ベタ打ちはそもそも無意味で失礼であるだけでなく、月間30万円ほど必要になる。
貧乏事務所であり、皆さまからいただいた貴重なカンパをそのような形で使いたくないという結論になり、勇気を出して慣例を破ることにする。
2時間ほどの打ち合わせの後、事務作業をして22時前に帰宅。

■7月25日(火)
8時37分の新幹線で上京。
議員会館でデザイナー氏と後援会報の打ち合わせをした後、政策秘書の鳥居さんと代表質問についての打ち合わせ。
私の頭の中ではすでに質問する内容が決まっているが、これから政調の人などと摺り合わせが行われるという。

代表質問をすることになって私以上に動揺している鳥居さんから、頼んでおいた資料をどっさりと受け取って、11時半過ぎに会館を出る。
地下鉄で新宿まで行き、昼食をとる時間がないことに気づき慌てて駅のスタンドでサンドイッチを食べてから、小田急線で一路大和へ。
虐待死事件のあった無認可保育所「スマイルマム」の調査に向かう。
子どもを無認可保育所に預けた経験を持つ親としても、全く他人事ではない事件だ。

13時半から、大和市と神奈川県の担当者を呼んでのヒアリング。
臨席した国会議員や県会議員から様々な質問が出て時間を超過する。
男性議員の諸氏も保育行政に並々ならぬ意欲を注いでいるので心強い。
私も、「無認可保育所への立ち入り調査には専門家との連携が必要なのではないか(大和市回答:その必要を認め、市にも専門家を養成していきたい)」「虐待の通報があったときに、責任を持って児童相談所なり警察なりにつないでいるのか(大和市回答:現状ではそうなっていない。
児童相談所や警察に連絡するように伝えているだけ)」などと質問した。

15時25分からの記者会見では、県から市町村へ権限移譲ができるように児童福祉法を改正することの必要性、現在無届けで開設できる無認可保育所を届け出制にすることの必要性などが石毛えい子調査団長から語られた。
私も、「地方レベルでも、虐待通報の窓口を一本化し、市民に周知徹底すること。
その窓口に通報があったときは、絶対にその火を消さないように、必ず児童相談所や警察も一丸となって対応すること。
そのような態勢づくりが急務だと思う」と述べた。
記者会見は最初の10分で中座して、横浜経由で宇都宮へ。

18時半からホテルニューイタヤで「水島広子と語る会」。
事実上の選対打ち上げ式である。
共に選挙を戦ってくださった連合栃木の皆さん、簗瀬後援会の皆さん、そして水島広子後援会の皆さんの懐かしい面々と久しぶりにお会いすることができて、選挙にタイムスリップしたような気分になる。
この席で、「水島広子と歩む会」の会長が小児科医の渋川典子さんに正式に決定する。

夜遅く帰宅すると、知人から週刊誌の記事がファックスされている。
いわく、「民主党もクーデター? 水島広子党首擁立の動き」。
本人の全く知らないところでそんな憶測が飛んでいるとは。

■7月26日(水)
事務所にて朝の打ち合わせをした後、挨拶回り数件。
11時半から宇都宮中央郵便局新局舎落成式に出席。
今日はこの後東京まで2往復しなければならない忙しい日だというのに、こういう日に限って新幹線が事故のため遅れているとのこと。
乗るはずだった12時8分の新幹線が運休で、12時32分の新幹線に乗るが、グリーン車も一杯の状態。
13時28分到着の予定が、14時近くになって東京駅に着いた。
今日は郵便局から写真週刊誌フラッシュが同行取材。
新幹線の中や東京の地下鉄の車内でパシャパシャと写真を撮られて恥ずかしいことこの上ない。

13時半からの拡大予算部会勉強会に50分ほど遅刻して出席。
最近の経済動向と構造改革、そして沖縄サミットと、2部構成。
15時で中座して、今度は買売春問題と取り組む会の「DV法をめぐる意見交換会」に出席。
16時までいられるはずだったのに、新幹線がまだ遅れているということで、15時半過ぎに中座の指令が出る。
16時16分発の新幹線で宇都宮へ。
新幹線の中で複数の国会議員の方たちに会う。

思ったよりも早く宇都宮に到着したため、お見舞い一件。
ナースステーションに挨拶をしたら喜んでいただき、一緒に写真を撮る。
相変わらず激務の割に待遇が改善されない看護職員さんたちのために頑張ることを約束する。

18時から連合宇河(宇都宮・河内)地協拡大役員会に出席。
中座して19時5分の新幹線で再び東京へ。

21時より国会テレビ出演。
生出演の間、視聴者からかかってくる電話の質問に答えたりする。
医療関係の質問が多かった。
22時に出演が終わり、新幹線の終電で宇都宮へ。
ダイヤの乱れはさすがに直っていた。

■7月27日(木)
10時より、壬生インターにて、関東自動車道・栃木都賀ジャンクションー宇都宮上三川インターチェンジ開通式に出席。
中座して、12時8分の新幹線で東京へ。

13時より始まっていた、民主党ネクストキャビネット新人議員ガイダンスに30分近く遅刻して到着。
一人ずつ意見を、というので、小選挙区を主体としたこのままの選挙制度では絶対に民主党は政権などとれない、と主張した。
私の理想とする選挙制度は比例代表併用制というもので、比例で各党の議席数の配分を決め、もう一票で人を選ぶというもの。
政党とは政策集団であり、選挙とは人気投票でもお世話へのご恩返しでもなく、その政策を選ぶものだということをわかりやすくするためにも、しばらくは比例を主体とした制度にすべきだと思う。
選挙制度については今後も議論しましょうと菅直人さんが答えてくれた。

15時半より、取材2件。
1件は子育てについて、もう1件は代表質問について。
取材を受けながらサンドイッチの昼食。
その後、代表質問に向けて、政策秘書に頼んでおいた資料を受け取る。

絶対に間に合わないというタクシーの運転手さんをなだめすかして、17時32分の新幹線に駆け込み乗車し、宇都宮へ。

19時から、全建総連の人と面会し、その後、会合一件。
政治についてじっくり話せた良い会だった。

■7月28日(金)
6時36分の新幹線で東京へ。
8時から、代表質問について、民主党の事務方の人と打ち合わせ。
粗稿を作ってきてくれるという噂だったのに、「まあ自分でやってみてください」とのこと。
10時からの代表との打ち合わせに向けて、慌てて骨子を作る。
10時から、鳩山代表や他の議員数名、事務方の人たちと、代表質問についての打ち合わせ。

11時から、両院議員総会。
代表質問に向けて、皆に励まされる。
11時45分から、代議士会。
12時から、本会議。
議席指定のみなので5分で終わる。
その後直ちに青少年問題特別委員会。
委員長と理事の選出のみで、数分で終わる。
この委員会の委員になれたことは大変嬉しい。

会館事務所に戻り、食事をとりながら取材を受ける。

14時より、本会議。
総理大臣の所信表明演説。
この演説に対して私が代表質問をするわけだが、原稿は事前に入手しているので目新しいことはない。
終了後、所信演説についてテレビの取材を受けたので、「言葉で言うことは簡単だ。
いくら美辞麗句を並べても、今まで森政権はそんなことをやってきていないではないか」と答えた。

15時前から、議員特権見直しワーキングチーム会議に出席。
歳費を日割りにする議員立法提出のめどが立った。
また、法律を変えて合法的に国庫への返還ができるようになりそうだ。

16時36分の新幹線で宇都宮へ。
NTT労組の会合、自治労の会合、市議の会合と3つ続けて出席。
帰宅後、代表質問の原稿に真面目に取り組む。

■7月29日(土)
7時32分発の新幹線で東京へ。
さすがに眠い。

9時から、政策秘書と代表質問についての打ち合わせ。
10時から、昨日に引き続いて、鳩山代表たちと打ち合わせ。
自己満足できる代表質問を完成していったが、それぞれの立場から、好き勝手な(?)注文がつく。
断ったものもあるが、いくつか採用していくと、量が増えてしまった。
13時8分の新幹線で宇都宮に戻りながら、原稿の量を減らすために苦しむ。

宇都宮では、夏祭り1件に行った後、宇都宮空襲展に出席、その後、事務所で打ち合わせをした後、盆踊り3カ所に行った。
盆踊りなどに行けば皆さん喜んでくださるので気分は良いのだが、議員が祭りや会合への出席に忙殺されることについては未だに悩む。

国会報告 その3(2000.7.24発行)

国会報告(7/16~7/22)

■7月16日(日)
 朝8時半から、労働組合のスポーツ大会に出席。
始球式でソフトボールを投げる。
 その後、挨拶回り。
 12時半から、うつのみや「地球村」の講演に出席。
高木善之氏による、日本のゴミ行政の話を聞く。
もっと聞きたかったが、中座して、14時からの秘書公募面接へ。
ジャーナリストの下村満子さん(選挙時に私を推薦してくれたWIN WINの副代表)も審査員の一人として参加してくださり、17時すぎまで面接審査をする。
審査の結果、3名を秘書候補者として内定することが決まった。

今回の秘書公募には、2~3名の採用枠のところ、100名の方から応募をいただいた。
書類選考を通過された21名の方が面接審査に来てくださった。
100名の方は全て、本当に熱心に日本のことを考えられての応募で、大変心強く感じた。
全員を採用するというわけにはいかないが、より良い社会の実現に向けて、ぜひ共に頑張っていきたいと思う皆さんだった。
このつながりを絶やさないようにする会合を企画することなどを選考委員会で話し合った。

■7月17日(月)
8時より、恒例のマンデーレポート。
まだ街宣車がないため、相変わらず簗瀬参議院議員に居候状態。

昨日の面接で選ばれた秘書見習いの方が一人来てくださったので、早速「研修」に入っていただく。
今回の公募で採用された方は全て、3カ月間の「研修」を経て正式に秘書として採用されることになる。

終日挨拶回り。

■7月18日(火)
7時32分の新幹線で東京へ。

9時から、国連婦人2000年推進議員連盟の総会および「女性2000年会議」報告のヒアリング。
日本代表団主席代表 岩男壽美子男女共同参画審議会長から報告があり、補足説明が外務省と総理府の方からあった。
女性・女児への暴力、グローバリゼーションに伴う経済格差の広がり、特に女性の貧困化、HIVの広がり、家庭内の無償労働に対する評価、などが問題点として話し合われたとのこと。
女性・女児への暴力については、人権問題であるという認識が全世界的に共有されてきたとのことだった。
男女共同参画の問題は、宗教や伝統などによって強硬に反対するアフリカの国々などもあり、やっとの思いで「北京宣言及び行動綱領実施のための更なる行動とイニシアティブに関する文書」を採択したという。
私も、家庭内の無償労働の評価について質問。

10時10分、ずっと広報関係のデザインを手がけていただいているO氏と面会。
後援会報の打ち合わせなど。

11時 男女共同参画調査会会議。
今までの活動報告などが行われた。
私も、この調査会には全面的に参加することになっている。
単なる活動報告の会議に終わりそうだったが、終盤になって、。
「民主党の幹部男性たちには本当に男女共同参画を推進しようという意識があるのか」「党内でも意見がまとまらないでどうするのか」。
というような意見が続出し(私も発言した)、やや紛糾。
江田五月参議院議員が、。
「どうしても嫌だという議員がいても、党議拘束をかけたり民主党としての決定をするから大丈夫だ」。
と言ってくれたため、収束した。
男女共同参画調査会のメンバーは、民主党の各委員会に男女共同参画の精神を広めていく役割を担うということを再確認。

12時すぎに昼食。

13時 フジテレビ取材。
私が「子どもを有害情報から守る法律」を作ろうとしていることを小耳に挟んだという。
どんな内容なのか様子を聞きに来たらしい。

14時 オーストラリアの外交官の方が表敬訪問。
日本の政治の現状や未来への展望などを話し合う。

14時半 少年法改悪に反対している弁護士の方が来訪。
精神科医時代にも一度お会いしたことがある方である。
少年法についての私の考え方を説明。
加害者対策も被害者対策もあまりにも手抜きであるのが日本の現状であること。
その結果、加害者の更正システムも機能していないし、また、被害者の心の傷へのケアもできていない。
更正システムが機能していないということは、次なる犯罪の防止にもつながっていないということなどを伝える。
少年法というと、すぐに年齢の問題や厳罰化の話になるが、こういう根本的なシステムの話を避けている限り、何も改善しない。
厳罰化しても、追いつめられた加害者はより凶悪な犯罪を犯すだけだと思う。
加害者 対 被害者 という構図にすり替えることなく、どちらも社会の被害者であるという構造を把握しなければ議論は不毛となるばかりだと思う。
少年犯罪対策の先進国の例を広く国民に紹介すべきではないかと意見を述べた。

16時半の新幹線で宇都宮へ。

18時から、宇都宮地区労の「2000年沖縄連帯・平和行進参加報告会」に出席。
深刻な基地問題を抱えている沖縄での平和行進に参加した方たちの熱い報告会。
私も挨拶の中で「軍隊は女性を守るか」という新聞報道を例に挙げ、軍隊周辺での性暴力などの話をした。
随行していた秘書見習いRさんは「みんな真面目で感動した」という。

■7月19日(水)
10時半 国道121号瑞穂野バイパス開通式に出席。

今日から、もう一人の秘書候補者Mさんが働いてくれている。

13時 下野新聞取材。

14時より挨拶回り。

17時45分よりNTT労組の納涼祭。

19時より、ボランティアのエイサクさんの送別会。
神奈川県民の彼は、選挙の応援のために、12月から宇都宮に住み着いて働いてくれていた。
明日、神奈川に帰ることになった。
人手もお金もない選挙だったため、ボランティアの方たちには本当に助けられた。
改めて感謝したい。

21時、お通夜1件。

■7月20日(木)
午前中、もう一人の秘書内定者Sさんと面談。
今回採用した3名のうち唯一の男性。
会社がまだ退職できないため、10月頃からの仕事になりそうである。

午後、会合に出席した後、二荒山前と江曽島で街頭演説。
多くの方から街頭カンパをいただいた。
その後、事務所で作業。

■7月21日(金)
地元で挨拶回り。
道中、常任委員会が厚生委員会、特別委員会が青少年特別委員会に決まったとの連絡が入る。
常任委員会の第一希望は文教委員会で出しておいたのだが、私がやりたいことは青少年特別委員会の方が扱いやすいとのこと。
厚生行政でもやりたいことはたくさんあるので、納得した。

18時から、民主党栃木県連の幹事会。
選挙の総括や今後の活動方針など。
民主党の代表選挙も議題の一つ。
無投票当選になりそうなムードとのことだが、一般のサポーターも投票できるシステムにしたこともあるし、やはり民主党らしく複数の候補者に政策論争をしてもらいたい。
と発言したら簗瀬参議院議員に「あなたも総理大臣になりたいんだったら立候補する?」と言われてしまった。

■7月22日
11時、栃木県難病団体連絡協議会にて挨拶。

13時半より、当選報告会およびボランティア・市民会議(今後、水島広子ネットワーク会議と改称)を開催。
お忙しい中、多くの方が集まってくださり、活発なご意見をくださった。
当初13時からと発表していたため、ご迷惑をおかけした皆さま、本当に申し訳ございませんでした。

★今日の一言メモ
国会報告の読者の方から、次のようなご質問をいただきました。

Q.「クオータ制」とは、どういったものなのでしょうか?その制度によって女性議員にどのような利点があるのか教えて下さい。

A.クオータ制とは、「片方の性が一定割合を下回らない」という制度です。
例えば、その一定割合を25%と決めれば、男性議員・女性議員のどちらも、25%を下回らないようになります。
比例区の名簿を、男女男女あるいは女男女男という順番にすることも一般的な方法です。
クオータ制が導入されれば、女性国会議員の数が明らかに増えるというメリットがあります。
実際に、ノルウェーなどの国では、クオータ制が義務づけられてから明らかに政治の質が向上しています。

国会報告 その2(2000.7.19発行)

■7月10日(月)
8時~恒例のマンデーレポート。
その後、終日地元で挨拶回り。
事務所の使い勝手を指摘する声が多いため、事務所移転の候補地を途中で見に行く。
なかなか条件に合う候補地は見つからない。

■7月11日(火)
7時の新幹線で東京へ。
8時半から赤坂プリンスホテルで、栃木県執行部との朝食懇談会。
県への意見として、小児医療のことを発言する。
近年、心を病む子どもが増加している。
とても大人を中心とした医療体制の中では対応しきれない。
また、乳児死亡率が全国3位の栃木県は、もっと専門的な小児科医療ができるようにしなければならない。
他県に習って栃木でも県立子ども病院を作ることを検討してほしいと要望。
知事からの回答は、国立病院の特化として小児病院にしてほしいという要望は出しているとのこと。
県の予算で子ども病院を作るのは無理だとのことだった。
小児医療については、国政レベルでも力を入れていかなければならないと再認識。

懇談会の時間が超過したため、中座して宇都宮へとんぼ返り。
11時半から自治労の中央委員会に参加して挨拶。
その後、挨拶回りをしながら事務所に戻る。
事務所でテイクアウトの焼きそばを食べて、13時から挨拶回り。

■7月12日(水)
9時11分の新幹線で東京へ。
10時半から民法改正ネットワークの人たちが状況説明に来る。
民法改正に向けての自分なりのアイディアを説明し情報交換。
民法が改正されないためにいかに多くの人が傷つき苦労しているかがよくわかる。

余談だが、先週発売になった「週刊文春」に、「水島代議士『三度離婚』でも政界失楽園の船田元に勝った理由」という、なにやら扇情的なタイトルの記事がある。
本文を読めば、私たち夫婦が別姓を維持するためにやむを得ずペーパー離再婚を行っているだけのことだという事情がわかるのだが、新聞広告などでタイトルだけが一人歩きしてしまい、「いったいどういうこと?」と、地元でちょっとした騒ぎが起こっている。

その後、会館でたまっている用事を秘書の鳥居さんと共に片づけ、14時すぎに慶応大学へ。
6月24日付けで退職しているのだが、忙しくて大学に行けなかったため、研究室の片づけができていない。
16時までに、大急ぎでロッカーや本棚の中身を段ボールに詰め、宅急便で送る手配をしてもらう。
段ボールは7個になった。
長年の蓄積は大きい。

16時35分の新幹線で宇都宮に戻り、17時45分から、NTTの労組の納涼祭に出席。
挨拶を済ませてから矢板に移動し、会合に出席。

■7月13日(木)
9時27分の新幹線で東京へ。
11時から、「議員特権の見直しワーキングチーム」の会議に出席。
先日提起された歳費の問題が発展してワーキングチームができた。
私も委員の一人である。
選挙前後の歳費の支払い問題(今回の我々の問題がこれ)、長期に国会を欠席してる議員への歳費支払い問題(オレンジ共済の友部議員など)のほか、永年勤続の胸像などが問題として挙げられる。
私自身、国会の「当選回数主義」には大きな問題を感じている。
議員は実績で評価されるべきもので、長くやったから偉いというものではないと思う。
「当選回数主義」が国会の風通しを悪くしているのではないか。
秋の臨時国会での議員立法提出に向けて、これからも作業をしていくこととなる。

13時、田中甲代議士の政策秘書の方から、今までの青少年問題の取り組みについて説明を受ける。
こちらも、自分が作りたい法律を説明し、共同作業をする旨、確認する。

13時50分 下野新聞の取材。
先ほどのワーキングチームについて。

14時 朝日新聞の取材。
WIN WINについて。
今の選挙制度の元では、WIN WINのような団体による資金援助は大変ありがたい。
でも、将来的には、公営選挙にして、テレビで対立候補者同士が政策討論をするなど、資金の差が勝敗に影響を与えない選挙にすべきだと思う、という自分の考えを話す。
女性議員をふやすためには、クオータ制の導入が急務であるということも話す。

15時36分の新幹線で宇都宮へ。
挨拶回りと、面会数件。

■7月14日(金)
朝早く、宇都宮から那須へ移動。
10時から那須で行われた「余笹橋完成記念式典」に出席。
自民党から4人、民主党から2人、計6人の国会議員が出席。
1998年8月の集中豪雨による被害の一つとして、旧余笹橋の一部が流失して、国道4号線が分断された。
その復旧工事が完成したのだ。
暑い中、テントの四隅に氷の柱を立てての記念式典で、皆、汗を流していた。

14時から、連合栃木地方委員会に出席。

その後、挨拶回りをして、17時15分から、関東甲信越税理士会栃木県支部連合会の懇親会に出席。

いったん自宅に戻って娘と夕食をとってから、21時からの会合に出席。

■7月15日(土)
 午前中、2つの会合に出席。
午後は忙しい。
まずは、どんぶりに長パッチをはいて、天王祭に。
夫と娘も同行。
娘は子ども御輿の仲間に入れてもらう。
私は、高所恐怖症だと言うのに、御輿の上に立つ羽目になる。
足を押さえてはもらえるが、手はどこにもつかまれない。
右足と左足の揺れが噛み合わなくなったり、猛者が大きく揺すったりすると、本当に転落の恐怖を感じる。
顔をひきつらせていると「笑って、笑って」と注意される。
どうにかこうにか任務を全う。

その後、大慌てで会合に出席。

次は、上三川町の祭りに飛ぶ。
時間と態勢が不十分だったため、御輿の上には立たずにすむ。
代わりに、御輿を少々担がせていただき、18時40分に宇都宮に向けて出発。

宇都宮で会合に出席。

こうも会合が多いと、「会費」が重要な問題となってくる。
選挙前は貧乏候補者ということで免除していただけることが多かったが、当選してしまうとそうもいかない。
政治家の寄付行為は、公職選挙法で禁止されているが、未だに「会費」という名目での寄付行為が続けられているのが現状である(額が多少多くても、封筒に「会費」と書いてあれば許されてしまう)。
ただでさえ出席すべき会合の多い国会議員が、規定額以上の会費を払い続けていくためには、企業・団体献金に依存したり、パーティー券売りに汲々としたり、と、政治の姿を歪めるような形の活動をしなければならない。
これが日本の政治の質を低める一因であると思う。

私の事務所では、「市民と共に歩む政治」の実現に向けて、企業・団体献金に頼らず、国からいただく歳費と、皆さまからのカンパだけで活動の全てを賄うことにしている。
人件費、交通費、広報活動、事務所運営費など、政治活動による支出は大変に大きく、皆さまのご理解をいただきながら辛うじて活動をしている状況である。
とても、「会費」を豪快に払える状況ではない。
「会費」と名を変えた寄付行為など、悪しき慣習を排するためにも、まずは自分自身が率先して「会費」の過剰支払いをやめようと決意した。
たかが「会費」であっても、こんな小さなところからも一つ一つ政治の非常識を見直していかなければならないと思っている。
ケチだとか礼儀知らずだと非難されることは覚悟の上、頑張っていこうと悲壮な決断。
皆さまのご理解を切に祈り申し上げます。

★今日の一言メモ
「国会報告」の読者の方から、下のようなご質問をいただきました。
いただいたご質問のうち、皆さまもご関心がありそうなものについては、この場をお借りしてお答えしていこうと思います。

●質問:「政調の議員」とはどのようなことをするのですか?そういえば、各党に政調会長っていますね。
この役割のことよくわかりません。

●「政調」とは「政策調査会」の略のようです。
議員立法をしたり、政策を考えたりするときに、助けてくれる人たちです。
個々の議員の委員会質問などのときには、議員と政策秘書とで考えなければなりませんが、党としての立法などについては政調のスタッフが助けてくれます。
ちなみに、民主党の政調会長は菅直人さん、会長代行は枝野幸男さんです。

他に、「国対」というのもあります。
これは「国会対策」の略です。
「国対」が、国会でのやりとりそのものに重きを置くのに比べて、「政調」は立法活動や政策立案の方に重きが置かれた仕事です。